はてなキーワード: 倹約とは
2011年2月初旬、はじめての妊娠がわかって、とてもうれしかった。
昨日、稽留流産の手術をした。まだ、気持ちの整理がついていないけれど、幸いに術後の痛みもほとんど無いので、記憶が確かなうちに記録する。
様々な方が経験を手記やブログとしてネットで公開されていて、それがおおきな助けになったので、自分も増田として一助になれればと思う。長文お許し下さい。
筆者、36歳、自宅で自由業。結婚10年目。夫は38歳、研究職。ふたりぐらし。
仕事が落ち着き、経済状況も安定してきたので赤ちゃんをむかえることに、2010年秋からとりくみはじめた。
基礎体温は2010年7月から記録をはじめた。葉酸は、1年ほど前から意識して摂取するようにしていた。
夫は頭の中が研究のことばかり。いつも帰宅が遅く、ごはん食べてそのまま泥のように眠るのが日常。
仕事を家にもちかえって、私がデータ整理を手伝いながら、夜半まで趣味とも仕事ともつかない作業をする日も多い。
そんなわけで、いままでかんばる回数は月に2回あればいいほうだった。
夫の妊娠についての知識は「排卵日にがんばれば命中する」というもので、
「顕微鏡でためしに自分の精子を観察したところ、活動も活発で数もいた」という自負がある。
私の周期は28日で、サイクルはわりあい正確、基礎体温もはっきり2層に分かれる変化をしていた。
基礎体温記録、周期の予測、予告などで、下記のサイトを有効活用させていただいた。
記録をまとめて印刷することもできるので、医師に妊娠の経緯を説明する時にとても便利だったし、「がんばる日」の予想もしやすい。
上記の通り、夫の妊娠に対する知識はかなりアバウトであったし、私もネットを使って本気で調べるまでは、知らない事が多かった。
挑戦して、3ヶ月くらいまでは、基礎体温から予測した「だいたいこの日が排卵日」という日を中心に一晩か二晩、がんばった。
夫が仕事でつかれていて、お願いした日に寝てしまったり、お酒を飲んでいい気持で忘れて寝てしまうこともあった。
年齢の事もあり、また自分に自信がなくなってきたので、不妊治療の事も真面目に調べた。
とてもお金がかかり、体への負担も大きい事が分かった。
20代で子供を産み、子供を小学生に育て上げてから、仕事をはじめた友人や、
私の20代には、経済的にも精神的にも余裕はなかったし、夫も自分の身を立てることで精一杯だった。
たいへんでも、親に援助をもとめても、もっとはやくに赤ちゃんをむかえることにすればよかったのかな……
冬になってから、もっと真剣になった。排卵日に関係なく、回数を増やした。それでも週に1度くらい?
妊娠しやすい体にしていくためには、普段から夫婦の接触が大事で、がんばる日が多いと、
お互いのホルモンが活発になって、生殖機能が活性化されていくらしい。科学的根拠は不明?
そして、妊娠しやすい期間の前に4日やすみの日をつくり、排卵日周辺に2日おき、または1日おきにがんばった。
カレンダーに「がんばる日」の印をつけて、多忙な夫が忘れないようにしてみたけど、それでも夫は忘れることがあった。
夫は、理性では、子供と私への気持から、その「予定」に前向きだったが、仕事の締切りや年末進行などで体力的にきつかったし、プレッシャーも感じていた。
私も強制して性交させるのはとても嫌だったので、時に喧嘩になることもあった。夫はいつも一方的に謝るばかりだった。
夫が最大限に努力してくれている事はよくわかっていたはずなのに、自分は焦って思いやりを忘れていた。
年末年始、大掃除もてきとうにして帰省をせず、はじめてふたりだけの大晦日とお正月をすごした。
いつもは組立てない炬燵を出してきて、パソコン並べて仕事しながら、お雑煮やおせちをたべてゆっくりした。
その甲斐もあって、1月のおわりにくるはずの月経が来ず、基礎体温も高いままだったので、
妊娠検査薬を使わずに、2月の初めに産婦人科にいった。病院は、近所の奥様がすすめる病院を選んだ。
子宮のなかに小さな黒いまるがうつっていた。なかみはまだ見えないけど、子宮外妊娠ではない事がわかりほっとした。
妊娠が確定して予定日を告げられてから そのママ に夫婦で登録し、
2月の半ばに2回目の検診にいった。
先生がカーテンをあけて、心臓が動いているのを見せてくれて「順調です」と言ってくれた。
黒い楕円の中で、ちいさい心臓がぱくぱく動いていて、思わず涙腺がゆるんだ。
赤ちゃんは週数のわりに少し小さかった。
調べると、後から追いついて大きくなったり、排卵日が遅かったりしていたために小さく見えたりするそうで、
あまり問題はないということだったけど、今思うと、その時のことがとても気になる。
つわりは、吐くようなつわりでなく、とにかく眠くて眠くて夜も早く眠くなり、昼寝で夕方まで寝てしまう事もあった。
つわりは人それぞれで、これで赤ちゃんの状態を推測する事はできないということだった。
