はてなキーワード: エルメスとは
彼は私の初恋の人で、初めての恋人で、私に初めての失恋を経験させた人。私が16歳のときに彼の大学の学祭で知り合い、2ヵ月後にお付き合いを始め、私が社会人になって1年少し経つまでの7年を一緒に過ごしました。1年だけでもいいから同じ学校に通いたくて猛勉強したのに、理工学部と文学部ではキャンパスが違ったのにがっかりしたなぁ。
大学卒業後、彼は就職ではなく、遠くの学校に進学することになりました。地元に帰ってくるのは本当にたまにのことになりました。遠かったけれど、アルバイト代をためて、私も何度か会いに出かけました。
私は出版社に就職が決まり、彼は子供の頃からの夢だった職業につきました。なれない社会人生活に奮闘しながらも、夏休みには「落ち着いたら結婚します」と、お互いの親に報告をしました。
駆け出しの編集なんて奴隷だから、ボロボロになるほど忙しかったけれど、一緒に過ごす時間をなんとか捻出していました。仕事が終わってから彼の家に行き、ただ一緒に眠るだけなんてこともありました。
お互いの新しい仕事を興奮しながら報告しあったり、忙しいけれど楽しかった。
それまで、理工系で男子ばかりに囲まれていた彼にとっては、綺麗な女性の多い職場は楽しかったのでしょう。今日は職場に芸能人が来てた!なんて喜んだりしてました。
ある日、彼に「同僚に紹介したいから」と飲み会に呼ばれました。一歩入っただけで、綺麗なお姉さんと可愛い子ばかりでクラクラしました。薄化粧にGAPのジーンズ、ノーブランドのバッグの私が、とてもみすぼらしく感じられました。時計なんてGショックだし。女の子たち、みんなカルティエとかエルメスの時計してるのに。「これがA君の彼女~?可愛い~!若い~」と言う彼女たちの言葉が痛かったです。
その中でも、彼と同い年で向かいに座っていた女性、なんだか嫌な感じがしました。恋愛経験がなくても、女の勘って働くものなんですね。
両親に結婚の話をした半年後の冬、彼とお付き合いを始めて7年の記念日の二ヵ月後、彼は私の前で泣いていました。
「酔っ払った勢いで浮気して、その相手との間に子供ができてしまった」とのことでした。
相手は「やだな」と私が思った、同僚の女性でした。彼女、きっとずっとずっと、彼のことを狙っていたんでしょう。酔っ払った勢いで色仕掛けして既成事実を作って…。高校生のころから、彼以外知らなくて、合コンにすら行かなかった私では、太刀打ちできない手だれです。
彼が何を言っても、何が起こったのか、何を言われているのか、全然頭に入ってこなくて、真っ白でした。涙を流していたみたいですが、その記憶もありません。
翌日、初めて会社を休みました。現実を受け止められなくて、ただ部屋で呆然としてました。
いろんなことが頭をめぐっていた気もするし、そうじゃなかった気もします。電話もメールも取らないで、ただ、部屋でじっとしていました。
とりあえず実家に帰って、2週間ほど実家から会社に通ったこと。お母さんの切り干し大根や厚揚げの煮物を食べてポロポロ泣いたこと、彼が実家に謝りに来たのをお母さんが「そっとしておいてください」と帰したこと、彼の親からの電話を切ったあとにお父さんが黙って寝室に行ってしまったこと。友達からの「大丈夫?元気出してね」という電話やメールに、「だいじょうぶ」とかろうじて返事をしていたこと。細切れの記憶がぽつぽつと浮かぶばかりです。とにかく、人生最初の失恋は、思った以上に辛かったです。仕事に行くことで、なんとか日常生活にとどまっていられた気がします。仕事をしている間は、プライベートの辛さを忘れていられました。
彼は、責任を取って、その同僚の女性と結婚したと、共通の友達から聞きました。モデルみたいに綺麗な花嫁さんだったそうです。
彼とはそれっきりでした。共通のお友達とも、私のほうから離れていくことにしました。気を使わせてしまうのが心苦しくて。
以来、綺麗で可愛らしいけれどしたたかなハートを持った女性が苦手になり、そういう女性にころっとだまされてしまう男の人が大嫌いになりました。
