はてなキーワード: A案とは
したがって、議員や公務員に給付する必要はない。経済的に余裕のある人が辞退するのは妥当であり、特に他人が干渉することではない。
まず、経済で人は死ぬ。失業者数と自殺者数の相関を見れば明らかだ。単に「生活が苦しくなる」という話ではなく、人が死ぬ。当然、これは生存権の侵害であり、政策によりこれを救済する必要がある。経済弱者は、今日、資金が付きて死を選ぶかもしれない。一日も早く、生活費を手にする必要がある。だから、一律給付が実施された。給付が一日早ければ、何人か、命が助かる可能性がある。だから、多少給付金額が無駄になっても、対象を選定する手間をかけず、一律給付したというだけのことだ。「生存権が侵害されている」とまでは言えないレベルの人は、給付金を受け取ろうが辞退しようがどうでもいい話だ。逆に、「生存権が侵害されている」と言えるレベルの人に対し給付金額が増えれば、それだけ助かる命が増える可能性がある。
ここで、日本政府の財源は限られている。もともと財政難で、どこにも金は余っていない。昔の日本なら、国債発行と経済成長でなんとかできただろうが、衰退国家では不可能だ。成長国家では、借金はするだけお得だ(例えば、100兆円の借金は、7%の成長を続ければ,10年後には50兆円相当の税で返済できる)が、衰退国家ではその逆だ。つまり、今年使った金額以上の増税が将来的に必要になる。全ての課題に対し「国家が金を出せばいい」というのは,非常に危険だ。これからの日本は、新しく何かに金を使うためには、替わりに何かを捨てる必要がある。予算の使い道について、A案・B案を冷静に比較する必要がある。
今、A案は「議員・公務員も含めて一律給付」だ。B案は「議員・公務員には給付しない。その分の財源を貧困層向けの追加の給付金に回す」だ。公務員の給与は原理的に保障されているとはいえ、A案で生活が助かる人もいるだろう。A案は理想的に見える。しかし、B案で助かる命に比べれば、相対的に重要度の低い話だ。目の前の現象(公務員への給付金額)だけでなく、その金で替わりに何ができるか(貧困層への給付金額増額等)を常に考える必要がある。
「コロナ対策を頑張っている公務員や医療関係者にも、報奨金として報いるべきだ」という論点も的外れだ。もちろん関係者に報いること自体は必要だ。一方で、今、急いで一律に報奨金を出す必要性はどこにもない。逆に、時間があれば、報奨対象者を選定することができる。当たり前だが、現在でも大半の公務員はコロナと関係ない通常業務を行っていて、コロナ対策を行っているのは少数派である。報奨金の対象を限定することができれば、その分の予算が浮く。なるべく広く公務員に報いたいという気持ちもあるだろうが、その金で替わりに救える命があるということを理解する必要がある。したがって、一律給付金は報奨金として扱われるべきでないし、公務員を給付対象に含める理由にはならない。
また、一律給付を景気対策だと勘違いしている人も多い。確かに、景気対策として効果があれば、経済死者数も減少するだろう。しかし、経済全体がほぼストップしたこのタイミングで、個人消費が増えたところで乗数効果は小さく、景気対策としての効果は極めて限定的である。この給付金が景気対策だと真面目に考えている人はどこにもいない。もちろん10万円を飲食店で使用すれば、その店自体は助かるかもしれない。しかし、その金の大半はその飲食店の貯蓄になり、日本の経済全体を刺激しない。ここでもやはり、その10万円で替わりに救えた命があったかもしれない、ということが重要だ。
以上を考えると、生活が困窮していない人が、給付を辞退することは妥当である。別に辞退が美徳だとかいう寒いセンスではない。財源が相対的に重要だと考えるから辞退するだけである。別に賛同しろとは思わない。一方で、「辞退は悪だ、同調圧力だ、寄付しろ」などと言って他人が口出しすることでもない(それ自体が同調圧力だと思わないんだろうか)。そもそも、同調圧力程度で「自分も辞退しようかな」と思う程度に余裕のある人は、給付されようがされまいが、最初からどうでもいい話だ。支援団体等に寄付するのもいいだろうが、基本的に支援団体はミクロでローカルな問題に対処することが得意だ。日本全国に多様な困窮がある現状で、支援団体やNPOにお金を渡したところで、果たしてどの程度の範囲がカバーできるか疑問だ。緊急事態に国民全体の生存権を保障するには、政府の役割が最重要だ。
