はてなキーワード: 東北地方とは
・8世紀前半には北海道沿岸まで遠征
・その後は安倍氏による支配下で、中央政権から遠いので影響も及ばず半独立国家的統治。(※)
※東北地方が半ば独立していくという姿は、古代大和朝廷の中央集権国家の一角が崩れたことを意味し、これがモデルケースとなって日本は小さな国の集合体へと変貌していく。日本は明治維新まで、中央集権による統一国家とは言えない。(江戸時代も、あくまで連邦国家である)
→明治維新は政治体制的には「大昔の古代集権国家に再び日本を戻そうという復古運動」であり、決して新しい近代国家をつくろうという思想ではない
・長い間安倍家のもと安定していたが、1052年末法思想のあたりから政局が不安定化し、貴族の摂関政治の衰え、武士の台頭にあわせて朝廷に反発を始める(cf 939年 平将門の乱)
・1051年~ 前九年の役。源頼義および出羽清原氏により安倍家滅亡。出羽清原氏が奥羽の覇者に。
・1083年~ 後三年の役。清平家のお家争いで清衡が勝利し、奥州藤原家として奥州を統治することになる。
・1185年~ 奥州合戦。鎌倉幕府により奥州藤原家滅亡。東北を蝦夷と呼ぶ時代は終わり、このあとは安東氏による統治。安東氏は拠点を津軽に置き、奥羽と北海道南端の蝦夷地を支配する。北海道が蝦夷と呼ばれ始める。
・1325年~ 蝦夷大乱。お家争いが幕府への反乱につながるが和睦。
・14世紀後半~
・若狭出身の武士武田信広が、陸奥の守護南部氏・安東氏との争いを経由して北海道に上陸。
侵略され、搾取され、屈従し、たまりかねて反乱を起こしては弾圧される。
ひたすらこの5つの繰り返し。
それでも何とかアイヌ側の忍耐によりそれなりに共存してきたが我慢の限界!
・1591年 南部に大反乱。豊臣秀吉の命で徳川家康を総大将とする討伐軍。蠣崎家も参戦。
その間アイヌの生活水準も上昇し、集落もまとまるようになった。
各部族をまとめる大酋長も現れ、独立国家らしきものが5つもできた。
・100年あまりの日本人との交易を経て、アイヌの生活水準は向上したが
同時に自給自足でなくなり松前藩との交易がないと生きていけなくなった。
苦境に陥った松前藩は
アイヌはまたも敗北し、絶対服従を誓わされるが、理不尽な交易レートは引き下げられた。
松前商人は利益を追求してアイヌを低賃金でこきつかい、奴隷扱い。
・そのままアイヌの悲劇が黙殺されたままおよそ100年ほど経過。
・地引き網漁の発達により、肥料用の鰯が大量に取れるようになり、
・田沼意次の命で、幕府からの調査団が蝦夷地に踏み込んでくる。
将来が暗いニュースや、若者が辛い時代になると言う世論も多いけど、良く考えたら悪い時代では無いんじゃないかと考えた。日本のバブル時代や、バブル中の国と比較すれば、もちろん見劣るし夢も萎む。
日本はすでに人口オーナス(人口も減り、老人が増え働き手が減る)であり、成熟国に入っている。
人口ボーナスがあり、発展が途上の国と幸せのあり方を、一緒に考えてはいけないのでは。
ガンガン物を手に入れて幸せになる時代ではなく、持っている物を楽しむ時代であると感じる。
もちろんバンバン働いて、金や物も手に入れて幸せになることも正しい。
ただそれを、バブル期や発展途上国のように、絶対的な物差しとしてはいけないと考えた。
約2010年の日本人が普通(8割ぐらいの人は)に持っている物は、
・贅沢はできないが、安心で好きな食べ物やおいしい食べ物を入手できる環境
・ガードマンはいないけど、安心して外出でき夜中でも襲われることのない日常
・100%保証ではないけど、安心して通院できる医療制度や腕利きの病院
・費用負担はあるけど、十分使えるパソコンに、自由なインターネット環境
・住んでいる地区にもよるけど、お金をかけなくても楽しめる観光や旅行や遊ぶところ
・他にも、漫画、アニメ、映画、SNS、2ch、はてな、Amazon を嗜む環境etcetc
は大体の人が持っていて、無駄遣いしなければ月10万あれば、この暮らしができる
(例:家賃5万、デリカ250円×3=750×30=22500、ネット3000円、その他10000円、貯金10000円。かつかつで)
月10万なら、資格や能力が何も無くても、特殊な問題を抱えていなければ、ある程度
年齢が越えていても、コンビニ等の働き先は、いくらでもあるんじゃないかと。
さらに8割以上の人は、18万以上稼いでいますよね。
何も無い人が、簡単に月10万稼げる国は、世界でも少ないはずで、
いやいや、今の時代はつらいよ。原発、老人介護、医療、年金etcと、これから大変だよ。
患者150万人のうち15万人が死亡。
世界恐慌に加え、冷害・凶作、昭和三陸地震や津波が続き、身売り、欠食児童、行き倒れ、自殺などが激増して悲惨な状態
生活はどんどん制限
生活はどんどん制限
3500人死亡
約30万人が死亡
日本は300万人が死亡
今は戦争も日本ではないし、食べ物はあるし、病院もあるし、すごい良い時代だ。
人口ボーナスがあり、発展が途上の国の幸せのあり方だったと思う。
これは悪くない時代だったはず。
で僕らは、獲得する幸せは感じないけど、1950年代の人が、全力で手に入れた物を
僕達が今後いきる世界は、今あるものを十分に楽しんで生きれば良い。
つか、ネットがあると、それだけ十分楽しめるよねって話でした。
円ベースのスワップで韓国に行った円は結局の所、輸出入の決済で日本国内の企業に流れるので国内企業の保護という観点では、円ベースのスワップは必須です。
もし、韓国が円をドルに交換して決済する場合も、多少円安に振れますので、為替的にも良いんじゃないでしょうか?
