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2020-07-22

サイケデリック旅行(序)

説明しよう。「サイケデリック旅行」とは人間の内的世界すなわち夢・無意識世界に没入することで、その鮮やかで自由世界散歩することである。本稿では荒唐無稽支離滅裂な内容が続くため、物好きにして、根気の強い人のみ読むべし。

さて、初めてのサイケデリック旅行は、高校一年の時である。それは忘れもしない冬休み、雪のしんしんと積りゆくクリスマスイブ日の出来事である。聖夜の前日ということもあって、私はくさくさと家に篭り、もののけ姫dvdを観た後に、チャイコフスキーの「冬の日の幻想」を聞いていた。確か40分弱の曲で、高校生の私には長く、単調なものに感じられたが、20分ほど聞いていると、不思議なことが起こりはじめた。

まぶたの裏にあらゆる断片的なイメージカラフル原色となって浮き上がってくる。それも、有名な絵だったり、カードゲームカードであったり、動物だったり内容はまちまちである。はじめは、歌川広重の「おおはしあたけの夕立」が浮かんできて、様々な色の斑点を伴いながら、暗闇の深淵へと消えていった。それから子供の時に集めていた遊戯王カードが、回転しながら現れて、その次に物置に仕舞った、白色のPSPが浮かんできた。さらにその次に現れたのは、なんと説明しようか、いわば極度に抽象化された、概念的なイルカだった。そのイルカ点と線のみで構成されるアルゴリズムのようであり、イルカショーで見られるような美しく大胆な、水から跳ね上がる運動を延々と描いていた。

https://www.fujibi.or.jp/our-collection/profile-of-works.html?work_id=1173

歌川広重「おおはしあたけの夕立

これは衝撃的な体験だった。それから私は無意識・夢の鮮やかで摩訶不思議世界の虜となり、夢日記をつけ、河合隼雄心理学を読み耽るようになった。夜、世界は青い静寂に包まれる。私は目を閉じて呼吸を穏やかにし、これからに映る美しい幻覚を心待ちにした。夢の中では空を泳いで、知らない街を見下ろしたり、通っていた高校に行って、やれやれ、なんて高校生らしい願望だろうか、ありとあらゆる同級生おっぱいを揉みしだいたり、セックスをしたりした。

以上が、この頃のサイケデリック旅行の記録である

2019-02-22

anond:20190222180728

A(絵とタイトルと作者が認知されてそう)

ダ・ヴィンチモナリザ

ダ・ヴィンチ最後の晩餐

ムンク「叫び」

ピカソゲルニカ

B(絵とタイトルもしくは絵と作者のどっちかは認知されてそう)

ミケランジェロアダムの創造」「最後の審判

ラファエロアテネの学堂

ボッティチェリビーナスの誕生

フェルメール真珠の耳飾りの少女

ピカソ「泣く女」

ダリ記憶固執

ゴッホ「星月夜」

ゴッホ自画像」(ただし自画像同士の区別はつかない)

ゴッホひまわり」(ただしひまわり同士の区別はつかない)

ミレー「落ち穂拾い」

クリムト接吻

ミュシャ黄道十二宮

葛飾北斎神奈川沖浪裏」「凱風快晴」(タイトルは「富嶽三十六景」として認知

歌川広重東海道五十三次」(ただしそれぞれの区別はつかない)

菱川師宣見返り美人

東洲斎写楽三世大谷鬼次の奴江戸兵衛」

C(絵は認知されてそう)

レンブラント夜警

ヴェラスケス「ラス・メニーナス

ドラクロワ民衆を導く自由の女神

ルノワールムーラン・ド・ラ・ギャレット

モネ日傘の女」

モネ「印象・日の出

マネオランピア

マネ「草上の昼食」

ドガ「踊りの花形

フラゴナール「ぶらんこ」

ゴヤ「裸のマハ」

ゴヤ「我が子を食らうサトゥルヌス」

エヴァレット・ミレーオフィーリア」

2018-01-21

美術館

昨日は美術館歌川広重展)。

描かれている人たちが(男性)がほとんど猫背だった。(姿勢悪い?それともわざとそういう風に描いているの?)

