はてなキーワード: 奉仕とは
http://anond.hatelabo.jp/20120201161059
朝4時起き→奉仕と朝5時おき→集会とかいろいろオプションがあるらしいよ。
というか、みんなにあわせて無理にでも参加しようとする。それがまた嫌な所。
早起きがいいにしても無理したら意味ないだろうに、ここの人たちはそういうの考えない。
あ、ちなみになんで詳しいかというと、うちの母親がこれに入って家でだいぶ揉めたから。
これに入会してから母親が早起きは絶対的に良いと根拠もなく信じちゃって、
夜遅くまで働いていることが多い父は体調を崩し、それでも無理強いしそうになったのでだいぶ喧嘩になった。
活動が悪くないにしても、その活動に一度依存し始めると周りの人に迷惑をかけ始める。
そういう問題については「それは家庭の問題ですから」という態度で、ケアがあまい。
もちろん家庭の問題なんだけれど、実際あんたらのところに入って問題起きた結果にその態度かということで、
無理やりやめさせて、それでまた家族の関係が悪くなったりと、色々と関係をズタズタになった。
さびしいとか暇を持て余している主婦が、子供の受験期とか家庭の悩み事を抱えてるとどうやって嗅ぎつけるのか、タイミングよく勧誘が来る。
んで、そういう人は、宗教じゃ救われないというか、救われようとして過剰にのめり込んじゃうだけで悪化する。
私はこれで宗教が嫌いになったね。あまりにも強引すぎるでしょう?
早起きなんか、出来るやつというか、向いてる奴とかやりたいやつがやればいいじゃん。
いつぞやの出勤日、ベルが鳴ってもなかなか帰ろうとしない上司は、どういう思いでなのかは計り知れないがサービス残業を自ら行うタイプの人間だった。憶測するに、仕事の遅さその更に上の上司に怒られるのが嫌でがんばっていたのか?それとも家に帰るより会社に居た方が良かったのか?はたまた評価を気にしてなのか?不明は不明だが、その上司の部下である私は、自分が先に帰る事をためらった。
なぜなら「上司が終わらずにやってるのになんで帰るんだ」と嫌な感情と共に叱責されたという過去があるからだ。愚痴を挟むと「勝手に残業しないように」とか言われてはいるのだが、やはり無給奉仕とはいえ人間関係なので「何かお手伝いする事はありませんか?」と申し立てる人間である事を精神的に強要されていると感じている。
そこで、怒られるよりは無給奉仕をするという選択肢を選んだ自分は、よそよそしさを隠し切れてはいなかったと思うが上司の周囲をうろうろしながら仕事を頼んでも良さそうな雰囲気を醸す。ここで極端に正直者な自分はなかなか本意に反して「何か手伝う事はありませんか?」と聞けない事がくやしい。なぜなら本当はやりたくなさそうな態度でそんな事言うなよって思われるのが怖いからだ。なかなか表情や態度、声色まで本気でその労働契約上の約束以外に時間帯で「何か手伝う事がありませんか?」とその文面その言葉の本当の意味、本来の乗せるべき意思を乗せて発する事は自分にとってなにかこう難しい事なのである。
これができる人は本当に羨ましくも思うのである。
しかし、元来明るいプラス思考の自分にとってまたとない気分の悪い、居心地の悪い空間である。この不快感は体験としては絶好のチャンスでもあるのでとにかく色々な視点で考えられないか?また後で今の状況をなるべくありのままに思いだして再体験できるように勤めてみた。この同じ時間に日本中でサービス残業を悲しみながらしている皆の気持ちを創造しながら。
嫌な事があった時、その嫌だった体験を話す相手がいる人は幸せ者だ。逆にだれにも話す相手がいない人の悲しみとはどんなものだろう。忘れるしかないのかもしれないし、ただひたすら貯めているのかもしれない。
嬉しい事があった時、その嬉しかった体験を話す相手がいる人は幸せ者だ。逆にだれにも話す相手がいない人の嬉しさとはどんなものだろう。
わかりたい。
だからこそ約束を信じられなくなった時の気持ちや、信じられなくなった人も気持ちはとても痛い。
他人の気持ちがもっと解れば自然とそして楽しく上司に使ってもらえるようになると思う。
なんだか奴隷根性の様だがいかんせん自分だって会社に依存しお互いに利用しあっている関係だ。
そして、人生に楽しみを求める以上。楽しさは約束がどうのこうのとは別次元に存在する物だから
あなただって頼まれた事だったとしても楽しければ必要以上にやってしまったりした経験の一度や二度はあるだろう
どんな事でも考え方次第で楽しくなると自負している以上。今日の経験もブログのネタ、思考のネタにしようと思った
瞬間
楽しい物になる。そして楽しんでやっていれば、命令した上司だって楽しい気持ちに少しは向くだろう
ただ、今日はサービス残業をやり始めてから、その“楽しい”という気持ちに視点を移動させるまでに
思っているだけでは、また同じ事を繰り返すとの懸念から、そこはさすが文化!
