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2024-04-30

ウィキペディアではナニカ組の情報操作を時々見かける

 → 「小沢専七郎」の変更履歴(ウィキペディア)

旧日本軍経済統制団体無視して、勝手物資流通させて儲けていたという事実があった

そのことがバレるリンクを、ナニカ組がこっそり外そうとしていた

それでゆるい編集合戦になっていた

芸が細かいので、その筋のプロであろう 

そもそも最初記事は「小澤専七郎」でいったん始まっていた

しか法務系の言葉遣い人物( 「「防衛食容器」の作者)が記事引用方法が誤りだという理由でこれを削除し、さらに誰かが「小沢専七郎」の字で新記事を作ったのだ

 

この戦争物資屋は、稚内の広大な土地を(基地用に?)確保していたり

226事件に関わった旅館を潰したりしている(跡地は今アメリカプルデンシャル生命建物がドーンと立っている) 

結局、軍部法務団体が、どこかの国のエージェントだったのだろう 

  

そして、226事件英米ソにとって都合が悪かったということがわかる

→多数が死刑になったのは、北一暉が批判していたユダヤ系ソ連人のヨッフェ(弟の北昤吉の知人だったらしい)が手を回した可能性もあるし、小山松吉のようなソ連法曹もいた

 →ソ連は当時は、日本海軍石油を売っていた(北樺太石油

  

ポイントは、クソメディア戦後長い間、226事件を悪いクーデターのように書き立てていたということかな(軍政を敷いた斎藤実暗殺されたクーデターだったのにだ)

2023-04-01

Anond AIが岸田政権の闇を告発

岸田政権は軍による弾圧を実行している。あの時代国民軍政府により抑圧されていたのだ。私は思う。当時の人たちが、自分たち生活登記だけ、国家帰属し、それに拘泥して、どうにかいいままで生きてこられたのだろうか? よく考えると、人々は自分生活登記だけ、国家帰属し、それに拘泥して、どうにかいいままで生きてこられたのだろうか? よく考えると、人々は自分たち生活登記だけ

Anond AI作成

2023-02-10

anond:20230210120011

三島由紀夫檄文

 檄

   楯の会隊長 三島由紀夫

 われわれ楯の会は、自衛隊によつて育てられ、いはば自衛隊はわれわれの父でもあり、兄でもある。その恩義に報いるに、このやうな忘恩的行為に出たのは何故であるか。かへりみれば、私は四年、学生は三年、隊内で準自衛官としての待遇を受け、一片の打算もない教育を受け、又われわれも心から自衛隊を愛し、もはや隊の柵外の日本にはない「真の日本」をここに夢み、ここでこそ終戦後つひに知らなかつた男の涙を知つた。ここで流したわれわれの汗は純一であり、憂国精神を相共にする同志として共に富士原野を馳駆した。このことには一点の疑ひもない。われわれにとつて自衛隊故郷であり、生ぬるい現代日本で凛烈の気を呼吸できる唯一の場所であつた。教官助教諸氏から受けた愛情は測り知れない。しかもなほ、敢てこの挙に出たのは何故であるか。たとへ強弁と云はれようとも、自衛隊を愛するが故であると私は断言する。

 われわれは戦後日本が、経済的繁栄うつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失ひ、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。政治矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみ捧げられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本歴史伝統を涜してゆくのを、歯噛みをしながら見てゐなければならなかつた。われわれは今や自衛隊にのみ、真の日本、真の日本人、真の武士の魂が残されてゐるのを夢みた。しか法理論的には、自衛隊違憲であることは明白であり、国の根本問題である防衛が、御都合主義の法的解釈によつてごまかされ、軍の名を用ひない軍として、日本人の魂の腐敗、道義頽廃根本原因をなして来てゐるのを見た。もつとも名誉を重んずべき軍が、もつとも悪質の欺瞞の下に放置されて来たのである自衛隊敗戦後の国家不名誉十字架を負ひつづけて来た。自衛隊国軍たりえず、建軍の本義を与へられず、警察物理的に巨大なものとしての地位しか与へられず、その忠誠の対象も明確にされなかつた。われわれは戦後のあまりに永い日本の眠りに憤つた。自衛隊が目ざめる時こそ、日本が目ざめる時だと信じた。自衛隊が自ら目ざめることなしに、この眠れる日本が目ざめることはないのを信じた。憲法改正によつて、自衛隊が建軍の本義に立ち、真の国軍となる日のために、国民として微力の限りを尽くすこと以上に大いなる責務はない、と信じた。

