はてなキーワード: 閉鎖病棟とは
特に男性のほうが「俺が愛したのは女優としての○○であって、素の○○じゃなかったんだ…」となりそうな気がする。
(自分はどちらのファンという事もないから、結婚自体は大変めでたいと思っている)
これまで色んな人が言ってきたことだけど。
結婚前は一緒に居られる時間は限られているけど、その分「作られた状態」でいられる。
結婚して四六時中一緒にいたらどうしたって「素」が出ることもある。
すっぴんの話だけではない。キラキラかわいい彼女だって人間だから生理前症候群で機嫌悪くなる日もあるだろうし、ストレス溜まったら暴言吐きたくなる日もあるだろう。男性だってずっと紳士的ではいられない。
調子が悪くてボサボサの髪で死んだ魚の目をする日もあるだろう。
某俳優の元奥さんのような、他の女優と話をしたらスマホをぶち壊すみたいな「やられ続けると確実にウンザリする言動」だってやっちゃうこともあるかもしれない。
それでも子供がいないなら、まだお互いの欠点を見ないフリできるけど。金銭感覚が大きくズレていると本当に地獄。
あと知り合いに産後ビックリするほど荒れた女性がいた。産後鬱って奴。
誰が産後鬱になるかならないかは、誰にも分からない。元々の性格が原因ではないのだから。
出産後に新生児のお世話で寝不足になったら、産後鬱とまではいかなくてもイライラカリカリするものだし。
どこにもこの「巨大なお世話でしかない心配な気持ち」を書き込めなかったから、
ここに書き込んでみた。
同じ病室で、寝たきりの私の部屋のカーテンを開け、ハイチュウを
「オーイ」
と投げてきた、とてもじゃないが十代にしか見えない三十一歳の患者に、そんなことが伝えられた。
「いやほんと。ワンピース着て、ふりふりで、あの……バッグ……」
「駅前うろついてる女の子がよくつけてるようなちっこいバッグ?」
「そう、そう。そんなバッグつけた子」
「へえ。ほんとかなあ。何歳くらい?」
「いやあ、あの格好は高くて二十……二、ちょうど君くらいじゃないと、あの格好はできないし、しないだろうね」
「僕が動けるようになってからが楽しみです」
本当に信じられなかったけど、動けるようになったら話してみたいと思った。
動けるようになったら話ができる患者が二人ほど増えた。四十代の、ロックマンと不思議のダンジョンの話ができる、落ち着いた喋り方をする、感じのいいおっさん。四十代の、若い頃は本当に美人だったんだろうなという顔立ちの、シミかそばかすがまぶされている女性。ハンターハンターのパームに近い。
「泣いた」
「毎朝旦那にする電話が楽しみだったのに、『迷惑だ』って理由で禁止にされた」
神経症的な張り詰めた、瞬きのしない二重瞼の双眸で、手をかけたプラスチックのコップを震わせながら私たちが囲むテーブルでそう言う姿は、本当にパームだった。
かわいい、らしい子がいる病室がわかった。入院したのが土曜だったので、PCR検査を受けれず、個室で生活している。私の一個下の、前の入院でもよく話していた吃音の男の子は、その女の子がいる病室を見つけ、覗き見たらしい。
私は車椅子での移動が可能になって、車椅子の方用のトイレに向かうまでに、乃木坂の病室はあった。僕は偶然その姿を見た。茶色が入っていて、短髪。雰囲気は可愛いと思った。儚げで。私はそう言うのに弱い。
「僕は可愛いと思ったよ」
月曜日、パームがせこせこ歩いていた。ロックマンとよく話をしていて、何かをしようとしていた。
「連れてきた」
と言っていた。
「はじめまして。私は〇〇と言います。『アイリス』と言われています。『アイリス』というのは友達がつけてくれたあだ名で、〇〇という名前は花で、その花言葉は、⬜︎⬜︎というんですね。それが私すきで、それで私は『アイリス』なんです。『アイリス』です。よろしくお願いします」
生徒会長みたいな堂々とした喋り方で、アイリスはそう言った。話と話の間の取り方が演説調だった。
「いやもう、私は介護福祉士の資格を持っているんですけど、ここの看護師さんは本当にいい人とダメな人が多くて、こんな対応を私にしているということは、他の患者さんにもそうしてるってことだから、私すっごく腹が立って、暴れていました。私は介護福祉士の資格を持っていて、実地を知っているので、本当にひどいなって。だからもうひどいものです」
