はてなキーワード: ちんどん屋とは
長い時間親父と絶縁していた、
悪いのは2万%あっち
死んだら葬式は紅白の垂れ幕で大売り出しの法被着て坊主の代わりにちんどん屋呼んで紙吹雪を飛ばしてやろうと楽しみにしていたが
なかなか死なない
その後なんやかやで、俺も子供もでき実家に連れてって子供を見せてやる。
親父は史上最悪最低、自分勝手で思いやりのカケラもないクソ人間である。
だがスクルージと違い親父は息子と娘がいてそれぞれ結婚もして孫も居る。
幸せな奴だ。
二歳の時にヨチヨチと歩いて「じぃじあそんでー」にこー
一発胸キュンだったみたい
0歳1歳の頃「あの子が居なくなったら耐えられない、だからあんまり関わらんねん、愛しすぎるとツライ」
と言うてたらしいが、諦めたみたい。溺愛。
4月は12時までしか預かってもらえない。
12時にジジババにピックアップしてもらい17時まで実家で預かってもらう事にした。
母親は渋々承諾。
走り回る元気な三歳の男の子、70後半の両親にはキツイだろうが、頑張れ。
5月になり、16時まで幼稚園で見てもらえるようになったが
「週に2日くらいなら半日見てあげるわよ、ほら延長保育はお金かかるでしょ」
おいw
息子は賢い、空気を読む、言語能力も高い、要求や不満は言葉で表現できる。
相手の親御さんに年齢聞かれ答えるとたいてい驚かれる。
発語も早くイヤイヤ期も無かったんだが、
ジジババの家では走り回らない、外では見える所で遊ぶこと
言いつけているがちゃんと守ってるようだ。
なによりオヤジが起きて着替えるようになった。
75歳で仕事引退してそれ以降ベッドに引きこもるようになった。
終日寝巻きのままだったのが、息子と外出するために着替えて準備するようになった。
オヤジは母親に「あの子は凄い、賢い、普通じゃない、親がバカなのが可哀想」を繰り返しているようだ。殺す
週末に俺と息子で遊びにでかけ電車で帰った。
電車好きの息子は車掌さんにバイバイもらうのが降車のルーチン。
ホームで出発を待っているとオヤジと遭遇。同じ電車に乗っていたようだ。
息子が「じぃじとかえる」というものだから俺は自転車があったのでオヤジに息子を託した。
手を引っ張ったり走っちゃダメだよとだけ注意をした。
手をつないで帰った。
大人しく歩いていたようで、
それだけなら溺愛ブーストで終わるが。
オヤジは道すがらコバンソウを摘んで息子に渡し、草の名前を教えたらしい。
これを持ってるとお金持ちになるよ、とか。
「これはコバンソウって言うんだよね、ジィジに持っていく」をやったらしい。
こんなん撃ち抜かれるやろw
私はchindonの表記が一番一般的だなとは思っていました。
chindon→ching dong(より英語的)→tin dong(より英語の擬音語的)
の順でナチュラルなのかな、と思います。(ネイティブではないので感覚ですが^^;)
ただ、ふと思ったのは、そこが日本語の面白みなのですが、「チンドン」というのは、擬音語であるとともに、一事象をさす固有名詞でもあるという点です。固有名詞にはそれを発音したら、同じものが頭に浮かぶ機能が必要になります。
例えば、外国人旅行者が、「チンドン屋さんはどこですか?」と、街で出会ったおばあちゃんに聞いたときに、「ホェア イズ ティンドンヤ?」と聞き取れてしまうと、おばあちゃんには「てぃんどんや?」となってしまい、会話が成り立たなくなってしまう可能性があります。
それですと、固有名詞としての同じものが頭に浮かぶ便利さがなくなってしまうと思うのです。
そう考えますと、外国の方が「チンドンの英語表記」を使うときの用途は、その音を表現する擬音語としてよりも、「チンドンおよびチンドン屋さん」を表現する固有名詞としてのほうがメインなのではと考えました。
となると、発音者によって「てぃんどんや?」となってしまうリスクよりも、例え表現として違和感があっても「チンドンヤ?ああ、チンドン屋さんならあっち行ったわよ」と伝わるメリットのほうが大きいと思われます。
よって、汎用的には「chindon、ching dong」のほうがよいのではないかと思いました。そのうえで、”chindon” is japanese onomatopoeia. It sounds like “tin dong” のように補足すると、日本語の奥深さが伝わるのではないでしょうか。
※ちなみにGoogle翻訳は
チンドン → Jindong
「チンドン屋」と聞くと、
「あーほ、ばーか、ちんどんや!」
これって使っちゃいけない言葉なんでしょうか?
