はてなキーワード: 極真とは
少し長くなるが申し訳ない。
民主党が選挙に大勝し、政権交代が実現した2009年8月30日。僕はネット右翼を辞めた。
選挙前、
下劣な中国人が日本を乗っ取る気だ。糞在日のせいで自分たちの血税が無駄になっている。
そんな野蛮人から日本を守るために、日本を日本人のための国にするために、野蛮国の手先である民主党には政権を渡してはいけない!
本気でそう思っていた。
何故そのような事を考えていたのか。今思うと、ネット特有の判官びいき的な部分、そして誰も知らない裏の情報を自分が知っているという優越感もあっただろう。
当時、自民党の様々な不祥事によって民主党が大躍進していた。毎日のようにテレビで繰り返される政権批判。民主党の政治家たちが政権交代をすれば暮らしは良くなると叫んでいた。
その頃の僕は、相も変わらずネット世界に入り込んでいた。ある日たまたま見た2ちゃんねるのスレ。民主党に政権を渡してはいけない!というものだった。
そこで見たものは、テレビでは一回も聞いたことの無いような話であった。中国・韓国の実態、民主党がどのような党なのか、自民党がどれだけ頑張っているのか、そしてそれを報道しないマスコミは在日の手先である……
当然、それに対する批判意見も出てくる。あまりに極端すぎないか。至極真っ当な意見だ。しかし、その意見に対するレスはたった一言だった。
マスコミが民主党に寄り過ぎているから、バランスを取っているだけ。
その日を境に、ネット右翼になった。自分のような人も多かったのだろう。その後も爆発的にこのような思想を持った人が増えたと思う。
愛国が正義だ。少しでも左寄りの発言をした者は在日であり、日本を乗っ取ろうとしているのだ。なんとしても潰さなければいけない。
自分はそれから少し後にできたyahooニュースのコメント欄に常駐していた。マスコミはいつものように政権批判記事ばかり。
そこに自分を含む大量の民主党・中国・韓国批判のコメント。今ほどコメントの削除体制がしっかりしていなかったので、膨大な量のコメントが毎日流れていた。
当然、批判意見も出る。しかし、そんな発言をした者は在日なのだ。悪なのだ。「そうは思わない」を大量に押され、個別に人格批判するコメントが流れる。それも当然だった。
そんな日が続き、選挙1週間前になった。テレビでは自民党ピンチ!民主党が第一党かなんてニュースが流れる。勿論直接ではないが、そのようなニュアンスであることは見ればわかる事である。
しかし僕は、そうは思っていなかった。なぜなら、ネットが真実だと思っていたからだ。
ネットでは、前にもまして自民党擁護・民主党批判が繰り広げられていたのだ。比率にして50:1くらいだったろうか。いや、それ以上かもしれない。
これがそのまま行けば、政権交代どころか民主党崩壊まである。そうなれば、自分は日本を救った一員になれるのだ。それくらいの気持ちでいた。
そして開票速報の時間になった。自民党の圧勝だ。せっかくだからご飯も豪勢にした。今日はお祝いだな―――
しかし、そんな思いは一瞬で崩れ去ることになる。
最後の最後まで、マスゴミの嘘だと思った。これは何かの間違いだ。きっと、またマスゴミが真実を隠しているに決まっている。
しかし、どの局も似たような数字、そして流れてくる政治家たちの声。いつの間にか、涙が止まらなくなっていた。
一体これは何の冗談なのか?麻生さんの敗戦の弁が流れている間、ずっとそれを考えていた。
気付いたら一晩経っていた。
もう仕方の無いことだ。これからは民主党に頑張ってもらおう。やってみないとわからないしね。そんな気分だった。自分でも驚くほどあっさりしていたのをまだ覚えている。
パソコンをつけて、いつも通りyahooのコメント欄を見る。たしかに悔しいが、仕方ない。現実は現実だ。民主党にも良い所はあるかもしれない。
「情弱どものせいで日本が終わった」「もう日本は中国の一部だね」「早く政権交代しろ!」・・・・
この人たちは何を言ってるんだろう?
それをいって何かになるのか?
何にもならないってつい昨日証明されたんじゃないのか?
