はてなキーワード: M2とは
忘れないうちに幹事についてまとめる。
あとでトゥギャッターにでもしよう
本当に来ていただいた皆様には感謝
で今回は一応無事になんとか終わった印象。
少し私が顔とIDと経歴とを間違えてて不愉快にさせてしまった可能性は否めない案件はあって
hwoffについて、57人参加で運営上の大きなトラブルがないのは奇跡に近くて
それに甘えてる幹事な私。
普通このくらいの規模ならば、連絡なしのドタキャンが発生することは否めないし
可能性としては織り込まなければならない。
その場合にキャンセル料はどする?全額請求するのか、参加者につけ回すのか。
今回はドタキャン発生が皆無なのは本当にすばらしい、金銭的な収支も計算どおり。
実際はこれに対処する術をもっていない
現状1人でやってるってのは良くなくて、不測の事態が起きた時に対処が遅くなる。
本来ならばすでに1人でまわすことが無理あって
hwoffの参加者が行儀がいいだけの話。
なんで一人幹事ばかりなのかっていうと、話しあうとか意思疎通のコストが高いと思い込んでるから。
対人関係をうまく構築できないといってもいい。
運良けりゃ回るけど、最悪なことが起きた場合 例えば私が当日42度の熱出てほんとに動けないとか
そんな時を想定すると1人で回すのは愚の骨頂。
マネジメントみたいな話になると思うんだけど、もう少し
自分でやったほうが早いとかいってないで、自分の分身をつくらなきゃまずいよね 的な。
結局1hくらいはLTやってた、このあたりのバランスは確認したい。
全部に興味ある人はいないだろうし、それを考えるとLTを挟むことの是非とか。
もともとの趣旨は顔見せて集まることの少ないエンジニアの交流促進なわけで
そーすると無くてもいい事項か。
会費については5000円が妥当か。しゃぶ庵で3.5h専有して とか考えると
高いとは考えないが財布の状況を考えると軽食程度にして4kとかに抑えることも視野に。
今お越し頂いてる層が上は50くらい 下が19くらいなことを考えると微妙
大半は社会人なのを考えると5kにして、未成年とB2~M2まではキャッシュバックみたいな事を考えるか。
→コストどーすっかね。
例えば立食で軽食で4h専有できて60人でみたいなスペースはあるんじゃないか
しゃぶ庵のご飯は僕は好きだし美味しいと思うけど、それをメインにしてる人もいないのは事実
そーなると軽食のがいいのかしら。
これからの規模について
もし1人体制を改めるならより大きくする方向はありか無しか。
それとも縮小させるか。
すでにある程度顔見知りになってしまってる人が多いので
このまま回数重ねて同じ人ばっかりになるとコミュニケーションの方向性が内向きになることはやむを得ない。
すでに常連みたいな人は30人を超えてる。
そーなると新しい人が入りやすい、コミュニケーション取りやすく促進をはかるならば規模は増大させるほうが望ましkうはある。
いまの規模の制約条件は、私個人が幹事である、私の知り合いに基本声かかる 宣伝の問題なんか。
規模大きくすると、特徴性が薄くなるのは仕方ない。
もし来場者の満足度を最大限高める方法って。。?つうか顔見知りばかりなら僕が主催しなくてもいいよね。
もし規模を拡大するならば、親和性の高そうなところに声をかけるのはありではある。
例えばtggdとかUNIXのAndroidのとことかmbedのところとか
規模拡大させればいいこともあるし当然トラブルが増える可能性は非常に増大するよ。
定期的に開催することの意義はホントにあって
次いつやるかわからないよりは、来年もあるよね ってのが集客しやすいよね。来やすいだろうし。
会場にお願いの連絡いれて12/21にATND立ててしばらくはtwitterで広告みたいな感じか。
なので
もし来年も動くならば、それも一人でやらないなら少なくとも12/15くらいには動き始めようね 的な。
ということで乱文ですがざっと今回の0128hwoffの思うところでした。
匿名なのをいいことに書きたいことを書きなぐってみることにする.
現在工学系修士M2.幸いにも就職は決めることはできた.(苦しみはしたが)
しかしこの時期だというのに,とある問題に行き詰って研究室に行こうとすると吐き気がする.
またいやなことに,研究を進める上で通らなきゃならない問題なのにもかかわらず一向に解決が見えない.
教授には感謝しているし,研究室の同期にも心を許している.少なくともそういう感情は持っているつもりだ.
