はてなキーワード: MADムービーとは
作者 | 同人サークル「てつくずおきば」のせらみかるちたん(通称:せら)が作詞・作曲 |
公開年 | 2007年 |
タイプ | 同人音楽 |
元ネタ | カプコン・ロックマン(ゲーム) |
影響 | 特にニコニコ動画では本曲のアレンジや替え歌などの派生動画が多数投稿された |
エアーマンが倒せない(エアーマンがたおせない)は、2007年に同人サークル「てつくずおきば」のせらみかるちたん(通称:せら)が作詞・作曲し、インターネット上で公開した同人音楽である。
本楽曲は同じくせらが作成した動画(曲に合わせてアニメーションが流れる)と共に公開されたが、それが動画共有サイトにも投稿されたことで注目を集め、投稿先のサイトで高い再生数を叩き出すだけでなく、特にニコニコ動画では本曲のアレンジや替え歌などの派生動画が多数投稿されるなどの反響を生む(#波及・影響の項を参照)。
作者 | イオシス |
公開年 | 2007年 |
公開形態 | 東方ProjectアレンジCD『東方乙女囃子』の二曲目に収録 |
タイプ | 同人音楽 |
元ネタ | 東方Project |
影響 | Flashを元にした様々なMADムービーが(主にニコニコ動画で)広く出回っている。 |
イオシス制作の同人音楽(東方ProjectアレンジCD『東方乙女囃子』の二曲目に収録)。Flashを元にした様々なMADムービーが(主にニコニコ動画で)広く出回っている。
「矢部野彦麿&琴姫 With 坊主ダンサーズ」が歌う電波ソング。元はアトラスのアーケードゲーム「新豪血寺一族-煩悩解放-」内の3DアニメーションPVソングであり、ニコニコ動画などでカルト的人気を博した結果、現在ではサウンドトラックCD、着うた配信されている。
作者 | |
公開年 | |
公開形態 | ニコニコ動画 |
タイプ | 商業コンテンツの無許可転載(のちに許諾) |
元ネタ | アトラス・アーケードゲーム「新豪血寺一族-煩悩解放-」内の3DアニメーションPVソング |
影響 | ニコニコ動画などでカルト的人気を博した結果、現在ではサウンドトラックCD、着うた配信されている。 |
作者 | |
公開年 | |
公開形態 | ニコニコ動画 |
タイプ | 商業コンテンツの無許可転載 |
元ネタ | ナムコバンダイXbox360版『アイドルマスター』 |
影響 | この歌の動画がニコニコ動画に公開されたことで一気に広まった。 |
ゲーム『アイドルマスター』における俗語の一つ。双海亜美/真美バージョンの「エージェント夜を往く」を指すと共に、双海亜美/真美自身を指すこともある。「エージェント夜を往く」を双海亜美(CV:下田麻美)が歌う時、「溶かし尽くして」という所が舌足らずで「とかちつくちて」になってしまうことから誕生した。Xbox360版『アイドルマスター』のこの歌の動画がニコニコ動画に公開されたことで一気に広まった。さらに、2008年1月6日早朝放送の「桃井はるこの超!モモーイ!」においてこの曲が話題となり、同時に同曲の地上波ラジオ番組初オンエアを果たしている。
作者 | |
公開年 | |
公開形態 | ニコニコ動画? |
タイプ | 商業コンテンツのRemix |
元ネタ | スウェーデンのアーティストcaramellの曲「caramelldansen」、PCゲーム「ぽぽたん」のOP |
影響 | PCゲーム「ぽぽたん」のOPと組み合わせて作られた動画が人気を博し、それがきっかけで様々なバージョンが作られるようになり、ネット上で盛り上がりを見せている。 |
スウェーデンのアーティストcaramellの曲「caramelldansen」の事。もしくは再生速度が原曲の120%になっているRemixを使った動画全般の事を指す。PCゲーム「ぽぽたん」のOPと組み合わせて作られた動画が人気を博し、それがきっかけで様々なバージョンが作られるようになり、ネット上で盛り上がりを見せている。
作者 | 不明 |
公開年 | 2007年2月ごろ |
公開形態 | ニコニコ動画? |
タイプ | 商業コンテンツの替え歌 |
元ネタ | カプコン・ロックマン2の名曲「ワイリーステージ前半戦」 |
影響 | 2007年2月ごろからニコニコ動画、字幕.inなどでの歌詞付き動画にあわせて実際に歌い、Youtubeなどの動画投稿サイトへのアップロードが流行。 |