震災で工場吹っ飛んだ東北地方が復旧しかけているところなのに、韓国のデフォルトで輸出分踏み倒されたら最悪ですしね。
協定が守られなかったら、韓国の信用が無くなるため、どの国ともスワップ協定ができなくなります。
海外との決済が凍結され、IMF主導で資金投入と再建が図られます。
そして、決済の凍結が解除された時点でスワップの決済が再開されるので、しばらくウォンが塩漬けになるだけですよ。
直接空からばら撒けばいいでしょうか?
実の所、復興をどう進めるかというのは政府の独断では難しく、かといって下手すると利権の衝突などによりクリーンではなくなったりします。
そういえば、医師であると詐称して、補助金を荒稼ぎしていた方が捕まったりしていましたね。
回りまわって工業に資金が順調に流れるようにするのも復興と言ってしまえば復興であり、会議が踊り何も進まない現状よりは良い流れではないでしょうか?
http://anond.hatelabo.jp/20110923022733
最近はもう何とも思わなくなったけど。
彼ら必死にならざる得ないだろうに
がんばれ!なんて他人事っぽいなーと思った。
東北地方に旅行したこと無かったり、身内や知り合いが居たりしないなら、
阪神淡路大震災の報道を聞いて胸が痛んだかというと、別にそんなでもなかった(と他の人からも聞く)。
そのあと1年後くらいに神戸へ行く機会があって、
ひどかったことは容易に察した。
その後、現地での話(高速道路のバスとか、長田地区の共助とか)を聞くにつれ
やっと惨状や現地の尽力などを頭の中に描けるようになった。
公に口にできないことだけど
遠いところの大災害よりも、自分の家のペットの病気のほうがはるかに心配になるのは
人間の性だもんね。
まずは、身内や近所や知り合いからでも気を配ることが初めだと思う。
そういえば、マザーテレサも似たようなことを言っていたな。
多くの人が知っているように、浜岡原子力発電所は東海地震の震源域のど真ん中にあり、反原発派から「世界一危険な原発」と言われている。
俺も浜岡原発は止めるべきだと思っているけど、浜岡原発の危険性については俺はここでは書かない。
分からない奴はググれ。その方が手っ取り早い。
ここでは、中部電力における浜岡原発以外の危険性について話す。まずはこれを見てくれ。
Wikipediaの記事中にある、中部電力の火力発電所の全てだ。
これを見れば、理由は一目瞭然だ。
東海地震で津波が来て、これらの発電所がやられたら、例え浜岡が事故を起こさなくともアウトだ。
発電所の一極集中は危険だ。関西電力も日本海側には舞鶴にしか火力発電所はない。
東海、東南海、南海が連動したら、最悪、黒部ダムとかしか動かなくなる。
北海道電力、東北電力は太平洋側と日本海側に分散しているが、東北電力は送電線が宮城県の1か所の変電所に集中しているため、
その変電所が被災したことにより、東日本大震災の本震と4月7日の余震で東北地方のほぼ全域が停電になった。リスクの分散が十分とはいえない。
http://anond.hatelabo.jp/20110424094445
「高齢者のみなさん,かわいそう・・・」
高齢者の占める割合がわずか6割っていうのは
少なすぎるくらいだろ(阪神大震災の時もそれくらいだったし)
なぜかというと,
その日本の中の老人比率の高い東北地方の震災でわずか6割だぜ?少なすぎだろ。
俺からすれば,
こっちの方が大問題だわ。
若いんだから避難していれば生き延びれたかもしれないのに・・・。
ここで,話をいったん整理するぜ。
●高齢者が死亡者全体のたった6割。 → 復興の足手まとい,お荷物にしかならない老人どもが生き延びすぎ。
●対照的に,青年が死亡者全体の4割。 → 生きていれば復興の役に立ったであろう,未来ある青年が死にすぎ。
老人はぜんぜん死んでいない。
青年が死にすぎだわ・・・可哀想に・・・。
原発問題。
短期的には問題が無い→それならば長期的には?
