ネットが身近なものになって、流行の変化や勢いが目に見えるものとなった。
pixivの、ニコニコ動画の人気ランキングを見れば最近の流行りは、わりと一目瞭然だ。
Twitterの登場で同好の士と語り合うのも気軽なものになって、一体感も簡単に得やすくなった気がする。
私が中学生の時は、私にとってまだネットは身近なものではなく、書店のアニメ雑誌が全ての情報源だった。
図書館に置いてあるアニメージュを数冊借りてきて部屋で読むのが楽しみだった。
アニメが終わり、新しいアニメが始まる季節はとても心躍る季節だった。
アニメ雑誌の存在を知る前は毎日テレビ欄をチェックし、丸新とついたものは片っ端から見ていた。
面白いもの、面白くないものは当然あり、一人で批評したりしていた。
語れる友人はいなかった。
特定の作品を好いている女子はいたが、私のように全てのアニメをチェックしている、
などというアニメオタクな女子は私の周りにはいなかった。だから、作品への感想は、自分が抱いた感想が全てだった。
誰かがこう言っていた、等の他人の批評に影響されていない、混じりけのない感想しか私にはなかった。
今ではどうだろう。
アニメを見る。2chやツイッターにアクセスする。そこにはそのアニメを見た視聴者の感想に溢れている。
あるアニメが人気を博す。2chやツイッターにアクセスする。そこにはそのアニメを見た視聴者の感想に溢れている。
一方で、作品そのものへの思いは、誰かとの話題の共有手段に成り得るかどうかに比例している感じが強くなる。
語り合うのが楽しいあまり、作品への自分の感想は置き去りにしたまま、喋る。
本当に好きなのかどうか分からなくなってくる。
あり得ない仮定だが、ファンが自分一人になっても、その作品を愛し続けられるのだろうか。
ただ、一体感・共有感を得たいがために作品を好きになっているのではないか、自分は本当に面白いと思っているのか。
人気作品というだけで好意的な先入観を持つ。
それにどれだけ自分は振り回されているのだろう。