乃木坂はきっと、それを事実だからそう言っているのだろうけど、話し方はとても自信に溢れていて、高圧的ですらあった。
「僕も、ここに三回入院してるけど、わかるよ」
「あ、私四回」
パームには聞き忘れたが、私は入院した経緯を聞く。なぜかといえば、みんな気さくで明るいからだ。こんなところに入院するとは思えないほどに、あっけらかんとしていて、私に対しても
「死ななくてよかったね」
「強運だったんだ」
と言ってくれる。
三十一歳のハイチュウは睡眠薬を飲んでも眠れず、飲み続けたらいつのまにかコンビニに行ってしまっていて、そこで通報され、警察に保護、保護室で数日を過ごしたらしい。医療保護入院。
ロックマンは、
「これ」
「ぼ、ぼ、僕はひとつ、精神的に負担があって。あとひとつは親がそうしろっていうから」
任意入院。
アイリスにもそれを聞いた。でもあまり覚えていない。覚えているのは、睡眠薬を飲み、警察に保護され、運び込まれたという内容だった。ある友人に「声がでかい。気分が悪くなる」と言われたのがトラウマで、温泉に行った時もそのようなこと言われ、さらに精神的に酷くなって、自殺企図したらしい。
「僕は三回自殺企図してるんですけど、今回は20メートルくらいの橋から飛び降りて、腰骨が全部折れ……」
「脊椎にいかなくてよかった! 神経症状が出なくて本当によかった!」
話を止めてまでアイリスがそう叫んだ。力強い目をして、泣きそうになっていた。
「え」
みんな驚いた。
みんなは口々に
「おめでとう」
「よかったね」
と言っていた。でも私はあまり嬉しそうではないアイリスの姿を見逃さなかった。私はアイリスにどんな精神疾患を持っているのか、すこし個人的な話になってしまうが、聞いてみた。
「私は沢山の障害を持っていて、まず、適応障害。双極性障害というテンションが上がったり下がったり……」
「あ、僕も」と私は手を挙げ、
「私も」とパームが手を挙げた。
「仲間〜っ!」とパームは嬉しそうにしていた。アイリスも笑っていた。私も笑っていた。
もう一つあったが、忘れてしまった。
「あと、人口の0.2%くらいしか発症しない、身体(わすれてしまった)障害というのがあって、人間ってストレスを何かで発散しているじゃないですか、カラオケとか、友達と遊んだりとか。でも私はそれができなくて」
「蓄積されていっちゃうんだ」
「そうなんです。そう……蓄積されて、手が痺れてきたり、動かなくなったり、しちゃうんです。こうしていま皆さんと喋っている間も、緊張で左半身が痺れています」
なんて壮絶なんだ。アイリスの印象が変わった。こんなにも堂々としているのに、いま、このいまでさえ苦しんでいる。
「そして、〇〇先生(私と同じ主治医だ)に、『この病気じゃ入院じゃ治りません。通院してゆっくり、あなたの二十三年間の人生をゆっくり、ひとつひとつときほぐしていかないといけません』と言われたんです」
「だから私、本当に不安なんです。見放されてる……とは違うけど、どこにも繋がれてなくって」
「野放しにされてる」
「そう……。みんないろいろ、結婚とか、出産とか、仕事とかしてる中で私はこうやっていて、本当に生きていることが不安なんです。ストレスなのかもしれない。社会で生きていけるかわからない」
「その状態なら、そう思うと思う。でも、僕は気楽な人間なんだ。みんながどうこうしていようと、僕には関係がない。僕は自由にやっている。僕には社会がない。君は不安だというけど、その『社会』は、いったい誰なんだと思う?」
「〇〇さん」
「はい」
「行きましょう」
アイリスはみんなに頭を下げた。パームは悲しそうに、自分の名前を書いたノートの紙切れをアイリスに手渡した(私の提案だった)。
「また、会えますよ」
僕は、
「無理だけはしないようにね」
と言って、アイリスに手を振った。
何で増田たちの自称するスペックが本当なら、そんな珍獣、大学時代に精神保健の講義や見学とかで精神病院の閉鎖病棟にでもいかないとエンカウントしないようなレベル
社会への逆恨みで糖質拗らせて頭壊れてる奴らなんか人生で見る機会もなかっただろうに、何でまるで自分たちのクラスタそのものみたいに喚き散らしてんの?
俺そこまで障害者福祉に詳しいわけではないが、ネットでエコーチャンバー状態になって他害性統合失調症とか尊大性ASD拗らせまくってこの世のすべてが憎いレベルで狂ってる増田が多いけど
それ精神医学的にも非常にまずいんじゃないのか?
