はてなキーワード: ゲラとは
分かりやすい「面白さ」というのは、送り手が読みやすいように情報に施した糖衣のようなものであって、情報そのものではない。「面白くて次々リンクをクリックしたりタブを展開したり」するのは、単に情報の送り手に踊らされているだけであって、情報強者どころではなく単なる情報の奴隷に過ぎない。一日24時間TVを見て、チャンネルを変えてはゲラゲラ笑ったり、気が向いたら録画したりしているだけの人間を情報強者とは言わないのと同じ。情報に踊らされて自分を見失っているだけ。
そんなことよりも
…と思う、その感覚を大事にした方がいい。分かりにくい「面白さ」には価値があるし、それを分かるために「自分なりの」努力することにも価値がある。論理の「飛躍」ではない、自分にその論理が理解できていないだけだと思うべきだ。そして、そこからそういうモノを作りだせる人間になれば、それで飯を食っていける。分かったようなつもりでうまいこと言おうとするよりも大事なことがそこにある。
『街場の読書論』ゲラチェック95%ほど終了。年内に「あとがき」書いて、戻せそうです。
今日は「メタ・メッセージ」論を20枚ほど書き足しました。メタ・メッセージというのは「これは嘘です」とか「後ろの方、聞こえますか?」とかいう言明のことです。これは誤解の余地のないメッセージなんです。メタ・メッセージというのは「メッセージの解釈にかかわるメッセージ」のことです。不思議なのは、「後ろの方、聞こえますか?」という問いかけには二種類の回答しかないことです。それは「はい、聞こえます」と「いいえ、聞こえません」です。不思議でしょ?「聞こえません」て、お前聞こえてるやんか!そうなんです。メタ・メッセージは「聞こえない人にも聞こえてしまうメッセージ」なんです。すごいですね。
こんな話があります。ある工員がどうも工場からものを盗み出しているらしいという嫌疑がかかりました。警備員たちはこの工員が手押し車を押しながら工場から出るとき、彼をとめて、手押し車の中をすみずみまで探しました。でも、何も出てこない。毎日、止めては手押し車の中を点検するのですが、何も見つからない。さて、この工員は何を盗んでいたのでしょう?もうおわかりですね。彼は手押し車を毎日盗んでいたのです。いかにもラカンが好きそうな話ですが、「手押し車」を「メタ・メッセージ」と書き換えると、コミュニケーションについての恐るべき真理が明らかになります。メタ・メッセージは「情報についての情報」ですので、誰もその真偽や理非については問わない。警備員はこれを組織的に見逃すのです。
だからもっとも賢いメッセージ発信者はパーソナルなメッセージを「手押し車」のかたちにして発信するはずなんです。これは誰にも咎められず、どこまでも、誰にでも届くから。
情報化社会における「情報強者」とは良質な情報をたくさん所有している人間のことではありません。そうではなくて、自分の個人的なメッセージを「手押し車」に載せてやりとりできる術を知っている人間のことです。パーソナルなメッセージをあたかも価値中立的で、真偽の判定になじまず、「警備員たち」の検査の眼をを逃れるものであるかのように発信できる人間が、情報社会における情報強者だと僕は思います。つねに「自分がいま発信している情報についての情報」を繰り込むことのできる言語能力が情報社会における階層差の形成要因であるというのが僕の仮説です。自分の言明に含まれる真実含有量についての検査値を公開しながら話すんです。楽しそうなんだけどなあ。
サンデル教授ってインチキでしょ?って言ったのはウチダの個人的な感想でありまして、理由は二つ。ひとつは、「正しい決断をしなければならない」という状況設定そのものが間違っている可能性を吟味していないこと。「正しい決断をしなければえらいことになる」という状況に立ち至る前に、「そんな決断をしなくてもいい方向」に向かう分岐点がいくつもあったはずなのに、それを見落とした自分の知性の不調についてはなぜか主題化されていない。これはアメリカ的知性の特徴なんだと僕は思っています。事が起きたあとの「対症マニュアル」の整備には熱心だけれど、そもそも「事を起こさない」ための「予防的配慮」については驚くほど関心が低い。そういう国民性格の内側から出てきた「ナショナルな弁証法」だということについて、あまり自覚がないみたいだったので・・・というのがひとつ。もうひとつの理由はホーフスタッターの「アメリカの反知性主義」に出てくる伝道者たちに相貌が似ていたから。サンデルファンのみなさん、ごめんね。
えーと。
私は、誰の教師に就くか、選ぶ権利はなかった。
私にとっては、ハングルを学ぶ意思はない。意思はないが、拒否はできない。これはハラスメントの一種だ。
何も朝鮮半島との史的交流を学ばせるな、と言っているのではない。
