はてなキーワード: ゲラとは
大学入学を機に東京に出てきたんだけど東京の男の話し方がキショおもろくて笑ってしまう。
どうしてもニヤニヤ笑うのを我慢できずにいたら周りから嫌われて孤立してしまった。
後悔しているし反省しているんだけど、でもやっぱだめ。
男がカマホモみたいな話し方しているのを聞くとどうしても笑ってしまう。
個人的なツボは「〇〇って言うじゃないですか」
言うを「ゆー」みたいに発音するところからもうおもろいし「じゃないですか」って女々しい口調なのがきしょすぎて笑いを抑えられない。
東京に上京してきた人、東京男の話し方をどうやって我慢してますか? ぜひ教えてください。
このままだと大学に行かれなくなる。
下の階に住んでるガキ、中学生なんだけど
とにかく口が悪い マジでありえないぐらい口が悪い
代表的な悪事としては、その場に女の人がいるとき、すれ違いざまに「セックス!!!!!!!」って言ってくる ガキ2、3人で 俺は住んで3年になるけど通算で4回ぐらいされてる
最初はなんだこいつと思ってちょっと面白かったんだけど、もう年がら年中ずっとこんな感じだから最近は鬱陶しく感じる あと女の人に言ってるのもヤバい
苦情出した人もいるみたいで「騒音に気をつけてください」みたいな手紙が既に何回も配られてる
でも全然懲りてない
最近静かだなーと思ってたらまたうるさくなる…の繰り返し
あとなんかマンションだけじゃなくて外でも似たようなことしてる
こないだ見たときは自転車乗りながら近所の知らんおっさんに「アナル!!アナル!!おっほ〜〜!!」って叫んでた 作り話じゃなくてマジでこの台詞のまま叫んでる おっさんびっくりしてて可哀想だったな
というかそのうち殴られるんじゃないかと思う
キチガイに遭遇したらどうなるんだろう
参考:
アイドルグループ・TOKIOの長瀬智也(37)が、14日に放送されたフジテレビ系トーク番組『ボクらの時代』(毎週日曜7:00~7:30)で、好きな女性のタイプについて語った。
長瀬は「性格が悪い子好きでした。モテる子って性格ひねくれてたりする。モテることが当たり前だと思っているから」と話し出し、「彼女にラブレターを出したことがあった。げた箱か何かに入れて、下校の際に校舎の柱から見ていて…。クラス1、2位を争うかわいい子だったその女の子が、クラス1、2位を争うかっこいい男の子と一緒に、僕の手紙を見ながらゲラゲラ笑いながら帰るわけ」と昔のエピソードを明かした。
その時は「きつかった」と振り返るも、「大人になってみて、そういう子が好きかもしれないって。モテ過ぎちゃってよくわかんなくなっちゃってる人」と告白。今そういうことをやられたら「嫌」というも、「同性から嫌われている人がかわいいなって思っちゃう」と語った。
そして、「コンプレックスがあって取り繕ったのが、同性にそういう風に見られて嫌われているのかなと思う」と続け、「根本がコンプレックスだと思ったら一周してかわいい」と説明。「性格の悪い人がかわいい。または昔性格の悪かった子」と笑いながら話した。
2016/02/14 23:36
「百獣の王のライオン」、そもそも百獣の王の百獣は何なのでしょうか
ライオン自身は百獣の王だと思ってないし、他の獣もライオンは王だと思ってません。
サバンナにいるライオンが従えていると思われる動物100匹とライオンキングに出演したかを⚪︎×で示しました。
百獣の王ではなく二十獣の王ですね。ちょっと寂しい。
少し前に車椅子女性の話題で盛り上がっていたときに思い出した。
小学生時代、ある同級生の母親は、彼女の夫が押す車椅子に乗って運動会やら授業参観やらの行事を観に来ていた。周りの保護者より少し若く見える、痩せた、色の白いお母さんだった。
その同級生は子供のくせにそこはかとなく辛気臭いオーラを纏っていて、暗くて友達もいないのに一人で何か喋ってニヤニヤしているようなやつだった。当たり前にずっといじめられていた。仮にOとする。
Oは児童養護施設から通ってきているのに、学校行事にはいつも両親が揃って参加していた。休日には家族揃ってスーパーで買い物する姿を度々見かけた。
母親の病気のこととか何か事情があって家族で暮らせないのだろう、と今ならば想像するに難くないけど、施設育ち=親がいないという認識の当時のわたしたちの目には、別に居を構えながらも仲がよさそうなO一家の姿は異様なものとして映った。
ひどい話だけど、Oだけでなく家族ごと、クラスメイトから、いや学年中から差別されていた。気がする。
