はてなキーワード: 夕立とは
だがそうであったとしてペットボトルのラベルに巻かれるほどの何かは感じない。
・夕立が凄い
・象を洗った
・すぐ終わった
夕立が強いときでも象を洗わなければいけないという雇われの身の立場の弱さ、はたまた夕立が凄いので象を洗ったことにして今日の仕事はやめにしたという飼育員という仕事の適当さの表現なのか。
一つ言えるのはこの川柳には人の感情を揺さぶる何かはないということだ。
これでは駄目なのだ。
曖昧な情景が浮かぶのならば曖昧が情景が浮かぶべきであるという結論で川柳は問題ない。
分け入っても分け入っても青い山という有名な川柳がまさにそれであり、どんな山をどう分け入ってるのかは分からんがとにかく分け入っても分け入っても青い山であるという情景を誰もが浮かべるのでそれでいいのだ。
とにかく夕立が降っていて象が洗われていることは分かるが、それがあっという間に終わったことに対して何を思えばいいのかが分からない。
https://anond.hatelabo.jp/20210908233821
この増田とは全然違うんだけど、菅直人がカイワレを食った時、俺モスクワにいたんだよ。
まだネットが普及してない時代で、現地のニュースで映像が流れたか何かしたんだろう。
ロシア人のミーシャから、「これどういうこと?」と聞かれて、「え、全然分からん」って返事をした記憶。
夏の空のパーンと抜けた色とか、毎日来る夕立の後の爽やかな空気とか、夕立ち後のアルバート通りの洪水とか、バス停に山ほど積んであるスイカとか、窓口で商品名を伝えてレシートもらってから商品と引き換える式のスーパーとか、道端でキノコ売ってるばあさんとか、マクドの行列とか、30年近く前のモスクワのことをバーッと思い出した。
「方程式」で歌詞検索して出てきたなかからアニソンの歌詞をいくつかピックアップしてみよう。
どの方程式も当てはまらないこの問は解こうとするたび溶ける まるで魔法にかかったマリオネット
離れたほうがいい 繰り返す呪文のように唱えるほどに落ちてゆくの
「好きだという気持ちを認めたくない」「離れたほうがいいけど近づきたい」といった恋心のジレンマが歌われている。
そもそも「どの方程式も当てはまらない」すなわち「問題の定式化」ができていないのだから元増田の批判には当たらない。
幼き頃の寂しさがまだ絡む方程式 例え明瞭な数式でさえ導けない
この歌は後半では
一人きりじゃないわ 共に行く仲間ができたの
となる。
彼女はセーラー戦士になったことで孤独から抜け出せたのである。
Mathsをうめても解けないTEST
嘘で炎上(もや)してHORRIBLE FEST
社会を変革するために犯罪にも手を染める主人公を描いたアニメ本編を見ればわかるように、
たとえテストの正解が出せなくても「明日を変えてく方程式」を推測でも実行していくことを歌うものである。
元増田の言うとおり近似解を出しているのだから批判には当たらない。
歌詞の後半では「恋はイコールじゃ括れないわ」とも歌っており、「問題の定式化」が不可能であることを示唆している。
Can not? Can not? できないの?
「これから知らない世界に飛び出していく君たちがどんな夢を選んでもきっと叶う」ということを歌っており、受験勉強を描いたアニメ本編に合わせた歌詞となっている。
後半の歌詞では「全てが正解な答えはどこにある? 満点の未来じゃなくてもやりとげるんだ」とも歌われており、
元増田の言うとおり近似解を出そうとしているのだから批判には当たらない。
もうヤ・メ・テ
らしさの押しつけとかヤ・メ・テ
方程式で縛るのはヤ・メ・テ
ここでの「方程式」とは未来の可能性に溢れた若者に対する「こうしたほうがいい」という押し付けの喩えであり、
むしろ「定式化」を拒否して自由に生きていこう、ということが歌われている。
解けない方程式どころか「僕たちにしか解けない」と断言されている。
その他の作品も眺めているとほとんど二つのパターンに当てはまることが見て取れる。
「解けない方程式」として扱われるのは多くこのパターンである。
しかし恋愛における「近似解」となると「彼女とは友達で我慢する」とか「他の似た女性と付き合う」といった話になってしまう。
そうではなく「君じゃなきゃダメ」だから「恋の方程式を解きたい」のであり、近似解ではダメな理由が十分に示されていると言える。
だいたい「きっと解ける=将来は上手くいく」となるか、「方程式なんていらない=自由に生きろ」となることが多い。
以上から「アニソンの歌詞は解けない方程式に固執し、有効な近似解を求めようとしない」とする元増田の批判はまったくの的外れである。
どっどど どどうど どどうど どどう
青いくるみも吹きとばせ
すっぱいかりんも吹きとばせ
どっどど どどうど どどうど どどう