教授の車や人影を見るとぞくっと緊張が走る.
これまで,自分は少しは能力がある人間なのかもしれないなんて,そんな自惚れを持っていたのかもしれない.
でも,ここ半年(特に就活を経験してから)そんな自惚れは自惚れだったと気付かされた.
自分はいくら努力してもおそらく努力の向きを微妙に間違えていて,
書いたコードの行数は多いかもしれないけど,間違いなく成果には繋がってない.
さっき惨めで一人で泣いた.こころがしんどい.
俺は「糞を掃除する」側になった覚えが無いから特に同意する気持ちは無いけど、なんか心打たれるものが有るというか、格好良い文章だ。多分他の多くの人はそつの無く批判もされない文章を書こうとして結果的に論点をぼやけさせてしまうのに対し、この人の場合は自分の体験をそのまま、物事を一面的に、考え過ぎず素直に、思った事をありのまま書いているからこれだけの迫力が出るんだろう。
あと幼少時の一人称が「ぼく」な点から察するに投稿者は男なのか。殆どの一人称が私なのと文体で女だと思ってた。
汚れ仕事ををやる
「を」が一つ多い。
金がないってのは、そういうことだよな。
どんな発電所がどこに建てられるかは単に地域間の貧富差では決定しない。
日本の地域間連系送電網の経済的分析 http://www.rieti.go.jp/jp/publications/dp/05j033.pdf
には、土地代は幾らか、土地の面積はどの位か、電力需要の高い地域から近いか、地形的にどんな発電所が建てられるか、貯水池の渇水期、凍結、降水量事情は水力発電が可能な程度か、炭鉱が有るか、大容量の電力連携系統が有るか、等様々な考慮すべき要素が挙げられている。福島県に原子力発電所が建てられたのは「金がない」からではなく「金がない事も含めた諸条件が揃った」からだ。
34ページ
3) 電源別平均的出力当敷地面積と建設費
電源別の代表的発電所についての出力当敷地面積(m2/kW)については、
石炭火力発電、原子力発電、石油火力発電、LNG火力発電の順に面積が小さくなっていることが観察される。
石炭火力発電については貯炭場*4、灰処理場などを併設する必要から敷地面積が極めて大きく、
原子力発電については、原子炉・発電設備などの面積は小さいが放射線管理のため
「周辺監視区域」という空地を設定する必要から敷地面積が大きくなっている。
「あそこで作っている電気は、全部東京のほうの人たちが使っているから、実はあの発電所がなくなっても、このあたりに住む人は困らないんだよ」
福島県民も東京電力の有する福島県第一原子力発電所の電力を使っている。
また糞を掃除する、つまりは発電所を押し付けられる側は一方的に押し付けられていたのではない。1990年代前半迄は東京電力と東北電力は電力を季節毎に融通し合っていた。
福島の原子力 - 科学映像館 http://www.kagakueizo.org/2011/01/post-332.html
14分40秒
発電所で起こされた電気は、ここ、新福島変電所を通して首都圏に送られると同時に、東北電力の送電線に由って地元でも使われます。
日本の地域間連系送電網の経済的分析 http://www.rieti.go.jp/jp/publications/dp/05j033.pdf
11ページ
1-4-2. 最大送電(kW)計画の推移 (図1-4-2-1.~-3.参照)
地域間連系送電に関する一般電気事業者の8月最大送電(kW)計画によれば、
大需要地である東京・関西の最大電力需要に対し、それぞれ東北、九州・四国などから大規模な
送電が行われていることが観察される。
東京、関西は1990年代前半は送電であったものが1990年代後半から受電に変化しており、
反対に東北、北陸は1990年代前半は受電であったものが1990年代後半から送電に変わっている。
15ページ
2) 東 北 (図2-1-1-2a,b. 参照)
東北においては、夏期に水力資源が豊富であり需要期に東京へ連系送電を行っている。
一方、冬期においては水力発電所が渇水・凍結により運用できない問題があり、1990年代
前半においては東京・北海道から連系受電し需要を賄ってきた。1990年代中盤以降東北及び
いやあんたそもそも北海道電力や東京電力や日本原子力発電の電気を福島県民として使っていた事を忘れる以前に知らなかったろ。関東人として福島県に罪悪感を抱く一方東北人として北海道や関東に罪悪感を抱かないのはちぐはぐだ。
