はてなキーワード: 首チョンパとは
その囚人はなぜ死刑を言い渡されるほどの重罪を犯すような人間になってしまったのだと思う?
監督責任は突き詰めれば親にとどまらず、ムラ、そして国家に行き着く。最終的に国民のための環境を整備する能力と責務のある者、それが国家だ。
自分の行動の責任を自分が負う能力があるはず、というのはあくまで人間が法や秩序を成り立たせるために決め打ちした虚構のルール、フィクションの概念にすぎない。人文科学的なマネジメントと言える。大雑把にはそれは有効で効率的に回る。
だが自然科学的に考えれば、そもそも人間はそんな責任と能力を持てるような生物ではない。狼に育てられれば狼の倫理観を内面化するし、スラム街に生まれれば盗まずに生きてはいけない。脳は環境に適応してパターン認識を重ねていくだけの肉塊だ。
であるから、どこかで人による裁きが虚構的であるという歪みを認めて、個人の責任能力を根拠に裁きを下す刑罰執行システムに妥協するポイントを作らねばならない。
そのポイントこそが、国家による殺人行為が刑罰となっている死刑、ということになるだろう。
国家くん「ウチの国が至らんばかりにとんでもない悪人を輩出してしまったわ、申し訳ないな、ワイの責任や、もう野には放てんが死ぬまで塀の中で面倒みたるわ」というのが穏当な極刑の形である。
国家くん「ワイは悪くないわ、こいつの面倒みる義理ないやろ、こんなウジ虫が湧いてくるの防ぎようがないやろ?十分国民のケアしとるわ!」と言ってはばからず、社会に異物が湧いてくる度に消し潰していく考えだ。
この発想をとる国では、懐は傷まないが、その分「なぜ我が国にこんな人間が形成されてしまったのか」に向き合うことはなくなる。
こうして国家が不出来な子殺しを続けていくことは、残酷なことに他ならない。
国家がすべきことは、例えるなら、違法ダウンロードを行う割れ厨を目ざとく発見して片っ端から吊し上げ首チョンパして「これが製作者の怒りや、こうなるんやで」と脅しを効かせて回ることではなく
割れ欲求を持つ人間がなるべく最小化されるように低廉で優れたサブスク方式ストリーミング配信サイトを構築できるよう促すことなのである。
原作ではゼノンが自ら宣戦布告して人類にデーモンの存在が明らかになる流れだったが、crybabyでは了が自ら権力を駆使してデーモンの存在を知らしめるためにあの手この手滅茶苦茶やる。その行為に必然性が感じられない。
露骨なまでにデーモン優位になるような状況を作り上げ、嬉しそうに「これで人類はみんな死ぬぞーアハハハ」と明に演説するのは一体何がしたかったのだろう。
「今作の了は最初からサタンの記憶を持っていた」ぐらいじゃないと、これらの了の奇行に納得のいく説明を付けられないと思うんだが。
でも明が「デビルマン軍団を作って戦う!」宣言したとたん「や・・・やめろ!!!」と途端に焦りだす。「裏目にでやがった」なんて原作台詞まで飛び出す。いや当たり前だろ、そうなるに決まってんだろ普通。マジで何がしたいんだよ了、馬鹿かよお前。
この後原作通りサイコジェニーにサタンの記憶蘇らせてもらうわけだが、そんな事しなくても最初からサタンモードだっただろ今回の了。
原作では了が完全に人類を裏切ったと判断したから了を捕えるために覚悟の出撃をする、その間に牧村夫妻の救出もしなくちゃならなくなったので、牧村家に戻って美樹を守る機会を失ってしまう。
crybabyでは、その前の話数ですでに牧村夫妻と太郎(原作でいうところのタレちゃん)はあっさり処理られるように死んでしまってる上に、きっと何かの間違いだから了に話聞きに行くわ的な感覚で牧村家を離れようとする明は正気か???状況分かってんの?????と言わざるを得ない。で、途中悪魔狩りを諌めたり(これがまた説得力が感じられない)ゼノン達に襲撃された挙句、了に会いに行く事なく「美樹、戻るよ!!」お前何しにいったんだよ!!!!!馬鹿かよ!!!!!!!!!!