回数を増やすようにがんばってから、夫が活性化したらしく、要求が増えたので、手などを用いて別の方法でお世話をした。
3月の初めに3度目の検診に行った。
この日に母子手帳の手続きができるはずで、その後に、しかるべき人々に報告しようと思っていた。
ちょうど夫の仕事が休みだったので、いっしょにうきうきしながら行った。
いつものように、エコーの検査をしてもらうと、時間がいつもより長く、先生が焦っているようだった。
何度も確認してみても、前回の検診から大きさもあまり変化していなくて、あんなに動いていた心臓のあたりがしんとしていた。
先生によれば、大きさからみて一週間前に心臓が止まってしまったそうだ。
稽留流産、といわれ、先生から説明を受けた。自分では一週間前に何の心当たりもなかった。
夫によれば、ちょうど一週間前から私が吐気でえづくことが増えたので、変化?と思っていたそうだ。
ネットで調べればいろいろ書いてあるので、細かい説明は避け、私個人の体験を記す。
丁寧な説明を受け、自分でもどうして良いかわからなかったけど、
とにかく、早めがよいということで、4日後に手術の日を予約した。
待合にいた夫を呼んで、小さな部屋で、助産師さんからより詳細な説明を受けた。
「わからないことや不安な事は何でも聞いて下さい」といわれたけど、何が不安なのか、何がわからないのかも見当がつかなかった。
あまりに突然の事で、夫婦して感情が固まってしまった。とにかく、私の母と夫の両親に報告した。
母が祖父の看病で家を離れられないため、義母が私の手術前から家に来てくれる事になった。
義母がくることに私はとても不安を感じていたが、案の定、相変わらず、無邪気に笑ってはしゃいでいたので、応対にひどくつかれた。
夫があとで「こんな時に笑うな」と言ってくれたので、助かった。
未婚の友人は、よく「夫を産んでくれたお姑さんに批判的になるのは変よ」と言うが、誰でも最初はそう思うのだ。
誰が好き好んで尊敬すべき立場の人に嫌な感情をいだくだろうか……それなりの経緯というものがあるのだ。
これを書いている今も、横で笑顔で孫がはやく欲しいなどと言っているが、赤ちゃんが亡くなった直後の無神経な発言に気分がささくれ立った。
前夜に話を戻すと、義母ひとりで付添いをするとはりきっていたが、頑なに拒み、夫ひとりについてきてくれるように頼んだ。
義母は多分いい人かもしれない。しかし、いい人がよいことをするわけではない。私は自分が我侭だと思ったが、あとでこの判断はよかったことがわかる。
海外で稽留流産をされた経験のある方の手記をネットで読んだ。その人は夫が激務でひとりで手術に行く事になったそうだ。
手術前夜からの入院で、夜中に耐えられずに泣いてしまったら、年配の看護師さんに抱きしめられて慰められ、
夫を病院に呼ぶようにすすめられ、夫が来てくれたのでとても助かった、と書かれていた。
手術前夜は、飲食禁止だったが、家で留守番をする義母と付添の夫のお昼に炊き込みご飯でおむすびをつくり、
病院に持っていく分と帰宅後の安静時に飲むための番茶をたくさん煮出して、空のペットボトルにつめ、
夫は、手術の前夜も仕事を家に持ち帰っていた。年度末の仕事がギリギリで、とても忙しい時期だ。
そういうわけで、夫は、赤ちゃんがいた実感も、赤ちゃんが亡くなった実感も薄く、私も事務的に手術の仕度をするだけで、
何が起こってどうなるのか、わからなかった。ただ、ネットで様々な人が書かれた手記や質問の応答などを読んで、
「こういうことがある」のがわかり、ふたりで「痛いことはたくさんあるようだけど、いちばんつらいのは赤ちゃんだから、耐えよう」と思った。
当日、3月7日朝9時、夫と直接、産婦人科病棟のナースステーションに行き、書類を出して手続きをした。
病院には自家用車で行った。服装は、お腹をゆるく保護する妊婦用のやわらかい部屋着のズボン、Tシャツ、パジャマの上着、フリースの長いコートで、
家に帰ったらそのまま寝られる服装で行った。手記をみると電車で行き帰りする人もいて術後は歩いて移動できるようだけど、楽にできるならその方がいいと思った。
ナプキンをつけてから、担当医とは別の当直の先生が、子宮口を開く処置をしてくれた。
赤ちゃんは最後の検診の時と変わらず、動いておらず、形も少しいびつになってしまったように見えた。
この処置はとても痛いという手記が多いが、私の場合は、それほど痛くなかった。痛覚が鈍いのかも知れない。
それから点滴で輸液をし、午前中の外来が終わるまで病室で安静にしていた。
午後になり、手術着に着替え、点滴をつけたまま、手術する部屋へ歩いていった。夫は病室で待機。
多分、分娩とおなじ場所だと思う。途中の廊下で元気な赤ちゃんの声がたくさん聞こえた。
担当医の先生が手術の道具を調えていて、天井には大きなライトがあったり、
