俺がびっくりしたのは皆当たり前のように恋愛してるでしょとなるところ。
いや、してない奴もいっぱいいるよ。俺と俺の周りの奴らはそう。そういう奴らの金を吸い取るだけ吸い取って気持ちを踏みにじる行為って最低だよね。
峯岸みなみの件で、運営側もまたこの物語に酔っているのではないか、ということを私は恐れている。
話題作りのためにやっているのならまだ良い。しかし坊主にして謝罪させることが、感動の物語だとか、そういうふうに思っているのなら私は恐ろしくてたまらない。
その正しさを疑うことなく、場合によっては残虐な行いさえもその人の中では正当化される。
ワタミの件もそうだ。
今日祖母が死んだ。
風呂場の中で倒れてた。
祖父が最初に気づいた。
様子を見に行ったら風呂桶の中で突っ伏してたとのこと。
引き上げようにもどうにもならなかったので、
急いで行って祖父母の家に着き、風呂場を見たら、
祖母の身体は浴槽に下半身を浸けたままで、上半身は浴槽の外側へ倒れていた。
呼びかけても肩をたたいても全く反応はない。
介護のコツのような、他人を持ち上げる知識もなかったので
電話をかけて住所と簡単な状況を伝える。
息はあるか確認された。
慌てて確認したが、息はしていないように感じた。
電話口に伝えると、仰向けにして気道を確保するよう指示される。
その時点でお湯はだいぶ減っていたので、
いちおう浴槽の中で仰向けにしてみる。
その時見えた足の裏が、ひどく紫色になっていたのが印象的だった。
正直まったくもって自信がない。自分は脈を測るのも出来ないのだ。
やらなきゃいけないのか?と逡巡するかしないかというところで、
救急車が近づいてくる音が聞こえてきた。
早い。ウチなのか?ウチで止まってくれ。止まった。
心臓マッサージ役はやらないで済んだ。
ちょっとだけホッとしたのと、救急隊員にいろいろ確認されたので
そのあとのしばらくは、よく覚えていない。
そこそこの近所に住んでいる父と母に連絡を取り、
急いで向かってもらったが、
救急車の出発には間に合わなかったので、
病院に着き、祖母は奥へ運ばれていった。
自分は待合室で待機。両親もすぐにやって来た。
数十分待った。
心臓も呼吸も病院に入って来た時点から反応がないと告げられた。
これ以上の対応は身体を傷つけるだけになるだろうと言う。
父は蘇生をやめることに承諾した。
そこからしばらくして、死亡確認に呼ばれた。
医師の宣告によって、祖母の死亡が確認された。
日付が変わる、20分ほど前のことだった。
そして祖母は霊安室へと運ばれた。
今回、病院では死因の特定が出来なかった。
解剖までされるかは分からないが、監察医が検案せねばならない。
しばらくして警察官が数人やってきた。
うちの父は(祖母本人もだが)葬儀の具体的な相談はしていなかったようだ。
どの葬儀屋に頼むのか決まっていなかったので、
とりあえず市内でそこそこ大きそうなところへ電話して、
病院まで来てもらうことになった。
その後遺体を葬儀屋に預け、祖父母宅へ移動し、そこでも検分する。
祖父は病院へは来ていなかったので、そこで改めて事情を聞かれた。
もちろん祖母が亡くなったことは事前に電話で伝えてある。
合間合間に待つ時間は長く感じたが、
振り返ってみるとあっという間のような気もする。
今回亡くなったのは父方の祖母だが、
以前母方の祖母が亡くなった時に比べ、
何の準備も出来ていないことを歯がゆく感じた。
子どもの頃、父と母は一枚岩だと感じていた。
大きくなって、父と母は別個の一個人なんだと理解した。
そして冠婚葬祭に立ち会うと、
父方の家の考え方と母方の家の考え方が
大きく違うことをまざまざと見せつけられる。
自分は今、たぶん父親に似ている。
先のことはあまり考えない。
「なるようになるさ」と流れに身を任せている。
この先自分はどうなっていくのだろうか。
そうなるのを避けるため、先のことは考えにくい。
「正しい」と「正しくない」、「○」と「×」の違いについて、議論したところで、最終的には「誰かが決めること」でしょう。子どもの×の答案に「正しいじゃないか」と憤る親がいるのは、「採点者」と「批判者」が別であるという事実によって、説明がつきます。