文化する事によってこの概念、この意思をここに残し、一つの感覚的構造として今のこの精神状態を
またそうなった時に思い起こしやすくできると思った。
さぁ次! また、イヤでイヤでたまらないサービス残業を暗黙の内に求められる機会がくるのを楽しみとしようと思いつつ
筆を置く
いつか、年がら年じゅうサービス残業なんですけどって人の視点も転換してみたいが、まずはここまででいいや
@awaikumo
ネットで知り合った男性に、旦那の浮気について相談していたら、
興味深い話が聞けたので、原文を読みやすく修正したものを紹介してみます。
ちなみに旦那にこれを実践して1年が経ちますが、怪しい行動は全くなくなり、
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30代の安定的な収入がある健康的で普通に社交的な男なら8割が風俗を経験している。
1割は、誰にどう誘われようが絶対に風俗には行かない男だ。
残り1割は非常に女性にモテて、素人女性を取っ替え引っ替えできるので、
あえて風俗に行く必要がない男だ。
つまり、普通の女性が普通に好ましいと考える男のほとんどは、風俗経験がある。
つまり過去の風俗経験については諦めるか、幸運にかけるしかない。
しかし、自分が付き合っている彼氏に風俗に行かれたり、浮気されたりする事を
ブサイクな女性でも素敵な彼氏をゲットして、浮気もされず幸せな結婚をしている人も多い。
そんな状態をどのように作るのかを、男の本音を分析しつつ解説してみたい。
人間の本音は「気持よく生活したい」ということだけど、
男は性衝動が非常に強い人が多く、日常的に「やりたい」と感じてしまう。
「あんな女とSEXできたら、どんなに気持ち良いだろう」
と男は自動的に日常的にひっきりなしに考えてしまう生き物なのだ。
そんな中、好みの女性からまんざらでも無い反応が返ってきたら、
本能に逆らうのは容易ではない。
仕事や勉強を死ぬ気で頑張るのも全て美女とのSEXの為だと本音を話す男は多い。
美女とのSEXはそうでない女性とのSEXの数百倍は気持ち良く感じてしまう。
(もちろん、美女と付き合うと自慢できるから、という理由もあるが、
という事だけど、これは非常に簡単だ。
それまでの数百倍の快楽を男に与える事が可能になる。
こんなに簡単で効果の高い事を実践できていない女性がとても多い。
要求するのは恥ずかして出来ない。
だから仕方なく男は、気持良くなる為に高い金を出して風俗に行ったり、
もちろん美女がテクニックを磨いたら、それに勝つのは難しいが、
床上手な女性は非常に少ないので、男は美女を見ても
「美女+テクニック」とは考えない。
非常に有効だという事が理解できたと思う。
この努力は僕が Google に来る為に Amazonを離れた2005年半ばも続いていた。でももっとずっと進化していたよ。 Bezos が命令を出してから僕が離れるまでの間に、 Amazon は全てにおいてサービスをまず最初に考える企業へと文化的に変化していった。外部の日の目を決して見ることの無いような、スタッフへの内部的なデザインも含めて、今ではそれが全てのデザインというものに対しての基本的なアプローチになっている。
その時点では、彼らはもはや解雇の恐怖からそうしているわけではなかった。つまり、もちろんビビってはいたけれど、ドレッドヘアの海賊 Bezos 様にご奉仕するのは日常生活の一部だからね。そうじゃなく、彼らはそれが正しいことだと理解したから、サービスを提供しているんだ。確かに SOA のアプローチには長所も短所もあるし、短所を書き出してみたら切りが無い。でも全体として、 SOA ドリブンのデザインというものこそが、プラットフォームを可能にする、これは正しいことだ。
これが、 Bezos が彼の指令書で企んだことだった。彼はチームの健康状態なんて興味もなかったし(今もそうかも)、使われている技術もそうだったし、結局の処のどう取りかかるかなんて結果ができあがるまで気にもしていなかった。けれど Bezos は、 Amazon 社員の大多数が理解する前に、 Amazon はプラットフォームにならなければならないということを悟っていたんだ。
だって考えてもみてよ。なんで一オンライン書店が、拡張可能な、プログラマブルなプラットフォームになる必要がある、なんてことを考える?。そうだろ?
ともかく、 Bezos が気づいた最初の大きなポイントは、本を売り、出荷し、色々とやる仕組みが、素晴らしいコンピューティングプラットフォームに再利用でき得るということだ。だから今、彼らには Amazon Elastic Compute Cloud があるし、 Amazon Elastic MapReduce があるし、 Amazon Relational Database Service があるし、その他たくさんの aws.amazon.com で見つけられるサービスを持っている。しかもこれらのサービスは大成功した企業のバックエンドを努めていたりもする。 reddit なんか僕のお気に入りだね。
もう一つ、彼が理解した大きなポイントは、常にいつでも正しい、そんなものを作ることはできないということだ。これは Larry Tesler が、ママがこのくそったれサイトを全く使えないと言ってのけたりでもした時に、 Bezos にピンと来るものがあったんだと思う。誰のママのことを言ったのかははっきりしないし、そんなことは問題じゃ無い。問題は、誰のママだろうとそのウンコサイトを使えないってことだ(訳注:アドバイス thx !)。実際、僕自身、そこで5年ほど働いていたわけだけど、あのサイトは胸がザワザワするくらいひどいと思う。でも僕はその気が散るようなサイトに慣れてしまって、トップページのど真ん中あたりの数万ピクセルに集中できるようになったんだからね。
とまあ、実際の処 Bezos がどうやってその理解、一つのプロダクトで、全ての人にとってふさわしいものを作り上げることはできないということに、たどり着いたのかは定かじゃあ無い。でもその方法は問題じゃ無くて、彼は理解してるってことが重要だ。実のところこの現象には正式な名前だってある。そう、それはアクセシビリティと呼ばれるものだ。コンピューティングの世界で最も重要なものだ。
君は思うかも知れないね。「はあ?つまりそれって、目が見えない人や耳が聞こえない人のあれ?あのアクセシビリティ?」ってね。まあ君だけじゃないと思う。とにかく世間には、アクセシビリティってものを正しく理解していない、君みたいな人たちがいっぱいいっぱいいるんだから。ただそこにたどり着いてない人たちがね。だから、アクセシビリティを理解していないのは、目の見えない人や耳の聞こえない人や手足が不自由な人やその他障碍のある人の責任じゃないように、君の責任じゃない。ソフトウェアが(この場合アイデアウェアといった方が正しいかもしれない)何らかの理由で誰かにとってアクセシブルでないというとき、それはソフトウェア自身の、あるいはアイデアの伝え方そのものに責任があるんだ。それがアクセシビリティの失敗というやつなんだ。
人生における重要なその他もろもろと一緒でさ、アクセシビリティには邪悪な双子がついている。小さいときにパパとママの偏った愛情で見捨てられて、今や同じくらいの力を持つまでに育った宿敵って奴がね(もちろんアクセシビリティには宿敵はたくさんいる)。それはセキュリティだ。一体全体こいつらが仲良くやっていること何てあるかい?