たとえば簡単な話、日本史の授業で、なぜハングルを学ばせるのか、足る理由があるというなら、呈示してほしい。
断っておくが、これは嫌韓やレイシズムに起因するものではない。
たとえば隠れキリシタンを始めとした日本におけるキリスト教受容の歴史を学んで、じゃあ『どちりなきりしたん』や『こんてむつすむんぢ』を読んでみましょうとゲラ刷りのプリントを渡されたって、当時の私からすれば、等しく嫌だっただろう。
江戸時代の科学史として、和算やエレキテル、万年時計などなどを深く説明されたって、机に突っ伏していたはずだ。
だから、そういうことをどうしても教師が教えたいなら、カリキュラムを変えてほしい。公教育レベルで、教師自らが先んじて行動して、変えてほしい。学生に、選択権を与えてほしい。それが生徒にとり得心のゆく行動ならば、生徒も主体的に動くだろう。
その実現した成果の上で、ハングルだ、隠れキリシタンだ、世界水準の数学者だ、と教えたいだけ教えればいい。
現状の教育システムなら、どちらになびこうが犠牲になるのは生徒だ。「ちょっと偏ってたほうが面白いだろ」などと馬鹿げたことを言うな。新聞購読するのとは話が違うんだぞ。
横浜の県立高校 女性教諭が日本史授業でハングル指導 「朝鮮人虐殺現場」見学企画も+(1/2ページ) - MSN産経ニュース
http://sankei.jp.msn.com/life/news/110825/edc11082502070000-n1.htm
俺もテーマまで踏み込んで話を語るのが好きだしそういう読み方をする人間の少なさに寂しさは感じるものの、全ての客がそういう楽しみ方をするべきだとは思わない。
なぜなら作品というのは世に送り出された時点でどういう楽しみ方をするのかは客に委ねられている。
売上だけ見てゲラゲラ笑ったり、キャラだけ見てブヒブヒ言いながら同人誌描いたり、あからさまにストーリー読解してないのに文句を垂れる、そういう楽しみ方をする自由もあるんだろう。
「そのような楽しみ方は下賎だ、愚民どもを説教し、教化するのが俺様に課せられた使命なのだ」と考えるなら、それは感性の違いだな。
あとテーマの解釈に正解などない。解釈はいわば二次創作のようなもので、全てのものが正しく、全てのものが間違っている。ゆえに「俺の解釈が正解かどうか?」など考えるだけ無駄だ。
ふとインターネットをやっていたら、以下のような記事を見かけました。
当たり判定ゼロ モテるSTG女子力を磨くための4つの心得「東方を知らない女をアピールせよ」等
どうやらモテる女子力を磨くための4つの心得「オムライスを食べられない女をアピールせよ」等というネタ記事を改変してつくられたものみたいですね。シューターならゲラゲラ笑ってしまいそうな内容です。
ところでダライアスシリーズのなかでも特に『ダライアス外伝』は、たくさんの女性プレイヤーを全国各地で見かけたシューティングゲームでした。現在ゲーセンで稼動中の『ダライアスバーストAC』にも女性のプレイヤーが確認されており、ときにはカップルでキャッキャウフフと遊んでいる光景も見かけます。弾幕や美少女キャラクターの目立つゲームよりは女性でも手を出しやすいのかもしれません。
ばかなこといってんじゃないよ。
ゲーセン行って『ダライアスバーストAC』。今、シューティングゲームで女子力を発揮するならこれしかありません。これであなたの女子力は最大96倍まで上昇するはずです。
【1暗さを味方につけろ!】
ダライアスバーストACは、大型筐体のなかで遊ぶシューティングゲーム。宇宙空間が舞台ということもあってか、筐体内は全体的に暗めです。暗いって、いいと思いませんか?ショットバーや居酒屋の照明と同じで。しかも時々、画面の照り返しや赤い警告ランプが、あなたの横顔を神秘的に彩るのです。ボス戦前の警告音の最中に、ちょっとだけ男性のほうを振り向いちゃうのも効果的かもしれません。
【2狭い筐体を生かせ!】
ダライアスバーストACの筐体は、コックピットをイメージしたのか、それとも音響効果や視覚効果を重視したのか、やや狭めです。実際、「筐体の天井に頭をぶつけないでください」という警告が書かれているほどです。奥さん!この狭さは地の利ですよ!筐体への出入りの時や全身を使った激しい弾除けの時、それとなくボディタッチしても、「狭いからしようがないよね」という大義名分が立つというものです。もたれかかったりしたら、さすがにあざとすぎるでしょうけど。でも、ちょっと触れたときに「あっごめんなさいっ」って言うぐらいなら、いいんじゃないでしょうか。
ちなみにシューティングゲーム愛好家の男子のなかには恋愛にうぶな人も結構いるので、あまり激しくやっちゃう&誰彼かまわずにやっちゃうと、勘違い君が出現するかもしれません。ご利用は計画的に!
