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2013-04-17

女性乳首という奇跡

女性乳首は素晴らしい。

あれこそ神の与えたもうた奇跡だ。

すまないが、ここから先は乳首の嫌いな男と、乳首の美しくない女性は帰ってくれないか

たぶん、読んでも気分が悪くなるだけだろうから……。

 

女性乳首は美しい。

いや、正確に言えば、美しい乳首を持つ女性乳首は美しい、だ。

美しい乳首は、何分、何時間、いや何日見続けても飽きることがない。

美しい顔、美しいスタイルなのに乳首が美しくない女性は、とても罪深い。

乳首のかたちを確認せずに、顔やスタイル性格だけでパートナーを決めることは、

ブルカで顔を隠したまま相手を見初めるイスラム圏の風習よりも、はるか不条理である

 

乳首の形状には、人によって色々と好みがあるだろうが、自分が至上の乳首と崇めるのは、

直径3cmほどのなだらかな山状の乳輪から連なる、直径1cm高さ5mmほどの円柱型の乳首だ。

勃起時には、乳輪にツヤとハリが出てふくらみ、乳首は高さ7.5mmほどの円柱にふくらむのが望ましい。

もうお分かりだろう。

自分は、大きすぎる乳輪もお断りだが、小さすぎる乳輪にはもっと魅力を感じないのだ。

勃起すると縮んでしわくちゃになる乳輪など、むしろ憎んですらいる。

逆に、ほんの少しだけパフィーニップル気味(知らないやつはググれ)の乳首など大好物だ。

軽めのパフィーニップルの魅力は、勃起した時に乳首と乳輪と乳房ロケットのように一体となることだ。

乳首の色については、やはりピンク、褐色あたりが理想だ。

だが、結局のところ地の肌の色によって決まるので、極端に黒かったり逆に白すぎたりしなければ良い。

基本的に、女性の乳輪から乳首にかけての色は、ノーメイクの唇のふちの色から推測可能だ。

これを覚えておくと、脱がさなくても乳首の色がわかるので便利だ。

女性ノーメイクの顔を見るよりも、服を脱がす方が楽かも知れないが……。

わかっていただけただろうか。

乳の大きさも重要だが、もっと重要なのは乳首なのである

大きかろうと小さかろうと、乳首さえ綺麗なら「がっかりおっぱい」はあり得ないのである

 

女性乳首は押したくなる。

柔らかそうな山のてっぺんボタンがあれば、そりゃ押したくなる。

究極のアフォーダンスデザインだ。

その無駄のないデザインは、今にも押されるのを待っているかのようだ。

実際、自分恋人乳首日常的に押しすぎるので、よく怒られる。

 

さら女性乳首インタラクティブ性も高い。

押すとへこみ、離すともどる。

乳首を押せば、ほぼ必ずなんらかの反応がある。

セックスの前に押すことで、セクシーモードに入るスイッチになる。

ただし、このセクシースイッチ効果には、非常に大きな個人差がある。

本当に乳首の感度が高く、平常時にも乳首を押すだけで一気に性欲が高まってしま女性もいる。

最も多いのは、性欲が高まっている時はセクシースイッチになり、普段は敏感なので押されるのを嫌がる女性だ。

逆に乳首が鈍感すぎるあまり、普段からしまくっても全く平気で、嫌がることもない女性もいたりする。

自分は、平常時にいきなり乳首を押すので、女性乳首タイプによっては怒られたりする。

だが、それもまたインタラクティブだ!

 

女性乳首と服との相性はとても大事だ。

自分は基本、ノーブラ大賛成派である

乳首丸見えでパリミラノニューヨークのランウェイを闊歩するファッションモデル達のように、

日本女性もノーブラで乳首の形をおしゃれに見せることを覚えてはいかがだろうか。

自然な谷間など見せている場合ではない。横乳と下乳は認める。

 

乳首の形がくっきりと浮かび、時にその色までがうっすら透けて見えるノーブラの女性は美しい。

とりわけ、柔らかで編みの細かいニットを下から突き上げ乳首の突起には激しい興奮を禁じ得ない。

Tシャツに浮かぶ乳首も素晴らしい。

特にピタっとした白いTシャツなどはノーブラで着るためにあるのではないだろうか。

日本では、濡れTシャツコンテストがあまりメジャーでないのが、とても悔やまれる。

日本人女性乳首をひた隠しにすることで、自らの乳首価値をおとしめていることに気づいてほしい。

乳首は、もっとオープンにするべきなのだ

 

