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2015-03-06

催眠

アコギを弾いていると、隣の姉が壁を叩いて来た。何だよ、ちょうどいいところ

だったのに。アンプに繋いでいるわけでもないのに。

まいんちゃんに似てるって言われるからって調子に乗りやがって。

まあ、姉もこれから就活しなくてはならない身分なので、

気分的に苛立っているのだろう。そう思ったおれは

口直しに友人から借りたヴィデオを観ることにした。


友人から「一週間限定焼き肉一回奢り」という条件で借りたそれは

「女を絶対に落とせる」という、その筋では結構有名なものらしい。

それで観てみると(今時ヴィデオを再生するのに苦労したのだけれど)

アート・オブ・ノイズの「レッグス」に合わせてテレビで有名な手品師

登場するというものだった。画面がサイケ虹色になるように加工されている。

2001年宇宙の旅』みたいだな、と思いながらおれはそれを観た。


「このヴィデオを見ている女性の皆さん。貴方の周りに異性は居ませんか」

サングラス姿で髭面のその男は、胡散臭い微笑みを浮かべて言った。

「その人のことをよく見て下さい」とそいつは言った。「つま先から足元まで、

万遍なく、しゃぶるようにして眺め回して下さい。いいですね?」


おれは早くもその時点でうんざりし始めていた。早い話がただの自己啓発的な

ヴィデオの一種じゃないか。焼き肉代損した。そう思っておれはどうせだから

最後までつき合って観ることにした。


「それでは再び私の方を御覧下さい。心の中で三つ数えて深呼吸して下さい。

貴方貴方が眺め回した男性に魅力を覚えていますね? 心のどこかが熱く

なって来ませんか? 場合によっては相手が身内であろうと構いません。

目を閉じて、その男性か貴方の子宮の中に入り込んで来るさまを想像して下さい。

体の奥が熱くなってきたでしょう。それが即ち恋です。愛なのです」


映像ますますサイケデリックになって行く。これが催眠術というものなのか。

これを見せれば女性も落とせるというわけか。何だか馬鹿馬鹿しくなって来た。

「私が三つ数えると、貴方はもうその異性のことが好きになります

焼き肉代返せよな。そう思って最後まで観ようとすると「ご安心を! これから

催眠術を解く作業に入ります」とテロップが流れた。しか映像

そのまま暴力的に切られていた。つまり催眠術を掛けられた相手は外れないまま

もう相手のなすがままになるしかないってことか。改めて思った。

こんなものに引っ掛かる奴が居ればそれは相当単純なやつなのだろう、と。


おれはヴィデオを取り出し、テレビの画面を暗くした。すると後ろに誰かが

立っていることに気がついた。振り返って見てみると

それはおれの姉(まいんちゃん似)だった。

姉は強引におれの唇を奪い、そして押し倒して来た。

2015-03-01

「解ってる、この漂う世界は/一時的な輝きに過ぎないんだ」

もう二十年以上前の話だから時効ということで許して貰えるだろうか。実は私は生首を運んだことがある。十七歳の時のことだ。

その日真夜中に『2001年宇宙の旅』を観た私は、感激のあまり外に飛び出し線路沿いの道を歩いていた。夜空に煙草押し付けて穴を開けたような月が空に輝き、灰色線路が鈍く輝いていた。

既に路線の運行は終わっていたので、私の足取りも勢い大胆になる。私はいしか線路の真ん中を歩いていた。すると私は、線路沿いの側溝に黒いものが落ちていることに気がついた。

それはクラスメイトのヨーコの生首だった。ヨーコが線路に飛び込み自殺したという話は聞いていたが私は普段は列車を使わないし、ヨーコとも特に仲が良くなかったので自殺の話はそのまま忘れてしまっていたのだ。

初めて私はヨーコの生首を見た。切断面は粗く踏み潰されたようにぐちゃぐちゃになっており、辛うじて骨と分かる部分が肉色に染まりながら白く光っていた。生首に手を触れてそれを拾い上げる。手ににちゃにちゃと脂と血がついたのだがそれは構わなかった。

ヨーコは目を閉じていた。土で汚れていたが未だ生命力を誇示するかのようにストレートな髪が私の腕をくすぐった。頬は奇跡的に綺麗なままでその象牙のように白い肌を光らせていた。

閉じられた瞼に目をやったところ、生首も瞼を開けた。死んだ魚のように濁っていた。生首は口を開いた。

ミツバチ君じゃない。

こんばんは。ヨーコだよね。

呼び捨てにしないで、とヨーコは言った。そんなに仲が良かったわけでもないでしょう?

