えげつないシーンを切り出してインパクト重視のえげつない漫画が目立つが、男性向けはシュールで不条理でグロな設定やエロ重視なのに対して、女性向けは虐待やら精神をえぐる系の現実に沿った系のえぐい漫画が目立ち、エロも抜き要素のない無残な扱いが多いのが性差を感じおもしろい。
自分の周りではガンで亡くなった人がいなかったからよくわかってなかったが
国立がん研究センターのサイトによると2014年で男女合計368,103例の方が亡くなったそうだ。
2016年の予想では374,000。
ちなみに2015年の交通事故死者数4,117人で2016年は3,904人。
民間で成功したらそのまま頑張ればいいし、公僕として仕えたいのであれば変わればいい。
うまくいかなかった人は公務員試験で再チャレンジ、たとえば30過ぎてから再チャレンジできる環境は面白いはず。
公務員の仕事も効率化されるだろうし、先生も社会経験をもって教育ができる。
民間も頑張って教育したのに公務員に行かれたら損失が大きので、10年か15年くらいの経験義務付けでいいのではないかと思う。十分企業に還元してから再チャレンジ。
または民間企業は新人教育は最小限度にとどめて即戦力の通年採用に切り替える。人材の流動化になるかもしれない。いまの大学のありようからしたら職業教育は大学や専門学校に任せていいでしょう。
新卒一括採用は大企業に就職した人からすればそれ自体が既得権益化するし、希望の企業に行けなかった人からみたら見るとリスクが高い。
公務員の仕事に30年の熟度が要求される業務ってあるだろうか。
週休二日もクールビズも成功したのは官庁が本格導入したから。していないのは最近のプレミアムフライデーみたいにことごとく失敗している。
オナニーで3分でイケるけどセックスでもフェラでも15分くらいイかないのは俺も同じ
そりゃあ専業主婦(夫)や退職後老人みたいな「就職する意思のない人」まで適当に「無職」と
以前は求人雑誌に小さく載ってる程度だった気がするが、最近はあらゆる所で見かける。
クイズ番組のイラストが全ていらすとやだったり、ヨドバシで柱一面に大きないらすとやの絵が貼ってあったり。
こんな一流所でもイラスト発注出来ないくらい不景気なんだな…こういうイラストを描いてた人達はおまんまくいあげだろうな…と何となく見る度に悲しくなる。
もっとしょうもない愚痴ばっかりかと思ってたのに、ガチで誰にも言えないような悲惨すぎる生活を送ってる妻が多すぎて泣けてきた。
ヤフーのトップでも出て話題になってる出玉規制強化の話題での人気ブコメが、
一様に「パチンコでお金に換金できないんじゃないの?」と来ている。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170710-00000080-jij-soci
業界の話題を目にすりゃしょっちゅう叩いている癖に、見当はずれもいいところなんだよ。
景品は換金専用のものだけじゃないっての。
景品の中身が充実している店には、各種ギフトカタログやPS4や3DSなど人気ゲーム機もあるくらいだ。
その交換商品が人によって違うんだから、5万のもうけと表現するしかないだろ。
まあ大半の店は何も言わず換金専用のに替えてくるがな!
さあ15分で書けるだけのことを言葉にしていく。まずいザンギ定食を食べた気分は最悪だ。ザンギはいいのだ。付いてくるご飯の最悪さよ。どれだけ古い飯を使っているのかということだ。更にはこの猛暑。汚い個人の定食屋。猛暑の猛暑の多湿の多湿。最悪の条件がいくつ揃う。こんなにまずい米があるのかと。くさい飯ってこういうことだったのか。でもよく考えればどれほどの不運かって言うとそれは結構判らないところであったりする。今までが恵まれすぎていただけなのかもしれない。そうだ、今まで苦しい思いや貧しい暮らしに触れる機会が少なすぎたのだ。普通の家庭に生まれて、普通の生活をしてきた。中流といっていいのかわからないけど、それほど悪い生活をしていたとは思わない。普通の収入の親、普通の住宅街の中にあるマンション。そんなところで生まれ育ったので残念なことに普通の青年に育ってしまった。息が詰まる。苦しさをもっと知りたかった。贅沢を言うのだと思う。こんなことを貧困にあえぐ世界のこどもたちが聞いたらきっとあきれる。でもそういう感情もあって間違いではないと思うのだ。これでもかというほど刺激に欠けた日常。母はそういうところに気が狂ってしまったのかもしれない。僕ら子ども二人はもう手の離れる歳になった。知的障害の兄は一生だれかに頼った暮らしを続けるのかもしれない。でも僕は違う。多分違うはずだ。生まれてから干支が二周回った。もう十分に大人なはずだ。