出版不況が厳しい中で部数が減るばかりの編集部をやめ、アメリカのITバブルの波に乗りました。シリコンバレー発のスタートアップに「雑用でもなんでもいいから」と紛れこませてもらい、毎日が文化祭の前日のような熱気の中で働き続けました。右肩上がりの成長に興奮し、歴史的瞬間に立ち会ってることに感動しました。
プライベートでは、ずっと一人でいるのを心配され、出会いの場に連れ出されることも何度かありました。でも、合コンでは苦手なタイプの女子たちに気圧され、男の人に誘われても一線を越えることはできずにいました。それは、「また裏切られるんじゃないか」という恐怖だったり、私が”浮気相手”で他の女性を傷つけることになったら…という恐怖だったり、いろいろでした。
忙しい日々の隙間にぽっかりと時間が空くと、ものすごく孤独な気持ちになりました。年に数回、帰宅後に、彼は奥さんと子供と幸せな家族をしているんだろうな…と、レンジで温めたご飯をつつきながら泣いたりしてました。
仕事とプライベートのバランスも取れるようになってきた30歳からは、結婚や恋愛の話題を振られることもぐっと減ってきて、心穏やかに過ごせるようになりました。思い出せば胸を締め付けられるけれど、部屋で泣くこともなくなりました。
それからしばらくして、彼からの最初のメッセージがFacebookに届きました。ご飯食べに行こう、とお誘いに少し迷ったものの、「ぜひ」と返信しました。
銀座の焼き鳥屋さんで久しぶりに会った彼は、記憶の中の彼よりも随分くたびれていました。私がオバサンなんだから、彼はオジサンなので、当たり前といえば当たり前です。
楽しかった頃の話をしていたら、16の頃に戻ったみたいな気持ちになりました。手にしていたのは焼酎だけど。
お酒も進んだころ、「本当にごめんな。俺、バカでさ」と彼がぽつりと言いました。
「本当だよ。あの後、ほんっっっとうに大変だったんだからねっ!おかげでキャリアはついたから一人で生きていけるようになったけど、気づいたら三十路だよ~」と笑う私に、彼がした話は、思った以上に重かったです。
2年前から別居中であること、奥さんが妊娠したのは自分の子供ではなかったこと、成長してきても全然自分に似てこないこと、不況でリストラされること…。FBで何かあったようだとは感じていましたが、実際に聞くと重みを感じました。
「バチがあたったのかなぁ」とぼやく声が、彼のくたびれ具合を加速してました。
「そうかもしれないけど、起きてしまったことは仕方ないよ。今できる中で、ベストなことをするしかないよ。頑張れば、思い描いていたのとは違うかもしれないけれど、それなりに幸せはみつかるって」
「そうかなぁ」
「棚ぼた待ってるより、絶対いいよ」
「そっかぁ、そうだなぁ。大丈夫かなぁ」
「だいじょぶだから!」
こんな会話、彼の就職活動のときにも、社会人1年目のときにも、交わした気がします。ふと思い出して、切なくなりました。
あのとき、あのまま順調に付き合って、結婚していたら、私たちは幸せな家族になれていたのかな。
帰りの電車の中で、「S子(私のこと)と話したら元気になったよ。ありがとう」と言って帰っていった彼のことを思いました。
やっとやっと、長い間背負っていた荷物を降ろせた気持ちになりました。彼への気持ちをやっと手放せた。
あの失恋から10年が経ち、「最後にもう一度だけ」の気持ちで、結婚相手を探しはじめました。ほどなく、優しい年下の男性に出会うことができました。
アラサーというより、ミドサーといったほうがいい年齢の私にはもったいないくらい、優しくて素敵な人。順調に話が進み、今年、入籍しました。
結婚が決まったことは、彼にも報告しました。「私が人のものになっちゃうの、さみしい?」と聞いたら、「S子は幸せにならなきゃいけない人だから」と返事がきました。
私は今、夫と一緒に暮らしていて、毎日幸せな気持ちでいます。彼からのメッセージは、奥さんとの調停がやっと片がついた、でした。再び自由になったら、また、幸せを見つけて欲しいな。
追記:
今朝、はてぶを開いたら、自分の投稿が人気のブックマークに載っていたのにびっくりしました。初めての投稿が、大勢の方に面白く読んでいただけて幸せです。ブックマークしてくださった皆様、はてぶやTwitterでコメントくださった皆様、ありがとうございます。感謝です!