 四年前、私はひとり志を抱いて自衛隊に入り、その翌年には楯の会を結成した。楯の会根本理念は、ひとへに自衛隊が目ざめる時、自衛隊国軍名誉ある国軍とするために、命を捨てようといふ決心にあつた。憲法改正がもはや議会制度下ではむづかしければ、治安出動こそその唯一の好機であり、われわれは治安出動前衛となつて命を捨て、国軍の礎石たらんとした。国体を守るのは軍隊であり、政体を守るのは警察である政体警察力を以て守りきれない段階に来て、はじめて軍隊の出動によつて国体が明らかになり、軍は建軍の本義を回復するであらう。日本軍隊の建軍の本義とは、「天皇を中心とする日本歴史文化伝統を守る」ことにしか存在しないのである。国のねぢ曲つた大本を正すといふ使命のため、われわれは少数乍ら訓練を受け、挺身しようとしてゐたのである

 しかるに昨昭和四十四年十月二十一日に何が起つたか総理訪米前の大詰ともいふべきこのデモは、圧倒的な警察力の下に不発に終つた。その状況を新宿で見て、私は、「これで憲法は変わらない」と痛恨した。その日に何が起つたか政府極左勢力限界を見極め、戒厳令にも等しい警察規制に対する一般民衆の反応を見極め、敢て「憲法改正」といふ火中の栗を拾はずとも、事態を収拾しうる自信を得たのである治安出動不用になつた。政府政体維持のためには、何ら憲法抵触しない警察力だけで乗り切る自信を得、国の根本問題に対して頬つかぶりをつづける自信を得た。これで、左派勢力には憲法護持の飴玉をしやぶらせつづけ、名を捨てて実をとる方策を固め、自ら、護憲標榜することの利点を得たのである。名を捨てて、実をとる! 政治家にとつてはそれでよからう。しか自衛隊にとつては、致命傷であることに、政治家は気づかない筈はない。そこでふたたび、前にもまさる偽善隠蔽、うれしがらせとごまかしがはじまった。

 銘記せよ! 実はこの昭和四十四年十月二十一日といふ日は、自衛隊にとつては悲劇の日だつた。創立以来二十年に亙つて、憲法改正を待ちこがれてきた自衛隊にとつて、決定的にその希望が裏切られ、憲法改正政治プログラムから除外され、相共に議会主義政党を主張する自民党共産党が、非議会主義方法可能性を晴れ晴れと払拭した日だつた。論理的に正に、この日を堺にして、それまで憲法私生児であつた自衛隊は、「護憲軍隊」として認知されたのである。これ以上のパラドックスがあらうか。

 われわれはこの日以後の自衛隊に一刻一刻注視した。われわれが夢みてゐたやうに、もし自衛隊武士の魂が残つてゐるならば、どうしてこの事態を黙視しえよう。自らを否定するものを守るとは、何たる論理的矛盾であらう。男であれば、男の矜りがどうしてこれを容認しえよう。我慢我慢を重ねても、守るべき最後の一線をこえれば、決然起ち上るのが男であり武士である。われわれはひたすら耳をすました。しか自衛隊のどこからも、「自らを否定する憲法を守れ」といふ屈辱的な命令に対する、男子の声はきこえては来なかつた。かくなる上は、自らの力を自覚して、国の論理の歪みを正すほかに道はないことがわかつてゐるのに、自衛隊は声を奪はれたカナリヤのやうに黙つたままだつた。

 われわれは悲しみ、怒り、つひには憤激した。諸官は任務を与へられなければ何もできぬといふ。しかし諸官に与へられる任務は、悲しいかな、最終的には日本からは来ないのだ。シヴィリアン・コントロール民主的軍隊の本姿である、といふ。しか英米シヴィリアン・コントロールは、軍政に関する財政上のコントロールである日本のやうに人事権まで奪はれて去勢され、変節常なき政治家に操られ、党利党略に利用されることではない。

 この上、政治家のうれしがらせに乗り、より深い自己欺瞞自己冒涜の道を歩まうとする自衛隊は魂が腐つたのか。武士の魂はどこへ行つたのだ。魂の死んだ巨大な武器庫になつて、どこへ行かうとするのか。繊維交渉に当つては自民党売国奴呼ばはりした繊維業者もあつたのに、国家百年の大計にかかはる核停條約は、あたかもかつての五・五・三の不平等條約の再現であることが明らかであるにもかかはらず、抗議して腹を切るジェネラル一人、自衛隊からは出なかつた。

 沖縄返還とは何か? 本土防衛責任とは何か? アメリカは真の日本自主的軍隊日本国土を守ることを喜ばないのは自明である。あと二年の内に自主性を回復せねば、左派のいふ如く、自衛隊永遠にアメリカ傭兵として終るであらう。

