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はてなキーワード: シロウトとは

2012-03-31

http://anond.hatelabo.jp/20120331035757

ちょろっとかじった位のシロウトが粋がってんじゃねぇよ、ガキが

2011-10-18

電子音楽の下位ジャンル定義

テクノハウストランスエレクトロエレクトロニカアンビエントビッグビートポストロック電子音楽も、今となってはジャズロック並みに広範囲なジャンルになった。ただ、他のジャンルに比べると定義結構曖昧で、結構誤用されていることが多い。ジャンル論争はあまり意味も意義もないけど、チラ裏的に定義してみる。

ちなみに書いている人は元テクノ少年テクノ中年シロウトなので、もっと詳しい人で「違う、そうじゃない」と思った人は、トラックバックなんかいただけるとありがたい。

テクノ

電子音楽全てを包括する呼び方。ヘヴィ・メタルパンクオルタナティブを包括するのがロックフリージャズスウィングジャズハードバップを包括するのがジャズなように、エレクトロニカアンビエントトランスも全部「テクノ」に含まれる、音楽の大ジャンルの一つである

よくある批判(?)として「中田ヤスタカテクノじゃない」「小室哲哉テクノじゃない」と言われるが、あれも立派なテクノ(嫌いな人も多いだろうけど)。石野卓球は昔タモリ番組で、ユーロビート日本独自のテクノだと解説していた。現代的な意味で「テクノ」として扱われるのは、ホアン・アトキンスデリック・メイケビンサンダースの創設した「デトロイトテクノから派生したもののみとする意見もあるが、そうなるとややこしくなるのと、世の中で「テクノ」と呼ばれているものが排除されてしまうので、あまりこの定義意味が無いと思う。

ハウス

デトロイトテクノと同じ時期にシカゴで生まれたダンスミュージックリズムマシンシンセを使い、フロアでかけるという意味ではデトロイトテクノと同じだが、キャッチーメロディピアノ音が特徴。ダフト・パンクやここ数年の中田ヤスタカテクノの下位ジャンルとして扱うか、一つの独立ジャンルとして扱うかは人によって異なる。

デトロイトテクノ

上記に上げたようにホアン・アトキンスデリック・メイケビンサンダースデトロイトで創設したジャンルトランスに比べるとメロディラインが曖昧で、ストリングスやパッドを多用している。基本的にヴォーカルはない。テクノというと「白人ヨーロッパ」のイメージを持つ人がいるが、元々デトロイト黒人が始めた音楽である

トランス

ハウステクノの混合…と言うとややこしいが、うねるようなシンセパッドの旋律と4つ打ちと叙情的なメロディアラインが特徴。100%踊るための音楽。時期や地域によって更に細分化された下位ジャンルがある。日本ではチャラいイメージがある。

ミニマル

音楽のいちジャンルと言うよりも音楽の一手法。同じ旋律をパターン化し繰り返す、音の動きを最小限に絞ったもの久石譲のsummerとか坂本龍一戦場のメリークリスマスなんかがそう。

アンビエント

これもテクノのいちジャンルと言うよりも、音楽の一手法と捉えたほうが良い。直訳すると「環境音楽」でカフェサロン美術館でかかっているような音楽。或いはクラブチルアウト(落ち着かせる)させるための音楽。静かで緩やか。ブライアン・イーノ細野晴臣、初期のエイフェックス・ツインなど。イージーリスニングと混同される場合もあるが、イージーリスニングと違い明確なメロディラインが無いのも特徴。

エレクトロ

ハウスデトロイトテクノよりもやや後に発生したジャンルハウステクノファンクという形で成立。ポップでキャッチーメロディで賑やかな感じ。

エレクトロニカ

たった2文字加わるだけで全然違うジャンル。どちらかと言うとデトロイトテクノアンビエントから派生ジャンルキャッチーメロディラインがなく、音数が少なくシンプルな感じ。ヴォーカルがなくポップな部分が無いので初心者にはやや難解。アンビエントと違いビートはある。踊れない曲も多い。ただ、アメリカでは日本で言う「テクノ」的な扱いとなっている。

ビッグビート

ロック+ヒップホップ+テクノ(ドラムンベースも加わる)。ドラムの代わりにリズムマシンを使い、ベースの代わりにシンセベースを使い、テクノっぽくてヴォーカルがある、踊れるようにしたロックと思えば良い。日本ではデジタルロックと呼ばれる(最近じゃ呼ばないか)。ケミカル・ブラザーズアンダーワールドプロディジーなんかがこれ。ロックの一ジャンルにするか、テクノの一ジャンルにするか人によって分かれる。

ドラムンベース

ブレイクビーツを170BPM前後の高速で繰り替えずリズムパターンに、低いベース音を合わせた音楽トランスハウスなどがバスドラ4つ打ち(ドンドンドンドンと単純なリズム)にたいして、複雑なリズムパターンが特徴。

テクノポップ

テクノ歌謡シンセポップとも呼ぶ。電子楽器を使ったポップミュージックキャッチーメロディラインとヴォーカル1980年代小中学生流行ったように、ポップで親しみやすいことが重要。そういう意味ではエレクトロに割と近い。YMOクラフトワークPerfume現在の「テクノ」とは違うとされるが、石野卓球ケン・イシイデリック・メイなんかは影響を公言している。

ポストロック

これこそ未だによく分からんジャンルポストロックポストポストモダンポストと考えると分かりやすい。

まとめ

こうして見ると、「踊れる」「踊れない」と、「分かりやすい」「難しい」の軸で分布図が作れる。

           踊れる
            ↑
         ドラムンベース
            |   トランス ユーロビート
           デトロイトテクノ ハウス 
            |      エレクトロ
    ドリルベース |       
            |ビッグビート
難解←ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー→平易
            |
  エレクトロニカ   |      テクノポップ
      アンビエント|
            |
            |
            |      テクノ歌謡
ポストロック      ↓
           踊れない

あとこのジャンルミュージシャンは他ジャンルからの影響を受けやすかったり、時期によってまるっきり違うタイプの曲を作ったりするので、「○◯はビッグビートで、◯◯はハウスで…」といったものがない。

というわけで、電子音楽のサブジャンルの再定義をするつもりで、ジャンルで聴くのは無意味という結論に達してしまった。ジャンルと言うよりも手法といったほうが正しいのかもしれない。

