スプラトゥーンでA帯を抜けてやっとSになれた。
今なれた。
去年の6月からつづけて一年以上もつづけてSに上がれないからオレには才能ないんじゃないかとなんども挫折しそうになったけど、ついにSになれました。
なんどもスプラトゥーンやめようとかWiiUを捨てようとか思い詰めたけど、続けてきてよかった。
まじ感動した。
長尺を使って描かれた関西大会における北宇治の演奏。凄すぎて凄い以外の語彙を失ってしまった感はあるのだが、いくつか思ったこともあるのでそれを書きつけておく。
そしてそれは府大会と関西大会の演奏の違いであり、結論を先述べしておくと、
の二つが論点になる。
端的にいえばみぞれと希美の確執および和解にまつわるエトセトラがそれ、ということになるのだが、最も説明しやすいのが麗奈のソロパートなのでそこに触れる。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm29961964
上記は府大会と関西大会の演奏シーンを並べた動画だ。見てもらえれば判る通り府大会では香織の表情を映してるのに対し、関西大会ではトランペットのソロを下支えする久美子と彼女が幻視した大吉山でのシーンが描かれている。
府大会は直前にトランペットのソロを麗奈が吹くか香織が吹くかで揉め、再オーディションをする事態にまで発展した。「三年間やってきたんだもん、最後は吹きたい」という香織の想い。彼女を慕う優子の想い。しかし麗奈はそれらを音でねじ伏せ、ソロパートの奏者となった。コンクールにおける当該シーンでは、その音を聞きながら最初はうつむき、そして最後には“納得”したように微笑む香織が描かれる。つまり麗奈のソロパートは、香織の心の決着の場でもあった。
関西大会はそうじゃない。今度は麗奈の音に久美子の回想が乗る。なぜ久美子かというと演奏の直前に「私も久美子のために吹こうかな」と麗奈が言い出したことによる。「みぞれ、ソロがんばってね」「わたし希美のために吹く」というみぞれと希美のやりとりを見てそう口走ったのだ。
『ユーフォ2』#1-4は言うまでもなくみぞれと希美のお話がメインだった。その中のひとつの切り口に、誰のために何のために吹くのかというのがあった。みぞれは「楽器だけがあたしと希美をつなぐもの」だから吹いていた。片や麗奈は「考えたことない。……強いて言うなら自分のため、かな」と答える。そんな麗奈も、みぞれ希美のコンテクストを受けて、「久美子のために吹」くという形でソロパートに臨んだ。
ここでとても面白いのは、麗奈のソロパートを下支えしてるのはユーフォニアムという点だ。府大会ではシーンに登場したファゴットがここでは描写されず、それによって久美子の下支えが、その低音が強調されている。そうして絡み合い一体化していくふたつの音。それは大吉山での“愛の告白”の回想へとつながっていく。あまりに、あまりに美しい光景だ。
正直いちばんうなったのはこれ。音による裏打ち。
ぜひ府大会と関西大会の演奏の音を聴き比べてほしい。みんな本当に上手くなっているので。……と言いつつ、当方の耳は非常にボンクラ(部長の声を「はやみん? いや……能登かわいいよ能登?」などと言って周りに白い目で見られてしまうレベル)で、合奏はその違いがよく判らなかった。なので麗奈のソロパートを聴き比べてみた。ここはその差が如実に判った。それぐらい違った。
たとえばソロパートの始まりの「ぷぁー」という音。府大会は出だしのこれが鈍重かつか細いのだ。例えるなら冬の海。冷たく重い海水から頭を浮かすことができず潜ることを余儀なくされたような、重力を含んだ音。メロディの終わりも唐突で、次の音も焦ったように早く始まって伸びや豊穣さが感じられない。対する関西大会はどうだろうか。こちらは非常に伸びやかで、春の海のような、その上を軽やかに滑るような明るさがあるのだ。音の終わりもビブラートを利かせて情感がたっぷりこめられており、次の音への繋がりもとても心地よい。聴き比べてみると驚くほど違いがあったのだ(これは大げさでもなんでもなく、実際そうなのでぜひ聴き比べてみてほしい)。
続く「ぱーらりらりらー」も関西大会では楽しげに舞い上がるような音になっている。まるで夏の夜、意中の相手との初めてのデートに浮足立つ少女を想わせるような。その(久美子を想って吹かれた)つやっぽい音色を聴いて、久美子が大吉山での出来事を思い出すのは無理ないことというか、音それ自体が、その時のことを語りだすかのようですらある(府大会の当該シーンに、そういった抑揚はない)。
