はてなキーワード: ひめゆりの塔とは
警備課長として八鹿高校事件に関わった佐々淳行は、退官後の回想記の中でこの事件に触れている[79]。それによると、佐々自身は現場の無警察状態を速やかに断固排除すべしとの立場だったが、警察の中のハト派は日本共産党と部落解放同盟の対立を「ハブとマングースの闘い」にたとえて「放っておけば互いに自壊する」と期待し、不介入方針を唱えていたという[79]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E9%B9%BF%E9%AB%98%E6%A0%A1%E4%BA%8B%E4%BB%B6
元の本は 佐々淳行, 『菊の御紋章と火炎ビン--「ひめゆりの塔」「伊勢神宮」が燃えた「昭和50年」』, 文藝春秋, 2009年,
, ISBN:978-4-16-371200-0, p.269-273, (http://www.sassaoffice.com/info/pg116.html , https://ndlonline.ndl.go.jp/#!/detail/R300000001-I000010084712-00 ) だから、ちゃんとこの記述が嘘で陰謀論であると証明してくださいね。できないだろうけど。
「ひめゆり」を観て欲しい。駄文でもこの思いを伝えたくて書く。
ポレポレ東中野という映画館で映画を観た時に「ひめゆり」の予告が上映されていた。先月人生初の沖縄に行ったばかりということもあり、記憶の片隅にずっと残っていて今日観に行ってきた。毎年この時期に上映してるらしい。
ひめゆりの塔、名前を聞いたことがあってもどういう場所で何があったのかは知らない人が多いんじゃないかと思う。この映画はひめゆり学徒隊として沖縄戦に動員された女学生の証言を記録したドキュメンタリーだ。
内容は稚拙な文章では現しきれない。記憶力も良く無いので一言一句覚えてるわけでもない。ただそれでもこの映画を日本人全員に観て欲しい気持ちが溢れている。「この悲劇を繰り返さないために〜」とか「今でもウクライナで〜」とかそういうことを言いたいんじゃない。この映画は教科書で一文ですまされる断絶した過去の歴史ではなく、母や祖母や曾祖母が経験した、する可能性があった、だれもが自分自身に関係する話なんだと思う。(実際に証言されてる方のお孫さんが映画を観に来ていた)
捕虜になると嬲り殺しにされると教えられたアメリカ軍に包囲された暗い壕の中で、ガス弾を投げ込まれる。布を水に濡らして口に当てようとしても水は無い。自分の尿で濡らした布を口に当て、少しでも新鮮な空気を吸おうとゴツゴツの岩の隙間に顔を埋める。苦しくて息が出来ない中でも「お母さん助けて、お父さん助けて、先生助けて」と叫ばずにはいられなかった。という証言があった。
泣いたね。泣いた。映画館で。暗くて良かった。
当方元陸自。催涙ガス焚いてガスマスクの効果を体感しましょう!って訓練があったんだけどマジで息が出来ない。口も喉も肺も痛くて息を吸えない。顔、というか露出している皮膚は日焼けに熱湯をかけられてるように痛い。当然目は開けられない。訓練用に弱めた催涙ガスでこの有様なのに、10代の少女が、想像も出来ないような恐怖の中で、息も出来ない状況で、それでも助けを求めるしかなかった。考えただけで胸が張り裂けそうだった。
彼女達だけが悲惨だったのではなく、沖縄全体で同様の悲しく辛いことがあったんだと思う。ただ忘れたかった忌まわしい過去を、証言し残してくれたおかげで歴史に埋もれなかった。彼女達のことを絶対に知らなければいけないとは言わないが知るべきだとは思う。
何度も繰り返すが映画「ひめゆり」を観て欲しい。DVD化も配信もされていない。金曜までポレポレ東中野でやってる。都民、観てくれ。都民じゃなくても観てくれ。今調べたら東京以外でも大阪、福島、島根でもやってるみたいだ。観てくれ。
戦災復興っていうのは戦争を言い訳に人生を諦めなくてよくなることらしい。
「街に米軍が闊歩し、本土からは無理難題を押し付けられている、こんなことではとても沖縄はやっていけない」という思い込みの中にいる。
「コロナが流行っているのは沖縄が悪いのではなく100%米軍と本土のせいであり、つまり沖縄は微塵も悪くない」と本気で思い込んでいる。
「沖縄が何をやっても全部、米軍と本土がぶち壊す。ならもう沖縄は全ての努力義務を放棄してもいいのではないか?」と本気で考えている。
これこそが戦災なのだろう。
琉球王朝の敗北からずっと続いてきた「本土によって迫害を受けている」という強烈な被害者意識。
米軍による占領によって染み付いた「なにもかも米軍が滅茶苦茶にする」という半分だけ正しい責任転嫁。
その積み重ねから脱することが出来ず、いつまでもいつまでも沖縄は自立することが出来ていない。
沖縄はいつ戦災復興出来るのか、ひめゆりの塔に行けば「酷い時代があったものですね」と説明を受けるが、酷い時代はまだ続いているのだろう。
だが、それを続けているのは本土や米軍のみでなく沖縄自身になってきている。
沖縄それ自体が、「我々は被害者である」という態度の中に引き篭もり続けている。
米軍があるからなにをやっても無駄だという態度を辞めろということである。
韓国を見ればいい。
慰安婦問題がどうこうと延々と日本に粘着しながらも、その一方では日本を追い抜かんと発展を続けている。
家でぬくぬく、ねぇ…。
地図から見る空襲 https://wararchive.yahoo.co.jp/airraid/
お前、ひめゆりの塔の前でもそれ言えんの?