4年制名門女子大に通う、2級手帳持ち統合失調症患者です。人生どうしようもないので現状を書きます。
1年生から4年生にかけて地元(東京都)の居酒屋や塾講師、コンビニ店員など30店以上アルバイトの面接を受け、全て落ち、メイドカフェのアルバイトや格安風俗で働いて稼いでいました。
しかし、大学4年生の時に統合失調症をわずらって自殺未遂、リストカット、アルコール薬物依存をしていたため大学のスクールカウンセラー室を出禁になりました。それから1年精神科閉鎖病棟で入院し、退院して今就職活動中です。
退院してから4月〜6月当初は一般雇用で1社某大手の最終選考まで進んでいたのですが落ちてしまい、それからは障がい者雇用も視野に入れてハローワークの担当にまるで赤ちゃんみたいな接し方をされながらも探していました。同時期に就活エージェントを利用し、障がい者であるということを事前に伝えていただく形で6月〜12月まで掛け持ちで100社以上受けたものの、1社からも内定を貰えずにいまに至ります。
春から学校を卒業した後は、親からの援助がなくなってしまう上、年齢も年齢なので風俗も厳しくなってきてはいるので生活に困ってしまうので障がい者年金を受給しようとするも、国から拒否されてしまいました。最後の砦としてB型就労継続支援という障がい者が継続して働くための施設(工賃が支払われる)で働こうと先日面接に行ったものの、お祈りされてしまいました。
知らない番号から着信があり、調べたら保険会社だったので、すわ母が死んだのかと色めきたって折り返したらば、間違い電話だった。なーんだ。母が死んだら、保険金がたくさん下りると聞いている。それをいま払っているのは祖母である。正直祖母が今生きているのかはわからないのだけど、亡くなっていたらいたで、おそらく母の彼氏(他人の夫)が払っているだろうので、まあそんなことはどうでもいいのだけども。
そのあとネットのニュースを見た。母親にいいところでの食事の写真を送るとかなんだとかのほっこり? ニュース。へぇーと感じた。発想が優しくてカワイイ。その人の母親もそれを喜ぶんだろう、発想が優しくてカワイイな。発想が優しくてカワイイ母が育てたからそんな子になったのか、子の発想が優しくてカワイイから母が喜ぶのか、どちらが先だろうか。
母が死んでもどうも思わない。保険金がもらえるらしいのでそれは嬉しい。母は家におらず、また父も家にはいなかった。見かねた祖父母が私たちきょうだいを育てて、美味しいご飯がたくさん食べられるのが嬉しかったが過干渉が酷すぎた。放任と過干渉の狭間で15歳で精神がブッ壊れ、以来10年ほど精神科に世話になった。閉鎖病棟に入院もした。最終的に診断名の病ではないということで、看護師やワーカーが病院から逃がしてくれた。そのあとはすべてから逃げて東京に出た。よくある話だ。
数年前まで祖母とだけは連絡を取っていたので、保険金の話や弟が結婚したことなどを教えてもらっていた。相変わらず母は家を空け年に数回ふらりと戻ってくるらしい。買ってきた食事を食べ少し眠りまた消える。弟が父親に会いに行ったという話も。何をしに行ったのかは聞いていないから知らない。自己破産しなきゃいけないくらいふんだくってやればよかったのになどと考えた。
こういう考え方が仲良し家族で生きてきた人を傷つけほとんどの人間に理解されないことはこれまでの人生ですっかりわかってしまっていて、人が這いずりながら生きてきた軌跡で傷つくなんて天上人様かよと思わないでもないけれど、私もたまによそ様のご家庭のお話で傷ついたりもするからトントンかなと思い、匿名の場所でしか話をすることはなくなった。
死んでたらよかったのにお母さん。
死んでたらよかったのに。
早く死んでくれ。お金をちょうだい。
誰にもわかってもらえなくていい、この気持ちは私だけのもので、誰にも渡さない。母への思い、祖父母への思い、家族への思い、これだけは私のものだ。誰のものでもなく、誰にも侵せない。ざまあみろ。早く死ね。早く死んでくれ。最期くらい、私を満足させてくれ。
筆者です。なんか僕が入院して体験したこと自体が妄想みたいに言われてますけど…僕が入院したのはうつ病で死にたくてたまらず自殺しようとしたら未遂に終わって、保護のために閉鎖病棟に入れられることになったんだけど、近隣の病院で緊急で受け入れてくれたのが当該病院しかなかったからです。正直周りの雰囲気なんとなく不穏で怖かったです…