俺はどれだけ自立できているのだろうか。きっとまだまだ子どもな気がする。大人にならなくちゃいけない。母は私がいなくなることをひどくおそれている。いなくならないでと泣きつく姿にひどくうんざりする。僕だけではないのだ。自立が必要なのは。大人になれないのは時間が足りないのではない。経験が足りないのだ。自分を見つめる時間がもっとたくさん必要だ。勉強して自分の頭で考える。そういうことが人生で足りていないのだ。だめだだめだ。ふがいない。誰のせいでもないのだ。自分のせいなんかじゃ決してない。他人のせいにしているわけじゃなくて、世の中の物事というのはえてしてそういうものなのだ。刺激が少ないところに生きていれば、安全なところへ、保守保守保守。人間がどんどん小さくなっていく。小さくなって小さくなって、生きるバイタリティなどどこへやら。生きるというのは苦しいことだ。それはそれぞれのステージの苦しさが存在して、誰しもが苦しいのだ。これが自分だけが苦しいように感じてくるようだとかなり危ない。母の心が壊れたのはこういうことが原因なのだろう。そして、自分の体力に似合わない仕事を押し付けられて容量を超えてしまった僕は倒れるしかなかった。社会の苦しさっていうのを知った。こういうのは誰しもが受ける洗礼だろう。でも僕の場合は人間の器があまりに脆すぎたのだ。壊れる前に、体が危険信号を出したのかもしれない。やっぱり自分は社会に出るには向いていなかったのだ。言い訳がしやすくなった。社会のゴミでも生きていけると思う。ゴミだから失うものがない。こんなにだめなんだからみんなもっとやさしくしてくれていいはずだし、僕ももっと怠けていいはずだ。要らないんなら燃やして捨ててくれればいい。燃えカスは地球を悪くするかもしれないけど、僕はそれも悪くないと思うんだ。
保育園までの往復は母の自転車だった。母の後の幼児用シートで、手や足に風を浴びながら横を飛んでいく景色を見ているのは好きだった。ある日の朝までは。
その朝、いつもと同じように保育園に送られる途中、私の右手と背中に突然、激痛が走った。それと同時に「うう」とも「ああ」とも違う、変な男の人の声が聞こえた。しばらく何が起きたか分からなかったが、振り返ると知らないおじいさんがうずくまっているのが見え、子供ながらに自分の手がすれ違うときに、そのおじいさんのどこかにぶつかったのだと理解した。おじいさんを助けなきゃと母に知らせようとしたが、自転車は再び猛スピードで保育園へ走り出していた。保育園に着いた後、母は何事も無かったように私を預けていった。
自分がものすごく悪いことをしてしまい、母はそれを隠そうとしてくれているのだと思った。おじいさんが死んだかもしれないと本気で恐ろしくなり、先生にも友達にも何も言えなかった。ずっと手と背中は痺れたままで、どうしたのかと聞かれたように思うが、理由は口が裂けても言えなかった。その日の帰り、母はいつもと変わらない様子で私を迎えに来たが、帰り道はその事件があったあたりで、道の反対側を母は走った。車道の両側に、それぞれガードレールで仕切られた歩道があり、その片側の歩道を行きも帰りも走っていたのだが、その日から母は反対側の歩道を走るようになった。私はますます、母が私の罪を無かったことにしようとしていると確信した。母がそんなに必死に隠さなければいけないほど、私は悪いことをしてしまったのだと思った。その場所を通るときはいつも、おじいさんがその場で死んでいるような気がして、恐怖に怯えながらも目で確認してはほっとするのが習慣になった。
その後ずっと、自分からも母からもその話はしていない。成長するにつれ、母は私を守ったのではなく、母自身を守ったのではないかという疑念が徐々に蓄積していった。私が母親の立場なら、子供が怪我をしなかったか心配になるのではないかと疑うようになった。私が痛みでしばらく呆然としていた後に、振り返っておじいさんはそう遠くなかったので、たぶん母はいったん止まったか、少なくとも減速しておじいさんの様子は見ていたはずだった。思春期のころの私には、母の言葉は何もかもきれいごとで、自分の保身のために言っているように聞こえた。反抗期という感じではなかった。歯向かうことは少なかった。母をただただ信じられない人とみなし、言うことを聞いたふりをしながら内心ではその言葉をすべて冷たく疑っていた。不良にもならず普通の大人になれたのは、逆に自分が正直に生きることによって、母を軽蔑したいという感情のおかげだったかもしれない。皮肉なものだ。
今でも右の肘には違和感がある。実際に後遺症があるのか、精神的にそう感じるだけなのか分からない。いつか母とあの事件の話をすることがあるだろうか。少なくとも屈託なく笑って話せる気はしない。