その瞬間、全てを悟ってしまった気がした。
今の状態は、当時よりもひどいと思う。ネットで民主党・中国・韓国の話題が出れば総バッシングである。もう擁護意見なんて見つけるほうが大変だ。
思想の良し悪しなんて議論するだけ無駄、もとよりその思想が良いか悪いかなんて誰が決めるものでもない。それは当然のことである。
でも、もしこれを最後まで見てくれたなら、考えてほしい。
(ここで言うHTML5はcss3とJavascriptも含めた技術全体の事、逆にFlashはAir等の派生技術は含めないブラウザ上のFlashPlayerの技術のみを指します。)
ウェブに携わる人間には常識だけど、HTML5は何でも出来るスーパーヒーローではない。
どちらかというと、中日の高木とか、ヤクルトの宮本とか、巨人の川相とかの方が近い。知らないやつはググれgoogle:いぶし銀。
HTML5の真骨頂は、昨今のリッチなインターネットコンテンツを、非常に簡潔にスマートに記述できるところにある。複雑な事をすれば凝った事もある程度できるけど、得意分野じゃない(標準APIが機能不足だし、JavaScriptの言語仕様が複雑な処理に向いていない)。
ブラウザだけでここまで出来る、とか、
Flashはもういらない、とか、
ってのは、川相だって筋肉付ければホームラン打てるようになるし清原はもういらない、って言ってるようなもん。宮本にパワーヒッターを求めるのなら筋違いだ。生い立ちも素質も違うのに、どうして代替となりうるのか(プログラムと人間を一緒にするのが暴論なのは百も承知)。
HTML5とFlashにはそれぞれ得意分野があるし、淘汰される形で対立しうるものではない。にもかかわらず、ブコメ見てて、いまだにFlash氏ねHTML5マンセーな意見が支配的なのが痛すぎる。
「ブラウザだけで」というと聞こえはいいけど、何のことは無い。5年くらい前のFlash相当のプログラムが、ようやくブラウザに搭載され始めただけのことだ。Flash は重いとよく言われるが、同じことをすれば(今のところ)HTML5 のほうが重いことが多い。
あと、記事を読むと大概「(どれかの)ブラウザだけで(なら)ここまで出来る(けど他のブラウザじゃ動かない)」って言葉が隠されている。HTML5 の仕様が固まれば全コンテンツが全ブラウザで同じように動くようになるよ!なんて本気で信じてるならあなたはネット向きじゃない。
Flashは互換性の点で優位にある。一社提供で基本的に同じコードを同じ開発者が作っているってのもあるけど、そもそも「どのブラウザでも同じように動く」が、セールスポイント=利益に直結するというモチベーションになるのが極めて大きい。
HTML5 と対立するは Flash ではない、HTML4 だ。HTML4の悪い所を直してHTML5にしようとしてるんだから当たり前。
video対応やベクター描画といった Flash が寡占してる技術の一部を HTML5 が食ってるのは事実だけど、Flash と HTML5 の機能は相補的である。HTMLは文章構造を効率的に記述する目的で生まれたものだし、Flashはタイムラインベースのベクターアニメーションを表示するために生まれた。両方ともブラウザ上でリッチなユーザー体験を提供するという目的に向かって進化してるので、お互いの領土を食い合う形にはなってるけど、生い立ちが違うので得意分野も当然違う。
テキスト表示とレイアウトはHTML5のほうが断然得意だし、2D描画はFlashの方が一日の長がある(私見だけど、HTML5はFlashの描画能力の半分にも至っていないし、Flashのテキスト表示機能はie6のそれにすら劣る、と感じる)。
Flash vs HTML5 という構図は、スティーブ・ジョブスのプロパガンダにすぎない。
ジョブスは訴求力を上げるため、しばしば、対抗技術=「悪」とした勧善懲悪ストーリーを作り上げる。簡潔で力強い言葉にのせて、対抗技術の欠点と自社技術の利点を(時には脚色しつつ)徹底的に挙げていく。対抗技術の利点など無きものとしてしまう。そこには自社技術の欠点など存在しない。
HTML5推しの本来の意図は、ジョブスの声明から推察するかぎり、HTML5であればAppleが開発してるブラウザエンジンwebkitを通じて自らの手でインターネット体験を提供出来るが、FlashはAdobeが開発している技術なので手を出せない(厳密にはFlashはオープンな技術なので自社開発する事は不可能ではないが)という点にある(もちろん、実際は様々な複合要因だと思うけど)。自社製品におけるインターネット体験、という肝心なところを他社に依存してしまうのは許せない、というのは至極真っ当なコダワリだ。Android にユーザーが流れてしまうという大きなデメリットを背負ってまで、iPhone が Flash を載せないことについては、評価すべきとすら思っている。もともと Mac版 Flash プレイヤーのデキの悪さという恨み節もあり、歴史的な経緯による「Flash は重い」という先入感も利用し、衝撃の声明は完遂された。