精神科病棟の中でも一番症状が重い人を救急・集中治療するスーパー救急というところに入院していたら、まあまあ非日常的なイベントを目撃した。
1人目:解離性同一性障害(いわゆる多重人格、以下DID)の人。初めて会話した時に「僕ね、ゆうたっていうの。5歳。ゆうちゃんって呼んでね」と言われたのでDIDであることは一瞬でわかった。ゆうちゃんは人懐っこい性格で明るく、閉鎖病棟という限られた空間でインターネットも失って完全に暇だった僕にとってはいい話相手だった。初めて会話した次の日、デイルームにその人がいたんだが、DIDの人は人格が入れ替わるとそれに応じて記憶も入れ替わると聞いたことがあったので、デイルームにいる人が今日は別人格で過ごしていて昨日僕と会話したことを覚えていないのではないかと思って敢えて声をかけなかった。しかしそれは杞憂で、ゆうちゃんの方から僕を見つけて「あ、おはよう!」と声をかけてきてくれた。この人は病棟では基本的にゆうちゃんとして過ごしていたが、時折エレベーターで1階分移動する時など一瞬で人格が変わることがあり、声も口調も目つきも変わって、おもしろいと言っては不謹慎かもしれないがおもしろかった。
2人目:知的障害の人。看護師と会話はできるが一方的で、3分前に言われたことすらよくわからなくなってしまうレベル。ドラゴンズが好きで、1日中デイルームにいて「ドラゴンズ勝ったの?」「ねえ俺ドラゴンズ好きなんだけどさあ」「早く退院したい、ドラゴンズの応援に行きたい」を繰り返していた。まあ知的障害があるからしかたないんだが、同じ内容を起きてから寝るまで延々と大声で繰り返していて、正直うるさかった。あまりにうるさいので他の患者からは嫌われていた。とある患者がデイルームに置いてある公衆電話から家族に電話をかけて「なあ、ここ知的障害者がいておちつかなくて最悪なんだけど。早く退院させてくれない?」と言っているのを聞いていて、しばらく「あいつが俺のことバカにしてくるから嫌い」とわめき続けてその患者とガチ喧嘩に発展した。
3人目:スピリチュアルおばさん。病棟の女性の半分以上を巻き込んで仲良しグループを作り、グループのトップに君臨してデイルームでお喋りに興じていた。話している内容はだいたい2つで、「うわあ~木下さんの塗り絵素敵~!」とグループの女性に媚を売るか、他の人の話を聞いてあげて「待ってね、それ何て言うんだっけ…今はど忘れしちゃって出てこないんだけど、金星の力が強くて木星の力が弱いとくぁwせdrftgyふじこlp(何て言っていたか僕は忘れました)になるのよ~」「あなたの気持ちすごいわかる!くぁwせdrftgyふじこlp(同じく忘れました)のゾーンに入ってるの!」といった調子。典型的スピ系。そして随所で「私病気なのかわいそうでしょ、でもこんなに頑張ってるのすごいでしょ」アピールをしてくる。極めつけには、とあるスピ系の本に載っているポエムを紙に書き写しては「これいいのよ~」と病棟中に配ってまわり、認知症のおばあちゃんが洗脳されて「私の病気も神様がくださったものなのね」とか言い出して、マジでうっっっわと思った。
4人目:食事療法お兄さん。たぶん統合失調症。入院患者を捕まえては「良くなるためには米、小麦、肉、脂質、卵なんかは食べてはいけないのですよ…」と長々と言い聞かせるのだが、じゃあお兄さんがそれやって病気治せよ、もしくは例えばその食事療法を実践していたとするならばなぜあなたは精神科閉鎖病棟に入院するまで症状を悪化させたんですか?以外の感情が無。厄介なことに、2人目で紹介した知的障害者がこれを耳にしてしまい、病院食を拒否するようになった。
インパクトがあったのはこのくらいですかね。あとは認知症の男性患者が自分の部屋がわからなくなって女性患者の部屋に侵入するくらいしか事件起きてない。たぶん。
僕は精神医学を専攻している学生だが、1ヶ月、精神科の閉鎖病棟に入院してきた。ここがどんな場所なのか、学生の視点から書いてみる。
入院直前、タスクが多すぎてキャパオーバーのまま稼働して3週間、僕の精神状態は日増しに酷くなっていった。倦怠感、強い不安,酷い不眠、すべての事柄に対しての虚無感など。極め付けに強い強い希死念慮。とにかく死にたくてたまらない。そしてついにもう死のう!と決意して準備をした。最後の気力を振り絞って絶対に休めない課題だけは終わらせ、部屋を片付けて遺書を書いて、最期に親に会いに行って、普段精神科から処方されているベンゾジアゼピン系の抗不安薬と睡眠薬を大量に飲んで飛び降りを試みた。
