はてなキーワード: 素数とは
もしかしたら人類が宇宙で初めての知的生命体かもしれないよね!
知的生命体の定義は「宇宙の年齢を測れる科学知識を持ってる」として。
「この宇宙には知的生命体はいるんだけど地球には来てないだけ」って言うけど、
宇宙で最初の知的生命体も同じように考えると思うんだよね。なんか切ない。
生命の誕生は奇跡的な偶然だけじゃなくて、環境が揃えば似たような生命は生まれるんじゃないかな。
他には、「うちらもわからないんですけど、自然とトランジスタができて、
それが論理回路を構成して進化してこんなロボットになったんですよねえ」って機械生命体とか。
電流が電流が流れてる星なんだろうな。動ける体が先な気がするけど。
地球ができて46億年経って人類が生まれて、宇宙の年齢が138億年から考えると遅いような。
それに人類が宇宙の大きさをしってからまだ100年も経ってない。200年前は宇宙も知らなかったし。
人類が他の星へ信号出すべきだと思う。やりがいはなさそうだけど。
その方法は「太陽の光を大きな壁で遮ったり光らせたりだね!素数の間隔でかな。
だって他の宇宙から見れるような明るい光を作るのは太陽を作るのと同じだし、
太陽作るよりは明るさを変化させる大きな壁の方が作れそう。
#他の生命体とコンタクトを取りたい!って考える知的生命体は地球人だけだったりして。
#偶然コンタクト取れても「なんでそんなことしたいの?」って、
私の性体験は女性のみ。結婚していておっさんながら月一くらいはやっている。
しかし、立ちクンニが好きだし、レズビデオで抜くこともある。大学生から中高年まで誘われれば拒まない。ほとんど誘われないが。
セーフワードが必要なプレイの経験はないが、全く理解できないわけではない。
このため…という言い方は失礼だが、男×男は本当にエッチでも気持ちがいいのか疑問に思っていた。
精神的な繋がりで幸せなだけであって肉体的な関係は、あくまでおまけというか相手へのサービスだと思っていた。
いや、実際の経験はまだない。
アレである。
しかし、乗っているのは特急。少なくともあと7分は止まらない。
幸い、日曜の午後ということもあって座っていたので最悪の事態は避けられた。
ルートの数字を思い出し、素数を探し、百人一首を思い出し、あちらから意識を遠ざけた。停まった駅の最寄りのコンビニのトイレを借りることができた。
痛かった割にはゆるくはなく、どちらかといえば硬め。
思い出してみたら久々の便秘だったのだ。
実に気持ちがよかった。
あの、スルッという感覚。
正直に言えばクセになりそうだった。
我慢して人生終了なんて事態になるのは避けたいので意図的にこの状況を作る気はない。しかし、機会があれば再び体験したいくらい。溜め込んだものを通過させるのはそのくらい気持ちよかった。
そして、大事なこと。
小、いわゆるおしっこも我慢するだけ我慢したあとに出すのが気持ちいいのは男なら経験していることだろう。
そこで気がついたのだが、大を溜め込んだときの放出感も男性同士の性行為の「受け」の感覚ではないかと思ったのだ。
入れられるときの痛さや迎え入れる感覚はわからないし、坐薬は嫌いだが、太いものを出すのは実に気持ちがいい。
受けのほうが攻めよりも快感の度合いが大きいのだと推察できる。
実際のカップルだって受けだけ、攻めだけの人も多いだろうからわからないかもしれない。
そんなわけで、私はこのとき男×男に対して理解をできたような感覚になった。
自分の嗜好は変わらないが。
6日の方が素因数が多くて良いと思うんだ。5は素数だし。
確率というのものは、数学的構造としては面積とほとんど全く同じなんですよね。
つまり、重なっていない土地の面積は足すことができるとか、重なっている土地を合わせるときは重複を差し引かないと合計面積にならないとか、そういうことです。
普通の意味での面積との違いは「全体の面積は1」ということだけです。