でも、僕は主張したい。アクセシビリティは実際の処セキュリティより重要だということを。だって、アクセシビリティを0にダイアルするってことは、何のプロダクトも持たないってことさ。セキュリティを0にダイアルしたって、そこそこのプロダクトを持つことはできるだろう? Playstation Network みたいにさ。
まあつまりですね、僕はみんなが分かってくれないんだったら一冊丸々この話題で本を書くことだってできるよ。分厚くて、僕が働いてた会社のありんことピコピコハンマーのエピソードで一杯の面白いやつをね。でも僕がこの話を公開しなかったら、みんなが目にすることも無いだろう。そろそろまとめに入らなきゃ。
Google がうまくやれていない最後の一つは、プラットフォームだ。僕らはプラットフォームを理解していない。僕らはプラットフォームを自分のものにしていない。みんなの中にできている人はいるだろう。でも、そんな君はマイノリティだ。辛いことだけれど、これはこの6年で僕にはっきりと感じられた。僕は競争相手のプレッシャー、 Microsoft や Amazon や最近じゃ Facebook なんかが、僕らを一斉に目覚めさせて、ユニバーサルにサービスを始めるのを期待したりもした。アドホックな、中途半端なやり方じゃなくて、多かれ少なかれ Amazon がやったようにだ。一度に全てを。マジで。偽りなしに。今その瞬間から最優先事項として扱うというように。
でも、そうはなっていない。10番やら11番めくらいのプライオリティだね。いや15番かも?。知らないけど、とにかく低い。真剣に取り組んでいるチームもいくつかあるけど、多くのチームは考えてもいない。一度もだ。ごく一部の人々がちょっとした規模でやっているだけだ。
多くのチームに、彼らのデータと処理に対してプログラマティックにアクセスできるような、ちょっとしたサービスを提供させるのだって大変だ。彼らのほとんどは、俺達はプロダクトを作っているんだ、って思っているからね。そんでもってそのちょっとしたサービスなんてのはみじめなもんさ。 Amazon の教訓に戻ってリストを見てくれよ。そんで今すぐ使えるサービスを持ってきて見てくれ。僕が知る限りでは、そんなものはない。小ビンってのは便利かもしれないけどさ、そんなの車がいる時だけだろ?(訳注:この人、 Stubby という小瓶のビールと、 stubby という「ちょっとした・不格好な」という形容詞をひっかけてしゃべってます)
プラットフォームが無ければ、プロダクトなんて使い物にならない。いやもっと正確に言うならば、プラットフォームの無いプロダクトは、いずれ同等の機能を持ったプラットフォーム化されたプロダクトに、取って代わられる。
Google+ ってのはまったくまさに、エグゼクティブリーダーシップのとても高いレベルから(やあ Larry 、 Sergey 、 Eric 、 Vic 、やあやあ)枝葉の使いっ走りまで(やあ、君だよ)、全くプラットフォームを理解していないっていう良い例だ。そう、僕らはみんな、全く理解できていない。プラットフォームの黄金律ってのは、自分のドッグフードを食えってことだ。 Google+ プラットフォームってのは惨めなまでに後知恵だ。ローンチ時には一つたりとも API が無かった。そんで最後にチェックしたときには、僕らが提供してたのはわずかばかりのほんのちっぽけな API さ。ローンチの時、あるチームのメンバーが行進してきて僕にそれを説明してくれた。だから僕は訊いたんだ「でさ、これはストーカー用 API?」って。彼女はむすっとして、「ええ」ってだけ言った。いやジョークなんだよ…いや…ジョークじゃ無いんだ…僕らが提供する唯一の API は、誰かのストリームを読み出すだけ…。うーん、僕が間違ってたのか?