ファミコンゲームの名曲に歌詞を付けて生演奏しているサイト「Fuckin' Go my way!!」(蒼い牙)が、ロックマン2の名曲「ワイリーステージ前半戦」に歌詞を付け公表した作品が話題を呼んだ。キャッチーなメロディと大人になる過程で失くした記憶をウルトラセブンによって懐古するという切なくも温もりある歌詞が人気を加速させ大ブレイク。2007年2月ごろからニコニコ動画、字幕.inなどでの歌詞付き動画にあわせて実際に歌い、Youtubeなどの動画投稿サイトへのアップロードが流行。現在も新作が次々に登場している。なお、作詞者は不明*1。
※改題
ってなわけで、作画オタクマンセー、って内容で今から繰り出すわけですがね。
「作画オタってうぜえ、くせえ、ビーッ!ビーッ!」って人は読んだらものすごく不愉快になるだろうからそこんとこよろしくね。
かといって作画オタがご機嫌になれる内容かと言えばたぶん違うと思うんだ
俺が普段モヤモヤしたものをここでぶちまけさせてスッキリさせてもらうわってだけのエントリだから
んで、まーなんつーか
アニメ系のブログとかスレッドとか評論ぶったサイトとか見て回るとですね
純然たる客観的事実としてどう考えても「作画オタ以上の見識を持った奴がいねえ」って印象を受けざるを得
ないわけですよ
いや、いやいやいや、俺だってね、アニメは作画だけが全てとは思わんよ。作画に疎いこととアニメ語りがで
きる事は別だと、一時期は思ってましたよ
でもね、結果的に見ますと、やっぱあれだ、作画オタのほうがよっぽどアニメ語ってるわー
どういうこっちゃねんなオイ、考えたよ、そんででた結論は「作画オタじゃないとアニメ語れないんだ」です
よ
あ?また作オタお得意の優越感ゲームだよーって?はいはい偉いですねーって?そうなんですよ、偉いんです
よ作オタって。
考えてもみなさいよ、昔のアニオタってアニメ作画について語れることがステータスだったんですよ偉いんで
すよっていうか、アニメを今まで以上に好きになるってことは作画を好きになるってことと同義なんすよ、そ
れをお前今じゃ、「作画しか見てない奴は純粋にアニメを楽しんでない」って論調がふざけんなよ!作画「も
」見てんだよ!お前らは「作画も見れてない」んだろうが!!いいか、アニメを純粋に楽しみたいから作画も
好きになったんだよ!
でだ、ネットが普及して作画に入れ込んでないけどみんな作画を気にするようになったよねここ数年の傾向と
して。それ自体は良いと思う。問題はそのわりにちゃんと知ってみようとしないこと。
アニメの作り方とか知らないけど作画にはケチつけるよって連中がすげえ多いこと多いこと。一時期よく背伸
びしたがりなアニオタの内で「原画を犠牲にして動画のクオリティを上げてるね(キリッ)」(逆のパターン有り
)ってフレーズ流行ったけど(流行ってないかも)今じゃギャグにしか使わないでしょーって思ってたけど今
でも割とネタじゃなくマジで言ってる奴がいたりしてげんなりしてくる。原画と動画の違いとかググればパツ
イチで出てくるようなことだっつうのに、それも手間だと思ってるんでしょうかキーボード打つ暇もないのか
。ていうか興味対象の限界なんだよねこれが奴らの。それとは別の次元のところに作画に対する興味(といい
つつ興味でもなんでもないただの脊椎反射だよね)がやつらにあんのが末恐ろしいっていうか
いや、わかるよ俺、かわいいキャラが崩れるのはヤだもんね、だからそこに文句つけんのは凄く正しいと思う
。けど文句のつけかたに妙な気味悪さが萌え豚(あ、言っちゃった)たちにあるのがな。その最たるものが「
作画崩壊」って造語なんだけ・・・・あーこの言葉ほんと気分悪い。だってこれ使ってるのって自分の言葉で
語るの根本から放棄しますって宣言だろがよ、自覚あんのか自覚。よくわかんないものを「作画崩壊」ってカ
テゴリに無理ぐり当てはめて安心したいだけなんじゃねーのかよ。違うかよ。わかんないものはわかんないだ
ろうからいいよそれで、わかんないものを分かってみようって姿勢ももちろんいいよ。でも「作画崩壊」って
決めつけることはどっちでもねーだろ。わかんないものをわかった気になりたいけどわかろうとしない(めん
どくさいから)アンビバレンツを「作画崩壊」っていうんだろ違う?