余談だけど音楽ジャンル以上に、リスナーイメージのほうが日本では大きいような気がする。

ハウス:オシャレ

トランス:チャラい

エレクトロニカオタク

こんな感じ。

追記

id:miruna じゃあお前が書けよ。この一言に尽きる。最初から『もっと詳しい人で「違う、そうじゃない」と思った人は、トラックバックなんかいただけるとありがたい。』って書いてるんだから、たった100字のブコメ評論家ごっこしてんじゃねえよ。ジャンルを問わずこういうクソヲタクがその分野を滅ぼす。

id:temtan ごめん、おれハードコアとか苦手とかなんだ。頼むから網羅したのを書いてくれないか

id:yukibarashi 冨田勲以前とかまで遡るには俺の知識が足りなさすぎる。どちらかと言うと現代音楽史の領域に入ってしまう。

あと「ミニマルテクノじゃない」というブコメを頂いてますが、その一例として戦メリとsummerをあげました。

2011-07-29

Pixiv, カオスラウンジ芸術マーケット日本芸術教育

今私は、鬱状態仕事を休んでいる。フリーランスアーティストとして10年ほど。その半分以上を海外でくらし、今もヨーロッパの片隅にいる。

2ch のまとめサイトで、件のPixiv騒動をしった。

カオスラウンジというグループ、全く知らなかったが、なるほど、人々の怒りがよく分かる経緯だった。

面白いので、コラにはコラに対抗ということで、代表藤城嘘の作品や彼の写真photoshop10分ほどやっつけでコラした絵をPixiv投稿。説明なしのアカウント削除→IPアドレス指定拒否→串刺しIPでの再UP→瞬殺アカウント死亡 などを繰り返して遊んだ

http://www.rupan.net/uploader/download/1311933348.jpg

で、私の意見

これ、日本芸術にたいするマーケットのあり方や、芸大における教育とか、そういうことが根本にある。

まずマーケット

これは日本だけでないけど、マーケットって、ようはお商売の世界。売れればいいの。芸術家も、批評家も、生活あるからお金にしなくちゃいけない。

で、やっぱり、売れたものはみんな金魚のふんみたいについていくの。それは仕方ないこと、どこでも。

そのために役にたつの権威(power)。カオスラウンジ村上隆美術手帖がそのicon。

私は両方とも死ねと思っている。(殺害予告ではありません… 念のため) 正直。

村上隆は売れた。それはいい。オメデト。尊敬。でももともとサブ・カルなのに、権威的にふるまう?どうして?

本流に対してのalternativeなありかたとして出した、その経験意味は?

美術手帖。いつも売れ線をおっかけ。責任おわない。コンテクスト脆弱(消極的な取材が透けて見える)。しょうがないけど。お商売だし。でももうちょっと、光を見せてよ、せっかく日本マーケット権威もっちゃったんだから

僕は90年代青春をすごしたから、今の日本の若い人とちょっと感覚ずれてるかもわからないけど、その時の感覚からすれば、分かる。

日本の人って、権威に弱い。テレビとか、どっかの大学先生とか、批評家とか、マーケットとか、あとは身近な友人や家族なんかの意見にも。

もちろんどこでもそうだけど、日本はちょっと過剰だなーっておもう。

自分が見てるもの、聴いているもの、食べているもの、感じているものを、どうやって、「いい」か「悪いか」判断できるだろう?

日本の人は、まず周りをみる。周りの様子にノル人、ソル人…

僕が暮らしいるところの人たちは、まず自分フィーリングを聴く。で、それから周りの人も見る。それから、どうするかと考える。

yap, subjectは結局おなじなんだけど、順番が違うんだよね。僕がくらしている人たちは、まず自分意見が先にくるんだよ。

例えば、スーパーマーケットにいって、入り口に物ごいがいる。ああ、かわいそうだなって思ったら、こっちの人はお金渡す。

日本の人は、まず、お金わたす自分の姿が周りからみてカッコワルイ、アタマヲカシイ?、ってかんがえて、無視する。

全員がそうでないけど、そういう傾向が、ある。

この順番が、カオスラウンジの人たちの行動にもよく見える。

藤城嘘ブログ6月25日の記事。

http://d.hatena.ne.jp/lie_fujishiro/20110625

端的にいうと、ダサい。カッコワルイ。

同じ芸術家として、引用とかサンプリングについての立場はちょっと分かるよ。ちょっと。

でもさ、想像力って彼らは持っているんだろうか?

例えば満員電車の中で私が突然うんこしたら、みんな嫌がるだろーなーって、なんか創造できる、だから私はうんこしない。

やべぇ、うんこもれそう、もうしぬぅーーーーってなっても、みんな嫌がるだろーなーっておもうから、我慢して、次の駅までまって、でダッシュ。

ま、動機はカッコワルくなりたいってのもあるだろうけど、まぁおんなじように。

で、カオスラウンジの人たちは「ウンコしたい」で、すぐウンコしちゃってる。ブリブリ

ネットオタク文化いけてる、売れそう、俺好きやし、カッコええやん、よっしゃ、これで俺の作品つくったろ。

一方的。想像してない。それで誰が傷付くか。

今回の件をきっかけに、私は初めてふたば掲示板をみた。

みんな同じようなネタをずーっと話してたり、コラしてたり…。純粋だなーって思うのと、あと普通だなーって思う。

世の中の多くの人たちが、文化については保守的日本をみたら、なんで演歌歌謡曲が未だに紅白重要立ち位置を持っているかということ。

これ大事だよ。普通だもん、それが。

そういう人たち(=普通の人たち)の気持ちに思いを巡らすのが、やっぱり普通の人であるところの、普通芸術家でないの?

少なくとも、私は自分自身芸術家としてそういうスタンスを譲らない。

あるいは、もし自覚的にそうした『普通』に対する反抗であるなら、最後までヤリきらないと。

炎上たから?ビジネスパートナーが予定していた商品をキャンセルたから?周りのエラい批評家にお説教されたから?

本当に反抗したいなら、まず梅沢ナントカという友達の作品を正当化して、ウルセェ、テメエラなんもわかっちゃいねぇんだよっていって、もっともっと同じ手法で作品を創らなくちゃ。で、その路線で別のパートナーをみつける、そこまでいかないと。

この謝罪、カッコワルイよ。

たぶん村上隆が翻ったのも、この日和見的なところ(態度)で、ア、コイツラ、シロウト。ってみやぶったんだと思う。

(個人的に村上嫌いだけど、プロとして何となく分かる。)

で、彼らがここまでやってこれたのが、日本芸大etc.における芸術教育の影響だろうなぁと。

私自身の、私立芸大在学のとき経験をモトに。

「売れる」ことを考えすぎ。たぶん、日本におけるfine art伝統の不在が起因なんだろうけど。

自分が、一人の人間が、今思い、考え、感じていること、そしてそれによって目の前にある作品や起きている事象にたいする疑問を素直に「どうして?なぜ?」と問いかけること。こういう当たり前の姿勢がどうして求められないんだろう?

タマタマ自分がやっていることが売れ線だと。で、エラい批評かなり、curatorなりが、ヨイヨイ、といって、金だして、仕事なりコンタクトわたしたりして、ま、同業者として分かるっちゃ分かるけど、それで、自分がやっていることは全肯定できるのだろうか?