かくして、勧善懲悪のスーパーヒーロー HTML5 が誕生した。
Flash と HTML5 両方のコーディング経験者であれば判るけど、HTML5はこれまでに比べて簡潔に記述できる事が最大のメリットであって、複雑で凝った事は得意分野じゃない。にもかかわらず、無理矢理 HTML5 で書かれた凄いアプリが「ブラウザだけで!」とか「Flashいらない!」とかセンセーショナルな煽り文句とともに紹介され、もはや冷笑の対象となっている。
もちろん、凄い HTML5 アプリの作者は何も悪くない。未来の技術をいち早く実験/公開して、われわれにその可能性を提示してくれているのだ。そんな彼らを冷笑の対象にしてしまって良いわけがない。
ここまで読んでくれた人ならわかるだろうが、自分は、川相のゴロ捕球からの洗練された送球フォームが大好きだ。いや、HTML5の洗練された仕様と最新鋭の技術が大好きだ。
だからこそ現状を見ていられない。
現実として、Flashは互換性を気にしないで良いがiPhoneで見れない。HTML5はiPhoneで見れるがブラウザ間の互換性が問題となる見通し。
何が幸せなインターネットの未来なのかわからないけど、今の HTML5 vs Flash という構図は、不幸な方向に向かってるように見えてしょうがない。
今回触れてない話の1つにセキュリティ/バグ関連があります。議論の余地のある話ですが、個人的にはどっちもどっちだと思ってます。
あと、巨人末期の清原は本当にもういらなかったかという話があります。議論の余地のある話ですが、個人的にはどっちもどっちだと思ってます。
いや、そういう問題では全く無く。
「本気でこんな考えをしている人間を生涯の伴侶として選ぶのは不可能」って判断があって妥当なレベルってこと。
「恋仲が解消すれば原則的に男が悪い」って理屈がどこから生じたのかは全く不明で、
増田さんがご自分でおっしゃるとおり異性との交際経験がないとすれば、それはどこから学んだ知識なのか少し気になるが。
これはそういうお話では全然なくて、相手の男の考え方が結婚相手として論外レベルで男女関係のない話ですよ。
とりあえず、「土地を変えて再就職して俺(と両親)を養え」なんて男についていくのはありえないっていう
至極真っ当な話しかしてませんよ。彼女とか男とかあんま関係ない。
それで、あなた様に彼女のいらっしゃらない理由を悪い頭で愚考させていただくとするのであれば、
「恋仲が解消すれば原則的に男が悪い」みたいな被害者意識をどこからともなく仕入れてくる、
なんか、増田の文章が上手にまとまっているがゆえにブクマとかの方向性まで根本的にずれてる気がしたので書いてみるが。
増田自身も気がついてないみたいだけど、増田がここまで怒った理由って、母ちゃんの価値観に単に失望したってだけじゃないよね。
仮に母ちゃんが言ったのが「わたしは肉屋、鞄屋とは結婚しないわ」という内容だったとしたら、増田は同じように激昂しただろうか。
多少の不快感は抱くかもしれないしそれを直接伝えることもあるとは思うけど、机をばんばんしたり、茶をぶっかけたりしてまで母ちゃんの考えを変えようと躍起になりはしなかったんじゃないかな。
一番大きいのは多分、母ちゃんが、くだらない偏見から「娘の人生に口出しをした」って部分だよね。
「もしかしたらこれからもこの人はわたしにこういうくだらない口出しをしてくるつもりじゃなかろうか」という危機感から、増田は母ちゃんの価値観を是正しようとここまで必死になったんだと思う。
価値観の押し付けをしようとしてるのは紛れもなく母ちゃんのほうであり、増田がそれに全力で抵抗するのは至極真っ当な心の動きだと思う。
今後どうすれば仲良くできるのかは知らん。
どっちかが折れない限り無理じゃないかな。
と、身も蓋もないことを言ってみる。
30歳を間近に控えて、唐突に総合格闘技を始めてしまった。
まぁ、まず道場に行くわな。
するってーと、皆さんがいる。こいつらがまた、いい人たちなんだこれが。
道場全体にただようほのぼのオーラ。指導員のプロの方は流石の風格なんだけれども、
アマチュアクラスの人たちはほんとに奥ゆかしい。全力でチョーク極めた後に「大丈夫ですか?」とか
お互い気を使いあう間柄。まぁ、スパー中はガシガシやりあうけどな!