まあ失敗したからこの文章書いてるんですけど、人に見つかって病院に搬送され、僕がなんとしてでも死にたいんだと主張したために親に連絡がいって医療保護入院(僕の意思は汲まれずに、親や配偶者等の同意を得てなされる事実上の強制入院)となった。閉鎖病棟で、フロアから外に出ることはできない(出入り口に二重に鍵がかかっている)。
この病棟の1日の流れは次の通り。
8:00 朝食
10:30-11:30 作業療法(ストレッチ、アイロンビーズ、簡単なスポーツなど)
12:00 昼食
18:00 夕食
21:00 消灯
入院して1週間経つまでがとにかくつらかった。入院したからといってすぐに症状が治まるわけではない。常に心拍数が120あって不安がとまらずベッドにうずくまっていた。死にたかったのにこうして病院で保護されている自分も許せなくて、死にたいのに死ねない苦痛に襲われた。慣れない環境に放り込まれてしまったので病棟の雰囲気もわからず怖かった。もう殺して、と思った。
僕の場合、入院したからといって特に積極的な治療はなく、普段通っていた精神科で処方されていた薬がそのまま出されるので飲む、それだけだった。医師は1日に1回病室に来てくれて少し話をするが、看護師は配薬の時に来るだけであとはマジで何もない。つらい気持ちを看護師などに聞いてもらおうとすればできたのかもしれないが、僕は自分の気持ちを他者に伝えるのが苦手だったのと、ここの病院は看護師が事務的で話をしたり患者の行動観察をしたりといったことを全然しなかったので、話さなかった。入院生活はただ自殺未遂をした人間を死なせないために病院に閉じ込めておくだけという感じだった。精神医学徒からすればこれはあまり好ましくない。看護師の人手不足問題もあるが、患者の気持ちに寄り添いながら必要であれば話をするのが理想。看護師でなくとも臨床心理士や公認心理師がやる仕事なのだが、この病院の臨床心理士は患者と面談をするどころかガチで何もしない人だった。唯一、作業療法士だけが平日毎日病室に顔を覗かせてくださって、「今日はデイルームで10時半からストレッチをやりまーす。アロマを焚くしハーブティーもありますよ。よかったらいらしてくださいね。」とケアしてもらえたのが心の救いだった。
2週間も経つと不思議と希死念慮が和らいできた。外界にいる時は「早く死ななきゃ!とにかく死なないといけない!」と焦っていたのが、自殺が物理的に不可能な空間に閉じ込められるとその焦燥からは逃れられる。だんだんと自分が落ち着いてきたことを感じた。ベッドとトイレしかない監視カメラ付きの保護室(要するに独房)からも出て普通の個室に移ることができた。主治医から「きみは専攻が専攻だから退院日は任せるよ」と言われたので、「今すぐ死ななきゃ!」という切迫感がほぼなくなった1ヶ月後に退院した。とはいえ、死にたくなくなったわけではない。僕は常になんとなく死にたいと思っているのが日常だ。
今回入院した精神科単科病院は、前述の通り医療スタッフによるケアがあまりにもお粗末だったのでオススメしたくない。病室にナースコールも無かったですからね。不安発作とか解離を起こして動けなくなってしまった時はどうしろというのか。そして閉鎖病棟という場所は暇すぎてやはりおススメしたくない。スマホを没収されるので何もすることがなくなるし、1日が永遠に感じられて結構苦痛である。暇なのは他の患者も同じなのでデイルームでお喋りでもできればいいのだが、僕がいたところは年齢層が高くて話し相手になる人が皆無だったので無理だった。デイルームにはテレビがあるが、僕はワイドショーやバラエティー番組が嫌いなので見なかった。ナースステーションで貸してくれる色鉛筆と用紙で塗り絵をしてなんとか暇をつぶした。なお色鉛筆はなぜか16時には返却しないといけなかったのだが。孤独だった。
結論:精神科閉鎖病棟での入院はする前もしている間もしんどすぎる。回避できる人は家族に監視してもらうなり実家に帰るなりして全力で回避してください。まあ、そう簡単にいかないからこうなってしまうんですけどね。みなさんご自愛ください。