計器をつながれたり、看護師さんがてばやく準備を整えはじめたので、急に怖くなった。
台の足の部分が開かれて持ち上がり、足にカバーをかけられて、足首を固定された。
肩に麻酔を効きやすくする筋肉注射を打たれた。これが全ての経過の中で最も痛く、
思わず呼吸が大きくなり、その痛みが引かないうちに、アイマスクをつけられ、看護師さんに点滴を刺している手を胸を載せられると、
先生の「麻酔を入れたら、手術を始めます。子宮口に詰めた消毒綿をとります。はい麻酔を…」というとこで、
器具の冷たい感触があって、下腹部が激しく痛くなったと感じたら、麻酔が効きはじめ、突然、幻覚が始まった。
事前に「意識はうっすらとあって、声が聞こえるくらい。眠くなったら寝て下さい」といわれていた。
しかし、私は意識はしっかりあったと思う。ただ外とつながっていないだけで。
もし、赤ちゃんが次に何処かに生まれることができるなら、できるだけ暖かくて自然がいっぱいあるとこへいけるといいなと考えて、出張した時に見た熱帯の森を手術中はイメージしていようと思い、痛みをこらえて、その木々の茂る風景をイメージしてみた。
だけど、アイマスクで暗いはずの視界が急に明るくなって、上からレゴブロックの白いのみたいな小さなものがザーッと落ちてきて、自分の体がとても小さくなってしまったように感じた。痛みも体がある感じも消え、白と灰色と黒の格子みたいのがある空間の底にいて、格子がうねりながら昇っていった。うねった隙間から、キミドリとピンクの光がでてきて、渦を巻いてまるくなってくっついたり離れたりして激しく動いていた。私は自分の家や猫のいる温かい感じがあるとこへもどりたい気がしたけど、仕事や、大学のころに勉強していた事、その意味が、バラバラに浮かんできて、消えていって、その間、気持ちいいテクノみたいな音楽(フロアに流れるかすかなオルゴールの環境音がアップテンポに聞こえた?)がずっと流れていた。格子の四角がだんだん大きくなってきて、その合間にフラッシュバックみたく家にいて西日が当たる暖かい感じが懐しく浮かんできて、そして、キミドリとピンクの光がうすれ、シューッシューッと機械が動く音が聞こえて、視界がもやもやした暗い灰色になって、人の話す声がなんとなく聞こえてきた。
しばらくして、アイマスクがはずされた。目を開けようとしても薄くしか開かず、まだ視界がぼやけていて、遠くから声が聞こえた。
「お腹はいたくないですか?」 「わかりません」と答えたと思う。
顔を横にして時計を見てみたら、20分くらいしかすぎていなかったのがぼんやり見えた。
ご主人を呼んできます、と看護師さんが出て行き、夫が来て手を握ってくれた。
すごく暖かい感じがして、涙が出てきた。夫も泣いていた。
麻酔がしっかり醒めるまで、一時間ほど、その場所でそのまま2人でいた。
時折、看護師さんが来て出血を確認していった。
いつの間にかパンツを履かされていて、看護師さんがナプキンを交換してくれた。
持参したナプキンのうち未使用の2コをとり、交換したナプキンと今着けたばかりのナプキンの空袋を持って、計量にいった。
重さの差から出血の量を計測しているのだろう。種類を混ぜて持ってこなくてよかった。
なので、手術の日に持参するナプキンは全部を同じ種類のものにしておくとよいと思う。
麻酔が醒めてくると、点滴の支柱と夫に支えられて、歩いて病室にもどった。不思議とどこも痛くなかった。
病室でズボンをはいて横になり、点滴がはずされると、遅い昼食がでた。
夫も昼食をとっていなかったので、いっしょに食事をした。
夫は前日まで、「手術してる間にちょっと外でごはん食べてくるから、おむすびいらないよ」と言うほど、
手術の時にどうするか何も知らなかったし、手術の間は待機しているようにと説明された事も忘れていた。
私は飲み物をのんでおかずを少し食べてみたが、点滴のせいかお腹がすいていないので、勿体ないけどほとんど残してしまった。
夫は「自分がここにいるべきだし、おむすびとお茶を持ってきてよかった」と言った。
薬がでて、会計が終わると、手術着を脱いで、帰る仕度をした。このときも、お腹は全く痛くなかった。
看護師さんが手術前に、担当医の先生は手術がはやいと言っていたが、きっと処置が上手だったのだろう。
子宮を収縮させる薬を飲むとお腹が痛くなるというが、薬をちゃんと飲んでいる1日後も痛みはほとんどない。
来週に検診があって、また病院にいく。
元気になったら、赤ちゃんのことをおぼえておけるように、地元で名木の桜の保護をしている会から苗木を分けてもらって、実家の土地のいい場所に植えようと思う。
その木がもっと時間が経って大きくなって花をたくさん咲かせたら、それとは知らなくても、いろいろな人が見に来てくれると思う。
・次の月経以降の周期に、「妊娠したい 私はこれで妊娠しました」 を参考に、排卵検査薬を使って、排卵と基礎体温変化の様子を観察し、今後に役立てる。