胸元のゆるい浴衣はもとより、着物乳首の組み合わせも素晴らしい。

着物?と、意外に思われる方もいるだろう。

そう、着物だ。振袖でも留袖でも、冬の訪問着だっていい。

あんな分厚い着物に阻まれた状態で、どうやって女性乳首を愛でるのか、と。

これだから着物を着ている女性に対し、帯でくるくるあーれーをするくらいしか能のない素人は困る。

脱がす必要など無いのだ。着物エロスは着衣にこそあり。

和服には、脇の下あたりに小さく空いた穴、身八つ口(みやつぐち)というものがある。

この穴の役割は、表向きにはお端折りおはしょり)を調整しやすくするため、と言われている。

しかし、身八つ口の本当の役割は「男がすっと手を入れて乳をダイレクトに触るため」だ。

もし、彼女や奥さんが和装を身につけることがあったら、是非ためしてみてほしい。

脇の下にある穴、ここから手を入れることで、襟元を一切乱れさせることなく、ダイレクト乳首を触れるのだ。

ダイレクトに、指先で、乳首を、触れるのだ!!!

着物を着たままで、ダイレクトに、指先で、女性の、乳首を、まさぐれるのだ!!!

このホールインワン乳首とも言えるダイレクトアプローチ感は、試してみないとなかなかわからない。

ひとことで言って至上である

世界で最も色っぽく、そして大胆な乳首の触り方とも言える。

こんなところからも、乳首乳首を愛する文化の奥深さがかいま見える。

 

長々と女性乳首の魅力について語って来たわけだが、素晴らしさが伝わっただろうか。

女性乳首の美しさ、尊さ、気高さがわかっていただけただろうか。

人間女性乳首は、乳児への授乳のためだけにあるものではない。

男性を魅了し生きる活力を与えるために、女性乳首以上のものはないのである

われわれ男性は、今後もおっぱい画像収集に励み、女性乳首ますます崇めたてまつろうではないか

 

それに引き換え、男の乳首など、愚の骨頂である

何の役にも立たない無用長物だ。

……と、言いたいところだが。

実は、男の乳首にも、ひとつだけとても重要役割がある。

それを皆に伝えて、この文章を終えよう。

男性乳首の、唯一の存在理由。

それは、女性に性転換した時のためである

 

【 この駄文を書くきっかけになった、おっぱい記事に捧ぐ 】

はじめておっぱいを触った http://anond.hatelabo.jp/20130416120520

【そして、名も無きおっぱい星人に捧ぐ】

おっぱいが好きすぎて辛い http://anond.hatelabo.jp/20130816100604

2013-04-13

http://anond.hatelabo.jp/20130413145849

乳児 性欲」でぐぐったところみんな最初から幼い性欲を備えてるそうな。

2013-04-04

http://anond.hatelabo.jp/20130403231509

赤ちゃんがわたしのお腹にいるとわかったとき、パパは涙ぐんでいた。

「おーそうか」

って冷静なふりをしてたけれど泣いていた。

口には出さなかったけれど、やっぱりパパは子供が欲しかったんだ。

なかなか子供ができずに、ひとりで悩んでいた。

パパはその話題を避けてきたから、相談できなかった。

パパも私が悩んでいたのは知っていたそうだ。

でも、不妊は女の責任から、気がつかないふりをしていたんだって

はぁ? 男性が原因の割合も高いって知ってる?