マスコミが30キロ圏内に入り取材→いやーこれくらいの数値なら問題ないですよー→なら長期的には?
関東地方に放射物はどの程度飛散している?→ほわっと?放射物?放射能?
科学的?物理的?には証明されていないことなのかもしれないが、「長期的にはどうなる?」と誰も説明しない。
問題なければそれでいい。今、公表されている数値が正しいものならばそれでいい。
ならば、長期的には?
誰もがもうわかっていることなんじゃないの?長期的スパンでみれば今のところ数パーセントの割合かもしれないが何がしかの影響があるってことに。
誰もがもうわかっていることなんじゃないの?酷なことだが、福島県の原発周辺地域はもう駄目だってことに。
各産業に大打撃。時間が経てば復旧していくかもしれない。いや、復旧していくだろう。何も無くなってしまったところからまた這い上がっていくのだから。
今までの水準に戻ることを前提として考えれば、かなりの年月がかかるんじゃないだろうか?
製造業はまだいい。部品を作る材料をなんとか手に入れればなんとかなるだろう。
けれど、農林水産業はそうもいかないのではないか?漁業は猟師最強とはいえ…農業にいたっては…
原発と津波と地震の被害は(原発は人災の部分も大きいと思うが)産業構造をぶち壊してしまったと思う。
取引先の企業が大丈夫であったとしても、他の産業との繋がりで(たとえば製造業と取引をしていれば部品が揃わないと製品が製造できない→売るものが無い。この逆もしかい)自分達の企業にも影響が出てくるだろう。
いや、企業活動だけではなくて日常生活においても同じことが言えるのではないか?
徐々に物流も元に戻りつつあるかもしれないが、やはり売るものがなければ店頭に商品が並ぶことも無い。
都内のコンビニですらほとんどものが無かったという事実。最近は戻りつつあるが…
また、これらの影響で「災害対策用品全般・医薬品」が売り切れていることが多くなった。(ネットを中心に)
ここでも「ものが入ってこない」影響が出ていると思う。
こうしたことに危機意識を持たずにいる 関東地方の50代・60代の人間が信じられない。
どうせ都合が悪くなったら他人のせいやお上のせいにするくせして。
どうせ自分に都合が悪くなったらだんまりを決め込んで、揚げ足をとることしか考えないくせして。
どうせいの一番に逃げ出すくせして。
でもことここにいたるまで今回の災害に関して被災していない人達が対岸の火事として考えているやつが多すぎると思う。
まず、このたびの地震では被害は遭われたすべての方にお見舞いを申し上げます。
この3年ほど、東北地方には特別の共感を感じておりましたので、わたしにとってもたいへん重苦しい思いです。
今回の震災の被害の大きさは言うまでもなく、ここで繰り返す愚をおかす気にもなれません。
先日、天皇のビデオレターを見ていると、国民ひとりひとりが痛みを分かち合い・・との趣旨のことを言っていました。
もともと寄付を考えていたのですが、この言葉を聞きまして、実際に痛みを感じるくらいのレベルで寄付しようと思いなおしました。
そのようなわけで私は、給料の数か月分を寄付することにしました。(正直、100万円を超えます。)
この額は、自分にとって今の生活水準を大きく変える程度には「痛い」ものです。しかし、この「痛み」は、丸ごと被災地の復興へと生まれ変わります。被災地の痛みをわが身へと移すことで、具体的に痛みの分かち合いを実行できると考えました。
今回、寄付を考えている方は多いと思います。もう実行した方もいらっしゃるでしょう。しかし、ぜひ、ご家族と話し合い、納得が得られましたら、「痛み」をともなう額を寄付してはいかがでしょうか。お金のかたちではなくとも、現地へ出向いての支援等でもよいのではないかと思います。形式ではなく、東日本の痛みをシェアするのかしないのか、だと思っています。
痛みを分かち合うみなさまの賛同をお待ちしています。。
少し前まで、日々震災情報や原発情報を読んでは鬱々としていました。特に原発関連はつい気になってしまい必要以上に情報を追ってしまった感があります。東北地方では何万人も亡くなっているというのに、原発や電力の話ばかりに気を取られている己の卑小さに、ただ恥じ入るばかりです。そろそろ気持ちの整理をつけて自分の胸中に溜め込んだモヤモヤを成仏させるために駄文を書き連ねることにしました。
***
放射性物質について。
放射性物質が汚染したものは何だったのでしょうか。今後の影響も考えると、物理的な汚染もさることながら風評被害の問題のほうが大きいような印象さえ抱いています。
少し観念的な話なのですが・・・。人は主観的な世界に生きており、その外に出ることは出来ません。真に客観的な世界などというのは存在しないのです。「私」が住んでいる世界は「私」の脳によって理解されているのですから、「私」の外の世界は実は「私」の脳の中に入っているのです。「私」と「あなた」は別の世界に住んでいます。
