2009-11-30

おばはんにまつわる随筆

 人は、現実自分の都合のいいようにねじ曲げて解釈する。夕方のニュースの特集を見ていたら、そんなおばはんが出ていた。

 おばはんは、いつも料理を作り過ぎてしまう。おばはん夫婦、娘夫婦、その子供の七人家族。けして裕福ではないにも関わらず、毎日高級肉のステーキや焼き肉、刺身。食費は月30万。

 そこに倹約コーディネーター的な主婦登場。こんにゃくを肉に偽装するというみみっちい料理等で節約を促す。さらに、買い物は一日3000円に限る、というルールを決める。

 しかしおばはんは、明日の分、などと嘯いて、3000円オーバーの買い物をする。

 ここでおばはんは、3000円というルールを、自分ルールによって恣意的に無視しているのだ。

 私のような人間は、ルールルール、これを守らねばならないと考える。

 ルールに拘りすぎるのはよろしくない、という事は私にもわかる。

 だが、かようにごくあっさりとルールを無視するおばはんを見て、私は唖然としてしまった。と同時に感じたことが二つある。

 一つは、おばはんが極めて楽しそうであること。厚化粧をして安物を検分しながら食品店を練り歩き、豪快に料理を作るおばはんに憂鬱の影は微塵もない。倹約の結果、僅かに予算オーバーしてしまったが、悪びれる様子もないのだ。

 私のような小心者から見れば、はっきし言って羨ましい。瑣事に拘らぬとはこの事か。

 一方で、そのように自己都合でルールを、現実を湾曲する事は危険を伴う。パチンコに勝って喜ぶ人間の多くは、トータルで負け越しているという現実に見ない振りをする。おばはんの行動にもそういった、一種の盲目さを感じさせるフシがあるのだ。

 現実直視しても不幸、現実を湾曲しても不幸。あるいは中庸ベストなのかもしれないと思うこの頃。

  • 人は、現実を自分の都合のいいようにねじ曲げて解釈する。 なぜか「おぱんつにまつわる随筆」と空目してしまった私の都合って一体何。

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