はてなキーワード: 短大とは
すべて丹念に読ませていただきました。
申し訳ありませんが、実はまだ地元の会社を勧めたばかりの段階です。
嘘をついてすいません。失敗したあとの自分をシミュレーションしてました。
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時期はぼかすが、娘が就職活動をしていた折、内定先の進路について相談に乗ることがあった。俺なりの回答をしたのだが、その時のことを後悔してる。ちょっとだけ聞いていただきたい。
ある日の夕食が終わった後、娘から内定通知書を見せてもらった。遠く離れた都市部にある総合商社と、自動車メーカーだった。娘は短大卒予定で、いわゆる一般職というやつだ。
「第一志望はダメだったけど、内定はもらえた。このどちらかに行きたい。不安だから相談に乗ってほしい」
娘から頼られて嬉しい気持ちだった。まさかこんな相談をしてくれるなんて。しかし、いろんな感情が湧いてきたのだ。
『内定おめでとう!』という気持ちが一番だったけど、娘の顔を見ると不安な思いがしてきた。
というのも、娘は仕事ができる方ではない。小学生の頃からボヤっとしていたし、中・高時代の成績もいまいちだった。近所のスーパーでレジ係をしている様子を見たことあるけど、動きが明らかに遅かった。
電子決済?の機械でエラーが起きたのを見たことがあるが、相方の子がマイクで社員呼んでるのに、あたふたするばかりだった。まあ当時は、娘がスーパーでアルバイトしてるのを見ることがあったら、ひっそりと応援してた。
端的に言うと、娘に内定を出した会社は、容姿を見ていたのでは?と思ったのだ。親である自分が言うのもどうかと思うが、娘は容姿がいい方である。※母親に似ている。
会社の人事の方々は、見た目を重視して内定を出したのではないかと邪推した。それで俺は、都会にある会社に入っても、能力的にやっていけないと思った。「近所でいい会社を探しなさい。いいところを知ってる。受けてみなさい」とアドバイスしたのだ。
結局、約二年前に、娘はうちと同じ市内にあるメーカーに入社した。総合職や一般職の区別がない小さい会社である。其処で働いてるのは、いい人ばかりだ。そういう会社だと取引先である俺は知ってた。
今思えば、間違ったことをしたのではと後悔している。娘の意思をもっと聞いて、尊重してあげればよかったと思う。今更考えても遅いんだけど、あの時の選択を後悔してる。もっと娘を信じてやればよかったんだろうか。
リクナビで地元同級生は希望条件にあう大手企業に内定し、短大卒のわたしはそもそも表示されず
SUUMOで地元同級生は希望条件にあう物件に引っ越し、薄給のわたしの家賃条件ではそもそも表示されず
ゼクシィ縁結びで地元同級生は希望条件にあうパートナーをみつけ結婚し、生きるのに精一杯だったわたしが励んだころの年齢ではおすすめできないと言われそもそも入会できない
わかっている。わたしに能力がないだけ。家庭環境のせいにして自分を正当化してきたけどもリクルートのサービスはいつも正直だ。
裏を返せば能力がある人にとっては最適なマッチングが行われとっても生きやすい社会だとおもう。
「この程度の試験でいい成績取るためにそんな勉強に時間かけんの!?」って驚くくらい。
東大1人しか受からない高校で1年間必死こいて勉強してようやく中央経済受かった程度のThe凡人の俺ですらそう感じる。
渡米して短大入ってから、コーネルに編入しても自分がサイヤ人になったような感覚でずっといられてる。
多分、東大受かる知能の日本人がアメリカで生まれ育ってたらハーバードでもコロンビアでもUCバークレーでも余裕で受かって、天才の名を欲しいままに学者でもNASAでも投資銀行マンでも選ばれしエリートに当たり前のようになれると思う。
それが「砂時計」だった。
小学校3年生だったと思う。
1月だった。お正月に貰ったお年玉をすぐ使ったのを覚えている。
母が観ていたドラマ「砂時計」に幼いながらも感動し、原作があることを知って、父に本屋へ連れてってとせがんだ。
