はてなキーワード: 節操とは
ロシアは現地人に対しては過酷であったが、はるかに立場が弱いはずの日本人とは友人として接した。ロシア人には人種的な差別意識というものはあまりない。あるのは強烈な利害関係意識であるようだ。いったん利害関係が成立した相手に対しては節操がなくなるのだが、利害関係を持たない相手には、損得抜きに友人として人懐っこく心をひらいてくる。西欧人はこうは行かない。利害関係が生じた相手とは表面的にはことさら仲良く見せようとする。そのかわり腹の底の差別意識はもう損得抜きにどうにもならぬほど強烈なものがある。どっちがよいかという事ではないのだろう。明治以降の日本のような付け焼刃のイデオロギーとはわけが違う。もっと根深い人間性の違いであろう。
(風雲児たち 9)
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http://anond.hatelabo.jp/20120108211250
ちょっとはてブだけを貶める形になってしまったので、これはよくないな、と改めて、ネット各地で戦うコメンテーター達の特徴を、ウェブ上の争い事なんかに興味のない女子にもわかりやすく、戦国大名に例えてみたよ!
(※あくまで戦う人をツール全体で捉えたものであり、利用者個人の特徴を言い当てているものではないです。)
勢力が非常に広範かつ多岐に渡るため、一括りにすることが最も難しい国ですが、強いていうのであれば謙信タイプでしょうか。屈強な武将がフォロワーという軍隊を従え、RTという名の十文字槍で取るに足らない足軽兵を駆逐していく様はまさに軍神と呼ぶに相応しく、各地での転戦の多さや、持久戦を得意とせず、短期戦で勝敗を決めるあたりも謙信型ツールといえます。当然、国民の大多数は争いを傍目に見ている農民か、無言のRTで追随する足軽や小物であり、武将クラスは100人に1人も満たないということは付け加えておきます。
ネット界古豪。上杉家を「馬鹿発見器」と称し、馬鹿を発見し次第、少数の精鋭部隊が煽動した後、住人全員で場所を厭わず突撃する様は、まさに信玄が得意とした啄木鳥の戦法そのもの。ターゲットにされた者は、最初は「ネット弁慶が」と油断しているものの、知らず知らずのうちに追い込まれ、気づいた時には過去の悪行を洗われ、身分バレ、職場に電話、の三段撃ちで後の祭りとなります。戦国最強と謳われることも多いですが、一人一人は取るに足らない雑兵なので、軍師や精鋭部隊を抑えることが鍵となります。
疑り深い性格のため、誰にでもとりあえず謀反の疑いをかけて追い込んでしまう彼らは信長タイプです。一時は天下を取るかと思われましたが、それも遠い昔の話。新しいもの好きで、策略や心理戦に長けていながら、非常に威圧的かつ冷酷であるが故、敵を多く作ってしまい、四面楚歌に。うつけを演じ続けて終わる三文役者も後を絶ちません。心ない皮肉を投げ捨ててばかりいると、仕舞いには部下に焼き討ちに遭ってしまうのが世の常というものです。
国内レベルの些細な小突き合いに満足するのではなく、世界を舞台に闘いたい。いつまでもJリーグで満足している俺じゃない。そんな野心溢れる猛者達が集う場所です。これは天下統一を成し遂げた後、世界に目を向け、手始めに朝鮮出兵を企てた豊臣秀吉タイプと言えるでしょう。世界規模で文化や宗教が入り乱れているのでやや面倒な状態になっていますが、10年前のワールドカップの審判買収をネタにコリアを叩けばヨーロッパ各地から賞賛されるレベルなので、知略戦は必要ありません。英語は必須です。
国内では圧倒的な勢力を誇っていながら、今ひとつ目立った武勇を残せていないその戦果は信長の噛ませ犬となった今川義元と重なるものがあります。仕様上、与えられた情報のみに食いつく受け身の性質であるため、そもそも誇り高い戦闘民族とは言い難く、戦国武将に例えることも躊躇われるのですが、場合によってはストレートな物言いで集団で牙を見せる気概も持ち合わせているので油断は禁物です。しかし、基本的には騎乗もできない貴族体質であるため、あまりにも鋭い逸材は埋没してしまうことが多い反面、「そう思う」「思わない」の二択の統治の安定感には光るものがあります。
とにかく流行の場所に乗っかっていく浮気者。「武士たるもの七度主君を変えねば武士とは言えぬ」をモットーに、あらゆるSNSを使い倒し、寝返りを繰り返した挙げ句に争いに疲弊し、落ち着いた人間が多く集う安寧の地。人を疑わないことを是とし、終始、当たり障りのない会話といいね!の笑顔でお茶を濁す。揉め事などとは無縁の太平の世ではありますが、ぬるま湯の居心地が悪くなればいつでも次の主君に仕える準備はできている、節操のない集団といえるでしょう。