「みんなで強くなって楽しんで旨いビール飲もうぜ!」みたいな空気がたまらない。
ジュードーやってた時の「奥襟寄越せクソが!」「うっせぇ、背負うぞウド!」みたいな
あのキリキリした感じとは全く別で非常に楽しい。「あわよくば折れろ!」と思いながら変な角度で足払いを打ち込んでくる奴もいない。寝技戦は詰め将棋的要素が強く、スパー後の感想戦がやたら面白い。
もちろんおっさんなのでそこにはビールがつく。ちょううまいんだこれが。
ぶっちゃけてスポーツってものに最早いい感情は抱いてなかった。今でも高校部活は気が狂ってると思っている。
柔道推薦で高校に行くっていうことは「故障したらお払い箱」ってことで、
腰や膝辺りを壊してしまって無残に高校を去っていく同輩をたくさん見てきた。
競い合い精神を磨く、なんていうけど断言して私立の部活で精神なんか磨けない。
おまけに、ごく一部の大成した人間以外は名ーんにも残らない。大学まで行けて、就職まで出来た俺は
本当に幸運だったと思う。高校辺りでケガ→ドロップアウトの流れに乗ってしまった奴は
往々にして人生からもドロップアウトしていった。下手に体力と技術があるものだから、その後は本人にも他人にも
かなり悲惨なことになった例が多い。
それに引き換えて、ソーゴーはとても良い。
色んなバックボーンを持った人たちが、お互いに和気藹々と技術を交換しあう。
極真がローを教え、柔道が内股を教え、ボクサーはフックを教える。
皆一線級を退いた人たちだが、とても真摯に、何より楽しくシバき合える。
例えば、純粋極真空手の人VS純粋柔道の人だと8割方柔道が勝つ。
しかし、タックル切りを覚えた空手家相手だともうわからない。総合で一番戦績のいい柔術家だって
打撃ルールでは面白いほどカモにされる。(当たり前のことなんだが)
だから、みんな相手の技術と経歴に敬意を払うし、尊重しあえる。
いい年こいたオッサンが「だからさー、ゴゴプラータはさぁ」なんて真剣に討論出来るのが超楽しい。
柔道、空手、ボクシングなんでもそうだけど、基本的にモノを言うのはフィジカルだ。
しかし、柔術に関しては相当頭脳戦の要素があり、練習すればするほど強くなるのである。
断言するけど、30歳から始めても普通に強くなれる唯一のものが寝技、それも柔術式の寝技だと思う。(レスリングはちょっとフィジカル寄り)つまり、誰がやっても楽しいのだ。
そんなわけで、最近流行もしぼみつつある総合格闘技人口がまた伸びて欲しい。
http://anond.hatelabo.jp/20100322070125
まあいろいろあっても本音はそんな感じだよね、って思いながらブクマ開いたらちょっとくらくらしてしまったので、わたしも増田になってみたよ。
「友情」と簡単に言うけれど、そもそも「友情」って、どういう感情のことをそう呼ぶのか、自分の抱いているこの気持ちは本当に「友情」なのか、もしかしたら何か他の気持ちをごまかしてそう呼んでいるだけなのではないか、そういうことを少しでも考えたことはある?
たとえば高校生とか大学生の男女間でしばしば交わされるこの約束。
「男とか女とかそういうの抜きにして、お互いに一人の人間として仲良くやっていこう」
別にこの言葉が青臭いと言って否定はしない。
でも、もしあなたに、この言葉が含む矛盾を拾い上げることができないのなら、「男女間の友情」を語る資格などないとわたしは思いますよ。
だって「男であること」「女であること」も含めて、一人の人間でしょう。
「男であること」「女であること」を抜きにしたら、その人はその人でなくなるし、あなたもあなたではなくなるんだよ。
たとえ思春期・第二次成長期を迎える前の、一緒にお風呂に入っててもおかしくないような小さな子ども同士であっても、この約束は成立しない。
だって、生まれたときから男性は生物学的に男性なのだし、女性は同様に女性だからだ(ただし性同一性障害の方についてはこのように単純に断言することはできないが、あくまで自己認識としての性をイメージしていただけたら、と思う)。
ああ、思春期以前の子どもにはエロ衝動がないなんて思ってる人がいたら大間違いだからね。
知識がないだけで性欲はあるんだよ。
そりゃ現れ方は大人よりダイレクトだったり、大人よりかわいらしかったり、いろいろあるけどね。
また、同性愛者についても相手が同性に変わるだけでおおまかな話は同じだ。
いつから同性愛者だったのか、生まれたときからなのか一年ぐらい前からなのか、それもあんまり関係ないと思う。
で、上記約束によってマブダチとなった男女、何しろ波長が合うので話しても話しても話が尽きない。
他の男の子には話せないけどこいつにだけはなぜだか何でも話せる、みたいなそういう関係ってありますよね。
んで、今度いっそのことパジャマパーティしようよ!夜を徹して語り合おうよ!って話になります。
もちろんエロい展開になどなろうはずがない。
だって「男とか女とか抜きにして」仲良くしてるんですから。
相手はお互いにとって男でも女でもないニュートラルな存在なんだから。
さて友人A子がそういうことで今度そのマブダチのB太郎の部屋に泊まりに行くと聞かされたあなたはどう感じますか?