となると、実際にチンドン屋さんを見かけた時になんと呼べばいいのでしょう?
1)民放連側のに職業差別条項があるのみで、NHKでは問題ない。
そのなかでも、
3)自らの職業を紹介する際に「チンドン屋」というのは問題ない。(ex.百姓)
4)「誰々はチンドン屋だ」「何々はちんどん屋みたいだ」のような表現は、職業差別的発現と捉えられるので要注意。
5)「あなたの職業はちんどん屋です。」「村杉進(職業:チンドン屋)」のような表現は、民放連の解釈だと、職業差別に当たるとし使わないように推奨されている。
6)「チンドン」「ちんどん」は楽器や現象を指すものであり、この問題とは関係がない。
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じつは法律はないのでそのものは犯罪ではありません。あるのは各放送局や放送団体で自主規制のために作った番組制作ガイドライン(通称:放送コード)だけです。なので、日本にはNHKのものと、民放連のものと2つ存在します。これを元に放送を制作している人たちが、「不適切だ」と判断した言葉が積み重なったものが、いま一般的にいわれている「放送禁止用語」のようです。そのため、この言葉がダメというのは明文化されておらず、過去の経験上「不適切」と処理されることの多い言葉を「ピー」で事務的に消しているというのが実情のようです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%94%BE%E9%80%81%E7%A6%81%E6%AD%A2%E7%94%A8%E8%AA%9E
「チンドン屋」という表現が「不適切」と判断される場合は、それが「職業差別」的な意図がある、もしくは、そう解釈もできる場合です。
なので、手っ取り早い回避策としては、「チンドン屋さん」という表現を使うことです。これは、「チンドン屋さん」は「愛称」なので言葉そのものに悪意は含まれていません。よっぽど悪意に満ちた使い方をしないかぎり(笑)。
また、「チンドン屋」は職業や業態を指す言葉なので、使い方によっては「不適切」になります。たとえば、自分自身の職業を紹介するために「私はチンドン屋です」という表現は何の問題もありません、差別にはならないので。
(私は百姓です。という言葉は放送上でも、よく使用されているようです。)
ただ、「〜〜〜は、チンドン屋だ」「〜〜〜は、ちんどん屋のようだ」のような表現には気をつけましょう。そこに悪意があれば「チンドン屋=悪いものの例」として使っていることになり、「チンドン屋に対する職業差別」が発生しますので「不適切」です。
問題は、「あなたの職業はちんどん屋です。」「村杉進(職業:チンドン屋)」などの場合です。おそらくその表現をしている方には悪意はないのでしょうが、「チンドン屋」「八百屋」など「〜〜屋」という職業の呼称に歴史上、悪意を持って使っている時代があり、その悪意を受け取る側が感じる場合があるので、難しいところです。なので、その場合は「チンドン屋さん」「八百屋さん」と言葉を置き換えることによって回避しましょう。
一般的には、楽器、音楽、現象を指す言葉や擬音として使用されるものなので、問題はありません。ただし、「チンドン屋」「ちんどん屋」の略語として使用される場合もあります。その際には「チンドン屋」「ちんどん屋」と同じ扱いを受けるので、注意が必要です。
以上、ご参考になりましたでしょうか?
