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2015-05-04

「MIRAIには未来はない」理由を、理系はてなーにわかるように書く

理系はてなーのみなさんは、MIRAIに関するさまざまな問題点の指摘をすでに目にしているだろう。

曰く、水素自動車に使われる水素は結局は電気で作るほかなく、その電気化石燃料含めた既存の発電設備で作る。化石燃料をそのまま使う内燃機関車や、電気の段階でエネルギーを受け渡すEVより多段階のエネルギー変換をしているわけだから、そのぶんエネルギー効率が落ちている(実際、コスト比較するとHVEVよりも燃費は悪い)。水素ステーションという社会的インフラ基盤を整備するコストも高い。液体ではなく気体を扱うわけだから設備にもそれだけ高い保安性能が要求される。1拠点で1億円かかると言われている。エネルギーロスがある技術に、多大な社会的投資必要になる。

これらはすべて、MIRAIという車両の「川上」に属する問題だ。でも、MIRAI自体問題について指摘した文章をあまり目にしていない。そこにこそ「MIRAI(FCV)には未来がない」ことの雄弁な証拠があるというのに。

なんでMIRAIには未来はないと思うのか。端的に、でかすぎ、重すぎなのだクラウンよりも5mm短くて横幅が15mmでかい。同サイズ以上。車重は2000kgオーバー。定員は4名で、後部座席の足元は前席下に入らない。トランクは狭小。これが、FCV未来がないことの証拠だ。

そんなことがなぜ問題なのか。「初代の実験販売車だからいいじゃないか。そのうち改善されていくだろう」。そうではない。たとえば初代プリウスはMIRAIより全長が600mm、横幅は100mm短く、車重は1200kg台で、定員5名だった。MIRAIより800kgも軽いのだ! 初代プリウスをあれだけコンパクトパッケージにまとめたトヨタが、MIRAIでは会社の命運を賭けてもここまでのパッケージングしかできなかったということが、FCVの将来を暗示している。MIRAIはHVに比べても、積載している技術要素が多く、しかもそれぞれ小型軽量化するのが困難な技術的制約があるから、この大きさと重さになってしまっている。以下、それぞれの技術要素について言及する。

まずFCスタック燃料電池部が重くてでかいこの重さと大きさでどうにか155psを確保した。2tを超える車重を動かすにはおっつかっつのレベルだ。しかも、その性能(重量出力比)を規定しているのが化学反応領域なので、技術革新のペースが電子技術機械技術よりも格段に遅い。これは燃料電池だけでなく、電池技術一般的命題として知られている。実用車として必要な出力を確保するには、大幅な小型化は難しいだろう。

高圧水素タンクも重くてでかいでも、これ以上小さくすると650kmという内燃エンジン車の平均的航続距離を切ってしまう。タンク圧を上げればそれだけリスクが増す。現状でも水素自動車スタンドでは危険性を考慮し、専任オペレータチャージしなければならない(=セルフ補充はできない)仕様なのだから、これ以上の高圧化の可能性はないだろう。そしてタンク耐用年数は15年だ。しかも2年毎に定期点検必要になり、一般車検場では検査はできない。とてもエコだのサステナビリティだのを胸を張って主張できるような代物ではない。

水素ガスの供給系も重いしでかい燃焼性の液体を発火プラグの直前で気化する内燃機関に比べて、気体を高圧タンクからスタックまで送り込むのだから、配管の気密性もポンプの性能も桁違いに保安基準が高く、それだけ重く大きくなる。これも技術的制約であり、簡単解決できるようなものではない。ちなみにこの車には数ヵ所に水素ガスのガス漏れ検知装置がついている。

廃熱系も重くてでかい水素自動車は水しか排出しない。つまり排ガス経由で廃熱を抜けない。しか燃料電池部分はかなりの発熱を伴う。FCスタックで起きているのは、酸素水素から電気と水と熱を作る反応だからだ。だからあの異形の巨大グリル必要になり、その内部に大型のラジエーターが鎮座している。これも化学反応特性に紐付けられた制約だから技術革新で容易に克服できるものではない。

