はてなキーワード: 三浦瑠麗とは
「防犯において、日本は『人』に注目しているがそれは間違い」
「『機会』がなければ、犯罪は起こらない」
ということだが、
だったらさあ、
「50年前から『犯罪機会論』があるアメリカの犯罪率が低くなきゃ」、意味なくね?
根拠のない「体感治安」「暗数」まで必死で持ち出して、「実は日本は危険なんだ」って主張する必要なんて、そもそもないはずじゃん。
大抵「日本は性犯罪の発生率が低い国ですが、実は」って入りだろ。
頼むぜブコメのみんなー。
こんな露骨に矛盾してる話に「日本はなんでも自助で対応」とか脳死でコメントするなよー。
一見正しそうな理屈を説いているようでいて、完全に三浦瑠麗枠じゃねえかよー。
ていうかこんな矛盾にも気づけないような「意識の低い連中の自助努力だけ」で、
「海外から評価されるほどの治安のよさ」が実現できるなんて、本気で思うのか?
やっぱり矛盾した論理を支持するのって、矛盾した発言をする奴なんだなあ。
「犯罪機会論」自体は防犯を考える上で大事な要素なんだろうが、
それを紹介したからってこのセンセを信じるのはどうかと思うぜ。
大体「捕まらなければニュースにならない」って、いや声かけ事案ですら不審者ニュースになってるやろ、、、
すごいねじ曲げて話をするんだよな。
この手の誘導が非常に多い人だと言うことには、「注目」しておいた方がいいですよ。
週刊女性とかいうクソ週刊誌いわく、学生時代にイジメを受けたことや、夫が育児に非協力的なことを自分の本の中で明かすことは「”窮地に陥った私を見て”アピール」「”悲劇のヒロイン”気質」なんだそうな。
瑠麗さんは著書でも明かしているのですが、自分がいちばん好きなことは“文章を書くこと”。学生時代にイジメにあったことも、歴代彼氏との交際も、夫が育児に非協力的だったこともエッセイにしています。どんなにつらいことがあって、窮地に陥っても“そんな私を見て”とアピールしているんです。要するに“悲劇のヒロイン”気質なんです。
まったく意味が分からない。こんな名誉毀損クソ記事でPV稼いで何の罪にも問われないのはどうかしてる。三浦瑠麗なんかより週刊女性のほうがよっぽど要らねえ。
(1)他の太陽光事業者に自分の買った土地に電線通す権利をふっかけすぎて決裂した
これはシンプルにアホすぎる
相場の10倍を提示らしいがさすがに相手は飲めないとのことで引き上げてしまったのだという
買ってもらえなきゃ1円にもならないのだから落とし所を探れば良かったのに
(2)太陽光発電のための土地開発で地元住民の同意を得るのに失敗した
(1)の地上げ失敗で土地を持て余してしまったので、仕方なく自分で太陽光発電事業に参入することにしたらしい
しかしここで設備設置のための土地開発に関する地元住民の同意を得ることにも失敗する、瑠麗夫無能すぎんか
太陽光パネルを積極的に設置したいと思ってる田舎者なんてもはやいない
太陽光パネルはあっても雇用を生み出すわけでもないし、土砂崩れなど災害リスクは高まるし、景観も悪いし、
原発ほどではないけどみんな自分の目の届かないどっかに設置しろと思っている
地元住民にはメリットがないのだから、ここは下手に出てご機嫌取りしてなんとか許可を頂くというのが交渉の基本姿勢だ
しかし瑠麗夫にはこの下手に出るという態度ができなかったのだろう
見るからにプライドが高く高圧的で上から目線な瑠麗夫が、たぶん大学とかも出てない田舎者のジジイどものご機嫌取りなどできるわけがないのは火を見るより明らか
ここで土地開発の同意を得られなかったことで瑠麗夫の敗北は決まった
まとめると瑠麗夫はとにかくめちゃくちゃ交渉がヘタクソ、押して押してダメならタックルするという脳筋戦法しか取れない無能だということだ
東大出て官僚、外資系銀行を経てスタートアップ社長と文句のないエリートコースを歩んでいるように見えるが
実際のところ官僚も外資系銀行も大した成果が出せず、期待もされておらず、我慢できずに飛び出したってのがリアルな瑠麗夫の姿じゃねーかなと俺は思ってる
今の時代ののコメンテーターはただ自分の専門分野だけ話せればいいというわけではなく、キャラクターやタレント性も重視されます。スタジオ、またはリモート出演で個人的な意見を求められた際に、やはりキャラが際立つような発言をしてほしいという気持ちは起用する側にはあります。個人攻撃や政権批判などをしないといった一定のラインを守ってくれれば、あとはどちらかといえば“強めの主張”をしてくれたほうが番組は盛り上がる。成田さんや三浦瑠麗さんもそうですが、やはり毛色の違う個性が立った学者コメンテーターは重宝されがちです」
「政権批判などをしないといった一定のライン」という部分が炎上しているけど、これは「政権からの圧力を恐れているから」というよりも「党派的な色がつくと途端に見られなくなることを恐れているから」という解釈が正しい。
成田も三浦も確かに政権批判は控え気味だが、積極的に擁護するような発言をしているわけでもなく、どちらかと言えば批判的な口調でコメントすることのほうが多い。
Twitterでは党派的な支持者だけを相手にしていればいいけど、テレビだと政治イデオロギーに生理的な嫌悪感をもつ、日本の大多数の無党派層を相手にしなければならない。「政権批判はやめて」ではなく「党派性むき出しの批判はやめて」ということだろう。
逆に党派性と無関係の話題であれば、政権を批判することは比較的可能である。統一教会との関係を問われた政権与党の政治家たちの苦しい弁明は普通に批判されている。