教室はたった一つでしたが生徒は三年生がないだけで、あとは一年から六年までみんなありました。運動場もテニスコートのくらいでしたが、すぐうしろは栗くりの木のあるきれいな草の山でしたし、運動場のすみにはごぼごぼつめたい水を噴ふく岩穴もあったのです。
さわやかな九月一日の朝でした。青ぞらで風がどうと鳴り、日光は運動場いっぱいでした。黒い雪袴ゆきばかまをはいた二人の一年生の子がどてをまわって運動場にはいって来て、まだほかにだれも来ていないのを見て、「ほう、おら一等だぞ。一等だぞ。」とかわるがわる叫びながら大よろこびで門をはいって来たのでしたが、ちょっと教室の中を見ますと、二人ふたりともまるでびっくりして棒立ちになり、それから顔を見合わせてぶるぶるふるえましたが、ひとりはとうとう泣き出してしまいました。というわけは、そのしんとした朝の教室のなかにどこから来たのか、まるで顔も知らないおかしな赤い髪の子供がひとり、いちばん前の机にちゃんとすわっていたのです。そしてその机といったらまったくこの泣いた子の自分の机だったのです。
もひとりの子ももう半分泣きかけていましたが、それでもむりやり目をりんと張って、そっちのほうをにらめていましたら、ちょうどそのとき、川上から、
「ちょうはあ かぐり ちょうはあ かぐり。」と高く叫ぶ声がして、それからまるで大きなからすのように、嘉助かすけがかばんをかかえてわらって運動場へかけて来ました。と思ったらすぐそのあとから佐太郎さたろうだの耕助こうすけだのどやどややってきました。
「なして泣いでら、うなかもたのが。」嘉助が泣かないこどもの肩をつかまえて言いました。するとその子もわあと泣いてしまいました。おかしいとおもってみんながあたりを見ると、教室の中にあの赤毛のおかしな子がすまして、しゃんとすわっているのが目につきました。
みんなはしんとなってしまいました。だんだんみんな女の子たちも集まって来ましたが、だれもなんとも言えませんでした。
赤毛の子どもはいっこうこわがるふうもなくやっぱりちゃんとすわって、じっと黒板を見ています。すると六年生の一郎いちろうが来ました。一郎はまるでおとなのようにゆっくり大またにやってきて、みんなを見て、
「何なにした。」とききました。
みんなははじめてがやがや声をたててその教室の中の変な子を指さしました。一郎はしばらくそっちを見ていましたが、やがて鞄かばんをしっかりかかえて、さっさと窓の下へ行きました。
みんなもすっかり元気になってついて行きました。
「だれだ、時間にならないに教室へはいってるのは。」一郎は窓へはいのぼって教室の中へ顔をつき出して言いました。
「お天気のいい時教室さはいってるづど先生にうんとしからえるぞ。」窓の下の耕助が言いました。
「しからえでもおら知らないよ。」嘉助が言いました。
「早ぐ出はって来こ、出はって来。」一郎が言いました。けれどもそのこどもはきょろきょろ室へやの中やみんなのほうを見るばかりで、やっぱりちゃんとひざに手をおいて腰掛けにすわっていました。
ぜんたいその形からが実におかしいのでした。変てこなねずみいろのだぶだぶの上着を着て、白い半ずぼんをはいて、それに赤い革かわの半靴はんぐつをはいていたのです。
それに顔といったらまるで熟したりんごのよう、ことに目はまん丸でまっくろなのでした。いっこう言葉が通じないようなので一郎も全く困ってしまいました。
「学校さはいるのだな。」みんなはがやがやがやがや言いました。ところが五年生の嘉助がいきなり、
「ああそうだ。」と小さいこどもらは思いましたが、一郎はだまってくびをまげました。
変なこどもはやはりきょろきょろこっちを見るだけ、きちんと腰掛けています。
そのとき風がどうと吹いて来て教室のガラス戸はみんながたがた鳴り、学校のうしろの山の萱かやや栗くりの木はみんな変に青じろくなってゆれ、教室のなかのこどもはなんだかにやっとわらってすこしうごいたようでした。
すると嘉助がすぐ叫びました。
そうだっとみんなもおもったとき、にわかにうしろのほうで五郎が、
「わあ、痛いぢゃあ。」と叫びました。
みんなそっちへ振り向きますと、五郎が耕助に足のゆびをふまれて、まるでおこって耕助をなぐりつけていたのです。すると耕助もおこって、
「わあ、われ悪くてでひと撲はだいだなあ。」と言ってまた五郎をなぐろうとしました。
五郎はまるで顔じゅう涙だらけにして耕助に組み付こうとしました。そこで一郎が間へはいって嘉助が耕助を押えてしまいました。
「わあい、けんかするなったら、先生あちゃんと職員室に来てらぞ。」と一郎が言いながらまた教室のほうを見ましたら、一郎はにわかにまるでぽかんとしてしまいました。
たったいままで教室にいたあの変な子が影もかたちもないのです。みんなもまるでせっかく友だちになった子うまが遠くへやられたよう、せっかく捕とった山雀やまがらに逃げられたように思いました。