(ソース:世界の中の東京(東京都環境局) http://www.kankyo.metro.tokyo.jp/attachement/1-1.pdf )
(ソース:東京都建設局 http://www.kensetsu.metro.tokyo.jp/kouen/kouenannai/image/22menseki.pdf )
しかしながら、東京は狭い、というのは数字の上では間違いです。
むしろ、平面的な広がりでは、世界の中でも広い方で、現に人口密度でも、世界の大都市の中では、むしろかなり低いほうです。
その上に、東京の土地使用においては、住宅の占める比率はむしろ他の都市に比べても高い方です。
それにも関わらず、一人当り公園面積が小さく、住宅は狭く感じるのは、なぜなのでしょうか。
それは、「低層の建物が多いから」です。特に、「低層住宅が多いから」です。
森ビルのHPによると、東京23区の平均の容積率は、僅か131%です。
また、いかに東京に低層の建物が多く、公園が少ないかはGoogleマップでも確認できます。
シンガポール: http://goo.gl/maps/EUQR
他の都市では、航空写真で見ても、この縮尺でも確認できる建物が多いですが、東京では、新宿近辺などを除き、この縮尺で確認できないような小さい建物が広がっています。このような低層住宅が広がるのが東京の特徴と言えます。
しかし、このような低層住宅が延々と広がることは、それほど良いものなのでしょうか。
低層住宅といえば聞こえはいいが、しかし、東京の低層住宅というのは、私には良いものだとは思えません。
庭などはほとんどなく、1階の日当たりもほとんどない。また、建蔽率が50%であっても、建物の他の敷地はほとんど駐車場…一般的な東京の低層住宅街と言うのは、このようなものではないでしょうか。
そうではないという人は、高い家賃を払っているか、駅から遠いか、あるいは、郊外に住んでいるような人でしょう。
日本は地震国であるため、高層建築が発達せず、多くの床面積を作るためには、平面的に広がるという方法を選択してきました。しかし、地震に強い建築が確立されつつある今、もはや、僅かな人数しか居住させられないいにも関わらず土地を占有する低層住宅は最早害悪以外の何ものでもないような気がします。
少なくとも、狭い土地建っている木造3階の一戸建てなんかは、床面積に占める階段の比率が多くなってしまい、非効率この上ないのではないでしょうか。
加えて、平面的に広がる住宅街は、通勤時間を長いものにしてしまいます(家は駅から遠くなり、また、電車による移動時間も長くなります)。これらは、余暇の時間・家族の時間の減少に繋がっていきます。
東京は高層化さえできれば、広く、駅から近く、また職場にも近いゆとりのある住環境を提供できるポテンシャルを持っているはずです。
高層マンションに反対している人は、狭い家とか、駅から長い時間歩くとか、また長い時間電車に乗ってるのが好きか、ただゴネ得を狙ってるとしか思えません。
高層ビルは景観を壊すとか言ってる人は、公園も庭もない家が延々と続く景観が好きという奇特な方なのでしょう。
シンガポールなんかは、東京より多い人口密度(6283人/km2)でありながら、緑が多くて「ガーデンシティ」なんて言われています。
ボスの言われるままに進学したが、僕のレベルは周りよりはるかに下だった。
まず英語ができない。まわり頭いい。英語の論文の訳なんてできるわけがない。
課題もできない。なんでこんなの理解できるんだ。
やる気もない。そんな熱心にやらなくったって、もう実験の細かいところにこだわったって結果が極端によくなるわけないから適当でいいだろが。
「死にたい」とか「ワシ病んでるねん」などは思わないが、本当に修士に進むべきでなかったと思う。
私立の不人気学科ならなおさらだ。
すぐには働かなくていいし卒業後にもしも働けたときは学部卒より給料もいいだろうけど、よっぽど勉強が好きでないかぎり進学は禁止。おじさんとの約束だ。
さて、リクナビでも見るか。
7/19追記ー。
キュアサンシャインとけいおん!!のおかげで生きながらえてます。
研究と勉強の違いくらい理解してるよ!って言い訳しようかと思ったけど、また今度暇があるときに。
2/23追記。
内定とって修論発表も無事終えました。当時は精神的にかなり辛かったけど、とにかく胸をはってやることをやればなんとかなった。