放射性物質が汚染したのは空気や水や土壌だけではありません。むしろ、人の脳に形成された主観的な世界を汚染したと感じています。呪いや憑き物と同じです。放射性物質は「情報」を媒介して飛散し、人の脳に入り込んだのです。そういう意味で、「放射能」というよりも「放射脳」と呼ぶべきかもしれません。
卑近な例えで適切か分かりませんが、放射能はゴキブリみたいなものではないでしょうか。たいていの人はゴキブリに対して大なり小なり嫌悪感を抱いています。実害以上の嫌悪感を抱いているように思います。そういう嫌悪感に対して、「ゴキブリが発見された状況から推察して今夜の夕飯に使う食材を這い回った可能性は0.1%以下である」という専門家の意見が嫌悪感解消に役立つものでしょうか。ゴキブリが生理的に受け付けない人はこう言うでしょう。「そういう問題じゃない」と。
ゴキブリが出たレストランは評判が落ちるでしょう。例えゴキブリが食材の上を這いまわったわけではないと説明されても、もう二度と行きたくないと思う人は一定数いるでしょう。それを風評被害と呼ぶ人はいない気がします。
放射能がゴキブリのような嫌悪感を抱かせるものであるということは、事実として受け入れるしかありません。ゴキブリを必要以上に嫌悪するヤツは馬鹿だと罵ったところでレストランに客は戻ってこないと思うのです。こういった人々の嫌悪感というものを事実としてまず受け入れるところから、いわゆる「風評被害」対策の第一歩が始まるのかもしれません。・・・と思ったところで具体策など思いつくはずもなく、ただただ心を痛めるしかできない自分に無力感を感じます。
***
「安心」や「信頼」について。
原発に対して安心していることと信頼することは全く異なる心理状態だと私は思います。安心とは、そもそも危険性に対して無関心であるということです。安全なのか危険なのか考えてもいない状態です。対して信頼するということは、危険性に対する情報を咀嚼した上で大丈夫であると判断する積極的な行為です。つまり、人の抱く心理状態は次の3つに分類されるのではないでしょうか:1.安心している、2.不安だが信頼している、3.不安でかつ不信感も抱いている。
もう私たちは安心することは出来なくなりました。つまり原発の危険性に対して無関心でいることは出来なくなりました。国や電力会社は逆立ちしたって市民を安心させることはもう出来ません。どんなに頑張ったところで、不安は拭えないが信頼してもらう、という状態を目指すことしか出来ません。
しかし、しばしば「不安を煽る」情報を隠蔽することによって市民を「安心させ」ようとする動きが見受けられます。これは悪手であると私は思います。安心するどころか、信頼を失う一方だと考えます。情報隠蔽は不信を煽ります。
原発の近くに住まう全ての住民は不安であり、かつ不信感を抱いていることと思います。しかし、原発を巡る議論がどんな結論に行き着くにせよ、今日本中で稼動している原発を即時運転停止することは非現実的だと思います。せめて信頼を回復するような真摯な動きが出てくることを祈ります。
***
原発というのは、なんだか妖しい魅力を備えているような気がします。
原発は「科学技術」の結晶というイメージがあるように思います。私は科学と技術はまるで異なるものだと思っていますから、これを合成した科学技術という言葉も実に変だと思います。しかし何故だか、原発に対するイメージは「科学技術」という変な言葉の持つイメージとダブるのです。
原発が利用している核反応は、サイエンスとしてはとうの昔に終わった分野であろうと思います。私には物理学の知識はありませんから実際どうなのか知りませんが、実際に現象が発電所に応用される段階まで来ているわけですから既にエンジニアリングのフェーズに入っているわけで、サイエンスとしては既に終わっているのだろうと予想しています。しかしながら核反応というのは日常生活で触れる現象ではないだけに、サイエンスの側面から関心を抱く人が一定数いると見受けられます。
しかし原発は間違いなくエンジニアリングの観点で検証されるべきものです。例えば以前もんじゅが起こした事故では、冷却管に突き出した温度計が疲労破壊で破損しました。これを聞いて工学部を出た者なら誰もが思い当たるのがカルマン渦です。しかし、カルマン渦なら流れの方向に対して垂直な方向に振動するはずですが、疲労破壊の破断面の観察からは流れと同じ方向に振動していたことが指摘されています。そして、流体力学の観点からもレイノルズ数など特定の条件下では縦方向に振動する場合があることが分かっています。(←記憶があやふやで自信がありませんが、ググッたら同様の内容が見つかったので多分間違ってないと思います。)つまりこの事故は、材料力学と振動工学と流体力学の3つが関係した容易ならざる現象であったことになります。このようにエンジニアリングの問題とは複数の分野が高度に絡み合ったものとなります。