Microsoft はこの20年間ドッグフードルールで知られてる。この時代の彼らにとっての文化の一つなのさ。デベロッパにドッグフードを食わせて、僕らだけ人間のご飯を食べようってわけにはいかない。それは単に短期の成功のために長期のプラットフォーム価値を損なう行為だ。プラットフォームってのはまったく長期的な視点が必要なんだよ。
Google+ は脊髄反射の代物さ。 Facebook が成功したのは、彼らがすばらしいプロダクトを作ったからだって言う、まあ実に近視眼的なものの見方の結果として生まれたものだ。でももちろん彼らが成功したのはそんな理由じゃ無い。 Facebook は他の人たちにも何かをさせてあげられる、プロダクトの美しい集合全体を作り上げたから、成功したんだ。だから Facebook はみんなにとってそれぞれ違うものだ。 Mafia Wars に全ての時間を費やす人もいれば、 Farmville で遊ぶ人もいる。何百の、いや何千の、質の高い、暇つぶしができるってわけさ。つまり、みんなのためにふさわしい何かが必ずあるんだよ。
僕らの Google+ チームは、プロダクトを出した後のマーケットを見てこう思った。「おっとっと、我々もいくつかゲームが必要みたいだな。さっそくどこかと契約して、我々のために作ってもらおう」。これが信じられないくらい間違った考え方だってことが、君にもわかってきたかい?。問題なのは、僕らが、人々がほしい物を予測して、それを提供しようとしているということだ。
そんなことは出来ないんだよ。現実的にはね。確実にやる方法なんてない。もちろんコンピューティングの歴史全体を見渡せば、それを確実に信頼性を持ってできる人間ってのがごく数人いることにはいる。 Steve Jobs がそうだろう。でも、僕らの処には Steve Jobs はいない。悪いけど、いないんだよ。
Larry Tesler は、 Bezos が Steve Jobs じゃないってことを口説いたかもしれない。でも Bezos には分かっていた。全ての人にふさわしいプロダクトを提供する為に、彼が Steve Jobs になる必要はないっていうことを。インターフェースとワークフローこそが、人々が気に入り、安心感を得るものなんだっていうことを。彼はサードパーティの開発者にそれを可能にするだけで良かった。そうすれば、後の事は自動で進んでいく。
僕の言っていることが、あまりにも明白なことだろって感じているみんな(多かったらいいな)には申し訳ない。とにかくもうびっくりするほど自明なことなんだ。ただ、僕らがそれをやってないってことを除いてはね。僕らはプラットフォームを理解していない。プラットフォームを持っていない。アクセシビリティを理解していない。アクセシビリティを持っていない。これらは基本的には同じことだ。なぜならプラットフォームがアクセシビリティを解決するからだ。プラットフォームがアクセシビリティなんだよ。
女の子がSEXのときにどのくらいエロいか(エロいことをしてくれるか)を推察する方程式をひらめいた。
各数値100点満点。本人の自己申告で計算することが望ましいが、
不可能な場合は普段の態度からの推測値でも、その推測の精度が高ければ隠された数値を導き出すことができるはず。
サービス精神は、人がよろこぶことに幸せを感じるかそうでないか。
これはまあ、SEXとの結びつきはわかりやすい。奉仕度合いですね。
チャレンジ精神は、新しい物事に対して抵抗を感じるかやってみようと考えるか。
これは例えばコスプレとかバイブとか体位とか、未知のエロを要求されたときの反応だと考えて下さい。
羞恥心に置き換えてもいいけど…「シャイな人ほどエロくない」というのは何か違和感があるので不採用。
あと羞恥心よりプライドの方が、普段の生活から推し量りやすい気がする。
ネコかぶってる場合、恥ずかしがるふりしたりするじゃん、あいつら。
で、代わりにプライドをはめてみたんだけど、ここは何かもう少ししっくり来る項目があるのかも知れない。
プライドの高い女だけどエロい、というのもありそうな気がするし。
当たってる当たってないなどのご意見、この項目はこっちの方がいいなどのご指導ご鞭撻賜りたい。
自分のために生きるというと誰だって自分を一番大切にしてるし自分のために生きてると反論してくる人がいる。
しかし、自分のために生きるというのはそんなに簡単なことではない。
自分のために生きるというのは、自分が幸福になれる行動を常にするということだ。
たとえば、お金を稼ぐために嫌な仕事をやる。これは自分のために生きていることにはならない。休日に自分の趣味を楽しんでるといっても、それはその日だけ自分のために生きているということにしかならない。
たとえば、両親の介護のために自分のやりたいことを我慢する、これも自分のために生きていることにはならない。
じゃあ自分のために生きるには他人をないがしろにしなきゃいけないのか、他人の幸せを踏みにじってまで自分のやりたいことをやるのが自分のために生きることなのか、という人がいるだろう。
そうではない。
自分のために生きるからといって、他人を不幸にして良いことにはならない。他人を不幸にしないというのは、自分のために生きていれば自然に達成されることだからだ。
他人を利用して自分が利益を得られるように行動している人を「自分のために生きている人」と言うのは間違いである。彼は自分のために生きてはいない。
他人を不幸にすれば、そこには必ず・どんな人間であっても「痛み」を感じるからだ。その痛みを感じないようにどんなに訓練しても意味が無い。もし訓練の結果、他人の痛みを感じなくなったとしよう。すると今度は自分の幸せを感じることが出来なくなってしまう。他人の痛みを感じることは、人間が人間らしく生きる第一条件だからだ。