はいはい。ヨーコさん、こんばんは。

私は生首を私の首の高さに掲げた。面と向き合う形にしたかたからだ。結構人間の生首というものは重いんだな、と思ったことを思い出す。

ミツバチ君、こんな遅くまで何をしてるの?

さっき『2001年宇宙の旅』を観たんだ。最高だったよ。

私とヨーコの間には、改めて言うが何の付き合いもなかった。せいぜいフリッパーズ・ギターモーマスCDを貸し借りした程度の仲だった。

ねえ、それより私を運んでくれるかしら、とヨーコは言った。

どこへ?

沼まで。私が案内するわ。

その言葉に従って、私は生首を胸のところで抱きかかえて歩き始めた。

ヨーコはその角を右に、左にと指示していく。私はその通りに歩いた。私たちはどんどん線路から外れていく。家に無事に戻れるんだろうか、と心配になった。

やがて私たちは町の外れの森に辿り着いた。既に道は舗装されておらず、土が茶色く光っていた。

森の中に入ると、道の両側から立っているクヌギがその幹を誇示してどこまでも高く伸びていた。森は腐葉土特有の芳醇な匂いに満ち充ちていた。そしてその頂点にある四方八方に伸びた枝から生えた葉が頭上の月を丁寧に隠していた。僅かな月光を頼りに二人で歩いた。

ヨーコは言った。ねえ、ミツバチ君。

どうしたの?

さっきはごめんね。呼び捨てにしないでって。

こっちこそ呼び捨てにしてごめん。確かに僕らってそんなに仲良くなかったよね。

ミツバチ君のことは気に入っていたのよ。告白しようかって思ったこともあった。

そうなんだ。

から思い出せば私はあの頃は恋愛特に興味を持って居なかった。好きに音楽を聴いたり本を読んだり出来れば幸せだったのだ。だから異性の私に対するそうした反応に対しても私は極めて鈍かったのだろう。

今度は私から尋ねた。ヨーコさん。

何?

死ぬってどんな感じ?

ヨーコは少し目を閉じた。しばらく黙りこくったうちに、ごめんね、と言った。脳が痺れてうまく考えがまとまらないの。

分かるような気がするよ。

私たちはどんどん森の内奥へと入っていく。それはまるで陰部をどこまでも探るような淫靡な試みだった。森の中を彷徨私たちの足取りに到達点などあるのだろうかと不安になる一方で、月をやがて覆い隠すクヌギの森の葉が濃くなってきたことに興奮を覚えた。

ヨーコは言った。生きていた頃のことが全部夢だったみたい。

途方もない夢だね、と私は言った。十七年間も続いたんだから

そうよね。本当にね。

私たちはそのようにして森を小一時間ほど歩いて、ヨーコの言っていた沼に辿り着いた。表面が鰻のように黒くぬめっていて、おぼろげに月が反射していた。

中に沈めて、とヨーコは言った。

いいの?

いいわよ。私泳ぐのが好きだったから。

そこで私はヨーコの首を沼の中に漬けた。最初は浮かんでいた首はやがて水の中に沈んでいき、上方に漂う髪の毛が藻のように揺らいでいたがそれもまた沈んでいった。彼女が浮かべる細かな泡が後に残った。私は帰ることにした。

森の中は相変わらずどこかじめじめと湿り気を帯びており、土を踏む私の足は時々剥き出しになっている石に躓いて転びそうになった。途中で小動物らしきものが立てるかさかさとした物音が聞こえた。私は森の中をどこまでも歩いた。

