はてなキーワード: 今年の抱負とは
今年の抱負的な。
とにかく自分から逃げないこと。
去年どころか今までの人生振り返ってみると、本当に逃げっぱなしだった。受験から逃げて、仕事から逃げて、恋愛から逃げて、ハラショーと賞賛したくなるほどの逃げっぷりだった。まあ、それらは漠然とした大きなカテゴライズだけど、毎日起こる些細なことから逃げてると、最終的に何も得られないという話。例えば、やらなければならないことは理解しているのに、眠たいだとか、おなかが減ったとか、オナニーしたいだとか、何かと理由を付けて後回しにしたり。忘年会とか、友達と騒いで笑って、確かにその場にいる時は何もかも忘れていられるけど、帰り際一人になった途端、とてつもない空虚感に襲われたりする。最近になって、どんなに遠くに逃げようが、自分からは逃げられないということを悟ったというか、もう諦めに近い感じを覚えた。プリズンブレイク失敗しましたっていう。監獄ってイメージ悪いけど、まあある意味ではそこでやるべきことがあるわけで、そこから逃げるっていうのは結局自分の首を絞めることになる。今までも逃げながらこのままではいけないとは思っていたけど、何かに依存することでそれを誤摩化していたら今年でもう25歳になってしまう。学生の頃は大目に見るとしても、ここ3年間かけてたった今監獄に戻された感じ。ここからどうするかが問題な訳だけど、そこはわりと明確なもので。誰かが「誰にも負けない三流になれ、そうすれば誰も君を放ってはおかない」みたいなことを言っていたけれど、まさにそれだと思う。自分の立場を弁えて、全てを受け入れるところから始めないといけない。そうすれば自然と謙虚になるはずだし、些細なことでも吸収しようと躍起になれるはずだ。そんなわけで今年の抱負は「最強の囚人」になることにする。実際、優秀は受刑者は刑期短縮になるみたいだし、ちょうどいい例えだ。あと、人に出会って格差を感じたりすると毛嫌いしがちだけど、そこはむしろその人の良いところを吸収しようくらいの気持ちでいった方がいいと思う。人から得るものってやっぱり一番大きいし、お互い成長し合える中ってのは理想的だと思うから、出来るだけ色々な人と出会って少しでも成長しようと努めるべき。そうすればいつか、格差など感じないほどに自分が大きくなっているはずだから。
久しく女を抱いていない。最後に抱いたのは半年以上も前になるか。去年はただでさえ女日照りだったせいで一年を通しても数える程しか抱いていない。これも全てエルニーニョのせいだ。大晦日に一年を振り返り、イライラした俺は、次に女を抱く時は溜まりに溜まって黄色がかった白濁液の洪水で溺れさせてやる。思い出しムラムラで怒り心頭の息子にかけてそう誓った。そして年が明けて10日経った今日。早くも今年の抱負を叶える時が来た。
いつも真剣に見やる朝の天気予報。NHKなんて上品ぶったのは見やしない。下衆な作りで人気のローカル局の天気予報。お天気キャスターが見るからに助平親爺なこの番組は視聴者と共に一喜一憂してくれる。女日照が続くとブチ切れて暴れ回ってくれるおかげでこっちの代わりに発散してくれる。無表情で淡々と何事もなかったかのように伝えるNHKが不人気なのはこのためだ。テレビの前で俺らが暴れ回らなくてはならない。
そんな下衆で有名な天気予報。スタジオはいきなりお祭り騒ぎ。割れんばかりの喘ぎ声。画面を埋め尽くさんばかりの女の裸。来たか。ついに来たか。食い入るように画面を見ると助平親爺がバックで女を突いてる最中。女の目はぶっ飛んでいて何度犯されたのかわからない。助平親爺の周りにはすでに犯された女が4、5人倒れ、スタッフが汁男優のごとく白濁液をぶっかけている。「皆さんどうもおはようございます!そしておめでとうございます!新年早々ついに来ました女前線!」振る腰も休めずに助平親爺は心底嬉しそうに大声を上げ盛り上げる。「しかもただの女前線ではなく、超大型女前線です!1週間は続くでしょう!さあさ、みなさん!早く外に出てごらんなさいな!次から次へと女が振って参りますよ!」
デュエルCGI等に行くと全然知らない人から巨大戦艦使われたり氾濫ぶっぱ使われたりするが、本来これは非常に失礼な行為。
でもこういうことを言うと、「遊戯王されてるから使われて当然」「嫌なら公認大会に出ろ」とか言う反応が出るが完全に的外れ。