「官僚が悪い」という言葉は、いわゆる「清く明るくほがらかに」などという言葉と同様に、いかにも間が抜けて陳腐で、馬鹿らしくさえ感ぜられて、私には「官僚」という種属の正体はどんなものなのか、また、それが、どんな具合いに悪いのか、どうも、色あざやかには実感せられなかったのである。問題外、関心無し、そんな気持に近かった。つまり、役人は威張る、それだけの事なのではなかろうかとさえ思っていた。しかし、民衆だって、ずるくて汚くて慾が深くて、裏切って、ろくでも無いのが多いのだから、いわばアイコとでも申すべきで、むしろ役人のほうは、その大半、幼にして学を好み、長ずるに及んで立志出郷、もっぱら六法全書のクソ暗記に努め、質素倹約、友人にケチと言われても馬耳東風、祖先を敬するの念厚く、亡父の命日にはお墓の掃除などして、大学の卒業証書は金色の額縁にいれて母の寝間の壁に飾り、まことにこれ父母に孝、兄弟には友ならず、朋友は相信ぜず、お役所に勤めても、ただもうわが身分の大過無きを期し、ひとを憎まず愛さず、にこりともせず、ひたすら公平、紳士の亀鑑、立派、立派、すこしは威張ったって、かまわない、と私は世の所謂お役人に同情さえしていたのである。
by おさむ
横だが。
端的に言えば、人生の選択によって有利・不利は出てくるのだから、何でもいいから登れ!と言われても首肯できない、ということ。
そもそも、そんな重要な判断を増田なんかで問いかけて、何を得たいんだ?
「安定」という概念も人それぞれだぞ?
自給自足で畑耕して、質素倹約して生きるのが「安定」だという人もいる。
競争が激しくて、プライベートの時間がなかなか取れなくても、収入がよければ「安定」だという人もいる。
社内政治に特化して、外で全く役に立たない人間になっても、大企業に就職するのが「安定」だという人もいる。
さぁ、君の定義する「安定」をここにさらけ出すんだっ!!
個人的には
な彼女が
という相手を選んだのは納得できるけどな。
だって、その人と結婚したら自分の持つ能力(働き者・倹約家・他人に親切)を100%発揮できるんだからね。ものすごくやりがいがある人生になると思うよ。
もし結婚相手の男が「僕はお金を持っているから君は働きに出なくてもいい。倹約?必要ないよ。家事や育児なんて面倒な事もお手伝いさんに任せれば良いし、好きな事だけして遊んで暮らしなよ。」なんて言う人だったら、彼女は自分の持つ能力を持ち腐れてしまうわけで。そんな感じの「与えられる生活」はつまらないと思っているんではないの?
彼女は今きっと「色んな人からそんな人と結婚なんておかしいんじゃないかと笑われた。けどいつかは、結婚してよかったね!その人を選んで正解だよ!見る目があったね!と言わせてみせる。」という気持ちでいると思うよ。
先日友人がめでたく結婚した。
昔から彼女が結婚したがっていたのは知っていたので、結婚自体はとても喜ばしいことだった。
しかし、なぜ彼女が30を過ぎるまで結婚できなかったんだろうかと思う。
容姿は普通(と思う。私には美人に見えるが無意識に贔屓しているのかもしれないから)で、
スタイルはいわゆるナイスバディ(古い言い方をするとボン・キュッ・ボン)、
他人に親切で、頼まれ事もよく引き受けている。従って友人も多い。それから倹約家。
難を言えば多少ネガティブなところがあるのと、自分にあまりお金を使わないから地味な印象を受けるくらいか。
そんな彼女が結婚した男性は、交際が1年を過ぎた頃彼女にこう言った。
「自分には多少の借金があり、会社では営業成績が振るわず給料が少ない上、いつ解雇されて無職になるかわからない身だから君と結婚はできない。」
しかし彼女は諦めなかった。すぐさま説得し、結局その日のうちに結婚話を決めた。
付け加えると相手は離婚歴があった。
彼女は結婚するつもりでいた前の彼氏と30歳で別れた後、結婚相手を探して合コンを繰り返していた。
なかなか見つからなかったようだが、旦那さんとはどこかの合コンで知り合ったものだと思っていたら違った。
出会い系サイトで知り合った人だった。
どうしてなんだろう。
出会い方はどうでも、旦那さんは優しい人で結局彼女と性格が合ったのだから結果オーライと言うべきだろう。
しかし、なぜ彼女が結婚するのにそこまでしなければいけなかったのかと思う。
合コンが良くて出会い系が駄目というわけでもないが、マイナス要素の見当たらない女性でもそこまで手を広げなければ結婚相手が見つからないのが納得できない。
選り好みをしていて婚期が遅れたというのなら解るが、上記の通りお世辞にも条件が良い人とは言えない。体重が100キロを超えていて健康面も心配だと言っていた。
紆余曲折の末お互いが福を引いたという納得の仕方をすればいいのか。
あなたの給与ではなく、給与水準な、給与水準が下がる=諸外国に仕事を取られている=物価は安くなる。 これはいいでしょ?
