はてなキーワード: 一輪車とは
の元増田です。
『思い当たるフシ』というやつをリストアップして持っていこうと思います。
既に検査が明日に迫っているものの、「増田に上げる」という目的意識でも持たないといつまでも先延ばしにしそうなので……。
【現在の状況】
■普段の生活で困っていること
■あまり困っているわけではないがADHDの特性に当てはまりそうだと思うこと
こんなところでしょうか。書き連ねてみるとひっどいものですね……。
周りの友達は小学1年のころから補助輪なしの自転車に乗っていたので、私は学年で1番自転車に乗れるようになったのが遅かった。
小学生の頃の遠足サイクリングは本当に地獄で、景色を楽しむ余裕などなく、友達みんなにどんどん置いていかれるのがつらかったし、周りはガンバレガンバレ言ってる先生しかいなかったし、それでお弁当も食べ遅れて遊ぶ時間もなくなってしまったし、とにかく嫌だった。これが2年も続いた。
今も上手に自転車に乗れない。
自転車乗るのに上手いも下手もないだろうとよく言われる。でも本当にうまくない。
グッとペダルを踏んで進むだけでヨロヨロして、続けて漕ぎ出すことができないときがある。
ゆっくりと漕いで移動なんてできない。細やかな動きもできない。
坂の途中で止まってしまったら平らなところに着くまでもう乗れない。手で押すしかない。
トラックが隣スレスレを通るときなんか本当にヒヤヒヤする。泣きそうになる。今まで事故ってないのが不思議なくらい。
講習期間中は予備校へ自転車通学をすると友達や親に話したら「死ぬなよ」と半分真面目に言われる。
便利な乗り物だが、乗っていると悲しくてやりきれない気持ちになる。
②泳ぐことができない。
浮くことも微妙。
水が怖かったからこれまた学年で1番出来が悪かった。2年生になるまで顔に水をつけることすら嫌でたまらなかった。
周りのみんなはどんどん級を取って、帽子にかっこいい星型のシールが輝いていく。
私は小学校を卒業するまでただ1人ダサい黄色の四角いシールが貼られていた。
とにかく息継ぎができない。
息継ぎなしのバタ足じゃ10mしか「進めない」のだ。
みんなが私のことを見て「○子ガンバレ〜!」なんて何度も言ってくる。25mプールを何度も足ついてはバタ足、息が切れては足ついてバタ足を繰り返して進むという、醜くて見てられない光景を私は作り出していた。それをみんなが一斉に見ている。応援してくれているから、終わってからありがとうと伝えたが、泣きたかった。今思い出しても虫酸が走る。
何度特訓しても息継ぎはできるようにならなかった。
中学はプールがない学校を選んだのでそれからずっとプールで泳ぐことをしていない。
③走るのが遅い
小中高と後ろの方を突っ走った。速くなる方法はググる気にすらなってない。
④校庭にある遊具がもれなく全部できない
うんていにぶら下がるのはいい。そこから何もできない。片手で棒を掴んでもう片手で次の棒を掴む、まるでチンパンジーみたいに移動していくことなんか1度もできなかった。
鉄棒は前回りが唯一できた。逆上がりとか他のやつは無理だった。
体育でこれらの遊具を使ったノルマが課され、それが終わった人から教室に戻っていいと言われたが、私はやはり一番最後まで残されていた。そのノルマをこなすための逆上がりやうんていがそもそもできないのだから。ヒョイヒョイとこなしていく皆を見て、こなしているフリをしていたが、それはすぐにバレた。先生に付き添われ、1人で泣きながら、できない逆上がりを練習させられた。先生が別の方向を向いた瞬間に「できた!!」と言ってダッシュで教室に逃げたことは忘れない。
④その他
一輪車が流行ったので一生懸命練習したが、漕ぎ出すことすらできずに1ヶ月が経ち、嫌気がさして諦めた。
跳び箱も1番低い段で飛んだ。調子乗って高い段で飛んだらバランスを崩して横に落ちて以来そうしてた。
動きがトロくさいのでバスケやサッカーはできなかったし、バドミントンも空振りばかりで話にならなかったし、バレーボールも何度も腕の構え方を教わってもできずに迷惑をかけ、腕が赤く染まるだけだった。
柔軟性はかろうじてあったため、マット運動でなんとかしていた。
運動が大嫌いです。
体育なんかとにかく嫌な思い出ばかり。
でも運動できるようになりたい。
体つきを一目見て「こいつ運動できないな」と見透かされるくらいの筋力のなさと脂肪のつき方をしているから、それを変えたい。
スタイルいい人はみんな運動できるでしょ、だから運動できるようになりたい。
スポーツの大切さは保健で習ったし、老いても自分の脚で歩くために本当に重要なことだと思う。気分転換になるのも分かる。
だけどどうしてもスポーツに恐怖を覚えて、踏み出すことができない。
何しても「運動できないねwww」「鈍臭いww」なんて言われるから何も楽しめない。下手でもやりたいことを楽しめるようなクソポジティブなんて持ち合わせてない。最初は下手だけど、じゃない。スポーツや運動関係が上達したことなんてなかったから、最初もその後も下手なままだって分かってるから、スポーツを楽しむことができない。気分転換なんかならない。自分がよくいる周りに大きく劣ることだけを思い知らされ、その差が詰められるものではないと思っているからただただ苦痛なんだ。
運動が本当に怖い。やったほうがいいのは分かるのに、嫌だ。
誰かこのどうしようもない感じをどうしようもある感じにしてほしい。
運動音痴だからなんでこんなに人生不利なんだ。こうも楽しくないんだ。クソかよ。
泣きたいもう
一生の問題
君は、自分が今抱えている問題が解消すれば楽になると思っていないかい?