エンジニアリングでは、こういった問題をひとつひとつ潰していく地道な努力が求められます。科学的に見て原理的に可能だから出来るというものではありません。タコマ橋やコメットの連続墜落事故などの事例からも分かるように、数々の失敗を繰り返さないと設計というのは成熟しないのだと思います。非破壊検査なども必要でしょうし、地味で泥臭くて厄介なエンジニアリング上の問題というのは必ずあるものと予想しています。
にもかかわらず、経済や金融の人が原理となるサイエンスを少しかじっただけで専門家であるような言動を繰り返していることに、違和感を感じずにはいられません。原子力発電というのは、どうも科学的な原理を理解しただけで全体を理解したような錯覚に陥る、妖しい魅力があるのかもしれません。その妖しい魅力が国家予算も惹きつけてきたのではないかと邪推もしてしまいます。なんとも不思議に私には感じられます。
***
「人災」について。
東京電力や保安院には苛立ちを感じていました。ふと気づいたのですが、あれは「私」の姿だったのかもしれません。私は彼らの会見を通じて私自身を見せられ、苛立っていたのかもしれません。そんな思いが頭をよぎりました。
彼らは発電所やそこで起きている「事象」についてよく理解しているようには見えませんでした。突然の事故に慌てふためき、パニックになり、右往左往して要領を得ない報告を繰り返していました。危機対応の訓練や準備が出来ていたようには到底思えません。どうせ事故は起きないだろうとタカをくくっていたことが透けて見えます。
そして、それはそのまま私自身に跳ね返ってくるのです。私は原子力発電について何も知りませんでした。朧気ながら東京はリスクを地方に押し付けているらしいとは知っていましたが、結局のところ電気なんてスイッチを入れれば点くものという程度の認識しかありませんでした。事故が起こって初めて実態を知り、事の深刻さに絶句し、国や東電を罵ることで自身の罪を免れようと必死なのです。
彼らはごく普通の人間だと思います。平均的な人間と比べて著しく能力が劣る人たちではありません。著しく欲深い人間でも、著しく悪い人間でもないように思います。陰謀論のような話で総括しようとすると、問題の焦点を掴み損ねるような気がしています。むしろ、ごく普通の、ごく平均的に善良でごく平均的に俗悪な人達が引き起こした結果であるように思います。
今問われているのは、原発の「技術」ではないように思います。原発の「運用」であり、それを担う人間です。原発の設計が問題なのではないのです。原発を運用する人間組織の設計が問題だと思うのです。
原発は技術的に安全だから安全、という主張はあまりにも人間というものを知らなすぎると思います。私が生きてきたたかだか三十数年の間にも、技術的に安全なものが幾つも事故を起こしてきました。電車、エレベータ、回転扉、ジェットコースター、と枚挙に暇がありません。そのたびにマスコミが組織の腐敗を暴き立て、私たち市民はそれを糾弾して溜飲を下げ、そして忘れていきました。これと同じことが東京電力や原発問題でも繰り返されるのでしょうか。それとも今度こそ私たちは歴史に学ぶことが出来るのでしょうか。
地震や津波は天災だが原発事故は人災だ、という意見をあちこちで見ました。確かにそうかもしれません。しかし人災だからといって犯人探しをして糾弾して終わりでは、同じ過ちを繰り返すことになるでしょう。責任者個人の人格や属性に原因を求めると今後の対応を誤ります。地球を裁判にかけても地震は無くならないように、責任者個人を糾弾したところで今後の人災防止にはつながらないと思うのです。それよりも人間という生き物の行動パターンや組織の力学などを冷静に分析し、この再発を防ぐような運用体制を設計するべきではないでしょうか。
例えば、原子炉は仮に圧力容器が破損したとしても格納容器で放射性物質の漏洩を防ぐという設計になっていました。運営組織も同様に考えて、電力会社の運営が機能不全に陥った場合に備えて、有事の際には別の組織が指揮系統を引き継ぐような仕組みを予め用意しておく案はどうでしょうか。そもそも平常業務と危機対応では求められるスキルが全く異なるように思えますので、有事の際に別の指揮系統を用意しておくのが合理的に感じます。
また、電力会社は民間企業で営利団体ですから、安全対策にコストを掛けることにインセンティブが働きにくいという問題があります。ですので、電気代の一部(数%?)を「原発管理費」のような項目で積み立てるという案はどうでしょうか。マンションの管理費と似たような扱いです。地域住民もその管理費の用途の決定に参加できる仕組みとし、使途明細は公表を義務付ける必要があります。