物価は安くならなくなる=諸外国の給与水準が上がった=日本と外国の給与水準が近づいた=価格競争が日本でできる=仕事が増える=あなたの給料が上がる可能性がもどる というバランスの話が1つ
よく判らないんだが、日本の給与水準が30万と仮定してさ、中国の給与水準が25万になったとしようか。
この時、「日本の給与水準が上がる可能性がある」って等式が意味不明なんだが。
新規事業が起こるわけではなく、単に中国から工場を引き上げてくるとかかな。
そもそも、中国のラインワーカーは月1000元(13,000円)とかで賄える。
日本じゃ考えられないね。
フルに働いてそんな金額、バイトでもしないでしょ。
それが日本に引き上げてきたら、さてどの程度の人件費が要るのだろう。
時給900円を8時間、月20日雇うとして、実に144,000円。
人件費は10倍だ。(こんな条件だと給与水準は下がるんだが、あえてこのまま進める)
この差は全部商品価格に反映されるわけだけれど、5万のTV作れるかな。
それを実現するとしたら、ラインに人は雇えないね。
全自動のロボットラインにでもしないと、とてもじゃないがやってられない。
仕事、ふえるかなぁ?
まぁ、また仮に、TVが20万くらいからのスタートになるとして。
原価計算とかしないけど、面倒だからそれで人件費が賄えるとする。
でもさ、これっていろんな物の物価が上がって、必要十分の商品買うのも大変になるんじゃない?
そいから私は、別に悲観的に考えてるわけじゃないよ。
こうしたことを美徳にすればよいわけで、教育しだいではそんなに無理のある話でもない。
ぉぃぉぃ。
中国が成長した場合、中国の人件費は日本並に上昇していくんだから、5万のTVは作れなくなるんだよ。
それじゃ利益がでない。
ちなみに、中国人にはお金があるからと定価10万で作るなら、日本でも10万のTVになるんだぜ?
ここ重要ね>国力が落ちるのは事実だと思うし、対策も必要だと思うが、元増田の話は対策ではなく単なる悲観なので意味がない。悲観しているくらいなら、今の生活に満足するようにしろ。
子供の世代で、今の生活できるの?って話なんだがなぁ・・・
その時その時で与えられた環境に我慢しろ、比べんな、ってだけの話なら、御説ごもっとも。
妄想してみる。
国債返済税を導入。
800兆を1億3000万人で割ったら一人頭で600万。
5年で返済するとして、利息は計算しなければ一年で120万、一ヶ月10万を赤ん坊からジジババまで全ての国民から徴収すればおk
とにかく、払えないといわれようが、払ってもらう。
当然払えない人も出てくるよ。
借金してもらう。
サラリーマンの借金返済のために金を貸してくれるところなんて、いわゆるサラ金しかないわけだけど、たぶん銀行だって貸してくれると思うんだわ。
だって、税金でものすごい勢いで国債が返済されてくわけじゃん。
国債を保有してる民間金融機関はお金がジャブジャブ入ってくる。
若い世代は自分の親に泣きついたりもしたりするだろうね。
日本の金融資産のほとんどを持ってるといわれる眠ったままの老齢世帯の貯蓄が国に徴収されて、国債を保有してる銀行にまるまる移る。
とにかく、銀行はお金が余ってしょうがないから、企業融資だって、個人にだっていくらでも貸すわな。
銀行もそれをわかってて、輸出企業にばっかり融資するだろうね。
財政が健全化したら円は高くなる?ならんよね。そんなことをしたら経済がボロボロになってるもん。
そんなこんなで、また Made in Japan が世界を席巻したりして。
以上、妄想終わり。
鶏が先か卵が先かの話ではあるのですが。
「感情的な反応」をして欲しくない場合、まず先に自身が「そうした反応に繋がる言動」を極力抑えるべき、という話です。
元増田の投稿はいくつにも解釈することができる、実に日本語らしい文章です。
ニコニコを擁護する言説を批判したかったのかも知れないし
もちろん、単なる感想文かもしれないし
明確な記述がない以上、読み手が勝手に読み取るしかありません。
そこを勝手に読み取って欲しくないのであれば、誰にも見えないところで書くか、具体的に明確に記述するかです。
さて元増田の文章に戻ると、何かを批判するような文章に読めたわけですが、その根拠は「自身が無料で楽しんでいるから」です。