若いアーティストから仕方ないんだろうけど…

酔いが回ってきたので、またそのうち続きを書こう。

2010-10-03

運動会代わりにデモをやるカルチャー

うわー

日頃左系のデモについて感じてた疑問点不満点が

参加者によって全部裏付けられたと言う感じがする。


左系の、っていうかカルチャーとして惰性でデモやってるある程度以上年齢のデモマニア連中だね。

その世代は左ばっかだったから結果的に「左系の」ってことになっちゃうけど。

最初反戦だったけど、途中から「石原仕事よこせー」とか内容をすり替えるやつが出てきた。反戦デモなんじゃなかったっけ。

これ絶対マナー違反だよね。

逆に労働関係の人脈で実質反戦デモへの参加を強要したりも。

「これこれの主旨です」って説明して人集めたら

それと違う内容を混ぜたりすり替えたりしてはいけない。

こんなの基本中の基本だろうに、厳密にされてない印象がある。

デモに慣れてるくせに一度もちゃんと考えてこなかったのか、

デモやりすぎて緊張感無くなった結果だらしなさや参加者私物化が横行してるのか、まではわからん

あの手のデモ行進道路使用許可をもらって警察の先導で動くんだけど、列の先頭や端々で警察挑発するやつが出てきた。お前ら、人に世話になっておいて、それはないだろ。

醜悪だよね。

仮に日頃から警察制度に何か不満があるとしても(ちゃんと自分の頭で考えた不満なのか、甚だ怪しいが…)

その場でお世話になっている、そうじゃなくてもただの現場警察官に対して無礼挑発に及ぶ。

筋が通らないし、何より意味全然無い。

デモ目的にとって利益があるわけですらない。

やってる人間の闘争(笑)の実感や幼児的高揚感を満たすだけ。

1km歩いて宮下公園に戻ったところで、スピーカー持った、恐らくは主催者関係のやつが「今日は楽しかったと思いますー」。楽しんでどうする。

それそれ!まさに!

あの人達って、デモで唱えてる主張を、本気でどうにかするつもりが、ないよね!

人にわかってもらい、味方を増やし、自分達を律し、目的を達成するまでクレバー努力する、なんてつもりはさらさらない。

要は自分達だけのレクリエーション

警察への馬鹿馬鹿しい挑発と同じく、自分自分達の興奮や高揚のためにやってる。

自分のつまらない日常を慰める「ハレ」の場としてやってる。


別に日常がつまらないのや何らかの慰めを求める心理を見下したりはしない。

普通に生活してる人のほとんどはそんなもんだ。

が、それに大仰な大義名分をつけて人に迷惑かけながらキャアキャアやるのが醜悪すぎる。

暴走族を更に恥知らずにするとああいう奴等になる。

暴走族は迷惑かけるけど正義進歩派を自称したりはしない)

普通に地元祭りに参加するのでは満たされない、歪み膨張したプライドや選民自意識があるのだろう。


右派で言うと在特会がこれに非常に似てる。

というより上で述べたようなダメデモするダメサヨク在特会が大好きで

在特会デモの日を調べてはよく対決しに行っている。

完全に同レベルの同類だから。匂いでわかるんだろう、同じカルチャーの担い手だってことが。

近頃デモ整理する警察官ぐらいしか相手してくれなくてつい挑発しちゃうさびしんぼうにとって

久々に現れた実感ある闘争(笑)を楽しめる、いいお友達。

シロウトお断り、オトナのサークル活動。


あいつらはいい年した珍走団珍走の癖して自分達の醜悪運動会を高尚なものだと言い張るカスなのだから

潰し合って社会から消えりゃあ少しは空気が綺麗になる。

中核メンバーは中高年だから勝手に消えゆくカルチャーではあると思うが。


上記はあくまで中高年醜悪運動会の類を問題にする物で、

切実な目的のあるデモなら左右とも大いにやったらいいと思ってるので念の為。

http://anond.hatelabo.jp/20101003213017

http://anond.hatelabo.jp/20101003131903

(元記事の人。元増田っていえばいいの?)

あぁ、はてなシロウトがバレバレだ。

改行って、2行あければOKじゃなかったっけ?

なんか空文字いれなきゃいけなかったのかなぁ・・・

あー読みにくい。 orz

2010-04-22

不調のあなた、腹を揉んでみないか

注意:以下に紹介するのは完全に「民間療法(と呼ぶのもおこがましい一般人発信の健康法)」であり、筆者は全くのシロウトです。お試しは自己責任にてお願いします。

はじめに

あなたは自分の腹を揉んだことがあるだろうか。「腹の皮下脂肪」ではなく腹そのものを。

では、自分の腹を軽く押してみよう。いてて!となった方、要注意である。あなたの腹はこわばっている可能性大である。

以下に書くのは、昨年秋から体調不良(軽度のうつ・不眠・パニック発作・諸々の心身症状)に陥った、過緊張傾向あり・自律神経乱れがちな私(32歳女性)が実際に試して非常に効果があった健康法です。お読みいただいた全員に私と同じような効果が現れるとは思いません。しかし、何人かでも、またちょっとでもラクになる方がいるかもしれない。そう思い書いてみることにしました。

概要と目的

仰向けに寝転がり、腹を優しく揉みほぐす。概要はこれだけである。

目的は、凝り固まった身体をほぐすこと…では実はない。

腹がかちかちにこわばっている人は、一定数いると私は睨んでいる。腹がこわばると呼吸が浅くなる。呼吸の浅さは身体にとって百害あって一利なし。で、厄介なのは「腹のこわばりは自覚されにくい」という点なのである。

そこで一度揉みほぐしてみることで以下の3つを目指す。

  • 健康な状態(こわばった腹+浅い呼吸)を自覚する
  • 健康な状態(柔らかい腹+深い呼吸)の気持ちよさを発見する
  • 翻って、不健康な状態がもたらす不快感認識する

これらに気付けばしめたものである。

「腹のこわばりは自覚されにくい」と書いた。今、私の腹は非常に柔らかく呼吸も楽だが、数ヶ月前まで腹ガチガチ呼吸ゲキ浅であり、長い長い年月、私はそのヤバい状態を「ふつう」と信じて疑わなかった。自分の腹が非常にこわばっていてマズいらしいと認識したのは、試しにやってみるべえと受けた鍼治療の際、先生に腹を押されて痛みに脂汗をかき、はっきりと「固いよ。ヤバいよ。」と宣告されて漸くのことである。つまり、それまでガチガチの腹を不快だと感じたことすらなかったという次第。

肩こりや足のむくみなど、毎日抱えるような身体の不快感は「馴れる→処置がおろそかになる→悪化する」という悪循環を辿りやすい。まずは不快感を身にしみて(再)認識すること。それが解消するとどんなに心地良いかを(一時的にでもいいので)体験すること。それが改善の第一歩であり、その一歩は大きな前進である。

揉みの心得

なにより医学を熟知したでもないシロウトが力任せに揉んでよいところなど体中のどこにもないと肝に銘じよ。揉もうとしているのはよりにもよって腹、大事な内臓がぎゅっと詰まった場所であり、頭と違って固い骨でがっつりガードされていたりもしない。優しく優しく揉むこと、パワープッシュ厳禁。

具体的には、まず点ではなく面で押さえる。基本は掌全体で、押さえにくい場所は人差し指・中指・薬指を揃えてそれら3本の指の腹で。指先で押すのはNG。指先を使ってグイグイ押しちゃいそうな人は「指を折り曲げない」ことを意識するとよい。

掌(または3本指)を腹に軽ーく押し当て、円を描くようにマッサージする。掌そのもので腹全体をぐるぐるとさするのではなく、掌は最初に置いた位置から動かさずにその場で小さい円をゆっくりと描くようにしてくにゅくにゅと。ここはもういいな、と思ったら、ポジションを移動。これで腹全体をほぐしていく。マッサージ器具は×。力が入りすぎても気付きにくいため。腹は掌の温かさを、掌はその日その日の腹の感触を感じとるように。