嘉手納基地の横には「道の駅かでな」があり、そこの展望台からは基地の滑走路が一望できる。
戦闘機が訓練で離着陸を繰り返しており、爆音と共に普段見ることのない米軍の戦闘機や大型の輸送機に私はなかなか感銘を覚えていた。
12月初旬は、修学旅行シーズンらしく、ひめゆりの塔や国際通りもそうだったが、この道の駅も観光バスの休憩スポットとして多くの修学旅行生が訪れる。
女子高生の集団。展望台に来るなり、「オスプレイはw?オスプレイないの??」とはしゃいでいた。
それは思想も信条も関係ない、純粋無垢な好奇心から発せられるものだった。
平和教育がどうこう、という意見や風潮があるが私は良くも悪くもこの程度の軽い認識でかまわないと考えている。
むしろそこらへんの女子高生が米軍の兵器の名前を知っているだけでもすごいことではないか。
2年前の敗戦の日ころにNHKのラジオで流していた五木寛之さんといとうせいこうさんの対談の冒頭部分の書き起こし。
誰かフルで持っていませんかね。
まぁ、僕はもちろん戦争体験の年代ではないのですけど、五木さんは?
とはいっても、戦場体験は、もう3つくらい上になるとあるんですけど
少年飛行兵とか
僕らの世代は、ちょっと前で、終戦のときは、中学1年生でしたから
平壌の一中に通ってました。
で、引き上げていらっしゃって
丸々太って引き揚げてきて、村の人が
出ていってときと別人のようでなんて人もいた。
インパール作戦とか
僕は国に対して、万斛の恨みがあるんですけど
そのままにしておきたい
方針があったみたいですね
僕なんかは、引き上げというよりも脱北ですね
脱北者として、逃亡してきた
今から70年になりますから、引き上げ者といってもピンとこない
あっ、帰国子女ですかと言われたりするんで、
棄民のようなかたち?
完全な棄民ですね。
平壌では、チョコレートがあったそうじゃないかみたいなかたちでね
上海では、ジャズバンドもあって、ダンスホールもやってましたから
そういう裏返しも、恨みみたいなものがあるから、余計なものが帰ってきてということで、
粗雑なお話になって、
あるいは美しい物語になってね
五木さんはそうではなかった
僕なんかまだいいほうでね
近くに入植した人たちが、軍に見捨てられて
デマが流れて、ピョンヤンに来ると列車があるらしいということで、
見るも無残な行列が
その人たちは、ありとあらゆる戦争の愚行というものの惨禍を受けてね
ひとことには絶対いえないですよ
それがもう伝わらなくなってきている
帰国子女だという人がいるということ
五木さんに今このお話を伺うことは、とても大きなことなのではないかと
今、話すのは無駄だと思っているんですよ。
虚無感というかむなしさの中で
沖縄戦のいろんなことを語り部として、修学旅行の生徒に語って聞かせるようなガイドの人たちは、もうだめだ。やめようと。
早くやめろとかね。その間みんなスマホを見ている、ぜんぜん聞こうとしない
僕は伝わらないと思う
言っても言ってもね、実感というのは伝わらない
僕はもう半ば諦めている
その人が
そうなるまでは、
物語化して伝わったり
そういうクッションを経て伝わるんだ
と、悪いんですけど、嘆いているんですよ
なんとなく、口ごもる
話の中にもその人が語りたくない
っていう感じが伝わってくるでしょ
本当のことは語りたくないわけでしょ
本当の自分に対してやましさを持っている人たちは
語りたくないんですよ
だから、僕も本当のことは語らない
ずっと今日までね、引き上げをテーマにした小説は書かなかった。
言われたら、とてもじゃないけど、申し訳ない
確かにそうですね。
以上の内容から読み取れることは、戦争体験は千差万別であること。
修学旅行で原爆資料館に行ったら、呉の軍港も見て、岩国の基地も見て、バランスをとっておくべき。
沖縄にいったら、ひめゆりの塔に行ったら、米軍基地も見ておきたい。
空爆でやられたところとそうでないところ。日本の都市部がなぜか軍需工場扱いされていた事実。
やられなかったところは、当時の日常の延長なんだよ。
赤紙がきて、動員された人。上を目指して、半島や大陸に渡った人もいた。
そういう事実の積み重ねの上、生き残った人が今を作っている。ただ、それだけ。
決まって「東京は人が多い」「早く沖縄に帰りたい」などという。
現地在住のガイドに出くわす。3回いって2回そうだった。
別段気にも留めてはなかったけど、ふとこれのルーツは、
琉球王国を日本に侵略されたという恨みからきてるものかしらと思ったら
似たような経緯で日本につっかかってきている隣国の方々を連想した。
だから、沖縄の人にくわしく気持ちを語ってもらえると隣国の住人
の気持ちも少し理解できるんじゃないかと思った。
沖縄の人は日本語も通じるし。逆に日本のほうの感情も少しは理解できそうだし。
さしあたってどうして「沖縄が1番」って東京のスタジオで収録し全国にむけての放送で
無邪気に言い放つことができるのか知りたい。
そういう演出なのかもしれないが、それでも気を使うってことはできないのかと思う。