「友達から借りてリッピングするから私はCDを買わない、私は倹約家」とか言う知人がいたのですが、それ倹約じゃないから搾取とか寄生だから、という反感が生まれても仕方が無いでしょう。
せめてそこは、「友達と協力してお互いにCDを貸し合ってるから」くらいにしとくべきです。
ずっとニートでいいかって言われるとよくはないかな。
恵まれてるって言っても、結局親からもらえるこづかいは制限されてるわけだし、それなりに不満もあるし。
働けとは言われてるよ。元々古い価値観を頑なに守ってきた感じの人だし、若いころは苦労したって話は何度も聞いてるしね。
それを見つけられずにここまで来ちゃったわけだから、俺の家が貧乏だったらもう嫌でも非正規とかバイトとかそういうところで生活しなきゃいけないわけだよね。
でもたまたま俺は学生とか誤魔化してニート生活出来るらしい環境にあるから、何か仕事とは言えなくても熱心に取り組めるようなものを見つけたいなと。
正直金に対する欲がないから、起業するとかそういうのに興味が全くわかない。株とかも原資ないから出来ないし、貯めるためにバイトをしようという気持ちになれない。
毎月5万、年間に60万。
長生きしちゃったとして老後30年生きたら1800万でしょ。
最初の5年は年金がもらえないから、23万×12ヶ月×5年で1380万その他にいるでしょ。
夫婦で3000万必要なわけでしょ?
若いうちから節約していかなきゃ。」
っていう話を同年代にしたらすごく嫌な顔をされる。
童貞のくせにって思われたりしてるんだろうか。
倹約家といわれる。
でも、食べ物と、ジムの会費や風呂のお湯なんかはあまりケチらない。
保険に加入するよりも、日々の健康管理が重要と思っているから。
もちろん、最小限の医療保険には入ってるけど。
ただ、既婚女性に話すとすごく好感触だったりする。
そのあといろいろとあって、彼女いない歴=年齢を返上して既婚の彼女が出来た。
僕はなにを買ってくれ、どこに連れて行って欲しいというおねだりをほとんどされない。
モノは痕跡が残るし、外出は人の目があるかららだ。
でも、旦那にもおねだりの類はもうしていないらしい。
不仲だからというわけでもないそうだ。(ベタ惚れされてるらしい)
「なにか買ってくれても、夫婦の場合は最終的には2人のお金だから、蛸が自分の足を食べるようなものだから」
と彼女は言う。
それよりも、手料理を振舞われたり、お茶を淹れてもらったりが嬉しいと。
「旦那が維持費の高い車に乗るのが嫌で」
という。
コンパクトカーよりは高い車だとは思うけど、車好きからしたら別段ってレベルの車だと思う。
そんなわけで、ケチで夢のない僕と惹かれあったみたいだ。
でも、旦那と別れるつもりはないらしい。
不謹慎だけど、安上がりだなって思う。
お茶を淹れて、手料理を振舞うだけでセックスできるというのは。
離婚する気はないらしい。
不満はあっても、離婚はしないほうがいいと思ってるそう。
愛情が冷め切っても、ただのルームシェアだと思えば、1人暮らしよりは安上がりだからと。(彼女には帰るべき実家がない)
僕も同意した。
相変わらず、ただ長い話を聞いてあげて、お茶と手料理を振舞ってあげている。
僕からすると、金銭の出費をほとんどなしに、割り切ってエッチができている。
このあいだ、僕の親が200万くらいなら車を買ってやると言ってきた。
指し当たって必要ないし、いま車にしたら、将来200万分お父さんお母さんの老後の面倒をみるお金が増えるか、僕が相続する金額が200万減るかだからいらないと断った。
その話を彼女にした。
彼女の旦那がかつて親に車を買ってもらった話が出てきた。
それを売って、今の維持費の高いスポーツタイプの車に乗っていると。
それも嫌だったと。
住宅ローンが残っているのに。
慰めるつもりで
「男は、30代で軽じゃ恥ずかしい、30代で1LDKの賃貸じゃ嫌っていう願望が歳とともに沸いてくる。
若くないんだからいい化粧品を使いたい、いい鞄の1つ2つは欲しい、冠婚葬祭用に貴金属なんかも持っていたいって思い始めるのと一緒だよ。
だから、許してあげなよ。」
といったけれども、
「服は必要。結婚式、お葬式真珠くらいは持っていたいというのは贅沢?でも車は・・・」
という。
彼女はほとんどブランドを持っていないし、宝石好きでもないんだが、それでもそういうふうに思うらしい。