んで、「地獄に落ちろ人間ども!!!!!」をやって次の回(最終回)では何の説明もなくまた「人類はデーモンに屈しねー!!!」お前本気で馬鹿だろ!!!!!!!!!!!
・ミーコのコンプレックス何も解決してなくない??何で良い感じに浄化された風になってんの???
・明に守られたのに速攻裏切って速攻殺されて何のフォローも無い幸田。ゲイ設定いる?海外にいい顔したいだけ?
・ラッパーのチビが裏切るのはミーコに友達食われてんの察したからなのはわかるけど、その結果他の友達もみんな殺されてんのに悪魔狩りとウッホウッホやってんの何それ
・リンチして殺したりしてんのに、ガキが明をぎゅっしただけであっさり改心する悪魔狩り。お前ら死ねよ本当に。
・あんだけ魔改造したミーコにしときながら、それとは別に原作通りのミーコもチョイ役で出すのはファンサービスのつもりの嫌がらせか。
・扉に666のプレートってそれはひょっとしてギャグでやってんのか
・太郎(タレちゃん)がデビルマン化したのは数少ない良い改変だと思ったし、これでデビルマン軍団に加入して最後のハルマゲドンも明と一緒に戦って散る展開なら燃える流れになったのに、実際は明に救出されたと思ったら次の瞬間お墓に入ってて盛大に吹いた。それはひょっとしてギャグで(ry
(結局子供の首チョンパがネッフリといえども無理だからデビルマン化させてサクっと処理しただけのように思える。牧村夫妻もその煽りを食っただけのようにしか。)
crybabyが酷いのは了が原作を凌駕する勢いで馬鹿だからとしか
原作だと了は明の心情も痛いほど伝わるから最後の戦いも悲壮を強めたのに
今回は人間どころか明の気持ちすらちっとも理解できていない始末。
「えっ、明死んじゃったの?うそっ;;そんなの聞いてないよ;;何で死んじゃうんだよ;;;;まさか死ぬとは思わなかった」ゴゴゴゴゴゴゴ(完)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・馬鹿か。
別に原作と違ったりするのは全然良いんだけどさ、こんだけいじくり倒しておいて中途半端に都合の良い時だけ原作なぞったりしてんのがすげえ気持ち悪かった。
登場人物の知能を軒並み下げる事が現代の空気に合わせるリメイクって事なんですか。
電化製品を解体して、元通りに復元できもしないのにとりあえず繋ぎ合わせたフリして収拾つかなくしたのがデビルマンcrybabyというアニメ。
「物語・・・・・・・ストーリーとはなんだ・・・・・・?――それは時間の表現なのだ!"時"の流れを表すことだ。"マンガ"も"小説"も"映画"もストーリーを表現するものは時間の流れを表していくものだ・・・・・・時間を表す以上・・・そこには因果関係が描かれる、それはマンガの架空の物語でも同じことだ!原因には結果が必ず起きるという因果に支配される、それが"自然の流れ"必然性というやつだ!『デビルマン』をたんなるヒーロー物にはしないと編集長に約束した時からこうなる必然性が生まれていったのだ!」
crybabyではこの"因果"というものがとてもじゃないが描けてない。
強いて言うなら、"原作"という因果に縛られて何がしたいのかよくわからなくなっている。
牧村夫妻をあんな所で勇み足的に殺してしまったり、シレーヌとソープで童貞捨てたり独自の展開を盛り込みながらでも結局は原作と同じ流れに無理やり戻そうとして相互作用の不備を招いてしまっている。
作り手が、自分流のデビルマンを創ろうしてるのに最後は原作に頼ってなんとかしてもらおうとしているのは、なんだかとても志が高いようで低く見える。
