http://anond.hatelabo.jp/20110624202006
http://anond.hatelabo.jp/20110624201528
教えないなら連れてくな。マナーじゃなくて、思いやりだから、別に守らなくてもいいけど、そのうち付き合おうって奇特な男がいなくなるよ。
お茶席に連れていこうって人がいるのなら、事前にお茶を飲むときのマナーをたたき込んでおくのが、招待する側の義務でしょうが。ホストというのは客に恥をかかせない気配りも求められるんだよ。
ねーよw
以前増田で見かけた物言いを真似るならば、「放射能で死人は出ていないが、電力供給を絞れば熱中症による死人は確実に出るのだ」みたいな感じか。
http://anond.hatelabo.jp/20110624014047
だーかーらー、「彼女に対して失礼だったんじゃ」と気にしてるんなら、そりゃあ失礼だったね。強く薦めてくるなら、飲み物頼めば良かったのに、ってアドバイスしているでしょ。
明示していないルールを押しつける店存在自体が不愉快だよ。私は。二度と行かないから「空気ヨメ派」と「ルールは明確に派」の棲み分けは簡単だよ。お互いに幸福だね。
http://anond.hatelabo.jp/20110624101857
そんで「デートの作法がわからない」と言ってるんだから、作法を教えるのは「彼女の役目」だろ。
お茶席に連れていこうって人がいるのなら、事前にお茶を飲むときのマナーをたたき込んでおくのが、招待する側の義務でしょうが。ホストというのは客に恥をかかせない気配りも求められるんだよ。
イギリスの女王が、外国の大使に恥をかかせないように、フィンガーボールの水を飲み干したって話を知らない? 知らないならぐぐってみ。
http://anond.hatelabo.jp/20110624194233
初体験なんて痛いだけってのは、ごくごく普通のことだから気にすんな。なんか、股の間にニンジンが挟まったような感じがして、1カ月くらい抜けなかったなあ。みたいな。私は幼児姦にあったことがあって、正確には「処女」とは言えない状態だったんで、とっとと経験したかった。3カ月だけ付き合った同じ高2の男子だった。なんか「こんなに簡単に許しちゃうなんて信じられない」って振られた。どうも、私は相手なんてどうでも良かったみたいで、ときどき初体験の相手をきれいに忘れてることがある。とりあえず、身体の関係があった相手を覚えてられるくらいには数は少ないんだけど。
さて、本題。現在52歳の男と付き合っている。私は49歳。17歳のときから男が途切れたことが無いから、それなりに回数はしたはずなのに、今付き合ってる彼のセックスは根本的に違う。「女性を喜ばすこと」が第一で、自分のことはゼロでいいらしい(それは私が嫌なので、無理やりその気にさせることもあるけど)。具体的な方法は今話題の「本当に気持ちの良いセックス」でも読んでもらうとして、実践出来る男と出会えて、本当に運がいいと思う。
世界が変わる。
旦那さんと一緒に、ぜひ、気持ちの良いセックスを覚えてみて。
「止めろ」が「(すぐ)とめろ」のことならそういう人はそこまで多くないだろうし、「(段階的に)やめろ」なら別に矛盾する主張じゃない
どうしてこの憎しみを晴らすことができようか。(否、晴らすことはできない)
動画共有サイト、youtubeにアップロードされた「いじめ動画」は2chネラーの心に火をつけた。
すぐさま、特定、晒し、中傷、電凸が行われ、まさしくいじめた加害者達は大衆による私刑を受けようとしている。
この話を書くにあたってもこの憎しみが原動力になっていることは否めないが僕達自身は冷静にならないといけない。
僕達が人格的人間であり尊厳を持ち、また、他者の人格を尊重するなら、つまり人間であるなら、
そう簡単に、その憎しみを個人的には晴らすべきでない。
まず彼ら(被害者も加害者も両方)を傷つけることを避けることは一番の至上命題にしなければいけない。
少なくとも、被害者をないがしろにする正義は君だけの正義にすぎず、被害者からしたらむしろ迷惑だ。
加害者を傷つけることを避けることはもはや不可能だが、それでも注意を払わなければいけない。
人間であるかぎり、例え殺人者であろうと人格を尊重すべきなのだ。
そして未だ彼らは子供であり、未発達であり、更生の余地があることを考えると余計慎重にならなければいけない。
私たちは、相手が不正義すなわち悪ならば、何をしてもいいわけではない。
冷静に対応するということは、冷酷に残酷に対応するということではない。
フェアに、彼らがどういうミスを犯してしまいどう償うべきなのか、そして被害者はどう対応してもらいどう保護されるべきなのか、
それを議論し考え、僕らの立場からは集団的圧力、非難として諭すのである。
「いじめた奴を徹底的に潰せ」。ただ単にこう暴言を吐くだけではいじめはなくならない。
あなたが通った学校でもいじめはあったでしょう?私が通っていた学校でもいじめはありました。
いじめを防ぐために学校はどういう対処をすべきなのか?一切の揉め事をもみ消すべきなのか?喧嘩は許すべきなのか?いじめをどう定義するのか?社会に出て生じるいじめとどう折り合いをつけるべきなのか?