「まあ正直ちょっとだけ心配だけど、B太郎も信頼できるやつだし、普段の二人を見てる限りそんな間違いなんて起こらないよね。本人同士がそういう関係って認め合ってるんだし、それを尊重するべきだよね」
ぐらいなもんでしょうか。
なぜ「正直ちょっとだけ心配」なの?
あるいは
「いくら男女関係ないって言っても、それとこれとは別だよ。A子だけじゃなくB太郎のためにもやめといたほうがいいよ」
と忠告しますか?
あるいは
「またまた友達とか言いながら、もうB太郎のティンティンもフラグもビンビンじゃん!お幸せに☆」
と勝手に二人が「男女の仲として」結ばれちゃう想像をしますか?
そして、泊まりに行くのが同期の女友達「C美」の部屋だったときは、あなたは同じように心配したり忠告したり妄想したりしましたか?
しませんでしたね?
この場合、B太郎、A子、C美は全員異性愛者と仮定してください。
同性愛者を登場させたい場合はその人のところを別の性に差し替えて読んでみればいいと思います。
それともそもそも、A子はB太郎とのパジャマパーティなんて企画しないのでしょうか?
なぜ?
同期のC美とはやってるんです。
マブダチのB太郎とならやったっていいはずですが。
なぜ?
さらにB太郎視点でも考えてみます。
仮にB太郎がA子の提案に「いいよ、おいでよ」と、もちろん下心などなしに(ここもわたしとしては疑問符がつくところですが、まあそれはいいです)快くA子を招いたとして、A子がしゃべり疲れて先に寝ちゃって寝返りを打った拍子におっぱいが露出したときに、B太郎は欲情せずにすむのですか?
「うわっ!!あああやべー、変なところが元気になってきたあああ!!俺は何欲情してんだ!相手は大親友のA子だぞ!最低だ俺!最低だ!」
と、アスカで自慰をしたシンジ君のように自己嫌悪に陥るかもしれませんが、まあとにかく欲情はします。
しますね?
たとえA子が恋愛対象になるのはあまりにアレな外見だったとしても、無防備なおっぱい露出を前にしてまったく変わりなく平然としていられますか?
その自信はありませんね?
これがもしB太郎と同期の男友達D男だとしたら、寝返りの拍子にその逞しい男性器があらわになったとしても、せいぜい大笑いしながらぞうさんをマジックで書くぐらいでしょう。
これがA子のおっぱいなら、いくら仲が良くてもA子がたとえマツコデラックスであっても、乳首部分を中心としてマジックで目玉おやじを書くことなどできないはずです。
なぜですか?
あるいは最初からA子の提案を飲まない可能性もありますね。
なぜ?
いきなり「C美」とか言いながら詰問されても、某有名大御所はてなーの名クイズシリーズをパクってるみたいで相当印象悪いと思いますが(ごめんなさい)、答えは言うまでもなく「A子とB太郎が互いに異性だから」ということです。
つまり、男女間の「友情」と同性間の「友情」は、違います(繰り返しますが、同性愛者の場合もまったく逆の意味で違います)。
どう違うか?
性的対象となるかどうか、に決まってるでしょ。
相手が「自分にとって性的対象になる性を持つ存在」である場合、そうでない存在と同列に考えることはできません。
お泊まりの話はそのひとつの例ですが(勢いだけで殴り書きしたのではっきり言って蛇足ですが)、何より冒頭に書いたように、男性であること、女性であることも含めてA子であり、B太郎という人だからです。
で?だから何?という話ですが、ではそのように、異性間にある「恋ではない(と当人は思っている)のだけれど親密な感情」は、同性間の「友情」と同じように「友情」ということばで括ってよいものなのか?とわたしは思うわけです。
つまり、性的要因による互いへの配慮、あるいはそれによるある種の葛藤が不可避である(別に不可避ではない、そういう状況にははじめから遭遇しない、との反論も予想されますが、厳密にはやはり不可避です)男女の親密な関係を「友情」という言葉で定義するのは、あまりに乱暴なのではないか?それは人間関係を自分の中で熟成させるうえでひとつの精神的怠慢と呼ぶべき事態なのではないのか?ということです。
ここであの「友達以上 恋人未満」という魔法のキーワードが出ます。
しかしこれはほとんどの場合、いずれ恋愛関係に発展することが見込まれている関係です。
よって、これは「友情」という言葉の定義にかかる問題とは切り離していいと思います。
では「お兄ちゃんみたい」「お姉ちゃんみたい」「弟みたい」「妹みたい」といった家族愛に似た親密さはどう扱うべきか。
これは「相手を異性とは認識しているが性的欲求は感じていない」ということです。
しかし異性として認識しているのなら上記のようにおっぱいに目玉のおやじの落書きをしたりすることはできませんので、ていうかそんな落書きをするような人がこの世にいるかどうか知りませんが、注目すべきはあくまで「みたい」どまりで、本物の家族ではないことです。妹のように純粋にマスコット的にかわいがっていたロリ美少女が寝返りの拍子に意外とたわわなおっぱいを露出させたら、やはり一瞬でも吸い付きたい衝動に駆られてしまうのが男なのではないでしょうか。これが実の妹に同じような衝動を感じてしまうのであればちょっといろいろ人として違うと思うのですが、良識的なはてな村民にそんな人はきっといないと思います。
とにかく男女の関係とは多重的で、ひとつのことばでビシッと定義できるものではないように思います。
自分の話になりますが、わたしには学生時代からずっと連絡を取り合っている友達が何人かいますし、彼らのことを「人間的に」大好きです。
男も女も。
しかし、ふとした拍子である男子と図らずもエロい雰囲気になってしまい、その場はなんとか未然に取り繕って今はまた前と同じように仲良くしていますが、それ以降、ふたりの間に「例の件はタブー」との暗黙の了解ができ、同時に、再発を避けたい気持ちと、何かこう、アバンギャルドを互いに期待する空気が混在して変にややこしいことになってしまっています。
付き合いが長くなればなるほど、そして関係が密なほど、こういうハプニングで意識せずもがなのことを意識せざるを得なくなります。
これでもわたしと彼の間にあるのは「友情」と呼べますか?