それから一転、パパは毎日赤ちゃんの話ばかり。

パパは、早くから乳児の服を買ってきたり、家を清潔にすると言って大掃除をしだした。

新しい家具を買ってきて家具を移動させたり、無理して車まで買い替えた。

すべて、生まれてくる赤ちゃんのためだって。わたしのことも気遣って欲しかった。

でも、わたしのためにしてくれこともあった。

トイレの後で手洗いをするようにしたのは、ママのためなんだそうだ。

それを聞いてもうれしくはなかった。




妊娠初期に流産が多いことも知らなかったみたい。

パパはとても不安になって検診の結果もメールで報告させられた。

パパのビクビクする様子に、私も不安になってきた。

ストレスで体中に湿疹ができたこともあった。


そんな辛いこともあったけど、辛いのは私だけ。

パパはもちろん、パパの両親はとても幸せそうだった。

パパの両親も家に良く来るようになって、顔を合わせるたびに赤ちゃんの話ばかり。

子供が出来なかったら離婚させられてたんじゃないかと思う。

性別は男か?名前はどうするのか? うるさいったらない。

そんな私のストレスに、パパは気づいているはずなのに、また知らないふり。

パパは母子手帳まで、自分の親に見せながら、胎児の推定体重まで話題にして喜んでいる。

1g増えるだけで幸せなんだそうだ。無神経な発言が信じられない。

発育が悪いときは私が叱られそうだ。

私は胎児の成長や出産子育て不安で一杯なのに、無理に笑顔を作って話を合わせている。

出産ときはパパも立ち会うと張り切ってる。

そして舅、姑はもちろん、ひいおばあちゃんまで出産の時に来たいと言っている。

から気が重い。

私は、時間もかかるだろうし、高齢のひいおばあちゃんには遠慮していただいたら言ったのだが、

ひいおばあちゃん曰く

「生まれる瞬間に神に感謝しないといけないから」

という理由でどうしても来たいそうだ。

そう話をしながら、パパ、おじいちゃん、おばあちゃんは感動で泣きそうになっていた。

そういえば、パパの家族は泣ける話が大好きだった。

私の出産も泣けるイベントだと思われているのだろう。

私も出産ときは、たぶん泣くと思う。

でも、その涙はこの家族には理解されないだろう。

2013-04-03

http://anond.hatelabo.jp/20130403111210

ついでにいうと実際に戦争してた時代は男が海外戦争行ってたから女が家事仕事をしてた。

子ども集団疎開してたから逆に育児負担は少しマシだった?男がいないんじゃ乳児も生まれないしな。

2013-03-16

http://anond.hatelabo.jp/20130316232537

そもそも母親ってそこまで無限子供を甘えさせる存在なのか?

お前らそんなに母親に甘やかされて育ったのか?

母親に甘えた記憶より叱られた記憶の方が多いんじゃないか

うん。そうだよ。母親ってのは、無限子ども受容する存在だよ。

叱る前に「絶対的な愛情を信じさせる」って作業が必要なんだ。だって、誰が「自分を叱るばかりの人間」の言うこと聞くんだ?

物心ついたころの子どもが覚えているのは、叱ることもする母親だろうが、その前の乳児から幼児期は、ただ、ひたすら「子どもを受け入れて、子どもの信頼を勝ち取ること」を母親は目指すんだよ。出ないと、次の「叱る」に移行したとたんに、子どもの気持ちは母親から離れて(こいつの言うことを聞くふりだけして、うまくやろう)って態度になっていくからね。

甘えた記憶が残っていないのは、増田母親子どもを愛せない人だったか、あまりに幼くて覚えてないだけだ。

ああ、ちなみに、私は母親に愛されたことなどないよ。サイレントベビーって言ってね。泣こうがわめこうが放っておかれると、生後6か月で人生絶望して(私が何をしても世界は変わらないと諦めて)泣かなくなるんだ。幼稚園に通っていたころに「予防接種ときまで泣かない子なんて、あなたくらいだ」と言われたのを覚えているくらいだから筋金入りだよ。

子ども産んで、子ども幼稚園に入って、よそのお母さんをつぶさに観察するようになって、初めて「子ども無限に受け入れる母親」ってのはフィクションじゃなくて実在する。というか、実は9割がたは、そっちの母親と知って愕然としたよ。

もちろん、叱ることもあるけどね。叱ったときは、いつもの3倍くらいフォローが入る。「あなたのことは大好きよ。あなたがそれをすると危険から言ってるのよ」みたいな。

増田が「そんな母親いるのー?」と思うクチなら、たぶん、親に恵まれてないんだと思うよ。大丈夫。そういう親も1割くらいはいから。フツーフツー。

2013-03-14

http://anond.hatelabo.jp/20130314040248

元増田じゃないけど、実際は政府はそこそこちゃんと仕事してるよ。

そりゃ、いくつかはひどい事例もあったと思うけど、無謬性を求める心が「想定外」を埋むのであって、少々の失敗はちゃんと責任を取らせた上で忘れるのも健全社会運営には必要なのではなかろうか。