で?だからなに?資本主義ってものさしの1つでしょ。歴史の長さ、文化貢献、社会貢献、ものさしは沢山ある。
お金が大事って人たちの中で、やってれば? べつに、資本主義の観点で、すごいなってのは否定しないよ。
だけど、万民に認められたければ 複数の価値観のベクトルを持ったら?
というかまさに、アパレルというか、ファッションブランド 上位をガンガン 買収している資本主義の化身で勝つ歴史も長い
ルイビトンモエヘネシー グループに 資本主義の観点で文句つけるというのは 面白いけどな。
やつら、エルメスすらも買収を企てた資本主義の鬼でかつ、有名ブランドで かつ、歴史あるブランドを買い漁ってて
どこに、欠点があるんだよ。
消費税に関してなんですが、
確かにそういう段階税にする考えもあると思います。
ただ段階税にする場合考えなければいけない点が2点。
まず一つに、どこまでを「必需品」としてどこまでを「ぜいたく品」とするか、という問題。
例えば米とかだとわかりやすいけど、じゃあ100グラム1000円の肉とかは?10000円だと?
となるわけです。また、例えばおかし付きおもちゃとかの扱いも難しい。
欧州の某国では、マクドナルドのテイクアウトは課税でイートインだと非課税とかいう
アホらしい事態も起こってるらしいです。
その辺の線引きがかなり難しく、コンセンサスをとれるのか、というのが1点。
もう一点が、税徴収コストの問題。
消費税は、税収に対して税徴収コストが少なく、その意味で「効率的」だったのが
色々めんどくさくすると税徴収コストが膨大になって、増税の意味が薄れますよ、と。
まぁそれでも15とか20%にするなら必要だと思いますけどね。
http://2chcopipe.com/archives/51302970.html
おしゃれクエスト -オタクファッション脱却指南書-というまとめが微妙に面白かったので、自分の場合どうやったか公開しておく。スペックとしては現在36歳独身男だ。
学生向けの激安ショップで友達とショッピングをしていた。イメージとしてはライトオンみたいなところだ。
3着くらいの服を持って、財布を見せて、これ全部欲しいけど金ないんっすよ!と言えばショップのおじちゃんやおばちゃんが1着くらいはおまけでサービスしてくれるような店が主な狩場だった。
この頃はオタクっぽい友人ばかりだったので、その中ではセンスがある、とかカッコイイと言われていた。ある意味黄金時代。
当然金がないのでオカンの買って来た服も大事な服だった。
ダイエー、洋服の青山、ジャスコの3つが全ての狩場だった。他は眼中になかった。
学生向けのショップではなく、ちゃんとしたスーパーで買うことがオトナだと思っていたような気がする。
ショップオリジナルっぽい意味不明なブランドの服をベースに、ハッシュパピーやラコステなどの高級服をときどきビビリながら買っていた。
当然一着5000円もするような豪華な服など買えるわけもなく、3000円くらいの服とオカンの買って来た服を長年織り交ぜながら四苦八苦する。
てんやなどのカウンターに座っても店員からはアウトオブ眼中で注文しても無視されるという空気のような存在として扱われ、ファッション経験値を貯めてレベルアップしなければならないと思い知る。
まず敵を知ることから始めようと、メンズノンノを買うようになる。
ファッション誌ではないが、BRIOも定期購読するようになった。
はじめはいわゆるモード系やヒップホップ系を見ると虫唾が走るような気持ち悪さがあったが、経験値欲しさからこれが正常なんだと念じながら頑張ってガン見して慣れるよう努力した。
半年ほどである程度ガマンできるようになったので、まずアニエスでシャツとパンツとベルトとマフラーを買った。
その後J-CREWでもパンツを買ったので、とりあえず人並みになれたような気がした。