実際エロ小説書いてネット上にアップロードしているような女子中学生っていうのは、ロリコン男が大好きな清楚で可愛い女子中学生じゃなく
不遇な学校生活を送っているデブスキモオタ女子中学生が大半なのが現実なわけで、この記事に萌えとか興奮なんてものは期待しないで欲しいわけですけど、
そういう「残念処女の妄想」みたいなエロ小説に特徴的な要素をいくつか発見したのでご報告しておきます。
女主人公が他の男と話していて、相手役の男がそれを見聞きして嫉妬し、
「お前はオレだけのものだ!」みたいなことを言いだして、強引にセックス。この流れ、本当に多すぎます。
セックス展開に繋がらなくても、恋愛経験の少ない女の書いた恋愛小説には本当に頻繁に男の嫉妬描写がある。
もてない男ほど「ヤンデレ」が好きなのと似たようなものかもしれませんね。
自分に自信がないほど、よりしつこく・重く求められたいのでしょう。
これ、男性向け作品にはちっとも出てきませんよね。キモオタ童貞は存在すら知らないのでは?
一応説明しておくと、皮膚に吸い付くと出来る内出血のことです。首筋から胸元、太ももあたりが人気のポイント。
これが女子中学生の書いた下手糞なエロ小説には頻出するんですよねー。
相手役の男がまた「お前はオレだけのものだ!」みたいなことを言いだして、女主人公の首筋とかにつけるんです。
話はそこだけでは終わらず、翌日などに女友達に会ったりして、「あんた、首のそれ…キスマークじゃない!」と指摘され、
「えっウソっ…キャッ///」みたいになるところまでがテンプレ。
そうして女主人公と相手男がヤッてることがバレてしまうわけです。
「私は相手男と深い関係で、強い独占欲をもたれていて、超愛されているのよ」ということを周囲にひけらかす演出なのだと思います。
女主人公と相手男がエロい展開になりやすいように、なぜか周囲の人間がセッティングします。
女主人公が着替えているところに相手男が間違って入ってしまうよう騙して誘導するとか。
グループで命じられていたプール掃除当番を数人でブッチして、女主人公と相手男が二人きりで掃除するように仕組み、
終わったあとシャワー室に二人が閉じ込められるようにするとか。
そしてビショ濡れになった女主人公の透けブラに相手男が欲情して、そのまま学校でセックス、みたいな感じ。
周囲の人間が、「相手男を女主人公に欲情させるためのセッティングをする道具」のように扱われています。
相手男が「エロイベント無しでも節操無く欲情しまくっているエロキチガイ」でも嫌だし、
「エロイベントが全く起こらないから女主人公に欲情する機会も無い」というのも嫌なんでしょう。
オープンドスケベや去勢系男子はレアです。相手男は決まってムッツリスケベ。
いわゆる「女叩き」に合うのも覚悟の上で、どうにもまとまらないもやもやを増田に吐き出したいと思う。
最近Facebookで中学・高校時代の友人たちとの旧交がみるみるうちに復活しつつある。
田舎なので同級生のほとんどは大学進学と同時に都会に出て行き、そのままそこで暮らしている。
残っている友人たちは、地方公務員になったとか、あるいは親の仕事を継いだとか、そういう人たちだ。
わたしは少し前にうつ病を患い、真っ当な社会生活を営めるようになるまでに相当の時間を要した。
今も万全ではなく、回復過程にいる。
最近ようやく、休みの日に外を出歩いて気分転換できるだけの気力と体力を取り戻したところだ。
それに伴い、地元に残っている旧い友達、あるいは社会人になってから新しくできた友達と、週末に食事をしたりしている。
その延長線上で、男からセックスを求められることの多さに、本当に辟易している。
真正面から攻められたこともあるし、「あわよくば」的に滑稽なまでに必死な姿を見せつけられて悲しくなったこともある。
食事をおごられてるわけでもなく、好色をアピールしているわけでもなく、ただ、他愛のない話をしているだけのはずだ。
わたしのことが好きなのか、という意味の探りを入れると、彼らはすっと身を引く。
つまり、わたしは彼らにとって「セックスできるかもしれない女」のひとりでしかなかったということで、その事実に大変に傷つく。
男女の友情とか固く信じているわけではないが、もう少し、「セックスするかさもなくば他人」みたいな両極に振れずにすむような、余裕のある付き合いはできないものなのか、と思う。
先日、弟の結婚式で上京した。
せっかくの機会なので東京在住の友人たちとも久々に会ったのだが、彼らはそのような下品ながっつき方はしておらず、それでいて楽しく和やかな時間を過ごすことができた。
これが普通だろうに、地元組は、どうしてこれができないのだろうか、と思う。
旧い友人を、風俗の代わりにしかできないような、そんな人生楽しいか?
