はてなキーワード: 上越新幹線とは
時の流れというやつか。
もともと歌唱力で売っていたわけでもなし、むしろ楽曲の素晴らしさを再認識できたわけだが。
Stay with me 気にしてるの?
1984年だとこれが妙手たりうるのか?
「他の誰かから人気のある私」を演出すれば自分から去ろうとする男を引き止めておけるのか?
他の女に惹かれている男からすれば、あ、お前もそういうことなら渡りに船っすわ……というふうになるんじゃない?
スキーに行くわ
頭の中でこしらえた 彼と一緒に
このころのスキーはかなりオシャレなアクティビティだったらしい。
新潟県湯沢町の観光統計( https://www.town.yuzawa.lg.jp/kanko/kankou/kankou_toukei.html )によれば
1979年→1984年のスキー客数は約150万人増加、シーズンが4ヶ月と考えると1日1万人以上の増加である。
東京(主人公の想定居住地)からスキーに行くには泊りがけの必要があった*。つまりスキーに行くとはそういうことだ。
全て雪のせいなのである。
他の男の影をチラつかせてヤキモチを妬かせる、そして自分の価値を高めさせるという一番やってはいけない駆け引き。
そしてサビで現れる
優しく叱ってよ
*当時はまだ1990年のガーラ湯沢開業前。そもそも上越新幹線は1984年時点では大宮以北の部分開業、関越自動車道も全線開通は1985年だった。
俺は小さい頃から鉄道が好きで、鉄道関係のサークルに所属していた。
工学部なので元々女子は少ないが、俺には短大1年生の愛美という彼女がいた。
彼女は俺にとって色々な初めてさんだった。
JR東日本から『土日きっぷ』というフリー切符が発売されていて、俺と愛美は東北地方へ行った。
俺は愛美の膣内にリモコンローターを入れて、東北新幹線と併結して走る山形新幹線に乗り込んだ。
時々ローターをONにすると愛美はモジモジし始めた。
福島駅で東北新幹線と切り離される頃には虚ろな目になっていた。
新庄駅から陸羽西線で酒田に出て、在来線特急『いなほ』に乗り込む。
愛美の足取りはおぼつかなく、スカートから覗く内股を愛液が伝っていた。
新潟へ向かうその特急は乗客が少なく、乗った車両には俺達の他に乗客は4~5人しかいなかった。
俺はチンポを出して、愛美のびしょ濡れのパンツを脱がして挿入した。
お互い反対方向の様子を警戒しながら電車の揺れに合わせて腰を振った。
愛美は感じても声が出せず、泣きそうな顔をしていた。
「はふん・・・」
ずっとローター責めをされてたせいで、生肉棒を入れられたら5分でイッてしまった。
駅で穿き替えたスカートはスリットが入っていて、混雑する電車内で挿入できるように改造してあった。
俺達はわざと遠回りになる山手線外回りで、俺のアパートのある新大久保まで合体しながら帰った。
アパートに入った途端、愛美は俺を押し倒し、騎乗位で腰を振った。
「1日ずっと焦らされたら狂っちゃうよー」
大声で喘いでイキまくった。
そんな事をしていた俺達だが、今は夫婦だ。
駅に着くたびにプラットホーム側のカーテンに僅かな隙間をあけて、その方向に合体部分を向けてセックスした。
何人か覗いていた。
興奮した・・・。
1階は駐車場とバスルーム等と両親の部屋、2階はLDKと和室。
俺達夫婦と生まれるであろう子供たちの部屋は3階なので、遠慮なくたっぷりセックス出来る。
俺は現在空いている子供部屋にNゲージの鉄道模型を広げて遊んでいる。
夜は特急電車の先頭車両の模型をコンドームに入れ、目隠しをした愛美の膣に挿入して、愛美はその車両を当てる遊びをしている。
「これ、なーんだ?」
「アン!スーパーあずさ!E351系」
そう言ってグリグリする。
「アアアーン!」
「次はこれ!」
「あ!いやん!山形新幹線・・・最初のつばさ・・・400系・・・」
形も何となく肉棒に似てる。
膣から『400系つばさ』を抜くと、愛美は俺の400系を引っ張り出して、ぱくっ!
こうして夫婦の宴が始まるのだ!