リスク考慮した上で安全基準を決め、運用についても政府責任を持ち、信頼性を担保する(偽装などがあると何も信用できない状態になるので、偽装するインセンティブが生まれないようにする)。

リスクがどのぐらい考えられるかを周知する。

ぜんぶやってる。根本的に、勉強する気がない人のところに知識を届ける効率的な手段がないだけ。

・それぞれの消費者が、リスクをどのように考えるかで食べ物を選択する。

流通が「ゼロベクレル宣言」とかしちゃうからね。もうアホかと。

安全側に振って生活しようって思ったら、東北のものは忌避するでしょうよ。

安全側に振って生活してるんじゃなくて、安心側に振って生活してるだけ。今マーケットに出てるものは、科学的・疫学的にみて十分に安全とみなされているものであって、それを食べることによって発生するリスクは知られていない。「安全側に振って」って言う奴が同じ口で生肉規制に文句言ったり、煙草吸ってたりする事例を見たりすると特にそう思う(あなたがそうといっているわけじゃないが)。

東北食べ物を食べたが故にガンになる」可能性についてはどう思う?

友人の子供ならともかく、友人本人であれば、ちゃんと物事を調べない馬鹿者がここにいるのだな、としか思わない。可能性だけの話をするのであれば、人工甘味料長期間摂取してガンになるリスクのほうがよほど未知だよ。次々と新しい化合物が導入されてるし。

乳児ハチミツを与えないのとさほど変わる話じゃないと思うけどね。結局はケガレの発想が見えすいてて腹立たしいのだよ。

2013-01-28

分かり合えないなと思った

グルメ番組北海道特集を見ていて、「北海道行きたいなー」と言ったら、

オットから「お前は行こうと思えばLCCでも使っていつでも日帰りできるじゃん」と言われ。

ああこの人全然わかってないんだと思った。

私。

もうすぐ1歳の子育児中の専業主婦

毎日分刻みの仕事に追われてるオットに比べたらね。

確かに時間自由度は高いかもしれない。

けど。

乳児を連れての移動がどれだけ大変か。

それを考えたらとても実行する気になれない。

まず荷物。

おむつ。余裕を見て10枚ぐらい。おしりふきも当然必要

着替え。普段は1セットだけど、遠出となれば不測の事態を考慮して2セット。

タオル類。大小合わせて4、5枚。

お茶お菓子の類。

当然、食事も全部取り分けってわけにいかないのでベビーフードを2、3個。

これだけでもう、大人の1泊旅行ぐらいの荷物になる。

これにベビーカーがつく。ベビーカーが使えない場合に備えて抱っこ紐も。

抱っこ紐は身体に装着しておく。

さて、これだけの荷物を持って、いざ北海道へ出発。

うちから羽田まで、乗り換え2回、所要時間1時間半ぐらいかな。普通の移動を想定すれば。

けど、乳児を連れてとなると、荷物は重いし、エレベーター探して迂回したり、

とか考えたら、3時間覚悟しなきゃいけない。

うちから羽田までの移動を考えただけで「日帰り」の選択肢はなくなるレベル

オットが1泊を許してくれたとして、そうなったら荷物倍増。

あっという間にちょっとしたキャリーバッグレベルに。

もちろんベビーカー押しつつキャリーバッグ転がしつつ、なんて無理なので、

頑張って肩掛けバッグに詰めますよ。

私の着替えはあきらめるかなー…。

さあ、どうにかこうにか飛行機に搭乗、離陸。

しかし初めての飛行機子供ギャン泣き。

ここにあのレディコミ漫画家でも乗り合わせてたらもう、いたたまれません。

私には無理。

地獄時間を過ごし、現地到着。さあ、観光

けれど、グルメ番組でよく見る店はお子様向けにはできてない。

ジンギスカンなんて、鉄板が怖くて絶対無理

子供が食事しないにしても、子供連れで入れる店は限られる。

しか子供はまだ一人で食べられないので、食べさせつつ自分も食べつつ。

普段でも、食べ物がどこに入ったのかわからない状態。

勝手のちがう旅先でなんか、なおさら観光どころじゃない。

夜も、子供を連れまわすわけにいかないので、子供に合わせて20時には就寝。

飲みに行くなんてありえない。まあ、読書ぐらいはできるかもね。

次の日の朝、またどこに入ったかからない食事をして、観光できるかなあ。

どこに行くにしろおむつ替えスペースのチェックだけは必須

まあ、授乳スペースの確認が必須だったころに比べたら、楽になったよね。

さあ、子供の夜の予定を考えたら、昼過ぎには北海道を出る方が無難です。

また道中のギャン泣きに怯えつつ移動。総移動時間、片道6時間ぐらい?