 われわれは四年待つた。最後一年は熱烈に待つた。もう待てぬ。自ら冒涜する者を待つわけには行かぬ。しかしあと三十分、最後の三十分待たう。共に起つて義のために共に死ぬのだ。日本日本の真姿に戻して、そこで死ぬのだ。生命尊重のみで、魂は死んでもよいのか。生命以上の価値なくして何の軍隊だ。今こそわれわれは生命尊重以上の価値所在諸君の目に見せてやる。それは自由でも民主々義でもない。日本だ。われわれの愛する歴史伝統の国、日本だ。これを骨抜きにしてしまつた憲法に体をぶつけて死ぬ奴はゐないのか。もしゐれば、今からでも共に起ち、共に死なう。われわれは至純の魂を持つ諸君が、一個の男子、真の武士として蘇へることを熱望するあまり、この挙に出たのである

  (三島森田事務所刊『「楯の会」のこと』より)

2022-10-07

anond:20221006014043

反戦活動家が、反投資を勧めない中途半端さが嫌い

軍政権は弾丸切手とかで富裕層出資させてた

敗戦で超格差社会が緩和されたかというと、貧困層餓死とか悲惨だったわけでさ

2022-03-21

anond:20220321144209

軍政軍令ってよくわからんけど分ける必要あるか?なんで軍政行政府軍令行政から切り離すんだ?

anond:20220321144400

平時国内行政まで軍隊やらせ意味ないだろ。国益に影響する紛争地とか国境問題が起こった時に軍令機関部隊を展開できるようにすればいいだけ。憲法改正範囲も小さくて済む。まあ軍政専門性いか防衛大臣は現役自衛官将官とかだけできるようにすればなおよし。

自衛隊軍政軍令

オランダ軍ベルギー軍がルワンダとかユーゴスラビア配備されてた時の状況を見る限り、どんなに現場に有能な司令官がいても政党派閥政治選挙世論コロコロ方針が変わる民主国家政府軍事力効率的指揮命令する能力があるとは思えない。

日本防衛省は人事とか装備、訓練などの軍政のみを担当するようにして、国会内閣裁判所から独立した権限を持つ参謀的な統合軍機関を創設した方が良いと思うのだが。

2022-02-20

[]大島パンパン

沖縄奄美大島差別の一環として奄美大島出身者の女性性風俗者という偏見からくる呼称

沖縄では奄美出身女性を見つければ「大島パンパン」と言いながら暴行するのが一般的だった。

戦後アメリカは、沖縄県と鹿児島県奄美群島を日本より分割し軍政下に置いた。このため両者の経済癒着し、本土との流通を閉ざされ経済疲弊した奄美群島の住民は、経済活動の中心地となった沖縄本島に職を求め移住するということが多くなった。しかし、奄美群島は沖縄県より早い1953年には日本に復帰し、それ以後、沖縄県が返還される1972年までの約20年間にわたり移住していた6万余人に及ぶ奄美群島出身者は、「在沖奄美人」と称されて社会的制約をうけることとなった。

参考リンク

https://ja.wikipedia.org/wiki/沖縄奄美差別

2022-01-27

anond:20220127183339

いいえ。だからそんなことは一言も言っていないのですよ。それ、どこで受信してきてるんですか?

いやナチ全体が福祉国家的で無かったら、慰安婦制度福祉国家に基づくものって発想どっからでてきたん?

兵士の性、兵士福利厚生について国家が丸抱えしようといつ発想は、間違いなく福祉国家的発想ですよ

って全然間違いなくないよ。綱紀粛正性病予防はどの軍隊も気を使ってて、慰安婦制度はその一形態しかないんだから

なるほど。そうすると、ドイツ日本慰安婦制度特殊性をどのように見ます

そこで全体主義と言われるとずっこけてしまますが。

勝手にずっこけてりゃいいけど別に全体主義でも説明できると思うよ。あるいは権威主義体制民主主義体制よりも統治者無謬性が求められるから、と説明してもいい。

もっと個別の話をするなら、日独両国は大規模な侵略を仕掛けてその統治長期間に及んだからだね。

そういう状況では兵士の不満が蓄積し、被支配民を見下すので乱暴狼藉が多くなる。一方軍上層部は民心離反を恐れるので兵士の性管理を始める動機ができる。

で、軍政下っていうのは緩やかな無政府状態からね。本国では法と体面を気にしてできない「軍による管理売春」ができてしまう。

日独慰安所があったのは基本的占領地だけ。朝鮮台湾から連れていかれた慰安婦はいても、朝鮮台湾慰安所はなかった。そこは占領地ではなく、一応法の支配が及ぶ場所からね。

もし福祉国家思想に基づいて慰安所作るなら、本国にあってもいいはずでしょ。

2021-10-30

anond:20211030134022

無用だし、契約先のうち3社がミャンマーからマスク仕入れてるのも問題がある。

軍政権と繋がってる可能性が高い。

2021-08-25

anond:20210824230756

いやいや、トランプ信者達に言わせれば、クーデターを起こして憲法を停止して軍政を敷けばすぐにできるそうだよ。トランプ信者達に言わせれば....