ふつーに作画がヘチョいものをケナすのはいいよ。ただアニメタの画風が露出した部分が受け入れがたいって
のもあるだろうからそれを非難するのもいいと思うよ。ただそれまで「作画崩壊」で解決させようとする姿勢
はなんなんだ?理解ができん。ていうか単純に画力の無さヘナってるのと画風との区別ってそんなつかないも
んなの?絵がいくらキモかろうとも巧いものは巧いってのは普通わかると思うんだか(漫画家?あれは下手な
のも画風の内っしょ)逆にうまくてもキモいものは叩かれるのは道理ですよね。それはわかるよ。でも奴らの
論調は道理じゃないと思うんだよ。いや、俺だって作画の巧さと好き嫌いは別だと思うし、作オタだから谷口
キリコや安藤セラムンとか無条件で受け入れろってわけじゃないし、でも巧さは巧さとして認識しようぜとは
思ってる。俺もネギまやぱにぽににおける大田和寛のキャラデザは正直生理的に受け入れがたいものがあるん
だけど大田和寛自身はアニメタとしてメチャ巧いのは確かだからあれはあれでいいと思ってる。(もともとリ
アル系目指してたらしいしね、素の絵柄の時はまったく違うらしい、同人誌かなんかで見た)まあ、そこらへ
ん度外視してあーだこーだ言ってしまうのは、正直フェアじゃねえんじゃねえかなって。道理のようで道理じ
ゃないんだよ。
そこらへんが悪い形で出てしまった悲劇というのがかのアクエリオン19話だよな。「いやあれは演出だから
(キリッ」「アバンは現実世界なのに絵が変わってるからその言い訳は(キリッ」って低次元の言い争いじゃなくっ
て、まあ、放送当時は荒れたよねほんと。あそこで糾弾の的に上がったのは絵コンテ・作画監督(Aパート)そ
のほか世界設定であるうつのみや理だったけど、あの話数はうつの画風全開(Bパートは別の人が作監でうつ度
薄れた感はあるんだけど大多数はそこまで気にしてないよね)で、異空間に紛れ込んだのをあの画で現してん
だけど、やっぱり叩きに叩かれた。うつだけが、そう、うつのみや理だけが。何故か。え?そりゃそうだろう
って?そうなのほんとに?たしかにコンテや設定込みでやらしてもらってるからうつ主導の回なのは間違いな
い、それが受け入れられなかった場合はうつのほうに追求が行くのも間違いない。でもだれか忘れてない?こ
の話数にゴーサインを出した人、監督:河森正治の存在を。なぜかあの騒動の中で、河森はなんの責任も無い
どころかまるで被害者かのように否定派連中は担ぎ出していた。河森の当初描いていた物語(作品全体という
意味で)をうつのみやが破壊したと、こう言いたいわけだってなんだそりゃあ。あまりにも筋が通ってないだ
ろそれは。あの回はアクエリオンという作品でこういうことをしたいという河森の構想をうつが委託して作っ
たようなものだったのに。どの口で言ってるのだろうか連中は。公式ブログには当時のコメントログがそのま
んま残っている、律儀にも。(http://aquarion.blog.so-net.ne.jp/2005-08-06)コメントのファビョりっぷ
りが当時の様子を伺わせるだろう。「うつのみや理はアニメに二度と関わるな」「追放しろ」というようなベ
クトルでだ、わあすげえ、きっと人殺しても許されると思ってるんだろうなあこの人ら。あまつさえ「原作者
のこの作品に対する気持ちを冒涜するかのような横暴って感じです」ですって。原作者!原作者ときましたか
wwwいや、このアニメの原作者はもちろん監督である河森なんだけど、果たしてこのコメント付けた馬鹿は
「原作者」と「河森正治」とがリンクしてるのかどうかものすごく疑わしいんですが。えーと、まあ、筋の通
った話なら、河森がこういうことをやりたいから、うつを起用して、こういう回を作り上げたと、それでまあ
それが視聴者に受け入れられなかったのならそれはそれで仕方ないけれど、その時に河森に対する責任はゼロ
ってそんな筈ぁないよね。でも非難が集中したのはうつの方だった。HP(現在は消滅)の掲示板にも突撃かまさ
れてた、心苦しかった。作オタとして。筋が通ってるんなら監督不行届的な意味で河森にも同じくらい非難が
こないと納得いかないんだが、そうはならなかった。あまりにも一方的過ぎて酷いと思った(いっとくけど俺
は19話大好きだしうつも河森も間違った事はしていないと思ってるから誤解のなきよう)。
もうあんな悲劇はゴメンだと思ってるから、二度と起きて欲しくないんだけど結局これまでに似たような事は
何度も起こってるんだよね、はあ。
嫌なものは嫌だというのはわかるよ、嫌でも好きになれよって言うつもりは無いんだよ作オタ側でもな。でも
、なんだその歪みきった行動はよ、あまりにも非人道的だろうが、お前らがそういう手段に出るんだったらこ
っちだって怒気荒らげるわさ。死ね、お願いだから死んでくれ。頼むから。
・・・・えーっと、何の話だったっけかな?作オタがいかに優れてるかだっけか?正直もうここまでくるとそ
のテーマどうでもいいんだけど。
しかし、今はそれなりに作画に関する認知度はあの当時よりはマシんなってきたと思うし。やっぱあれだよね