○昼食:おにぎり
○夕食:カツカレー
○調子
むきゅーはややー。
出張です。
偉い人「xxしたい」
僕「Aならできます」
偉い人「工数が……」
僕「ならBです」
偉い人「ううむ…… もっと安く済む案があるはずだ! スーパープログラマ様に聞きに行こうぜ!」
(という出張の前置き)
偉い人「スーパープログラマ様! xxしたいです! アイデアを!」
偉い人「Aは…… ちょっと……」
偉い人「お前ら裏で打ち合わせしたんか?」
という、絵に描いたような展開でした。
打ち合わせしたわけでもないのに、示し合わせたかのように僕とその人が同じ案を同じ順番で提案したので、まあxxするにはAかBなんすよ。
スーパープログラマ様も「いや、魔法使いじゃないんで、無理なもんは無理です」と言ってて面白かった。
実は、こういうやり取りは初めてじゃなくて割と何回もあって、そろそろ僕の信用度もそれなりになってきて、わざわざこうして打ち合わせの場を設ける機会も減ってはきてるんだけどね。
ただ今回のはA案もB案もそれなりに時間がかかるやり方なので念のため聞きに行っただけなので、偉い人に対して不平不満があるわけではない。
そんなこんなで、みんなで楽しく夜の街に繰り出す流れなので今日は一旦日記を書いておきます。
10箱開けて満足。そろそろ次の目標を決めないとなあ。
どっちもモチベわかないなあ。
昨日増田で「ナウい」って言葉見たんだけどさ「ナウい」ってすごいね。どんどん使っていこうと思う。
調べたら「ナウい」って1980年代に使われてたらしいね。「今っぽくていいね」って意味の言葉だと理解してる。
何というか「A案はダサいからB案にしよう」と「よりナウいB案にしよう」だと、後者の方が言われて嬉しい。前者はちょびっと残念。そのちょびっとが、妊婦に席を譲れるか譲れないか、道に迷ってる人を助けられるかられないか、電車に飛び込むか飛び込まないかを分けることもある。
心をガリガリに削られる現代社会におけるオアシス。や、オアシスってほどすごい回復はしないけど。
なんていうか今まで
だったんだけど、③が埋まって嬉しい。
どんどん使っていこう。
上司からカレンダーにスケジュール登録しろっていつも注意をされる。
何をしてるのか、いつ終わるのかわからないから困るんだそうだ。
注意をしてくる上司は制作チームの上司ではなくて、部署全体を管轄している人で、営業だ。
制作の方のスケジュール管理はガントチャートで別の物で管理をしているのだが
営業の人たちはこれを見ない。
日別で時間区切って登録をするので大きい案件の作業中なんかは、
みたいな予定が毎日書いてあるだけ。正直意味ないと自分も思う。
そして、そうやって書いておくと件の上司にタスクを細分化して複数案件を同時並行しろと注意をされる。
複数案件を同時並行で処理していくイメージなので、そういう言い方をされるのかもしれない。
が、制作については上記のようなやり方をすると効率が悪いと感じる。
分けたとしても、1日置きに別の案件をするとかぐらいじゃないかと思う。
自分が頭の切り替えが遅いのが悪いとも思うんだけれども、
定期的に言われるので、地味に苦痛。
どうするのが良いんだ。教えて欲しい。
私「いえ、A案は投資額も多くリターンも見込めないため反対です」
佐藤「あ、そうですか。では意見をまとめようと思います。A案で良いでしょうか?」
私「いえ、A案は投資額も多く私の部門としては反対ですと先ほど言いましたよ」
佐藤「あ、そうですか。」
山田「私もA案には反対ですと申し上げました。B案なら進められます」
佐藤「うーん、いろんな意見がでましたね。では、今回はA案でいいですかね。」
佐藤「あ、はい、まあでもA案はダメっていう理由はありましたっけ?」
で、佐藤が書いてきた議事録を見たらA案で決定って書いてあるわけです。
それで、私や山田が「A案には反対したからこの議事録はおかしい」って返事を出すと、
じゃあまた打合せしましょうって悪びれることもなく返信してくる。
こういう人に会社で年に1回くらい出くわすんだけど、こういう人の頭の中はどうなってるの?