と、人生観すら否定したくなる。
そのくらい、わたしはわたしにセックスを求めたがる男友達を嫌悪している。
学生時代に性に奔放だったとかそういうわけでもない。
友達は男女ともにたくさんいたが、彼氏がいる時期は少なかった。
誰か教えてほしい。
彼らは、なんでこんなに下品な大人になってしまったの?
もう、レズになりそう。
冗談抜きで。
住んでる場所によって根本的な人間性がさほど違うとは思ってない。
言われている通り、表現の仕方が違うだけのことだと思う。
でもその違いってわりと大事だ。
奥底で思ってるぶんには別にいいんだよ。そういうもんだと思うからさ。
というわけで、男がせっくすせっくす!な生き物なのはもちろん知ってるさ。
ただ大人になったらもうちょっと節度を持って行動しましょうね、って話なんだけど、自分の友人に意外とそれができない人が多いって事実に落胆してる。
同じ頻度で会う男友達がことごとくこんなんばっかりで、あれれ~?この人たち前からこんなんだったっけ???と当惑しておるわけです。
なんだろうこの感じ、TPP反対論が高まる事自体は結構なことだが、次々と、この間まで新自由主義万歳でやってきた連中があっさりと反対派となって声を上げだすことに違和感を覚える。幕末に譜代大名までが倒幕派に寝返るみたいな、なんかそれに通ずる節操のなさを感じる。
今のTPP推進政権に疑問を感じ 批判するのは一向に構わないが、その代替案として小泉政権の復活や前原政権樹立を口にする人たちは一体どういう頭をしているのか。小泉と前原なら アメリカにTPP撤回をつきつけると本気で思っているのだろうか。そう思うと、この民主主義は正しい正しくないではなく、B層を取り込んだ者が勝つものだとつくづく感じる。
タイトルは心の中で補完よろ。
「http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20111017/1318836288」
「http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20111019/1318990671」
と、立て続けに相変わらずスゴイな、ハックルさんは。
ある芸人がいた。
その芸人は、もともとはいたって普通、まともな人物だった。けれど、芸人として生きていく中で、次第にその「普通」「まとも」を捨てていった。そして次第に、狂気を育んでいった。
その芸人が育んでいったのは、まるで子供のような狂気だった。子供のような、無節操さを含んだ狂気だった。子供のような、無鉄砲さをはらんだ狂気だった。子供のような、無邪気な残酷さを伴った狂気だった。それは大人になったピカソがそれまで持っていた絵の技術を捨て、「子供の絵」を標榜したのと似ている。その芸人は、それまで持っていた「普通」や「まとも」を捨て、子供であることを標榜したのだ。
C
をこの順番で覚えた。
変り種は2006年に勉強を始めたC++で、軽量言語花盛りのその時期に、CGIを書きたいがためにC++を学んだ。
C++は習得が難しい言語と言われているが、必要性を感じなかったので参考書の類は買わなかった。
他の言語もそうだ。
参考書は必要なかった。
これ自体は悪い本ではない。
でも結局、最初のWEBアプリ(サービス)はPHPではなくC++で作った。
この読書は、購入前に漠然と感じていたPHPへの不快感を再認識させただけだった。
そして学んだ。
歴史は繰り返す。
今まさに「明解Java 入門編」を購入しようか思案中なのだ。
今までJavaを避けてきたのは「ジェームズ・ゴスリンが嫌い」あるいは「金の匂いがする」からだ。
PHPの経験から言って、Javaも実用できないかもしれない。
Javaを覚えれば幅が広がるのは分かるんだけど…
なぜだろう、ワクワクしない。
ワールド・ワイドなウェブ上のコンピューターネットワークでハイパー・テキスト・トランスファーをプロトコル方式で
音声バイナリ。128kbps 44.1kHz ムービング・ピクチャー・エクスパーツ (MPEG) 音声ファイルが東京ポッド許可局
