はてなキーワード: デザイナーとは
月収は十万いかないくらい
後輩の大学生バイト達が就職して辞めて行くのを何人も何人も見送った
今年も一年生がたくさん入ってきたけど俺は変わらずフリーターのまま
内心ではバカにされてるんだろうな
就職したいわけでもない
アフィリエイトみたいなネット収入みたいなものにも憧れたけど挫折した
月に数百円にもならなかった
ムナーリって人の本を読んだらデザイナーになりたいと思って本をいっぱい買ったけど、
買ったのに読んでないのが半分くらいある
また朝がきて夕方に起きたらバイトに行くのが一年前も二年前も三年、四年、五、六年間変わらない
おれは本当に生きているのだとしたら何のために?とよく思うよ
来年もまたそう思うのだろうし後輩は卒業していき新人にはマニュアルを教えるのだろう
そして俺は…
ど素人でもプロ並みのチラシが作れてしまう…「Picky-Pics」がデザイナー殺しな件 : まだ東京で消耗してるの?
約5万点の素材からドラッグするだけで、プロ並みのデザインが仕上がる新サービス “Picky-Pics (ピッキーピックス)”、本日リリースです! (フェンリル | デベロッパーズブログ)
無料でモリサワフォント18書体やレイアウト・素材を使ってプロ並みデザインができる「Picky-Pics」 - GIGAZINE
むかしMacOS用ソフトで、本当にチラシやハガキのレイアウトを適当にランダムで作ってくれる海外製ソフトがあった。
そこは公開辞めて単なるデザイン事務所になってしまったけど、名前が思い出せない。(OSX以降は動かなくなってしまい、ソフトも捨ててしまったんで)
矢印がわかりにくかったらすまん。
デザイナー(A案を提出)→
←2次受け広告代理店が戻し
←2次受け広告代理店
デザイナー(A++)→
←2次受け広告代理店
デザイナー(A+++)→
←2次受け広告代理店
デザイナー(B)→
←2次受け広告代理店
デザイナー(B+)→
←2次受け広告代理店
デザイナー(B++)→
←2次受け広告代理店
デザイナー(B+++)→
←2次受け広告代理店
デザイナー(C)→
←2次受け広告代理店
デザイナー(C+)→
2次受け広告代理店(C+)→
←1次受け広告代理店
デザイナー(D)→
←2次受け広告代理店
デザイナー(D+)→
←2次受け広告代理店
デザイナー(D++)→
←2次受け広告代理店
デザイナー(D+++)→
←2次受け広告代理店
デザイナー(D++++)→
←2次受け広告代理店
デザイナー(D+++++)→
2次受け広告代理店(D+++++)→
←1次受け広告代理店
デザイナー(E)→
←2次受け広告代理店
デザイナー(E+)→
←2次受け広告代理店
デザイナー(E++)→
←2次受け広告代理店
デザイナー(E+++)→
←2次受け広告代理店
デザイナー(E++++)→
2次受け広告代理店(E++++)→
1次受け広告代理店(E++++)→
22案目にして初めてクライアントに届き、
クライアントの返事をまとめると
一番近いデザイン案がAだということが
案外結構ある。
25、6案目で最終的に決着がつく。
クライアントに見せるまでの21案いらなくね?
と思うんだけど。
そして、これだけやっても報酬は、
[追記]
ちなみに直クライアントだと
成果報酬型にすることで創造性を引き出す、と安部総理は(少なくともテレビで切り取っている範囲を見る限り)おっしゃっているが、ひとつ大きなステップが抜けていないだろうか?
「成果に対する正当な評価ができる人がいる」という大前提があってこそじゃない?