バッテリも、EVほどではないにしろ、それなりに重くてでかいFCスタックだけでは柔軟な出力制御回生はできない。だから大型の補助バッテリセルを積んでいる。FCスタック+モーター+バッテリというパワートレイン。これエンジン+モーター+バッテリパラレルな、要はHV車と同じような構成なのだHV並みにパワートレイン構成が複雑で、構成部品も多い。しかも可燃性気体を扱うぶんだけ重く大きくなる。これは技術革新だけでどうにかできるような問題ではない。FCVという特定テクノロジーの組み合わせによる、固有の限界、固有の制約というものがある。それがMIRAIの初期モデルの性能と価格規定している。こう説明すれば、理系はてなー直感的に「あっこれ、技術的に筋が悪いな」と感じるのではないだろうか。

から値段も高い。補助金なしなら700万円オーバーだ。そこに、国民の皆様の血税が220万円注ぎ込まれて、やっと500万円程度になる。ちなみに初代プリウス補助金なしで215万円だった。おわかりいただけただろうか。だからMIRAIには未来がないのだ。

6年後の追記

2021年6月16日ホンダ・クラリティFuel Cell生産中止が発表された。ホンダ、FCV生産中止 販売低調で : 日本経済新聞 理由販売低調。そりゃそうだ、高い(783万円)、でかい全長4915mm・全幅1875mm)、買いにくい(リース専用)。2021年6月時点でも全国の水素ステーションの数は147箇所止まり助成金たんまり乗せて官公庁法人に買ってもらうしかマーケットがない。そもそもクルマとしてのユーティリティが乏しいFCVで、さらにあえてホンダ車を選ばなければならない自治体企業ほとんどない。全世界での累計販売台数はわず1900台だったそうだ。FCV全体を断念するわけではなくGM合弁でFCVは続けるということだが、あくま保険的なムーブだろう。

もう一方のトヨタ・MIRAIはどうなったかといえば、こちらも累計販売1万台・国内販売3700台と全く振るわない状況だったが、2020年12月にガラッと雰囲気の変わった2代目が出てきた。https://toyota.jp/mirai これが実にお見事なのだ。といっても「これなら売れる! FCV時代が来た!」という意味ではない。5年前にこの増田で書いた諸問題まったく解決できないまま、それでも「FCVには将来性がある」という幻想を維持するために、針の穴に糸を通すようなコントロール商品企画をやり直し、それにある程度成功している、ということだ。

どういうことか。まずボディサイズだ。レクサスLSと同じGA-Lプラットフォーム採用して、全長4975mm・全幅1885mmに。ちなみに初代は全長4890mm・全幅1815mmだった。初代よりひとまわりデカくなっているのである! 価格は? 細かくグレードを刻んで710万円〜860万円。こちらも高くなっている! 高圧タンクはどうなった? なんと3本に増槽している。しかも1本は運転席の真横に据え付けられている。

全幅1885mmにして、巨大なフロアトンネルにも水素タンクを入れて、750〜850kmという航続距離を確保。全長4975mmにして、ゴルフバッグ3個分のトランクを確保。大径タイヤ採用して地上高を上げ、タンク寸法を拡大。とにかく、全体をデカくすることでどうにかした。「技術課題解決しないという解決をした」ともいえる。

一方でトヨタはさすがだなと思うのは、そういう「FCV限界に気づかせないための、ほぼ唯一の正解ルート」を新型MIRAIでちゃんと選んでることだ。上司に「お前、FCVなんとかしろや」と言われた時に現場が練ってくる商品企画としては、ほぼ100点満点といえる。つまりデカさと高さを「これはあくまで高級車、ラグジュアリーカーなんですよ〜」という建て付けにすることで、「要素技術的に小型化・低価格化が困難」という自家用FCVの致命的欠点希釈したのである