丸井に入ったところまではいいが、組み合わせが分からないので、適当に目のあった女性店員に全身コーディネートしてもらった。
偶然にもそのブランドの関東エリアマネージャーという顔のきく人だったので、他の店舗に堂々と入っていって、これがいいとか似合わないとか着せ替え人形のように着せられながら、靴の合わせ方など色々とアドバイスをもらった。
その後は下着はVISARUNO、アウターはタケオキクチ、イーストボーイをベースにロートレアモン、ポールスミスなどを組み合わせていった。
調子に乗って全身丸井で固めてビームス、エディフィス、シップス、ユナイテッドアローズにも突入を試みたが、ことごとく店員にガン無視されてまだまだレベル不足だなと思い知った。
話がそれるが、ずっとジーンズはボブソンのふわふわソフトタイプだったが、この頃にはじめてエドウィンのスタンダードを買った。
渋谷西武や新宿伊勢丹にも出入りするようになり、ブランドの幅が広がっていき、スーツもマージマサトモやアレグリなど10万円コースで固めていた。
既にファッション誌はメンズノンノを卒業し、MRミスターハイファッションを見るようになった。
この頃買ったジャンポールゴルチエやヨウジのコートは今でも時々使っているが、美容室などで褒められることがありちょっと嬉しい。
美容室も当時考えられる最高峰のテレビなどで有名な南青山の美容室にしていた。むしろ青山周辺ならどこでもよかった。後悔はしていない。
そして難攻不落と聞いていたコムデギャルソンも難なくクリアし、このデザインいいっすねぇ!などと店員と談笑していたが、実際は何がいいのかさっぱりわかっていなかった。
そのためコムデギャルソンは買うだけ買って一度も着たことがない。
ここで突然事件が発生する。
調子に乗っていて罰が下ったのか、人口7万人程度のド田舎に転勤させられたため、服の購入頻度が一気に低下する。
出張先の駅ビルなどでワイズやイッセイミヤケ、グッチやエルメスを買う日々が続いたが、この時期は服オタから脱却するとても重要な期間であった。
クワを持ったおっさんが商店街を歩いていても、全身ヨレヨレのジャージやスウェットで歩き回る人々を見ても、特別違和感を感じないようになったのである。
さらに全く関係ないが生まれて初めてナンパをしたのもこの時期である。
特に作戦があったわけでもなく、我慢できなくなって突発的に声をかけてしまっただけなので当然瞬殺されたが、人並みの人生を謳歌していることに気付き興奮して夜眠れなかった。
美容室のおねーさんにアニエスやワイズが好きなら無印良品はどうかと教えられ、近くの無印に通うようになる。
下着やシャツは今でもメインに使っている。TPOを問わない無難な品揃えがうれしい。
狩場が少ない影響で欲しいと思う服がなくなり、イオンやライトオンでMFEやPLUS ONEを買うようになる。
売り場面積の都合で品揃えがいいので、極度のデザインセンスや品質を問わなければ思い描いたイメージに近い服を探せることが多い。
この時期には完全に頭の中がモード系からカジュアル系に移行していたため、ちょっとダサいかな程度にしか感じない。
イオンで捨て値で売り出されていた青島コートを買ったのもこの時期だ。
話題の国民服がたくさんあって驚いたが、フリースとヒートテック以外はあまりいいものが見つからない。
とくにグラデーションのネルシャツみたいな服の肌触りとセンスはひどいと思った。
まだまだ私にはレベルが高すぎて勝てる気がしない。
とりあえず初日なのでTシャツを買って次回につなぐこととした。
デパート百貨店は、グループが違っても入っている商品がどれだけ同じか、調べてみると面白いかもよ。
俺はコーヒー器具に興味があるんだが、ハリオ社とカリタ社以外、デパート百貨店では見たことがない。
メリタ社とか、フジローヤル社が置かれているデパート百貨店があったら貴重。
ブランドショップは?シャネルとかエルメスとかの定番店、入ってないか?