さらに、新規女子から告られた罪悪感から、まいっていた。(まいったフリをしていたのだろう)
そして、それを悩み相談という形でぶちまけられた。
現状把握と課題整理、スケジュールなどなどを書き出し、目的を明確にしてA4のPDF2枚にまとめた。
私は、「全て清算するなら許す」というA案と、「完全なる破局」のB案を提示した。
彼は「分かりやすい!」と感動し、A案に向けて動いていたが、急に悩みはじめた。
ここまで書かせた俺は罰せられるべきだと。一度みんなから捨てられて一人ぼっちになるべきだと。
古代より、「怒らない女がモテる」「進むべき道がわからず、迷う女がモテる」と言われているけど、
「昨今はそうでもないのかな?」と勝手に判断し、相手をきちんと見ず、感情で突っ走った結果がこれだ。
いや、私が何しても同じだったのかなあ。
ナルシズムに走ってないで、これからの未来を考えて仲良くしようや、と言ってるんだが、、
穏やかな日常をもう一度やり直したいだけなのに
>A案…一番人口の多くて優秀な人が多い村に食物を集中させて残りの村は切り捨てる
>B案…みんな足りないけど全員を活かすためにがまんする
>C案…今お金がある人が優先的に購入できるようにする
というのがイデオロギー最大の弱点だっつー話をしてんだよ
豊作の年まで持ちこたえてから
「なんでうちには食料回さない!なんでジバラ!元々俺たちのナノニ!」
で全部ぶっ壊されるの
「たすけて」が「食べるものがないよ」であった場合、「ゼニでなんとかしますぜ」が十分に金があって全員に配分できればいいけどできないことが多いわけじゃん。
そこで
A案…一番人口の多くて優秀な人が多い村に食物を集中させて残りの村は切り捨てる
B案…みんな足りないけど全員を活かすためにがまんする
C案…今お金がある人が優先的に購入できるようにする
となった場合、金で解決するならA案で優秀な人だけを残して食糧を増やす機械なり方法なりを将来的に考えさせればいいでしょ。
でもそうすると弱者は死んで肥やしになれということになる。
そこでイデオロギーとして「弱者を救うべき」という思想があると、B案を選ぶ人が増えてきてA案ではなくB案が通る可能性が出てくる。
逆に一人一票の投票で決めると最も効率の悪いB案になるので、イデオロギーで優秀な民族を残すべしとか言ってA案を通すこともできる。
そもそも政治的に全員一致でみんなが幸せになれる政策なんてなくて誰かにしわよせがいくんだから、そのしわ寄せをどこに求めるかということを議論するのがイデオロギーなんじゃないですかね。
http://anond.hatelabo.jp/20170509183828
を書いた増田です。
こんなにたくさん反応があると思っていませんでした。
開発に対してモチベーションが保てずに、愚痴まとめてスッキリしようとか、そういう気持ちで殴り書いたものだったので。
本当にありがとうございます。
「俺、こんなんドン・キホーテと一緒やん」みたいな気持ちでやってたことが、少し報われました。
自分発信のものに反応もらえるってこんなに嬉しいんですね。(何しろ二年くらいそういうのないもので。)
はてブ、ツイッターでの反応は全部読んでます。ありがとうございます。(二年なかったので許してください。気持ち悪がらないでください。)
どうせお前のスキル不足だろ!!!バカが!!!働け!!!死ね!!!みたいなの予想してたので、9割くらいの人に同調されてるのに少しびっくりしています。
と同時に、そんなんやっぱりどっか根本的におかしいよね、なんて思ったりもしています。大きい問題すぎてどうにもできないですが。ちなみにスキル不足はあっています。
いくつかちょっと返したいコメントあったので、ざっくり返信します。
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一応お給料はいただいてます。少ないですが。僕は業務委託なので、会社が大丈夫かどうかはあまり興味がないのでよくわかりません。潰れたら次に行くだけです。
あんまり詳しいことは言えませんしわかりませんが、受託開発みたいなことをしているようなので裏で黒いことをしていない限りは、そこで得た収入をつぎ込んでいるのだと思います。今の体制を維持していくだけなら会社的にはそんなに負担になっていないのかもしれません。プロっぽい人が一人もいないので、実験的な意味合いもあるのかなあと勝手に思っています。
・「辞めればいいのに」
おっしゃる通り。だけど僕が抜けたらもうこのサービス動かなくなってしまいます。一回やるって言って、お金もらっている以上は続けたいじゃないですか、できるだけ。一応愛着も二ミリくらいあります。でも、お給料出なくなったら秒でやめますよ。
・「仕様決めには入らないの?」
この話聞きます?