あの日、自分で選んだ10冊をレジに持って行ったあのドキドキは、もうずっと忘れられない。
小学生には難しい内容もあったけれど、この漫画が私の世界を広げてくれた。
砂時計では主人公・杏の年齢が章のタイトルになっていて、自分がその歳になる度に読み返したりした。
中学生の杏、高校生の杏、短大生になってOLになって… 日常を過ごすなかでも、ふと思い出していた。あーいま、あの頃の杏と同じ歳なんだな、とか。めちゃくちゃバイブルです。
恋愛というより、人間の弱さと優しさを描いた漫画だった。いまも心の支えになっている台詞ばかりだ。
しゃんとせえっておばあちゃんが言うんだよ。がんばれ、を受け入れる話なんだよ。
今日はたくさんのことを考えた。
私も、もう最終話の杏と同じくらいの歳になった。
親ガチャ遺伝子ガチャ家庭環境ガチャ大失敗して障害者家庭に生まれた短大卒ブス。アラサー。強者男性(アラフィフ)がめちゃくちゃいる会社で可愛がられてのんびり過ごしてる。勿論処女喪女でプライドだけが高くp大人3で納得できなかった過去がある。
今は水商売から足洗ってのんびり暮らしてるけどウチの会社に中途で新人が入ってきて嫉妬で狂いそう。
超有名大卒でめちゃくちゃイケメン、家柄が良く、真面目で努力家で仕事ができて同年代なのに私より上の役職。
ムカつくよね。
僻みだってわかってんの。いつでも男と張り合ってるの。私が上がいいの。努力もしないで運と才能とコネだけで今の役職にいるくせに、努力してる奴が、男ってだけで、しかもイケメンで、ってすごく嫌なの。
いいじゃん、全部持ってんだから。
金も親もどうせ女もいるんだろ?選び放題なんだろ?全部持ってるなら見てると嫉妬で苦しくなるからこっちこないでよ。どうせ性病持ってんだろ。
結婚して子供産めば女はいいじゃんってなるでしょ。私も昔は思ってた。でも、生理も来なくなっちゃって、身体もすごく弱くて、アレルギーだらけの脳の欠陥がある出来損ないが子供作れるわけない、誰かに選ばれるわけない。
見たくないけどフロアでたまに会うから嫌だよ。あっちは私を認知してないから私が勝手に嫉妬してるだけだけど。こんなんだから30人くらい友達いるんだけど全員から性格が終わりって言われてて、合コン行っても盛り上がるのは下ネタとかで、自分が自分を大切にできてないのはわかってる。
小中高、大学、社会人と過去から現在まで女性に好意を持たれたことや彼女がいたことはない。
母はクリスマスや年末年始、連休の時期になると、どうして僕に彼女がいないのか、結婚するつもりはないのか、ということを聞いて来る。
「コミュ障でもないし、ニートやフリーターでもなくそれなりに堅実な仕事に就いているのになぜ?」という感じ。
いつもは適当にあしらっていたが、新年を迎えるにあたって今夜は懇切丁寧に説明することにした。
好意を持っていない男性からのアプローチがセクハラや性加害になることを説明した。
マッチングアプリやSNSの発展によって異性に求めるスペックのハードルが上がり一部の男性に多数の女性が一極集中していることを説明した。
母は「でもどんなに一人の男に群がっても最後に結婚できる相手は一人だ」と反論。
そのため、短大卒で腰掛けの職歴しかなく資格もない母と異なり今の女性は資格も学歴も職歴もあって一人で生きていくことができること、現代の女性は妥協した相手と結婚をするつもりはないこと、そして母も僕と同じ世代の女性だったとして大卒で正社員として社会に出たらどこでどういう形で知り合おうとも父とは結婚していないだろうということを伝えた。
まだ何かを言おうとする母に対し、実際にマッチングアプリをダウンロードして俺と同い年の女性として登録して画面を見せた。
これだけイケメンやそうでなくとも爽やかな男性が多い中で僕を選ぶ女性がいるかどうかということ、そしてそもそも身長の項目で170で設定されたらここに写真が並ぶことすらないことを説明。
母はそれ以上の反論はせず「そっか」と言って、普段のような軽口を叩くこともなく洗い物をするために台所に向かった。