学生の頃によく通ったバーがなくなったという報せを聞いたのは、出張で東京から大阪に向かう新幹線の中だった。
新幹線。大学進学を機に東京の西の方へ引っ越したぼくの出身は新潟県で、当時のぼくにとって、新幹線といえば、東京都と新潟県をつなぐ上越新幹線のことだった。新潟。海沿いの街ならばともかく、山に近い町では、一年のうちの半分以上が雪と雲に閉ざされる土地だ。
冬に東京から上越新幹線に乗ると、日本海側が「裏日本」と呼ばれるのが納得できる。携帯電話の電波の入らない、長いトンネルを抜けると、そこはたしかに雪国だ。トンネルに入る前の、抜けるような青空からしてみたらまるで異世界のような、モノクロに塗りつぶされた街が見える。たまにしか来ない旅行者にとってはそれは心踊る風景かもしれないが、「裏日本」の住人にとっては、長く続く冬のあいだ、ほとんど太陽を見ることができないという気の沈む現実をそのまま描き出したような光景だ。
新潟県に住んでいるころの生活は、そんな冬の憂鬱な景色と似たり寄ったりだった。中学校のクラスメートの多くは、ぼくに猿山の猿を思い起こさせたし、教師たちだって、そのうちのほとんどが想像を絶して想像力のない無神経か、生徒へ媚びては「人気の教師」というくだらない肩書きに執着する俗物のどちらかだった。
ぼくにしたって、そんなくだらない学校生活から颯爽と抜け出せたわけではない。自分も、くだらない生徒のうちの一人であることには違いなかった。そんな鬱屈をぶつけるかのごとく、音楽を聴いて、小説を読んだ。音楽や小説は、ぼくの肥大した自意識をなぐさめながら、同時に、その自意識をさらに肥大させた。
ひとことで言えば、ぼくは、音楽や小説に自分の存在そのものさえを仮託する、盆暗だった。そうして、ぼくは中学高校をやり過ごしていった。
◆
車内販売のワゴンを押しながらお土産やコーヒーを売る販売員の声で、ぼくはふと我に帰った。いつのまにか新幹線は名古屋駅をすでに過ぎていたらしい。車内販売員からぼくはコーヒーを買った。熱いコーヒーを飲みながら、ぼくは高校を卒業した年の3月のことを思い出していた。
大学進学に伴って、上越新幹線を使って上京した。まだ雪の深く残る街から、荷物を抱えて新幹線に乗り込み、トンネルを抜けたときの空の青さにせいせいしたのをよく覚えている。これからは、猿山の猿や無神経や俗物に付き合わなくていいんだ、そんな気持ちを、青い空は祝福してくれたように思えた。
そうして手に入れた大学生活にも慣れ、過剰な期待もなくなり、肥大した自意識ともうまく距離をおけるようになった頃のぼくに、ほんとうのお酒のおいしさを教えてくれたのが、件のバーだった。学生街にありながら、その店はいつでも静かだった。生まれて初めて、本や音楽の話が心からできる友人とも、そのバーで知り合った。マスターは、少し背伸びをした学生に、いろいろなお酒を教えてくれた。酔うためではないお酒を、リラックスしながら飲む日々は、ぼくにあの新幹線で見た青空のような解放感を与えてくれた。
◆
そのバーがなくなったことをメールで教えてくれたのは、当時の友人のうちのひとりだった。大学を出た後、ぼくとはまったく違う業界に進んだ彼と会うのは、3年に一度程度の頻度でしかなかったけど、会うたびにぼくらは、リラックスできる店で静かに酒を飲んだ。そんな彼の名前と一緒に携帯電話の通知に表示された、「あの店なくなったの知ってる?」という文字列に、それほどショックを受けていない自分に少し驚きながら、ぼくはヘッドレストに頭をあずけて目を閉じた。
ぼくたちが店に通っていたときから、もう8年が経つ。東京で就職し、大阪に頻繁に出張に行くようになったぼくにとって、新幹線といえばもう、あの長いトンネルを伴う上越新幹線ではなくて、東海道新幹線のことになった。ぼくはもう一度携帯電話の通知欄を眺めてから、また目を閉じて、新幹線の規則的なゴトンゴトンという音に耳をすませた。
今回の大雪でいかに全国が新潟市のことを誤解してるのかが分かった。