何を○、何を×にするかへの考え方は、そこのブログで2年前に書かれています( 採点Q&A - わさっき)。大学の話です。
それによると、
ではなく
とするような「正解語句の集合」を同定したい、と。
小学校の先生も、そう考えているかどうかは、分かりません。ただ、全国学力調査の正解公表では、「解答類型」が表になっていて、解答に「◎(正答)」「○(準正答)」が添えられます(そういった記号がないのは誤答です)。
AKBは日本の現代社会の考察対象としての興味は強くあったが、メンバーそのもの自体にはあまり興味がなかった、しいて言うなら峯岸みなみが好きだった。
彼女の顔が好みだったというのもあるが、彼女の自分を下げるようなことをしてまで笑いをとるサービス精神が気に入っていた。
それは彼女の持つ、一種の愛に対する不安感がそうしているのではないかと思っている。心の奥底で、しっかりと安心した愛を受け取れなかった寂しさ。
しかし、その行為は、彼女に備わる本質的な優しさがそうしているのだと思うのだ。
実存的な不安から来る愛の渇望を埋める方法は人それぞれ違う。他人のことをわがまま放題に振り回したり、異様に執着したり。多くの場合はそうなる。
だけど、彼女は意識的ではないだろうが、自己犠牲を選んだ。自己犠牲なくして、何が本当の優しさなのか。
女性特有の利害関係への敏感さを標準以上に持つ他のメンバーの対して、異彩に存在していると感じていた。
彼女にたいする愛はこのへんにして、本題に入ろう。
今回の坊主謝罪問題は、AKB48というゲームを破壊するほどの衝撃がある。
「恋愛禁止」は、ファンと運営の間にある馴れ合いの果てに生まれたルールだ。
恋愛という実に個人的な出来事を、仕事であるアイドル活動に結びつけるのは、昔からあるアイドルの伝統ではある。
しかし、そういった不文律だったのものを、はっきりと打ち出したことは、AKBの大躍進の起爆剤になったのは間違いないだろう。
アイドルに抱く願望を、はっきりと約束してくれる。これは最初は一種のネタのようなものであったようだが、徐々にファンと運営の間での前提となっていったようだ。
ファンと運営との馴れ合い(ふれあい?)は総選挙やじゃんけん大会などがファンからの要望を答える形で誕生したように、AKBの伝統なのだろう。
そのファンと運営とそれをとりまくメディアとの馴れ合いのゲームそのものが、AKBというプラットフォームであり、彼女たちはゲームのキャラクターのように象徴化されて愛された。
そのゲームが現実にならないようにするには、彼女たちに生身の人間としての行動を許してはならない。それが恋愛禁止へと至ったのだと思われる。
しかし、今回の峯岸みなみの事件は、その関係に亀裂を生じさせる始まりになるのではないか。
これはゲームに熱中しすぎて、ゲームそのものが成立する条件を破壊してしまうということだ。
例えば、こういう経験はないだろうか。子供の頃、友だちとふざけてじゃれあってる時に、徐々に叩き合いになり、そして、ある瞬間一線を超えて喧嘩になる。
あるいは、文化祭の準備で、実行委員長が本気になりすぎて周りが引いてしまう。
ゲーム(遊び)が成立していた関係性や暗黙の了解が、参加者が過熱しすぎることで暴走し、破壊されてしまう。
これと似たようなことが、今回の事件で起こった。
AKBの人気が頂点を極め、ショービズの世界に巨大な化け物ように君臨した時、自分たちの成功法則の一つ、恋愛禁止のルールの存在が大きくなりすぎてた。
それは過去のメンバーへの激しいバッシングや、脱退や移籍などの処罰(人間的行為なのに!)を受けたのを見ればわかるだろう。あれほどの人気を持ちながら、その地位を奪うほどだ。
前田敦子なんて、恋愛禁止がいやで脱退したと言われるほどだ。それほどのことなのに、誰もそれを批判しない。まさにゲームが行き過ぎて暴走していた状態だ。
彼女が実存的な不安を抱えていると想定すると、きっと自分の居場所が消えてなくなるほどの強いショックを週刊誌を読んで感じたのだろう。
それがパニックとなり衝動的に坊主にしたのだろうと思っている。運営が事前に知ってたら絶対こんなマイナスなイメージを与える結果になるようなことはさせない。
坊主にしなければ許されないと彼女を追い詰めるほど、恋愛禁止ルールは暴走していたのだ。