風がまたどうと吹いて来て窓ガラスをがたがた言わせ、うしろの山の萱かやをだんだん上流のほうへ青じろく波だてて行きました。
「わあ、うなだけんかしたんだがら又三郎いなぐなったな。」嘉助がおこって言いました。
みんなもほんとうにそう思いました。五郎はじつに申しわけないと思って、足の痛いのも忘れてしょんぼり肩をすぼめて立ったのです。
「二百十日で来たのだな。」
「靴くつはいでだたぞ。」
「服も着でだたぞ。」
「髪赤くておかしやづだったな。」
「ありゃありゃ、又三郎おれの机の上さ石かけ乗せでったぞ。」二年生の子が言いました。見るとその子の机の上にはきたない石かけが乗っていたのです。
「そうだ、ありゃ。あそごのガラスもぶっかしたぞ。」
「わあい。そだないであ。」と言っていたとき、これはまたなんというわけでしょう。先生が玄関から出て来たのです。先生はぴかぴか光る呼び子を右手にもって、もう集まれのしたくをしているのでしたが、そのすぐうしろから、さっきの赤い髪の子が、まるで権現ごんげんさまの尾おっぱ持ちのようにすまし込んで、白いシャッポをかぶって、先生についてすぱすぱとあるいて来たのです。
みんなはしいんとなってしまいました。やっと一郎が「先生お早うございます。」と言いましたのでみんなもついて、
「みなさん。お早う。どなたも元気ですね。では並んで。」先生は呼び子をビルルと吹きました。それはすぐ谷の向こうの山へひびいてまたビルルルと低く戻もどってきました。
すっかりやすみの前のとおりだとみんなが思いながら六年生は一人、五年生は七人、四年生は六人、一二年生は十二人、組ごとに一列に縦にならびました。
二年は八人、一年生は四人前へならえをしてならんだのです。
するとその間あのおかしな子は、何かおかしいのかおもしろいのか奥歯で横っちょに舌をかむようにして、じろじろみんなを見ながら先生のうしろに立っていたのです。すると先生は、高田たかださんこっちへおはいりなさいと言いながら五年生の列のところへ連れて行って、丈たけを嘉助とくらべてから嘉助とそのうしろのきよの間へ立たせました。
みんなはふりかえってじっとそれを見ていました。
「前へならえ。」と号令をかけました。
みんなはもう一ぺん前へならえをしてすっかり列をつくりましたが、じつはあの変な子がどういうふうにしているのか見たくて、かわるがわるそっちをふりむいたり横目でにらんだりしたのでした。するとその子はちゃんと前へならえでもなんでも知ってるらしく平気で両腕を前へ出して、指さきを嘉助のせなかへやっと届くくらいにしていたものですから、嘉助はなんだかせなかがかゆく、くすぐったいというふうにもじもじしていました。
「直れ。」先生がまた号令をかけました。
「一年から順に前へおい。」そこで一年生はあるき出し、まもなく二年生もあるき出してみんなの前をぐるっと通って、右手の下駄箱げたばこのある入り口にはいって行きました。四年生があるき出すとさっきの子も嘉助のあとへついて大威張りであるいて行きました。前へ行った子もときどきふりかえって見、あとの者もじっと見ていたのです。
まもなくみんなははきものを下駄箱げたばこに入れて教室へはいって、ちょうど外へならんだときのように組ごとに一列に机にすわりました。さっきの子もすまし込んで嘉助のうしろにすわりました。ところがもう大さわぎです。
「わあ、おらの机さ石かけはいってるぞ。」
「わあ、おらの机代わってるぞ。」
「キッコ、キッコ、うな通信簿持って来たが。おら忘れで来たぢゃあ。」
「わあがない。ひとの雑記帳とってって。」
そのとき先生がはいって来ましたのでみんなもさわぎながらとにかく立ちあがり、一郎がいちばんうしろで、
「礼。」と言いました。
みんなはおじぎをする間はちょっとしんとなりましたが、それからまたがやがやがやがや言いました。
「しずかに、みなさん。しずかにするのです。」先生が言いました。
「しっ、悦治えつじ、やがましったら、嘉助え、喜きっこう。わあい。」と一郎がいちばんうしろからあまりさわぐものを一人ずつしかりました。
みんなはしんとなりました。
先生が言いました。
「みなさん、長い夏のお休みはおもしろかったですね。みなさんは朝から水泳ぎもできたし、林の中で鷹たかにも負けないくらい高く叫んだり、またにいさんの草刈りについて上うえの野原へ行ったりしたでしょう。けれどももうきのうで休みは終わりました。これからは第二学期で秋です。むかしから秋はいちばんからだもこころもひきしまって、勉強のできる時だといってあるのです。ですから、みなさんもきょうからまたいっしょにしっかり勉強しましょう。それからこのお休みの間にみなさんのお友だちが一人ふえました。それはそこにいる高田さんです。そのかたのおとうさんはこんど会社のご用で上の野原の入り口へおいでになっていられるのです。高田さんはいままでは北海道の学校におられたのですが、きょうからみなさんのお友だちになるのですから、みなさんは学校で勉強のときも、また栗拾くりひろいや魚さかなとりに行くときも、高田さんをさそうようにしなければなりません。わかりましたか。わかった人は手をあげてごらんなさい。」