例のごとく車椅子でグラウンドにやってきて運動会を観覧し、教室に戻って昼食をとる際、土のついたタイヤのまま校舎に乗り込むO夫婦の姿を、わたしたちは冷ややかな目で見た。ちゃんと入り口にそれ用のマットが敷いてあって、踏んできているにもかかわらず。
小学校高学年、思春期にさしかかり不安定な心身をもてあまし、わけのわからない苛立ちやさみしさをお互いに悟られまいと取り繕っていた。障害とか施設育ちとかの事情を抱え、差別されながらも健気に生きているO一家の姿はいじらしく、尖った心を持ち寄るわたしたちの格好の的だった。
ある土曜日の午後、市の陸上大会に向けての練習があった。全員参加ではなく有志の集まりだったので、普段教室であまり喋らないタイプの子とも仲良くなれて、楽しい。
練習が終わって、わたしたちは麦茶を飲みながらずっと喋っていた。日焼けするからと木陰のところに集まって、実はあの子のことが嫌いとか好きとかキャアキャア叫びながら喋った。
ふと話が途切れ、もうそろそろ帰る?という雰囲気になったところで、一人が「そいえばさー」と口を開いた。
「そういえばさ、どうでもいいんだけど、こないだイオン行ったらOがまた家族でいたんだよ。
でねぇ、これマジだよ?…Oのお母さんが、歩いてた」
わたしたちは、爆笑した。ゲラゲラ笑った。全員で涙を流して、息も絶え絶え転げ回って笑った。
おかしかった。いつも白い顔をして、旦那に車椅子を押されているお母さん。そんなお母さんが自立して歩いているなんて、突飛で、シュールでナンセンスだった。前衛的な発想のようだった。
おかしい以上に、気持ちよかった。言ってはいけない、笑ってはいけないことなのはみんな分かっていた。
広い校庭にわたしたちしかいなくて、おかしいことなんて何もないのに馬鹿笑いして、すっごく悪いこと言ってるのに誰にも迷惑をかけていないから咎められなくて、こんなひどいわたしたちを誰か止めてほしいのに、芝生の上に転がったままどこへでも行けそうな、行ってしまいそうな気がして、怖いけど楽しくて、無敵だった。
曇ってるけど日射しは強くて湿った風が吹いていて、みんな同じ日焼け止めの匂いがしていた。ひざの裏側に芝生が刺さってチクチクしたけど、手で払うとさらりと落ちた。気持ちよかった。
家に帰り、キッチンに立つ母にOのお母さん歩いてんだってーと言うと、「Oさんの奥さんは脚が悪いんじゃなくて病気で体力がないから車椅子なんでしょ。何言ってんの」と返ってきた。つとめて不愛想な母の声になんでか安心したのだった。
数年後Oのお母さんは亡くなったと聞いた。
陸上練習のときのメンバーは、中学に入って少しヤンキー風味になったけど、成人後に同窓会をしたときにはごく普通のかわいいお嬢さんの姿だった。今ではほとんどの子が結婚して親になって、忙しく過ごしていることと思う。
Oが大人になった姿はどうしても想像できない。どんな暮らしをしているんだろうか。
校庭でひどいことを言って笑い転げて、誰か止めてほしいと思った。
その後の人生で、ちゃんと止めてもらえたと思う。元々優しい気持ちの子もたくさんいるけど、意地悪だったわたしたちも、失敗して傷ついて、自分のことが嫌になってもそれでも生きていくという選択をしたとき、他人に寛容になろうと努めて、その習慣が体に馴染んだと思っている。
何の罪もないO一家に冷たい目線を向けて嘲笑っていたことを思い出すとき、ひどかったなと思う気持ちは本当なのだけど、あの陸上練習後のお喋りの時間には青春フィルターがかかっていて、思い出すとキュンとする。
キュンとしたあと、でもやっぱり酷すぎるよねと心の中でつぶやいて、少し許されたような気持ちで回想を終えている。
アニオタWikiを見てたら、どこをどう行ったのか、伝説の92のページに行って、ゲラゲラ笑ってたんだけど、割と近くにも同じような人がいた。
うちの母方の親戚に、よっぽどポシャらなければ資産運用だけで永久に楽に生きていけるくらいの実家が太くて、
しかも本人も県職員をやってる超勝ち組の旦那を捕まえた人がいたんだけど、専業主婦で子供3人作ったところで無職の男に捕まって浮気。
浮気がばれたら、浮気するまで私を追い詰めた旦那が悪いと切れて、子供にも旦那の悪口を吹き込んで、女4人で旦那いじめをはじめたんだそう。
旦那が世間知らずのボンボンだったのをいいことに、自分は弁護士やとって旦那を一方的に悪者にして、
マンション一つと多額の慰謝料と養育費の権利をぶんどって離婚。
無職男と結婚して、マンション運用と慰謝料を元にした資産運用で遊び呆ける生活を送ったそうな。