デパ地下でも和菓子は鶴屋八幡とか鶴屋吉信が入ってね?羊羹の虎屋とか。
本屋は微妙。紀ノ国屋や丸善とかの違いがあって、さらに店員の交渉の腕次第で違ってくるからな。
紀ノ国屋新宿南店の音楽書コーナーには「レッスンの友社」の本が常備されていて、初めて見たときはびびった。
日本各地の大都市デパートに入っているテナント、6、7割は同じじゃないか?
つまりデパート一つに飽きてしまうと、日本各地のデパートに飽きてしまうこととが
基本的に同じになってしまうわけだ。
http://anond.hatelabo.jp/20091005175017
雨ですね、元増田です。
逸らすも何も、リスクは常に考えてしまいますよー
確かに恋愛に興味が無い訳じゃないですが、でも漫画のNANAみたいなのは崇拝できない。
きちんと堅実に生きたい…
将来の夢もお嫁さんとかじゃなく、とにかく自分で生きていける様にきちんと就職したい。
で、とにかくその兄の隣でウフフアハハってのが無理なんです。
その男性は俗に言うイケメン等ではなかったですが、素直に「格好いいなあ」と思えました。
吊り橋効果とかではなくて。
兄にはそういう感情が皆無。無理。
ワカメちゃんにカツオと付き合えますか?って聞いてる様なもんです。
あとは多分、身近だった分相手の悪い所も色々目につくから…というのもあるのやも。
無理。
王府井の豪華ブランド店に大量のまとめ買いが殺到
一泊五百ドルのホテルはざら、レストランは目が飛び出るほど高く、着飾った男女でにぎわい、この風景はとても独裁共産主義国家の首都とは思えない。
全人代の期間中、とくに最終日前夜の12日夜、大変化が起きた。
この地区に集中しているルイビュトン、グッチ、ディオール、イブサンローラン、フェルガモ、アルマーニ、エルメスの旗艦店目指して、どっと買い物客が訪れたのだ。
人民大会堂には五千人の「人民代表」が集い、経済発展目標8%などを謳った。
期間中、ブランド旗艦店には「代理人」やら「業者」、「高官秘書」が足繁く出入りし、品定めやら商品の予約やら。
時計も中国人はオメガより、ローレックスに圧倒的人気がある。一個3万ドル。
賄賂の受け取り方も贈り方も、中国ではスタイルが洗練されてきたという。
高級ブランド品を贈呈し、その豪華品を回しあったり、換金したり、直接現金を受け取ると賄賂、買収、汚職になるので、手口が巧妙になる。
最高幹部のご婦人は最新のファッション、グッチ、エルメスのハンドバック、スカーフ、カルティエの宝飾品や靴をお召しになる。靴二百足まとめ買い、イメルダ夫人を批判したことを忘れて?
高官自身はダンヒルの黒い鞄が流行。理由は暗くてロゴが見えない(高級品と分からないところがミソらしい)。
最高幹部が逮捕されることはまず稀だが(過去十五年間に現職政治局員で逮捕起訴収監は政敵失脚のために二回だけ。北京書記の陳希同は江沢民の敵だった。上海書記だった陳良宇の失脚は胡錦涛の敵だった)、地方政府の副省長とか副市長クラスは、ときどき見せしめで逮捕され、十三年とか、結構長い刑をくらう。先週も重慶特別市の高官が逮捕、自宅から高級スーツ百着、靴貳約束、豪華自動車が押収されたそうな(IHI,3月14日)。
↓これに関して元おたくのおっさんより。
自分語り133 - DENPA!!! 「超ライトオタク」 言説
http://www.technorch.com/2008/12/133---denpa.html
言いたい事はすべて
昨今のヤンキーとオタクが急接近であるとか、オタク系文化とクラブ系文化の融合だとかいう話は歴史の蓄積なき忘却のなせる錯覚なのである。
●●さん、大恥かいちゃったね。でも無知は罪じゃないよ。学習しないことと、知っていることを人に教えないことが罪なんだ。
と書かれているけど、ちょっとかいつまんで自分語り。
(名前消したのは、「歴史を知らない」ということの意味を一般化したかったから)
なもんで、人からは「ネクラ」と言われていた時期があった。
んで、ある時期からは「マニア」と言われ、例の事件後は「おたく」と言われることが多くなった。
ところが、例のエルメスな本の後は不思議と「普通の人」になってしまった。「おたく/オタク」とは誰も呼んでくれなくなったのだ。
(まぁ、自分がいわゆる「萌え」というものにまったく興味がなかったので、呼ばれるチャンスがなくなってしまったという理由もあるんだけど。)
振り返ってみると、こんなニュアンスで言われてたように思う。
・外で遊ばないで家でなんかやってる人→ネクラ