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「聴いてみっと、インタレスト、インターネットのゲットーで行う The無節操 つっこみ高ボケ低の世間に
悪性のエンターテイメント ミニマルかマキシマムか突き詰めれば0点か 真っ赤なズポーツカー
現象ピックアップ、言語カットアップ、セッションビバップ、汁はタッパ、ユーモアの人 マキタスポーツ」
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「わかります、わかりますそれ、ウサギ飼う心優しきなりすまし詐欺 愛の手差し伸べる合いの手病
ガムいる?いらない 半信半疑 プロレス、プロレス、プロレさないときOL気分 オヤジジャーナル
過去フラッシュバック 鶴田バックドロップ 見立てはポップ 見かけはキュート ザワッとウィットの人 プチ鹿島」
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「女は感情 男は理屈 理屈以外になにを信じればいいの オンリーな論理は孤独ロンリー 大切な人1000年後の友だち
ソシュールのルールでシュール考える BL パクられる 論をセットアップ データバックアップ 議論ヒートアップ
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「ポストゼロ年代の現在、私たち人類は科学と技術の発展により。エネルギー資源の限界、生態系の崩壊、道徳の退廃、
限界、崩壊、退廃、Technostress、to the breath, yeah!
network architecture 密室的に消費され続けるギフト化する物語、我々人類が住む、地球というamenity space where?
いったいどこへと向かおうとしているのでしょう。これからはじまる気になる show!」
OK、ちょっと良さげだね。出先なんで聞けないから感想はあとで。
絵だけでも「勝っている部分」が何か判りそうな動画だね。
さてと、そんじゃ約束通り。
学生時代に洋楽が流行った世代で、そのままバンドブームとかカラオケ全盛期を抜けてるんで、邦楽洋楽問わず聞いてるよ。
洋楽では、カントリーやブルースも好きでメジャーどこは聞いたかな。
個人的に好きなのは、邦楽だとアルフィーで、洋楽だとYESという古さ。
CDだと3000枚は超えてるんだけど、アーチスト数はよく判らない。
まぁそんなわけで、節操なくCDは買ってるんだけど、こだわりは特にない。
って感じかね。
「モテる」って、色んな相手とやりまくることじゃないと、
かと言って、普通に1人の恋人と付き合うのも「モテ」ではないし、
二股、三股は当たり前! みたいなのも、来るものは拒まずの
たぶんこうだ。
自分を好いて待っててくれる魅力的な異性の友達を
たくさん持っていて、向こうから誘いが来る状態。
いわゆる、「友達以上、恋人未満」がたくさんいて、
これが、本当の「モテ」だと思う。
でも、敢えて1人と付き合ったりしないで状況を楽しむ。
遊びに行った流れでいい雰囲気になって、セックス
しちゃうこともある。
セックスだけで付き合わなくても、別に恨まれたりしない。
で、異性の友達がまた別の異性の友達を呼んで、
どんどん知り合いが増えて行く。
倫理としては結構だけど、こと基軸通貨については「信用を食いつぶす」ことに特段の問題はないんだよ。それが経済の原則。
基軸通貨から転落する寸前までは、無節操に紙幣を刷ってもかまわない、というチート状態なのが基軸通貨。
インモラルなやり方は経済上も悪影響を及ぼすことは多いけど、必ず悪影響につながるわけじゃなくて、経済にはやっぱり倫理から独立したところがあるっていうのが残念ながら事実だよ。
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/4645
「種から育てる」ことを良し、とする価値観だって、倫理と言うより安定成長の時代に長期的視野での利益最大化を考えただけの、単なる経済合理性に基づく指向、とも言えるしね。こと経済に関して「変化が激しい時代だから、種から育てても、花が咲いた時には、その花の価値があるか分からない。目先の利益でいこうぜ」を止められる論理は思いつかないな。