他人を利用してまで自分の利益を得ようとする人は、そこに発生する他者の痛みを無意識に押し込めているだけでしっかりと感じている。自らが痛みを感じることをする人を「自分のために生きている」といえないのは明白だ。
自分のために生きるとは、自分も他人も全ての人が幸せになれるように生きることである。
両親の介護のためにやりたいことを我慢しなきゃいけない、ともし感じているのなら、それはその人のやりたいことというのを優先するためならば誰かを不幸にしてもいいと思っていることだ。
結局のところこれは考え方を変えるということに尽きる。両親の介護という新しい生活を楽しめば、「我慢」は必要なくなる。それに、全く自由な時間がとれないわけでもない。
自分を痛めつけないことも、自分のために生きるためには重要なことだ。
やりたくないことをやる、誰かの言うことに盲目的に従う、そういったことはストレスや病気に繋がり、自分が自分の人生を生ききれていないことを教えてくれる。
他者のためを思ってやることというのも、一見すると善意に見えるが、その背後にあるのは自分の善意で相手をコントロールしようとする「エゴ」である。
また、他者に何かを期待するのも、他者をコントール、自らの支配下に置こうとする姿勢である。
他者ではなく自分が何をやりたいのか、それを明確にするのが第一だ。そして、他者が求めていることに応えるのが第二。
他者に奉仕することは自らを奴隷とすることではないかという反論もあるだろう。しかし、それも考え方の問題である。
そもそも他者とは鏡に映った自分である。他者に奉仕するとは自分に奉仕するということ、自分に奉仕するということは自分を癒すということ。
全ては自分のために生きるためだ。奴隷と言う発想は他者を「自分に危害を加える存在」としか見ていないから生まれてくる。
自分であるところの他者についてそう思うということは、自分を信頼していない、自分への不信に繋がる。だから、他者を信頼できない人は外的なパワーを求める。代表格は金だ。
どうもこんにちは。重度知的障害者の兄貴です(7/27「まとめ」に一部追記。「自分の苦労を他人に押しつけるな」という「書いていないことを読み取る」コメントにくたびれたので。別に自分が理不尽なほどの苦労をしたとは思ってない)。この記事とブクマみて血圧上がってます。
出生前診断で異常発見し中絶、10年間に倍増 : 科学 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20110722-OYT1T00585.htm
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.yomiuri.co.jp/science/news/20110722-OYT1T00585.htm
まずこれ読もうね。
T4作戦(テーフィアさくせん、独: Aktion T4、英: T4 Euthanasia Program)は、ナチス・ドイツにおいて優生学思想に基づき1939年10月から1941年8月にかけて行われた安楽死政策を指す。名称は本部の所在地、ベルリンのティーアガルテン通4番地 (Tiergartenstraße 4) に基づき第2次世界大戦後に付けられた名称である。一次資料には E-Aktion(エーアクツィオーン、E作戦), もしくは Eu-Aktion の名称が残されている。この政策により、20万人以上が犠牲になったと見積もられている(ニュルンベルク裁判の検察側による見積もり)。(略)
この政策の目的は、ドイツ国民の「遺伝的な純粋性」を守るためのものであり、また身体障害者や精神障害者を組織的に根絶するというものであった。障害のある子供たちは、普通の病院と違う特別な病院に入れられた。障害を持つ成人に関しては、すでに 「Gesetz zur Verhütung erbkranken Nachwuchses」の結果として強制的不妊手術の対象となっていたが、この政策の対象にも含まれた。
読んだら次にいってみよう。君らが1930年代のドイツにいたとして、自分が「ナチスに投票した4割」と「投票しなかった6割」のどちらだったか、よく自問自答しながら下を読んでくれ。
まず、こういうことが罷り通るってこと自体、日本が法治国家としてダメダメってことなんだけどね。これを読もう。
第十四条 都道府県の区域を単位として設立された公益社団法人たる医師会の指定する医師(以下「指定医師」という。)は、次の各号の一に該当する者に対して、本人及び配偶者の同意を得て、人工妊娠中絶を行うことができる。
一 妊娠の継続又は分娩が身体的又は経済的理由により母体の健康を著しく害するおそれのあるもの
二 暴行若しくは脅迫によつて又は抵抗若しくは拒絶することができない間に姦淫されて妊娠したもの
2 前項の同意は、配偶者が知れないとき若しくはその意思を表示することができないとき又は妊娠後に配偶者がなくなつたときには本人の同意だけで足りる。
子供に障害があるからって中絶できるなんて書いてないよね?母体に危険がある場合か、貧乏で育てられないか、レイプ被害の場合のみだよ。日本は中絶は無原則に自由とか思ってるの、それ完全に間違い。つまりDQNカップルとかが避妊もしないでできちゃった子供を中絶するのって違法ですからね。堕胎罪ですから。一年以下の懲役ですから。覚えとけよ。
中絶する親は被害者なんかじゃない。法律的には間違いなく加害者。
そして倫理的にもそうだよ。胎児とはいえ命は命。まさにレイプとか母体の危険とか経済的理由とか、そういう「緊急避難」的なものでなければ圧殺していいはずがない。違うか?良心の呵責ぐらい持てよというのはおかしなことか?こういう連中を「被害者」呼ばわりできるとか、どんだけ世の中なめてるの?