私たちがより良い社会を作るために、それぞれの価値観を持ち寄りどうすればよくなるのかを議論し改善することができるはずだ。
もちろん非難も大切な行動の一つだ。
社会的制裁は悪というものを全人類に知らしめ、今後同様の悪をすれば実態を伴うリスクがあることを示唆する。
しかし、非難一辺倒は、単なる集団の暴走に終わり、彼らの生活基盤を破壊するだけに終わる。
感情は行動の原動力となり、巨大な圧力となる。圧力は他者の行動を変え、未来はより良い社会に向かうかもしれない。
暴言を吐き嫌がらせをし違法に動画を拡散し、子供を中傷する人間は、いじめた加害者となんら変わらない。
むしろ、そういう陰湿ないじめをする人間がいるからこそ日本の学校や職場でいじめがなくならないのかもしれない。
弱い者ほど相手を許すことができない
許すということは、強さの証だ
そして、加害者にはもう一度チャンスを与えるべきだ。
もし、今までの罪をあらため今後同様の罪を犯さないならばのうのうと無かった事のように生活をする権利を与えるべきなのだ。
加害者を最終的に許し、のうのうと暮らさせることはいじめを許すことにはならない。
我々が悪意と誹謗中傷だけに終始すればするほど、彼らは私たちを脅威とはみなすが、話は聞かなくなるだろう。
結局は問題はうやむやにされ、再発防止策は甘く、「いじめ」をこの学校だけの問題に終わらせ、被害者は報われず、そんなことにさえなりかねない。
彼が嫌だと思っていたとしたらいじめだし、まったくもってそうじゃないならいじめではないかもしれない。
だいたい、いじめと悪ふざけの境界線なんてないのだ。
最初は悪ふざけで相手も嫌がってなかったものでも、簡単にエスカレートしいじめになる。
被害者は内心いやでも友達付き合いもあるし言い出すことが出来ない。
ただ僕は、このじゃれあいの不公平性と、彼の表情から、実質的ないじめであろうと判断したにすぎない。
でも、僕自身もいじめをしたことはある。
彼は僕のことをどう思っているかしらないが、僕自身は親友だと思っていたし、幼なじみだった。
そんな彼に対し、僕は毎日登校時に、彼の後ろに周り、靴のかかとを踏むのだ。
今思えば、あれはいじめだったと思う。本当の親友であれば、そんな悪ふざけなんてしないはずだ。
僕は彼をおもちゃとして遊び、人格を踏みにじったのだから僕自身も反省しなければいけない。
往々にして、多くの人はいじめに関わっている。
明らかな差別、いじめ、暴力をする人もいるし、同調圧力に負けて結果的にいじめに加担する人もいる。
いじめが悪いことだと知っていることを、それを止めることが出来るかは別問題だ。
塾でそれなりに中の良かったA君とB君は、エアガンの貸し借りで揉め、A君はB君をいじめるようになった。
受験を控えたある夜、極めつけにA君はB君の腹をおもいっきり蹴り、それ以来B君は塾に来なくなった。
B君は最後の最後蹴られるまで笑っていた。B君にとってA君は友達以上の友達だったはずだ。
その後、A君自身も、B君をいじめて塾を辞めさせたというレッテル(事実)を貼られ、クラス全体から、「無視」、「関わらないようにしよう」「陰口」という新たないじめに会うことになる。
僕は終始、傍観者だったし、受験前だったから極力関わらないようにしていた。つまりはいじめに加担したということだ。
その時はいじめがあったこともB君の名前すら忘れていて別の友人の名前を出してしまった。
「よぉ、ひさしぶりやな尾崎」
「誰やねん。」
「あれ?C君だろ!?」
「違うわwwBだよ」
「あ!!Bかwwww塾で一緒だった。」
「Cって誰だよwww」
みたいな会話だった気がする。
ちなみに、B君の実名はもう忘れた。
いまの僕はどちらかというといじめられる側にいるが、運良くいじめられずには済んでいる。
いまなら、相手をおもちゃとしてではなく、一人の人格として尊重することもできると思っている。
でもいじめを止める自信はやっぱり無いなぁ、、、。
3回目ぐらいの家デートで、押し倒された。
成り行きはよく覚えていないけれど、確かその前に電話で喧嘩をして、
でもなんで「本番」になったのかは本当に覚えていない。やっぱり頭がパンクしてたのかな。
ベッドで上を脱がされて、胸を愛撫されて、その時は少し気持ち良かったと思う。
手を誘導されて相手のものを触らされて、でも今にして思えば結局最後まで相手のものを見なかった。
触った感触だけで、「何だろうコレ」に近いものがあったと思う。
知識として男性にはそういうものがあるんだ、ということは知っていても、ちゃんと見たことはなかったし、