私の場合、初日はどこも痛くて仕方なかったが1週間でへっちゃらになった。痛いところは無理のない範囲でやや入念に。言うまでもないことだが、尋常ならざる痛みを感じる・何日揉み続けても一定の箇所が痛い・なんか不安等の場合は、素直かつ速やかに医療機関へ行こう。

実践

  • 入浴・歯磨き・トイレ等を済ませ、あとはもう寝るだけという状況を整える。
  • 布団に仰向けに寝転がる。
  • 上記「心得」を参考に腹を揉みほぐす。脇腹もお忘れなく。
  • ひととおり揉み終えたらゆったりと腹式呼吸をし、呼吸が深くなった気持ち良さを噛み締める。
  • 気が向いたら胸など腹周辺もほぐす。
  • 揉み足りない気がしたり、まだこわばる場所があったりしたら、随時追加揉みを行う。
  • 腹式呼吸を維持しつつ、お腹が柔らかいって気持ちいいなー、と感じながら就寝。

以上を、「揉むときは優しく」という鉄則を守る以外は基本的にテキトーな気持ちで行う。最初の1週間は毎日やるといいと思うが、1日2日サボったところで別段どうということはないし、ほぐれた状態がだいたい定着したら、こわばりを感じる日だけちょちょっとやればよろしい。特に私のような過緊張タイプの人は、必要以上に気負う→勝手に重荷に感じ始める→全然やらなくなるというルートを辿りがちだと思う(私だけだったらすみません)ので、気が向いたらやるくらいの気楽さで。肝は「心身ともにリラックス状態を味わい尽くす」ことですから、あまり真面目に考えすぎず、すぐに効果が現れなくても決して悲観せず。

効果、私個人の場合

  • 恒常的な腹のこわばりは1週間で飛躍的に解消。2週目以降は週に1~3回もみほぐしを行いつつ柔らかい状態を維持できている。
  • 普段から呼吸が深くなった。
  • 睡眠の質が非常に向上した。
  • 自律神経の不調が大幅に改善
  • 気持ちが無駄に張り詰めている・集中力がきれやすい・つまらないことで緊張する等の症状(?)が改善し、精神面もラクに(これは上記の身体面の症状の緩和が影響したものでしょうね)。
  • 腹のこわばり=不快という認識が身に沁み、こわばりを引き起こす猫背大食いをしなくなった。

TIPS

  • 音楽を聴きながら・TVを観ながらなど、退屈しないでリラックスできるなら「ながら」で全然いいと思います。
  • 仰向けに寝転がりながらついでに揉めるオススメポイント1:胸。いわゆる「胸板」の部分をほぐす。呼吸が深くラクになるのを即効で感じられる。
  • オススメ2:鎖骨周辺。首・肩が楽になる。オフィスワーカーさんはぜひ!
  • オススメ3:二の腕+ワキ。片手をバンザイにして、もう片方の手でほぐす。あまり凝りや疲れを実感しない箇所だが、揉むと意外なほど気持ちいい。
  • オススメ4:そけい部(脚の付け根)。じんわりとした気持ちよさが広がる。足先が冷える時に効果あり。

以上、長くなりましたが、何らかの不調を抱える方にもし少しでもお役に立てば非常に幸いです。

上記は「病気を治す」ようなものでは決してありません。くどいようですが、何らかの不調・不安がある方は、まずはお早めに医療機関でお医者様の診察を受けましょう。

2010-04-02

業界共存共栄の思考がない、外様の事務所は、嫌われて当然

アニメ業界は、勝ち負けの競争は激しいけど、

差別偏見に晒されて、その中で地位向上のために戦ってきたから、

業界全体をどうしていくかと言うのが、一般の芸能界よりも強いからな。

金儲け目的で、シロウトを金の力でねじ込んで食い荒らす

業界共存共栄の思考がない、外様の事務所は、嫌われるだろうね。

元ネタ2ch.net の某アンチスレッドから

2009-11-27

ふたりぼっち(くらい)の宗教戦争

そんなことやこんなことで今話題のウィキペディア。投稿者が減るのはウィキペディアのためにもそんなに悪いことじゃないんじゃないか、とも思ったんだがどうやらそんなに減っているわけでもないのかな。投稿者の減少が何故いいことかっていうと、良くも悪くもノイズが減るんじゃないかと期待するからだ。内容の信頼性とか記事の質は相変わらずだろうけれど、同じ話題に関わる人間の数が減ればおかしな記事はおかしな記事なりに純度を上げて「おかしさ」のS/N比が上がるとすれば、それはいいことだと思うわけ。ザーザー言ってて何を言っているのかよく分からない放送よりはアホな芸人が喋りまくっている番組の方がまだマシなところがあるようにね。テレビを見たがる子供砂嵐を見せるか民放馬鹿騒ぎを見せるかというのは究極の選択っぽい気がするけど、幽霊の見えそうな砂嵐よりは民放を見せて「また馬鹿テレビを見てるのかい」って言った方がまともな子供に育ちそうなものだ。で、それは放送大学を見る幼児に向かって「難しい番組だねえ」と言っているのとあまり変わらない。どっちがいいかは最終的には価値観の問題かな。

だから「おかしさ」って書いたけど、何か特別な要素の純度が上がった状態とでも思ってほしい。で、たぶん、絶対的な投稿者数が減った後に相対的な比率で増えてくるのは、職業的な専門に対するストイックさとか、オタク的な過剰さとかを備えた「熱心な」人達だ。ハタから(つまり「世間樣」から見れば)見ると良くも悪くも常軌を逸して、つまりに真摯に追求している、あるいは配慮を欠いている、つまり常識を変革すべく頑張っている、そういう人達だ。まあ自分の学界の片隅に籍を置かせてもらってるけど、そういう人達のもつ情熱とか執拗さとか真剣さとかは、まさしく人生を賭けた壮絶なものだと感じる。

ちょっと話は逸れるけど、ウィキペディアはなぜ専門家に優しくないのか、という疑問を持っている人は結構いる。専門分野で執筆に参加したけれど、結局「専門家じゃない人たち」に気圧されて撤退してきた本当の専門家を、個人的にも何人か知っている。こうした不幸がどうして起こるかっていうと、おそらく上に書いたような「熱心な人達」と専門家が正面から鉢合わせしてしまった場合、専門家人達は「おっと、インターネットなんかでシロウト相手に喧嘩している場合じゃないや。今月中に論文仕上げないといけないしな」てな具合に本来の戦線に戻っちゃうからなんだな。研究者はそっちの方で人生を賭けているんだから当たり前のことだ。まあ仕方がないね。

で、宗教の話をしよう。結論からいうと、ウィキペディアにおける生命力という意味では宗教的な情熱を持って行動している人々も市井の「熱心な人達」と張り合ってるんじゃないかと思った、ってことだ。人には物事の「宗教性」に比較的敏感な人たちと、そうでもない人たちがいる。ご存知のようにな日本は圧倒的に「無宗教」な社会だけれども、注意深く暮していれば宗教的な空気というのは比較的よく遭遇するものになっているように思う。まあ創価学会とか明らかなものは置いておくとしても、クリスチャンの多い朝鮮半島からの留学生などが増えているといった事情もあるんじゃないかと思う。例えば東京都心カフェ小一時間耳をすませていると、その地元クリスチャンコミュニティが会合の場所にしていることが分かったりする。いきなり聖書を読み始めれば分かりやすいけど(そういうことも結構ある)、そうでなくともメンバーが出会ったときの挨拶言葉だとか、そのグループの顔付きだとかをしばらく見ていると「ああ、なるほど、そういうグループだったのか」って思うわけだ。これはたぶん信者さん自身がもつ「仲間意識」と同じようなものだろう。別に隠しているわけじゃないだろうけど、フリーメーソンの変な握手みたいな、ある種の言語化されない巧まざる符丁が作りあげられている。

