うちは多分中の下くらいの家庭だったんだけど、外食や、物を買ってもらう事が極端に少なかったから
って、刷り込まれるみたいに育ってきた。
大人になってから、うちはそう貧乏でもなかった、と気がついて
うちよりも貧乏な家でも、外食やブランド物は普通、って気がついても
刷り込まれた貧乏癖がどうしても抜けない。
職場はブルーカラーで下っ端だから、周りに合わたり断ったりで、なんとでもなる。
ただ、好きな人に何かを贈る時とか、酷く切ない気持になる。
好きな人に贈るものを探すのは、嫌いじゃない。むしろ好きだ。
年末にかけてきらびやかになっていくコーナーを、相手を考えながら歩くと、幸せにならない事はない。
こんな物を送ったら、驚くだろうか、喜ぶだろうかと嬉しくなる。
自分が出せる品物の価値は、相手にとって馬鹿にしたり、淋しくなるような金額なのか
あるいは、ちょっと引いちゃうくらい「がんばって」しまっているのか。
多分、自分が買える程度の代物は、相手はもう持っている。満足してしまっている。
本当はそうではないかもしれないけど、心の奥で、常にそう感じている。
だから、いつも手を止めてしまう。
結局、贈り物なんて、自己満足に過ぎない。
むしろ、言いつくせない好意を、どうやって表そうか。
品物なんてどうでもいいんだ、心だ、と。
それでもう贈り物、その物に悩まなくて済む口実にどこかホっとしている。
でも、多分目をそらしているだけだ。
相手に染まっていく感覚、というか、自分の価値観を相手に合わせていく感覚って、すごい幸せだよ だから増田は、相手と一緒にプレゼントをあーでもないこーでもないって言って選ん...
贈り物に関してはねー、値段じゃなくて相手が「欲しそうなもの」を送ることに意味があるんじゃないかなあと思う。少なくとも俺はそうやってきた。 自分は相手のことをこう思ってい...
という仮想のゲームを想定しているわけですね、わかります。笑