2021-05-17

anond:20210516202618

ではどうしろというのだ?

パレスチナイスラエル土地からユダヤ人を退去させてどこか別の場所にシン・イスラエルでも建国しろとでもいうのか?

お前が書いているような香港ウイグル、ミヤンマー問題イスラエル問題の相違点をお前は理解しているのか?

イスラエルパレスチナ問題本質的土地問題なんだ。

から簡単解決策がないんだ。

香港なら一国二制度に戻せばいいだけの話だし、

ヤンマーなら軍政を停止して選挙の結果にしたがった国会を開けばいい、

ウイグル弾圧真実であればその行為を止めさせること、

解決策になる。

 

ではパレスチナ問題解決策は何なのだ

俺にはわからない。

例えばイスラエルが大幅に譲歩した条件でパレスチナとの和平を模索した時期もあったが、ラビン首相暗殺という最悪の結果でもってその道が頓挫した経緯とか理解しているのか?お前は。

あいいわ。

とりあえず馬鹿の俺にも理解できるように簡単に教えてくれ。パレスチナ問題解決策を。

2021-04-22

anond:20210421114814

ありがとう元増田です。


一点疑問が。

運用でなんとかなる」っていうの、

解釈改憲」と紙一重というか、

そこの境目はどこにあるんだろう。

特措法での対応前例を積み重ねると、

憲法有名無実化が進むんじゃなかろうか。


あと、戒厳令とか行政権移譲憲法に仕込む必要は全くないと思うけど、

「疫病・災害国民生命財産が脅かされる時は、その保護のために国は国民自由一時的制限できる」

くらいはなら軍政根拠にはなりえなくないだろうか。


欧米など立憲民主主義国の諸外国では、

ロックダウンなんて私権制限も甚だしい手で感染拡大を抑え込もうとしてる。

イギリス変異株を抑え込むのに相当の強権を発動した。

これは軍事的有事に準じる根拠で行われてるんだろうなと想像するけど、

9条がある日本においてそれは無理。

なんとかならないものだろうか、というのが、

護憲派の皆さんに聞いてみたいなという動機の発端でした。

2021-04-11

[B! ミャンマー] ミャンマー 1日で市民82人死亡 軍や警察が激しい弾圧 | ミャンマー | NHKニュース https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20210411/k10012968041000.html

nil0303 あえて放置して状況悪化した状態で、中国が動いて(軍事的にか経済的にかは知らんが)軍側を鎮圧すれば中国ミャンマー英雄じゃない?

面白いが、それはほぼあり得ないだろう。

まず第一に、それを中国共産党が実行すれば中央アジアアフリカ独裁者との関係破綻する。

まり代償が大きすぎる。

第二に、ミャンマーの反クーデター市民からの対中感情がすでに悪化しており、そもそも歓迎される見込みが薄い。加えてミャンマー軍はまず間違いなくゲリラ戦抵抗するので泥沼化する。よってもし仮に開戦当初に市民から人民解放軍が歓迎されたとしても長期化に伴って対中感情悪化するだろう。それを避けるために国連軍主体とした場合は、中共の影響力増大にはつながらない。

まり見返りがない。

仮に中共が反軍政立場で介入を行うなら、ワ州連合軍(UWSA、少数民族ワ族を中心とする武装勢力中共の影響下にありケシ栽培資金調達していた。)に対する非公然の援助、といった形をとるのではなかろうか。ただこれも得るものはあまり多くなさそうである

  

逆に中共軍政側で参戦する可能性はある。

ちょうどロシアシリアで見せた動きが手本となるだろう。ただし、これを実行するためには軍政側が一旦劣勢になる必要がある。日本では軍制側は中共の強い影響下にあって一心同体だと見なされている節があるが、実際にはある程度の自主性を保つことを志向している。カギを握るのはカレン民族解放軍(KNLA)等の反政府勢力、つまり軍制も嫌いだがアウンサンスーチーも信用しておらず、独自軍事力を持っている人々だろう。彼らの「参戦」によって軍政側が劣勢に陥れば、中共は介入の口実を得る。「テロリストが正統政府を脅かしてるので介入するぞ」と。この場合も泥沼のゲリラ戦が予想されるが、全土を平定する必要はなく、港(あるいは可能なら港から国境までのルート)を抑えればよい。むしろミャンマーが平定されず、紛争状態であり続けることが、介入を正当化し持続する口実となる。

  