問題は常に付きまとう。
問題を抱えはじめたのは小6くらいの頃だっただろうか、中学生になれば解決する問題、それは通学路だった。
小学生の一つの楽しみと言えば行きと帰りの歩き道として通学路が制定されていた。
住んでいる区域によってある程度“この道を通らなければいけない”という決められた道程があり、もしその道以外を歩いて登下校しようものなら朝と帰りの学級会で
「○○君が通学路破りをしていました。」
なんて問題にされる。
確かに親や教師達が心配してとの事だというのは解るが、中学生になればこの問題は解決し自由に好きな道を選んで登下校できた。
勿論、中学は中学で自転車に乗ってはならない等の規制があったりする。
常に問題はつきまとう。
高校生くらいになれば早く自分で働いて自分の稼ぎで自由に買い物したいと思うし、大学生になれば内定さえ取れれば等と考える。
係長になれば、課長になれば、部長になれば、役員になれば、いつになっても問題は解決しない。
我々は、問題を解決する為に生きているのだろうか?
結婚をすれば、子供ができれば、子が親元を離れれば、孫ができれば。
いつあなたは楽になるのだろうか? 欲にはキリが無いなんて事を言いたいのではない欲は大きく沢山あっていいんだ。
問題を抱えていている時というものは兎角“これがどうにかなれば後は楽だぞ”と考えやすい。
しかし、それも束の間、お腹が空いて空いて仕方無かったのに、腹いっぱい飯を食べた時の満足感は食事が終わった30分後でも持続するだろうか?
否応なしに課せられた問題もあれば自ら抱え込んだ問題まで様々だ。
そう問題に振り回されるのではなく、問題を制御しコントロールしているという自覚が、問題を問題という言葉から感じる嫌に重たいイメージを変えるのではないだろうか?
自分でしたいと思った事がすぐ簡単にはできない事であれば問題だ、色々とその問題に対し取り組まなければならない。
しかしいくら自分で設定した問題とはいえ過去に誰かが成し遂げた課題であったりすると、どうしても道無き道を突っ走る新雪の中を滑るスノーボードの様な快感は得られない、決してそれが楽とは限らないが先駆者達に寄る補正に補正を重ねられた道であるからだ。
だからそう、君も一つでいい
この宇宙でまだ誰も成し遂げた事のない課題。問題を抱えてみないか?
それはトンデモない事でいい、トレーニングで一輪車に乗れるようになるのと同じようにテレパシーで特定の誰かと会話したいであるとか、誰も作った事のない新しい料理を作るでもいい。
大事なのは常に心にその“自分だけの解決したい問題”を抱え続ける事だ。
とは言っても、その自分用の人生の問題を作るのはけっこう難しい。
生老病死というように、現代の様々な問題が無い遥か過去から、人は様々な問題に苦しんできた。
僕は逆にと言える例えでもないが生老病死の苦しみとは逆に“知想伝忘”の楽しみを一生の問題にしてみてはどうかと思う。
“知る”楽しみ 何かを知ること、新しい知識を得る事は快感である
“想う”楽しみ 何かを考える事、感じる事、思い描く事、想像、創造する事も快感だ。
“伝える”楽しみ そしてそれらの楽しみを他人に伝えて共感を得たならな楽しみを共にする楽しみもある
“忘れる”楽しみ かといって転んで痛かったり、不運や事故は起こりうる。できれば颯爽と忘れてしまえば尚楽しい。
なにかや曲のある宗教臭さがでてきて申し訳ないが
一生、問題は続く
そして、楽ではないのは問題があるからではなく
問題を他者から与えられるからであって、自分で設定していなからという側面が多分にあるからじゃないかと思ったので書いてみようと思った。
かといって、これらの問題と問題と見る事なく、淡々とこなす物として見過ぎると次にはこういった問題が浮かび上がる
“先が見えてしまう”
というものだ、問題が問題でなくなると、なんだか自分の人生を早送りしたくなる。
もっと先へ行きたいもっと早く行きたい、だってどんどん楽しくなるから。
そうすると今度は、時間の流れの遅さにいらだちを覚える。
結局本当に、時間こそ問題なのかもしれない。
いや、この話に突っ込むとやばそうだ・・・
ちょっとほら、もう、こんな私の文章にあなたは何分を費やした?
時間の問題ならば、長い人生たまには時間を見つめなおすのもいいかもしれない
あなたも今夜は色々と詮索するのは止めて暗くして布団に入り目を閉じたら
時間が見えてくるかもしれないww
そして、そうご存知の方も多いかと思うが時間の感じ方は「自由」にできるんだぜ!
だからおれはなんにでも好意を持とうと決めたのかもしれない。
遅い時も早い時も、その時の自分の時間の感じ方を楽しんでみようよ
そうすれば、また次の新しい“一生の問題”が見つかるかもしれない
@awaikumo