そして、多くの人が後味の悪い気持ちになる。恋愛禁止を旗手にもってそれを犯したメンバーをバッシングしていた人も、今回は彼女に拳を振り下ろすことに躊躇するだろう。
なぜなら、自分が人を追い込んだことを坊主というはっきりとわかるヴィジュアルで見せられたら、さすがに自分がこれからやろうとすることの意味に気づいてしまう。
そして、それまで白熱していたことが、ゲームだったことに気づいて覚めた気持ちを抱くのだ。ネタだったものがマジになっていき、そして行き過ぎた時にネタだったことを思い出す。
あるいは、からかって遊んでいるつもりが、いつの間にかいじめになり、相手がひきこもりになってようやく自体を理解するような。
一度人はゲームに覚めてしまうと、なかなかまた再熱中出来ない。
もしかしたら、今回の事件がきっかけに、AKBは崩壊するかもしれない。
そして、今の芸能界と日本に漂う、自己増殖的に増えるゲームが、崩壊するきっかけになるかもしれないなんてのも思う(話を広げすぎだけど)
はてなだと、手っ取り早く反応をもらいやすいのはなんといっても「今週のお題」だよね。
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ファン(AGEなんて黒歴史なんだからそっとしておいてやれよ……)
ファン(制作を強いられているんだ……)
宮河「いや、大丈夫だ」
ファン「へ?」
宮河「大丈夫だ。シナリオは今回、行き当たりばったりじゃなくて小説がある」
ファン「ああ!!」
ファン「やった! メインシナリオ来た! これで勝つる!!」
がちゃ
日野「いやぁ! 昨日突然霊感が来て、素晴らしいアイデアがきたんだよ! 早く聞いて欲しくて――あ、あれ? みんななんで下向いてるの?」
一同「……」
日野「ちーっす!」
宮河「……」
日野「なんで、ねぇねぇ、なんで? 作るんでしょ、新作。Twitterでいってたじゃん。ねぇねえ、なんでボクに教えてくれなかったのさあ。あ、サプライズ? びっくり? まぁ誕生日だしね! あげあげでいかないとね! AGEだけに! あはははは。……なんだよぅ、山口くぅん、しけてるなぁ。長野ちゃん、また人気フットーしちゃうようなキャラデザたのむよお! ――なんだよ、みんなして」
宮河「日野さん……」
日野「宮河さんまで、なんなの? めでたい席なのに、葬式みたいじゃん」
宮河「日野さん、終わったんですよ」
日野「ほえ?」
日野「そんなばかな、じゃ、誰がシリーズ構成するですか? 誰がAGE書けるっていうんですか」
宮河「……」
日野「答えろよ! だれが親子三代に渡るって言う画期的なコンセプトをまとめきれるって言うんだよお!?」
山口D(ちらっ)
日野「……っ!? おっ、おまえか、この! 豚め! ノベライズ上がりの豚めっ!」 バシッバシッ
宮河「やめて下さい! 日野さん!! 仮にもここは一般企業ですよっ!」
日野「うるさい、俺のAGEを! おれのAGEをこんな豚に盗られて溜まるかっ! イナズマイレブンがSEGAに盗られたいま、おれにはこれが! アセムがっ!!」
日野「俺はもっと出来るんだ! 俺のAGEはこんなところで終わるはずはないんだーっ!!」
宮河「だから日野さんっ! 俺たちは、あんたの名前を抱えてこの先にいくっ!」
日野「だからってこんなやつが、こんなやつが俺よりAGEを書けるはずがないっ」
宮河「終わったんだ! 日野さん、AGEはおわったんだ!!」
ネットが身近なものになって、流行の変化や勢いが目に見えるものとなった。
pixivの、ニコニコ動画の人気ランキングを見れば最近の流行りは、わりと一目瞭然だ。
Twitterの登場で同好の士と語り合うのも気軽なものになって、一体感も簡単に得やすくなった気がする。
私が中学生の時は、私にとってまだネットは身近なものではなく、書店のアニメ雑誌が全ての情報源だった。
図書館に置いてあるアニメージュを数冊借りてきて部屋で読むのが楽しみだった。
アニメが終わり、新しいアニメが始まる季節はとても心躍る季節だった。
アニメ雑誌の存在を知る前は毎日テレビ欄をチェックし、丸新とついたものは片っ端から見ていた。
面白いもの、面白くないものは当然あり、一人で批評したりしていた。