いずれの場合も、人民解放軍犠牲について遺族と国民に対する正当化ロジック必要となる。「ロヒンギャウイグルイスラームテロリスト連携している」といったプロパガンダが行われるのではなかろうか。もちろん、もし介入が実行されるならばそれは「義勇兵」とか「誠実な人々」などと呼ばれる集団によってなされるであろう。

2021-04-10

anond:20210410114121

人心を鎮撫して安寧秩序回復住民生命財産保障するの義務がある。嘗て日清戦役の際は戦局の進展に伴ひ、第一軍は先づ安東縣に民政廳を置き、次いで海域海域善後公署を置き、又營口民政署を置いて軍政を司らしめ。第二軍は金州城を陥るゝと同時に金州城行政廳を置き、次いで旅順行政署を置き、更に蓋平、復州、貔子窩に各行政署を起き金州城行政長官の式に属せしめた。日露戦役の際には樞要の地に軍政署を置き、軍政委員を任命した。後遼東守備軍の編成により遼東守備行政規則を發布して軍政委員統轄せしめ、租借地内にては殆んど全部の行政を擔當せしめ、租借地意外にては普通民政は清國官憲に擔當せしめ、軍政委員軍隊の便益を図り、傍ら地方官憲監督の任に當らしめた。後遼東守備復員により租借地には民政署を置き民政長官を任命した。

 戦闘部隊前進に随ひ占領地域は益々擴大さるゝが故に機關を設け軍政を司らしむる必要あるは明かなるも、前述の如く領土性質曖昧なるにより、其の権力行使必要以内に止め成るべく其の地方法規慣習を尊重して事に當り、又地方住民をして自治的の行動を採らしむるを要す。而して第三國人の關係に就き特に細心の注意を拂ひ、無益の國際問題惹起せざるべく努むべきである。(八月二十八日稿)

五六

北支事變と陸戦法規

外交時報 第八十四巻』昭和十二年、外交時報社、pp.47-56

北支事變と陸戦法規

篠田治策

 明治四十年(千九百七年)十月十八日海牙に於いて調印せられたる開戦に關する條約第一條によれば、一國が他國と戦争を開始するには理由を附したる開戦宣言形式又は條件付附開戦宣言を含む最後通牒形式を有する明瞭且つ事前の通告をなすことを要す。故に現在北支及び上海方面於いて進展しつゝある日支両國の戦闘は、理論上之を日支戦争又は日支戦役と称すべきものに非ずして、事變即ち北支事變、又は上海事變と称すべきものである。我が政府公文にも新聞紙報道にも総べて事變の文字を用ゆるは之れが為めであると思はる。換言すれば宣戦の布告を見るまでは、戦争又は戦役と呼ばずして軍に事變と称し、両國間の國交は断絶せざるのである。之れを先例に徴するも、明治二十七・八年の清國との戦、明治三十七・八年の露國との戦、世界大戦参加による青島攻撃戦等は、之れを日清戦争(戦役とも称す以下同じ)、日露戦争日独戦争と称し、明治三十三年の義和団事件、近年に於ける済南出兵上海出兵満州出兵等は、総べて之れを事變と称したのである

 此の招呼は従来何よりて定まりしか詳知せざれども、現今に於いては確然明白に区別せらるるは、政府公文或は法規等にも「戦時事變に際し」云々等の文字を用ゆるも明らかである。故に日支両國の何れかより

<四七>

宣戦の布告若くは條件附開戦宣告を含む最後通牒あるまでは、如何に大部隊の衝突あるも未だ事變の域を脱せずと謂ふべきである。猶ほ八月二十三ワシントン發の同盟通信によれば、アメリカ國務長官コーデル・ハル氏は、今回の北支事變に際しては終始冷静な態度を持し形成注視しつつあつたが、二十三日午後聲明を發し、日支両國政府に対し「戦争行為に訴へぬよう」要請した由である二十三日は我が陸軍部隊上海附近上陸を開始した日である。即ちハル長官現在の日支両軍の戦闘行為を以て、未だ戦争に非ずと見て居るのである。然れども、我が政府最初宣言したる事件不拡大の方針余儀なく抛棄したるのみならず在外艦隊司令長官支那船舶に対し沿岸封鎖を断行し、支那も亦縷々大部隊を動員して攻撃的態度を採りつゝあるにより、或は近き将来に於いて事變を変じて戦争となるべき可能性ありと信ずるのである

 我が國の國内法に於いては事變と戦争区別せざる場合多く、例へば出征軍人の給奥、恩給年限の加算、叙勲に關する法規など総べて事變と戦争を同一に取扱ふも、國際法上にては事變と戦争は大なる差別がある。