【3一緒に強敵と戦って「吊り橋効果」をゲット!】
よく、恋愛の本に乗っている「吊り橋効果」。ドキドキするような局面を共有すればうまくいく、というあれです。
さて、このゲームにはハラハラドキドキするような場面が目白押しです。大きなクジラとの戦いや、ハリセンボンのホーミングレーザーから逃げ回る際には、ほっといても心拍数があがります。協同プレイで吊り橋効果をゲットしましょう。ただし、
【4優越感を煽って主導権を握れ!】
「吊り橋効果は欲しいけど、私そんな強敵と戦えない」「バーストカウンター?なにそれ?」と言う女子もいるかもしれません。案ずることはありません。むしろ逆に考えましょう。ここは優越感を譲って、実をとりましょう。むしろ、へたくそさをアピールするぐらいが良いかもしれません。
草食系男子とか色々言われてるけど、たいていのシューターは、「お姫様を守るオレ」をやりたがっていますから、実を取るなら、あなたはネクストあたりを選んでプラプラしてましょう。そうしたほうが「協同プレイに貢献しているオレ」を満喫していただけるというものです。間違ってもボスに超接近して張り付き瞬殺をキメたり、バーストカウンター96倍を総なめしたりしてはいけません!ドン引きはされないとしても、それじゃあ男子の優越感をくすぐれません。
【5漁場はインターネットでチェック】
さて、いくら意気込んでゲーセンに出かけても誰もいなければ女子力を発揮することも出来ません。ですが、タイトーの公式ページに行けば、どのゲーセンのダライアス筐体にどれだけ人が集まっているのかを知ることができます。具体的にはクロニクルモードのランキングで上位30位ぐらいの店舗には、たくさんのプレイヤーがいると思って間違えないでしょう。
これらのtipsを意識すれば、さあ、今日から『ダライアスバーストAC』はあなたの漁場です。小魚をいっぱい引き連れる“姫”を目指すのも良し、大物を見繕って一本釣りを仕掛けるも良し。どちらにせよ狭い筐体とボイスソニックはあなたの味方です。もちろん、シューティングゲームとしても遊びやすくて奥が深い作品ですから、女子の嗜みとして悪いモンじゃあありません。そうと決まったら、大物釣りを目指して全国の漁場へゴー!であります。
※もちろんネタですが、実際、『ダライアスバーストAC』は二人以上で同時に遊べるちょっとしたアミューズメントとして、お勧めです。
この記事で触れられている地震予知ってのは短期予知のこと。プレート崩壊の前兆をとらえてどーこーって奴だが、まあ当たらんね。これは件の記事で先生が言ってる通り。ナマズをずっと監視していれば明日地震が来ることが分かるのかみたいな話。
プレート境界型の大地震が同じ場所である程度の周期をもって起こるということ自体は否定されてないよ。活断層は正直一杯ありすぎて把握しきれないが、プレート境界はいきなり降ってわいたりしないからね。後半の「またゲラー教授は論文で、東日本大震災で津波~」のくだりはこっちの話。周期性もプラマイ20%とか誤差があるから前もって逃げておくみたいな予知は出来ないけどな。1000年後に宮城でまだ地震が来てなかったら「あと400年以内にここ滅ぶよ」くらいは言える感じ。
心の発達が遅れていて、年中の頃に聞いた話だと、3才程度なんだそうだ。
母親は懇談会だ保護者会だという時の自己紹介のたびに「見た目は普通なんですけど」と言うが、いや、とても普通には見えない。いわゆる「重度知的障害」の子と比べるとマシに見えるかもしれないが、その程度。
発達障害には少なからず遺伝も影響していると聞くが、なるほど、やはりその通りなのだなと思えた。
他人に見せると意識していないにしても、言葉の選択がおかしい。幼稚園では、子どもの障がいにも負けず気丈に振舞う母親、という雰囲気を醸し出していたがどうだ、蓋を開けてみれば、普段我々と話している時にもあのような言葉が胸の内にあるのだと思うと寒気がする。
そのブログでは「自閉症児の親がいかに大変か」という記事が大半を占めていた。
言葉でのコミュニケーションが取れないとか、未だにオムツが取れないとか、オムツに出したウンコを手で触りそれを壁や家具になすりつけるとか、親が悲観し泣くのを見てゲラゲラ笑うとか、買い物に行ったとしてもすぐに走り出してどこかへ行ってしまい、その上商品を放り投げたり棚やケースの中にもぐりこんだりするので他の客や店員から終始白い目で見られるとか、もちろん大変だなとは思うのだが。
息子の幼稚園には、クラスは違うが自閉症児がもう一人いる。心の発達は同じく3歳程度らしい。
母親がすごく頑張っていて、視覚的に手掛かりを与えるとかで「絵カード」「写真カード」なるものを駆使し、入園したての頃は奇声を上げ片時もじっとしていられなかったとは考えられないほどの穏やかさを手にしている。