性行為がどういうものかだって知っていたけれど、実際にしたことはない。
気持ちが良いという感覚は雑誌を読んで自慰をしたこともあったし、知っている。
でも誰かに気持ち良くされたことはない。
頭でっかちで、知ったつもりになって、何も知らない本当に垢まみれの処女だったんだと思う。
愛撫されつつも、残った理性での「どうなるんだろう」「何をしてるんだろう」という疑問が渦巻いてぼーっとしているうちに、
下の服も脱がされてアソコを触られた。
多分その時はもう濡れてたんだろう、「入れるよー」っていう一言で挿入された。
覚悟とか、そんな余裕もなく、激痛が走った。本当に激痛としか言いようがなかった。
一番自分でもよくわからない場所が、焼けるように痛くて。怖くて。
でもまだまだ入りきっていないから、だんだんと挿入は進んでいく。そのたびにどんどん痛みが増していく。
怖くて怖くてしがみついて、「痛い、痛い」と泣き叫んだ。
相手は「大丈夫だから、もうちょっと我慢して」と言ってさらに挿入する。
そう言われて必死で堪えてしまった。やっぱり好きだったんだろうな。
挿入はなんとか終わったけれど痛みは激しく、おさまるまでは動かずにいてくれた。
だいぶ痛みが薄れてきて、じゃあ・・・と動かされるとまた激痛。
気持ちが良くなるとかありえなかった。
あまりにも痛がって泣き叫ぶ私に困ったのか、相手はどこからかローションを取り出して結合部に塗った。
でも痛みは全く薄れなくて、結局口を押さえられて相手がイクまでただひたすら耐えるだけだった。
コトが終わり、シャワーを貸してもらって、シャワーを浴びながら泣いた。
こういう事態を招いたのは自分で、コトが始まった時だって拒絶もほとんどしなかったし、
全てが自業自得というか、あるいは望んだことだったかもしれないのに。
甘い、あるいはロマンティックな幻想が全てなくなったような。
それでもその時はまだ相手を好きだったから、
結ばれてよかったとまでは思わなかったけれど、その後も普通に過ごして自宅へ帰った。
その後は電話をしてもそっけなく、電話の向こうでゲームをしてる相手に話しかけるだけ、が普通になった。
1カ月ほどして迎えた私の誕生日にメールのひとつもなく、こちらからかけても相変わらず上の空。
大学受験の日にも何も連絡がなかった時点で、私の中で諦めがついた。そしてこちらからの連絡を全て絶った。
結局連絡を絶ってからも、相手からは何一つとして連絡があることはなかった。
その頃にはインターネットでの関係もバラけつつあったので、ネット上で会うこともなく。
完全に自然消滅だった。自分の気持も、相手への恋愛感情は不思議なぐらい残らずに。
ただ性行為への不快感というか、拒絶というか、諦めというか、そんなようなものが残った。
正直なところ10年近く経った今もまだ、この不快感は消えていない。
愛している相手と、一つになれる、一番近くにいれる。そういう意味では嫌ではないけれど。
素直に気持ち良くなることができないし、気持ち良くしてほしいともあまり思わない。
愛撫されれば気持ちが良い時もあるけれど、挿入はいまだに気持ち良くなったことがない。
むしろ気持ち良くしようと頑張ってくれる夫に対して申し訳なく思ってしまう。
私は気持ち良くならなくていい、貴方が気持ち良くなってくれれば、とは言っているけど、やっぱりそうもいかないみたいで。
性行為に「何のため?」なんて思うことが馬鹿げているんだけれど、
何のためにあの初体験があったのか。
いずれは通る道だったし、少なくとも顔も知らない男にレイプされるとかじゃなかったわけで、
その時好きだった相手と経験できたというのは恵まれてる部類なんだろう。
でもあの時の自分は、まだきっと恋愛とか、性行為とかに、夢を見ていたかった。
処女を捧げる、という行為をやっぱり神聖に思っていたし、自分のタイミングで捧げたかった。
好きだった相手でも、あの状況での行為に対して私は「処女を捧げた」とは思えない。
結果を見れば相手は処女を味わえたから私はもう用済み、ということだったわけで。
2年の夢のあと、1時間の地獄を見て、1カ月の寂しさを経験しておしまい。
不思議なくらい空っぽになった心には、自分を労わるとか大切にする、という感覚も抜けた。
その後付き合った人には数カ月で体の関係を持ったり。
それでも比較的すぐに今の夫に出会えて、性行為に関しては苦しみながらも
愛し合い分かり合うこと、自分を大切にすることも取り戻せたと思う。
性行為も「したい」とは言えないけれど、嫌じゃないし、夫はいくらでも愛せる。
ちらりと見かけた、19歳でナンパされて処女を失った話を読んで。