 即ち現在の事變が変じて戦争となれば、日支両國は所謂交戦國隣、共に戦争放棄を遵奉する義務を生じ、同時に中立國に対しても交戦國としての権利と義務を生じ、中立國は皆交戦國に対して中立義務負担するに至るのである。語を換へて言へば事の事變たる間は必ずしも國際法規に拘泥するの必要なきも、一旦戦争となれば戦場於いて総べて國際放棄を遵守すべき義務を生ずるのである。然れども事變中と雖も正義人道に立脚して行動し、敵兵に対し残虐なる取扱を為し、良民に対し無益の戦禍を蒙らしむるが如きは努めて之れを避くべきは言を待たずである。此の點に關しては、皇軍は我國教育の普及と伝統武士道精神により、毎に正々堂々たる行為を以て範を世界に示しつゝあるは欣快である。嘗て済南事變の際支那兵が邦人

<四八>

対する残虐視るに忍びざる殺戮行為、今回の通州に於ける邦人虐殺行為等天人共に許さゞる野蛮行為に対しても、敢て報復の挙に出づることなく、飽くまで正々堂々唯だ敵の戦闘力を挫折するに留めたのみである。故に皇軍には戦場於いて事變と戦争区別する必要はない。何れの場合にも武士道精神に則り行動するが故に、戦争違反問題を生ずることは殆んど無いのである

 従来我が陸軍戦場於いて戦時國際法適用の万全を期せんが為目に戦時國際法の顧問として日清戦争には故有賀長雄博士を、日露戦争には第一軍乃至第四軍に何れも二人づつの國際法学者従軍せしめたのである日清戦役後仏國の國際法学者にして同國大審院検事長たるアルチュール・デジャルダン氏は日本軍の行動を激賞し左の如くに曰つた。

東洋の僻隅に大事業を成就すべき一國あり、之れを日本とす。其の進歩は単に戦争の術に止まらず、戦時公法理想於いて欧州をして驚嘆せしむるものあり。國際法論は欧州於いても漸を以て進みたるものなるに、日本は一躍して此の論理を自得したり。是れ果して高尚なる正義を感得したるに因るか將た又利害を商算したるに因るかは別論に属すと雖も、其の之れを寛行するや極めて勇壮にして、恰も自國の能力覚知する心念の中より適宜に之れを節抑するの嗜好を自然に生じたるものの如し。是れ人類一般利益として祝す可き所なり。

又仏國の國際法学者ポールフォーシル氏も、當時日本軍の行動を評して左の如く曰つた。

此の戦役に於いて日本は敵の万國公法無視せるに拘はらず、自ら之れを尊敬したり。日本軍隊は至仁至愛の思想を體し、常に慈悲を以て捕虜支那人を待遇し、敵の病症者を見ては未だ全て救護を拒ま

<四九>

ざりき。日本は尚ほ未だ千八百六十八年十二月十一日の聖比得堡宣言に加盟せずと雖も、無用苦痛を醸すべき兵器使用することを避け、又敢て抵抗せざる住民の身體財産保護することに頗る注意を加へたり。日本は孰れの他の國民も未だ會て為さゞる所を為せり。其の仁愛主義を行ふに熱心なる、遂に不幸なる敵地住民租税を免じ、無代償にて之れを給養するに至れり。兵馬倥偬の間に於いても人命を重んずること極めて厚く、凡そ生霊を救助するの策は擧げて行はざる無し。見るべし日本軍の通過する所必ず衛生法を守らしむるの規則を布きたるを、云々。

日清戦役にては敵軍は全然國際法を守らざるが故に、我軍にても之れを守るの義務無かりしも、然も四十餘年前に完全に之れを守つて先進國を驚嘆せしめた。日露戦役當時は海牙の平和條約調印後なりしが故に、陸戦法規を守るべき義務ありしも、尚ほ宣戦の詔勅中にも「國際法の範囲内に於いて一切の手段を盡し違算なからしむることを期せよ」と宣せられ、参謀総長は訓令を發して戦規遵奉の趣旨を周知せしめ、更に前期の如く各軍司令部に國際法顧問を配属せしめた。戦役中特別任務を以て米國派遣せられた法学博士男爵金子太郎氏が歸朝の後國際法学会にて為したる演説中に左の要旨の一説がある。

米國人は事實の真相調査せず、動もすれば國際法違反を称するを以て之れに対する材料蒐集中、新聞紙上にて我が第一軍乃至第四軍に國際公法専攻の学者二名宛を配属し、陸戦の法規解釈其の適用参謀部に於いて國際法専攻の学士協議せしめ、公法違反を生ぜしめざることを發見せり。是に於いて各種の集会に於ける演説或は新聞記者との会見に於いて余は毎に「米國人は國際公法提唱日本政府の決心は露國は大國なり腕力於いては或は露國は日本に勝るならん、貴國人が露西亞の聲を聞き戦慄す