すぐみんなは手をあげました。その高田とよばれた子も勢いよく手をあげましたので、ちょっと先生はわらいましたが、すぐ、
「わかりましたね、ではよし。」と言いましたので、みんなは火の消えたように一ぺんに手をおろしました。
ところが嘉助がすぐ、
「先生。」といってまた手をあげました。
「高田さん名はなんて言うべな。」
「わあ、うまい、そりゃ、やっぱり又三郎だな。」嘉助はまるで手をたたいて机の中で踊るようにしましたので、大きなほうの子どもらはどっと笑いましたが、下の子どもらは何かこわいというふうにしいんとして三郎のほうを見ていたのです。
先生はまた言いました。
「きょうはみなさんは通信簿と宿題をもってくるのでしたね。持って来た人は机の上へ出してください。私がいま集めに行きますから。」
みんなはばたばた鞄かばんをあけたりふろしきをといたりして、通信簿と宿題を机の上に出しました。そして先生が一年生のほうから順にそれを集めはじめました。そのときみんなはぎょっとしました。というわけはみんなのうしろのところにいつか一人の大人おとなが立っていたのです。その人は白いだぶだぶの麻服を着て黒いてかてかしたはんけちをネクタイの代わりに首に巻いて、手には白い扇をもって軽くじぶんの顔を扇あおぎながら少し笑ってみんなを見おろしていたのです。さあみんなはだんだんしいんとなって、まるで堅くなってしまいました。
ところが先生は別にその人を気にかけるふうもなく、順々に通信簿を集めて三郎の席まで行きますと、三郎は通信簿も宿題帳もないかわりに両手をにぎりこぶしにして二つ机の上にのせていたのです。先生はだまってそこを通りすぎ、みんなのを集めてしまうとそれを両手でそろえながらまた教壇に戻りました。
「では宿題帳はこの次の土曜日に直して渡しますから、きょう持って来なかった人は、あしたきっと忘れないで持って来てください。それは悦治さんと勇治ゆうじさんと良作りょうさくさんとですね。ではきょうはここまでです。あしたからちゃんといつものとおりのしたくをしておいでなさい。それから四年生と六年生の人は、先生といっしょに教室のお掃除そうじをしましょう。ではここまで。」
一郎が気をつけ、と言いみんなは一ぺんに立ちました。うしろの大人おとなも扇を下にさげて立ちました。
「礼。」先生もみんなも礼をしました。うしろの大人も軽く頭を下げました。それからずうっと下の組の子どもらは一目散に教室を飛び出しましたが、四年生の子どもらはまだもじもじしていました。
すると三郎はさっきのだぶだぶの白い服の人のところへ行きました。先生も教壇をおりてその人のところへ行きました。
「いやどうもご苦労さまでございます。」その大人はていねいに先生に礼をしました。
「じきみんなとお友だちになりますから。」先生も礼を返しながら言いました。
「何ぶんどうかよろしくおねがいいたします。それでは。」その人はまたていねいに礼をして目で三郎に合図すると、自分は玄関のほうへまわって外へ出て待っていますと、三郎はみんなの見ている中を目をりんとはってだまって昇降口から出て行って追いつき、二人は運動場を通って川下のほうへ歩いて行きました。
運動場を出るときその子はこっちをふりむいて、じっと学校やみんなのほうをにらむようにすると、またすたすた白服の大人おとなについて歩いて行きました。
「先生、あの人は高田さんのとうさんですか。」一郎が箒ほうきをもちながら先生にききました。
「そうです。」
「なんの用で来たべ。」
「上の野原の入り口にモリブデンという鉱石ができるので、それをだんだん掘るようにするためだそうです。」
「どこらあだりだべな。」
「私もまだよくわかりませんが、いつもみなさんが馬をつれて行くみちから、少し川下へ寄ったほうなようです。」
「モリブデン何にするべな。」
「それは鉄とまぜたり、薬をつくったりするのだそうです。」
「そだら又三郎も掘るべが。」嘉助が言いました。
「又三郎だ又三郎だ。」嘉助が顔をまっ赤かにしてがん張りました。
「嘉助、うなも残ってらば掃除そうじしてすけろ。」一郎が言いました。
風がまた吹いて来て窓ガラスはまたがたがた鳴り、ぞうきんを入れたバケツにも小さな黒い波をたてました。
次の日一郎はあのおかしな子供が、きょうからほんとうに学校へ来て本を読んだりするかどうか早く見たいような気がして、いつもより早く嘉助をさそいました。ところが嘉助のほうは一郎よりもっとそう考えていたと見えて、とうにごはんもたべ、ふろしきに包んだ本ももって家の前へ出て一郎を待っていたのでした。二人は途中もいろいろその子のことを話しながら学校へ来ました。すると運動場には小さな子供らがもう七八人集まっていて、棒かくしをしていましたが、その子はまだ来ていませんでした。またきのうのように教室の中にいるのかと思って中をのぞいて見ましたが、教室の中はしいんとしてだれもいず、黒板の上にはきのう掃除のときぞうきんでふいた跡がかわいてぼんやり白い縞しまになっていました。
