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の続き。
引き継ぎスケジュールを引いて、資料作成やら引き継ぎ先担当へのトレーニングやらを進める。
残された時間は短い。技術面で自分が主でやっていたサービス、自分がリーダーを担当する案件、いままで実績がないけど引き合いがあって提案中のサービス、これらをアウトプットしていく。
いざやってみると、なかなか難しい。ノウハウそのものだから、なかなか文章に落とせなかったり、落としてみると膨大な文章量になったりする。もう少し時間があれば、とも思うが、そこは考えないようにした。期間がながければ引き継ぎのクオリティが上がるかというと、そうでもない気がする。エッセンシャルなところから順にやっていこう。
歓迎しといていきなり消えるのは忍びないし、新人に悪影響がないか心配になる。が、巡り会わせなのでこれも仕方ないと割り切る。あまり踏み込んだコミュニケーションは避ける。
この週は引き継ぎをメインに実施。たまに実務や提案活動にも入る。
飲み会が毎日のようにあった。新歓、顧客との懇親会、部署のメンバーとの飲み会、そして送別会。
部署の皆とは引き継ぎもあるのでコミュニケーションを取るものの、役職者とのコミュニケーションはもう無いに等しい。
お互い言いたいことはあるんだろうけど、今さら言っても状況は変わらないのでここも割り切る。今思えば、もっと主張しとくべきだったかもしれない。自分と、残った人の待遇改善のために。
どうもここら辺が、俺がコミュ障だと評されるところなんだろうな。「言っても無駄」だと思って、言うべきことを言わない。これはたぶん、今後の社会生活でビハインドになりそうだ。自分が損をしているところだという自覚はある。意識を変えていこう。
退職日が迫ってきた。
続く
この人・恋愛したことない・でも結婚できた・子供四人も育てたっていうポジションからの発言で、・恋愛したことない→(私は恋愛スイーツ脳じゃございませんからね、という恋愛に振り回される人への優越感)・でも結婚できた→(結婚できない人への優越感)・子供四人も育てた→(子供いない人への優越感)っていう三重の優越感アピールが感じられるんだよね。「男といるほうが楽だわー」っていう自称サバサバ系女子が年を取るとこうなるのかな。まあ、結婚したことも、子供育てたこともご立派ですが
「ちんしゅうきつ男」とか「ザーメンワンダーランド」はそこまで抵抗ないのに、なんでだろう。
特におりものがダメだ。不思議だよね、「織物」ならふつうなのにさ。
ちなみに改名案の中では「おりも典子」が秀逸だと思った。
○朝食:なし
○昼食:マルちゃん
○調子
久々に酔っぱらってしまった。
チューハイ二巻でべろべろだった。
○就活
○ポケモンOR
DSやGBAの頃とは比べ物にならないぐらい、早く厳選できるなあ。
10戦して5勝5負でしたー。
歯並びの悪さでもうつ病になるぞ。
俺は貧困母子家庭育ちで歯並びめっちゃ悪いけど当然ながら矯正なんてできなかった。
わきがでうつ病になる人が多いなら、わきがはうつ病の病因になるってことだから
「わきがは病気ではないが、ほうっておくと病気になるので改善する必要がある」とも言えるんじゃないの?
太ってる人は医者に「生活習慣病になるから痩せなさい」と言われるよね。
病院でメタボ相談や痩せるための講習会が企画されてたりなんかもする。
太ってることは別に病気でもないのにそうやって積極的に医者が関わってくるよね。
これについても「病気じゃないのに病気みたいに扱うな!」って思うの?