障害と言うほどではないが少し落ち着きがないなという子の親がそれを真似し、見事に落ち着いたという事で園内で話題にもなった。
前者の親に同情できないのは、いかに自分が大変か、いかに周りの理解がないかなどをグチグチ言うだけ言って、努力などしているようにも見えないからだ。同情できないだけではない、どうにか周りに迷惑をかけないように暮してくれとさえ願う。自閉症だからといって、親が子どもを操縦しきれていない状況では、白い目で見られても仕方がないだろう。
もちろん親にも問題があれば行政などが指導するべきだ。
ゲラゲラwww
低学歴叩きをしている人は、
「高学歴が努力している間、低学歴は遊びほうけていた。大人になってツケ払いさせられるのは当然」みたいな主張をしているけど、
楽して遊びながら高学歴でいる人たちのことをどう考えているんだろう?
私に漸化式を教えてくれた男子は、バンド活動をしていて、宿題も未提出が多く、予習も復習も当然のようにせず、
進学校の小テスト直前のあの緊張感の中でも友達とダベってゲラゲラ笑っていて、
そんな適当な感じなのに先生には割りと好かれ、他校に結構可愛い彼女が居て、
打ち上げの幹事なんかもよくしているリア充だったけど、私よりいい大学に行ったよ。
隠れて必死に努力してた、なんていうようには見えないんだ。そんな時間は絶対に無い。頭の出来が違うのだとしか思えない。
私が50回じっくり聞かなきゃ理解できないことを、彼は1回聞くか聞かないかで理解できるんだよね。
そして世の中には私より理解が遅く、100回聞かなきゃ理解できない人もいるんだろう。
そういう人は、私よりも勉強に時間を割き、貴重な高校時代を台無しにしなくちゃいけない。
その年齢だからこその感性や、その年齢だからこそ作れる思い出もあるのに。
その年齢のうちに読むべき小説や、観るべき映画もたくさんあるのに。
私も一応国公立大学の学生だけど、世の中における学歴のウエイトは高すぎると思う。
だから勉強に向いていない人も必死で勉強させられて、貴重な青春を灰色にしてしまうんだ。
誰にでも向いていることはあると思う。
選民主義気取るつもりはないけれども
これってこの手のゲームになじみがない人がプレイして楽しめる作品ではないでしょう、と。
名作名作とは言われていても、
ごく狭い、特殊な嗜好の持ち主のニーズにフィットしてるだけだと思うんですよ。
まぁスクールデイズと一緒で、一部の極端な演出や描写は普通の人でも楽しめるかもしれませんが
全部を味わう必要もないし、多分無理だと思うんだよねぇ。
気持ち悪いとかいう以前に「つまらない」と思うよ。
普通の人が冷やかし程度でやったって、最後までできないと思う。
それで「あちゃー失敗しちゃったか」で済ませられる人はいいんだけれど、
普通の人ってなぜかエロゲとかAKB48みたいなアイドル関係とかみたいに
「下等」とみなしているものには何言ってもいいと思って発言に責任持たない人多いから困る。
どうせまた「こんなん喜んでるやつは死ねばいいのに」とか「規制すべき」とか言い出すバカが出てくるんだよね。
余計なお世話ですハイ。
長い間エロゲやってると
自分の好みもろくに把握しないで、興味本位で手を出して失敗しただけのくせに
満足できなかったら平気で相手をこき下ろす厚顔無恥な人を今までいっぱい見てきたから
さよ教にしても、エロゲにあまり理解がないなら手を出さないでほしい。
安かろうが、他人が薦めてようが、自分に興味のないものには手を出さない。
もし手を出して失敗しちゃったんならそれは100%あなたの責任。
そんな感じでよろしくお願いします。
なかなか書けずにいたら似たエントリが出てしまったけど、釣りじゃないです。
http://anond.hatelabo.jp/20100820021613
最近父が死んだんだけど、息を引き取ったときほっとした。
私は殺されずに済んだ。殺さずに済んだ。
そして父は誰も殺さずに済んだ。
父はいわゆるDVだった。
物心ついた頃の記憶は、もの投げの標的にされて泣いている自分だった。
あらゆるものが飛んできた子供時代だった。もちろん殴られたし蹴られもした。
母も同じ目にあってたから、暴力は毎日あるものだった。
少し大きくなって、この事態をなんとか避けようと努力はしたのだけど、
避けられないんだよね。外で、仕事で、嫌な目に遭うと家族に向かって爆発するんだから。
避けられないなら止めるしかないと思って、今度は抵抗してみた。
すると抵抗者=敵と認識されて敵の敵は味方になってしまった。
私が交通事故にあった時の加害者へのバックアップなんて、熱烈歓迎だったよ。
漸く大人になって母と二人で逃げだせる時になって、問題が起こった。
そのクッションである私たちがいなくなったらケンカ沙汰で人を殺したりしないか?