死ぬってどんな感じなんだろう? そんなフレーズヴィーナスペーターの歌にあったことを思い出した。「死ぬって何だろう?/解ってる、この漂う世界は/一時的な輝きに過ぎないんだ」……。

私は家に着き、窓から二階の自室に入り込んでそして眠った。クヌギの木の匂い彼女の首の匂いは朝になっても残っていた。

今でもヨーコのことを思い出す。つい最近休暇が取れたので私はあの沼に行き、追悼の言葉を呟いて戻って来た。何故かは分からない。ただ、そうしなければいけない気がするから、そうして来た。それだけだ。

2014-01-26

映画館の鑑賞マナーCM

名シーンのパロディ

他にもあった気がするが忘れた

2014-01-19

2001年宇宙の旅》を観て思う

「午前十時の映画祭」でやってる《2001年宇宙の旅》見てきました。

http://asa10.eiga.com/2013/cinema/312.html

21世紀って夢がいっぱいだったよな

原題の《2001: A Space Odyssey》を《2001年宇宙の旅》と訳したセンスが素晴らしい。

公開が1968年で「21世紀なんて遠い話だけど、その頃には色んなことができるようになってるんだろうな」と思ってたはず。

60年代だけじゃなくて、70年代80年代ひょっとしたら90年代でも「新世紀は素晴らしい世紀だろう」と思ってた。

そしたら「宇宙の旅」ぐらい当然できるよなあ。

そしていつの間にか21世紀になった。

インターネットを当たり前のように使ってるとか、スマホが普及してソーシャルメディアが凄いとか、

確かに素晴らしいんだけど、なんか憧れてた新世紀が、実際に生きる世紀になったら、ちょっと感覚違うね。

大事なことは解らないけど、気にせず生きてるよね

映画では「人類夜明け」のセクションで、ヒトザルがモノリスに触れることで、道具の使用を身に付けたことになってる。

確かに長い歴史の中で、ヒトが偶然に道具を使うことを覚えたというのは、ちょっとどうなんだろうと思うところもある。

何かどこかでブレークスルーがあって、サルからヒトになったんだろうけど、それは何なんだろう。

映画では、それはモノリスで、何か人外のもの人類に与えたとされてる。

本当にそうなのか、どうなのかは解らないけど、これらのシーンを観て、

宇宙の果てもどうなってるか解らないし、死んだらどうなるのかも心がどこにあるのかも解らないし、

モノリスくれるような神様みたいのがいるのかも知れないし、いないのかも知れない。

そういう本当に根源的なところは何一つ解らないのに、判断の根っことなる部分が解ってないのに、

なんだか毎日解ったような顔をして判断してるよなあと思った。

明日会社に行ったら「こんなサービスを世の中に出して良いのか」というのを悩むんだけど、

そもそも我々はなんなのかも解ってないのに、こういう問題は真剣に悩めるのが実はすごい。

2013-06-29

2004年イケダハヤト

考える事は楽しい事です。

から「考える人」は、きっと楽しいんじゃないだろうか。

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そう考えるのも楽しい

特に結論が出そうで出ないモノに対して考えを膨らますのが非常に楽しい

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そういう意味で、2001年宇宙の旅は大好き。

ストーリーは一見意味不明だけど、考えれば考えるほど色々な解釈が芽生えてくる。

そして結論が出たところで、それは答えではなく、あくまで一つの解釈に過ぎない。

僕も3つぐらい解釈を持っているので、是非いつか書きたいといつも思う。

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ドグラ・マグラ」もその点で近い楽しさはあるなぁ。

あっちは逆でストーリーは一見分かりやすいけど、よくよく考えると不思議矛盾が生じると言う。考え出すと止まらない。超楽しい

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考える楽しみは、人間から出来る楽しみだと思う。

それも、”高度な”人間こそ出来る楽しみ。

この楽しみはバカには分からんのです。 

もっとも、優越感に浸り、そんな事を考える僕もある意味バカなのかなぁ。

まぁサルよか高度な人間です僕は。うん。

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お前らまだ二次元かよ。俺は一次元でも勃起できるぜ

http://pink.bbspink.com/test/read.cgi/ascii2d/1076872499/

高度。高度です。