精神的にしろ身体的にしろ、いずれ健康を損なう原因になるというなら
病気と同じく扱っても良いと思うけどなあ。
わきがも。
プロっていうくらいだから、それはもう素人は到底及ばないレベルの超すごい人たちの集まりじゃないですか
ならもうそれはストライクストライクストライク・・・が延々と続き、片一方がミスったらジ・エンドみたいなことだと思うじゃないですか
そうじゃないみたいですね
同人誌即売会での配置分け・区分けを「ジャンル」と呼んでるところから来てるんだろうから別に今に始まった話ではないわけで…。
「住所」という言葉に悪意がないように「ジャンル」という言葉には何も悪意はないよ。
というか、そういうのを表すのにしっくり来る呼び名が他にないんだよね。
皆がこぞって膝を打つような呼び名が発明されたらすぐに広まって使うようになるよ。
気に入らないならそういう良い言葉を作ってくれ。
イラストや漫画を描いて上げたエントリで青スターや紫スターを貰ったことはあるけど、
青は十数個貰ったけど、紫は一個だけだ。紫スター貴重すぎる。
心が震えるような恋って、
道ばたにぽろっと落ちていて、
うっかりしていると、
人は年を取ると、なるべく道ばたに落ちている恋を、
うっかり拾わないように注意して歩くようになる。
つまずいて転ぶと、なかなか起き上がれないし、
つまずいて膝を擦りむくと、
一生消えない傷になったりする。
治り辛い年齢だからね。
たまによそ見して歩いていて、うっかり道ばたに落ちてる何かを見ようと、
腰をかかげて、よっこらしょっとと見つめてみると、
ああ、
こんなところに、
こんなに綺麗な花が咲いていたんだなって、
改めて気付いて、
この年になるまで、
ずっとその道と、そこにあるものに気付けなくて、
今この道を歩き出したから、今だから見つけられたんだって思えて、
見つけたのが遅すぎたんじゃないかと、
自分の歩いて来た道を悔やんだりする。
もし私が、この花を摘んで帰る事が出来なかったとしても、
誰かが、またこの花を見つけて、
こんどは上手に摘んで、そしてその子の家で、
美しく咲き続ける事が出来たなら、
たとえ私が今この花を摘む事が出来なくても、
花は咲いた意味があったのだと思う。
本は関係ないけど、俺も「そういう生き方もアリだったの??」っていうカルチャーショックは経験がある。
しかも、もう戻れないし。一人で酒を飲んでいると「あの時ああすればよかった」って考えてしまうし、「あの時あいつにこう言い返せばよかった」という言葉を何回も練習して2時間くらいたつこともある。
同じ感じなのか分からないけど、スゲー分かる。
正直な話、この行き詰まりがすべて僕の知能の結果だとは思っていません(発達障害を疑いWAISを受けたことがあり、結果は上に異常値でした)。ただこの虚無感だけは本物です。だから、だれでもいいのでこの閉塞を否定してください。「大人になるにつれ考えなくなった」というような意見はいりません。これを中二病だと笑うのであれば、誰にでも(僕にでも)理解可能な仕方で論破してください。切実に待っています。
試しに論破しようとしてみる。
これを僕なりに読み替えると
「感情とは、事象を認知したときに喚起されるもので、そう感じた方が都合が良いという程度の反応の集まりである」
と読めたのだけど、合っているだろうか。
確かに僕もそう思う。そして同時に、それでいいじゃん!と思っている。
幸福感も感情だから、幸福感という感情を感じられる機会を増やすことが人生の主観的な目的だと僕は思っている。
感情は確かに相対的で曖昧で非合理なものだけど、同時に幸福感に直結する重要なものでもある。
確かに感情に客観的な意味は無いよ。だけど幸福感に資するという点で重要と言っていいと思う。
だから増田も「ただの反応の集まり、多いに結構!」くらいに思えるといいんじゃないだろうか。
僕の確信は徹底的な自覚の先にある何もなさであり、ゆえに何らかの価値観に乗り換えられるようなものではない。もちろん自覚の自覚は際限なく続くものではなくその限界の了解であるから、ある意味では僕は無自覚の信仰を行っているが、しかしその限界の了解に自覚的であるがゆえにニヒリズムに嵌り込んでいるといえるだろう。自分ではどうしようもない状況である。
「徹底的な自覚の先にある何もなさ」とあるけど、何もないのが正しいのだと僕も思う。
その自覚の後に、有りもしない客観的な意味を求める生き方を辞めて、主観的な幸福感をかき集める生き方にシフトするといいと思う。
それで合ってると思う。
繰り返しになるけど、「適切に騙される」は「建設的な感情を抱くように心がける」と同義としちゃっていいと思う。
ここは疑問が残る。何人かに尋ねてみたのかな?
僕は案外、虚無にいったん下りて、また上がってきた人が多いような気がしている。
盲目的な人もいるだろうね。
でも増田は考えてしまう性格に育ってしまったのだから、どこかで納得できるといいね。
他人がうらやましく見えることもあるけど、配られたカードで勝負だ!