はてなキーワード: 生モノとは
IH一口クソ狭シンクだと加熱作業は並行してできない。洗い物もすぐ水がビャーってなってイラつくし、必然ワンプレートで済む料理が増える。おれは品数少ない方が好きだからそれは苦じゃないけど。
切ってさえしまえばあとは炒めて煮込むだけなんだけど、冷蔵庫や洗濯機の上にまで作業エリアを拡張して具材並べて準備をするのが余りにも面倒臭い。
マジで終わってる時はたまに素カレーを食べる。水張ったボウルにルーを雑に砕いて投入してレンジ。トロミがつかなくてシャバいしから米を混ぜてごまかす。ちょっとルーの塊が残ってたりもする。
気力があればルーを刻んだ方が良いけど、気力がある時に食べるものではないと思う。
ツナ缶はいつまでも保つから別に放置してもいい。たまにコショウとマヨネーズかけてつまみたくなる事もある。
生モノはそうもいかなくて困る。ミニトマトをつまみたくなる気分というのはおれにはまるで訪れなくて、しょっちゅうシナシナになるまで放置する。
捨てるのも何なので、減るより早く増えるツナ缶もろとも処理しようと思った。
ツナとトマト……カレーだな!と思った。そんなメニューを食べた事はなかったけれど、直感で。
ツナとトマトを炒めて、水足してルー投入。予想通りというか、トマトの酸味と甘さが気になった。
これを消すのにソースを入れてみたりめんつゆ足してみたりしてみたけど、中々上手くまとまらない。
これはもう強烈な何かで上書きするしかないと思って、鷹の爪とニンニクチップを大量に入れてみた。
これがなかなか良かった。カレーとニンニクのスパイシーさと鷹の爪の刺激の挟み打ちでご飯が進む。黒コショウを振ると尚良し。
味をごまかす苦肉の策で生まれたけど、変な調味料抜きでもう一度作ってみたら、やっぱり美味しかった。ミニトマトとツナ缶は定期的に発生するので、定番のメニューと化した。鷹の爪は辛さを許容できる限界まで、ニンニクは入れれば入れるほど美味しい。トマトとツナの風味、食感もマッチしてると思う。
ウチにある調味料の中ではニンニクと鷹の爪とコショウが一番出番も消費量も多い。あらゆるものをペペロンチーノ風味にして食ってる。ペペロンチーノの決め手は味の素だったけど。
ここ数ヶ月、私は悪い妄想と戦っていました。前職はセクハラを理由に退職して、それ以来人間関係が怖くて自営業に転向しました。そのうち、一人のお客様と出逢います。セクハラをしてきた人のように、気さくで、親しみやすく、大量に連絡を送る人でした。私はどこまで逃げても、若い女性というだけでそういう対象になることが苦痛で堪りませんでした。私の存在を脅かすものがいるという妄想(いや半分現実なのか)は辛くて仕事が長引くたびに段々と死にたくなってきました。苦痛から、私が若い女性であるということから逃げるには死ぬしかないと思っていました。
そして同居人と些細な事で揉めて、私は深夜のコンビニで煙草を吸っていました。その時に自宅の近くにある飛び降り自殺の名所に行こうとふと思いました。そこに行って死ぬことについて考えたくなったのです。
車を走らせて30分ほど、少し道が悪かったけどちゃんと辿り着く事ができました。街灯もなく、真っ暗で、川のせせらぐ音が下から聞こえていました。
そして私は納得して自宅に戻って同居人に謝罪をして終わる筈でした。筈だったのです。でも私は、このまま飛び降りてしまえば楽になるという考えに支配されて運転席のドアを開く前にしゃがみ込んでしまいました。買ったばかりの煙草に火をつけながら、トラウマを抱えて働く事の苦しさやそれがきっかけで精神科通いが始まったこと。そしてその通院に終わりが見えない事を考えながら、このまま飛び降りたほうが良いのではないかという結末がぼんやりと形になってきました。
私は自宅に帰る事、飛び降りる事の中心で誰に助けを求めて良いかわかりませんでした。命の電話は休暇中、友達にだってこれから死のうとしてる人間というあまりにも重いものを背負わせる事はできなかった。結局同居人に電話をかけてみたのですが「メンヘラかよ」と鼻で笑われました。そうか、それがメンヘラなのか。私の切実な悩み、苦しみはネットスラングで形容されて消費されるのか。