これは、臨時講師の橋本が言っていた「君たちの演奏は(中略)表現力が足りない」というコンテクストにも乗っている。みぞれのオーボエに対して「もっと感情だせない?」という話から始まったこれは、どんどん上手くなっている北宇治に大きく欠けているものだった。みんな練習や、みぞれに関しては希美との和解によって「表現力」を獲得していくが、麗奈のそれは、半ば冗談めかして言った「私も久美子のために吹こうかな」により久美子が夏の大吉山を思い出すような艶めかしい表現につながっていき、そして何より音がしっかりとそれを裏打ちしていた。『ユーフォ』は本っっっっっっ当に芸が細かい。
傘木希美は現在フルートパートを担当する三年を凌ぐ実力の持ち主で、南中では吹部の部長を務めていた。南中での最後の府大会でまさかの銀賞と涙を呑み、高校に入ったら絶対に金賞を取ろうとみぞれたちと誓い合っていた。しかし今は卒業してしまった去年の三年との確執によって退部を余儀なくされてしまう。みぞれとの和解を経てサポートメンバーとして部に復帰し、じっさい献身的にみぞれやAメンバーを支えている。
しかし、だ。希美はもともと辞めたくて部を辞めたわけじゃない。フルートが好きで、金賞を取りたいという目標もあった。フルートパートを担当する奏者は自分より明らかに劣っている。おくびにも出さないけど、奏者として吹けないことが悔しくてたまらなかったはずである。
それが、「わたし希美のために吹く」というみぞれのオーボエソロのときに初めて顔に出る。
https://i.gyazo.com/06b7e5cfb22dec64999f0fa202731f57.png
舞台から、みぞれのオーボエソロから背を向け、笑みを浮かべず、中空を見つめる希美。
府大会のオーボエソロには「きゅーん!」となったにも関わらず、希美への感情が乗って表現力の増した関西大会のそれにはそうならないのだ。
ここから一貫してみぞれは舞台に対して背を向け続ける。サポートメンバーはみな舞台を覗き込んだりしながらAメンバーたちの演奏が無事に終わることを祈っている。しかし希美がその輪に加わることはない。
https://i.gyazo.com/df1f0bac8c9ab5c3824e7d9738ff6157.png
https://i.gyazo.com/814767fa1286d18a63ec9d61f5171438.png
それぞれ演奏終了直前、全国大会進出が決まった直後の表情。特に最後の表情は、周りと違って手放しで喜んでいる様子はない。良かったとは思っている、でも自分がそこに居ないのは悔しい。
少ないカット、一瞬の表情。しかしそうやって希美の感情がフィルムに乗ることで、関西大会の演奏がより豊かになる。そして希美の悔しさは、来年のコンクールにつながっていくことだろう。コンテクストがまたひとつ積み上げられ、『ユーフォ』の世界が豊穣になっていく。
関西大会を終えた今になって一期の#13、府大会の演奏直前のあすかと久美子のやりとりを見返すと、あすかの曰く言い難い表情に、その胸の裡の複雑さを思わせられる。
「なんか、ちょっとさみしくない? あんなに楽しかった時間が終わっちゃうんだよ? ずっとこのまま夏が続けばいいのに」
「なに言ってるんですか。今日が最後じゃないですよ。わたしたちは全国に行くんですから」
「そうだったね。そういえば、それが目標だった」
久美子のまっすぐな瞳から虚をつかれたように視線を外すあすか。そして眉尻をわずかに下げ、とても複雑な笑みを浮かべるのだ。
これは関西大会直前の「私はここで負けたくない。関西に来られて良かった、で終わりにしたくない。ここまで来た以上、なんとしてでも次に進んで北宇治の音を全国に響かせたい」と部員たちの前で宣言するあすかにつながってくる。
あすかは、あるいは部の誰よりコンクールにかける想いを持っているのかもしれない。これからそれは明らかになっていくことだろう。そのあすかのコンテクスを踏まえた全国大会の映像、それが今から楽しみでならない。
けど、あれでやたら消耗するとか言ってる人も疑問だ。
あんなのはテキストエディタで書いて文字間にタブを入れるように正規表現で置換してコピペすれば済む問題じゃん。
もしかして、あの書式でホントに一文字ずつ入力してる人なんていないよね?
それとも、テキストエディタとか正規表現って私が思っているより使ってる人少ないの?
だとすれば日本の生産性を上げる余地はまだまだあるのかもなぁ。
「また同じものばっかり聞いてる」
「君がPC触ってる時、一緒にいたくない理由がコレなんだよね」
私はそう言われるたびイラッとする
私は動画や音楽で気に入ったものを見つけると、しばらくリピートして聞く
だがリピートし始めてから2~3日経ったとして、ツレがその事に気付いてた事にビックリする
それだけツレはPCのある部屋に寄り付かない
なんでわかった?