それで、定期的にウィキペディアを眺めていると、上に書いたようなのと同じ体験をするんだ。つまり明らかに宗教的な関心で活動している投稿者というのを見付けることができる。僕の個人的な関心のせいもあるかも知れないけれど、クリスチャン、もっといえば福音派の方が以前から熱心な投稿を続けているのに気付くのはそう難しいことじゃない。だってほとんど毎日新しい記事を書いてるからね。その編集履歴を眺めていると、気がつくことは三つ。一つ目は、自分モチベーション、あるいはバックグラウンドを表明した上で編集活動を行っていること。二つ目は用語法に非常に敏感なこと。三つ目は(たぶん自覚しているはずだけど)自分の視点というものを相対化できている人もそうでない人も、よくも悪くも書きたいことしか書かないということ。二つ目と三つ目の点が悪しき融合を遂げてしまうと百科事典のはずなのに「キリスト教事典」みたいなちょっと文脈が他とズレた項目ができてしまう。内容的には正しいだろうから、まあ必ずしも悪いことではない。というか、文句をいう筋合いは全然ないからどうでもいいけど。

書いておきたいのは、そういった方々が福音派なのは偶然じゃないということ。福音派って何かしら、という人もいるかと思うが、ざっくり言えばプロテスタントの中で一番熱心に「聖書が絶対だわよ」って考えている人たちのことを日本語では福音派と呼んでるみたいだ。で、中学校くらいの知識を総動員して説明すると、プロテスタントってのはもともとのカトリックの人たちが「教会ってステキ。おフダをどんどん買えば天国に連れていってくれるんだから」とかちょっとアレな感じになっていると思って、「そんなアホな。聖書を読む方がよっぽど御利益があるに決まってる。金もかからんし」という感じで喧嘩別れした人たちの末裔のことだね。そんなわけだから貧しいながらもマジメにコツコツ働く人たちに圧倒的な人気を博したみたい。で、福音派ってのはその中でも「聖書が大事だね」っていうところで突っ走っている人のことだと思ってればいい。たぶん。「これ全部本当のことが書いてあるんだぜ」「だよね」「最後の審判くるよね」「ヤバいよね」「でも千年王国チョー楽しみ」みたいな。信じられないかも知れないけど、これ全部本当の話、ってやつ。念のため書いとくと福音派って中にも聖書の話と現実歴史の対応には諸説ある。というか複雑すぎよく分からん

福音派アメリカで多くて、ブッシュ共和党の支持母体になってることは有名だね。政治に熱心で極端になると共産主義悪魔の手先、イラク先制攻撃万歳、進化論教えるなら学校やめるし、中絶するなら病院焼いちゃうよ? (実際、焼いてるし、医者を殺してる)みたいな人が多いみたい。中絶反対、てのはカトリックの方が厳しいのかと思いきや、実は福音派の人たちもけっこう過激な人たちが多い。ヨーロッパの国がほとんど中絶を合法化しているのに比べて、アメリカで未だに喧喧諤諤の議論をしているのはそれが原因のひとつかな。福音派政治とか社会問題に積極的に関わりたがるのは全然不思議なことじゃない。つまり福音派であることと積極的なコミットメントには密接な関係がある。というのは、福音派の人たちは自分たちの考えを広めることをかなり大事に考えているからだ。つまり布教福音派だと伝道っていうのかな)がかなり大事。まあ宗教は何でもそうだけど福音派は特にそこが目立っていて、ちょっとゴリゴリした感じになっているんだね。みんな、生まれ変わって新しい自分ボーンアゲインしようぜ ! トゥギャザーだぜ ! みたいな。まあ、回心するのが大事だから回心させてあげよう、ていう感じかなのかな。とりあえず頑張れ、としか言えないけど、個人的には家を焼かれちゃたまらんし、できちゃったら産むしかない、ってのは穴があったら入れるしかない、てのと同じくらい野蛮だぜ、って思う。理性ってのは原理的に自然を抑圧するものなわけで。

最近アメリカ福音派政治的な人たち(キリスト教右派と呼んでる)は民主党オバマ政権取ったし、アフガンベトナムっぽくなりつつあるし、ゲイ結婚もちょこちょこ合法化されてるし、ちょっとヤバいんじゃない? とか考えてるみたいだけど、とりあえずどうでもいいや。うん。ウィキペディアの話だった。政治的・宗教荒し日本の数ケタ上の密度で起こっている英語版なんておぞましくて覗く気もしないけれど、書きたかったのは、日本語ウィキペディアでも熱心な福音派の人たちが(たぶん二人くらいで)頑張ってます、ってこと。ウィキペディア編集者の中で二人くらい、っていうのが意外と日本における福音派の「熱心な人」の比率としていい線をいってるのではないかと思ったが、調べてないので分からない。まあヘドが出るほど嫌いな人もいるだろうけど、オタクだと思えば貴重な存在かも知れない。で、オタク絶滅しないように、そういう彼ら(彼女ら)もきっとしぶとく生き残っていくだろうな、と思ったんだ。ある日突然「ウィキペディア悪魔の手先だから見ちゃダメ」ってことになるかも知れないけどね(英語圏には実際そういう趣旨でできた何とかペディアもあるし)。

2009-10-02

オッカムの剃刀小学生

http://d.hatena.ne.jp/AntiSeptic/20091001/p1

いやまあ、なんというか。消毒氏はhttp://d.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20090930/1254321315に対してオッカムの剃刀よろしく「アンタの解釈は違うよ、だって××は○○と解釈すればそれでいいじゃんwww」と説明して見せている。もちろん、「なぜ○○と解釈したほうがいいか」という理由つきで。

物語解釈なんて、ただ説明をつけるだけならいくらだって言える。(これは物語ではないが、)いろは歌の隠された真の意味はこれこれ、この詩集の隠された意味はこれこれ…とかいうように。しかしある解釈がそういう「だって私こう思うもん!」といった感想文や妄想ではない「まともな解釈」となるには、「なぜそのように解釈しなければならないか」という確かな理由がなければいけない。たとえば、「○○解釈では十分に説明できない△△が、××解釈では整合性を持って説明できる」というようなことがあって、初めてその××解釈は有効になるわけだ。