「きのうのやつまだ来てないな。」一郎が言いました。
「うん。」嘉助も言ってそこらを見まわしました。
一郎はそこで鉄棒の下へ行って、じゃみ上がりというやり方で、無理やりに鉄棒の上にのぼり両腕をだんだん寄せて右の腕木に行くと、そこへ腰掛けてきのう三郎の行ったほうをじっと見おろして待っていました。谷川はそっちのほうへきらきら光ってながれて行き、その下の山の上のほうでは風も吹いているらしく、ときどき萱かやが白く波立っていました。
嘉助もやっぱりその柱の下でじっとそっちを見て待っていました。ところが二人はそんなに長く待つこともありませんでした。それは突然三郎がその下手のみちから灰いろの鞄かばんを右手にかかえて走るようにして出て来たのです。
「来たぞ。」と一郎が思わず下にいる嘉助へ叫ぼうとしていますと、早くも三郎はどてをぐるっとまわって、どんどん正門をはいって来ると、
「お早う。」とはっきり言いました。みんなはいっしょにそっちをふり向きましたが、一人も返事をしたものがありませんでした。
それは返事をしないのではなくて、みんなは先生にはいつでも「お早うございます。」というように習っていたのですが、お互いに「お早う。」なんて言ったことがなかったのに三郎にそう言われても、一郎や嘉助はあんまりにわかで、また勢いがいいのでとうとう臆おくしてしまって一郎も嘉助も口の中でお早うというかわりに、もにゃもにゃっと言ってしまったのでした。
ところが三郎のほうはべつだんそれを苦にするふうもなく、二三歩また前へ進むとじっと立って、そのまっ黒な目でぐるっと運動場じゅうを見まわしました。そしてしばらくだれか遊ぶ相手がないかさがしているようでした。けれどもみんなきょろきょろ三郎のほうはみていても、やはり忙しそうに棒かくしをしたり三郎のほうへ行くものがありませんでした。三郎はちょっと具合が悪いようにそこにつっ立っていましたが、また運動場をもう一度見まわしました。
それからぜんたいこの運動場は何間なんげんあるかというように、正門から玄関まで大またに歩数を数えながら歩きはじめました。一郎は急いで鉄棒をはねおりて嘉助とならんで、息をこらしてそれを見ていました。
そのうち三郎は向こうの玄関の前まで行ってしまうと、こっちへ向いてしばらく暗算をするように少し首をまげて立っていました。
みんなはやはりきろきろそっちを見ています。三郎は少し困ったように両手をうしろへ組むと向こう側の土手のほうへ職員室の前を通って歩きだしました。
その時風がざあっと吹いて来て土手の草はざわざわ波になり、運動場のまん中でさあっと塵ちりがあがり、それが玄関の前まで行くと、きりきりとまわって小さなつむじ風になって、黄いろな塵は瓶びんをさかさまにしたような形になって屋根より高くのぼりました。
すると嘉助が突然高く言いました。
「そうだ。やっぱりあいづ又三郎だぞ。あいづ何かするときっと風吹いてくるぞ。」
「うん。」一郎はどうだかわからないと思いながらもだまってそっちを見ていました。三郎はそんなことにはかまわず土手のほうへやはりすたすた歩いて行きます。
そのとき先生がいつものように呼び子をもって玄関を出て来たのです。
「お早う。」先生はちらっと運動場を見まわしてから、「ではならんで。」と言いながらビルルッと笛を吹きました。
みんなは集まってきてきのうのとおりきちんとならびました。三郎もきのう言われた所へちゃんと立っています。
先生はお日さまがまっ正面なのですこしまぶしそうにしながら号令をだんだんかけて、とうとうみんなは昇降口から教室へはいりました。そして礼がすむと先生は、
「ではみなさんきょうから勉強をはじめましょう。みなさんはちゃんとお道具をもってきましたね。では一年生(と二年生)の人はお習字のお手本と硯すずりと紙を出して、二年生と四年生の人は算術帳と雑記帳と鉛筆を出して、五年生と六年生の人は国語の本を出してください。」
さあするとあっちでもこっちでも大さわぎがはじまりました。中にも三郎のすぐ横の四年生の机の佐太郎が、いきなり手をのばして二年生のかよの鉛筆をひらりととってしまったのです。かよは佐太郎の妹でした。するとかよは、
「うわあ、兄あいな、木ペン取とてわかんないな。」と言いながら取り返そうとしますと佐太郎が、
「わあ、こいつおれのだなあ。」と言いながら鉛筆をふところの中へ入れて、あとはシナ人がおじぎするときのように両手を袖そでへ入れて、机へぴったり胸をくっつけました。するとかよは立って来て、