、作画MAD、そして作画WIKI、そしてその大元になった作画を語るス・・・!え、それは違う?いやでもあそこ
なんだかんだ言って常駐してりゃ作画情報すぐ入ってくるから便利っちゃ便利なんだよね。そりゃタチの悪い
のもいるけどもそれでも他のアニメ系スレッドに比べりゃ遥かにマシだと思うし。俺も一度愛想尽きて作スレ
離れようかと思ったけど結局まだ入り浸ってるし。だって質がいくら落ちようが、他のスレより全然語ってる
ほうだと思うし、作画だけじゃなくアニメそのものも。テロ萌えだとかで名前だけでしか語ってないっていう
のもネタを除けば共通言語で名前出しゃ言いたいことはわかるってレベルなんだと思うし。あー脱線。まあそ
んなのので作画、認知されてきてるよね。うん。特に作画MAD。これは間違いなく作オタ人口を増やしたんだと
思う。そして増えた結果がこれだ。
http://d.hatena.ne.jp/kanose/20070424/drawingotaku
http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20090414/1239659751(真ん中の作画オタクの新入生のほう)
・・・・・・・・・・・ま、これが作画に興味を持つフックになってくれればいいんだけど、こっから先行け
んのかどうかちょっとうにゅにゅ・・・って感じだよね。ここでもう満足してるっつか。ほんと「MAD見て良さ
わかった(つもり)だから俺作画オターw」みたいな。なわけねえっしょ。これ見て(URL前者)嫌な汗かいち
ゃって、作画WIKIに「作画MAD見ただけで作オタになった気にならないでください日々精進」って注意書きをダ
マテンで追加したんだけど俺、未だに残ってるね。これが効果あんのか無いのか無いと思うけど、まあここで
作画オタだと自分勘違いした人って多いんだろうね。いや、俺だって自分が生粋の作画オタなのかというと疑
わしいけどさ、21世紀入ってからだし。やっぱメージュとかOUTとかの世代のほうが遥かにすげえんだろうなっ
て思うよ。だってナチュラルになってんだもん。しごく当然のように作画を語ろうとする。ネットもYOUTUBEも
当然ないしビデオダビングの交換とかでどうにかしてんだし草の根情報網で作オタライフ(作オタなんてカテ
ゴリ分け存在してなかったかも)やってんだもんすげえよ。かないっこなさそう。作画オタってさ、なろうと
思ってなれるもんじゃねえんだよなって思う。なれる奴となれない奴は最初っから決まってるんだよ。俺もな
れたとはまだ思えてない。でも好きなもんは好きなんだって衝動はあるから「作品的には駄作でもエポックな
作画はやってる」なアニメも積極的に見るぐらいの情熱は俺あるよ。うん。だって気になんじゃんよ。純粋に
。純粋なアニメの見方じゃない?いや純粋だよえげつないほどデュワじゃなくてピュアだよ。純粋にアニメが
好きなんだよ。でなかったらするかよこんなこと。
けど作画認知度ってのは結局は今んとこ作画MAD止まりだよな。いくら憲生MADや大平MAD見て「アニメタの個性
だ(キリッ」つってったって何も偉くねんだよ。同族嫌悪じゃねえよ。あいつらは作画オタなんかじゃない。アニ
メーターの個性(この呼び方好きくないんだけど)ってのは絵柄だけじゃないけどまだ絵柄単位での話しかし
てねーっつうかさ。ていうか、ああいうキャラデ逸脱型ってのは「やっちまったもんは仕方ない」っていう前
提ですげえ!って言えるもんでさ。やっぱ設定は守るべきなんだよね基本はさ。その設定が変えちゃいたくな
るようなつまんないものだったのかどうかは当事者なアニメタしか知りようが無いけど。でも作画オタの側か
ら見ても基本は設定だと思うんだよ。設定から外れたからスゲエんじゃなくって、設定から外れたけどそれは
それでスゲエんだよ。そこは履き違えんなよ。まあ元の設定があるからこそよけい凄さが際立つケースもある
けどね。言ってることメチャクチャだって?すまんね。けどここんとこを履き違えた結果起こった第2の悲劇っ
てのがあれだ、鉄腕バーディー DECODE:02第7話。ていうか仁保パート。あれの論争はちゃんとした作オタは一歩
引いた目で見てたと思う。それよかパート当てに盛り上がってcoosunのいぢわる情報に振り回されてた気がす
る。あそこでアニメ板本スレとか乗り込んで「あれはアニメーターの個性だからイイのだ」つって対抗してた
つもりっぽいのは作画オタじゃねえんだよ。作オタだとしても「作画オタクのB君」みたいな人達なんだよ断言
しちゃうよ。だからあれを作画オタかなんかのように見られると正直嫌な気しかしないっていうか、だからゲ
ーラボのネット事件簿みたいなコラムで「バーディーの手抜き作画に作画オタが反論!」みたいな事書いた多根清史はマジで死んで欲しいんだけど閑話休題。
作画オタクのB君で思い出したけどもう一つ、この記事書いたy_arimは作画MADに対して以下引用「純粋に作画
だけを見ようと思ったらあのBGMはかえって邪魔なんです。もともとのBGMや台詞、S.Eとも違うわけですから。