・コンパとかマスが認めるカルチャーに興味がなくて、漫画とか変な本とか読んでる人→おたく
使われ方
・「あー、君の事もっとネクラな人かと思っていたよ」
・「すごく詳しいね。○○マニアだね」
・「それっておたくが読むものだよね?」
呼ばれたことないけど、使ってるのを聞く感じだと
・「あの人オタクっぽい」
まぁ、以上の「オタ気質の呼ばれかたの歴史」を面白おかしく分析するのも可能なんだろうけど、
今日いいたいこととは別なので、「オタク」という言葉は変遷をたどった「魔法の言葉」なんだよという前提で
↓これに関して
自分語り133 - DENPA!!! 「超ライトオタク」 言説
http://www.technorch.com/2008/12/133---denpa.html
みんなわかっているはずなんです、語り足りない、語られ足りないのです。私はもっともっとこのジャンルに対する言説が読みたいです。
「足りない」と知っている人はどうかバシバシ書いて、そして出来れば人の目が付くところに載せて下さい。少なくとも私は強烈に読みたいです。
まぁ、ご本人がこう書かれているのであえて毒を。
簡単に言ってしまえば、DENPA!!!を面白いと感じるのは「若さ」という
「不可避の理由」によりバカだから、しょうもないものをありがたがっているだけだと思う。
(「若さ」ってのは、「歴史」を「知れない」からこそ発生する性質。つまりバカであることを避けられない)
(「若さ」は、「生まれてからの日数が少ない」という意味ではない。「青い」と呼んでいた時代もあった)
というわけで
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TECHNORCHさんの大好きな
DENPA!!!というクラブイベント
は、<青年>が<鬼ごっこ>して「たのしー!!!超気持ちいい??!!」とか言ってるだけなんだよね。
そりゃ体動かすと楽しいし気持ちいいし、みんないると寂しくないよ。
でも、それをありがたがったり、高尚なものだと勘違いするのは止めといた方がいいよ。
DENPA!!!なんてクラブで踊ってわーわーきゃーきゃー言ってるだけのイベントなんだよ。
コスプレだとかオシャレとかガチとかぬるとかどうでも良くて、昔からあるただの"event"なんよ。
そう思っていたほうが、人生に失敗しないと思う。これは自分の体験から言えることなんだけど(タメイキ
んで、↓これ。
「はてな」周辺でよくある『動物化するポストモダン』の誤読なんだけど、
あの本って単に「ジャンクな物でも『おいしい』と感じる人が大半になったよ』って書いてあるだけだよ?
例えていうと、「王将は関西人のソウルフード」とか「二郎はもはや二郎という食べ物」とか
「マックまじでうまい」とか真顔で言っちゃう人が増えたねぇ、って書いてあるだけ。
いっけんかっこよく聞こえるし、「データベース」とか確かに新しい概念もあるから良書なんだけど、
「消費する側」が自己肯定に使っちゃうとアウアウだよ。
まぁ、言論な人に触ってもらえて嬉しい気持ちはわかるけど、ほどほどにねって。
以下は東氏に対して。
東氏は「保守論壇がネットを気にするから下らないと思って離れた」とかどっかで言ってたような気がするけど、
大人なんだから、発注されても「くだらない」ものはちゃんと「くだらない」と言わないと。
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その感想は「楽しすぎる!もう普通のクラブイベントなんて行けない!」なんだこの現象は、
私は回を増せば増すほどDENPA!!!という現象が面白くなってきました。
まぁ、クラブを楽しいと思えるような若い年齢の人が勘違いしちゃうのもしょうがないちゃしょうがないか。
「新しい何か」が生まれる時期には確かに「何か」がある/あったからね。
んでも、その「何か」つまり「萌芽」は、「余波」になっちゃうと、それは単に「消費の対象」でしかなくなる。
「数」が増えると「質」が変わるんだよ。「普通」になっちゃうの。
たとえば、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%83%9E%E3%83%B3
で裸になることは確かに意味はあるよ。
でも、「みんな」が実際にフェスティバル外(社会生活)ででも裸になっちゃったら、
それは単に「服を着るより裸の方が気持ちがいいから」でしょ?