そして、その評価があってこその作業者の熱意じゃないかと思うんだけどなぁ。
年功序列だったり、チームに長くいるから、という理由で偉くなった人はたくさんいると思う。
でも、そういった人たちが「人を見る目」を持っているかは別問題だろう。
「人を見る」「人を評価できる」というのは、プログラマやデザイナー並に専門化されたスキルでしょう。
誰もができるわけではない。
だからこそ、海外のIT企業の求人では当たり前のようにディレクターやマネージャーといった「人を見る人」に特化した募集がある。
そういった人たちは要件も厳しいし、成果が出せなければすぐ責任を取らされてクビになる。
どんなにプログラムに長けていても、どんなに素晴らしい絵を描くことができても、それは「人を見る」「部下を評価する」スキルとは別物でしょう。
ベテランの人にはちゃんとシニアプログラマであったり、専門型に特化した職種が用意されているし、ディレクターやプロデューサーと同列の発言権であったり、裁量を持たせて作業させればいいじゃない。
「人を見る」スキルを持っていない人が上司になったところで、正しい成果の判断はできない。
正しい評価がなされなければ、チーム員に不満が募り、優秀な人から辞めていく。
最悪の循環に入ってしまうんですよね。
人を見ることができない人は上司にするな、させるな、なるな、と言いたい。
最近、難しいタスクを淡々とこなし、チーム員からはとても感謝されていた同僚が「目立った成果がない」という理由で給料を下げられていたんだ。
「あいつ(上司)は分かってないんですから気にしないでおきましょうよ、チーム員はみんな感謝してますから」なんて慰めをしたところで、その人に対する会社の評価は変わらないわけで、なんだか虚しくなってきたよ。
明日は我が身かもしれないわけで。
こんな状態で、熱意をもって仕事をしろって言われても無理だよ。
と絶賛優秀な人が抜けまくりで炎上中のプロジェクトから、ニュースを見ていてむしゃくしゃしたので吐き出しておく。
これって社会で生き残れない甘ちゃんの考え方なんですかねぇ。
底辺だから、何故・どうして・意図・目標、そんなのは一切ない。
人気のあるデザインのポスターやwebサイトを持ってきて、これと同じように作って、と言われるだけ
実力があればもちろんこんな底辺に居ない
問題はそういう仕事のプロセスにいるすべての人に向上心なんかなくて、人気のあるデザインをパクってるわけだから何で売り上げが上がらないんだ?とか本気で思ってる事。
彼ら彼女らの売りは単価の安さだ。
安ければ安いほど客は食いついてくれる、売れてるデザインをパクれば消費者は買ってくれる、
そんな考えの元、ずっと何十年も暮らして来てたのだろうしこれからもそうだろう。
このポスターの意図はどうします?って聞いても、ベテランデザイナーなのに「背景は金赤で商品をどーんと置いてでっかく商品名を入れといて」って答えが返ってくる。
なんかな。
エンジニアが叩かれ、デザイナーが叩かれ、政治家が叩かれ、マスコミが叩かれ
振り返ってみると叩き合いで
つい俺も叩いちゃうけど
穏やかに暮らしたい。 その穏やかに暮らしたいという気持ちが、不正をはびこらせて、今の日本に至るんだけど
それでも、穏やかに暮らしたい。
もうさーデザイナー叩くのやめようよ。
いま着てる服も、iphoneも、ペンもガムの包装紙も、全部デザイナーがつくったんじゃない。
情報も商品もなんだって形にするデザイナーがいないと世の中に出て来れないのに。
せめて普通の仕事のように、作る仕事がもっと自然に扱われればいいのになぁ。
どうしてこうなっちゃったんだろう。
残業が多いので先に帰ったほうがご飯を作ったり、
協力して楽しく過ごしていた。
意見をしたこともあったけど、そういう時は必ず
「なんで俺を否定するんだ」か、
「感覚だしそこまで考えてない」のどちらかで話にならなかった。
考えてないと言われた時点でダメだと思ったが、
私にはどうすることもできなかった。
彼の腕はどんどん落ちていった。
希望するようなところには入れず、かなり不満があるようだった。
大変だけどやりがいもあるし同僚や部下にも恵まれて毎日がとても楽しい。
すると夫は私に張り合ってくるようになった。
などと言えたりしたのだろうか?
と言っていたのを思い出した。
わかりすぎるは良くないのかもしれない。
人気Web系ブログ()の記事よりも、本気でデザイン学んでる人のブログの方が参考になるし
海外のトレンド追うだけでデザイナー気取ってるやつが本当に許せない。
美大とか出てなくて自分のデザインにコンプレックス持ってる奴は黙って勉強してるし
常にコンプレックスとの戦いだからクソ上手いデザイン見たら本当に吐きそうになるし死にたくなるんだよ。
一生それの繰り返しだ。
半年前に勉強した情報を最新情報とかほざいてブログに書いたりする頭湧いてる奴とか
そういったクソブロガー持ち上げてる輩も今すぐ滅びて欲しい。
当方デザイナーですが、ご友人の言うことは半分は正解、半分は間違いと思います。
これはそうですよ。どんなに立派な構造計算や、どんなに辻褄が合った予算があっても、それはそこに住んでいる人の生活にはまったく関係ない。住んでいる人にとっては、内外装や使い勝手こそが生活の一部だし、そこに直接関われるのは設計者だけ。
>人が書いた図面を見てるだけでいいのか
でも、設計者は構造設計や予算の人がいないとまったく役に立たない。だから「だけでいいのか」という発言を本気でしているなら、そいつの認識がおかしいと思う。でも、旧友だから発破をかけてるだけかもね?
建築に関わる人を母数として、設計以外に携わる人の方が圧倒的に多いからコメ欄は「積算も大事」に染まるけど、「建築家・デザイナーとして人々の生活に影響を与え、改善する」のが大きな目標なら、そんなヌルい奴ら相手にするな。上記の挑発に反射的に「腹が立った」と言っている増田は、薄々自分の目標に気づいていて、でも今持っている「お金と余裕」を失いたくないから自分にウソをついている、ということとのジレンマの中で、旧友に対してでなく自分に対して腹を立てているんでしょう、という風に見えます。