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ディ「やっぱり仕様決めるのに作る人がいないと進まないよね!」
僕「そうですね。」
ディ「まず、今回はこういう機能を入れたくて、この機能が狙っている効果としてはね・・・」(クソでかいビジョンの説明。Google行け。)
僕「なんとなく伝わりました。で、どういうの作りたいんですか?」
ディ「こうこうこんな感じで、〇〇(ちょっと話題のスタートアップのサービス)みたいな、ユーザーが楽しんで使ってくれる機能がいいね!」
僕「なるほど。まず、それもう別サービスでやったほうがよくないですか?今までの方向性から変わりすぎなような。あんまり詰め込むとユーザーわかんないですよ。」
ディ「大丈夫!後から説明する!もうストーリーはできてるから!そしてそれはデザイン次第だから!」
僕「わかりました。後ここ、なんか聞いてたビジョンとずれてるようなんですけど。」
ディ「そこはねーこうこうこういう理由でね、こうなってこう、さっきの説明もしちゃうけど、ここからこうなるストーリーを狙ってるんだよ」(ユーザーにその説明する気なのかな?)
僕「なるほどですね。じゃあ、全体的にこういう仕様にしたほうがよくないですか?そんなにビジョンからずれてもないですし。」
ディ「うーん・・・それだとなあ、なんか違うんだよな。」
僕「こっちの方が技術的なこういう問題も解消できますよ。ちょっと初めのだとすぐ実装思い浮かばないですし、バグも出やすそうです。」
ディ「じゃあ、こっちでいこう!!!!」
僕「わかりました。」
ディ「で、どれくらいでできるかな?」
僕「え、まだ方向性だけで、何にも決まってないのと同じなので見積もりはできないですよ。」
ディ「そのために呼んだのに!!!!!」
~~~~~数時間後~~~~~
僕「ここはどうするつもりですか?僕はA案の方がいいと思いますけど。B案ちょっと影響大きすぎますし。」
ディ「でもB案もなあ・・・B案じゃないとストーリーがなあ・・・」(この仕様会議中にもう五回はそのストーリー外れてるよね?)
僕「(こうなると進まないので)じゃあB案で。」
ディ「お願い!!!!」
~~~~~数時間後~~~~~
僕「なるほど、でもこの機能、ユーザーいないと楽しめないですよね?こうこうこうしたら、いいんじゃないですかね?」
僕「いや、というか、ストーリー自体ユーザーいないと途中でこけて、ケアできてないこといっぱいあると思うので、コアならなおさらちょっと考え直した方が。」
ディ「・・・・・・・・(キレ気味に)じゃあどうするの?全部無駄になるよ?」(ご愛顧ありがとうございましたってhtmlならすぐ書けるよ?)
~~~~~~~~~~
こんな感じですぐスリーパーホールドで固められちゃうんで、無駄なんです。
・「今どきPDFで納品とかあるの?」
僕も驚いています。何度か無理って突き返したんですけど、他のツールでも手間があんまり変わらなかった(すごい話し合うくせに実際見て大幅に手直しがある。)
ので、もうPDFで仮組みした方が早いと思って諦めてます。紙出身なんじゃないの?って意見見て、なるほど、と納得しました。
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なんかいっぱい書きたいことあったんですが、忘れちゃいました。
辻褄があってない部分は、本当のこと書きすぎてて、ちょこちょこ誇張入れたり省いたり、言えないことをごまかしたり、分かりにくいなとおもったところを直したりしたためです。単純にミスってるとかもあるかもなので、雰囲気で読んで下さい。ミスを錯乱に変える高等テクニックだと思って褒めてくれてもこちらとしては何の問題もありません。褒めて。
ちなみにディレクターは二人居ますが、もう片方はほとんど言いなりなので、ここに書いているやり取りは、一人のディレクターしか出てきていません。
こんなうだつの上がらないエンジニアの戯言、何の先の展開力もない、ただの文字だけのコンテンツが、2日で600はてブ以上取って、ほんとうにインターネットすごい。
もっと正直に話すと、最近鬱手前っぽい症状が出ていて(一回なったことがあるので)、ちょっとやばいと思ったので、書きました。