「兄あいな、兄なの木ペンはきのう小屋でなくしてしまったけなあ。よこせったら。」と言いながら一生けん命とり返そうとしましたが、どうしてももう佐太郎は机にくっついた大きな蟹かにの化石みたいになっているので、とうとうかよは立ったまま口を大きくまげて泣きだしそうになりました。
すると三郎は国語の本をちゃんと机にのせて困ったようにしてこれを見ていましたが、かよがとうとうぼろぼろ涙をこぼしたのを見ると、だまって右手に持っていた半分ばかりになった鉛筆を佐太郎の目の前の机に置きました。
すると佐太郎はにわかに元気になって、むっくり起き上がりました。そして、
「くれる?」と三郎にききました。三郎はちょっとまごついたようでしたが覚悟したように、「うん。」と言いました。すると佐太郎はいきなりわらい出してふところの鉛筆をかよの小さな赤い手に持たせました。
先生は向こうで一年生の子の硯すずりに水をついでやったりしていましたし、嘉助は三郎の前ですから知りませんでしたが、一郎はこれをいちばんうしろでちゃんと見ていました。そしてまるでなんと言ったらいいかわからない、変な気持ちがして歯をきりきり言わせました。
「では二年生のひとはお休みの前にならった引き算をもう一ぺん習ってみましょう。これを勘定してごらんなさい。」先生は黒板に25-12=の数式と書きました。二年生のこどもらはみんな一生
まず品種。アイコかんたん。そして苗木。できれば接ぎ木苗。土は毎年新しくしているか。トマトは連作障害がある。土の量は大きければ大きいほどいい。土袋の上を破って植えるくらいでもいい。下にも排水用の穴あけを忘れずに。十分に暖かくなってから植え付け。芽と芽の間が詰まってて生命力を感じる苗がいい。深植えしないように注意。太陽が好きだ。直射で構わない。伸びてきたら支柱、誘引、芽かき。ハサミは使わない。肥料いらない。水もヘナってからあげるくらいでいい。夏の水は夕方たっぷりあげる。夕立のイメージ。そこからまたヘナるまであげない。トマトは強い。茎や葉から青い匂いがする。あなたを幸せにできる。今年も諦めないで。トマトも頑張る。毎日話しかけなくていい。ナスの1/5の愛情でいい。ナスとの関係を横眼で見てるくらいがいい。
私の住んでいるマンションには緑地があって、中庭を水路が貫いている。暑い季節にはそこに水を流して涼をとる。子どもの頃はそこでびしょ濡れになりながら遊んだものだけれど、人工の池だから生き物なんているはずがなく、寂しい。水路の末端の池の水が秋になっても抜かれていなかったときには大量のミジンコが発生していたけれども、彼らは水と一緒に干上がるか、下水に流される運命だった。
けれども、今年の夏はなぜかアマガエルの鳴き声がずっとしていた。夜になるとかわいらしい声がして、夕立のあとの夜風が気持ちのいい晩などには、どこか避暑に来たみたいな気分だった。コロナ禍で自粛を余儀なくされた身としては幾分気が紛れたし、仕事中にカエルの声がするというのもよかった。
それにしても、カエルたちはどこから来たのだろう。このマンションに住んでいる子供が水路に放してやったのか。こうして生き物の声がするのは風情があるのだけれども、秋になって水路に水を流さなくなって、カエルたちはどうしたのか。現に、今聞こえるのは緑地に潜んでいるコオロギやマツムシばかりで、アマガエルはいつの間にか姿を消している。
私も、子どもの頃に祖父母の家の近所でやっていた夏祭りで取った金魚を、飼えないからと祖父母の家の近所の噴水に放してしまったことがある。今になって考えればずいぶんと勝手な話であるし、餌も少ない分長生きできなかったことだろう。悪いことをした。
カエルを放したのも、私が考えの足りなかったときと同じ年ごろの子どもだろうか。そもそも、その子はカエルをどこで捕まえてきたんだろう。うちのマンションの敷地には虫がそれなりにいるのだから飢えることはないだろうが、オタマジャクシたちが育つ場所が今はない。
カエルたちが、雨水の通る溝をぴょんぴょんと跳ねて行って、近所の広い川にまで、できることなら生まれたところにまで、たどり着けていることを祈るばかりだ。
と言っても、あれはいつ行ってもできる体験という訳ではなく、天候不順時限定である。
2年ばかり前のゴールデンウィークの最終日の事だった。
時期的に江の島は滅茶苦茶混んでいた。
どれくらい混んでたかというと、江の島の裏側から表側に出ている船が、乗船まで3時間待ちだったくらい混んでいた。
江の島の参道(というのか)は、せいぜい100mかそこらしか長さが無いくせに、そこを歩いて抜けるのに1時間かかるとアナウンスされていた。
それくらい混んでいた。
午後、島の裏側まで歩いた我々は、当初船で戻るつもりだったが、あまりの待ち時間に諦めて歩いて戻る事にした。
江の島は小さい島だが、船を使う以外で裏側まで行こうとすると、一度山の頂上まで上らなければならない鬼畜構造だ。
正直、一度上って裏側に下り、再び上って帰らなければならないのは疲れるが仕方ない。