就職できない人、修了できそうにない人の事を思うと胸が痛む。
昔の自分にアドヴァイスをするとしたら、とにかく前向きに自分より下と比べて自信を持って、元気よく出来うる限り最善を尽くして内定を取りにいってください、とエールを贈る。
…ってのが、大学入って院の人間を見て思ったこと。修士/博士の人、なんか間違ってるとこあったら言って下さい。人にケチつけるのは得意だよね。
あ、これから書くのはあくまで「俺が見た範囲」での博士の生き方です。分野によって、というか教官/研究室によって大分違うと思います。俺がいたのは「3Kどころか10Kでも20Kでも挙げられるぜ!」っていう分野の研究室です。
そこにいたD3の、俺が知る限りの生活。
9:00 研究室に
9:30 実験開始
12:30 先生と昼ご飯。俺もついていく
13:00 実験再開
22:00 そろそろ実験終えて文献を漁ったりする
その後 キリのいいところで帰宅
一番遅い人で2時くらい。3時まで残ってることはあんまりない。
こういう生活ならそりゃ専門バカにもなると思う。
スカトロってのは、まあ別にSMでも赤ちゃんプレイでもいいけど、他人に理解されない趣味。そして、ある意味では学問も同じ。人に理解されない趣味を持った人っていうのは、でも、どうやったって一定数生まれてくる。
ウンコを喰って興奮してしまう人が存在するのと同じくらいの必然性で、学問に取り憑かれてしまう人が存在する。彼らはそういう風にしか生きられない。
伝記の世界だと「○○に一生を捧げて死んだ」って人が山ほど出てくる。「一生を捧げる」ってのは当たり前だけど途方も無いエネルギーが必要で、けど、じゃあ何かに一生を捧げれば偉くなれるかっていうと、案外そうでもないんだろうなと思う。
何かに一生を捧げる人たちってのは多分どの時代にも結構な数がいて、人知れず消えていく。
別に、彼らの多くは偉くなりたいなんて思ってなくて、でも彼らは何よりも優先すべき事柄を見つけてしまって、それを追い求めずにはいられなくなったんじゃないか。
それは傍から見ればすごく不毛で苦しそうなことだけど、多分本人はすごく楽しいんだろうな、と。
俺はその姿に憧れてしまうけど、憧れてる時点で、既にダメなんじゃないかとも思う。
本当に何かを追い求められるのは、こんなことを考える前に行動を起こしてしまうような、こんなところでグダグダ書かないような人間なんだろう。
とりあえず、先輩、海外行っても頑張ってください。
ヤバイ。博士ヤバイ。まじでヤバイよ、マジヤバイ。
博士ヤバイ。
まず賢い。もう賢いなんてもんじゃない。超賢い。
賢いとかっても
「おばあちゃんの知恵袋くらい?」
とか、もう、そういうレベルじゃない。
何しろD3。スゲェ!なんかその後とか無いの。B4とかM2とかを超越してる。D3だし超賢い。
だって普通は大学の友達とか勉強しないじゃん。だって自分の学年の平均値がだんだん上がってったら困るじゃん。自分ひとりだけ単位不可とか困るっしょ。
先生が気合いれて、一回生のときはただの高校化学の延長だったのに、三回生のときは全合成のペーパーで反応機構を述べよとか泣くっしょ。
けど博士はヤバイ。そんなの気にしない。勉強しまくり。既知の知見全てを前提知識として議論を展開する。ヤバすぎ。
D3っていたけど、もしかしたらポスドクかもしんない。でもポスドクって事にすると
「じゃあ、任期切れたらどうするのよ?」
って事になるし、それは誰もわからない。ヤバイ。誰にも分からないなんて凄すぎる。
あと帰るの超遅い。約25:00。実働時間で言うと14時間くらい。ヤバイ。遅すぎ。恋人作る間もない。怖い。
それに超休み無い。超日曜出勤。それに超テキトー。白衣とか全く着ない。サンダルて。でも手袋・保護メガネはしてる、ずっと。
B4なんて原料合成とかたかだか10mmolスケールでやるだけで上手く精製できないからカラムしたり、再結晶で一晩置いてみたり、諦めてクルードのまま使ったりするのに、
修士で完全放置っていうのはちょっとひどいよなあ。数学とかだとそういうのもあるの?いや、最近話題の生物かな?
まあ、私立の院ということで、学生の数が指導教官に比べて多すぎるので眼が届かないんだろう。しかし、とにかく指導教官どのコミュニケーションが不足している気がする。
相手が怒ろうがどうしようがしつこく絡んだ方がいい。どうせ今年限りだ(M2だよね?)