ようやく納得してくれた。
良い年を迎えられそうじゃないか。
でもただそれは情報として知っていただけで何も実感はなかったんだなって年齢を重ねるうちにジワジワと身に染みてきているよ。
私の高校は、就職するのは学年で1人いるかいないかくらい、美容師になりたい!とか本人の明確な進路希望がある子が専門学校に行くけど10人もいなかったんじゃないかなって感じで、やりたい事がある子も特にない子もとりあえず大学に進学するのが当たり前の学校だった。
大学進学率を聞いた時にそんなに低いんだ?!って驚いたけれど、実家が農家で家を継ぐ人もいるだろうし皆んながみんな大学行かないよね、地方だとそんな感じなのかもね、くらいの感じで納得してた。
在学中に女の子で四大行くの珍しいわねってふとご年配の方に言われて、何時代の発言かと驚いたし、短大もどんどん廃止されていってるのに逆に四大以外の方がレアじゃない?って思ったけど、その方の年齢だとそんな感覚なのかなって納得していた。
そういう細かな驚きが積み重なって、少しずつ世間に対する解像度が上がっていったよ。都内での普通の感覚と全国の普通とは全然違うんだね。
「101回目のプロポーズ」(1991年)の頃はそういうのがまだ「純愛」とされてたけど
90年代も後半になると「ストーカー」という概念が広まって不気味なものとされてたと思う
現在50代のおじさん達が会社や飲食店の若い女性達に対してやばいアプローチしてるけどさ。
80年代、90年代って本当に恋愛至上主義が過熱してたやばい時代だったんだなと思うよ。
俺は「おじさんになるとおかしくなる」のかと思って戦々恐々としてたけど、現在50代半ばの母親によると短大生時代、結婚前の会社員時代は
・朝、アパートに迎えに来る
これらを付き合ってない男性はもちろん、普段あまり会話や親交のない男性でも普通にやっていたらしい。
そんで、母親はそれを気味悪がったり不快に思っていないようで、寧ろちょっと誇らしく思ってるようである。
最大の問題点はここだろうな。
おそらく、当時の大学や職場における女性コミュニティでも「自分はこんな風に男からアプローチされた」話で盛り上がっていたんだろう。
現在母親と同年代のフェミニストが先鋭化して発狂してるのは、そんな狂った価値観の中で誰にも理解されず(職場のおじさんのセクハラや電車での軽い痴漢なら「もう!」「あはは」で済まされる)に生きてきたからなんだろうな。
そう思うとちょっと同情する。
はるかぜちゃんが世に出たのは母親のネットアイドルサイトであり、母親は娘が生まれる前から「何月に生まれます、生まれたら採用してください」と赤ちゃんモデル募集の雑誌に応募したと綴っていた
短大進学によって「芸能界と無縁な一般人」という存在とはじめて深く交流するようになり今はだいぶ変わったが、それ以前のはるかぜちゃんは母親ありきの存在で母との癒着が強かった
そのためか、ビリー・アイリッシュが様々な面で旧来と違う新世代の人のように扱われる一方で、変にはるかぜちゃんって古めかしいところが多かった
ウテナやひぐらしの影響で僕っ子キャラをやる一方で、ジェンダー関係はお母さん世代の感覚
はるな愛が女性タレント名鑑に載っているのを見た時には、何故こちらに載っているのかと嘲笑して炎上
表現の自由界隈で漫画のエロ表現は擁護していたわりに、グラドル青井春が旧名「はるかぜ.」を名乗っていた時代には、青井を「おっぱいの大きい人」と呼び嘲笑
「水着は泳ぐ時か、好きな人の前で着るものだ」と青井を指して、水着グラビアを批判した
青井と間違われると不利益だと青井への攻撃を続けた末に「はるかぜちゃん」を商標出願して、審査に通らずに実家住所を晒すのみに終わった
トランス女性を笑い者にするのも水着グラビア程度をあれほどはしたないもの扱いしてブチギレるのも、お母さん世代の感覚だなあと
はるな愛もはるかぜ.も名前がはるかぜちゃんとかぶってるので、その点が前から気に入らなくて叩く好機だと捉えてただけかもしれないが、あの絡み方は悪役にしか見えない