2019-08-21

夏の終わりによみがえる消えた後輩の思い出

先生大学院入試ダメダメでしたよ」

学生手土産を私に渡しながら言った。

「頑張ったならそれでいいんだよ、あとは相手が決めるんだから忘れて夏休みを楽しんだら」

そう返答するのが精いっぱいだった。どうにもこういう人の感情に寄り添うのは苦手だ。

夏は不思議。ふとしたことで思い出が蘇ってくる。辛かった修業時代よりも楽しかった学生時代のほうが思い出も多いしよく思い出す。

ぼくは今でこそ大学院入試をやる側になった。それはつい最近のことだ。

大学院入試なんて、やる側になってみると、すごくいい加減だ。人数で適当に線を引いて合格者を決める。会議に次ぐ会議を得て、最後教授会承認する。

から、誰が合否を決めたのかなんてわからない。これじゃあまるで、3人で同時にボタンを押す死刑囚みたいじゃないか

学生時代には仲良くしていた後輩がいた。彼は私の10年先を行ってた。深慮があり知識が深かった。

日々話し合った話題は数知れず。何を話しても彼は既存の考え方もその反論説明してくれて、自分の短慮を思い知らせてくれた。

しかし、それは私への攻撃などではなく彼にとってはこの世界に答えという出口がないという感じだった。

私はそんな後輩を尊敬していた。彼のような人にこそ、いろいろなことについて語ってほしいし、そうできる立場がふさわしいと思った。

あれほどの深みをもった人物というものを私は彼以外に知らない。

だけれど、彼は大学院入試に失敗し消息不明になった。私が十分に優しければ、そんな彼にかける言葉があったのだろうか。

だって答えはわからないし、相変わらず人の感情にどうやって寄り添ったらよいのかわからない。

当時の自分にできる精いっぱいのこととして、何度か飲みに行こうよなんて声をかけた。もちろん返事なんてなかった。

あれからずいぶん時間がたった。彼は生きているのか、死んでいるのか、どこにいるのか全くわからずにいる。

ふとtwitterを見てみた。あのときから時は止まったままだった。だけど、今ならわかる。彼は気楽に生きるには知りすぎていた、考えすぎていた。

思慮深く博識な彼は消えてしまい、短慮で薄学な私だけが取り残された。

彼は今どこで何をしているのだろうか。彼なら、今この世界をどう評価するだろうか。

叶うなら、もう一度飲んで騒いでこの世界について無邪気に語り合いたい。

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