同じような恋をした。
たぶん他の誰かに相談したら「だめんずウォーカーだな。さっさと縁を切れ」とか言われると思う。
そしてあなたはこれは本物の愛なのに!って怒ると思う。
こんな感じの理解であってるだろうか。愚かな経験者からのアドバイスだよ
どうしたら、私が彼のことを好きだと信じてくれるのだろう。ってことだったよね?
彼はわかってて、そのうえで今の対応なんだよ。これほんと。
どうしたら、私が彼のことを好きだと信じてくれるのだろう。
心底好きになった男性に好きだと言ったら、「それは気の迷いだよ」「他にまともな男がいないからだよ」とたしなめられた。
そうかもしれない。でも、私はあなたが好きなんだ。と伝えても、腑に落ちない様子で。
「三か月もすればきっと嫌いになるよ」と言ったけど、三か月経った今でもわたしの気持ちは変わらない。
ひょっとして、迷惑なのかしらん? と思って聞いてみても「そんなことないよ。ただ、君が変わってると思っただけだよ」なんて言うし。
こんな彼に理由を丁寧に説明したところで、きっと「同じ条件の他の人間がいるじゃない」というに違いない。
「俺がおかしいんだ。恋なんてそんなものだと理解はしているんだよ」というなら、何で好きかわからないなんて繰り返し言わなくたっていいじゃない。
こんなに自信がなさげなのに、冗談で「セックスする?」「キスする?」なんて言う彼のことがさっぱりわからない。
いくら自分が男だといったって、二人きりの密室なら私が襲うこともできるのに。
それとも、責任は取りたくないけど、セックスはしたいだけなの? それはそれでもいいけど、「本気にするなよ」と苦笑するのはどこの誰よ。
生理前の女じゃないんだから、って半分本気で言ってやると、他人事みたいに笑うし。本当にわからない。
「君が俺のことを大して好きじゃないなら、セックスしたっていいんだよ。でも君は俺のことが好きだからだめなんだ」
「絶対に、セックスなんてしたら、もっと俺のことを好きになる」
そうだね。その通りだね。じゃあなんで。なんて野暮なことを聞く気にもならなかった。
「君の俺に対する好きはきっと大したものじゃないよ。これまで築き上げたものを壊したくはないんだろ? 結局その程度なんだよ」
彼の為に、とは言わない。
だけど、彼と会うために頻繁に会ったりしている。もう、彼のことは一年近く好きだ。彼のことを好きになって捨てたものもある。
もちろん、付き合う気がある、というなら捨てられるものは何だって捨ててみせる。だけどあなたは、そうじゃないでしょ?
「君はまだ若いんだから、可能性がある。もっとちゃんとした人がいるだろう」
私だって、どうして彼なんだろうって思うんだ。だけど、好きになってしまった。
彼が好きなドラマのキャラクターの台詞でもあったわ「恋は落ちるもの」だって。「幸せになるために、好きになるわけじゃない」って。
「君は変わってるね」
なんて笑う。
変わり者同士お似合いじゃない? なんて言葉を飲み込んで私も笑う。
とりあえずは、この時間が続けばいい。早くこの行く当てのない恋心が腐ってくれたらいいのに。
フランス人やドイツ人の英語のインタビューとかスポーツの英語実況とか聞いてると
文法なんてどうでもいいから単語と前置詞になる組み合わせ方覚えた方が良いなって思う
それくらい省略されてるし、問題なく通じてる(はず)
英語の人称代名詞は言語の基本的な装備品の一つです。"he'll go there" とか "I'll go there" といった極めてシンプルな表現にさえ必要です
これって本当だろうか。あまり具体的に言うと己が英語能力の不足を晒すようで恥ずかしいのだが、洋楽など豪快に省略しているように思うのだが。
http://pichikupachiku.hatenablog.com/entry/2016/04/02/013054
英語の人称代名詞は言語の基本的な装備品の一つです。"he'll go there" とか "I'll go there" といった極めてシンプルな表現にさえ必要です。これらの文では、Iとheは動詞が会話の中で誰に関わるものなのかを示すマーカーです。もしこれらがなければ、文は曖昧になり、意味を確定するためにコンテキストに依存しなければならないでしょう。
全部自分が悪いです。
人を見抜けなかった自分が悪いんです。
あなたの手の冷たさを知った時、もう死のうと思いました。
その手を振り払うこともできない自分が悪いんです。
手が冷たい人は心があたたかいなんて嘘だったんです。
むむむ?
学会発表だけで論文にならない研究はエビデンスレベルが低いか新規性が低いかのどっちかよ。
(追記)
読み直したらちょっと誤解されそうな書き方だった。
という格言は、SF作家として有名なアーサー・C・クラークの言葉だが、それになぞらえるならば、
とも言えるのではないか。
一昨年から、小保方晴子や佐村河内守、片山祐輔などの、堂々として嘘をつく人々の存在がクローズアップされるようになった。最近でもショーン川上という大物詐欺師が現れ、世間を騒がせている。
彼等はまっすぐに、堂々と、もっともらしい嘘をついて恥じない。彼等の言動や態度から、嘘を見ぬくことは困難だ。
では、言葉の内容から判断できるのだろうか? いや、内容で判断するのも無理だろう。ショーン川上などは、コンサルタントとしての実績がほとんどなく、専門の教育を受けていないにもかかわらず、日本で最も権威のある報道番組でコメントを続けている間、視聴者の中にいるはずの大勢の専門家にすら見破られなかったほどなのだから。
私達はどうしても、自分や周囲の知人を参考にして、
「嘘は必ずバレる」
「隠そうとしても必ず態度に出てしまう」
などと思いこんでしまう。しかし、それは間違いだと、昨今のニュースは訴えている。
一流の詐欺師ともなると、嘘にも信念をもってついている。ショーン川上氏なども、
「自分のような才能のある人間が、肩書がないという理由だけで、世間が評価しないのは間違っている」
「自分だったら世間にいるコンサルタント以上の内容を話すことが出来る」
という強い信念があったに違いない。
信念をもって話す人間の態度は自信に満ちあふれている。STAP細胞があるという信念の持ち主の小保方氏の記者会見も、堂々としたものだった。信念があれば、良心に咎められることはなく、不安を感じる必要もない。だから、その態度から嘘かどうかを判断することは誰にも出来ないのだ。
「嘘を堂々とつける人間なんて、ごくごく少数だろう」
という反論が聞こえてくるが、それは間違いだ。たとえば、霊能力。幽霊を見たという人が今でも大勢いて、彼等は大マジメに自分の霊体験を話す。
しかし、ぶっちゃけ霊なんて世の中に存在しない。それは脳のつくりだした幻覚だ。だから明らかに嘘なのだが、「霊を見た」と語る人々が世の中になんと大勢いることだろうか。