皆さん好き勝手に、「障害者を育てるなんて無理」とか色々言ってくれるけど、言われた方がどう思うかわかってるの?中絶する両親には同情しても、中絶される障害胎児には同情しないんだね。ふーん。
もっと馬鹿げてるのが、先天的に障害がなければ障害とは無縁だとか思ってること。あのね、人間はいつでも障害者になります。事故とか病気とかね。統合失調症とか一番わかりやすいと思うけど。そうなったら「育てるの無理」とか「生きていけない」とか下らん御託言ってられなくなるよ。とにかく育てなきゃいけない、生きなきゃいけない。そこに現実があるからにはね。やってもみもせずに「できない」とか、何を甘っちょろいこと言ってるのかね?
うちの例でいうと、弟は生後僅かな間は「健常児」だったよ。ところが詳細は省くが医療ミスで脳出血起こして、それでその後遺症で知的能力のほか色々障害を負った。そんじょそこらの先天性の軽度障害者なんかよりよっぽど重いのをね。そういうことが起こりうるってわかってるのかな?出生前診断と中絶で問題を「なかったこと」にできるとか思ってる君ら、本当におめでたいよね。それとも我が家みたいなのは弟を間引けるようにすればよいとでも思ってるのかな?すごいね、まさにT4作戦だよ。ハイル・ヒットラー!君も将来歳を取って認知症になったときはアウシュヴィッツで「人道的」な「安楽死」を迎えることができると思うよ。
ちなみに、メガネ・コンタクト族の皆さん、君らの多くは近代以前だったら生存能力のない「視覚障害者」だからね。そこ覚えておくように。社会制度や技術で少なからず「障害」は「障害」でなくすることができるんだよ。育てられないとか生きていけないとか、そういうことやって見てから言ってるのかね?
で、ブクマに書いてあるので多いのは「障害者は生きていても不幸だ」みたいな話。すごいね。まさに「生きるに値しない命」だよね。ハイル・ヒットラー!
ヘレン・ケラーから乙武洋匡にいたるまで、いろんな人がそんなの迷信だ、とどれだけ説いてもわからない人はわからないんだね。確かに障害者は生きて行くに「不利」があるよ。でもそれは絶望的なものってわけじゃない。
それこそ上に書いたみたいな目の話をするならさ、メガネ族・コンタクト族は既にパイロットや宇宙飛行士になる夢は絶たれている。矯正可能な近視・遠視・乱視だって立派な「身体障害」であることの証明だね。しかし、あなたそれで人生に絶望する?しないよね。程度の差はあれ障害者の人生って同じことだよ。そしてその「不利」の程度を弱めていくのは「健常者」のつとめだよ。あなた自身やあなたの親兄弟や子供がいつ障害者になるかわかったもんじゃないんだから、それは「保険」と同じようなものだ。それを問題視するならT4作戦発動するしかないね。ハイル・ヒットラー!
あと、ブクマに目立ったのが「この日本の国で障害者を育てる事なんてできましぇ~ん」みたいなの。ふざけるな。
みんな育ててるんだよ。多かれ少なかれ苦労してな。別に同情なんていらん。だがな、その「苦労」の中身にはお前らみたいな連中の無理解と偏見が少なからぬ比率で混じってることぐらい覚えておけよ。
でな、「日本の国」の制度が悪いのは(7/27追記:本当にそこまで悪いとは思わないが、まあ完璧ではないので一応「悪い」として)誰のせいか知ってるか?お前らのせいなんだよ。曲がりなりにもこの国は民主主義国家だ。主権者は国民だ。この国の制度は国民が作るんだよ。それをやってこなかったツケが回ってきてるんだよ。
ただし勿論、当事者でなければわからないことは色々ある。例えば世の中のエスカレーターは大抵は「上り」ばっかりだが、足の悪い人にとっては「下り」こそが重要だというのは自分がケガしたり身内に足腰弱った老人がいないことにはわからんだろう。逆に言えば、当事者が声を上げるというのは民主主義国家における国民の権利であり、義務でさえある。そういうことを石頭のお役人やら政治家やらに硬軟とりまぜて教え込んでいくことで、障害者が生きやすい環境というのは少しずつ整備されていくんだよ。
何?この国は民主主義でもなんでもないって?そうだね、すべてはアカとユダヤの陰謀なんだ。ハイル・ヒットラー!
長々書いたが、俺の言いたいことは要するにこういうことだ。
この辺のことをよく考えた上で、諸君がナチス的な思想をさっさと卒業してくれることを祈るばかりだ。
はてなの連中は普段リベラルぶってるくせに障害者問題になると本当に差別的でカスだと思ってきたが、本当になんとカスの多い事よ。
なんでそこまで先天性の障害が特別だと思ってるんだ?お前の子供が病気や事故に遭わないとなんでわかる?「健常者」であっても犯罪者や引きこもりやニートにならないとなんでわかる?その覚悟なしに子供を生み育てようとか思ってるわけ?それ、ほとんど確率の問題だぞ。
大抵の障害児はそんなケースに比べりゃずっと楽だぞ。障害児なんて育てられないというんだったら、病気や事故に遭った子供、あるいはDQNやニートが親の子供も育てられないから育児放棄して殺してもいいって話になる。お前らが言ってるのは要するにそういうことだ。なんでその程度の想像力もないの?