どうにもならなくて、最後は今日じゃなくて行き方も確認したのだからせめて明日以降にしようと言い聞かせて泣きながらハンドルを握りました。私の好きなバンドの曲を流しながら、私の人生の薄っぺらさと価値のなさを痛感しながら安全運転で帰宅。
同居人は何も言いませんでした。でも、それで良かったと思います。私がもしも死んだ時、これから死ぬ時がある時、誰かに何かを話してしまえば、その人に一生モノの苦しみを与えるかもしれません。
もう、死場所までの行き方も分かりました。次に行く時は黙って靴を揃えて飛び降りたいと思います。これを読んだあなたは、名前のないつまらない人間が次はちゃんと楽になれたら良いねって思ってくれたら嬉しいです。昨日は死に損なって、馬鹿みたいにですよね。
でも一つだけ、収穫もあります。街灯すらない高い橋の上で見上げた夜空は満点の星空でした。それだが唯一の救いだった気がします。
「人はパンのみで生くるのではない」と言ったのはイエスであるが、とはいえ生きるためにパンは必要不可欠である。マルクスはキリスト教の布教以来、永らく西洋を支配してきたこの上部構造優位主義をひっくり返し、人類史をヘーゲル的な精神の発展史ではなく、労働あるいは階級闘争の歴史として解釈した。しかし、階級闘争の必然的な帰結としての共産主義社会の実現という展望には、判明な階級とその意識的な担い手が存在していることが前提となっている。
本邦において、小泉政権以来、階級意識は様々な仕方で言い換えられて来た。勝ち組/負け組、上級国民/下級国民、そして強者男性/弱者男性…などである。これらの区分に共通するのは、強烈な階級意識を内包しながらも、それらが政治経済的な問題を慎重に避けているという点である。
たしかに、上級国民/下級国民などは比較的強い政治経済的なニュアンスを帯びている区分のように思われるが、そこで意識されているのは政治経済という下部構造の問題ではなく、単に「どの家庭に生まれたか」という、不可逆的な問題でしかない。階級は、政治経済によって規定されたものではなく、単に生まれの問題でしかないのである。このような階級意識は、「親ガチャ」という言葉で端的に言い表さられることになる。他の区分についてもやはり同様である。そこにおいてはもはや変更すべき政治経済に対する抵抗は行われず、変更不可能なガチャの結果に対する諦念のみが存在する。現代日本人の階級意識をこのように捉えたとき、ガチャをやり直す「転生モノ」や、出世それ自体を否定する反出生主義などの思想が流行するのはある意味必然と言える。
他方で、積極的な闘争が行われている政治的な領域も存在している。人種やジェンダーなどに関わる、いわゆるアイデンティティ・ポリティクスの領域である。本邦では主にジェンダーの分野で闘争が繰り広げられているが、近年ではそこから派生して表現の自由の問題なども盛り上がりを見せている。しかし、これらの領域の闘争も、根本的には資本制そのものを揺るがすものではない。というのも、これらの闘争が目指しているのは資本主義やそれが生み出す抑圧的構造の否定ではなく、むしろその内で自己のアイデンティティを確立すること、資本主義による自己の承認でしかないからだ。
どうしようもない諦念と強烈な承認欲求。この二つが現代日本の階級意識の帰結である。それらから生じる運動や思想は、きわめて政治経済的な性格を内包しながらも、実のところ政治経済的問題に対する根本的な抵抗を巧妙に回避することによって、資本主義をより堅固で絶対的なものとして確立することに資している。
表向きと違って中身がボロボロな上に、これ幸いにと全ての責任をマスク氏に押し付けて好き勝手やってる社員がたくさん暴れてるわけだ。
みんなさ、なんで実行犯をさしおいてマスク氏だけが悪いと確信してるの?