まあ海外のAMVを真似て導入したんでしょうけれども……」て言ってっけどダウトだよそりゃあ。作画MADを資
料映像かなんかだと勘違いしてんだよ。俺も作画MADは音消して見る癖ついちゃったクチだけそれは単に選曲が
酷くて絵もあってねえっていう、聞くに耐えねえだけっつうわけで音消してんだし。出来がいいやつはちゃん
と音有りで見るよ初期のやつとか、だって作画MADは資料じゃねえじゃん。他のMADムービーと同じじゃんエヴ
ァの映像にイッパツマンの逆転王の曲かけるやつ(結構好きだった)とかのと同類でっしゃろ。出来の悪いヤ
ツはそれこそ資料映像と割りきって音消しちゃうわけなのよ。逆よ逆、資料映像としてハナから見るわけじゃ
なくMADとして見ようとしてんだけどMADとして見る価値がないと資料映像として音消すんよ。導入の仕方はぜ
んぜん違うよ。音消すようなのは大抵1回見てもう二度と見ないなそれは。つか純粋に作画見たけりゃオリジナ
ルで見るっつうの。MADなんか頼らんっつうの。てなわけで作画MADの思い出でも語りますか。
まあ実質これが元祖作画MADでしょう。これが公開された時の事は覚えてる。YOUTUBEもロクに活用されたなか
った頃だから生ファイルで上がってたんだけど皆驚いてた。何に驚いたかっつうと何の脈絡も無くアップロー
ドされた事もそうだが「なんつー物好きな奴がいたんだ」って感じに。作オタなんてマイノリティの極みだっ
たからこんなヒマなことする人間がいたのかって驚きがあったんだよ。そんで妙な中毒感はたしかに存在した
。完成度で言えば荒いけど新鮮さではものすごかった。何でこの曲なん!?って言われたけど、磯作画による
爆発や地面がエグられてく様はたしかに「地球の危機」を感じたんだよ、笑わば笑え。SAMURAI7の森久司パー
トが何故か混ざってたのは当時も指摘されてたけど、正直それは問題ではないっていうクオリティだった(こ
の辺が作画MADは資料用じゃないってたらしめてるんだとおもう)。一時期何度も見たなー。もう一つあとで上
がった、曲がゴルドランEDのやつも良く出きてたけどこっちはあまり知られてないね。やっぱり動画サイトに
も無いし。保存してあるからいいけど。
http://www.nicovideo.jp/watch/sm222484
これもつべ消えててニコのしか無かったわー。これも時代か。
これはたしか「作るよー」って制作者が宣言してたと記憶してる。磯MADに触発された感じで。それで期待は高
かったしそれに応えられていたとも思う。何故かなかなか流行らないインストゥメンタルタイプの作画MADの元
祖。何度かバージョンアップして追加とかパート間違い修正してたな。これも良く見ればちゃんと曲に合わせ
た編集してるんだよね垂れ流しじゃあなくって。曲フェードアウトで中途半端に終わらしてる風だけどこれは
これで余韻が残ってカッチョ良かった。この時期が作画MADを純粋に楽しんでたなー。作画じゃなくて作画MAD
よ何度も言うけど。
http://www.youtube.com/watch?v=d3rJCPFqKRI
アニメーター復帰後の作品でかためられて、80年代の山下してた頃のは一切無いけどどっちかに統一してるの
はとっちらかってなくて良かった。それよりもこのMADの破壊力はあれだよ、「消してーリライトしてー」の部
分。オリジナルの吉成鋼パートんとこに合わせてイノのバトー飛び降りをかぶせてくる編集。MADとしちゃ常套
手段だろうけどこれはムッチャかっこよかった。すげーキマってた。思わず手をグーにしたもの。この部分の
ためだけにこの曲使ったのはもはや明白だけどそこの所の一点突破的なやり口はすげーイケてたですよ。マジ
でこれが作画MADのその後の方向性決めちゃったんだと思う。逆に言えば、真似して失敗したのが多すぎ。
この3本が作画MADの歴史を物語ってる。これは間違いないです。作画MADってやっぱミュージッククリップなん
だよね有志の。いつから作画オタ育成ようになってしまったんでしょう。前述したように作画オタなんてなれ
る奴となれない奴に分けられてるんだから。それでも作画オタになりたいんだったら自分で好きな作画見つけ
て追っかけてみましょうよ。MADなんかに頼んないでさ。というわけで、作画MADのお話でしたマル
・・・・・・・・・冒頭あんな挑発的な導入しといてここで終わるのはなんともアレなので最後にもう一つ話
題。「作画を体系的に理解するための7作品」(http://anond.hatelabo.jp/20091127174928)を書いたのは俺
だ。あれは作スレで「映画を体系~」(http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20091126/1259227980)の改変やっ
てー見たいなレスあって、本気で言ってるわけじゃないだろうけど面白そうだから改変した。そんでバッカで
ーって笑ってもらえりゃいいやと思ってた。だからわかりやすいようにあんなWEBアニメスタイルに依存しまく
ってる内容にした。したがってあれはアニメスタイル読んでりゃ全部分かりきったような内容しかない。上げ