こんなことはいうまでもないことだし、だからこそ消毒氏もきちんと説明を怠らない。ところが、ここで批判された大野なんちゃらという人はそこのあたりがまるでわかっていないらしい。

ohnosakiko 2009/10/01 21:40

いやー、見事に一歩も進みませんねwww

大文字の他者>は言語活動を支えるものだということを書いているのに、どうしても「規範」という概念で理解したいんですねぇ‥‥

後に出てくる「規範」も、<大文字の他者>が立ち現れる象徴界のごく一部なんですが‥‥

まあでもしょうがないという気がしてきました。

普通何冊か読んでやっとわかりかけるようなことを、ブログ記事の一つ二つじゃとても無理ですわやはり。説明している方もシロウトだし。

ごめんごめんw 忘れて下さい。


だから「『共通基盤』なんて常識とか規範とかそんなものしか考えられない」という消毒解釈に抗する「ここにおいて『なぜ』消毒解釈でなく<大文字の他者>~解釈を採るべきなのか」という理由はどこに存在するのだ(笑)。理由が存在しないのなら、当然、「『規範』という概念で理解」すべきに決まっている。

というより、本来そうした「なぜか」を了解することこそが、「わかる」ということなのである。特殊相対性理論は本を読まないとわからないくらいむずかしいが、結果としてそれなりにでも「わかって」いるのなら、少なくとも「なぜこの理論を正当とせねばならないのか」「なぜニュートン力学よりもこの理論を採らねばならないか」は説明できる。それは「ブログ記事の一つ二つ」でちゃんとできるのであり、「シロウト」でも十分にできるのだ。ではなぜ、そのくらいのこともできないのか?

それは「わかっていないから」だ。本人は「何冊か読んでやっとわかりかける」などと書いているが、実はなにも「わかって」いない。きっと何冊も読んでいるうちにその解釈を覚えてしまい、そのことを理解と混同しているのだろう。

小学生が「光速がなにものよりも速い、速度は30万キロメートル毎秒」というのをただ覚えたって、ちっとも「光速のことを理解した」ことになりはしない。かれは他人に光速を説明する能力など持っていないだろう。もちろん、そんな状態で物理話に首をつっこんでも、「見事に一歩も進」まないことはいうまでもない。

いやはや、どういうつもりで「理解したいんですねぇ‥‥」だの「一部なんですが‥‥」なんてほのめかし、草を生やしているのか。残念、というほかない。

2009-03-30

文体の問題らしいから

http://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20090330/1238349203id:tari-Gが答えないのは単に読み難い文体の問題だということだから、本人に代わって文体を書き換えてみるよ。

これで逃げ場がなくなったね。

知的誠実を他者に要求するtari-Gクンへ

さーて、書かなければならないことはあるけれど、それはそれとしてまず売られた喧嘩を買っておきますか。

前回のエントリにつけられたブクマコメントより。

id:tari-G なにこれ, これはひどい, ご都合主義

にゃー語は脳が受け付けないので斜め読みだが、多分野にわたり山のように文献があるテーマを全く未消化で駄文を書くのはいいんだ。こういうのは「先人の業績」や「被害者」「死者」等への冒涜にならんらしい…ケッ 2009/03/27

http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/tikani_nemuru_M/20090326/1238051100

このtari-Gクンは、永訣の朝、公開オナニーダンス・ダンス・ダンス - 地下生活者の手遊びで遊ばせてもらった、negative_dialektikクン(以下、否定弁証法クン)を擁護していたお方です。

で、このtari-Gクンに、ホロコースト」は使ってはならないか?あるいは日曜歴史家 - 過ぎ去ろうとしない過去コメント欄で2009/03/26 10:31に、idコールまでして答えたくないと思われる論点を挑発的に問うてみたら、そちらには答えがなく、上記のブクマコメがかえってきたということです。

hokusyuのところのコメ欄でのtari-Gの発言などを考慮すると、実にカロリーの高いエサなので、おいしくいただくといたしますか。

では、エサをいただくにあたっては、いつものように逐語的にお料理させていただきます

tari-Gクンは猫かぶり文体を読んでいたはずだけど

「にゃー語は脳が受け付けないので」

ほうほう、僕の猫かぶり文体が読めないと。まあ、それ自体は珍しくないよな。

ただ、はてなブックマーク - tari-G のブックマークを開いて、tikani_nemuru_M で検索してみると、現時点で14件ヒットします。そのうち6〜7件のブクマについては、否定弁証法クンの騒ぎが持ち上がる以前にブクマされたものだね。

特に、舌打ちにのたうつ40♂ - 地下生活者の手遊びにつけていただいたtari-Gのブクマには「うんうんそうそう」というタグがつけられていますにゃ。少なくとも、このブクマをつけた1月17日時点では、「ない語は脳が受け付けない」ということではなかったみたいだね。

ま、そういうこともあるだろ。

急所をつかれると、突然に気にならなかったものが気になるようになることは、よくあることですからね。いままでも、猫かぶり文体を理由にして逃げ回る恥知らずは数えきれないほどいたし、卑劣弱者に逃げ場をつくってあげるために、このような文体を使っているというところもありますしね。

だから、hokusyuのブログエントリコメント欄で、僕からの質問に応えなかったのもそういうものだと思って見逃してあげるつもりでいたのにね。

わざわざ自分でクチバシ突っ込んできやがりましたので、何の遠慮もいらないだろう。

しかも、

「にゃー語は脳が受け付けないので斜め読みだが」

などと言い訳を前面におしだしてやがりますね、みっともねええええ(げらげら

hokusyuのブログコメント欄では、こちらからの質問に逃げておいて、僕のエントリブクマコメで文句だけはつけたいのかー。しかも、「ない語は脳が受け付けないので斜め読みだが」と言い訳全開にしてだと?

こんなヘタレが、「ホロコースト産業」の何が問題か - 過ぎ去ろうとしない過去コメ欄で、「知的誠実」だのといっちゃってるわけですにゃ。

tari-Gくんは文献を示す義務がある

「多分野にわたり山のように文献があるテーマを全く未消化で駄文を書くのはいいんだ。」

なるほど、僕の前回エントリは[なにこれ], [これはひどい], [ご都合主義]とタグ付けされたうえに、「多分野にわたり山のように文献があるテーマを全く未消化で」書かれた駄文というわけだな。うむうむ。

まず、僕自身はシロウトであるし、この問題について包括的に書くつもりもないということは前回エントリでも最初にことわっていますよね。

もちろん、シロウトであるからといって、研究が積み重ねられているものを無視するどころか否定するようなことを書いてよいということにはなりませんね。無知を盾にとって、ホロコースト否定論とか南京事件まぼろし論にくみする言論を垂れ流すのは確かに無恥だな。ホロコースト南京事件については、その規模や細部についてはともかく、そうした事実があった、ということについては学問的にも確定しているわけだしね。

ところで、前回の僕のエントリ駄文と評するのは問題ないし、包括的に文献を読んだつもりもまったくないのだが、「多分野にわたり山のように文献があるテーマを全く未消化」と断言するのであれば、当然のことながらどのような文献のどのような論点を未消化なのか指摘できるよね?