といえば、まどマギ3話やがっこうぐらし1話(あとめぐねえ)が定番なんだろうが俺はあえてサムライフラメンコ7話を挙げたい。
キック・アス的な自主活動ヒーロー主人公が警察官と協力して街のちょっとした悪事(傘の置き引き等)を正していくハートフルBLヒーローアニメだと思って気楽に見ていたんだ。
序盤は結構面白かったのに、いきなり本物の怪人ギロチンゴリラが現れて首チョンパのグロシーンが入るわ、本物の悪の組織が現れてヒロイン達が小指を潰されるような拷問を受けるわ、捕まった戸松遥演じるヒロインがボロボロの姿で泣きながら歌い始めるわでドン引きし空いた口が塞がらなかった。
興味がある人はwikipediaでストーリー解説とキャラ紹介を見て欲しい。解説だけでヤバイ臭いが伝わってくるから。
個人的にこれと同時にやってたガリレイドンナがノイタミナ史上最低傑作だと思っている。
(追記)
皆さん面白いネタバレをありがとう。気になる物があったら見てみます。
○朝
○昼
○夜
○体重
謎 目標55kg
○食欲
increasing
○筋トレ
無理です
○精神状態
Stable
○日記
今日はすることが特になく、暇だった。沈没とはこんな物なのかもしれない。
が、今回は沈没しに来たわけでもない。
国王の名前がついてるのでプノンペンにあるビルの名前だと思ってたら
地名だとわかった。写真を見たら海がきれいで行って見たい衝動に駆られた。
今回は日程的にいけないがもしかしてバイクでいけるかもしれないから途中まで行ってみようと思い、国道4号を西南に下った。
シアヌークまでの道筋は訳200kmを切るぐらい。
国道は整備されていて広いのだが逆送するやつもいるようなカンボジアの交通状態を考えると30km・h以上での走行は難しい。
自転車とあまり変わらない早さだ。実際にシアヌーク方向から自転車で来る欧米人もいた。
プノンペンの市外を抜けて国道沿いの何もないところを順調に走っていたが、70kmぐらいいったところで
でかい石に気づかず派手にとんだ。バイクは跳ね上がり体が放り出されてバイクに巻き込まれた。
昨日転んだところが再度傷つき足が巻き込まれたため数十秒動けなくなった。
そうすると、周りにいた人たちが迷うことなく助けてくれた。
まったく意味がわからなかった。昨日プノンペンの市外で転んだときは今日より人は多かったんだけど
誰一人として助けてはくれなかったので、今日も誰かが助けてくれるとは思ってなかったんだが今日は周りにいたほとんどの人が止まって助けてくれた。
何だこの違いは。同じカンボジア人なのにこんなにも
強盗や賄賂を要求する警官がいる一方で親切なカンボジア人もいる。
この違いは何なのかずっと考えていたけどよく分からない。
田舎は人の相互距離が近いから距離の近さが善行が働くように作用するんだろうか。
○メモ書き
つぎの土曜日からまどか☆マギカの劇場版が公開されるというから、まどか☆マギカのことを思い出してみると、印象に残っているのはマミったシーンだ。
ちょっと立ち止まってみるとヒロインが敵に殺されるというのは斬新というか捻くれているというか。ただ、まどか☆マギカの世界観では的の魔女は元魔法少女だし、魔法少女が魔女になるときのエネルギーを集めているらしい。ということはすでに役目を果たした魔女が魔法少女を殺すことは、債権の回収失敗みたいな感じではなかろうか。