理屈ではわかっていても、我慢してるんだろう。
僕みたいに倹約家と一緒になりたかった、という。
「贅沢してるよ。このお茶だって。同世代の数倍は茶葉やコーヒー豆にお金を使ってる。」
と答えた。
「お茶なんてたいした額じゃないじゃない。」という。
「とにかく旦那が稼いだ金を旦那がどう使おうが文句は言うべきではないよ」
といってみたが、納得しない。
僕が親の金は将来的には自分のものと思っているのと同じように。
僕と僕の親でいざこざが起きないのは、僕と僕の親で金銭感覚がだいたい一緒だからだ。
僕が車を断っても、そのぶんの200万でパァーっと遊ぶ人たちではない。
でも遊んでしまっても、僕は文句を言わない。
遺産相続も、退職金もあてにせず、昇給もあてにせず、人生設計してる。
「あなたのそういうところ、計算高いところ、それなのにおおらかな所、素敵よ。
でも、独身女性には理解されないと思う」
と言われた。
難しいね。
外人「日本は起業精神を貴ばない。金儲けを卑しいと考える武士道の名残。」
ttp://blog.livedoor.jp/himasoku123/archives/51460205.html
武士とかと庶民はお互い無関心で自由にやらせるスタンスだったとか。支配者階級は質素倹約だが、庶民はHENTAI三昧で外人が来た時に庶民の庭先に花が咲いていてしかも品種改良しまくりで同じ国なのにまるで違う民族が共存していてびっくりしたとか。ヨーロッパじゃ逆だったらしいからな。上流階級ほど豪華絢爛でって感じで。
勉強も幕府は武士のための勉強する場所作ったが庶民用のは作らず指導もせずで庶民が好き勝手やってたとか。革命も基本武士が勝手にやって選挙権とか自分で勝ち取ったのじゃなくて与えてもらったものに近いしまーおもしろいよね
引用だけど、現代だと
エリートが大衆を支配し、大衆側がその事実に気がつかない文明:欧州
エリートが大衆を支配し、大衆側がその事実に気がついている文明:アメリカ、中国、ロシア
で欧州は階級移動はほとんど起こらず、米中露は、階級移動は不可能ではない。日本の場合、そもそも大衆側が「知識人」をエリートとして認識していないので、階級移動の必要性を感じてなく、普通に階級移動できる。欧州は新聞を読むのはエリート階級で大衆は、情報操作に関して知ることすらなく、知ることがない以上、怒ることもない。
って最悪だな。
今、思い浮かんだ現象をば。
1.事業体の縮小、事業数の減少、事業機会の減少
2.社会保障費の現役世代負担増大
3.需給GAPの拡大(年寄りは消費エネルギーが少ない、若者が少なく倹約生活で、全体の需要が減少)
4.ポジションの減少、失業率悪化、雇用流動性喪失(仕事が少なくなるので、年寄り椅子にしがみつき、若者は立ち見さえも許されない)
ひろゆきが起業をすすめる無責任な大人って言葉を使ったがほんとうにそうだ。仕事がなくて、年寄りばかり増えて、金だけは出しなさいって感じだ。そりゃ、若者がイノベーションを起こすっていうのはミクロレベルの調節は部分的にはありだ。しかし、需給GAP35兆円で20〜30年後の平均年齢は60歳近いと推定される社会でどうやっても穴埋めなんてできない。イスがそもそもないし、作り出せない状況なのにどうにかしたいのであれば自分たちが犠牲を払うことだ。
でも、不思議なのは各国が金融危機に対応するために中央銀行がバランスシートを膨らませてお金がじゃぶじゃぶ溜まっている状況だ。それってつまりはデフレってことだよな。デフレって物価が安くなることだろ。んで、結果、増えたお金でものがとても楽に変えるってことだよね。ん?何でお金が余裕にあるのに消費が減少するのだ?だって、使ってないお金を世の中に流れるようにすれば、すごい勢いで消費が促進されるのにおかしい。
物価下げ → 起業の収益下げ → 賃金カット → 消費減 → 物価下げ
違う、そもそもお金の流動性が問題。局在しているから一人占めしないで強制的流す。
現金保有税を課して、国の財源補填と現金流動性UPをすることで経済成長を促進する。
なんか、こう頭のいい人が納得いくような記事を上げてくれないだろうか。
特に、人口統計と経済統計を組み合わせて、うまく説明してくれるのがいい。
どこにつっこんでもいいし、どれだけ長文でもいいし、どれだけロジカルでもかまわない。
とにかく、つきつめて考えて丁寧な説明がほしいです。
