はてなキーワード: 釣りとは
京都大学に通っていたころ、ある教授がこんなことを言っていた。
「原発事故で発生する被害はほぼ無限大。いかに確率が小さかろうと、∞を掛ければ∞なのだから、期待値で考えれば原発は火力より危ないと言えるのだ。」
呆れるほど乱暴な議論だった。京大の教授ですらこんな滅茶苦茶なことを言うのかと思った。
(その教授は外部から来ていたうえ、一緒に聴いていた京大生は誰もまともに取り合っていなかったというのを知って安心したが)
上の主張がいかに酷いものであるか、賢明なはてなー諸氏には一目でわかると思うのだが、一応書いておく。
数学的に∞とは、ある変数の変化に伴い際限なく大きくなっていく別の変数の「動き方」を示すのであって、単独で数値として存在するものではない。
仮に有限の物凄く大きな値を、簡単のため∞と置くことが許されたとしよう。
そうであるなら、有限の物凄く0に近い値は、無限小(簡単に言えば、「ほぼ0」)と評価しなければ割に合わない。
原発事故の発生率は、見積もりが大きくバラついているものの、だいたい数千年~数万年に1回という話だから、これを「無限小」と評価しないのは釣り合いが取れないだろう。
ちなみに数学的には、無限大×無限小の掛け算は「不定」である。
そちらの被害額が∞でないとはどうして言えようか?
そもそも原発の被害が∞というわけのわからない評価は「人の命は何よりも重い」という無邪気な前提から来ているのではなかろうか。
そうだとすると、火力だって人が死ぬ可能性はあるのだから、そちらも当然に∞となるはずである。
そうなれば期待値で比較したときに∞と∞の比較になって答えは不定となるはずだ。
本気で比較するならば、正しい手順はおそらく以下のようになるはずだ。
全体的に件の教授は、∞だの期待値だのという数学上の概念を都合よく(そして不正確に)利用して煙に巻こうとしているようにしか見えない。
これで詰んでるなんてどうして言えるんだろう。
どうせ釣りなんだろうけど。
本当に詰んでるってのは35歳引きこもり無職の自分のような存在。
10歳から25年間引きこもり続けて親の脛を齧って生きてるだけのクズ。
もともと身体が健康じゃないから普通の人のようにはできないし。
それにもし今この瞬間、身体が完治して健常になっても、引きこもっていた時間が長すぎて途方に暮れる。
どうすればいいんだよって。
どうしようもないんだけどさ。
両親には申し訳なく思ってる。
こんなクズでごめんって。
「親より早く死んでくれるな」って言うから頑張って生きてるけどさ。
詰んでるからしょうがないよな。
終わった後なら両親だって許してくれるさ。
けど、本当は真っ当になりたい。
なんで俺はこんな弱くてクズなんだろう…。
去年の酷暑で流石に気の毒になってきたので、
エアコンを買ってやろうと思う
ネットで調べたところ、本体も込みで10万あればお釣りがくるだろうと見込んでいる
夏のボーナスで余裕で賄える
ところが親に話すと将来に向けて金を貯めないとダメだ。と反対してくる。
高いっちゃ高いが、ボーナス払いにすればそこまで無理した買い物でもないし、
明日から始まる連休に、新しくできた友人5人と釣りに行くことになっている。詳しい場所は言えないが新宿で集合して、小田急線で神奈川の漁港まで行く。往復で大体2000円ちょっとくらい。
計画はグループラインで5人で話していたが、その内1人が途中で個チャで相談してきた。交通費やご飯代、その他お金がかかると、生活費がキツいらしい。色々きいたら、そいつは学費とか生活費を奨学金で賄ってるらしい。この時初めて生活費の奨学金があるのを知った。金額は言わないが生活費を聞いてビックリした。1人だけ行けないのは可哀想なので交通費の2000円を貸した。貸したというよりあげた。正直返してもらわなくていい。
てか増田で意味不明なことを延々と書き込んでる人(殺した殺された、東大法令学部、そんなこともわからないくせに略してそワカ)がそこらへんの差別以上に偏見に怖いと思うんだけど
逆にあそこまでいくと文脈もなにもないからだれも「誰を差別したがってるのか」読み取れなくて純粋不特定憎悪として存在を許されてるのが笑えるわな
どんなニュース見ても「俺を叩いたな!」って逆上できるのが特技の反差別主義特定増田もあれくらいやれば自分のこととは思わないんだww
好き子について、最近あらためてやっぱり、好きなんだなぁと思う。
学生時代に知り合って、ほどけるようにゆっくり気持ちがはぐくまれてった気はする。気がついたら好きだったから、もうずっと、その子を思うたび、ああ好きなんだなぁ、この子には、誰より幸せになってほしいなぁと思っている。
その子が結婚したとき、どうしてか涙が出た。嬉しいを飛び越えて、寂しかった。わたしは彼女には誰より幸せになってほしかったはずなのに、知らない誰かのとなりの彼女をみるのは辛かった。だけど幸せそうな彼女をみると、これでよかったんだって思いも湧いた。
そんな彼女がひどく傷ついて離婚した。わたしはお相手さんに対して、怒りをおぼえたけど、それと一緒に、ああ、この子を傷つけたのがわたしでなくてよかったとも思った。
だから、時々連絡を取ってくれる、取ることを許してくれる優しい彼女が、あまりにも大切に思う。
街中で笑いながら繋いだ手に永遠をみたのがわたしだけでもいい。
そんな私が、どんな結末をむかえたとしても、一度は彼女と人生をともにしようとした彼女の元お相手に、何もいえるわけもない。
私は臆病者なんだ。
それでも私はわがままなので、これからも彼女の近くにいたいと思ってしまう。幸せを願っていたい。たとえこの先、好きだと伝えてしまったとしても、その時私は私であることを誇れるようになっていたいと思う。
昨日池の水を抜く番組で釣りしてたんだけどあんな人達が番組の仮想敵だったような気がするんだよなー