情報開示の点では、モニタリングポストやそれに準ずる測定器をもっと設置するべきと思いました。情報の透明性を確保するためにモニタリングポストは電力会社とは別の団体(例えば地域住民が構成する団体)で管理されるものとし、常に現在の測定値をリアルタイムでウェブに掲載するような仕組みが必要なのではないでしょうか。
原子力安全・保安院が経産省の管轄にあることも疑問です。経済と産業の発展を目的とする経産省は、安全を監視する役割にはそぐわないように思います。そもそも原発を推進している経産省が安全管理も行うというのは、アクセルとブレーキを同じ組織がやっていることになるわけで、無理があるように思えます。例えば災害対策を専門に扱う省庁を一つ設けて、そこが原子力の安全性を監視するのはどうでしょうか。災害時は各省庁に横断的な指揮系統が求められますから、そういった役割を果たす省庁があるほうが危機管理もスムーズではないかと思います。
以上は所詮ド素人の浅知恵に過ぎません。プロが見れば馬鹿馬鹿しいと一笑に付すような考えかもしれません。あるいは、とうの昔に指摘されていることなのかもしれません。とにかく私が思うのは、今後の議論を技術的な設計に終始するのではなく、あるいは原発賛成と反対で二極に分かれて不毛な争いを繰り返すのではなく、こういった運営体制も大いに議論し改善していく必要があるのではないかということです。原発の推進派と反対派がいたずらに衝突し疲弊するのではなく、こういった建設的な議論が行われていくことを切に願っています。
今回の福島原子力発電所の事故を受けて、「(今回の地震と同規模の)地震の際に安全を担保できない原子力発電所は遅かれ早かれ廃止されるべきだ」という意見が増えている。
じゃ、「(今回の地震と同規模の)津波の際に安全を担保できない堤防は遅かれ早かれ補強工事されるべきだ」って意見はなぜでないのだろう?
個人的には、今回の災害は1000年に一度程度の極めて稀な災害なようだから、これを基準に今後の安全指針にしてはいけないと思う。今回の地震に耐えられるようなインフラを構築するのに、いったいどれくらいのコストがかかるのか想像もつかないからだ。
多くの人はそれも暗黙のうちにわかっているから、堤防工事の大々的実施を口にしていないのだろう。そんな堤防を作ってしまえば自然環境も取り返しがつかないほどに破壊されるだろうしね。
だが、原子力発電所は「なくしてしまえばいい」といわれる。人が死んでいる堤防の能力不足はさほど大きく取り上げられないのに、まだ死人が出ていない原子力発電所の放射能漏れを糾弾する声ばかりが聞こえてくる。
亡くなられた東北地方の方々より、数十年後に自分や家族ががんにかかる可能性がほんのわずかにあがる「かもしれない」ことのほうが大事なら何も言わないけれど。少なくとも喫煙者にそれを言う資格はないよ。俺は喫煙者だからそんなことは言えない。
関東各県の浄水場から放射線物質が検出されている。「水道水に毒が混じる」という、とんでもない事態だ。
わが国ニッポンは、水と安全が無料で買える国として世界中で名高い先進国である。その、世界のリーダーたる国がいまや放射能を撒き散らし、野菜や牛乳のみならず水までもが汚染しはじめている。
「ただちに人体に影響の出るレベルではない」政府はそう繰り返す。それはもしかしたら、科学的には、精確な情報なのかもしれない。だが、そういう問題ではなく、この国は今後、形を変えてゆくことになるに違いない。
極端なたとえ話をしよう。
仙台出身で気仙沼で被災し、今後、復興のシンボルキャラクターになっていくであろうサンドウィッチマンというタレントがいる。向こう10年、東北地方の営業だけで莫大な収入を得るであろう、前途有望な芸能人だ。その片方、たとえば伊達ちゃんが(こんな例に出して本当に申し訳ないが)、来月、放射能とはまったく関係なく急性白血病に倒れたとする。可能性としてはゼロではない話だ。
もし震災がなければ、まったく気の毒だ。悲運のM-1王者だ。と国民の同情を集めるだけだったが、いまの状況でそんなことになれば国民はパニックを引き起こすだろう。震災直後の買占め、東京脱出で、民衆というものは情報を理解して処理するより先に、自分の身の安全を図る性質があることは証明されている。
伊達ちゃんがそういうことになれば、きっと誰かが「放射能の影響だ」と言い出す。今回の事態はそうした説に、一定以上の説得力を与えてしまうことになる。民衆はすぐに「震災」と「放射能汚染」と「白血病」をイメージとして結び付けて、「やっぱり関東は危ない」と叫びだすだろう。海外メディアも敏感に反応するだろう。
社会の秩序は、そこに住む人々の常識によって支えられている。法律や規制は、それを補完しているに過ぎない。