本当に激務でもなく、パワハラもない、これ以外のストレスはないホワイトな現場なんですが、こういうことでも積み重ねていくと滅入っていくんだ、と自分でもちょっとびっくりしています。
また溜まったり、状況が変わったら(転職とか転職とか転職とか)書きます。本当は漫画にしたいと思っていたのですが、下手すぎて文章にしました。誰か漫画にしてください(強欲)。
console.log("thank you for reading!!");
~~~~~追記~~~~~
続編も思ったより伸びてしまいました。20はてブくらいで尻すぼむだろうと思っていたので。
本当にありがとうございます。
そしてみなさんご心配ありがとうございます。
・ねる
・やすむ
・てきとうなことをいう
・むしする
と、危ない時には四つの技を覚えましたので、戦闘では全く使えませんが、自己防衛にはまあまあ長けたポケモンになっていますので心配いりません。
文読みやすいとかうまいとか、言われ慣れてないので困惑しています。ありがとうございます。
書くこと自体は割と好きな方なので、これくらいの脊髄反射みたいなものでよければ、シリーズ化とまではいきませんが、書き続けたいなと思っています。
増田として書くのも気楽で楽しいんですが、別サービスへの移行も考え中です。まとめるとき楽そうなので。でも、こういうのって増田だからいいんですかね?
あまりブログなど続いた覚えがないので、まだ思案中ですし、もう書けることも仕事系統だと同じテイストになっちゃうので、読み飽きるかなあとも思っています。
ではでは、もしかしたら増田としてはこれが最後かもしれません。
人には言えないドン引きされるような性の話が書きたくなったらまた来るかもしれません。
console.log("see you later!!!");
LGBTの結婚を認める認めないとか憲法改正すべきかについてとかいった問題に対してどう思うか・賛成か反対かを問われたときに、心の何処かでどっちが正義なんだろうかということを考えてしまう自分がいる。
例えばLGBTの結婚について、不道徳だし子供も産めなくなるわけだから認めんなというA案、人が人を愛するのにをOKとNG決めるとか頭おかしいんじゃねえかというB案があったとする。自分は考えた末にA案(またはB案)の立場だなと思っても、本当に自分はそう思っているのか?と自分で自分を疑う気持ちがある。A案が妥当だと思いながらも、でもB案が言うことも一理あると思うような、AとBのどちらがより現実的で妥当なのかを逡巡している感じではない。
A案のほうが理屈っぽい感じがするし、理屈っぽいほうが頭良さそうでかっこいいし、とかそんな感じでA案を支持しているだけじゃないのか?
実のところLGBTがどうあって欲しいというビジョンなんて全く無くて、ただ自分はカッコよく見られたいまたはカッコいいと思いたいという欲望が根底にあって、だからその欲望を満たすためだけに、特にそんなこと思ってもいないのにA案を支持しているだけなんじゃないのか?
その問題自体に大した興味はなく、それに対しての立場表明なんて自分をカッコよく見せて自分がカッコいいと思うための道具として使っているだけに使っているだけじゃないのかと、そんな事を思ってしまう。
そして、そんな疑心暗鬼を隠すために、A案こそが正義だ!なんて思っているんじゃないか。正義という言葉を使ってみたり、自分こそが正義なんですみたいな態度をとることでええかっこしい本性を隠そうとしているんじゃないのか、知らず知らずのうちに自分で自分を誤魔化そうとしてるんじゃないのか。これまで自分のことは何となく正義だと思っていたけど、そんなことは全くなくって、今までの判断は無意識の内に行ってきた醜い自己防衛本能なんじゃないのか。そんなことを思ってしまう。
実際、日本がどうあってほしい、これからどうなってほしいという事は全く考えていない。ゴールの方向性すら決まっていないのだから、諸々の問題に対する立場はその場その場で変わり、そしてそれらの立場の方向性は矛盾しまくっている。勧善懲悪的な映画を見てそれを額面通りに真に受けて育ってきたのだ。正義の熱血ヒーローやダーティーハリーのようなダークヒーローっぽく見えるか、または死んで当然のクズ野郎に見えるか。どちらかしか判断できない短絡的な価値基準を根底に、そしてそれを自覚せずに日々を生きているんじゃないのか。そんな気がしてしまう。