少女が魔法少女になるときお願いを叶えてもらっており、少女がキュウべえから借りたエネルギーで、魔法少女から魔女になるときのエネルギーで、借りた分のエネルギーに利子を載せていると考えるのが、感情を持たずに効率だけを優先しそうなキュウべえの作った仕組なのだろう。
その仕組みのなかでマミさんがマミられることはエネルギーの借りパクのようなものだ。それを目の前にしてキュウべえが魔女に何もしない、出し殻の暴走を止めないのはなにか理屈が合わない。少女を魔法少女に勧誘するのも大事だけど、もっと大事なのは魔法少女が魔女化するように促すことだろう。借金するひとが増えるように広告をたくさんだするのも肝要だけど、そもそも踏み倒されてばかりでは商売にならない。
設定上も物語上もマミさんがあそこで死ぬのは理屈が合わない。じゃあ、どうしてマミさんがマミったのかといえば・・・ヒロイン的な美少女を首チョンパしてモンスターに食べさせたいという、倒錯的エロスのためと断言できよう。
http://anond.hatelabo.jp/20121011092946
たしかにhttp://togetter.com/li/387111を冷静に読めばamamakoさんは変なこと言ってないわな。
どちらかと言えばまどマギ信者のほうがナイーブな反発しすぎでamamakoさんはまさにこの空気が嫌だって
主張したいんだろうなと余計に感じる。
ただ
この少女が首チョンパされる様な狂ってしまった時代においては、真っ当なボーイ・ミーツ・ガールをやることこそが実は一番アナーキーなことなんだよね。そして、京アニはまさにそれをやろうとしているのだ。
ここがかなり突っ込みどころ満載。
京アニなんてまさに今時流行りの無駄に動きまくり、萌え萌えアニメで全然アナーキーでもねーし単にお前の好みだろって話。
こういう隙があるからそもそもamamakoって人は馬鹿で主張も全部間違ってるに違いないと舐められるわけだw
テレビ版しかみてないけど、あのマミさんの首チョンパって話題作りのための演出以外の何でもなかったと思う。
命の儚さとか、現実の冷酷さをみせつけるために、わざわざあそこまで、首から下がプランプランを影絵でみせる必要は感じない。
魔法だ魔法少女だ願いだ言ってても、死ぬときゃ死ぬんだな、ってことを伝えたかったわけ?
そうだとしても物語の主題である、願いと対価という問題にそれが必要かって言ったら、首を傾げる。
一人一人まどかになにかを伝えながらリタイヤしていって、ほむらとまどかの2人にすればよかっただけで、グロである必要はなかった。
さてそれはとにかくとして、あれをR指定しなかったら、なにをR指定するべきなのだ。
実写じゃなければ、どんなにグロだってエロだっていいんだろうか?
エロもグロもつくるのはいい、でも子供の目の届かないところにおくのがマナーでしょ。
それが出来ないから非実在青少年がうんちゃらってことになっちゃったことをもう忘れたのかな?
原作を知らない人でも、大人でも子供でも誰でも楽しめるように作るべきで、気分を害する人が出るような作品の場合、ちゃんと作品紹介のところにそれらしいことを書くかなにかすべきじゃん。
21世紀にTV放映された連続アニメの中では間違いなく一番おもしろかった。
本気で「地上波の連続TVアニメはオワコン。宮崎駿とピクサーと新劇ヱヴァさえあれば後はアニメなんてどうでも…」と思っていたけど、
まさかここまで楽しませてくれるアニメが出てきたことに驚いた。
※ハルヒは面白いっちゃー面白いけど、エヴァ好きな自分としては求めるものが違うというか…
敢えて難点を言えば、
難点はほんとにこれぐらい。あとは正直に面白かった。