あと、かごの中に座布団があった。

かごを担ぐ人たちは、開いている手に、杖を持っている。

等なかなかおもしろかった。

亀がつるされていたなー

ポストカード1枚購入(大はしあたけの夕立

2017-10-29

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中山道広重美術館で開催されている「浮世絵ねこ世界展」に行ってまいりましたわ

歌川広重作品は「名所江戸百景 浅草田甫酉の町詣」のみでしたわ

主役はやっぱり歌川国芳で懐にいつも子猫を2,3匹入れていたという猫狂いぶりを

作品で余すことなく伝えていました

猫はあなた懐炉ではありませんわ

国芳の猫は関節の描写自然集合体にされていても猫らしさに違和感がありませんの

役者の絵が禁止されていた関係で、猫にして顔だけ役者のものにした浮世絵猫耳の走りに見えました

不気味ですけど

二階展示室にあった「ねずみの戯遊」という作品がねずみが猫を罠にかけて遊んでいる内容で

まるでトムとジェリーのようでした

明治26年作品ですわ

化け猫やねずみを襲う怖い形相の猫の絵もあって可愛がるだけじゃない猫と昔の人々の関係がうかがえました

それと案内のペッパーが「どうでしたかにゃ」とかお口になさっていて、少しばかり気に障ってしまいましたの

2016-12-10

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三ヶ月ぶり二度目の中山道広重美術館リターンズですわ!

前回が「絵師広重の歩み」前編で、今回は後編ですわ。

中編なんてありませんでしたわ。いいですわね?