んで、DENPA!!!の話に戻るけど、TECHNORCHさんらがやってることは「もはや」単に「クラブ」というありふれた場所で
「オタクっぽい」とすでに了解された格好で、「ビート」に乗せて乱痴気騒ぎしてるだけだよ。
まぁ、無理にでも意味を見出そうとすれば、いろんな解釈は可能なんだろうけどね。
(「言葉遊び」に関して、大塚英志氏とかは「シャレがマジになった」って後悔してたけどね)
(「ロフトプラスワンで鳥肌とか雨宮とかをヲチするのが楽しい」と友人に語ったところ、「変な人」と言われた。もう僕は「おたく」ではない)
たとえば馬の文化から車の文化に社会が変化したとき、馬具職人ってかなり失業したのよ。
エルメスはフランスの会社だけど、馬具職人から革職人になって、新路線を確立してからコングリマロット路線を突き進んでいく。
ここで問題になるのは、日本でブランド品を目の敵にしている連中って
「ブランド品ってのは、ヨーロッパでは持つべき人が持っていて云々」と言っているんだけど、
当のヨーロッパ各ブランド会社じゃそんな特定の「持つべき人」なんて意識はとっくの昔に捨てていて、
「富裕」な「大衆」に販売して利益を得る路線にシフトしているのな。
大衆の中にも(権力階級には及ばないとしても)金持ちとあまりお金を持っていない層とかに、別れているんだよな。
岡田斗司夫あたりが何度も言ってるんだけど、階級社会から階層社会に移っているのは先進国では当たり前のことなんだけど、日本じゃ他に言う人がいないんだよなぁ。岡田がサブカルの人間だからかしら。
一度調べたことがあるけど、フランスってナポレオン三世のころから衣服に関しての法律が無茶苦茶凄かったらしいじゃん。
付加価値をつけるために法律と職人が一体になって、文化的保護政策をとっていて、いわゆる「芸術家」とは違う道を歩んでいたらしい。
日本じゃファッションデザイナーが強権に保護されたり命令されたりしたら、いわゆる「芸術家気質」で反発して、まとまらないんじゃないかなぁ。
あ、あと一般的日本人のブランド観っくらい陳腐でださいものはないよ。
「欧米ではブランド品は持つべき人が持っているわけで」なんて言ってるけど、
エルメスだってヴィトンだって、階級社会の行き詰まりを懸念して庶民階級の富裕層狙いのラインナップを作り始めて
もう何十年になっているやら。
http://contents.oricon.co.jp/news/ranking/38398/
これを見ろ。エロゲ中毒で一度に3行以上のテキスト見ると吐き気する奴は休みながら見ろ。
な。見たよな。理解したな。ジャンプすんな。金はいい。
オタに媚びてるって吠えくさるんで、一時期あたしも相当参って
社長に泣きついたら「電車男いいじゃん愛ちゃんエルメスじゃん」とか笑ってんの高卒が。
恨み晴らさでってんで某日収録のトークで「オタ大ッ嫌いなんです、ウザいし臭いし」
って言おうとしたら事務所がスナイパー潜ませてて「おt」まで言った
あたしの口ン中に暴徒鎮圧用のゴム弾が飛び込んできた。
心の傷は癒えないあたしに飛び込んできたニュースがこれよ。
笑った。泣きながら笑った。最後は蹲ってただ泣いた。今なら言える。オタいらねえ。
オタは死ね。大塚愛にオタ不要。
10代から40代までのマラビンビンな世代一般の声として、
今後また大塚愛はオタに媚びてるなんて吐かす豚は躊躇なく殺す。
二度と大塚愛がオタに媚びてるとは言わせない。
糞にたかる蛆は地を這え。あたしは衆生の憧れを受けて大空を翔ける真白き鳥だ。