しかし何故かまどかは見れば見るほどエヴァを思い出す。一体何故だ。
や、ほんとパクリとは思わない。パクリだったらまずキャラクターにテンプレ的な要素が強く現れる。例えば某長門とか。
どちらかといえば「俺はエヴァが好きなんだなぁ…」と再確認した次第。
そして「ああ、俺の思春期は20世紀の出来事だったんだなぁ…」と変な感慨を抱いてしまっただけだ。
あと、監督なのか脚本なのかどちらの功績かはわからんけど、良い意味で作品内外で視聴者を煽る/誘導するのが上手いなぁと。
別にアニメに興味ないからどうでもいいけど、うまいこと視聴者を煽れる人がいればきっとアニメ業界で働く人の未来は明るいんじゃないかなと。
今の若い男らで男らしい男って少ないよね。みんな長髪に女みたいな髪型で、眉を細くして髭は脱毛しちゃったりしてね。痴漢に喜んでお尻を差し出しそうな、オカマみたいなのばっかでしょ。鍛えないから細い腕しちゃって、力仕事なんてしたことないから指すらも華奢なんだよね。毎日皿洗いしている主婦の方が立派な手してるよ。
喧嘩の経験も全然ないんでしょ。ビール腹の中年サラリーマンが絡んできても、怖いよーって逃げちゃうんじゃない。度胸がないんだよね。うちの彼氏なんかも、ホラー映画見てて首チョンパシーンなんてあったら、目背けてるもん。ホラー映画のグロシーンでゲラゲラ笑うか気持ち悪いと思うかはセンスの違いかもしんないけどね、「わあ」って言って手で顔を覆うのはないんじゃない。初めて見たよ、実際にそんな動作してる人。
シャイって言ったら聞こえがいいんだけど、恥ずかしがり屋なんだよね。彼氏と映画見てて、エッチなシーンになると座りなおしたり、なんか恥ずかしそうにもぞもぞすんの。たぶん勃起してるのがバレたくないんだろうね。エッチなもん見たら堂々と勃起ぐらいしろっての。そういえば、付き合い始めの時にズボン脱がしたのにチンコを手で隠しちゃって「明るいところでしたことないから恥ずかしい」なんて言ってたな。一人になったらオナニーばっかしてるくせにさ。
うちの彼氏見てたら「やっぱり今の若い男は……」って思うこと多いよ。ほんとオカマみたいな行動多くてね。ぬいぐるみを触ってたりさ、寝るときはイルカ柄の抱き枕で寝てたりね(もちろんうちが泊まる時は、うちを抱かすけど)。すぐ甘えてくるしね。テレビ見てる時に肩に頭乗せてきたりね、うちが寝そべって本読んでたら「何読んでるの?」って背中に乗っかってきたり。どっちも男女逆だろ、普通。最近気づいたんだけどさ、うちの彼氏って腕とか足の毛の処理をしてるんだけど、ケツ毛もしてるみたいなんだよね。いつまでも綺麗なお尻でいたいってか。ケツ毛ぐらい自由に生やせっての。うちにだってケツ毛生えてることくらい、ちゃんと見てるくせにさ。
エッチに関しても積極性がないっていうかさ。サプライズで喜ばせてやろうと思ってスカートにノーパンで、ちらちらめくって誘惑してやったら目そらして「やめてよ。恥ずかしいよ」だってさ。そこは普通チンコビンビンにさせて「もう我慢できないよ」だろ。最中も率先して動かないしさ。たまには駅弁くらいしてみろよな。そのくせおっぱいは大好きで「いただきまーす」って感じで吸い付いてくるんだよ、赤ちゃんみたいに。
この前なんかさ、うちが騎乗位でしてあげてる最中に、涙目になって滴がこぼれたりしてんの。うちが「どうしたん?」って聞いたら彼氏が「だって超気持ち良いし、ゆっきー(って呼ばれてる)のこと好きだぁーって思ったら……」だってさ。バカ、うちだって超気持ち良いし、大好きだよ!