その常識が、今回の件で綻んでしまった。政府や医師や相方の富澤がいくら「伊達ちゃんの白血病は放射能とは関係ない」と言っても、「そうだよね」と納得するより「あいつらは隠している」と訝しがる声の方が大きくなるだろう。「水俣病だって薬害エイズだってアスベストだって、政府は『人体にさほど影響はない』と言ったじゃないか」と。そうなれば、正確な知識や情報は何の役にも立たなくなる。
そこまで極端ではなくとも、きっと誰かが今後、東北や関東で白血病の人を探し出しては「やっぱり放射能の影響じゃないか!」と言い出すに違いない。今までもそういう人はいたのだ。敦賀や柏崎や福島の原発の周辺住民に病人が出るたびに「漏れてるじゃないか今すぐ原発を閉鎖しろ」と言い出す人はいたのだ。それでも国民は「そんなに危なくないでしょ、原発って基本的には安全でしょ」と、そうした人たちの言説をトンデモやカルトとして無視してきたのだ。
うちは震源から遠い神奈川県民で被害もほぼゼロ、強いて言えばお店での買い物に個数制限が出来てしまったのが少し不便なぐらいで、
パソコンをしながらテレビを見て「原発の話ばっかり飽きたなー」と鼻をほじる余裕があるくらい、何不自由ない日常生活を送れている。
そんな大地震の影響で、テレビ CM は AC のものばかり。
子宮頸がんと乳がんの CM。(関係ないけど子宮頸がんって女性の二人に一人はなるんだけど多くの人は発症しないで済むものなんだとか)
オシムが出てる脳卒中の CM。(男に子宮はないから男がなりやすい脳卒中の啓発ってことなのかな)
子どもに手当てを、の CM。(セリフの順番覚えてしまった。お花作ったの、え、何、幼稚園でお花作ったの、キャーおててー……)
極めつけはポポポポ~ン。(これに至ってはドラッグ、ダメ、ゼッタイ。にしか見えない)
AC の CM がバンバン流れるようになってから2、3日は「しつこいなー」とイラつく程度だったんだけど、ここ2、3日はどうも俺の様子がおかしい。
何というか、情緒不安定というか、CM を見ると悲しくなって、胸がキリキリと痛む。
男だけど子宮頸がんか何かにでもなったんじゃないかと不安になって、同様の症状がないか家族や友達にも少し聞いてみたら、けっこう多くの人が同じ感覚になっているらしい。
「なんか元気が出ない」「(震災の影響もあるのかもしれないけど) どことなく生活に閉鎖感がある」「AC の CM を見ると涙が溢れそうになる」などなど。
中でも、「悲しくなる」症状は多くの人の間で共通している。
この悲しさを例えるなら、道端にいるサンドイッチマンやティッシュ配りの人を見て、「皆からティッシュ無視されて、誰からも相手にされてないのに、あの人はめげずに頑張っているなぁ…」と思うときの感覚に近い。
もしくは、電車の中で疲れた顔をしたハゲの中年サラリーマンを見て「家族のためにヘトヘトになるまで働いてるんだろうなぁ…でも家では娘にハゲキモイとか言われて報われてないのかもなぁ…」と悲しく思うときに近い。
そしてそこから「そういえば俺も両親に面倒臭がってそっけなくしたりして、ロクに親孝行もしないで迷惑かけてるなぁ…今日帰ったら、せめて優しく話しかけよう…」と切なく思うときの感覚にも似ている。
CM を見ているときに感じるのも、これらに似た、悲しさ、切なさと同時に、わずかに愛おしさも含まれた、妙な感覚である。懐かしさにも近いものがあるかも。
CM の中でも特にその悲しさを感じるのがポポポポ~ンの CM で、あの「無難に子供ウケしそうなキャラクター」が笑顔で出てくる感じ、
キャラクターたちがランラランとスキップしているようなカットの「死後の世界っぽい」「この世とは思えない」「無機質な」感じ、
動物を使ったキャッチーな歌、そして長いバージョンで「おはよう」の部分だけやたら優しく歌う感じ、
それら全てが、最初はしつこさでイライラしていたのに、最近はなんだか切なく感じてしまい、
胸が (正確には喉から胃にかけての食道あたりが) キュ~ッとなるような悲しい感覚になる。
悲しくなる理由については、俺個人的には
「子どもたちに挨拶のことを伝えるために、可愛らしいアニメキャラクターを使った CM にしよう!」と考えた企画者たちが、
それなりに汗水流して大変な思いをして作り上げたあの CM を「しつこい」「ウザイ」と酷評されてしまっているという事実を思うと
その企画者たちとこの作品のことを思って悲しくなる、という、先ほどの例えに近い悲しさがあるが、どうもそれだけの感覚ではないようだ。
また、「遊ぼうっていうとでっていう」の BGM に流れる寂しげなピアノと、「思いやりは見える」で流れる儚げなヴァイオリンの音、
そしてそれらの CM のナレーションの口調、声の音程などからも、同じような悲しい感覚が起こる。
基本的に CM の内容が明るいものではないので、全体の雰囲気が楽しげにはならないことは分かるんだけど、