普段の日常生活で外出中に周囲に他人がいる状況でデュエルすることはあるが、だからといってファンデッキは使われないし、逆に自分がそういう人を見かけて何か突っ込みたくなったとしても乱入したりはしない。
にもかかわらずネットだと平気でそういう迷惑行為をする人が出てくる。ちょっとモラルが低すぎやしないだろうか。
WEB上では制限にさえ反しないなら何のカードをチョイスしてもいいという風潮があるが、各国で制限がばらばらな全世界とやり取りできる遊戯王で制限を行動規範として持ち出すのはナンセンス。
人としての最低限の良心が有れば何をしてはいけないかくらいはわかるはずだ。面識のない人にいきなり黄泉獅子帝軸上級多用使ったり、ましてや満を持し帝など正気の沙汰じゃないということは民族人種に関係なく誰でもわかる。
ブログ等を書くと全然知らない人からコメントされたりSBMなんかがついたりするが、本来これは非常に失礼な行為。
でもこういうことを言うと、「公開されてるから反応されて当然」「嫌ならチラシの裏に書け」とか言う反応が出るが完全に的外れ。
普段の日常生活で外出中に周囲に他人がいる状況で会話することはあるが、だからといって割り込まれたりはされないし、逆に自分がそういう人を見かけて何か突っ込みたくなったとしても割り込んだりはしない。
にもかかわらずネットだと平気でそういう迷惑行為をする人が出てくる。ちょっとモラルが低すぎやしないだろうか。
WEB上では法律にさえ反しないなら何をしてもいいという風潮があるが、各国で法律がばらばらな全世界とやり取りできるネットで法律を行動規範として持ち出すのはナンセンス。
人としての最低限の良心が有れば何をしてはいけないかくらいはわかるはずだ。面識のない人にいきなり話しかけたり、ましてや罵倒するなど正気の沙汰じゃないということは民族人種に関係なく誰でもわかる。
初詣行くまでにまとめ。
出来ている人には当たり前の話だろうけども、私はできてないから。
続けることそのものより、「始めと終わり」をキチっと仕上げたい。
なんでもいい。なんでもいいから(この「なんでもいい」が間違ってる?)
最低一つ「最後までやる」「ちゃんと形として仕上げる」コトにしたい。
いろんな人が2008年度に自分が何をしたか、振り返って書いているのを読んだ。
それを読みながら、最初は「よし、私も」と思った。
でも書けない。
どうして私には何も書けないんだろう、と思った。
書いている人たちは、その書いたことをどう捉えているのか考えてみた。
そしたら書いている内容は
「今年から始めて今もそれが継続中である何か」か
「前から取り組んでいて、今年終了させた何か」のどちらかだ。
「始め」と「終わり」にメリハリがきいている。
キチっと形をイメージして物事をはじめ、キチっと形として完成させる形で終わらせている。
うまくいかなかったことでも、そこから何か経験を得た、とか何かしら形を得ている。
それが私にはできてないことだな、と思った。
私だって何もしていなかったわけではない。
一応生きているわけだから、呼吸以外にいろいろやったような気はする。
しかし、自分が「これをやった」と他人に示せるものがない。
周りの影響で何かを「させられた」ものならたくさんある。
でも自分の意志で「これをやった」というものがない。
何か適当に思いつきで初めて、いつの間にか終わっている。
何もキチっと始めてないし、何もキチンと終わらせてない。
そこから自分が何かを得たという感触があまり得られない。
だから何も書けないんだと思う。
そういえば、私は読んだ本について感想を書いたことがほとんどない。
なんとなく読むだけで、それを活かすこともしない。
そこから何かを得ようとしない。得たような気が一瞬するだけですぐに忘れてしまう。
そこから何かを作り出そうとしない。何も生み出さず、ただ本を消費してしまっただけ。
無意味ではないだろうけれど、むしろマイナスのような気がする。
繰り返しになるけど、なんでもいいから1つ成果を生み出す。
そのために、思いつきで始めるのではなく、いつの間にかやめるのではなく
きちっと始めて、その上できちっと終わらせられるまで継続したい。
いろいろ書いたけど、初詣では就職活動必勝祈願をしに行く身分。
内定取り消しなどがあった去年以上に厳しい状況は天井の見えない壁のように見えるが
それでも何とか最後までやり遂げられますように!