はてなキーワード: ソースコードとは
その他多くの職業と同じく上澄みの天才以外は幾らでも替えがきく職業でしかないのにどうしてあそこまで選民感情が高まってるのかわからない
「ソースコードを思案してる最中は意識が飛んでるので話しかけられても困ります」みたいなツイートがバズった時にも思ったけど他の職業は頭使わないとでも思ってるんですかね?
自身は、ベーマガ打ちからスタートした86世代で、テックキャンプ出身者も採用したことがある人から。
採用者については、とりあえずHPの文言修正とかからスタート。ちゃんとGit操作しながらプルリク出して、レビュー指摘でコードが直せて、リリースできるまで入社してから3年ぐらいかかった。給与については、アルバイト+αぐらいのところからスタートして、ようやくエンジニアとしての年収枠に入りそう。普通のエンジニア採用だと、最近は新卒でも年収500万以上からスタートだけど、テックキャンプ出身者なら年収300(地方なら200)台からなら、採用する会社もあるだろう。前職では文系採用で500もらってました。独学で勉強してます。という人が、同じくらいの年収でエンジニア採用。は無い。あと、育成中が一人いると同じ育成中の人を採用することは難しい。
既存のキャリアがあるのに、エンジニア目指す人は、一度コレまでのキャリアをリセットするぐらいじゃないと、採用は難しい。逆にいうと、アルバイト年収からやり直しが出来るなら、業界に入り込んでしまえば、一人前にもなれるんじゃないかな。その覚悟があるならどうぞ。
そういう環境に入れば、出来る人のソースコードも見れるし、最低限のレビューはしてもらえる。研鑽を積んでステップアップして行けば、なんとかなる可能性も。(ただし伸ばしてもらえる会社に入れるかは、やる気と運次第)
仕事で使いものなるレベルで、開発できるようになるには、文系出身で3年以上かかる。周り見る限り、情報系出てたら1年以内に短縮されそう。自身はベーマガ打ち→文系採用→1.5年ぐらいかな。
エンジニアになるなら、学ぶ素養が必要になるのは、察しのとおりである。となると見るところはある程度の学歴が必要と判断されがち。エンジニア育成業界は、搾取業界と言われないためには、入試をちゃんとやったほうが良い。そして〇〇出身者はある程度できると言われるためにも、全員卒業はやめてほしい。ある程度フィルタリングが働いていないと、採用する側も警戒せざるえない。
あと、業界に入るなら、職業訓練校行って、学ぶのもありだとは思う。まだコーダー的な職種は無くなってないし、業界に入って案件こなしながら、独学する手もある。配送業しながら勉強は難しいけど、HTMLタグ打ちしながらだったら、就業時間中に増田書く時間もとれるしね。
ある程度大きくなると、美しく書くために言語固有のイケてない部分をカバーするための汚い部分みたいなのが顔を出してくるから、
ソースコードの全体が美しいってことはなかなかないんだよな
「〇〇のソースコードを読めば、プログラミングというものが何たるかが理解できる」的なやつ
小説書きたきゃ少なくとも小説の名著は読むし、論文書くなら少なくとも有名な論文は読むだろうし
そのプログラミング版ってないのかな?
今まで「良いプログラム」を書くには、ここをこうしろアレはするな、というような細かい点の指摘だけにとどまってしまい、
全体のストーリーやプロット(設計)、コーディングの「起承転結」や「サビの進行」などといった
美しいプログラムに欠かせない流れというものを学ぶ機会がなさ過ぎる気がする
そういうものを取得するには、正に「良いもの」を「たくさん観る」必要があるんだけど
いわゆる「良い・美しいプログラム文」ってどんなのがあるのか教えて
他社に自社の重要なデータを預けるのは、悪用されてしまったら責任を取れる人はいないので駄目だ!
社内で誹謗中傷、炎上などが発生したり、ことによってはパワハラなどが発生するかもしれない。
課長クラスによる監視が必要だが、それに時間が割けないから駄目だ!
社内でチャットをして遊ぶやつが出てくる。駄目だ!
でどころのわからないフリーソフト(笑)を使って会社の資産であるソースコードを管理するのは駄目だ!
出始めはバグとか社内システムが使えないなど弊害がある。すぐに使うのは駄目だ!(そしてギリギリになった)
社員がやりたいことやらせるのは良いが、一部の社員が業務と受け取って残業とみなすように言われては面倒だ。
社員の自己研鑽は自宅でやるべきだが、だが自宅で作ったソフトウェアを社内に持ち込むこと、社内で作ったソフトウェアを自宅に持ち込むことは、
よって社内コンテストなどは当社では駄目だ!
まだまだ在宅勤務は続くようなのでPC環境を改善すべく30インチの4K液晶モニターを2台買った。同じことを考えている人間は多いようで、どのオンラインストアを回っても品薄か品切れか法外な値段が付いているかのどれかだった。在庫のある1台だけが先に届いた。
これまで使っていた23インチのFullHDのモニターは10年選手で、バックライトも暗くなってきたし発色もややおかしい。俺はこのモニターからどれだけの情報量を受け取ってきたのだろう。ゲームもソフトウェア開発もエロ動画もエロ漫画も2chもTwitterもはてなもIRCもSkypeもDiscordも全部このモニターと共にあった。このモニターを通じて人と出会い、このモニターを通じて人を面罵し、このモニターを通じて人と別れた。俺の人生を目撃し記述してきたモニターを机から降ろし、代わりに新品のモニターを机に据え付ける。特に感慨のようなものはない。別れというものはだいたい常にあっさりしている。
初めて体験する4Kの世界は快適だ。なにしろ広い、とにかく広い。フルスクリーンでVSCodeを開くと余白の広さに戸惑う。初めて入った「現場」──我々の業界では身一つで放り込まれる見知らぬ客先のオフィスのことを指す──ではXGAのノートPCとEclipseで開発をすることを強いられ、以来1画面で同時に開くソースコードは1つだけという習慣が骨の髄まで染み込んでいるのだ。おそるおそる画面をスプリットして2つのファイルを開いてみる。何の問題もない。これが4Kか。
毎日12時間見つめるモニターが変われば生活だって習慣だって見直さざるを得ない。拡大すると粗の目立つ古いエロ動画は捨てることになるかもしれない。「エディタで同時に2つのファイルを開く」という些細な変化でさえ自分の作業効率を厳しく問い直す。これが日々減少を続ける脳のワーキングメモリに多少の負荷をかけることになるのか、それとも最初の山を越えたら楽になるだけで脳の衰えに加速がかかるのか、それさえも分からないままこの4Kモニターと次の10年を生きていく。