はてなキーワード: 法則とは
彼女が10000÷10=1000と暗算で即答できない人だった。
そんなやつがこの世に存在するということを10数年ぶりに再認識させられた。
高校から進学校だったため自分のコミュニティにはそんな人間がいなかったから忘れていた。(仮に進学校じゃなくてもなかなかそんなやつはいない)
思い起こせば、確かに、小中学の時はクラスに1人は壊滅的に算数ができないやつがいた。
普段話してるとそんなに頭悪くなさそうなのに、いざ数字になるとこちらの当たり前が通用しなかった。
さて彼女の話だが、100÷10も、10000÷100も10000÷10も全て筆算しないとできなかった。
逆に筆算をするとできる。
割る数の0の数だけ割られる数から減らすだけだと、何度も伝えるが理解できない風だった。
(もちろん算数に苦手意識を持ってる人が割る数、割られる数という相対的な表現を苦手とすることは知っているので、目の前にある飲み物とかお金を使った具体例できちんと説明した)
まぁ0を増やすだ減らすだは算数の本質ではないので、それがピンとこないのは、それはそれで1+1=2なのがピンとこない天才肌なのかと思ったけれど、話してるうちに物事の前後関係から結果を推論、いわば経験則的な知見を溜めることのできないアホなんだなとわかってきた。
つまり計算から共通する法則を見つけ出して楽しようという発想がなかった。
数字の理屈とか本質は考える気がなくて、教わった解き方が筆算だから、全てそれで解く。ということだ。
この辺を応用効かせて理解してドンドン進んでいける人とそうでない人が小学校での成績を大きく分けていたように今になって思う。
たぶんどこの学校もそういう感じだったろうから増田たちも理解いただけると思う。
計算が苦手なら計算しなくて済む0を減らすという方法があるだろうに理解が及ばない。
算数を、数字の本質を、数字を扱えると便利だし楽しいという根源的な体験を通してきちんと理解させずに、彼女のような人を生み出している初等教育の現場の人たちは本当に罪だと思う。
初等教育の現場の人がいたらこの辺についてどう思ってるのか単純な興味として聞いてみたい。(ブコメ待ってます)
そしておれが思ったのは、彼女を貶めたり辱めたりすることではなく、彼女のような人に算数は思考を停止させる毒ではなく、日常を豊かにする道具であることを理解させるにはどうしたらいいのだろうか? ということだ。
この辺の教育がきちんとされてたら「630円の会計で1130円を出す」論争とか消滅するだろと思ってる。
だから、なんとか理解して欲しくて、手元にあったお茶のペットボトルに目盛りを振ってお互いに分け合ったり、フライドポテトを複数人でシェアする場面の例えを出した。
そういう具体例を出すと感触良好でなんとなく理解してそうな雰囲気をだす。
しかしいざ60÷3=?と聞くと「3」とか答える。
これは実際にポテトを分け合うシーンを思い浮かべてもいないのだ。
もしそのシーンが頭にあったら自分の取り分がポテト3本になるはずがないのは想像できるはずだ!
どうやら数字を計算するってことになると途端に思考がシャットアウトされるらしい。
10000÷10=?ってきくとちょっと考えてから「え?なにを?どうするの?」って聞き返される。
タチが悪いのは、聞いてないし理解する気がないのが原因なのに「数字が苦手だからできない」と思ってるところだ。
やればできるとは思ってもいないし、自分には無理だと決めつけてる。だから質問もちゃんと聞かないし、計算をできる意味がないと思っている。
こういう人に算数を教えるにはどうしたらいいのだろうか?
これについてヒントとか回答を教えて欲しくて書いている。
いちおう塾講とかの経験あるし、ある程度人にモノを教えるということには自信があったが初等教育でミスるとここまでこじれて取り返しがつかないんだなぁということと、自分の未熟さも彼女には教えてもらいました。
前日になんでこんな話をしてしまったのか…。
理解させようと必死なおれと、理解できるわけがないと初めから考える気がない彼女の間にはとても重い空気がながれてしまった。
軽く教えたらすぐに理解してくれるだろうと思った慢心がいけなかった。
なのでもう彼女には数字に関わる話をしないということになりました。
力作だと思うけれど粗も見えるので、これを叩き台により正確な議論ができればいいなと思う。(はてなでそんな風景はとんと見ないのだが。)
これってその解釈で本当にいいの?とか。以前雑誌で見た死亡率が高い車ランキングだと3ナンバーセダンが上位を占めていた。
あと例えば
(中略)
そうなると単純に考えれば、衝突された時に衝撃を吸収する部分が小さくなります。
前面のクラッシャブルゾーンに関しては大きめの車も小さめの車もだいたい同じくらいに設計されているはず。
小さなクルマが不利なのはカーツーカーで衝突した時運動量保存の法則で質量が小さいほうが余計に大きな加速度を食らってしまうから。
側面に関してはこの説明のようにボディの幅が効いてくるはず。
長い間、数論、その中でもとりわけ素数に関する研究は、その分野以外での応用の全くない純粋数学の見本と見なされていた。
特に、イギリスの数論研究者であるハーディは、自身の研究が軍事的に何の重要性も持たないことを誇っていた。
しかし、この見方は1970年代には覆されてしまった。素数が公開鍵暗号のアルゴリズムに使用できると広く知られるようになったためである。
なんか、大学には情報科学だの情報工学だのといった学科があるらしい。
でも、そうした学科の中核に来るであろう情報という代物、もう少し具体的に言えば情報システム開発でプログラミングが扱う世界って、自然界の法則による制約が殆ど無い。
そんな何でもアリな分野って、そもそも自然科学や工学の範疇に含まれないんじゃね?って思ってしまう。
もちろん芸術とか職人芸みたいな深みも厚みもない。だって突き詰めれば、コンピュータへの指示命令書を書いてるだけだから。
本当に穴掘ってまた埋めてとか、ライン工が言われるがまま右から左にパーツを組んでいるのと全く同じ。
そんなの学問でもなんでもないだろって思うんだけど、実際どうなの?
そもそも情報工学科って、日本じゃその名前自体が蔑称みたいなトコあるじゃん。
なんつーか、学生は2次元の住人しか見てない、残念な人ばかりなイメージ?
それこそ高校でパソコン研究会とかに入って、2次元の話ばかりで盛り上がってた延長というか。
挙句大学生になってもなろう系深夜アニメを卒業できず、それどころか中高時代よりも熱心に入れ込んで、毎晩シコってるみたいな、そんな感じ。
中盤になってようやく「(本題)について調べてみました」って出てきたらクソブログ。