かくのごとき市場論気取りの俗流若者論が公言されるようになって久しい。
この記事によれば、今の若者が消費をしないのは学校で苛められたり就職氷河期でいい職にありつけなかったりした「劣等感」があるせいだとか。
白痴魯鈍の骨頂である。
はっきり言っておく。
物欲に任せた無軌道な消費を繰り返して環境汚染に代表される諸問題を発生させておきながら、彼らが倹約を求めたのは己ではなく子供たちであった。
「日本はものが豊かになった代わりに、心が貧しくなりました」
20代や30代ならば子供時代このような一文を見聞きしたことが一度はあるだろう。
消費の愚かしさを再三刷り込まれ、バブル世代の消費狂いを反面教師にして、いじましい節制と消費欲の抑制を肝に銘じながら育った子供たち。
それがバブル後世代であり、バブル世代が悪し様に言う“嫌消費世代”の中心核である。
若者は教育によって消費への志向を徹底的に萎縮させられ、バブル崩壊とこれに続く不況のツケを就職難という形で負わされて経済力を削がれた。
消費欲と消費力という車の両輪を断ち、その上で若者があれから離れた、これから離れたと言ってはその消費行動の慎ましさを嘆きあげつらうのが愚物の言行でなければなんであろう。
人は、現実を自分の都合のいいようにねじ曲げて解釈する。夕方のニュースの特集を見ていたら、そんなおばはんが出ていた。
おばはんは、いつも料理を作り過ぎてしまう。おばはん夫婦、娘夫婦、その子供の七人家族。けして裕福ではないにも関わらず、毎日高級肉のステーキや焼き肉、刺身。食費は月30万。
そこに倹約コーディネーター的な主婦登場。こんにゃくを肉に偽装するというみみっちい料理等で節約を促す。さらに、買い物は一日3000円に限る、というルールを決める。
しかしおばはんは、明日の分、などと嘯いて、3000円オーバーの買い物をする。
ここでおばはんは、3000円というルールを、自分ルールによって恣意的に無視しているのだ。
私のような人間は、ルールはルール、これを守らねばならないと考える。
ルールに拘りすぎるのはよろしくない、という事は私にもわかる。
だが、かようにごくあっさりとルールを無視するおばはんを見て、私は唖然としてしまった。と同時に感じたことが二つある。
一つは、おばはんが極めて楽しそうであること。厚化粧をして安物を検分しながら食品店を練り歩き、豪快に料理を作るおばはんに憂鬱の影は微塵もない。倹約の結果、僅かに予算オーバーしてしまったが、悪びれる様子もないのだ。
私のような小心者から見れば、はっきし言って羨ましい。瑣事に拘らぬとはこの事か。
一方で、そのように自己都合でルールを、現実を湾曲する事は危険を伴う。パチンコに勝って喜ぶ人間の多くは、トータルで負け越しているという現実に見ない振りをする。おばはんの行動にもそういった、一種の盲目さを感じさせるフシがあるのだ。
うちは多分中の下くらいの家庭だったんだけど、外食や、物を買ってもらう事が極端に少なかったから
って、刷り込まれるみたいに育ってきた。
大人になってから、うちはそう貧乏でもなかった、と気がついて
うちよりも貧乏な家でも、外食やブランド物は普通、って気がついても
刷り込まれた貧乏癖がどうしても抜けない。
職場はブルーカラーで下っ端だから、周りに合わたり断ったりで、なんとでもなる。
ただ、好きな人に何かを贈る時とか、酷く切ない気持になる。
好きな人に贈るものを探すのは、嫌いじゃない。むしろ好きだ。
年末にかけてきらびやかになっていくコーナーを、相手を考えながら歩くと、幸せにならない事はない。
こんな物を送ったら、驚くだろうか、喜ぶだろうかと嬉しくなる。
自分が出せる品物の価値は、相手にとって馬鹿にしたり、淋しくなるような金額なのか
あるいは、ちょっと引いちゃうくらい「がんばって」しまっているのか。
多分、自分が買える程度の代物は、相手はもう持っている。満足してしまっている。
本当はそうではないかもしれないけど、心の奥で、常にそう感じている。
だから、いつも手を止めてしまう。
結局、贈り物なんて、自己満足に過ぎない。
むしろ、言いつくせない好意を、どうやって表そうか。
品物なんてどうでもいいんだ、心だ、と。
それでもう贈り物、その物に悩まなくて済む口実にどこかホっとしている。
でも、多分目をそらしているだけだ。