人間として高度です、と思いきやこのスレタイです。アフォか。もう高いのか低いのか分かりません。そう、ある意味で彼らは四次元なのです。

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今日音楽

Thick As A Brick / Jethro Tull

全編後編2曲収録、一曲20分強と言う典型的プログレ作品。

と思いきや内容は少しも難解ではなく、実に聴きやすい。Genesisに近いかな。

冒頭の優しい曲調は、朝、家を出て自転車で畑沿いを走る時の情景にぴったり。マッタリ。

ハードに迫る部分も多々あるが、全編を通して優しさと遊び心が一貫してる作品。

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こういう作品を「長い」と言ってはなっから切り捨てる人は、文化的に”高度な”人間とは言えないよなぁプ。

と、優越感に浸りつつ音楽を楽しむのだ。楽しむ趣旨が違う?楽しけりゃ良いんですヨ。

http://d.hatena.ne.jp/nubonba/20040223

イケダハヤト(いけだはやと 1986年5月24日-生まれ)

2012-11-06

http://anond.hatelabo.jp/20121106145925

横だけど

特に思想的に人間クソとか言い出すタイプの敵は実はかなりレアだと思う。指輪物語とか2001年宇宙の旅とかの有名どころがことごとく当てはまらないし。

言われてみればその通り

ファンタジーって根本的に善悪戦で善側にも悪側にも人間がいたりする(=人は善にも悪にも転びうる存在という前提)し

全盛期のSF人間クソ批判っていうより過剰な技術進歩への恐怖及び批判(とそのさらに克服)みたいなのがメインテーマだよね

思想的に人間存在クソとか言い出したのって何かあるか?

伊藤計画くらいしか思いつかない

http://anond.hatelabo.jp/20121106144957

人類の敵というギミックを持ってきて人類批判するタイプの作品においては、

元増田の反応は合理化できる、中二的なものには当たらない、と。

そりゃお前、SFしろファンタジーしろ人類批判型じゃない敵が出てくる作品の方が多いから置いただけなんだけど。

特に思想的に人間クソとか言い出すタイプの敵は実はかなりレアだと思う。指輪物語とか2001年宇宙の旅とかの有名どころがことごとく当てはまらないし。

そして、元増田が持ち出してるのは「人間クソとか言い出すタイプの敵が出る」作品のことなので、この前提は別に何も矛盾しないよ。

論陣が崩れて「そんなこといってませんよ」「何か勘違いしてるね」「そういう話ではないよ」「(でも何の話なのかは言えないの…)」

みたいなことブツブツ言い出すのはすごーく見苦しいなあ。

もう撃てる弾が無いのに粘るんじゃねえよ。

せっかく50点あげたのに。

君は逆に何をそんなに粘ってるのか意味不明だよねw

俺の主張ひっくり返せてないし、そもそも未だ読めてねーじゃん。

なんかこれで論破したつもりっぽいけど、真面目に読解から始めた方がいいよ。

2009-06-30

滅亡の記憶は創世の記憶

MJって記憶ジョニーか?ってそれJMだろと、一人寂しくボケツッコミをしちまったじゃねーか。

個人的にはアーサー・C・クラークのが印象深い。「2001年宇宙の旅」の著者といえばわかるだろう。wikipediaからひっぱってくると「ロバート・A・ハインラインアイザック・アシモフと並んでビッグ・スリーと称されるSF界の大御所」の最後の一人だ。時代を感じたね。

なんてのは正直どうでも良い。10年前の、あの訃報に比べれば。

あれは今日と違って本当に天気のよい日だった。あの本当に天気が良かったという記憶は一生忘れないだろう。

夏の葬列には負けるだろうが。

なんて話もまあどうでも良いだろう。

冬休み帰省の足で向かった通夜と、春休み帰省の足で向かったお悔やみの、あの年の夏休みに比べれば。

ま、早く帰らなければまた間に合わないのではという思いと、帰らないほうが良いのではという思いが交錯した、ってだけで、実際は何も起こらなかったわけだが。

人生、生きていれば色々な死と出会う。

これから先はこれまでの死よりももっと多くの死と出会うだろう。

親の死、友人の死、自分の死。

ま、本当はそんなこと、どうでも良いことだろう。自信はないが。

あ、タイトル意味はない。

http://anond.hatelabo.jp/20090630005752

2009-03-21

http://anond.hatelabo.jp/20090321150419

交渉人見てた、元増田。そうなんだよ。「プログラマー主人公でかっこよく何事かを成し遂げるドラマ」って日本映画ドラマで見たことある?