語れる友人はいなかった。
特定の作品を好いている女子はいたが、私のように全てのアニメをチェックしている、
などというアニメオタクな女子は私の周りにはいなかった。だから、作品への感想は、自分が抱いた感想が全てだった。
誰かがこう言っていた、等の他人の批評に影響されていない、混じりけのない感想しか私にはなかった。
今ではどうだろう。
アニメを見る。2chやツイッターにアクセスする。そこにはそのアニメを見た視聴者の感想に溢れている。
あるアニメが人気を博す。2chやツイッターにアクセスする。そこにはそのアニメを見た視聴者の感想に溢れている。
一方で、作品そのものへの思いは、誰かとの話題の共有手段に成り得るかどうかに比例している感じが強くなる。
語り合うのが楽しいあまり、作品への自分の感想は置き去りにしたまま、喋る。
本当に好きなのかどうか分からなくなってくる。
あり得ない仮定だが、ファンが自分一人になっても、その作品を愛し続けられるのだろうか。
ただ、一体感・共有感を得たいがために作品を好きになっているのではないか、自分は本当に面白いと思っているのか。
人気作品というだけで好意的な先入観を持つ。
それにどれだけ自分は振り回されているのだろう。
やっぱその昔のファミコンとかスーファミ時代が忘れられないんじゃない?
おれなんかこの10年ゲームソフト一本も買ってないよ。不正な手段でプログラムを獲得したわけではないので、純粋にゲーム買ってない。
やっぱその昔のファミコンとかスーファミ時代が忘れられないんじゃない?
おれなんかこの10年ゲームソフト一本も買ってないよ。不正な手段でプログラムを獲得したわけではないので、純粋にゲーム買ってない。
やっぱその昔のファミコンとかスーファミ時代が忘れられないんじゃない?
おれなんかこの10年ゲームソフト一本も買ってないよ。不正な手段でプログラムを獲得したわけではないので、純粋にゲーム買ってない。
やっぱその昔のファミコンとかスーファミ時代が忘れられないんじゃない?
おれなんかこの10年ゲームソフト一本も買ってないよ。不正な手段でプログラムを獲得したわけではないびで、純粋にゲーム買ってない。
母というのは単なる職業なのに、職業以上のものとして扱われてしまうことから、色々とややこしい問題が生まれている気がする。
昔なら他に職もなかったかもしれないが、今なら母以外にも生きていく方法はいくらでもある。
もちろん、母は母で立派な職業ではあるが(職業に貴賎なし!)、だとしても単なる商売であることに変わりはない。
本人がこじれるのは、まぁ元々技能のない人らなので仕方がないとしても、子の方は自分をしっかり持っておかないといけない。
母を切らないといけない。
母をうまく切れないと、本当にこじれていく。
すっぱり切らないで、そこそこの距離で楽しくやるのがベストなのだけれど、こじれるくらいなら切る方がいい。
昔は余裕がなくて、結果的にそこそこの距離に落ち着くことが多かったので、職業以上の何かを母に見出す余裕があったのだろうけど、今はそうじゃない。母がシノギ以上の何かのフリをすることで、本当に色々とこじれていく。
父に理念というか力があって、母がいかにドロドロしようとしてもズバッと切ろうとしてくれるなら、二人あわせてバランスが取れるのだけれど、父がグダグダしていると本当にどうしようもなくなる。
そうなったら、子が自ら母を切るしかない。
切らずにほどほどの距離になれればいいのだけれど、できなければどんな手を使っても切るしかない。
今切らないと、もっとこじれる。
アイドルについて詳しくないんで、AKBのナントカさんの騒動も遠めにふーんと眺めてるんですが
ちょいちょい出てくる「恋愛禁止」という用語が分からないので、詳しい人教えてください
それとも、恋愛というのはセックスの符牒で、プラトニックならOKなんでしょうか
恋愛そのものが禁止な場合、どこまでが恋愛とみなされるのでしょう
カップルとして成立したらアウトなのは何となく想像できますが、片思いならどうですか
片思いでエロい妄想などしてたら駄目そうですが、純粋に遠くから見ているだけで幸せな場合なども駄目ですか
誰かに思いを寄せた時点で、疑似恋愛的には浮気とみなされるのでしょうか