今の夫にすら、断片的にしか話すことができなかった自分の体験を一度書き出してみたいと思った。
そうすれば自分の中で整理がつけられるんじゃないか、忘れられるんじゃないか、と。
欲を言えばそれを全く自分と無関係の誰かに読んで欲しかった。だからここに書いてみる。
処女を失ったのは高校3年の冬。相手とは2年の付き合いだった。
相手は12歳ぐらい((正確な年齢は最後まで知らなかった))年上の社会人。
チャット全盛期のインターネットで知り合い、オフ会で会った後に個人的に会いたいと誘われた。
そこでホイホイと一人で行ってしまった私が、今にして思えばとても無防備だった。
言い訳をすれば別に付き合って下さいとかではなく、学割でソフトを代わりに買ってほしいと頼まれたのでまぁいいか、と思ったのだけれど。
もちろん親には男の人と1:1で会うなどと言えるわけもなく、友達と遊んでくる、と嘘をついた。
その日になんとなく付き合ってほしい的なことを言われ、なんとなくいいかなと思って付き合うことになった。
相手は隣の県で、こちらは学生で。会いに行くのにも交通費が痛かった。
それでも3カ月に1度ほどは会いに行った。
地元で会うのはさすがに怖かったので必ず自分が出向いていたと思う。交通費の代わりにご飯とかはおごってもらった気がする。
書き忘れていたけれど異性と「付き合う」という経験はこれが初めてだった。
異性と話したり遊んだりすることは多い方だったし、片思いは何度もしていたけど、
そのうちに不意をつかれてファーストキス。雰囲気とかそういうものは一切なかった。
買い物中に少ししんどい、と目立たない休憩スペースに座り込んだので、隣に座ってたらいきなり、だった。
恋愛に夢を見ていたとか、理想像があったとか、そういう高校生ではなかったと思うし、
その時には既に「なんとなくいいかな」ではなく「好き」だと思っていたので別段落ち込んだりはしなかった。
ただもう、相手を見て、相手と話して、相手を想って、それだけで精一杯だった。
1年半ほどたった頃に、体調が悪いから、と相手の家でのデートを提案された。
これまたホイホイとついていった私が本当に信じられないぐらい無防備だけれど。
さすがにバカではなかった(と思いたい)ので、頭の片隅に「何かされるかも」程度の認識はあった。
でもそれよりも相手への信頼というか、疑うという行為が許されないほどの「好き」という気持ちがあったんだと思う。
一人暮らしの相手の家は散らかっていて、今でいうゲームオタク的な雰囲気があった。
ゲームが好きだったので、二人でタイピングゲームをしたりして、デートは普通に楽しんでいた。
後ろから抱きつかれたりもしたけど、それはそれで嬉しかったし、
そのついでに少し胸を触られたりもしたけれど、「嫌」だとは思わなかった。
ここまでされていればもう完全に体を許してるようなものだと自分でも思う。
高校生で初めての恋愛をしていた私には、そういうエッチなこと、はなんだか全然現実感のないもので、
胸を触られた時も気持ち良かったかと言えば正直覚えていない。そのくらいその時は頭が恋愛感情でいっぱいだった。
使えるはてな記法がよくわからなくて長くなったので続きます。→処女を失った時の話2
で今から会えますっていうから鼻の下伸ばして行ってきたらマルチだったよ3人目。オレみたいのと
会ってくれる女の子こんなんばっかり。つーかmixiは出会い厨の垢は削除しまくるのにマルチは
放置しすぎだろ
政府答弁書 民主党代表選の在日外国人投票は「お答えする立場にない」
政府は24日の閣議で、民主党代表選に在日外国人が党員・サポーターとして参加できることについて「政党内の手続きに関するものであり、政府としてお答えする立場にない」とする答弁書を決定した。
民主党は党員・サポーターの資格要件として「18歳以上の個人(在外邦人および在日の外国人を含む)」と定めている。しかし、国政選挙の参政権が認められていない在日外国人が、事実上、首相を選ぶ同党代表選に参加するのは憲法違反との指摘がある。
単に「電力使用を適正化しろよ」って話になるかと
こんな曲。一度くらいは聴いたことがあると思う。
http://www.youtube.com/watch?v=RSsfyzY75XE
歌い出しの「やめてけれゲバゲバ~」の部分に極左がゲバ棒振り回してる画像を差し挟んでるMADムービーがあって、視聴者の誰も突っ込まずそれをネタとして楽しんでる光景を見てちょっと衝撃を受けた。
ほんとに飛んでくるから笑えるよなw
1・2・4については、どちらか一方は「正しくない」選び方をすることになっちゃうな