いやね、フツーならばブクマコメのこの程度の指摘に対して、いちいち「ソースだせや」なんて言うつもりはないんだけどさ、tari-Gクンってば、↓のようなことをいっていますよね。

海外の著作に言及する場合、自分が依拠しているのが、原著を参照せずに翻訳書だけなのか、それとも両方参照しているのか。依拠している文章が、翻訳書なのか原著なのか。引用訳文が翻訳書からなのか独自訳なのか。そういった極めて基本的なことを明確にしたら?。

あと、hokusyuさんは、「通説である」とか「多くの研究者に支持されている」を極めて多用するけど、そういう場合は、必ずちゃんとその根拠を明示しなよ。少なくとも、それを裏付ける著作名と研究者名ぐらい列挙しなさいよ。

学問的手法に忠実云々ということをあれだけ強調していながら、実際には、そういう最も基本的な事からして全然できてないのは、ホント困るわ。

学問というのは、自律世界なんだから、まず自分に厳しくしないとダメだよ。

出典の紹介等について、私が「一番」「甘い」というのも全く根拠不明で意味不明だが、誰に言われようが、自分言葉の典拠や論拠を明確にするのは当然でしょ?世界のどの研究者もしている当たり前の学問的手続きを、自分の言説にまず適用するのは当然じゃないの?誰に言われようが関係ないじゃん。情けねー。

一般読者達向けに、惜しみなく情報を提供しようとは思わないの?そもそもそこがよく分からないな。なんで知識を出し惜しみするの?

てか、はっきり言って、議論の質を本気でよくしたいなら、他の選択肢はないよ?

hokusyuが見てて不快なのは、学問的誠実さが本当にないところ。自分が得た情報をできるかぎり共有して判断して貰うという、最も基本的姿勢がない。結局、客観性へのこだわりがないんだよね。「信じればいい」という主観だけ。

ホロコースト産業」の何が問題か - 過ぎ去ろうとしない過去より、tari-Gのコメントの高カロリーなところを抜粋

と、議論相手にここまでソースを出すことを要求するtari-Gクンが、「多分野にわたり山のように文献があるテーマを全く未消化で駄文を書く」と断言している以上、僕の前回のエントリが、多分野に渡り山のようにある文献のなかで、特に必須なものをどう未消化なのか、具体的に言えないはずもないだろう。「てか、はっきり言って、議論の質を本気でよくしたいなら、他の選択肢はないよ?」

僕が誰を冒涜できるのだろう?

「こういうのは「先人の業績」や「被害者」「死者」等への冒涜にならんらしい…」

何をいっているのかぜんぜんわかんないのだが。

ホロコーストがあった、ということは歴史学的にもまともな学者には完全に合意され決着がついていることがらなので、ホロコースト否定論が「先人の業績」にまるで敬意をはらってないということになるのは当然だな。

ところで

人工妊娠中絶について、生命倫理学的に決着がついていたっけ? で、僕がそれに反するようなことを書いていたかにゃ? 僕が「先人の業績」を冒涜しているというのなら、ちゃんと根拠をだして説明してくんないかな。

それに

被害者」「死者」等への冒涜 って何のことかにゃ? 僕のエントリが、どのような理路で、「被害者」「死者」等への冒涜 になるのか説明してくんないか?

tari-Gクン、チミな、他人に対して知的誠実だの学問的誠実だの、根拠をだせだのとさんざんいったのだから、求められたことを説明するのは当然だろ?

以前は猫かぶり文体も読めていたようだし、猫かぶり文体で書かれた文を、頼みもされないのにわざわざDISりにきたんだからさ、説明の責務があるのはアッタリマエだろ?

ここで僕の予想を書いておくと、tari-Gクンはまともに応えることはできないと思う。他者に要求するものが自分に向けられることを想定すらしてないだろう。

そして、他者に要求することを自分はまるでできないということと、否定弁証法クンのような歴史修正主義にくみする者を擁護することと、多分つながるところがあるのだね。

もちろん

自らがhokusyuに要求しているようなことをtari-Gクンができた場合、僕は鼻水を垂らしながら全力で謝罪するつもりです。

再掲

それと、ついでといってはなんだけど、hokusyuのところのコメ欄に書いたものを再掲しておくので、こちらにも応えるように。>知的学問的誠実を他者に求めるtari-Gくん

id:tari-G

歴史問題は、政治問題化してしまうのです。ホロコースト歴史的実態について再検討する必要がある、と口にしただけで、反ユダヤ主義者のレッテルを貼られてしまいます。南京での中国人被害者の数も、中国共産党政府の主張する30万人とか40万人とかいう数字をそのまま受け入れなければ、大日本帝国軍国主義復活を目論む右翼分子レッテルを貼られそうな勢いです。冷静に、歴史的に、事実を確定しようという学問的姿勢や努力は、政治的に圧殺されてしまいます。」否定弁証法3/17

と、上記の主張は端的にデタラメだよね。「冷静に、歴史的に、事実を確定しようという学問的姿勢や努力は、政治的に圧殺」ってのは事実と異なる主張だよね。

で、歴史に関する記述政治的に歪められているという上記断定は、歴史修正主義が大喜びする「どっちもどっち」という判断を直接的に導くよね。tari-Gも、「どっちもどっち」は歴史修正主義の手口だと認識してるだろ?

さて

3/17の否定弁証法クンの主張は明らかに歴史修正主義にとって都合の良いデタラメの垂れ流しであるがゆえに、これを厳しく批判する論調がでてきたわけですね。

しかも、直後の否定弁証法クンの反応は、具体的な反論に対して「史上最大のタブー」「「信者」と議論するのは、ご遠慮しておきます」と、明らかに陰謀論採用して議論を拒絶していたわけですね。ここも批判されて当然だろ。

でな、今回は否定弁証法クンがデタラメを垂れ流したので叩かれた、というだけの話だぜ。しかもそのデタラメ歴史修正主義を利する典型的デタラメだね。

こうした批判に対して

>これはhokushyさんのような圧殺的行動への批判であって、具体的な修正主義的主張とは全く意味が違うのは明白です。tari-G

って意味がわかんないんだが。

いいか? 先にデタラメ垂れ流したのは否定弁証法クンだぞ。それを批判すると、後付けで「圧殺的行動への批判」となるわけ? 時間前後無茶苦茶

しかも、デタラメを批判すると圧殺的行動になるってのも支離滅裂。デタラメを批判したらいかんの?

おまけに、「具体的な修正主義的主張とは全く意味が違うのは明白」って、どこに根拠があんの? チミの脳内で明白なだけだろ?

というわけで、僕はこの1点でチミのお相手をさせていただく。

どうする? 逃げるかい?>無茶苦茶で支離滅裂で根拠のないid:tari-G

http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20090324/p1 より

2009-03-03

シロウトさんとしばらくHしてない。

でも愛よりテクが溢れてる方が充実するんだよな、正味な話。

以前付き合った彼女は69が恥ずかしいとか

たわけたこと抜かしてたし(その頃で20代後半なのに…クンニって普通でしょ?)