天候が曇りで、どうにも雲行きが怪しかったから、というのも理由の一つだが、この判断は結果的に正解だった。
あの時、船を待つ判断をした人達はその後の夕立でズブ濡れになっただろう。
その日も帰りに汗を流すために、当初から江の島スパを利用する計画だった。
江の島スパ(正式名称:江の島アイランドスパ)は、料金は通常の温泉や銭湯よりお高めである。普通で3000円以上する。
しかもゴールデンウイークで特別価格だったため、なおさら高かった。確か4000円くらいしたはず。
高いだけあって設備や広さは通常の温泉より1ランク上であり、通常の温泉施設がエコノミークラスだとすると、ビジネスクラスくらいの余裕があった。
通常の男女に分かれる温泉部分のほかに、水着を着る事で入れる混浴部分があり、
その中には半露天の洞窟風呂や、露天プールやらプールサイド的な、まあなんやかんや「外」の海に面したロケーションがある。
ついでに、値段が高いせいで、利用をためらう人が多いらしく、外の歩くのもままならないギュウギュウ詰めとは別世界のように広々していて、客の半分くらいは外国人旅行客だったと思う。
我々が入館してほどなく・・・30分くらいしてからだろうか、江の島は夕立に見舞われた。
我々はタッチの差で事無きを得たのだが、これがまー最高だったのだ。
雨がドバドバ降ってたので、屋外のプールサイドみたいな施設は利用できなくなったのだが、
我々は、他の外国人観光客の人達とその洞窟風呂につかりながら、外の海に降り注ぐ雨を眺めていた。
気が向くと洞窟から出て行って、温泉の水面に波紋を散らす雨に頭を打たれながら露天のオーシャンビューに浸った。
正直、雨の中でみんなで温泉に入りながら海を眺めるのがこんなに楽しいとは思わなかった。
目の前には湘南海岸が広がってるわけだが、時折その海面を魚が跳ねたりしていた。
そのうち雷が鳴りだした。
はっきり言って露天風呂のオーシャンビューは視界が広い。晴れてれば富士山まで見えるらしい。
その広い視界の中、遠方の海上や陸上の山の方角に稲光がバシバシ光った。
ひっきりなしに海の上に落ちる稲妻を遠く眺めながら、我々は温泉に浸って雷鳴を聞いていた。
やー、最高だった。
多分、あの時一緒にいた観光客の江の島好感度はMAXまで振り切っただろう。
(一方、そのころ島の裏側で船を待っていたであろう人達の好感度は神のみぞ知る)
サウナに入ったり、ジュース飲んだりして時間を潰し、もう辺りも暗くなりかけた頃、我々は施設を出て帰路についた。
その時もう雨はやんでいた。
またあの体験ができるなら、4000円は全然惜しくないのだが、よく考えるとタイミングがかなり難しい。
「もうすぐ夕立が来そうだな」くらいのタイミングで行って、運が良ければ体験できるかも、というレアなイベントだ。
そんなわけで、今日みたいに天候不順な日が来ると、
この海域に思い残すものは無い。たぶん、アタイがE5海域に戻る事はないだろう。さらばじゃ!
永らく東京急行系遠征の旗艦を務めてきたが先日ついにLv.99へ達したために異動となった天龍・龍田。この地味に鎮守府の縁の下を支えてきた貢献を讃え、彼女らにイベントでの活躍の機会を与えてあげたいので、E6攻略メンバー「第二艦隊」に加えようと思う。加えてもしイベント海域で大破すれば、アタイの鎮守府の慣例n…(ry…
明日・明後日は、E6を攻略しつつ、7-1での主力駆逐艦キラ付け周回や3-4や4-4周回でウィークリー任務消化やレベリングを兼ねた戦果稼ぎを行いたい。
説明しよう。「サイケデリック旅行」とは人間の内的世界すなわち夢・無意識世界に没入することで、その鮮やかで自由な世界を散歩することである。本稿では荒唐無稽、支離滅裂な内容が続くため、物好きにして、根気の強い人のみ読むべし。
さて、初めてのサイケデリック旅行は、高校一年の時である。それは忘れもしない冬休み、雪のしんしんと積りゆくクリスマスイブの日の出来事である。聖夜の前日ということもあって、私はくさくさと家に篭り、もののけ姫のdvdを観た後に、チャイコフスキーの「冬の日の幻想」を聞いていた。確か40分弱の曲で、高校生の私には長く、単調なものに感じられたが、20分ほど聞いていると、不思議なことが起こりはじめた。
まぶたの裏にあらゆる断片的なイメージがカラフルな原色となって浮き上がってくる。それも、有名な絵だったり、カードゲームのカードであったり、動物だったり内容はまちまちである。はじめは、歌川広重の「おおはしあたけの夕立」が浮かんできて、様々な色の斑点を伴いながら、暗闇の深淵へと消えていった。それから子供の時に集めていた遊戯王のカードが、回転しながら現れて、その次に物置に仕舞った、白色のPSPが浮かんできた。さらにその次に現れたのは、なんと説明しようか、いわば極度に抽象化された、概念的なイルカだった。そのイルカは点と線のみで構成されるアルゴリズムのようであり、イルカショーで見られるような美しく大胆な、水から跳ね上がる運動を延々と描いていた。