た作品は俺も一通り見てはいるけどさ、でもやっぱネタだネタ、こんなんで体系的に理解できるもんかよ。元
ネタの7つ限定に無理やり当てはめてみたんであって、ちゃんと体系的にしたかったらAプロとかデザスギとか
も盛り込んでるよ。(俺もそこまで濃いわけじゃないからそんな地雷源渡れないけど)宮崎大塚もハブって最
後にしか書いてないのも元ネタ記事の「ここでは取りあげられなかったのだが、ルビッチやワイルダー」の宮
崎大塚バージョンがやりたかっただけだよ。だから100%ネタで書いてたんであって、こんなん参考にする
ようなやつ終わってるわーって思うわけよ。実際は200ブックマーク越えちゃってビビッたけど、「これはすご
い」「勉強になる」「歴史」とかくせえのが多いの。んなバカなこんなんで勉強にされちゃうのかよ。こんな
ネタ見る奴限られると思ってたから俺驚いちゃったよ。いや、彼らがそれで納得して勉強んなったんなら良い
んだけど。それでも俺なんか脱力しちゃったよ、あああ~~~そこまでなのか~~~~って。笑って貰うどこ
ろか関心されちゃったよ~~~~って。まあ遥か先の世代から見れば俺みたいなニワカ作オタだって似たよう
な印象受けちゃうだろうけど。でもそんな俺からしてみてもあああああ~~~ってなるのはよっぽどじゃねえ
のかな。だって俺、このネタに上げた作品を一通り見て、そこで初めて「ニワカ作オタ」になれるレベルだと
常に信じてたんだもん。※
と、言うわけでして。これで作オタが全アニオタで優れている存在だと理解できましたねみなさん。何、でき
るわけねえだろ?そんなら良し。
※今見たら逆の事書いてた俺
原作のシナリオから自分が気になった所だけを抜粋したので、他の人が作ればまた別の物になると思います。2話以降で後付けで説明されたり、回想の形で挿入されたり、時間軸をずらして取り入れたり、というのも当然あると思います。京アニが、この長大な作品の、何を描いて何を描かないのかという取捨選択の趣向を見守っていきたいと思います。
また、あとから追記するかもしれません。→少し追記しました。
やたらと自然が多い町。
山を迂回しての登校。
すべての山を切り開けば、どれだけ楽に登校できるだろうか。
直線距離を取れば、20分ぐらいは短縮できそうだった。
代わりに「売地」が写される。
【女の子】「それでも、この場所が好きでいられますか」
………。
【女の子】「わたしは…」
【朋也】「次の楽しいこととか、うれしいことを見つければいいだけだろ」
【朋也】「あんたの楽しいことや、うれしいことはひとつだけなのか? 違うだろ」
【女の子】「………」
そう。
何も知らなかった無垢な頃。
誰にでもある。
【朋也】「ほら、いこうぜ」
最後の地の文が抜けている。
何も知らなかったから言えた台詞、無垢だったから言えた台詞。
自分はこの町が嫌いだというのに、この場所を好きでいたいと考える女の子。
自分は変化を求めているというのに、変化を恐れている女の子。
ちょっとした反感から口を滑らせた、聞き覚えのいい正論。
ネタバレ(文字白色):いずれ「変わって欲しくないもの」を手に入れて、そして失ってしまったときに、この言葉は自分自身に跳ね返ってくることになる。
ちなみに、アニメでは地の文の「………。」の箇所で、朋也が視線を落とし、次のシーンで朋也の顔が隠れることで反発を表現している。
母を亡くしたショックでだろうか…残された父は堕落していった。
アルコールを絶やすことなく飲み続け、賭け事で暇を潰す生活。
少年時代の俺の暮らしは、そんな父との言い争いにより埋め尽くされた。
けど、ある事件をきっかけにその関係も変わってしまった。
俺に暴力を振るい、怪我を負わせたのだ。
その日以来、父親は感情を表に出さないようになった。
そして、俺の名を昔のように呼び捨てではなく、『朋也くん』とくん付けで呼び、言動に他人行儀を感じさせるようになった。
それはまさしく、他人同士になっていく過程だった。
まるで殻に閉じこもっていくように。
今と過去との接点を断ち切るように。
突き放すならまだ、よかったのに。
傷つけてくれるなら、まだ救われたのに。
怪我についての描写はアニメではまだ無かった。
うちの学校は特に部活動に力を入れているため、地方から入学してくる生徒も多い。
そんな生徒たちは親元を離れて、ここで三年間を過ごすことになるのだ。
関わり合いになることもなかったが、こんな場所にあいつ…春原は住んでいるのだ。
春原は元サッカー部で、この学校にも、スポーツ推薦で入学してきた人間だ。
しかし一年生の時に他校の生徒と大喧嘩をやらかし停学処分を受け、レギュラーから外された。
そして新人戦が終わる頃には、あいつの居場所は部にはなかった。
退部するしかなかったのだ。
【春原】「はい、ここ、僕たちの席ねーっ」
【春原】「とりあえず学食いったら、誰かいるだろうからさ、ジュースでもおごらせようぜ」
【朋也】「そんなのばっかだな、おまえは…」
【春原】「よし、じゃ、いこう」
やることもなかったから、ついていくことにする。
【春原】「ねぇねぇ、ジュースおごってよ」