洋画なら、10年前のサンドラ・ブロック主演の「ザ・インターネット」とか、「インデペンデンス・デイ」とか、いくつか思い浮かぶけど。あ。アニメだけど、ドラえもんの「のび太とブリキの迷宮」のサピオの両親がコンピュータウイルスを作成したプログラマーだったなぁ。

今考えてみると、「のび太とブリキの迷宮」のコンピュータウイルスの描き方は、有名な「インデペンデンス・デイ」や「3001年終局への旅」より正確で、しかも、これらの作品より原作が新しい(1992年)。藤子・F・不二雄ってすごいんだな。

のび太とブリキの迷宮

ある星で、ロボットが反乱を起こして、その星の人類全員が人質に。最終的には、「その星の科学者だった」サピオの両親が作ったコンピュータウイルスロボット感染させて、ロボットの反乱を鎮圧。

インデペンデンス・デイ(別名ID4):

宇宙人が攻めてきて、「地球人天才科学者」が一晩で作ったコンピュータウイルスマザーシップに感染させ、撃退。

地球人科学者が、宇宙人言葉もわからないのに宇宙人の作ったシステムの穴をつくコンピュータウイルスなんか作れるかっての。

3001年終局への旅(インデペンデンス・デイと同じ頃に書かれた2001年宇宙の旅の完結版):

モノリス人類を滅ぼそうとする。モノリスに取り込まれたデイビッド・ボーマンを介して、モノリスコンピュータウイルス感染させて対抗。

モノリスの動作原理がわからないのに、どうやって、モノリス上で動くコンピュータウイルスを開発するんだ?

まぁ、ただ、著者のアーサー・C・クラークも少しは勉強していて、このコンピュータウイルスというのが、普通コンピュータウイルスではなくて、高度な無限ループを引き起こす「アルゴリズム」のことらしいのだ。おそらく、「どんなプログラムを与えても無限ループに陥るかどうかを判定出来るようなプログラム存在しない」という停止性決定問題の定理と絡めている。モノリスは、無限ループに陥ることが明らかなプログラムが与えられると、実行そのものを行わない。ただし、この定理より、どれだけモノリス無限ループ判定能力が高かったとしても、必ず、「モノリス無限ループ判定能力をすり抜けて、モノリス無限ループに陥らせるプログラム」を作成することができる。で、この無限ループに陥らせるプログラムコンピュータウイルスだというわけだ。

2009-02-01

淀川長治の年間ベスト

淀川長治キネマ旬報年間ベスト10で最高点をつけた洋画リスト

1949年 大いなる幻影ジャン・ルノワール

1950年 自転車泥棒(ヴィットリオ・デ・シーカ

1952年 巴里アメリカ人ヴィンセント・ミネリ

1954年 嘆きのテレーズ(マルセル・カルネ)

1958年 白夜(ルキノ・ヴィスコンティ

1959年 恋人たちルイ・マル

1960年 太陽がいっぱいルネ・クレマン

1961年 素晴らしい風船旅行アルベール・ラモリス

1962年 野いちごイングマール・ベルイマン

1963年 アラビアのロレンスデヴィッド・リーン

1964年 突然炎のごとくフランソワ・トリュフォー

1965年 81/2(フェデリコ・フェリーニ

1966年 マドモアゼルトニー・リチャードソン

1967年 欲望(ミケランジェロ・アントニオーニ

1968年 2001年宇宙の旅スタンリー・キューブリック

1969年 アポロン地獄ピエル・パオロ・パゾリーニ

1970年 サテリコンフェデリコ・フェリーニ

1971年 ベニスに死すルキノ・ヴィスコンティ

1972年 フェリーニのローマフェデリコ・フェリーニ

1973年 スケアクロウジェリー・シャッツバーグ)

