女叩きの中には女から男を取り返したいという願望もあるんじゃないだろうか。
「女はちやほやされている」「女はイージーモード」的なことを主張する非モテ男性、童貞、弱者男性は多いが、女をちやほやし女をイージーモードにさせているのは他でもない男である。
思春期以前の男性のコミュニティでは、女性は多くの場合部外者である。(女性は思春期以降もこの傾向は強い)「女子うぜえ」「女子はあっちいってろよ」と、男だけのコミュニティを発達させる。このコミュニティの中では男>女という構図が成り立つ。
ところが、思春期に差し掛かると、「抜け駆け」するものが出始める。彼らモテ男性、はコミュニティ部外者であるはずの女にうつつを抜かし、ちやほやし、閉じていたはずのコミュニティに女を入れ始める。すると、コミュニティ内で構図の逆転が起きる。モテ男性>女性>非モテ男性、という逆転である。この、男性>女性から女性>男性へのヒエラルキーの逆転は、モテ男性には起こらず、非モテ男性のみに起こる。
女叩きは回帰を求めているのではないか。女が嫌い同士集まり、女を下位に置き直すことでもう一度女子がいなかった頃の完璧なホモソーシャルを作り出す。勿論、女叩きをする要因は様々で、この限りではないだろうが、根底にはこのような懐古的な渇望もあるのではないだろうか。
サークルクラッシュに例えてみるとわかりやすいだろう。男だけの楽しいコミュニティ、そこにサークルクラッシャー女が現れる。女に惚れた男達は揃って女を担ぎ上げるが、時期に神輿の音頭は取れなくなりコミュニティに亀裂が入る。女に惚れなかった男は、ただ自分の友人がポッと出に奪われ、コミュニティを破壊される様を眺めるしかない。クラッシュの原は、女だけでなく下半身に支配された男にもあるはずだが、男同士友人を維持するためにはクラッシャー女を叩くしかない。
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という風に解釈してみたんだがどうだろう?思春期のノリについていけず零れ落ちたクソ女視点から考えてみた。友人に彼氏が出来ると面白くないし、惚気を聞くのもだるいし、何より長い付き合いの自分よりポッと出の男が優先されるのが気にいらない、というような内心は、実は男も抱えてるいるんじゃなかろうかと。「男らしさ」の足りない弱者男性はこういう風にホモソーシャルから零れ落ちてるのかなあと。
基本的に男は性自認が強く、女は性自認が曖昧だと思う。弱者男性は男ではあるけれど、性自認の弱い男なのではないか。性自認…というよりは確固たる自分の性別の信頼のような。弱者男性と名乗りながらもアイコンは美少女なところがなんとなくそう感じさせる(深い意味はないかもしれないが)。
女叩きは基本的に長文が読めないし書けないのでは? 女叩きが多く生息するであろうこのサイトでも条件反射的な定型文のMASUDA-STYLEがメーンだし……。 思い返してみると、どうやら女叩...