わたしたちが「友情」と言い張れば、そうなるのでしょう。
しかし、本当にこれが「友情」ですか?
わたしには、これを「友情」と呼ぶだけの図々しさは持てません。
でも、仕方ないと思います。
男は女に性欲を持ち、女は男に性欲を持つようにつくられている以上、こういうきっかけは世の中に無数に転がり続けているのです(くどいですが、同性愛者については読み替えてくださいね)。
あるいはわたしのように生々しい性欲でなくても、相手を「異性であるがゆえに」親しく感じたり、大切に感じたりする気持ちも、性欲に由来するものです。
恋だってもちろん。
それらがほんの少しでも混じってしまうと、その瞬間から二人の間にあるものは「友情」ではなくなっていきます。
異性に、明らかに恋愛とは異なるのだけれども好意的な感情を抱くことがあります。
たとえば「尊敬」とかです。
でも「友情」とは、違いますよね。
両立することはあります。結構よくあると思います。
しかし、イコールではありません。
じゃお前にとっての「友情」って何?って話ですが、「愛」の一種だとわたしは思っています。
相手の存在を大切に思い、相手の幸福を願い、ともに過ごす時間を大切に思う、簡単に言うとそういうようなことで、性欲さえなければ男女間にも十分に成立する余地はあると思うのですが、やはり性欲がある以上、男女間でこういう関係を長期間育んでいくのは難しいというのがわたしの考えです。もう眠いので寝ます。
http://gigazine.net/index.php?/news/comments/20100228_kcua2010/
俺は、入学試験は「その学校で教育を受ける上で必要な能力/意思があるかどうかを測るもの」だと思う
これは自分の視野内での考えだけど、最近の入学試験って「受かる為だけにどれだけの努力をしてきたか」になってる
いや、勿論それは「その大学へ入りたいっていう意志の強さを測る」って意味では至極真っ当な方法ではあるんだよ
けど、それは「入りたい意思/入れる能力」であって「そこでの教育を受けるに必要な意思/能力」とは限らない、必ずしもイコールではないと思う
実家の隣の家に、出戻ってからずっと“半引きこもり”状態の高齢なご婦人がいたりするので、
■高齢ひきこもり問題 http://anond.hatelabo.jp/20091124223559
こういう問題は人事ではナイ。
ただね?
思いっきり乱暴なぶっちゃけ方をすると、引きこもりってのは「心理的に不健全なコミュニティーが掛けて来る同調圧力の毒気に当てられて不適応を起こしている」だけの話だから。
自己イメージを改善する事で、精神毒への耐性を獲得してしまえば、大して心配することではなかったりする。
「素人がなに抜かす?!」
みたいなことを言われそうだけれど、
以前に“空気?読めないけどなにか?”↓
http://anond.hatelabo.jp/20090402142657
を書いたid:cambrianなんだがどうかしたか?
因みに、1コ上のトラバ“目には見えなくても、すぐそこにある危機 ”
http://d.hatena.ne.jp/cambrian/20091126/1259164213
↑これ書いたのもオイラね。トリップつけられないから本人証明なんか出来ないけどさ?
