http://b.hatena.ne.jp/entry/asada0.tumblr.com/post/11323024757
ゴッホの絵で色覚異常の話が盛り上がっているので、せっかくだから語っておきたい。
色覚異常は、色覚が異常な状態だ。
人間の目には、3つの色覚がある。赤メイン(L錐体)、緑メイン(M錐体)、青メイン(S錐体)だ。
赤メインの色覚が欠けているからといって、赤が見えなくなるわけじゃない。
うっすらとだけど緑側でも見えてるのでフォローできるからだ。
大体日本人男性の4.5%と言われている。22人男がいたら1人は2色覚だ。
ただ、日常生活では滅多なことでは問題にならない。
色の区別がつきにくいとは言っても大体なんとかなる。
結局生まれた時からずっとそうなんだし、世界はそう見えている。
別に困ることはない。
LANケーブルを自作しようとして色の区別がつかなくて困るぐらいだ。
色に詳しい人なら、独特な色相を持っている人、と言い換えても良いかも知れない。
他人にとって自分の「青」と「赤」が入れ替わって見えていたとしても、
例えば海が真っ赤に見える人が居たとしても、区別はできない。
本人には海は赤く見えている。
でも他の人はそれを「青い」と表現するし、本人もその色を「青い」と表現する。
実際にどんな色で見えているかは、他人の頭の中を覗けないからホントのところはわからない。
だから、赤と青が入れ替わっている異常な人がいても、それを識別できない。
そのかわり2色覚の人には問題がある。
さっきさらっとLANケーブルを作る時に問題になるといったが、表現には問題がある。
赤と茶色に区別がつかない人は、赤を表現しようとして茶色を使ったり、茶色を表現しようとして赤を使ったりする。
それも、色が濃く見えるからとか、色が鮮やかに見えるからとか、そういう理由で。
場合によってはクレヨンが余っていたからという理由で使ったりもする。
判り難いだろうか。
こう想像して欲しい。
色の半分は白で、色の半分は黒だ。
だから、絵を書こうとクレヨンを開けると、半分は白で半分は黒にしか見えない。
そして、人物を書いたとしよう。
区別はつかないけど、微妙に黒の中にも種類があるように見えるから、
濃い黒や薄い黒、区別がつかないときは適当に混ぜてそれっぽく絵を描いてみる。
目に写った色をそのまま再現できるわけじゃないから、自分で黒を選んで描く。
赤橙黄をほぼ一切使わずに、緑青藍紫で人物を描いている。時々緑に紫が混ざる絶妙な色合い。
それを絶賛する。素晴らしいと。
でもそれは、偶然の産物だ。
たまたま黒(緑)と濃い黒(紫)を、描いたあなたには区別がつかなかったから使ってしまっただけだ。
ある時それに気がついて、あなたの絵を、カラーの人にも判りやすいように、白黒に直してくれた人がいたとする。
そしてさっき絶賛した人はこういう。
オリジナルのほうが良かった。
白黒では単なる凡庸な絵だ。
あの色合いが素晴らしいのに判っていない。
僕はそれはとても悲しい事だと思う。
そして、あなたには認識できない偶然の産物こそが素晴らしさだと言う。
作品の評価と、作者の才能とは別だというのも理解は出来る。
自分には理解できない偶然が、他人を感動させるのかも知れない。
でもそれは、作者の意図とは離れたところにある。
それだけは覚えておいて欲しい。
僕は、ゴッホの絵は素晴らしいと思う。
変換後の絵が素晴らしいと思う。
それは、ゴッホの描く作品が素晴らしいと同時に、ゴッホ本人の才能によるものだ。
僕はそう信じる。
http://anond.hatelabo.jp/20111013190929 つもりだったって事ですか? 不思議ですね。
それ見たけど、色弱の俺には、一番上の絵以外は修正版とオリジナルとの区別がほとんど付かなかった 要するに俺は約95%の人が見てるゴッホの絵とは違うもんを見てたんだなと思って、...
色弱というのは、そんなに不思議なものなのですね。 学校でテストした色盲検査ではわからないものなんですか? それとも、その検査で色弱とわかったんでしょうか?
小さい頃から、色弱検査で普通に引っかかるよ 健常色覚の人には見える数字が自分には見えなかったり、逆に健常なら見えないはずの数字が見えたりする あと、古いカーナビの紫表示(...