「殺人犯の元妻と娘」に世間は甘くはない。
逃亡は出来かねた。
それからはどう父と折り合いをつけるかに重点を置いたんだが、
これが至難の業だった。父の思考回路がみえないのよ。
考え方、理論の立て方が普通と全く違うと気付くまでに大変な時間がかかってしまってた。
以降父への意思疎通を試行錯誤して色々やってみた。上手く行った部分もあるけど、通じなかった部分が多かった。
今から数年前に「発達障害」の事が新聞なんかで取り上げられた。
読んだ時母と二人で「これだ!」って叫んだ。
何故普通なら伝わる言葉がつうじないか、何故他の人とは似ても似つかない反応が返ってくるのか、
積年の疑問が漸く解けた感じだった。
でもそれで病院を訪ねてみようとならなかった。
薬で治るものでなし、父も年だから今更変わることもできないだろう。
今までの試行錯誤をまたやるなんて、私は耐えられなかった。
そしてそのまま時は過ぎて、今年父が死んだわけだけど、
このブログを読んで医者やセラピーに行く事の重要性を改めて認識した。
「意味不明な人々-発達障害(ADHD、アスペルガー)と人格障害に取り組む」
http://blog.m3.com/adhd_asperger_etc/
父の入院中、意識が朦朧とした時に、譫言で演説を一日中ぶったことがあった。
内容は近所の集会でやった議事の説明。短いから途中で急に最初に戻って、壊れたレコードみたいだった。
それを大声で、陶酔しきって話し続けてた。
それを聞いて思ったんだ。話が通じないと感じていたのは父も同じだったんじゃないかと。
自分の話が通じないから誰も話を聞いてくれない。
この譫言でしている演説は、珍しくみんなが耳を傾けた父の話だったんじゃないかって。
議事説明なら、みんな聞くわな、仕方なく。
今まで父の事を変人と思ってた。
それは間違いないんだけど今考えると、父にとっては周りの人が考えの通じない変人だらけだったのかもしれない。
父は私の事を昔から「このキチガイめ」と罵倒していたけど、父からはある部分がそうみえていたのかもしれない。
父にしてみれば、孤独だったかも。
自分の家族がどうもおかしい、変だとおもっている人は少なくないと思う。
私は「思考の仕方が違う」というただそれだけの事に気づくのに数十年もかかったけど、
対処の仕方が分かれば、ひょっとしたら相手も、自分の対処方を考えてみる気になるかもしれない。
夫婦なら別れればいいけど、親子で縁を切ることが出来ない人は是非相談にいってくれ。
私、父への対処方では徹底的な理詰めでやってた。
それしか方法がなかったからなんだけど、上のサイトを読むと
最もマイナスのでない対応らしいので、それだけは救いだったかなと思う。
父も少しずつまともになってきていたし。
だから手遅れって事はないと思う。
みんな、がんばれ!
書いてるうちに色々思い出してしまって、踏ん切りをつけるためにがんばれ!とか書いたけど、
頑張る必要はないと思う。努力があんまり通じない相手だし。
でも誰かに相談する事は必要で、発達障害では?と切り出せば相談のきっかけになると思う。
こういう話は相談しづらいんだよね。私も父の事はあまり話さない癖がついていたから(だってどう話す?昨夜も殴られましたとか?)
何をどう話して良いのか見当付かなかったから。