要するにお前らの「育てられない」なんてのは「ボクちゃん、こわいの、できないの~」って子供がダダをこねてるのと同レベルなんだよ。子供に先天的な障害がなくたって四苦八苦。親になるってことはそれだけ大変なことなんだよ。その覚悟を持て。
以下、目立ったブコメに返信(7/27追記 以下、ブクマの傾向を見て適宜加筆・修正・削除する)。
md2tak 障害というか知障ね。理性なき者は社会合意できないから社会の倫理に委ねられる。「俺ができるんだからお前もできる」はマッチョな意見。少なくとも社会保障の議論を。コストの話になると経済的理由が適用できちゃう 2011/07/25
「知障」とか差別用語使いやがってカスが。だいたい読売の元記事は知的障害に限った話じゃないだろう。
ああ?何がマッチョだぁ?ふざけるな。うちの場合みたいに後天的に障害を負うことだってあるんだよ。そんなとき「ボクちゃん、こわいの、できないの~」って言ったらどうなるんだ。育児放棄、児童虐待、殺人だ。違うか!違うなら言ってみろコラ。社会保障なんて曲がりなりにも日本にはあるわいボケ。調べもせんとなにを贅沢ぬかしとんじゃカス。障害者の親が全員金持ちだとでも思ってるのか。障害児を養うと明日の飯に困るような貧窮なんてないわ。
sankaseki だからと言って、本人に「障害を持ち人生を歩む」と 親に「障害を持つ子供の親」という重責の強制はできないと思うがな。ややもすると「自分がやっているから他人もやれ」という押し付けに見える
じゃあ、うちみたいな後天的障害の場合はどうするの?「押しつけ」だとか能書き垂れて育児放棄とかできるわけ?だいたい「親」であること自体が超絶的な重責なんだよ。障害があるかないかなんてそれに比べたら微々たる差でしかないだろうが。つーかうちの親をはじめ障害者の親なんて別に「重責」に耐えた偉人なんかじゃないぞ。その辺のオッサンオバサンだよ。その辺のオッサンオバサンができることをやれというのが過重な重責なんかだとは思えない。
自分の子供を殺してまで守る家庭なんて守る価値なんかないわ。しかも「良心的」とかどこまでカスなんだお前は。それは「ポア」の思想だよ。
p__o__n 私は障害者になりたくないし、子供が障害者として生まれて欲しくないし、可能な限り障害が治れば良いと思う。これを優性思想だと言われればそれはしょうがないです。 2011/07/25
いや、それはそういうもんでしょう。社会を生きて行くに不利があるからこそ「障害」なわけで。矯正可能な近視がもはや障害とは呼べないのと同様に、「障害」は克服できるもんだし、そうすべきなんだという話ですよ。
虐殺の考え方も人類の中で脈々と受け継がれてきたものだね。これはもっと受け継ぐべきだね。ハイル・ヒットラー!
egpehcbd 西原の夫が「もし障害児だったら?沢山産めばいい、そうすれば弟妹が助けてくれる」と語ったというハナシがあったと思うが、あれはたいしたものだなと思った。
いえ、それは結構微妙です。障害児の兄弟にもそれぞれの人生があるわけで、親から「助けてくれる」ことを期待されると非常に辛いです。元々子供なんて親に全面的に「助けてもらう」存在なわけで、自分のことで精一杯なわけですから。
私の場合は余りそういうことはなかったですが、それでも無意識のうちに「親に負担を掛けないように」と過剰に空気を読む癖がついたりで色々苦労がなかったわけでもありません。これに親の過剰期待が加わっていたらと思うとぞっとします。
とにかく、特定の子供に他の子供を奉仕させるというような考え方はよくないです。これは障害の有無に限ったことではありませんが。
tikani_nemuru_M 個人レベルの優生思想と共同体レベルの優生思想は異なる。また、経済的理由による中絶が認められていることで、現実には「どんな理由で中絶してもいいよ」といっているのと同じ。 2011/07/25
そんなわけがない。例えばビル・ゲイツが「経済的理由」を持ち出せば当然しばき倒されるべきだろう。また、個人レベルであろうとそれが共同体内で容認されるなら同じこと。胎児どうこうでその意味がわからないのなら「寝たきり老人を介護なんてとても無理だから姥捨て山に放り込んでもよい」という法律ができたとしたらどうなるか考えてみればよい。それをナチス的と呼ばないとすればそいつの頭の構造こそがナチス的だろう。
産む前からそんなに信頼できないことがわかっている男の子供なんて最初から産もうと思うなというだけの話だし、母親だけに責任を押しつけているわけでもないし。
tswi (略)生命倫理について何ら学問していた形跡が見えず、反射的に自分が正しいと思うことを書きなぐっているだけという印象。 2011/07/26
そんな「学問」様を語ってるつもりはないんでね。こちらは当事者としての率直な実感を述べている。それを蹂躙する「学問」様ならば、実験事実を無視する「科学」と同様無価値だろうよ。
mujin これは完全に同意。イヌのときは「病気になって育てられないならイヌを飼う資格はない」って言われて、なんで人間のときは「育てきれないなら仕方ない」「生まないほうが子どものため」になるのか。森岡正博を読め。 2011/07/2
愕然としました。確かに、犬や猫の話なら普通にわかってもらえますね。要するにみんなそこまで子供が嫌いなんですね…。
annoncita うちは中間所得層のちょっと下だと思うけど、日本では結構やっていけるものですよ?重度障害児がいても。(略)
全くその通りですね。日本で「障害児を抱えてやっていけない」なんてのは大嘘。
junmk2 この問題については障害者側の人よりも、本当の本当のそもそも論を考える側の人の方が、社会的に不利で意見を表明できない。(略)
じゃあその「そもそも論」というやつを述べてみろよ。この件で「障害者を差別するな」以上に「そもそも」なことがあるものか。あるわけがない。
つまり、生きるためにコストを払うのではなく、コストを払えなければ死ねということですね。ハイル・ヒットラー!