そんなに言うなら少しはこちらに付き合ってくれてもよさそうなものだが
ツレは全くと言っていいほどこちらの出し物には付き合おうとしない
ツレは映画が好きだったり、TVが好きだったりするが、私はどちらもあまり好きではない
なんだったら無くても生きていける
でもツレが「一緒に見たい」と言うから、ここ数年は食後1時間半は一緒にTVを見るのに付き合ってる
本来私は食事が終わったらサッサとPCのある部屋に引っ込んで、趣味の作業なり動画を見るなりしたい
ツレが「TVを一緒に見たい」と言うから付き合っているに過ぎない
映画についても、これを一緒に見に行きたいだの、あれが評判良いだの定期的に言って来るので、そんなに言うならとたまには付き合っている
そうは言ってもいくらなんでも興味を持てないものには付き合えない
だから見終わったらそれなりに面白いと思うし、そうなると必然的に色々感想を語り合いたい
ところが、かなりの確率でツレは内容をロクに把握して無い
「このシーンで○○が言った台詞が伏線だよね」みたいな話をしても「何ソレ?知らない。気付かなかった」と言われる
こういうやり取りを3回もすると、もうどうでも良くなって会話する気が失せる
ゲームだったり、動画だったり、マンガだったり、小説だったり、面白いと思うものは可能だったら見てもらったりした
本などは「面白いよ」と言ったらマシな方だが、続きを買っても読まない
私はせっかく二人でいるので、一人だけ面白いと思うものより二人とも面白いと思うものを買った方が得だと思っている
だから、本なら試しに1冊読ませて面白いと言わないと続きを買わない事も多い(どうしても欲しいものは買うが)
これはツレにも伝えてあるし、時には「君が面白いと言うなら続きを買う」と断った上で買う
ところが「面白いって言ったから続き買ったよ」と言っても「ああ」と言うだけで読もうとしないのである
何度聞いても「まだ読んでない」と言うだけでサッパリ読まない
それでも是非一緒にやりたい、読んで欲しいと思うものをいくつもいくつも積極的にすすめた事もある
けど、たいてい生返事でロクに取り合ってくれない
ハッキリと「自分はそれは嫌い」と言ってあるものですら、いつまでもおすすめされる
しつこい
そして、読んだり見たりしたところで、やはりそれらについて感想や面白かった点についてなどの会話が成立する訳でもない
私はかなりの手順を踏んで見て貰おうとしたり、共有しようとするのだがまず採用されない
そもそも共有以前に見向きもされない
一方でツレはそんな事お構いなし、自分のおすすめは遠慮なしで、たまには採用される
要するに何にも共有できないのだ
私がすすめるものは取り合ってくれない
仕方ないのでこちらがツレの出し物のうち、付き合えそうなものに付き合う事にするが、だからと言ってその前と後で何一つ変わらない
いや、一緒に見た映画やTVが「私にとって面白かった時」は、逆に悲劇だ
同じものについて語ろうとしてるのに、ひとつも会話が噛み合わない
「え?一体何見てたの?ストーリーとか把握してんの?」
「ストーリーとかどうでもいい。なんとなく見てる。それで十分面白い」
ツレは一体何の為に一緒に見たいと思うんだろう
少なくとも私は、人に何かをすすめる時は共有したい何かがある
すすめたものを見てくれたなら感想を聞きたいし、できれば共感して欲しいと思う
ツレはこちらの出し物には殆ど付き合わない
逆にツレの出し物に付き合っても何にも共有できない
それでいて冒頭のように、こっちが勝手にやってる事にまでケチを付けられる
これがもう十数年続いてる
http://anond.hatelabo.jp/20161104215102
を見て思った。
以前、知人に大きな喧嘩を売られた時、その人が主張したのが「自分の意見を常に確固たる主張として通すべきだ。そうできない人間は嫌いだ。衝突した相手と妥協などするな。」ということであった。
確かにその知人は常日頃から、周りが首を傾げるような意見も頑として通す硬い人間で、対してこちらは意見を無理やり通すのは良くないなどどほざいていたから、そういう理由で批判されるのは当たり前だろう。
しかし、確固たる主張は難しい。世の中多くの人がいるから、たいてい誰かと衝突する。よって自分は、衝突した場合は相手の意見も尊重し、多少は受け入れる。妥協が多すぎる事によって反感を買ったということは自覚しているが、変えがたい。なぜなら、誰の意見でも絶対にはねのけるなんてことを現実的にはできないからだ。勿論、話術に長け、意見を押し通すことが簡単にデキる人もいるのだろうが、自分も口下手だからそれができない。よって多少相手と妥協しなければうまくいかないのだ。
色んなことに失望し、心の底から人生に絶望して、もはや何の望みも抱けないと思っていた。