何の根拠があってそうと言いきるの?
ぼくにはそっちの方こそわからない。
ぼくは元々マスク氏のことをブラック経営者として嫌ってたんだけど、Twitterの騒動で逆にマスク氏のことを見直してるとこだよ。
普通なら何ぞやらかしおった実行犯を捜し出して吊す事も出来ただろうけど、氏はTwitterのシステムや組織や財政の立て直しに全力を出してるから、犯人捜しも吊し上げも後回しにして矢面に立ってるんだろうよ。
普通なら誰かを生贄に捧げるにしても、シニアエキスパートやチーフエンジニアなりを盾にして、表にゃ出てこんのよ。
実際、これまでのTwitterはそうやってきたじゃない。
何かトラブルが起きたところでCEOは矢面に立たんのよ、普通は。
これまで幾度となく起きたトラブルに改悪騒ぎに、そのたびCEOの名前が出てきたことがありましたか?
無いでしょ?
だから今マスク氏叩きしてる人は以前のCEOの名前を言えない。
あ、今Wikipediaを見に行った人、えらいよ!
ちゃんと調べてモノを考えられるのは立派なことよ!
さあさて、責任ある立ち振る舞いとして立派なんはどっちかな?
ちなみに新CEOのヤッカリーノ氏もガッツリ矢面に立ってるね。
そりゃあ、前線に立てばそれだけで偉いってワケじゃ無いけど、CEOとしての責任ある振る舞いとしてはどっちがマシかしら?
話は少し変わるけど、そもそも、代表者以外の一切が視界にないのは兎も角、概念すら無いのは何なの?
そんなんでよく「評価の上で批判してますぅー」ってツラ出来るね。
面の皮の厚み何センチかな?
その厚みの分だけ脳味噌少なそうですね。
しっかしほんと、組織や他人に対する評価がイビツ過ぎなんやわ……
ブコメでぼくのことを信者がどうのとかボロクソ書いてるバカがわんさかおったけど、ホントあんたらは党派性でしかモノを考えられんのな。
あんたらみたいなのは一生モノを解ったつもりになって方々に敵を増やしながら周囲をバカにして回ってりゃいいわ。
ぼくは何も解らないままでいいよ。
今後もずっと間違いながら、騙されながら生きていく。
「俺も、アニメとか見れなくなる怖いパターンくるんだろうなあ」と覚悟していた。
そんな時、「怖いホラー漫画の短編集」とか「怖い小説の短編集」がkindle unlimitedに置かれているのに気づいた。
短編集は、好きな作家の過去作を読むために、1人の作家の短編集とかばかりよんで、なんで知らない面白いかもわからない作家の本を読むんだよとそれまでは思っていた。
しかし、この、「ランダムでまあまあいい作家をレコメンド」ってのは、youtubeっぽくて面白い。どこからよんでもいいのも攻略感あって面白い。
つまらないやつは最後に「まあ、コンプリートするために」ってので読み切れる。
最近は、映画だと、「若手映画作家育成プロジェクト」という、若手の映像作家のを集めたやつにハマった。
な〜んか、若手映像作家って、「ほら、惨めな生活の平凡な奴が、はっちゃけたりするのが好きなんだろ」って感じばかりなんだけど。
「はい、その通りです」とハマった。
中年おっさんが惨めな生活して、事件に対して何もできなくて、ちょっとなんかできて、そんでいい感じに若い女に相手されるとか、コントの相方見つけて未来が開けるみたいな。
こういうの、中年弱者男性狙いで嫌悪してたんだけど、短編集でちょろっと見たら、「いいじゃん」って思っちゃったね、アッサリ、若手作家のマーケティングにハマっちゃった。
なんか、そんな感じ。
40代弱者男性の腐りまくって新しい感覚がわからなくなった人でも、「色んな作家を集めた作品集」なら刺激されて面白いって感じ。