1974年 フェリーニのアマルコルドフェデリコ・フェリーニ

1975年 ザッツエンターテインメントジャックヘイリーJr

1976年 トリュフォー思春期フランソワ・トリュフォー

1977年 ロッキー(ジョン・G・アビルドセン)

1978年 家族の肖像(ルキノ・ヴィスコンティ

1979年 木靴の樹(エルマンノ・オルミ

1980年 ルードウィヒ/神々の黄昏ルキノ・ヴィスコンティ

1981年 ブリキの太鼓フォルカー・シュレンドルフ

1982年 ゲームの規則ジャン・ルノワール

1983年 ディーバ(ジャン=ジャック・ベネックス)

1984年 カルメンカルロス・サウラ)

1985年 田舎日曜日ベルトラン・タヴェルニエ)

1986年 シテール島への船出(テオ・アンゲロプロス

1987年 グッドモーニングバビロン!(タヴィアーニ兄弟)

1988年 ザ・デッド(ジョン・ヒューストン

1989年 生きるべきか死ぬべきか(エルンスト・ルビッチ

1990年 フィールド・オブ・ドリームスフィル・アルデン・ロビンソン

1991年 シェルタリング・スカイベルナルド・ベルトルッチ

1992年 ヒア・マイ・ソング(ピーター・チェルソム)

1993年 マルメロの陽光(ヴィクトル・エリセ

1994年 オリーブの林をぬけて(アッバス・キアロスタミ

1995年 スモークウェイン・ワン

1996年 ケロッグ博士アラン・パーカー

1997年 世界中アイラブユー(ウディ・アレン

2008-12-30

http://anond.hatelabo.jp/20081229235044

サイエンスフィクションの中でも『サイエンスが単なる道具扱い』のものは「SF風○○」に過ぎなくて、「ホントウのSF」とは『サイエンスを通して人間を描く』ものだ、というのがハードSFマニア感覚なのだと思う。

個人的には、SF『風』に見えても芯のしっかりした作品SFと言ってもいいと思うけど、その辺は人によって揺れるとは思う。

というわけで、○×つけてみる。一応左から「狭義」「個人的定義」の順。個人的にも×をつけたものは、一言理由を書く。

○○2001年宇宙の旅

××涼宮ハルヒの憂鬱サイエンスじゃない。)

××天空の城ラピュタスチームパンクっぽい世界観は面白いけど、これもサイエンスじゃない)

××風の谷のナウシカ(これは『ファンタジー』だと思う)

×?エヴァンゲリオンラストをよく知らないんだけど、使徒ってサイエンスなの?)

××ガンダム(後付で色々考証してるけど、作品自体は設定の細かいロボットアニメ。)

△○プラネテス

××エウレカセブンSFファンタジー、だと思う)

○×コンタクトこれはひどい幻想小説ですね。)

○○惑星ソラリス幻想だからダメっつーわけじゃなくてね。)

個人的な好みが境界線を左右する傾向は否めない。批判は甘受する。

ちなみに、うるさいこと言う人は『ハインラインでも「夏への扉」はダメだよね』みたいなことを言う、的なエントリがちょっと前にあったような気がする。

2008-12-29

SFって何?

理系大学院修士。「エウレカセブンみたいなSFって腹が立つ」と書いたら、そもそもエウレカセブンSFじゃない、と言われた。うん、自分でもSFに詳しくないというのはよく分かっているから、専門家からみると、そうなのかなぁ、と思う。そこで、「SFって何?」って聞こうと思ったけど、Wikipediaかなんかへのリンクを張られるのが落ちだし、定義文を与えられても、結局、個々の作品SFなのかどうか分からない。

そこで、最も広い意味SFと呼べそうな作品を実際に上げてみて、「この中でこれはSFと呼んではならない」という事例を集めた方が、「SFってなんですか?」ということが分かりそうな気がしたので、やってみる。