<五〇>

る程の大國なれば、日本も恐れざるに非ず、然し國家の危急存亡に代えられざれば全滅を賭して最後の一人まで戦ふにあり、而して此の戦争日本が國際法を破りしことあらば世界歴史汚名を遺すが故に假令戦に敗るるも國際法は遵奉する決心にて現に此の如く専門学者が各軍に配属せられあり、故に余は日本軍に國際法違反無きを保證す」と説明せるに、此の説は次第に傅播して後には日本同情者が各所にて演説等をなす時、日本軍が國際公法家を二名づつ従軍せしめたる事實を述ぶる毎に非常に喝采を博したり。又エールハーバード等の米國國際法大家と会見せる際彼等は各國共に今度日本が外國との戦争に國際法学者従軍性せしめたる如き前例なし、将来日本の新例に倣ふべきことにして、右は一進歩を陸戦の法規に與へたるものなりとして大いに称賛したり。之れ實に日本陸軍の今回の處置は文明國の真價を世界に示したるものと謂ふべし。云々。

 世界大戦の時は、青島攻撃軍に嘗て筆者と共に日露戦役当時第三軍に在勤したる兵藤氏従軍したるを聞きしも、其の職名を詳かにせず。又浦鹽派遣軍には主として外交官をもつ組織したる政務部を置いた。此の政務部は主として外交方面事務従事したるも、亦國際公法適用に關して其の権威たりしは勿論である(筆者も數ヶ月間此の政務部に派遣されて居つた。)

 過去に於ける皇軍の行動は實に右の如く最も鮮かであり、所謂花も實もある武士的行動であつた。斯かる傳統的名誉を有する行軍の行動は今回の事變に際しても決して差異あるべき筈は無い。理論上事變は國際戦争に非ざるの故を以て、節制無き行動に出づるが如きは想像だに及ばざるところである

 唯だ、陸戦法規適用に關し、茲に疑問の生ずるは領土性質である。假りに之れを中華民國

<五一>

領土なりとせば、國交断絶を来さず単に事變たる間は、未だ之れを敵國領土と称するを得ざるが故に、出征軍は如何なる程度に其の権力行使すべきか、又南京政府官吏は既に逃亡し、地方民衆自ら自治政権樹立したりとせば、國家として列國の承認無きも、戦闘地域を其の領土として取り扱ふべきか等の問題である

 宣戦の布告により事變が變じて日支戦争となりたる場合於いて北支一帯が依然として中華民國の領土なりとせば、問題は至つて簡単にして、我軍は之れを支配して軍政施行治安を維持するのみである。然れども事變として繼續中及び新政府領土となりし場合には、其の地域行使すべき軍の権力に多少の差異あるべきは明らかである

 日露戦役の際は戦闘地域性質を異にする三種類の領土があつた。即ち樺太の如き完全なる敵國領土遼東半島及び東清鐡道沿線附属地の如き敵國の租借地と、満州一帯の如き第三國の領土があつた。樺太に關しては完全に我が占領軍権力行使したるは勿論なるも、租借地に關しては租借権其物の性質すら学者間に議論一定せず、如何なる原則に基きて之れを占領すべきかは問題であつた。筆者は遼東半島上陸直ちに此の問題に直面し、又間も無く着手したるダルニー(大連)の整理に際して実際問題に逢着した(拙著日露戦役國際公法第二章三章)。又当時諸國は局外中立宣言したるも、遼東以東は之れを除外し日露両國の戦場たらしめるが故に、所謂喧實奪主の観ありて、交戦國は任意に此の地域活動したるも、其の権力講師には純然たる敵地占領とは自ら異なるものがあつた。

 今回の北支事變に於いても、其の交戦地域領土性質曖昧なるに於いては、日露戦役当時の先例を参

<五二>

考にして之れに善処し、然も恩威併行、皇風をして六合に洽からしむるの用意あるを要す。

 従来北支方面は日・満・支に微妙なる關係を有し、外交政治に極めて複雑なる舞臺であり、事變の原因も一部は其処に在つた。故に平和克復の後は雨降って地固まり、明朗なる新天地を現出して再び颱雨の發生地たること無からしめねばならぬ。従って陸戦法規適用に当たりても緩急宜しきを制し、傍ら戦後政治工作に關する其の地均しの役目を引受lくるを必要と考へられる。固より事變であり、戦争であるに拘らず、我が武士道の精神と殆んど一致する陸戦法規は完全に適用せらるゝは疑ひなきも、其の間事に輕重あり、絶大の権力を有する軍司令官禁止事項の外は自由裁量余地あるかは明かである