お世辞にも敬虔な信者とは言えないけど、籍は置いてるからそう名乗っても間違いじゃないだろう。
協会(エホバの証人の法人組織、「ものみの塔聖書冊子協会」のこと。日本支部は神奈川県海老名市にある。)は繰り返しインターネットの利用に慎重にあるようにとの指示を出してるので、こんな所に書き込みしてる時点で不良信者であることが自明ですね。
で、そんな指示を与えられてるわけなので、この広大なネットには現役証人の割合ってのが低すぎるわけです。オレはこのブロゴスフィアってのが大好きで、色んな境遇にある人の色んな文章を読める状態ってのが素晴らしいと思うんだけど、だからこそネット上の現役人口が低いのがどうにも面白くない。本当はエホバの証人の日常を書いたブログが、たまーにはてブの注目エントリにでも入って、色んなコメントが付くのが健全だと思うのだけど。
といっても、匿名ダイアリーに書いてることからも分かるとおり、普段書いてるダイアリーとかでは自分がエホバの証人であることは明かしてない。自分のIDにエホバの証人という属性を付与するのが、まあ、怖いというか。数年はてなやっててそれなりに気に入ってるもんでね、今のIDのキャラ。もしもまかり間違って匿名ダイアリーの書き込みIDが見える事故なんかが起きたら、それはそれで受け入れるしかないか、ぐらいの覚悟はしていますけど。
で、なんでこんなことをつらつら書く気になったかというと、まあきっかけははてブの注目のニュースに入ってたこれ。
あとこのニュースのブックマークコメントで紹介されてた幾つかの記事も。
まああくまできっかけであるので、それらについて具体的に語ることはしませんが。(聞かれたら応えられる範囲で応えます。即レスは無理かもしれないですが)
さて、今現在オレはエホバの証人であることをどう感じているか。実はあまり深い感情はない。週3回の集会や、月に数回の野外奉仕(つまりは宣教活動のことです)は、母親が聖書研究し始めた小学校の頃からの習慣なので、あまり大変とも感じない。仕事で残業が必要になった時とかは躊躇なく休むし、なかなかあえない友達に会うとかのときは遊びでも、そっちを優先する。この通りネット大好きなので、エホバの証人の信条を否定する情報にも触れてるし、もちろんその中には的外れだなあと思う批判ももちろんある。こんな風にやってると、エホバの証人の信条は絶対的なものではなくなる。じゃあなんでエホ証続けてんの? ってことになると思う。
じつはそれは、オレにとってエホバの証人の信条が「絶対的なものではない」からだ。
うちの家族は両親ともにエホ証で、妹もエホ証。ちなみに母と妹は正規開拓者(野外奉仕に月70時間費やすと宣言してる人のこと)。いわゆる神権家族ってやつだ。父が証人になったのは、先に学んでいた母の証言によるのだが、実はその前、父は消費者金融から借金をしていた。詳しい金額は知らないのだが数百万は間違いなくてもしかしたら一千万越えてたのかもしれない。それが元で夫婦仲は良くなく、母はオレや妹に離婚をほのめかすこともあった。まあそれから色々あって家を手放したりしつつも借金はなくなり今は親もオレもアパート暮らしだが、家族仲は良好だ(母親の一番の悩みはオレが信仰に熱心じゃないことなんだろうけどね)。今の状況は、決して裕福ではないにしろ、昔と比べたら間違いなくいいものだと思うし、それをもたらしたのは間違いなくエホバの証人とその教えなんだ。それだけではないけど、影響は大きかった。
つまり、オレにとってエホバの証人という存在は、けして悪いものじゃない。けれどネットの情報に触れて、それは絶対的なものじゃなくなった。ならば、オレはエホバの証人を捨てるべきなのか。エホバの証人はカルトだ、だから抜けろ。そう短絡的に言われても、エホバの証人の信条が完璧だなんてオレだって思ってないよ、でもオレにとって、間違いなくいい影響をもたらしてくれたんだ。だったら、それは他の道を選ぶのと何が違うんだ? 仕事に生きても、恋愛に生きてもオタク趣味に生きても、楽しいこともあれば虚しいこともあるなんてのは当たり前じゃないか。だったらそのどれを選ぶのも同じじゃないのか?
取り留めなくなってしまったけど。投稿。読んでくれた方はありがとう。
追伸。こないだ映画『300』見てきました。腕チョンパ、首チョンパ盛りだくさんだったけどすげえ面白かったです。かっこよかったです。あとオナニーも好きです、気持ちいいです。