「役立たずだ無能だ不要だお前に何かできるはずはないいなくなれば良いのにどっかへ行っちゃえ消えてくれていいよetcetc」
みたいな無言のメッセージを、垂れ流しで浴びせかけられ続けたらおかしくもなろうって物さ。
実際問題として、元増田の「こころからののぞみ」ってのは、人間と言う生物の、至極真っ当な欲求だ。
何がしか理由をつけてそれを制限しようと思うのなら、自分だって身に覚えのない因縁付けられてドツキ廻されても構わないと言ってるのと一緒なんだが、ちゃんと分かってるか?>ALL
まぁ、そうは言ってもコミュニティーなんていうものは、しょせん他人の集合体でしかないから、他人が態度を改めてくれることなんか期待してみても、報われる事はまずありえない。だから、自分自身のメンタルを改善強化して、耐性をつけたほうが早くて確実だ。
5月の末に自己イメージのリライトに成功してから、長年悩まされ続けたメンタル&フィジカルのトラブルは欠片も出なくなったしな>オイラ。
誰も言わないなら、おいらが言ってあげよう。
誰に遠慮をする必要があるものか。
今は自信を持てなくても心配する必要は無い。
少しずつ自分の事を慈しめるようになっていければ、そう遠くない将来には、自分の能力と可能性を最大限に生かして、人生を楽しめるようになっていることだろう。
OK?
再掲
----------------------------------------------------------------------------
彼女曰くバラマキよりも保育園や幼稚園の待機児童問題とかやること色々あるだろが(意訳)
僕も全く同感。
付け加えるならば
子供を生もうと考えていないDINKSに生んで貰う事を促進すべきであって
2人いる人に3人生んでもらっても、社会にとってプラスにならない。
3人いれば3000万、殆どの家庭は、それだけお金を出すことはできないから、大抵は高卒、中卒で社会に放り出される羽目になる。
と、書くことで、おかしくないよって言ってもらいたいって言うだけのかまってちゃん根性丸出しの感じなのは自分でもわかってて、むしろおめーがおかしいよって言う意見も多数出るだろうなぁって言う感じでの書き込み。本件の対象者が自分のBLOGを知っているので、匿名で書いてみるテスト。
これらの登場人物はすべて自分の友人です。
A君とB君とC君、XさんとYさんがいます。
A君とB君は親友です。
A君とC君は同僚であり、それなりに仲のよい友達です。
B君とC君は一緒に遊ぶ事もある程度の友達です。
XさんはA君の同僚です。
YさんはA君の学生時代の後輩であり、A君、C君の社会人としての後輩です。
XさんとYさんは仕事上でのつきあいがあります。
A君とXさんはつきあっています。
B君は同棲して1年になる彼女(登場人物外)がいますが、入籍はしてません。
A君はXさんと別れて転職し、遠い地へ飛び立つ。しかしB君とは連絡を取り合う仲です。
07月 C君、Yさんとつきあい始める。略奪愛でした。
このころのXさんはよく知りません。
02月 B君とXさんつきあい始める。
12月 B君とXさん別れる。
04月 C君とXさんつきあい始める。
・・・えーっと細かくってよく分からないとは思いますが・・・。
とりあえずですよ。
自分の身近な人たちがそれぞれにつきあって別れてって、ここはビバリーヒルズかどっかの高校ですか?って思っちゃう様な感じだったわけですよ。
自分自身、潔癖なところがあるのだろうと思うけど、自分の友人の彼女だったり、夫だったりした人を彼氏、彼女にするって言うか、そういうのって普通な訳?と思っちゃう。
学生時代のつきあいなら何となくわかる気もするのだが、なんて言うの、社会人として大人として、人間としてこういうのって節操なくない?
いや、人を誰かとつきあってた人って言う風にしか見えないんだったら、お前って人をその個人として正当な評価できていないんじゃね?って言う至極真っ当な指摘も十分にわかるんだけど、理性でわかることと感情でわかる事って違うジャン?
って言うと、好きだって気持ちも理性じゃなくて感情でしょ?って言う感じで、何を言ってもブーメランな訳なんだけど。
なんだろ、正直さぁ、自分の物差しで測れない事態が自分の目の前で起きてるわけ。
めでたいことに対しては、おめでとうという気持ちもなくもないのだが、なんとなくそんなに簡単にひっついたり別れたりしてたら、また別れるんじゃね?なんて言う気もしなくもないわけ。
なんて言うかなぁ、でも婚約に対してそれは周りがどう思ってるんだろう?とか言う他人の目的なものを俺の方が気にしちゃったりして。なんて言うか・・・。
んーーー。
あと最後に、この数年間の記載をしたが、その間自分はずーっと彼女がいない人だった。という事で、非モテのヒガミだろ?と言われるとその通りかもしれない。
日本の携帯メーカーでアプリケーションの販売マーケットプレイス作ればいいのかな。
機能Aが欲しい、機能Bが欲しいじゃない。
機能は、欲しいその時に全部欲しいんです。それが日本の携帯はわかっていない。
そもそもなんで携帯を2,3年置きに買い換えなくちゃいけないのか?