https://www.fujibi.or.jp/our-collection/profile-of-works.html?work_id=1173
これは衝撃的な体験だった。それから私は無意識・夢の鮮やかで摩訶不思議な世界の虜となり、夢日記をつけ、河合隼雄の心理学を読み耽るようになった。夜、世界は青い静寂に包まれる。私は目を閉じて呼吸を穏やかにし、これからに映る美しい幻覚を心待ちにした。夢の中では空を泳いで、知らない街を見下ろしたり、通っていた高校に行って、やれやれ、なんて高校生らしい願望だろうか、ありとあらゆる同級生のおっぱいを揉みしだいたり、セックスをしたりした。
今日は久しぶりに晴れて、溜まっていた洗濯物が一気に片付いた。喉が渇いて、近くの自販機にコーラを買いに歩いた時、今年初めて『真夏の空気』を感じた気がする。体全体に容赦なく熱い空気がまとわりついて、何かの拍子に堰を切ったように汗が流れてきそうな感覚だ。
毎年、この感覚を初めて感じる時、決まって小学生高学年の頃の記憶が呼び起こされる。夏休みが始まって少し経った、学校のプールの日の事だ。
僕達の小学校では夏休みに入ると、週2回ほどプール登校の日があった。通常の教室授業は無く、学年別にプールに直接集まり、終わったらそのまま放課となる。水温や気温が低くて中止になる日は、国旗掲揚台に白旗が上がった。
地元は比較的暑い地域だが、その年は例年より涼しく、夏休みに入っても気温がなかなか上がらず、2階の窓から白旗を確認してがっかりする日が続いていた。ドラクエ、FF、ロマサガと家での暇つぶしには事欠かなかったが、やっぱり友達とプールで遊ぶ時間が待ち遠しかった。
そんな中、7月ももう終わりに差し掛かる頃にやっと気温が上がり、その夏休み初めてのプールが開催された。クラスメート達も、皆僕と同じような浮かれ気分でプールに集まった。水泳指導の先生もそれを察したのか、水泳練習の時間を早々に切り上げて大半の時間を自由時間としてくれた。ただの真四角な25mプールだったが、ゴーグルを付けて水中ではしゃぎ回るだけで時間は過ぎていき、すぐに僕達の学年の時間は終了になった。
更衣室では友達と午後遊ぶ約束をしながら、木製のロッカーを隔てた向こう側の女子の声に耳をそばだてていた。でも、窓から流れ込んでくる大音量のセミの鳴き声のせいで、内容はほとんど聞き取れなかった。
校門を出て、ビーチサンダルをパタパタ鳴らしながら家の方向に歩き始めると、正午を告げるサイレンが鳴り響いた。その音に驚いたように、電柱のカラスが1羽、はばたいていった。電柱のうしろの空はかき氷シロップみたいに青くて、雲は綿アメみたいに白かった。今日は夕立が来そうだな、と思った。
2つ目の角を曲がろうとすると、同じクラスのA子が立っていた。薄い水色の袖無しワンピースは、濡れた髪で肩のところが少し濃い青になっている。A子とは隣の席で良く教科書を見せてもらっていたが、夏休みに入る前の席替えで席が遠くなってしまっていた。女の子として意識する事は無かったけど、優しく透き通った声の朗読を近くで聞けなくなったことを、僕は少し残念に思っていた。
僕がA子に挨拶すると、A子は、少し言いづらそうに、「この後、うちで遊ばない?」と言った。
その時、響き渡っていたセミの鳴き声が一瞬止んだ気がした。僕は彼女の顔が見れず、2つに縛られた髪の片方を見ていた。僕は女の子の家なんて遊びに行った事が無かったし、高学年になってからは他のクラスメートからもそんなの聞いたことがなかった。僕は少し言いよどんで、「いや、この後○○の家に行く約束してるんだ」と言った。A子は、「そっか。」と言って踵を返し、こちらを見ずに「じゃ、バイバイ」とつぶやいて歩いていった。プールのシャワーで汗は引いていたのに、真夏の熱気が僕の全身を包んで、汗が吹き出してくるのを感じた。
A子とはその後、学校で会っても何となく気まずくなってしまい、一度も話す事が無いまま小学校卒業を迎えた。僕は公立、彼女は私立の中学に進んだため、その後会うことはなかった。
去年、当時のクラスメートB(男)と飲んだとき、久しぶりにA子の名前を聞いた。高校のとき学習塾でA子と再会し、共に都内の大学に進学した後2年ほど付き合っていたらしい。お互いのアパートに入り浸り、朝そのまま大学に行くこともあったみたいだ。
Bによると、彼女の家は当時複雑な事情を抱えていたという。小さな会社を経営する父親は外に女を作って家に寄り付かず、母親は自分が通うジムのインストラクターと不倫していた。両親とも幼い弟の方を可愛がり、A子はときに暴力を伴う厳しいしつけを受けていたらしい。
ところであの暑い日、A子は僕を家に呼び何をして遊ぼうとしていたのだろうか。夏の熱い空気を感じると、いつもあの日の事を思い出す。