まいしゅう楽しみにしていた「うぬぼれ刑事」が終わってしまった。これから一体なにをささえに生きていけばいいのだろう。
やけくそでなって、ゼロ年代批評風に「うぬぼれ刑事」を絶賛してみた。
宮藤が一貫して書いてきたのは、「中間共同体を経由した公共性の回復」であった。高度成長に代表される「今日よりいい明日がやってくる」というような広く共有される「大きな物語」に依拠できなくなった現代社会では、社会に包摂性が失われ、個人がむき出しの状態で社会と対峙することになる。
その生き辛さを宮台は「終わりなき日常」と評したわけだが、宮藤は「中間共同体」の生成によって、その日常を「輝かせる」ことで、「終わりがない」ことを業苦ではなく、愉楽に変換する回路を描いてきた。
「木更津キャッツアイ」の「キャッツ」たちのまったりとした日常、「流星の絆」の「血縁のない兄弟」の「スラップスティックなやりとり」、「うぬぼれ刑事」の「うぬぼれ5」の「ダベり」みなが、そうしたテーマの元に宮藤作品ではリプライズされ提示される。
また、この「うぬぼれ刑事」にそれまでの宮藤作品と異なる特徴があるとすれば、それは「恋愛」がきわだって前景化していることだといえる。
従前の宮藤作品に恋愛の要素が欠けていたわけではないが、ここまでメインテーマとしてすえられたことはなかったように思う。では、宮藤は今回、「うぬぼれ刑事」で恋愛を軸に何を語りたかったのか。
それはとりもなおさず、「わたしのかけがえのなさ」の回復といってよいだろう。宮藤が「うぬぼれ刑事」で、「わたしが死んでもかわりはいるもの」といった90年代のエヴァンゲリオン的心性の超克をはかったのであろうことは、「うぬぼれ5」のつどうバーの名称が「I am I」であることや、回想・妄想シーンでの「うぬぼれ」の口グセが「俺は俺だから」だったこと、何より最終話まで秘匿された主人公「うぬぼれ」の名前が「己」であったことからも容易に読み取れる。
その「わたしが死んでもかわりはいるもの」から「俺は俺だから」に至る回路として用意したのが宮藤にとって、今回の「恋愛」だったわけだ。
「ううぼれ刑事」で主人公「うぬぼれ」は次から次へと犯罪者であるゲスト女優たちに恋をする。その射程の広さ(節操のなさ)たるや加藤あいから三田佳子までと、宮藤の好みが露骨に反映されているわけだが、重要なのは、この節操のなさが、「運命の女性」の「とりかえ可能性」を表象しているということだ。
一方で、うぬぼれにとっての「(真の)運命の女性」である中島美嘉は、こうした「とりかえ可能性」から退避した、聖域にいるように書かれているが、最終話で彼女もまた「犯罪者」であることが暴かれ、「とりかえ可能性」のあるいままでの「(いつわりの)運命の女性」と同じ地平にいたこと明らかになる。
これにより、宮藤は「とりかえ可能性」と「とりかえの効かないかけがえのなさ」を同じ地平に接続することで、「とりかえ可能性」つまり、「私が死んでもかわりはいるもの」という状況と「俺は俺」という「かけがえのなさ」は共存・併存することを主張する。つまり、誰もがみな「とりかえの効く<つまらない存在>」でありながら、みなが「誰かにとっての代わりの効かない存在」であるというごくあたりまえの状況を恋愛という回路であぶりだすことで、恋愛という誰もが主人公になれる「自己承認の物語」の上で「わたしのかけがえのなさ」の回復を試みたということがいえよう。
上記のように「うぬぼれ刑事」はゼロ年代を代表する「中間共同体によるちいさな成熟」と「90年代のエヴァ的心性からの脱却」というテーマをあらためてここで提示し、かるがると超えていくことで、10年代の扉を開いたきわめて重要な作品ということができる。
・・・やっつけだし、本当にこんなこと思ってみてたわけじゃないです。
ふつうにクソくだらない小ネタに腹抱えて笑っていました。ここまで私を笑わせてくれるお笑いってあんまりないんで。
あと、加藤あいちょうかわいいし、石田ゆりこが出てくる回がすごいよかったです。プールで制服のままたわむれる女子高生って青山裕企の写真かって話ですよ。クドカン変態。
ヤマを超えたんで