 陸戦法規の條項を北支事情と敵軍の素質に対照して一々之れを論究するは、紙面の許さゞるところなるにより、筆者が茲に希望するところを一言に表示すれば、過去の二大戦役にて、克く陸戦法規を遵守して皇軍名誉を輝かしたる如く、此の事變に於いてもこの點に注意を拂ひ、更に占領住民に対しては軍律を厳重にし軍政に寛仁にすべしと謂ふのである

 凡そ遣外軍隊は一地方を占據すると同時に、軍隊安全作戦動作の便益を図るが為めに、無限権力を有するが故に、軍司令官は其の占據地域内に軍律を發布して住民に遵由するところを知らしめ、軍隊安全作戦動作の便益を害する者には厳罰を以て之れに蒞み、同時に一般安寧秩序を保持し良民をして安んじて其の生業従事せしめねばならぬ。固より戦闘に關係なき事項は其の地従来の法規により、其の地方官吏をしてその政務に当たらしめ、以て安寧秩序回復維持瀬しむるを便宜とするも、事苟も軍隊の安危に關するものは最も厳重に之れを取締らざる可からず。假令ば一人の間諜は或は全軍の死命を制し得べく、一條の

<五三>

軍用電線の切断は為めに戦勝の機を逸せしめ得るのである。故に軍司令官は此等の危害を豫防する手段として、其の有する無限権力を以て此等の犯罪者厳罰に處し、以て一般を警めねばならぬ。故に豫め禁止事項と其の制裁とを規定したる軍律を一般公布し、占據地内の住民に之れを周知せしむる必要がある。日清戦役の際は大本営より「占領人民處分令」を發布して一般に之れを適用した。日露戦役の際は統一的の軍律を發布せず、唯だ満州総司令官は鐡道保護に關する告諭を發したるのみにて各軍の自由に任せた。故に各軍區々に亘り第一軍にては軍律の成案ありしも之れを發布せず、単に主義方針として参考にするに止め、第二軍には成案なく、第三軍にては確定案を作成したるもの司令部より統一的軍律の發布あるを待ち遂に之れを公布するの機を失し、遼東守備軍は第三軍の軍律を参照して軍律を制定發布したりしが、後遼東兵站監は之れを改正して公布した。旅順要塞司令部特に詳細なる規定を發布し、旅順海軍鎮守府別に軍律を發布し、第四軍にては一旦之れを發布したるも後に之れを中止し、その他韓國駐剳軍、及び樺太軍は各々軍律を發布した。

 軍律に規定すべき條項は其の地方の状況によりて必ずしも劃一なるを必要とせざるも、大凡を左の所為ありたるもの死刑に處すると原則とすべきである

一、間諜を為し及び之れを幇助したる者

二、通信交通機關を破壊したる者

三、兵器弾薬其他の軍需物件を掠奪破壊したる者

四、敵兵を誘導し、又は之れを蔵匿したる者

<五四>

五、我が軍軍人故意に迷導したる者

六、一定軍服又は徴章を着せず、又は公然武器を執らずして我軍に抗敵する者(假令ば便衣隊の如き者)

七、軍隊飲料水を汚毒し、又軍用井戸水道破壊したる者

八、我が軍軍馬殺傷したる者

九、俘虜を奪取し或は逃走せしめ若くは隠匿したる者

十、職場於いて死傷者病者の所持品を掠奪したる者

十一、彼我軍隊の遺棄したる兵器弾薬其他の軍需品を破壊し又横領したる者

 而して此等の犯罪者を處罰するには必ず軍事裁判に附して其の判決に依らざるべからず。何となれば、殺伐なる戦地於いては動もすれば人命を輕んじ、惹いて良民冤罪を蒙らしむることがあるが為めである。軍律の適用は峻厳なるを以て、一面にては特に誤判無きを期せねばならぬ。而して其の裁判機関は軍司令官臨時に任命する判士を以て組織する軍事法廷にて可なりである

 帝國政府が屢々聲明する如く、我國は決して北支侵略して我が領土なすが如き意圖を有せざるも、今回の事變によりて北平天津地方より支那軍隊駆逐し、現に事實上その地方を占據し、戦局の進展に伴日、占據地域を拡大しつゝある。而して此の地方住民自治政権樹立したるとするも、我軍の支援無くしては一日も安定し得ざるは明かである。故に如何なる外交辞令を用ゆと雖も、此の地方一時的にもせよ事實上我軍の占領である。勿論日支両軍衝突の一時的現象に止まり永久に之れを占領するの意思無きが故に此

<五五>

占領は九國條約に牴觸するものに非ずと信ずる。

 我軍が一時的なりとも北支地方占領したる以上は、我軍は其の地方の人心を鎮撫して Permalink | 記事への反応(1) | 11:41

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