とりあえず思いつくままに、10個上げてみた。以下について、SF/SFじゃない/知らないの3択で答えてくれ。「この作品が挙がってないぞ」っていうのがいくらでもあると思うので、SFかどうかの判断も含めて勝手に追加してくれ。

2001年宇宙の旅

涼宮ハルヒの憂鬱

天空の城ラピュタ

風の谷のナウシカ

エヴァンゲリオン

ガンダム

プラネテス

エウレカセブン

コンタクト

惑星ソラリス

http://anond.hatelabo.jp/20081229034913

http://anond.hatelabo.jp/20081229132249

http://anond.hatelabo.jp/20081229131935

元増田エウレカセブン見ながら、てきとーに思ったことをかいただけなのに、割と反応があって驚いた。元の記事ではちょっと表現がぶっ飛んでいたので申し訳ないが、自分の言いたかったことは別に大したことじゃなくて、一言で言うなら「夢とか希望とかうぜー。そんなもの下手に与えないほうがいいよ。与える方が残酷だ。」ってことになるんだと思う。

2008年12月29日langu 主人公の気持ちで世界が変わるのはセカイ系であってSFではないでしょう

うん、これは、とてもいい指摘だと思う。エウレカセブンって、まぁ、一応広義にはSFに含まれるのかもしれないけど、少なくとも絶対ハードSFではないわなぁ。なんか、エウレカセブンってなんて表現したらいいのかわかんなかったけど、やっぱり「セカイ系」でいいのか。一応、少しはハードSFも読んでるよ。2001年宇宙の旅も3001年終局への旅も読んでるし、映画コンタクトは5回以上は見ていると思う。

もうちょっと正確に書いたら、以下のようになった。

「一見SFのように見える作品の中には登場人物の気持ちで問題が解決するような話があるが、『気持ちで問題が解決する/世界が変わる』というのは科学とは全く相反するものだ」

「実際には、いくら問題に対して熱い気持ちを持っていようが、才能と金と環境がないとどうしようもないことが多い」

「結局、才能や金や環境に恵まれた人間だけが、科学で食っていける」

「しかし、いくら才能や金や環境が羨ましくて嫉妬しても、実証的(論理的)に正しいものは正しいと認めなければならないのが、科学だ」

(他の競争、例えばスポーツとか芸術作品の良し悪しだったら、審査基準を作っているのは人間だから、嫉妬した時は審査基準そのものを疑って新しい審査基準を作ってしまえばいい。科学というか、実証的な学問は、最終的な判断基準が人間の外にある。人の羨望や嫉妬など関係なく、実証性でかっ飛ばしていくのが科学だ。)

「これから進路を決める子供たちに、『気持ちで世界が変わる』と誤解させるかのような話を見せる/聞かせるのは酷だ。

科学が好きだとか、科学者になりたいとか、科学に対する熱意とか、そんなものは、科学には全く関係がない。

何も科学に限ったことじゃないが、熱意があっても、才能や金や環境に恵まれなければ、成果が出ないのが普通だ。

下手に夢なんか与えない方がいい。夢を与えるほうが残酷だ。」

「だいたい、そうめったにない成功例を多数の視聴者に見せるということ自体が、宝くじに当たるような確率の成功例を『普通に起こりえる』ように描いていてリアルでない。実証的でない。主人公が流れ弾に当たって死亡して終わりとか、時間内に修理しようと思ったけど納期に間に合いませんでしたとか、長期にわたる戦闘で精神的に不安定になって戦闘後に自殺するとか、味方の誤爆で死んじゃいましたとか、同じ舞台設定であるにしても、もっと『起こりそうなこと』を描いてほしいと思うのが、リアルさや実証性を重視する心だと思う」