春原が後輩を捕まえて、そうせびっていた。
【春原】「百円じゃなくて、二百円」
【春原】「ふたりぶんだから。あっちの人も」
【春原】「うん、君、いい奴だねぇ。なんかあったら、僕たちに言っておいでよね」
【春原】「僕たち、学校の外ではぶいぶい言わせてるからさっ」
他の男子も、何事かと窓際に集まり始めていた。
…鬱陶しいこと、この上ない。
あの中にいたら、むかついて誰か(主に春原)を殴っていただろう…。
暇つぶしには最適。
一日の授業を終え、放課後に。
春原の奴は最後までこなかった。
結局、今日俺が話をしたのは、朝に出会った女生徒だけだった。
【朋也】「好きにしてくれ」
見捨てて、ひとり坂を登り始める。
ただ…
そんな不良に見えなかったから、話しかけてしまっただけだ。
それだけだ。
【女の子】「あっ、待ってください」
どうしたものだろうか…。
遠慮なく、話を聞きすぎたような気がする。
気にならないといったら、嘘になるが…
気にしないよう、務めよう。
これからは、あいつ一人で頑張るしかないことだった。
三年で、ここに来ているのは俺たちふたりだけだった。(智代登場のシーンふたりは春原・朋也)
【朋也】「友達、作ればいいじゃないか、また新しく」
【女の子】「時期が時期ですから、みんなそういう雰囲気じゃないです」
【朋也】「三年生だったか…」
三年といったら、もうクラブも引退寸前なのに…
それをこれから頑張ろうなんて…他人の目にはどう映ってしまうんだろうか…。
新入部員だと言っても、三年生だと知れば、部員たちの反応は当惑に変わるだろう。
ひとりでも知り合いがいれば良かったのだろうけど…。
アニメでは代わりに、同級生が朋也と春原の事を噂している描写と、委員長が不良生徒に話しかける珍しい事態に周りの生徒が注目している描写が入る。
【女生徒】「見て、あの子」
【女生徒】「ほら、あそこ」
窓際にいた女生徒が窓の外を指さして、隣の連れに話しかけていた。
【女生徒】「ひとりで、パン食べてる。なんか、一生懸命で可愛い」
【女生徒】「どこのクラスの子だろ。あんまり見ない子だね」
【女の子】「頭の手は…なんですか?」
【朋也】「いや、別に」
【女の子】「そうですか…」
【朋也】「ああ」
しばらく彼女は呆然と、俺はその後ろで彼女の頭に手を置いて、ふたり立ち尽くしていた。
端から見れば、おかしなふたりだっただろう。
【朋也】「俺はD組の岡崎朋也」
【朋也】「あんたは?」
【朋也】「よろしく」
【古河】「はい、よろしくお願いします」
遅すぎる自己紹介。
ふたりだけは、出会いの日の中にあった。
【古河】「………」
【古河】「それで…」
【朋也】「よろしく」
【古河】「………」
【古河】「はい、よろしくお願いします」
【古河】「………」
【朋也】「よろしく」
【古河】「はい、よろしくお願いします」
【朋也】「よろしく」
【朋也】「ひとりで帰れるか?」
【古河】「はい、もちろんです」
【朋也】「ハンバーグでも食って、元気つけろよ」
【古河】「え?」
この箇所は原作でも印象的なシーンであり、電撃G'sマガジンで連載中のCLANNADの第一話も、ここをクライマックスにしていたため、この描写が抜かれたことに違和感を感じる人は多いようだ。
ただ尺の問題上「お連れしましょうか」のシーンを第一話のクライマックスにする事に決めたとしたら、
といった理由で、かなり難しいのではないか、と思う。
こんなところに来て、俺はどうしようというのだろう…
どうしたくて、ここまで歩いてきたのだろう…
懐かしい感じがした。
ずっと昔、知った優しさ。
そんなもの…俺は知らないはずなのに。
それでも、懐かしいと感じていた。
今さっきまで、すぐそばでそれを見ていた。
それをもどかしいばかりに、感じていたんだ。
………。
「もし、よろしければ…」
代わりに、電灯のついた部屋を見上げる。
一面、白い世界…
………
雪…
そう、雪だ。
今なお、それは降り続け、僕の体を白く覆っていく。
ああ…
僕はこんなところで何をしているのだろう…。
いつからこんなところに、ひとりぼっちで居るのだろう…。
………。
雪に埋もれた…僕の手。
それが、何かを掴んでいた。
引き上げる。
真っ白な手。
女の子の手だった。
ああ、そうだった…。
僕はひとりきりじゃなかった。
彼女の顔を覆う雪を払う。
穏やかに眠る横顔が、現れた。
そう…
この子とふたりで…ずっと居たのだ。
この世界で。
この、誰もいない、もの悲しい世界で。
完全なネタバレ(麻枝准の他作品のネタバレも含む)なのでここから文字を白色に(匿名ダイアリーは続きを読む記法が使えないようだ。キーワードリンクも消せない。)
ゲームでは、開始時点は幻 想 世 界編であり、そこから始まる本編は長い回想のようなものだと解釈できる。
(もっとも幻 想 世 界では時間が意 味がなさないので『回想』という表現は相応しくないかもしれない。)
麻枝准が自ら企画した作品は最初のシーンに後から繋がる、戻ってくる、という話が多い。