自身も上京した当初はよく新潟は大雪降るんでしょ~?と言われたがそのたびに湯沢とかは別だが新潟市はむしろ雨が多いしそんなに積もらないと言うと驚かれたものである。
冷静に考えれば沿岸部に位置しているのだからそんなに降らないのは分かると思う。それでも新潟県民全てが急な傾斜の屋根の家で二階から出入りすると信じている人もいるようである。
と、三条の電車立ち往生や新潟市の大雪が全国ニュースで流れた際にツイッター等で反応している人を見て改めて思った。
言っておくが新潟市…というか新潟平野の冬場にこんな大雪が降ること自体珍しい。前回でこんなに降ったのは確か2010年で、もう8年も前のことである。
普段は積もったりしても精々数センチ、多くても10センチ行くか行かないか。むしろ雨や風の割合が強くて毎日台風の気分が味わえる地獄のような土地である。
だから新潟市・市民はこんな大雪慣れてないに等しい。除雪もヘタクソで道の状態めっちゃ悪いし。むしろ除雪車来ないし。かと言って消雪パイプがあるわけでもない。
おまけにある電車の路線は風や雪にかなり弱く、この季節なんかダイヤ通りに来るだけで市民を感心させるレベルである。
勿論今回の大雪では役に立たなかった(というか昨日は運転するする詐欺で午前中見合わせがいつの間にか15時18時と延び結局終日見合わせになった)
バスもバスで道が除雪不十分なわけだから動いていたけれど大幅遅延。歩いたほうが速いレベル。
そんな感じで大混乱なのに「新潟は大雪に慣れてるでしょ~」とか言う人たちは、この機会に新潟についての認識を改めてほしい。
まず新潟県自体恐ろしいほどに細長く、山形との県境から富山までの県境まで約300Km。上越新幹線で新潟から東京へ行くのとそう変わらない。
300Kmもあれば同じ県内で天気が全く違うということも大いにあり得るのである。佐渡もあるし。
というわけで新潟市民はそれほど大雪に慣れているわけではないので、雪国のくせに~とか言うのはやめてください。雪国であることは否定しないけど。
もはや試すまでもなく「都内は電車で行くもの」という認識になってしまう。
なので、車の移動で北関東から中部・関西方面へ行こうとすると一大事だ。
何しろちょっと前までは、クソ混んでいる都心の首都高を経由するのが当たり前だったのだから。
もちろん今は横のつながり、即ち各種環状道路・横断道路がようやく整備されてきて、それらの活用次第となっている。
具体的には首都高中央環状線(C2)、外環、圏央道、北関東道など。
しかし、予算やら工事難易度の都合やら交通需要やらで先送りにされている区間があるわけで。
それだけでなく、常磐~東北なんて2車線しか予定されていない(他区間は3車線)。
まあでも仕方ないかも、とも思う。
実際問題、つくばから久喜や鶴ヶ島に行くとして、圏央でも外環経由でも所要時間に大した違いはないと思われる。
というのも、常磐道が大きく東に向かって伸びているからで、恐らく30分も違わないのでは?という感じ。
それから常磐~東北の区間は、元恋人と遊ぶ関係でよく工事予定区間の地域に行ってたけど、あんな田んぼとススキ野原しかない場所に高速道路を通した所で、典型的な田舎高速になるのが目に浮かぶ。
そして北関東北部在住者なら北関東道が第一選択だろうし、東北・常磐~東名・中央はC2使えって話だろう。北に行くなら磐越も候補かな。
あとは東北~関越だけど、上越新幹線に国道17号に高崎線と、日本の動脈にカテゴライズされるルートと、それを取り囲む住宅密集地域を横断する工事が予定通りに捗る筈もなく。
ただこの区間(久喜~鶴ヶ島)に限れば、常磐と違って東北・関越の両路線がほぼ平行に走っていることもあって、所要時間に有意な差が出ると思う。
まあでも東名・中央方面からの車はともかく、常磐・東関東からだと茨城県区間が開通するまで使う機会ないんだけどね。
つーわけで外環でいいだろと言われればその通り。
でもねえ、関越の埼玉区間って交通量が多い上に無駄に起伏があって、常磐とかに比べてえらい走りにくいのだ。
それこそ冬の週末や夏の帰省ラッシュで、渋滞や事故が起きまくるのは当たり前だろって思う。