(これを測度論的確率論と言います。より詳しく言うと物理的な面積にとって意味のある測度はルベーグ測度ですが確率空間の場合はそれに限らないため、無限要素数や連続体濃度が関わってくるときに違いが出てくるわけですがまあそれは普通は考えなくていいことです。)
面積とほとんど同じ意味しか持たない確率という構造それ自体に「ある特定の家族の子供が女である確率」とか「家族を100組集めてきたときの頻度として子供が女である確率」とかいう意味を自然に持たせることは不可能です。
そこはユーザーが別途やるしかないわけです。具体的には、面積の切り方のパターンを全列挙してこの面積はこういう意味(ある特定の家族の子供が男であるという意味、など)、この面積はああいう意味、という感じで、面積の切れ端と表現したい意味の対応づけを逐一定義する必要があります。これをやって初めて意味を踏まえた確率の議論ができるようになるわけです。
(これがσ加法族および確率変数の定義ということになります。)
モンティホールや元増田の設定などで毎回毎回議論が紛糾するのは、議論している人それぞれが頭の中に浮かべている面積の切り方のパターンと意味づけが異なっているからです。違うσ加法族、違う確率変数についてあーでもないこーでもないと言っているわけです。違うものを議論しているので意見が一致することはありません。
確率という構造およびそれと現実との対応について、何を明記すれば同じものを考えていると思ってよいかを整理したのがコルモゴロフの測度論的確率論の偉大な成果です。これは現実における確率の議論において避けることが絶対にできないものですが、中学高校の教育課程ではこのことを巧妙に避けて教えようとしているのが問題ですね。結局失敗して確率を国民に理解させられないままになっているから毎度紛糾するわけです。
まともに議論をしたければ、自分が想定しているσ加法族(面積の切り方のパターン)と確率変数(標本空間から実数値への、想定したσ加法族に対して可測な写像)を明示しましょう。それ以外に解決法はありません。
さすがに4桁の素数の掛け合わせくらいなら、いまどきすぐに調べられるんじゃ?
六次の隔たりなんてのが有名な理論になってるのが癪だ。その理論作った人の今頃の承認欲求の満たされ具合を思うとね。
あんなん下手したら本質的に同じような発想は小学生でも過去に思いついてた奴いるだろ。
4桁の素数同士のかけ算は小学生でもできるけど、そのかけられた結果を元の二つの素数に戻すのは東大生でも難しい、という事実も小学生でも気づけそうなことなんだよな。
ようはどの媒体に発表したかってことなんだろ。発表した媒体が幸運だっただけ。
はじめてのお披露目が増田だったら見向きもされてなかったんじゃねーの?
それは、上記のものとは全く毛色は違うけど、ブロックチェーンやABC予想の証明でさえもな。
でも増田で発表したものであろうが等しくグーグル検索にはひっかかるようにはなるのだし、やっぱり価値ある画期的な(←ここ重要)理論は自然とアクセス数が伸びいってついにはより一般的な検索ワードで検索した場合でも上位に表示されるようになっていって有名になっていくって感じなのかな。
ある要素が、定義されたリストに存在するかみる場合は、前から順に見るから、その定義されたリストの要素数分かかるので、O(1)にはならない。
なので、その場合は、二重ループになるが、辞書を使うと、辞書のアクセスはO(1)だから、計算量削減できますね、ってことよ。
ただ、確かに言われてみると、
for element in ["りんご", "ごりら"]
for check in ["りんご", ”うんこ", "ごりら"]
if element == check { // この文字列の比較は、O(1)でできるのかというと、最悪計算量が文字列の長さに依存する、というのは言われてみるとそう。だが、うまく最適化されてO(1)でできるみたいだ。これは調べてみてほしいが、要素チェックの際に、文字列の長さ意識したことなかったわすまん。
}