自分はすべての希望を失って、人生のすべてを諦めるしかないと思っていた。
そんな生活の中にも、不思議なもので、ふと何かの弾みで希望のような感覚が蘇る瞬間がある。
もっとも、それもすぐに勘違いや糠喜び、甘い見通しに過ぎないと気付いてしまい、自分の愚かさに気分が悪くなる。
それにも関わらず、再び絶望の中に小さな希望を見出してしまうのだ。
こうした一連の出来事を、自分は精神の未熟さの顕れだと思い込んでいた。
明らかに他人より劣った人間世界の敗者に過ぎない自分が希望を抱くのは、
それがどんなに小さいものであれ、愚かな現実逃避に過ぎないのでは、と考えていたからだ。
だが、もしかするとそうではないのかもしれない。
どんな困難な状況にも希望を見出してしまうのは、人間の生存本能の働きなのかもしれない。
しかし、そうした温かな感覚を胸に抱かずして、どうして人は人生を生きていけるのだろうか。
人が希望を見出すとき、それは往々にして他者には欺瞞的に感じられるだろう。だが、だからこそ、それは重要なのだ。
この本質的に予測不能で理不尽極まりない現実世界を生き抜くためには、そうした理不尽から自己を守る欺瞞のベールが不可欠。
それは精神の未熟さというより、むしろ精神に備わった安全装置のようなものなのだと考えるべきなのだ。
消えかえる灯を見て、人は暗闇を恐れ、あるいは暗闇を受け入れようと覚悟する。
しかし、暗闇の中では身動きが取れず、気づけばまた光を欲し、そしてそれは必ず与えられる。驚くべきことだ。
その光は決して現実をありのままに映し出さず、むしろ嘘と偽りに満ちた姿を見せるが、心細くとも人は希望の火に頼らざるを得ない。
火は消そうとしても消そうとしても、必ず再び灯りだす。なぜなら、それこそが命の輝きだからだ。
よく同じ記事なのにYahoo!ニュースとかと配信元サイトでてブが分裂しちゃったり、同じリンク先でも余計な文字列が着いたり着かなかったりではてブが分裂しちゃったりする不満が出てるけど、新たに分裂条件を発見してしまった。
タレントさんは多大な影響力があり、皆様がこの重大な問題について知識を持つことが重要です。そこで@keyakizaka46のメンバーの皆様をイスラエル大使館でのホロコーストに関する特別セミナーにご招待させて頂きたいと思います。@INTSonyMusicJP , @AKI__P48— イスラエル大使館 (@IsraelinJapan) 2016年11月3日
ページが2つ作られてはてブが分裂してる
http://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/israelinjapan/status/793994601312976896
http://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/IsraelinJapan/status/793994601312976896
「Israel」の文字が大文字か小文字かだけで分裂しちゃってた。
それくらい統一できるようにしてよ。
O o 。 。 o O o 。 o o 。 o 。 o O O o 。 o O ◯ ◯ O o o O ◯ ◯ O o 。 o O O o 。 o 。 o o 。 o O o 。 。 o O
一見自慢話に聞こえない場合も「これ知ってる俺すごくね?」「こういう事考えられるのが俺のすごい所だよね」とオーラ出してきてるので多分9割の会話は自慢話なのだろう。
本当に面倒くさい。
死に際に自分の価値がある事でも誰かに認めてもらいたいんだろうか。
ハッキリ言わせて貰うと会話というシチュエーションにおいて聞いてて楽しめない事をベラベラ口にするやつの価値はマイナスだ。
お前は全く凄くない。
仮に凄いのだとしても今目の前にいるお前の存在はただ鬱陶しいだけだ。
どうしたらいいのだろう。
自分の意見を堂々と主張する人にも2タイプあって、両者とも自分の中の経験や知識を論の証拠として用意しているんだけど、「自分と異なる意見をもっている人はいるだろうけど、でも自分はこういう経験からこの意見をもったんだ」っていう人と、「この意見が絶対。これがわからない人はその人が間違っている」という人もいるような気がする。
自分の意見もあくまで一つの意見であるという視点の有無でしょうか。私の理想は前者です。
私も一応具体例をだして意見を主張することはできるのですが、この後者の人にあったとき、意見が食い違ったときあちらさんはこっちの意見を論破して潰そうとしてきます。
そんな時、私は口達者じゃないので、あっちの勢いにのまれてしまうことが多いのですが、そんな人にこっちの話を聞いてもらうにはいったいどうすればいいのでしょう。
男はな、家族を守るために米よりも爪をとがなきゃならんのだ