欲しい機能ごとに何万も払ってハードごと変えなくちゃいけないのか?
欲しいソフト、使いたいソフトがあるからPCを買い換えたりしませんよね?
その点ではiPhoneは革命的じゃない。至極真っ当な商品なんです。
元から機能なんて全部詰め込めるはずなのに詰め込まないという日本の携帯に腹が立ってるから、
iPhoneしか買えないし、使えないんです。選択肢が他にはAndroidしかないんです。
こうなったらNEC、パナソニック、SHARP等で日本独自の携帯アプリマーケットを創造しApple,Googleに対抗してみては。
あたりまえだろ
車の喩えなら「人をひき逃げする方法について相談してる掲示板でひき逃げしてもばれないように塗装が落ちにくくてナンバーも見えづらくしてかつ殺傷性を高めた車を作るよって提案して実際に作った人」に喩えなきゃいけないと思うんだけど、それでも非難されちゃいけないのかなあ。
この例えのまんまだとしても、
「ひき逃げしてもばれないように塗装が落ちにくくてナンバーも見えづらくしてかつ殺傷性を高めた車を作る」事が法律違反でなきゃ、
作っても罪に問うてはならんだろ。
問題になってるのは「合法なモノ作っても、使われ方によって幇助犯にされたら堪らん」ってとこなんだから。
話の進み方が「だから、Winnyみたいなモノを作るのを違法にしよう」ってのならわかるんだが、「作者を罪に問おう」ってなってるからおかしな事になってるんだろ。
感情にまかせて法律にないことを罪に問うてはならん、という判断を高裁がしたのは法治国家としては至極真っ当。
(倫理とは別の話な。念のため)
何をどう見たらAが至極まっとうに見えるのか、お前の脳みその中を覗いて見たいものだな。
特に
「だって今がもう犯罪予備軍じゃん。同人やってて?ロリショタはまってて?
別に良いけど、(私)が働いてるら辺でこどもに何かあったら、私真っ先に警察にいくからね。
そういうことをあ・ん・た・は・し・て・た・ん・だ・よ。
(略)」
はっきりいって、ここのあたりが一番頭がおかしい。狂っているといっても過言ではないし、
可能であれば今すぐ首に縄をくくりつけて林先生に見てもらうべきぐらいの症状だ。
自分の脳内の妄想と現実を全く区別できていない、しかもそれを自覚してもいないし
指摘されてもおそらく自覚しないであろうという、精神に極めて重度の障害があるといわざるを得ない。
192 名前: スペースNo.な-74
>>181のAと同じようなAと昔友達やめた。
私もロリショタにハマッたけど、「自分ブーム」だったらしく1年そこそこで
そのブームも鎮火。その後は、前の通り大人同士のぼのに萌えていた。
元々こどもが大好きで、
昔からの夢だったこどもに囲まれる仕事に転職すべく、当時の仕事を退職した。
勉強や収入諸々の理由でイベント参加をやめるという話をするとAは「絶対やめろ」と真顔。
「ロリショタにあんなにハマッていた(私)がこどもに関わる仕事をするなんてぞっとする」
とのことだった。
その時一緒にいたBCはAに怒ってくれたけど、Aは
「だって今がもう犯罪予備軍じゃん。同人やってて?ロリショタはまってて?
別に良いけど、(私)が働いてるら辺でこどもに何かあったら、私真っ先に警察にいくからね。
そういうことをあ・ん・た・は・し・て・た・ん・だ・よ。
昔から夢だったなんて信じられない聞いた事ない。どうせリアルで(ry)」
と言いながら、あんたは~のくだりで、人差し指で私の肩をドンドンどついた。
私もBもCもポカーンだった。
こどもが好きといっても性的な意味ではないし、
昔ハマったロリショタキャラをこどもたちに当てはめるつもりも毛頭ない。
ハマッてた当時も、リアルのこどもを見て可愛いと思いこそすれ、萌えた覚えはない。
そう伝えても、なおも指であんたは~と私をつっつくAの手を
Bが「もう(私)に触るな近寄るな、出てけ、二度と来るな」(Bの部屋に集まってた)
と追い出してくれてそのままCO。
しばらく後に「BとCに連絡とれない。とりなして」とメールが来たが、
アドレスをかえて無視した。どの面下げて……。と思ったよ。
193 名前: スペースNo.な-74
>>192
乙
なんでこういう奴らってリアルと萌えとが同列でイコールだと思えるんだろうな。
194 名前: スペースNo.な-74
>>192
そういう世界にいる人はアニメとリアルの区別できてる人かと思ってたが
中にはいるんですねマスゴミ思考の区別ができない人たちが