自分が親として「普通の人」以下だと思うなら子供を持たなきゃいいんです。でなきゃ「普通の人」並に慣れるように努力しなさい。障害云々と関係なく当たり前でしょそんなの。
yoko-hirom 増田は自分の記事をご両親に読んでもらって意見を聞いてみては?/増田は幸せそうに見えないし,出産前に挫ける人がいても仕方ない/健康面の問題で心中や自殺を選ぶ人もいる。増田はそれらの人を非難するか? 2011/07/26
それ以前に出生前診断の話なんてガキの頃から家庭内で頻出の話で、「論外」という共通認識。そんな話ができないような家庭環境どころか、親の方が俺を教育しようと熱心だったよ。それから俺は十分すぎるほど幸せだ。まあ、こんな断片的な文章から俺の人生の幸不幸を推し量れると思い上がったあんたが俺の増田記事(障害ネタはこの一件だけ)にことごとくアホなコメントしてくれるのは全然想定外でも何でもないが。そして自殺は自分が死ぬだけだが他人を巻き込む心中は非難されて当然。
Crone 増田の怒りも分かる。でもただでさえ不安定な中、自分のせいかもと苦悩する妊婦さんへの共感なしには届かない。(略)
「自分のせい」とかいまどき思う人がいるとしたら勉強が足りないの一言でしょう。
元増田の場合、「自分の都合が悪ければメールの返信もしない」んだそうだから、ストーカーのように「寄るな」と言っているのにまとわりついてくるわけではない。単に回りの人間(息子も含めて、ね)が「不幸な私」を演出するための道具にしか過ぎない人間ということでしかない。そういう人間は大勢いる。そういう母親も大勢いる。見分けるのは簡単。一緒に出掛けたときに、大事にしている物と自分、両方に熱湯がかかるようにしてみればいい。「愛情のある母親」なら、「息子が火傷していないかどうか」を心配する。「自分だけが可愛いクズ」なら「物が壊れなかったか」のほうを心配する。(俺はハンドバッグ以下か?)と通常息子は激怒するもんだ。諦観を持っていると(やっぱり、こいつは母親じゃなかった)と思う。
残念ながら、子どもを産んだだけでは、女は「母親」になれない。私の母親は私の立場に立ってものを言ったことが、ただの一度もない。どのような場合でも「あんたが悪い」と言って叩いた。相手のほうを叩く場合でも「私の気に入らないことをしたから」であって、私が正しいからではなかった。父親のおかげで裕福な生活をしているのに、何かというと「私はこんなに不幸」という話をして、隣近所から嫌われている。そういうモノの考え方しか出来ないことは確かに不幸だが、他人には理解出来ないだろうと思う。
私は現在、両親を介護中だ。この間、母にぶたれた。私は父親と出来てるんだそうだ。もちろん、事実無根だ。おかげでようやく諦めることが出来た。「私には母親はいない。生まれ落ちたその日からいない。この女は私を痛めつけるだけの存在で、決して母親ではない」と。
まともな母親を持っている人には理解してもらえないんだ。誰でも「母親」というと自分の母親を思い浮かべるからね。「厳しく怒られたけど、根底には愛情があった。だから、あなたの母親だって『愛』があるに違いない」と何の根拠もなく言ってくるんだよね。私は両親に可愛がられて育った人間が大嫌いだ。
娘の革命癖が治りません。来年中学校にあがる娘のことで悩んでいます。市民主権になったのでもう信託した権力を奪回できる環境がほしいというので、人権宣言に抵抗権をつけてやったのがいけなかったらしいです。
私が偶然にも現場を押さえなければずっと準備していたかもしれません。激しく焦って自主憲法草案を策定しました。それでもまだ隠れて準備していたようで、先日、夜中にtwitterにまぎれてコンピュータ監視法反対しているところを夫が発見しました。
このままでは十代なのに革命するとかそういう「ジャンヌ・ダルク」になってしまいそうで不安でなりません。国民はすべからく公共の福祉に滅私奉仕し、愛国心を持ってほしい。いずれは安定した公務員になってもらいたいと思っています。
最近、レッドパージなるものがあることを知りました。アカを公職追放すると革命防止になるそうです。してくれる公安警察を探しましたが逆に監視下に置かれました。革命すれば政府は切れそうです。現にギリシャのほうではパトカーとか普通の車で市民を轢いてるそうです。日本では暴力革命よりも暴力がない分だけ就職のほうにも影響がありそうです。痛みに耐えて革命をやめてくれればと思います。娘に言ったところ激しく泣いて拒否されました。もし革命をやめないなら次は本当にやられると釘を刺しましたが、そんなことをされたら国賠訴訟で訴えるといいます。いつの間にかこんな反国家的な娘になってしまったのかと愕然としました。これも革命の悪影響なんでしょうか。いざとなったら夫も協力するそうです。娘は暴力革命なんてしないよと高笑いしましたが、無血革命は否定していません。革命をしないか確かめる方法はないでしょうか。