ロートーク込みでクロウトさんのコクに慣れると

シロウトさんは物足りないか・・・

2008-12-25

http://anond.hatelabo.jp/20081225115056

裁判官はずっと足りてない状態だし

裁判員制度にしたからって要らなくなるわけじゃない

(法解釈量刑、手続きの進め方その他について助言なり判断なりする)


だいたい導入に積極的だったのは弁護士の団体でしょ

シロウトが混じった方が都合よく誘導し易くなる、とかの方がまだ納得できるな

2008-10-10

今までたった1回しか選挙に行ったことがなかった20代後半だけど、最近になって国内外の政治経済の様子がシロウトなりに分かるようになって、自分なりの危機感を持つようになった。

次の選挙には絶対行こうと思う。日本を少しでも良い方向に持っていくためにも、意思表示をせずにはいられない。

2008-10-06

思っちゃったんだからしゃんがない。


よく考えたら当たり前だけど、芸人って、プロじゃん。ただのクラスの人気者では、決して無いわけじゃん。

一部の芸人は、何も考えること無く、向上心も無く、ダラダラやって来てるのかもしれないけど。こういう奴は、勝手に落ちて行く。

あすこに居た人は、決して少なくは無い何戦かを勝ち上がって来た、実力のあるプロなわけじゃん。

単にテレビ見てる奴が面白いって言っても、玄人たちに取っては全然面白くなかったりするわけじゃん。

全然とは言わなくても、ちょっとした細かい所にも気が付けるのは、断然、芸人たちだと思う。

また、ちょっと年上のおっちゃんたちに評価されるとしても、おっちゃん本当に分かるんかいな。マンザイちゃうよ。コントやよ。

これは自分の偏見なんだけど、コントが面白いか面白くないかが確り分かるのは、少なくともおっちゃんたちでは無いと思う。

松本が初めに言ったあのクダリは、ネタに決まってる。ネタネタと分からないような奴は云々。面白く無いな。

本当にバナンナマンの方が面白かったとしたら、芸歴だったり、吉本吉本じゃないか、なんてものは全く関係無く、彼らが勝った筈。

採点してるのはプロなんだから、先パイだし、なんかで評価するわけが無い。このことを表明する為に、自分の口で言わせたのだ。

うん。だから、あれで良いのだ。あの決定に文句を言うことは出来ない。あの方式は、今後も続けるべきだ。

だけど、結局は、シロウトの俺らに芸人好みがあるように、玄人の彼らにも、芸の好みがあるのだろうけどね。

本当に純粋な笑いの採点というのは、笑いの神サマ以外、無理なんだな。

2008-07-17

家族と夕飯食いながらゲド戦記みてて

少し遅く帰ってきたから親父はもう食べ終わってて、母ちゃんが一人でテレビ見ながら夕飯食べてた。

炊飯器の隣に置いた14インチテレビ、調子悪いときは母ちゃんが「あんたどうしたん?」って励ますように叩くと機嫌直す、そんな旧型。

俺「あ、ゲド戦記きょうやったん、どう?おもしろい?」

母「うーん、なんかねぇ、声がね・・・」

俺「えっ?」

母「声が変なんよ、これ。」

俺「調子わるいん?(テレビのことね)」

母「いや、全部棒読みっていうか・・・」

帰ってきたのは10時ごろだったと思う、よくCMで聞いた「○○を粗末にする奴はだいっきらいだ!」というセリフのシーンがちょうど出てきた。

俺「うーん、なんか合ってないよね」

母「そぅ。どうも、浮いてる感じがするんよ」

母ちゃんは阪神の試合結果が気になってるけどチャンネルはかえない、とりあえず最後まで観ておこうという気持ちのようだ。

母「こないだのもそうやったよね?」

俺「ああ、ナントカの城?キムタクの?」

母「そぅ、あれ。あれもなんか変な感じやったもんね。」

俺「そだね、あの女の子ういういしくない感じやし、キムタクはまんまキムタクやったし」

母「最近そうゆーの多いね。声、聴いてて、あれ?あれ?とか思ってるうちに終わるの」

俺「そういやそうだよね、普通にやってくれればいいのに

かあちゃんは映画というと夜九時のをたまに観たり、平日の昼間にやってる古い映画特攻野郎Aチームみたいなの)を見る程度だ。「声優(せいゆう)」なんて言葉聞いたことないだろうから、言ってみてもたぶん「西友(せいゆー)」と脳内変換するだろうな。そういうシロウトが変だと言っているんだから絶対に声が変だ、これは間違いない。ジブリに対して「王さまは裸!」と言えるのはうちのかあちゃんみたいなシロウト、というより日本テレビジブリ系の巨大宣伝網からも対象外にされた高齢者ではないだろうか?

そう考えてふと気づいたんだけど、若者層の自分はなんとなくジブリ作品は見なきゃという圧力を感じている気がする。「こーころをなにに、」とか街歩いてて聞こえてくるし、コンビニ行けばキャンペーンやってるし、女の子はみんなジブリ大好きだし、mixi見たら10人に一人くらいはジブリ関連のコミュ入ってるし。

そういえばナントカの城もとりあえずデートというときに見に行った。映画館出てまず、「面白かったねー」とニコニコするのはジブリ作品を見た大人のマナー、そう思った。誰も批評なんて聞きたいとは思わない。そのときの相手もそうだったけど、最初の一言で反応を見て相手がヒトカドの意見を持ってそうだったら初めて本音を話してもいい、そういう雰囲気をお互いに感じた。他の人と話題にするときも「見た?」「見たよ」「えー、いいなぁ」みたいな会話しか聞いたことがないし、自分もそういうこと以外の話をしたことがない。

要は「見たかどうか」自体を話題にすれば興行的には大成功なわけだ、たぶんここがミソなんだろう。

だけど、そういうのじゃ何もあとに残らないと思うんだけど。話題づくりを何段も仕込んでおいて、でっかいキャンペーン張って、興行収入がいくらだったとかいうニュースを出して、しばらくしたらDVD販売合戦やって、新作の前にテレビ初放映やって。いつものパターンなんだろうけど、あとで冷静になってみると、「で、あれは結局なんだったんだ?」という疑問が今更になって出てくるんだよね。社会全体に陽圧がかかってるからなかなか気づかなかったんだけど。ジブリに限らず映画宣伝そのものが妙な空気持ってるのかもしれないね。

書いてるうちに話がずれたけど、無名の声優さん普通にやってくれれば、それと大受けを狙わずにそこそこパンクにやってくれたらと思った。最後に、俺と母ちゃんとで「なんちゃらの神隠し」はよかったよね、という意見で一致したことを伝えておこう。

いや、宣伝側だって、「できちゃったもんはしかたねーだろ」とか開き直られて冷や汗かきながら知恵絞ってるのかもしれない、なんてこと考え始めると本当に考えがまとまらなくなってくる。少し考えを保留するためにここに書き残してみた。

2008-03-20

http://anond.hatelabo.jp/20080320014414

俺もシロウトなんだけどね。

別に、「観測したことが観測対象に影響を与える」なんてことは全然珍しいことでもないんだよね。

というか「観測は必ず観測対象に影響を与える」というのが量子力学なんじゃなかったっけ?

古典力学は観測者を系に含めないけれど、実際には系外から観測することは出来ない。

そこで、系に観測者も含める事で、初めて量子力学のような微小領域の記述が出来るようになった、ってことじゃないのかな?

でもって、シュレーディンガーの猫なんだけれど、結局あれは一番わかりやすく真っ当な見方、解釈の仕方はどれか、って話だよね。

鉛筆に重さを感じるのは、地球鉛筆に引き合う力が働くから、と考えるのか、地球に向かって落ち込む空間に抗い加速させてるから、と考えるのか、そんな話じゃないのか?

2007-02-26

anond:20070226013814

初アノニ増田

国債はいつ返済できるかではなく、いつ破綻するか、

という風に考えられているらしいんだが、

安全性という点で問題にはならないんだろうか。

シロウト考えですまんな。

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