とりあえず言えることは、「さん」をつければ万事OKということです。
街で見かけたら、「チンドン屋さ〜ん!」と声をかけてみるといいかもしれません、きっといい笑顔で応えてくれると思います。
懐かしくて面白い! 2016年版チンドン屋さんまとめ - NAVER まとめ
最初クーポンサイトの話を聞いたときはいいアイデアだと思ったが、「儲かる」と聞いて変な気がした。
本当に大幅な割引クーポンはユーザーにとても魅力がある。しかしその魅力の源泉は店舗の持ち出しだ。
お得な情報が欲しいユーザーと割引で損をしてでも店のことを知ってほしい店舗。そしてそれに介在する広告業者。
もしIT屋ならこう考えるだろう「このニーズのギャップにはマッチングが必要だ、そしてそれをとんでもなく超低コストで実現するのがITだ」と
つまり10年前ならおそらく「閲覧は当然掲載も無料で格安クーポンを紹介するサイト」になったはず。
そして軌道に乗ったところで収益を考えて掲載にほんのちょびっと手数料を乗せるようになるだろう。何しろ効率の高さがITの身上なのだ。
某SNSの株式上場のとき某SNSは有望だから株を買いなさい、だれでも儲かりますよと吹聴してる連中がいた。
幹事証券に群がる連中や会計士、経済紙を名乗るちんどん屋まで提灯ふくらまして騒いでいた。
さて、結果どうだったのか。
目論見では確かな人脈と口コミで広告収入で業績ウハウハの超高値の株を買っても株主もウハウハだったはずだ。
今は無料と称するゲームで子供から小銭まきあげてるんじゃなかったっけ。
ごく単純に儲け話を他人なんかにタダで持ってくるほうがおかしい。
FacebookもGrouponのIPOもそんな連中のババ抜きの匂いがプンプンする。
いや、事業にはそれなりの意義があると思うよ、実際。mixiだってサービス自体は定着してるし。
でもニヤついた詐欺師が何割かまともなこと言ったって信じるに値しないよね。
朝三暮四をとっかえひっかえ要するに本気でやれば本来の利益構造なんかいくらでも外から見えなくできる。
いや、いいアイデアだ。
みんな何かお得なものを探してる。「お得」ってのは一時的な割引のことなんかじゃあない。
いつだって新しい、何かより良いものを探しているのだ。おいしくて感じのいいレストランを見つけていきつけにしたいよね。
ところが新しい商品やサービスはリスキーだ。高い商品を試して失敗だった時の落胆は誰にでも覚えがある。
でも自慢の商品を試してもらいたい会社は多少赤字が出たって試してもらって顧客になってもらいたいと思ったりする。
そこで安くしますから試してくださいよと言われたらどうだろう。
探索のリスクが軽減され、みんなまたいろいろ試してみようって気がしてくる。新陳代謝が起こり経済は活発になる。
で、○○ポンは新しいビジネスなんだからもっと上手く人の役に立つんだよね?
端的に言えば手数料をもっとずーっとゼロに近づけられるよね?それがITだよね?
そのビジネスが優良かどうか。
それはその商売人が信用できるかどうかなんだと思うよ。
「僕の人生は幸運で彩られていた
才能に恵まれないものがいる
才能があっても見出されないものが居る
世の中には若くして怪我でキャリアを絶たれるものが居る
僕はプロフットボーラーになることが出来たし、この歳までやってこれた
全ては僕の努力の結果ではなく、周りの人が支えてくれたおかげだ」
「努力が全てでは無いと?」
「だって、フットボーラーを目指す人は、誰だって努力しているだろう?」|<
そこここで絶賛されている以上の文章だが、アホらしくて仕方がない。
明確なソースが提示されていないので、発言の真偽はわからないが、なんでわざわざジダンにしたんだろうか?
まぁ実際に発言していたらしていたで馬鹿馬鹿しいだけなのだが。
俺はサッカーが嫌いだが、そのサッカー嫌いの俺ですら知っている。
全世界の人間が見ているところで、発言の内容で擁護する連中もいるみたいだが、プロとしてあるまじき行為じゃないだろうか。
上の文章で言えば、周りの支えてきてくれた人々の厚意を無にするような行動だったのではないか。
まぁそもそもサッカーがスポーツマンシップとかと無縁の競技なんだから、綺麗事を言わせるんだったら他のスポーツ選手にいわせるべきだな。
以前にテレビで見かけたどこかの国のチームは、ユニフォームを破れやすい素材にしてから勝ち星を挙げたそうだ。
つかむと破れるから接触プレイをされなくなったとかなんとか。
その国ともそのチームともサッカーとも全く関係のない一個人としては、薄汚い行為って以上の感想はない。
そういえばどっかのチームの練習風景で、蹴られたり飛ばされたりしたときに痛がる練習をしてる動画があった。
実際のものかどうかは確かめるすべもないんだが、個人的にはやっぱりそういうスポーツなんだなという感想だった。
あとついでに嫌いといえばサポーターとか自称しているちんどん屋連中も大嫌いだ。
あの連中は応援したいんじゃなくて騒ぎたいだけなんだろう。
サッカーは嫌いだがサッカー漫画は好きなので、いろいろ読むのだが、GIANT KILLINGという作品がある。
サポーターについて描いてる部分があるんだが、その部分は破り捨てたくなるぐらい嫌いだ。
サポーターとか応援の有無なんざ糞以下程度の意味しかないだろうに、変なプライドと俺ルールを振りかざす様がたまらなく嫌だ。
存在自体が迷惑なんだから、閉鎖空間でやっててくれないもんだろうか。
スポーツバーとかがそこら辺にあんだから、しっかり隔離していただきたい。
できれば精神異常者はどこか遠くで群れて、町中に放さないようにしていただきたい。