想像するだけで疲れた。

とまあ、これだけのことを

「お前は行こうと思えばLCCでも使っていつでも日帰りできるじゃん」

と言われた瞬間に考えるんですよ、子持ち主婦は。

それに対して、オットはきっと、身一つで移動する程度の気軽さで考えてる。

だって子供がいないなら北海道日帰り弾丸ツアーやるぐらいの行動力はある。

でも、子供がいたら、その身軽さはないんだよ。

オットよ、早く気づいてくれ。

2009-01-06

人権尊厳、知性と感情移入堕胎脳死

http://anond.hatelabo.jp/20090106154017

短い回答
  1. 俺は、知性あるものに最大限の尊厳を認める。
  2. また将来、知性を獲得すると見込まれるものに、一定尊厳を認める。
  3. 加えて、かつて尊厳を認められていたものにも、一定尊厳を認める。

長い回答 (誰が読むんだこんなの?)

原則

原則として、俺は知性あるものに最大限の尊厳(人権と同程度)を認めたい。ここで「知性」の基準は、言語的な(あるいはそれと互換性のある)意思疎通が可能であるかどうか。多少なりとも論理的な対話ができること、と言い換えてもいい。

(俺が捕鯨に反対しないのは、鯨に知性があるといっても言語的な意思疎通ができるほどではないからだし、喋る豚(ジブリ映画にいたな)がいたら多分俺はその豚を食べない)

堕胎人権

胎児はこの意味で「知性」をもたないから、俺は人権を認める必要を感じない。堕胎が「人権」の侵害だとは思ってない。

ただ、胎児は遠くない未来に「知性を獲得すると見込まれるもの」ではある。未来人権を獲得するもの、という意味で、なんらかの尊厳が認められるべきだと思う。ただしこの「胎児尊厳」が、例えば「無条件の生存権」を含むかどうかには議論の余地がある。(強姦による妊娠、重い遺伝性疾患、母体人権の扱いなど)

妊娠12週」や「胎内外」といった基準に合理的意味は感じない。「知性」という基準から考えたとき、いずれも「人権」を認めるには値しないと思っている。しかしその胎児乳児が将来知性(例えば言語)を獲得し始める時期にはばらつきがあるし、どこからが「知性」だと認めるか、あるいはその知性をどう測定・評価するか、確たる方法論は何もないのが今の人類だ。

から何がしかの基準を一律に適用して、「ある時期から人権を認めます」というのは妥当な判断だと考える。「妊娠12週」が最適な基準かどうかはわからないが、少なくとも今の人類には十分現実的な一つの基準だと思う。

脳死人権

医学的な定義はともかく、ここで「死」とは、知性の回復が見込めない状態、としよう。

脳死・昏睡した人間は、言語的な意思疎通が一切できないわけで、(観測可能な)知性はない。しかし生体組織としては機能する肉体は持つから、知性の回復が「まったく見込めないわけではない」という点が問題になると考える。結局のところ、評価基準は「どの程度知性の回復が見込めるか」という点に集約されるんじゃないか

ある程度以下しか回復の見込みのない脳死者に、人権(生存権など)が全面的に認められるべきだとは思わない。

しかしもちろんだからといって、いきなり生ゴミ焼却処分っていうわけにもいかないとは思う。なんらかの尊厳必要で、それは「脳死者のために」というより、その脳死者に尊厳を認めていた「遺族(?)らのために」認められる尊厳だと考える。

その具体的な内容はともかく、「知性」を対外的に(言語による意思疎通、という外部とのインタラクションの上に)定義した以上、尊厳もまた対外的に、外部とのインタラクションという枠組みを踏まえて考えられるべきだ。感情移入の問題、というか。知性ない胎児尊厳を認めるべき、という認識もこれに依拠してる。

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