2008-12-17

フィクション作品におけるコンピュータ

独断と偏見パターンを分けてみる。

他にどんな物があるだろうか。

2008-12-15

とあるSF映画を鑑賞する機会があったので

なるべく主観を入れずに、客観的な事実の羅列のみで、この作品テーマを追っていこうと思う。

この映画のオープニングは、赤茶けた地球ビルの様な巨大な構造物が立ち並ぶ光景で始まる。

構造物は良く見るとビルではなく、「赤黒い何か」を積み重ねた物であることがわかる

特にこの構造物については触れずにストーリーは導入へと進んでいくが

この光景は本作のこの後の展開を象徴するものである

また、この映画が「2001年宇宙の旅」をモチーフにしているという事を頭に留めておいて欲しい

この映画主人公は「ゴミ処理」ロボットである。

彼は強力な圧縮装置と、高出力の「切断用」レーザーを備えている。

彼は「動くものがいなくなった」地球で、「何か」を探して動き続けている。

彼の体は他の同機種のパーツを換装する事で、どこまでも動き続けるようプログラミングされている。

彼は動いていない時は自分のドックで「人間達」を研究する。ビデオを見ながら繰り返し繰り返し。執拗とも言えるまでに。

彼の永遠に続くとも思われる「何か」の探索に転機が訪れた

遠い宇宙の彼方に逃れた人類から、最新型の探査機が地球に送り込まれたのだ

青白い光を放ち、弾丸に似た形をしたロボットだ。

核爆弾並みの威力のレーザー砲を備えている

それを見た「彼」は気が狂ったように豹変する

彼はそのロボット自分のものにしたかった

彼はそのロボットを偏執的に付け狙った

それというのも、そのロボットが「人間に似た」ある機関を備えていたからだ

地球を脱出したロボットさえも彼は追ってゆく

宇宙船に潜り込み、辿り着いた先は人間たちの暮らすコロニーだった

これ以上のあらすじは追わないが、以下の事項を良く考えて欲しい

繰り返すが、この映画は「2001年宇宙の旅」を重要モチーフとしている。

2001年宇宙の旅」の大きなテーマの一つは「コンピュータ人間に対する反乱」だ。

・何百年もの間コンピュータ飼育された人間は、どのような歪んだ知識を持つに至ったか。

・何百年もの間コンピュータ飼育された人間は、どのような「元の姿からかけ離れた、元からは想像出来ないような形」になったか

・彼がゴミとみなして圧縮していた物は何であったか

人間発見した彼がどんな行動を取ったか

(付随して、彼が原因で故障したロボット達が開放され、何十万もの人間に対して何を行ったか。)

そして


・彼は人間に対して「何」をしたかったのか。

2008-07-24

エロゲ知らない人への説明

http://anond.hatelabo.jp/20080724191851

映画に例えると

2001年宇宙の旅」を「特撮が駄目」って言うな

って感じ。

2007-10-07

脚本なんか知るか

http://d.hatena.ne.jp/lovelovedog/20071011/saru

 このシーンに関する誤解があるのは日本だけなんだろうか。 『2001年宇宙の旅』のそのシーンを、もう一度よく見てください。  骨が変わるものは「宇宙船」ではなくて核搭載の軍事衛星です。

誤解っていうけど、誤解でもなんでもない。リンク先こそそのシーンをもう一度見るべき。ちなみにYouTubeでも見ることができる。猿人-骨-宇宙船。これ見て「おお、骨が核搭載の軍事衛星に!」と思ったやつは頭がおかしい。

まず前提として、この世には核兵器搭載の軍事衛星などというものは存在しない。公式には。だから、スクリーンに映った衛星が、核兵器搭載の軍事衛星かどうかなど、分かるはずがない。比較すべき実物がないのだから。

2001年宇宙の旅小説版だと、最後は核戦争が起きる。だから映画版でこういった衛星から核弾頭放出され、それが爆発するシーンが描かれていれば分かるだろうが、そんなシーンはあったかね。

脚本に何と書いてあるかは知らないが、脚本を読まなければ分からないことなど、映画の知識でもなんでもない。

ついでながら、リンク先ではサルサル、と連呼しているがアレサルではない。リンク先の引用テキストにあるようにあ、あれは猿人だ。映画では人類先祖を匂わせており、それは分かる。そして人類先祖サルではなく、猿人だ(サル人類は共通の先祖を持つ)。脚本にはApemanと書いてなかったかね?。

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