- ONEという物 語の構 造は主人 公が、幼い頃の悲しい出来 事が原 因で思い描いた「えいえんのせかい」から始まり、そこで各ヒ ロ インとの学園でのエピソードを回想することによって、元の世 界に戻る動機 付けを見い出して回 帰する話である。学園エピソードの前半ではそれが回想だと気付かない作りになっている。(より正確に書くと,メ タな位置にいるはずのプレイ ヤにとってはリアルタイムの出来事が、作品中の主人 公にとっては回想になっている、という捻れた構造になっている。)
- AIRのゲーム版では、OPムー ビーの最後から繋がるシーンで、ラス トシーンの少 年が呟く「さようなら」という言 葉を国崎行人が夢うつ つに聴いている。(この時点では何のことが分からない。)これはアニメ版では抜け落ちてしまったが、代わりにアニ メではEDの少 年に「昔の事を思い出していた」という台詞を言わせている。A I Rのプロローグ「我が子よ、良くお聞きなさい。これから話すことは大切な事、これから・・・」のシーンも、クライマ ックスで再び使われている(これはアニメ版でも一緒)。このシーンはプロローグで使われたときは国崎行人と,その母 親を想起させる( 注:「力」を持つ者に課せられた、はるか遠い約束,というフレー ズに基づく)が、クライマッ クスで使われたときは「最初の翼 人」が自らの子 供に語りかけた台詞になっている。
- 智代アフターが回想なのは自明なので省略。
アニメ版ではプロローグを省いているため同じような仕掛けはやらないつもりなのかもしれない。
(仮に、アニメでも本編が回想である、という前提に立てば、アバンの『二人が出会った瞬間「光が揺らめ」いて彩度の上がる演出』は
朋也の思い入れ(「今思えばあの頃から俺は・・」的な)の反映とも解釈できる。)
しかし回想は積極的に使われていて、視聴者は、作中人物である朋也の主観的な時間軸を行ったり戻ったりする。
(書きかけ)
メモ: CLANNADがMAD的である理由 静止画MADムービー(静止画とテクストの断片と、音楽のシンクロ)、葉鍵系MAD全盛期(訴訟警告前)、動ポモのMADムービーに関する記述(トレンド:パロディ→原作の感動の再現) 音楽とキャラクターが、世界の連続性を担保しているー断片の羅列が世界を表現する 麻枝准の執筆方(音楽のイメージが無いとシナリオが書けずCDを延々と探している)、「ゲームの音楽は1/3」という麻枝の発言 「キャラ」が連続性を担保している(テヅカイズデッド) ADV形式ゲームの記号性(動ポモ) CLANNADのシナリオに対する二つのアプローチ:エクセルによる時間管理(監督:石原達也) 全エピソードのカード化と、パズルのような組み合わせ(脚本家:志茂文彦) ハルヒの成功がもたらしたもの: キャラクターのメタ物語性の確認:SFもミステリーもギャグもロマンスも同じキャラクターで可能である。(昔から。フルメタだってギャグとリアルだし、FFのようなRPGだって、(何故日本の作品にはシリアスな作品にもギャグがあるのか(ask john)),麻枝准は何故シリアスエピソードで笑いを入れるのか(ONEのバニ山バニ夫、Kanon舞エピソードのウサ耳、CLANNADアフターの風子参上、リトバス最終エピソードの丁寧に伏線まではってある筋肉大増殖) 時間軸を各自の脳内で再構築できる視聴者層が、商業的に成立する規模(DVDの売り上げがトップクラスになる程度には)はいた事の発見 「仕掛け」れば見つけてくれる視聴者と、その情報が直ぐに広まるネットワーク。 キャラ紹介の波線の演出は智代アフターだよね、白地の背景で「朋也の後を渚が・・」ってとこも智代アフターのOPかも? EDのウサギはONEのバニ山バニ夫。EDのだんご大家族の映像がNHKっぽいのは、当然だんご三兄弟のパロディだから シーンのトランジションがワイプなのはゲームのADVのパロディ? 猫。幽霊。 智代登場シーン。不良サングラスにギャラリーが映り、顔から汗がたらたら流れる→闘いたいわけじゃないけど、ギャラリーがいるから後に引けなくなってるのかな。不良が持ってる武器がフライパンってことは、ゆきねえの取り巻きかな、みたいな解釈話も含めて
「Javascript」「Ajax」「マッシュアップ」という言葉が席捲したのがちょうど2年位前。
実際、Internet上の技術としては無くてはならないものになっているけど、
これでものすごい新しいものができたかといえばそうでもない。 どちらかというと、ニッチな需要を埋めるための道具になってる。
で、現在。
日々ニコ動で世に現れるMADムービーの数々。2年位前にプログラマの間で起きたのと同じようなことがいまあそこで起きてるように思える。
なんだか世界を変えられそうな気すらするあの興奮が。
2年前のブームによって変化があったことといえば、地図業界だろう。インターネット上には技術的にも規約的にも使いづらい地図しか存在しなかったのが、「Google Maps」とそれを操作するためのAPIの登場によって確実に業界の意識を変化させた。
はたして、「アイマス」と「初音ミク」を手にした「職人」がもたらすのは一体何なんだろう。2年後、どんな世界が広がっているんだろう。