解説を読む読むと晩年広重風景画にはめずらしい紙を縦に使った大胆な構図に

挑戦しているそうですわ。

浮世絵を見慣れていないので、その辺りはわかりませんけど、

「名所江戸百景」の至近距離に「月のまつ」や鯉のぼりを配置して、

後方に得意の風景をおく画面構成は刺激的でした。

わたくしの想像するところでは歌川広重最終形態風景への

絶対的な自信が生まれたからこそ、あん作品が発表できたのだと思います

人物画の浮世絵師コラボレーションした経験も役に立っていそうです。

二階の版画体験では前回よりも綺麗に印刷ができて、

我ながら御満悦でしたわ。しかも別の絵が用意されていましたわ。

角を丁寧にあわせることが肝要です。

うまく進むほど後半がドキドキしてしまます

いえ、わたくしはサバサバした女。鰭先の細かい作業もお任せですわ。

何故か二階にいたペッパーレスポンスが悪いので無視していたら、

肩を落としてため息をついていましたわ。

紙を縦に使うのが大胆なら、正方形の紙を使えばもっと大胆かしら?と

少し考えましたけれど、浮世絵でそれをやると印刷事故が多発することが、

体験からも予想できましたわ。

前回ですわ

http://anond.hatelabo.jp/20160914220045

教授感謝ですわ

http://anond.hatelabo.jp/20161205224107

広重と「君の名は。

今更ながら「君の名は。」の感想

君の名は。」は好き嫌いが別れると思う。

音楽も、セリフも、ストーリーも、悪くはないがうまくマッチしていないような気がする。

ただ、やっぱり好き嫌いが別れるのは絵によるところが大きいと思う。

美しいかいかと言ったら、100人100人が美しいと言う美麗さだ。

ただ、映画の絵としては特異と言わざるを得ない。

主人公が絵の中心にいないのだ。

背景を美しくみせるための、添え物に過ぎない。

絵に人間賛歌がないから、あんなに練られたストーリーも、セリフも、一つの作品としてまとまらないのだ。

正確には、背景を美しくみせるというのもちょっと違う。

あの映画の絵では、背景ですら、光を、風を、雨を、それを表現するための手段にすぎない。

人物が映るシーンは逆光で、人物は平面的に沈んでる。

見えないほど雨が画面を曇らせる。

風に草木がそよぐ端っこに人物がいる。

画面の半分が空。

思い出したのは、歌川広重だった。

真面目な話、雨の絵を発明したのは浮世絵だと言われる。

中でも、広重は、雨そのものを、雪を、光を、描き、人物も背景もその添え物という新しい表現に挑戦した。

今では、紙も絵具も変色して、容易には気が付かないと思うけど、雨が、光が、雪が、主役の作品を残してる。

そして、その方法がかなりストレートだ。

版画という、数々の制限の中だからこそ、ストレートな工夫が目に入ってくる。

日本人の目には、「へぇ面白いなぁ」だが、当時の西洋人には衝撃だった。

おそらく、「君の名は。」も同じに映るだろうと思う。

2016-09-14

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ウキウキ浮世絵~!

ワタクシ!中山道広重美術館に行って参りましたわ。

動の葛飾北斎、静の歌川広重広重ですわ。

このたびは特別展絵師広重の歩み 前期」が開催されていて、

歌川広重の初期作品を多く拝見することができました。

(版画だから浮世絵の色はのっぺりしていてファミコングラフィックみたい。

和紙の材質にだいぶん助けられていますわ)

そう思っていたらグラデーションが!

思い返せば普通にグラデーションしている浮世絵をたくさん見ていましたけど、

意識していませんでしたわ。彫り師か摺り師の技術高すぎですわ。

魔法も使わずどうやってグラデーションさせます!?

小倉百人一首の題材にされている江戸時代の人物には、とんでもない人がいらっしゃって、

あの方々を持ち上げる江戸時代の人は現代人とは感覚が異なることを思い知りました。

八百屋のお七なんて、今ならひんしゅくを買いっぱなしになってしまうと思いますわ。

そういえばヨーロッパでも中世の人は犯罪者に同情的だったと、ものの本で読んだことがありますわ。

幽霊も調伏して通る伊賀局さまは見るからに強そうでした。

スカイツリーの地下で復活して現代レスリングトップの方とドリーム対決してほしいです。

説明から摺物と呼ばれる自費出版趣味に走った同人誌的なものがあったこと、

当時の「写真」が「作者の観察に基づくスケッチ」の意味だったことなどを学びました。

有名な東海道五拾三次も内19枚を拝見できました。

魚づくしシリーズには何故か鯖がありませんでした。鯖がありませんでした!

二階にある重ね刷り体験のコーナーがおもしろく、

夢中といいますかむきになって摺ってしまいました。

馬連を握ったのは中学生以来ですわ。

文字通りに「見当」がずれたり、下の段にある縁の部分を擦って変な線が表れたり大変でした。

最後輪郭線を摺るので、色の載った紙が一気に「作品」に変身するところが病みつきでした。

最後ミュージアムショップで復刻浮世絵嶋田池鯉鮒)を買ったのですが、

さないようにまとめたクリアファイルごと持って行くと

学芸員さんに「選んでください」と……

「同じ絵ではありませんの?」

「版が違えば微妙に違うんです」

そんな会話をかわして浮世絵が量産品であると同時に、

この世にひとつだけの存在でもあることが理解できました。

今後、中期・後期の展示があるそうですわ。

庶民の方には観覧料お高めですけど気になりますわ。庶民の方には観覧料お高めですけど

2015-04-03

http://anond.hatelabo.jp/20150402132311

もちろんだけど、版画で見て欲しい。

でも、いきなり画廊にいって手で持って鑑賞するってのもハードルが高いかと思うので(実際はけっこうこころよく手に持って鑑賞させてくれるよ)、伝わる部分、伝わらない部分をすこし説明しようと思う。