まあ、君だけ無視されてるんだとすると自分ではどうしようもない状況になっている可能性もあるが、その場合(これは最悪の場合だと思うが)は指導教官を変えるという手もある。そろそろ納涼会みたいなイベントがあるだろ?そこで学科主任に泣きつくんだ。教授準教授縦割りシステムになってから、そうやってる移動している学生は結構いると思う。まあ俺が知っているのは国立の場合だけど。
ttp://brevis.exblog.jp/12270332/
ちなみに、工場見学をしていると、人によって見るところが違うことに気づく。たとえば、工場見学の初心者は、たとえば自動溶接ロボットの動く工程だとか、整然と美しく広々した構内、あるいはコンベヤが連続して運び出す製品などに感心する。いわば、工場の目をひく付属品や印象を見ているのである。
ところが、工場見学の中級者は、別のところを見る。たとえば、NCマシンのラインと汎用機のブロックを分けてレイアウトしているな、とか、なぜ大型の自動切削機を2階においているのだろうか、といった点に注目する。建物の床には耐荷重(m2あたり500Kgとか1 ton等)という設計指標があり、これを大きくするには柱・梁を太くしたり補強を入れる必要があって、建築費が高くなる。だから重量のある機械装置はふつう1階におくのが工場計画論の定石なのだ。つまり、中級者は工場の構造に注目するのである。
そして、諸先輩の中でも上級者クラスの人を見ると、この工場は製造ロットサイズが大きすぎるんじゃないか、とか、構内は整然として見えるが通路脇に置いてある部品カゴに現品表がついていないな、といったことを指摘する。つまり、工場というシステムの動きと機能を見ているのである。だから、いろいろな人と一緒に見学に行くと勉強になる。
工学系の学生向けなので、すべての学生に役に立つかは分かりませんが。
一番最初は、「研究ノートをつける」ということだと思います。自分が今日何をやったのか、何が分からなかったのか、などを書いておくことで、自分はやってるんだ感を出すという事と、時系列的に何をやってきたのかが明確になるので、修論を書くときに便利になります(分野によって違うかと思いますが、修論は普通の論文と構成が違っていて、序論、問題設定、アプローチ1、実験、考察、アプローチ1の問題点を改良(アプローチ2)、実験・・・まとめ という風になっていると思います)。あと毎日何をやったかまとめることによって、問題が整理され、新たな解決法を思いつくネタにもなります。
私自身は、普通のキャンパスノートを研究ノート替わりにつかっていますが、だいたい1ヶ月1冊のペースで使い終わります。
・平日はなるべく研究室にいく
M1のあいだは講義があって、講義が終わってから研究室いくの面倒だなと思うこともあるかもしれませんが、なるべく行くようにして、少しでも(それが論文を30分読むとかだけでも)研究に関連したことをやることによって、習慣付けされることを狙うということと、研究室に顔を出さないとやる気のないやつというレッテルを貼られたり、研究室にいかないことによって疎遠になって後々行きづらくなるということから避けられます。基本的に先輩たちは教えるのは好きなので、早い段階から周りと慣れておくと、研究もスムーズにいきます。
私はここに関して失敗した人間で、配属当初はボスのことがすごく嫌い(自分の興味のある研究テーマを悉く否定(否定理由:私はそれあんまり好きじゃないんだよね)され)で研究室にいくのがイヤだったのと、ちょうど1つ上にあたる先輩同士が、裏で貶しあってたりしている様をみて人間的に好きになれなかったのもあり、殆ど図書館でひたすらM2の先輩が卒業するまで図書館で論文や参考書を読み漁る日々でした。しかし、図書館でいくら論文をよんでみたところで、所詮学部からあがってきたばかりの学生の能力では、論文の表層しか読み取れないという問題もあり、今思うと非常に非効率的だったと思います。
・サイクル化する
研究をやっているとどうしても、もうちょっと・・・もうちょっとだけ・・・とやってしまい帰るのが遅くなり、睡眠時間が削られる、或いは、活動時間がずれていく。というような悪循環に陥ることがあります。なので、なるべく何時には研究室から帰るという時間を決めておいて、研究をこなしていくとよいと思います。
私自身もそれをやってしまい、昼夜が逆転しかけたことがあります(もちろん、そんなときはゼミの時間に起きれるはずもなく、ボスから怒られました)。なので、今はなるべく21時には帰宅、1時間ほどお風呂でリラックスして、22時から3時間~4時間論文や本を読む時間にあてて、1時~2時に寝て、4時半におきるという生活をしています。
サイクル化を達成するための方法として、公共交通機関をつかって学校へ通うというものが考えられます。公共の交通機関には最終便という制限があるので、それまでに終わらせないと帰れないわけです。自家用車だと、いつでも帰れるという心境が油断を生み、だらだらとすごしてしまいがちになります。
・学校には泊まらない
忙しくなると泊まったりしますが、泊まるというのは非常に効率的じゃなかったりします。その理由は、
(1) きちんと布団で寝ないと疲れが取れない
(2) 遅くまでのこってみたところで、殆どだらけていて意味がない
などがあります。
他にも色々あると思いますが、私はこんなところです。
修論追い込みの時期に少しだけ現実逃避で少しグチをこぼしてみる.