(12月検収が実態がどうであろうと確定。後減価7割超でで経理に睨まれるのも確定。)
担当と飲みに行ったらすごいピュアで、でも正しくて、その場ではヘタレたことしか言えなくて。
詐欺的であることは否定しないけど、他にだまされるよりはマシだと思うしかないし。
SIてそういう商売だし。でも面と向かって言われるとつらいっつーの。営業だって人間だっつーの。
やりきれなくて担当と別れた後、馴染みのショットバーにいったら某技術系派遣会社課長が
部下に説教していて、いやそれは個人の問題ではないからとやりきれない。
それは部下のせいではなくて、1ドル=100円の時はインテグラルがどーこーいって製品設計と初回のラインは
国内でといってたくせに、90円切ったところで節操無くグローバル展開マンセーし始めたのが原因だから。
ものづくりがどうこういってたかたは金型をなんだと思っているんでしょう。
いや、俺がどうこういうよりみんなわかってるんだよな。
何がいいたいかというと、少子化の原因は
家族を理由にしての醜態を見て、
こころある若者はおいそれと子作りできないことだと思ったってこと。
それなりに頭の回る子供なら耐えられないレベルの自己弁護だと思うよ、
今の中年の醜悪さは、。
いいから東京新聞で右に曲がって1号沿いに走れといったら
気に食わなかったらしく激しく遠回りされた。
結論はない。
http://anond.hatelabo.jp/20100910132607
若いうちから子どもを作ると、収入の低さ、生活力のなさから生活自体が苦しくなる。子どもは金食い虫。食費だけじゃなくて、こまごまとしたものにたくさんお金がかかる。保育園や幼稚園に行き始めるとなおさら。さらに仕事のを辞めたり、時間を制限されたりして収入も減る。お金に余裕がないうちから子どもを作るとしんどい。お金がないと心もすさむしね。子どもを作るなら、ある程度収入と貯蓄が落ち着いた年齢になってからの方がいい。
子どもにはとにかく手間と時間がかかる。いやかけなくちゃいけない。自分の時間も夫婦の時間も全て犠牲にするくらいの覚悟が必要。最悪、そこで夫婦仲が悪くなったり、ストレスたまりすぎて産後欝になるケースもある。産むなら全ての自由を子どもに捧げるくらいの覚悟をしてから。まだ若いんだから遊びたい、なんて考えてる人が子ども作っちゃうと、子どもを邪魔者に思って虐待やネグレクトになる可能性大。
要は股が軽い、節操がないと思われる。特にできちゃった結婚なんかは周囲の印象が悪い。よって若すぎるパパママというのも考えもの。どんなに「計画出産です」と言っても、若ければ信じてもらえないこともあるし、年上の保護者からはどうしても軽く見られる。
とか、なんとでも言えるよねw
なんでもかんでも「ェ・・・」をつけりゃいいってもんじゃないだろェ・・・
見るたびにイライラするんだよェ・・・
NARUTOも初期の使われ方も発祥も分からない癖に使ってんじゃねェ・・・
よく知りもしねェやつらがそこらじゅうで使ってるともっともっと広がってクソくだらねぇバカどもまで使いだすだろうがェ・・・
もちろん単語の後ろにくっつけずに「ェ・・・」だけ言ってるのが特にむかつくんだェ・・・腹立つんだェ・・・
俺がこまけェこと気にしすぎで余計に気が立ってるのかもしれねェがさすがに無節操に使いすぎだェ・・・
ぶん殴りたくなるんだェ・・・
よく知らなくてもフィーリングで使えてしまう汎用性がなまじあるからこそ、
頭のよぇェクソガキや脳みそハッピーなスイーツども・生きてる価値のねェ一部ネット中毒者どもと、人種分け隔てなく使いやがるェ・・・
使うなってやんわり言っても使いやがるクソうぜェ知り合いがまたむかつくェ・・・
この言葉はテキトーに使っても人をおちょくれてしまうからさらに厄介なんだェ・・・
単語の後ろにくっつけて「~ェ・・・」とか言ってるだけで何か言った気になれてしまうんだから恐ろしいェ・・・
そのままてめェらの言語中枢をてめェ自身がよく知らねェネットスラングに侵されてまぎれもねェクソ豚になっちまえばいいんだェ・・・
分かったか無思考無知晒しのバカ野郎どもェ・・・
だから今度からは「ェ」じゃなく「ぇ」にしろよぇ・・・?ちょっとかわいいからよぇ・・・