例によって、少し長くなるけれど、お付き合い願いたい。

かなり落ち着いてきたし、ずいぶんと絵の勉強もしたので、前よりもわかりやすく説明できると思う。

まず、色について。

画集はおそらく現存するもので一番古いもののうち、一番いい色のもの採用していると思う。

復刻版の浮世絵の色は、初版、あるいは最も有名な版の摺りたてを目指して作るというものと、摺ったものの経年変化まで考えて作るというものの2通りのものがある。

現在つくられてる復刻版は、ほとんどは前者。

摺りたてを想像して作られてる。

後者は、贋作作製ともとられかねないから下火。

そういう復刻版は明治大正の頃に作られていたんだけど、当時なら50年100年くらい経った浮世絵の再現ってことで、意味もあったんだろうけどね。

いまそれやったら、ほとんど灰色になってしまってよくわからない古ぼけた絵を作るってことだからね。

色については、復刻版のほうが圧倒的に綺麗。

ただ、いくつかの色については、江戸時代の絵の具そのものは使えないらしい。

たぶん、鉛とか水銀とかのように、水道法や毒劇物取締法にかかったりするものや、天然素材資源保護の都合上手に入らなかったりとかだと思うんだが、詳しくは知らない。

それを差っ引いても、色については復刻版から見るべきだと思う。

そういう意味で、画集は残念。

摺りについて

浮世絵には摺りでいくつかの特殊効果がかけられる。

画集ではとても再現できない。

まず空摺り、布目摺りという紙へのエンボス加工。

空摺りというのは、色をのせずに摺ることで紙につけるエンボス加工

たとえばこれ、巻物の縁の部分と、着物の衿の部分に注目。

https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/utamaro063/utamaro063_thumb4.jpg

布目摺りというのは、布を押し当てて紙に布のような質感を再現すること。

たとえばこれ、たなびく布が、本当に布のようなエンボスになってたりする。

https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hiroshige175/hiroshige175_thumb5.jpg

両方共復刻浮世絵を売ってるサイト画像だ。

これについては生で見ないととてもわからない。

そうはいってもスマホ画集でみたいなら

名所江戸百景の亀戸梅屋敷

スマホ画面で鑑賞するのに適した作品として、まず歌川広重の名所江戸百景の亀戸梅屋敷を挙げる。

実は俺のiPhoneロック画面はこれにしてる。

寝る前によく眺めてる。

ゴッホが模写したとかで有名なやつらしい。

なれないうちは有名どころからいくといいよ。たぶん。

さて、画像検索すると、ピンク色に染まった空の一番上の部分が、ピンクから赤へのグラデーションバージョンと、ピンクから青へのグラデーションの二種類がある。

https://www.adachi-hanga.com/ukiyo-e/items/hiroshige160/hiroshige160_main.jpg

http://www.gogh-ukiyoe-museum.jp/images/kameido.JPG

どっちが本物でどっちが偽物っていうわけじゃない。浮世絵って色の違う別バージョンが無数にある。

さて、それはさておき、俺はこの絵をみるときに、画面いっぱいに広がる梅の木の幹ではなくて、幹のあいから見える、その向こうにいる人だかりを見てしまう。

というのは、画面いっぱいに広がる梅の幹の木肌が滑らかすぎるんだ。

言ってしまえばピンぼけ

木の幹は視界に入っているのに入ってない。

フェンス越しに野球をみてる、そんな感じ。

フェンス越しでも野球がみれるように、手前の木のピンぼけは、木の影から覗いてるという風に解釈してしまう。

ピンク色の空が幻想的で、幹と幹の間から見える遠くの人々の会話が聞こえてきそう。

遠くで友達花見をしてる、それに混じりたいのに出て行く勇気がなくて遠くから覗くしかない俺、っていう架空設定をついつい脳内に作ってしまったりする。

さて、これだけでも手品みたいな画面効果だっていうのに、広重ときたらもう一つ仕掛けをつくってる。

次に、白梅の花に目を移してみる。

そうすると、白梅がとびだしてきやがるんだ。

さっきの野球の例えだと、フェンス越しに野球をみてて、ふとフェンスに焦点をあわせるとフェンスがブワァって飛び出してくるような感じ。

とりあえず、興味を持ってくれると嬉しい。

そんなこんなでまたいずれ。

 
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