うちの研究室は,「できるだけ大学院生が後輩の指導をするように」ということになっている.(教員が忙しい&大学院生に「ものを教える」経験を積ませるため)
自分がB4の時は,M1の先輩がメインで指導,M2の先輩は研究内容が全然違うため,全く指導せずと言う状況だった.
自分がM1の時は,僕がメインで指導(去年の今頃は,自分の研究と就職活動そっちのけで,毎日のように終電近くまで指導していた),M2の先輩は9月以降は指導せずと言う状況.
で,今年.
自分の修論もやばいのでそろそろ修論の追い込みに没頭したいのだが,B4の後輩がそうさせてくれない.
M2も最後までB4の面倒を見るのが「当たり前」だと思っている様子.
今までも「基本的には○○くん(M1)に見てもらうようにしてね! 僕も△△くん(B4)と同じように,研究を論文としてまとめて提出しなきゃいけないから見てあげられる余裕はないよ!」と何回も言ってきたんだけど,右から左に受け流している様子.
「個別相談を受けないようにすれば良いのに,それができない性格」である自分が悪いのは分かっているけれど,どうすれば僕への相談を諦めてくれるだろう…?
まぁ、多分似たような事書いている人は腐るほど居るんだけど書かせてくれ。
今M2なんだが最近頭に浮かぶのは修士に入るんじゃなかったって事ばっかりだ。 正直研究したくない、なんで入ってしまったんだろう。
研究以外はいろいろ楽しかった。(自分の研究テーマと関係ない)共同研究の雑用手伝ってるときとか、研究室のコンピュータ環境のお守りしてるときとか。 けど、自分の研究に関しては、だめだ。成果も出ないしモチベーションも出ない。悪循環だ。 なんせ、そんなに研究をまじめに進めてなかった自分が悪いんだけど。 今のテーマだって修了するためのポーズとしてやっているようなもんだ。成果なんてでやしない。
昔はプログラム書くの好きだったんだ。コンピュータいじってるのも好きだった。 それから高専に入って、大学に編入学して、どこで間違ったんだろうな。 学生を引き延ばしてここまで来たのがこの結果だよ。
多分研究に向いてないことに今まで目を背け続けてきた報いなんだろう。報いはうけなきゃならないんだろう。
誰かがざっくり殺してくれたら楽なのかな。自分の生死まで他人任せだ。だからこうなったんだろう。
研究報告で例を出すならば、自分のやってきたことを他人に分かるように報告する事がうまくできない。
じゃあ、補助ツールとして文章書くとか図を書くとか表を出すとかすればいいじゃない、という話なんだが
図を書くことも文章を書くことも得意ではない。
いや、自分なりに頑張って書くんだ。けれど作った図はいつも相手から見て「?」を出すばかり。成果が伴っていないから頑張ったと言えるものではない。
どれくらい酷いかというと、以前学会のポスター発表で掲載した図が、本番直前に身内(=指導教員)から「分かりにくいよね、これ…」と言われたくらい。
それ以来、描こうとすると怖くて描けない。情けない話だけどね。
B4,M1の時は、努力続けていれば、下手なりになんとかなるさ、みたいな気持ちが(少しだけ)あったんだけれど
M2になってもこれでは情けない。涙が出てくる。
…ドライアイだから実際に涙が出てくることはあまりないけど。
周りに似たようなジャンルの研究をしている人が誰もいないから、手本になる表現が乏しいというのもある…かもしれないけど
俺はどうしてこんなに表現が下手くそなんだろう。
地方中堅国立大学卒後,東大院のM2俺の意見は元増田と逆だなぁ…。
以下,理由。
1.就職しようと思ったら,有利
2.研究職に就きたいと思っても,有利
1.については色んなところで言われてると思うんで,割愛してさせてください。
で,2.なんだけど。
なんで,有利かっていうと,
書き方のノウハウやそれに向けての業績の作り方がとても大事だと思った。
Dに学振持ちが何人もいるってだけで,成功した申請書を参考にできるわけだし。
研究室として「学振出すよね?じゃあ,M1からそれに向けて学会発表や論文出してね。」って感じだと色々と違ってくる。
一方,こないだ出身大学に遊びに行って,同期でそのまま挙がった人と喋ってたら「学振ってなに?」って言われたし。
自分でアグレッシブに行動できない俺みたいな人こそ東大のがいいかも?