この CM のしつこさのせいか、はたまた何かサブリミナルメッセージでも刻まれているのか、
意図しない部分・要素で悲しい気持ちを引き起こしてしまっている。
別に無理にこの感覚を共有して欲しいわけでもないし、どう言って欲しいとかも思ってないし、
AC に対して文句を言うのは筋違いなのも分かってるのでそもそも何が言いたいのか分からないんだけど、
どうもなんか悲しくなって、情緒不安定になっているのある。はやく AC の CM が減りますように…。
追記:(実は匿名ダイアリーの投稿初めてで使い方よく分かってないので、追記でちょっと書かせてもらいます)
「しつこいと嫌だよね」
確かに、「バイバーイ」って幼稚園の子供がやるリサイクルの CM は頻度が少ないからか嫌な感じはしてないなぁ (ロリコンではありません)。オシムと子宮頸がんはまだ自分も「イライラ」レベル。思いやりとポポポポーンは完全にもうダメだ…。
寂しくなるというか、悲しくなるというか、という感覚については、サザエさん症候群で感じる不安感に近いことにも気付いた。学生生活のことや将来の就職に関する不安など、人並みな不安はあるものの、これといって深刻な悩みもないのに、何らかの不安に駆られて落ち着かなくなる感覚。
「CMになったら、テレビ消すとか チャンネル変えるとか。そういうスキルを身につけたほうがいいんじゃない?」
「見かけたらチャンネルを変える」という手間は現実的じゃない。あなたが実際に毎回そうしてるのだったら大変几帳面な人なんだなとは思うけど。
それと俺の場合、この症状は CM を見るたびに感じて、1分後には元通りになる、といったものではなくて、たとえ CM になってチャンネルを変えて見ずに済んだとしても、その CM がやっているという事実だけでも同じ症状を引き起こすことを、さっき発見した。CM を見ること自体を回避しても、あの CM を回避した、という経験が積み重なると、同じように不安感も蓄積されていく感じなんだよね。
だからどうしろとかそういうつもりはないし、この感覚が分からなかったらそれで別にいいんだけど、この泣きそうになる気持ちをどこかに吐かずにはいられなかったので、友人、家族、そして匿名ダイアリーに吐き出してみた次第です。
最近、地震関連の記者会見をそのまま放送してちょっと解説くらいの報道ばかりですね。とくにテレビ。専門家を呼ぶのであれば、現在の状況や過去のことだけでなく、今後(未来)の見通しを報道して安心させて欲しいと思ってます。どうも増田です。
私は愛知に住んでいるので、幸いにも地震の影響はほんどんど受けていません。東北地方の震災被害にあわれた方々の一刻も早い救出と、震災被害地区の再建を心から応援しています。
さてさて、ニュースでは悲惨な光景ばかりが報道されていて、特に私の彼女が不安になっています。例えば、
しかし、私は「まだそんなに心配しなくても良いよ」という雰囲気で受け答えていました。そしたら彼女は「そういう楽観的でいる人で亡くなった人もいるんだから、ちゃんと心配してよ!!」と言い、かなり怒ってしまいました。最後には「私、こんな人と一緒でいいのかな、」とまで言われてしまいました。確かに、彼女がすごく不安になっていたのに、適当な受け答えをしてしまったのは悪いと思いますし、反省もしています。彼女は、一緒に不安な気持ちを解消したかったのに、私はそういう気持ちになってあげられなかったので。それに、例え地震に備えても、「備えあれば憂いなし」ということもありますし。
しかし、過剰に不安を感じる必要なんてないし、こういう時こそ冷静になるのが大事だ、とも思っています。だから、私たちが住む愛知県では今まで通りに生活しつつも、もし災害があればどうしたら良いのか、ということを改めて確認しておく程度の心の持ちようで十分だと思っています。しかし、「今、東北地方や信越地方で起こっている地震が、東南海地震につながることはない」ということは悪魔の証明みたいなもの。専門的な知識を基にすれば確率的には答えはでるかもしれませんが、証明することなんて出来ません。
つまり、実際にはそれほど心配するほどのことでもない状況にも関わらず、悪魔の証明を証明できないということに不安を感じてしまう、そういった負のスパイラルがあるように感じます。特に、私のような工学系の大学院生で理屈っぽい人でないかぎり、すごい不安になってしまっているように思います。
そういう風に不安になってしまっている人を安心させるには結局どうしたら良いのか、分からなくなってしまいました。結局、一緒に不安になりつつも、だんだんと冷静な話題に持っていくのが正解なんでしょうか。。。
とりあえず、彼女が思っている誤解を解き、機嫌を直してもらいたい。(なんか小町に相談するような内容になってしまった、、と書きながら思ったw)