(アグレッシブな人ほど周りの評価を気にして,東大とかは辛いのかもしれませんが…)
俺の分野は社会科学なので,そんな研究費ははあまり関係ないだけど。
自費じゃなくても,国際学会に行かせてもらえたりすることもあるらしい。
あと,地味に利用できるジャーナルの数も出身大学よりも東大の方が多くて助かってます。
優秀なDが多いから,自分の研究のアドバイスや論文のチェックをしてもらえたりもする。
なんていうか一言で言えば,「ここで研究者になれなかったら,自分が100%悪い」という環境です。
もちろん,地方大学の院が全部ダメなんてことはまったくないです。
ただ,東大や京大の方が研究者になりやすい環境である確率が高いんじゃないかなと思ってます。
自分の環境も,東大と指導教員という2つの要因によって成り立ってるから,東大だけじゃだめなわけだし。
あと聞いた話でほんとは知らないだけど,指導教員の名前で学振の今後の計画の実現度が判断されるかもとも聞いた。
つまり,○○先生の指導なら,この計画は実現可能だろう的な感じかな?なんで,先生の名前も大事だと思います。
で,結局,何が言いたいかっていうと。
良い指導教員と良い研究環境に東大だと出会える確率が高いってことかな。
案外,自分の専門どんぴしゃじゃないと優秀かどうかは周りはわかんないんで,
東大・京大でも別に見捨てられるってことはないんじゃないかな~。
(学会発表もしないくらいだったら,別だろうけど……)
落ちこぼれな俺が言うんだから,間違ってないはず…。
ちなみに俺が東大院に入った理由は
指導してもらいたい先生がたまたま東大に居て,記念受験したら受かったからだけだったりします……。
ただ、今年の就職戦線が不利すぎるから来年に懸けたいという思いなら、
否定こそしないけど、「なんでD入った途端に就活すんの?バカなの?」と
そこそこいい大学で、GCOE持ってる専攻とかだと、D進学を決めた時点で
M2で月5~10万円、D在学中で月8~15万円程度のおこづかい(RA雇用)が出るから、
学費をさっ引いても貧しい生活でいいならモラトリアムできないことはない。
その待遇をしてくれる大学・大学院なら、ゼッタイ今でもマトモな就職ができるはず。
もう1人の増田の指摘みたく、就職したらとりあえずの食い扶持と職歴ができる。
D進して鬱になって、雪だるま式に借金と齢が増えていくぐらいなら、
就職した方が全然いいぞ?
http://anond.hatelabo.jp/20090408140601 って
http://anond.hatelabo.jp/20090218015853 の人でしょ?
そのもう一人のM2に対しては、研究+仕事ではなく、実質的には研究自体で金をもらっている。
この点では、僕とやることは研究するだけという点で一緒。
というのは、知らなかった。
つなぎ止めるためのお金だったみたい。(家代+αとかの)
正直、半分くらいは、そのM2への嫉妬があるんだと思う。
今のところ、確かに僕の方が見た目裕福っぽく映るのかもしれないけど、
彼は、奨学金免除をもらってたし。
(だからあえて、元の文章では、彼が勝ち取ったものではなく~という表現をした。
彼はすでに自分でもいくつか勝ち取っている。まあそれは、後になって決まったことだけど。)
だから、なんとなく、ずるいとか、羨ましいとか、なんで彼ばっかりとか、
僕はそんな期待されてなったんだなとか、僕はもうどうでもいいんだろうなとか考えて、
自分のやってきたことは何だったんだろうとか、思うと悲しくなってきて研究を投げ出したくなっただけです。
自分でも本当にココロが狭いなぁと感じる。
ごめんなさい。つまらない奴で。