自家用FCVの「デカい・狭い・高い問題」を誤魔化せるのは、もともとボディサイズが大きいスポーツ寄りの大型セダンか大型SUVぐらいしかない。だがエコカーの上得意である自治体法人SUVを買わない。だからMIRAIは「レクサスLSみたいな、スポーツ寄りの大型セダン」になった。2代目MIRAIは、顔つきこそスポーツカーっぽいが、シルエット的にはギリギリ自治体法人用のショーファードリブンカーにも富裕層向けのドライバーサルーンにも見えるし、実際に両方のニーズをそこそこ満たせるように作ってある。辻褄は合ってる。

ショーファードリブ用途に供するために、狭い車内で後部左右席をめいっぱい広く取った。だから後部中央席は実用に向かない。あくまで「5人定員」というカタログスペックのためのエマージェンシーシートだ。これはファミリーカーなら大きな欠点だが、ショーファードリブンやドライバーサルーンなら別に困らない。ほとんど使わないから。辻褄は合ってる。

後部中央席を実際に使わない想定なら、フロアトンネルを大きくしてそこに水素タンクを増槽してもいいよね、となる。結果として航続距離が伸び、600km→850kmになった。これで水素ステーション不足の問題をある程度緩和できている。辻褄は合ってる。

ガッチガチの制約条件の中で唯一の正答を導く論理パズルみたいなことになってて、しかちゃんと正解してる。さすがトヨタ。だがこれは「やっぱりFCV大衆乗用車(5人乗り+5ナンバー)を作るのは無理でした」という事実上の敗北宣言でもある。やはりMIRAIには未来がないのだ。

追記追記

おそらくトヨタも、自家用FCVという路線にはもう勝ち目が薄いと認識していると思う。そこで繰り出してきたのが水素エンジンという隠し球技術的にはそう目新しくなく、過去にも複数メーカー販売している。ただカーボンオフセット問題視される以前は既存ガソリン内燃車に比べて全く優位性がなかったし、そもそも世の中に水素燃料のサプライチェーン存在していないから普及することもなかった。

でもFCV普及が厳しくなった今、水素エンジン車は、既存自動車メーカーが手持ちの技術資源を使ってEV勢に対抗しうる希少な選択肢になる。内燃で培った基幹技術の多くを使い回せるので、今からでもイノベーションで先行するEV勢にキャッチアップしやすい。ミッション系ほか大手下請サプライヤーもそのまま連れて行ける。ガソリンに比べて重量エネルギー効率はかなり悪いが、お得意のHV機構と絡めれば何とか燃費実用域まで持っていける可能性はある。官民を巻き込んだ水素ステーション全国展開というプロジェクト延命もできる。モジュール化に不向きなので中長期ではEV勢に対してどうしても不利になっていくが、レガシー技術延命させて戦えるとこまで戦うというのも旧主派勢力の立派な戦略だ。3代目MIRAIは、出るとしたら普通水素エンジンHV車に生まれ変わっているかもしれない。

(続きを書きました https://anond.hatelabo.jp/20210820195856

2014-05-20

金玉ってさ

ラジエーターって言うと一気にかっこよくなる。

ん?どっちかというとキンタマじゃなくて玉袋がラジエーターなのか?

あとどうでもいいけど、ブレイクブレイド原作最初らへんで、おそらく連載時には「キンタマついてんのか!?」って女が男をなじってたところが、コミックスでは「陰嚢ついてんのか!?」に差し替えられてていろいろ台無しだなあと思った。

伏せ字のほうがまだましだよ。

2012-04-09

突然「理系の子」をdis

文芸春秋が先月出した単行本で、「理系の子」というのがある。書評検索したところ、おおむね好評であるようだ。

しかに本はとても面白かった。登場人物はそれぞれ個性的だし、エピソードは魅力的で印象に残る。構成もよく練られていてとても読みやすい。

だが、おれは気に入らない。この本は文系の著者による文系の読者のための文系ならざるところはない本だからだ。あいまい科学的厳密性に欠けるものからだ。

たとえば、第二章では、「太陽エネルギーによって部屋を暖め、湯をわかすヒーター」が登場する。著者は次のように説明している。

太陽の光がプレキシガラスを通過し、光を最大限に吸収するよう黒く塗られた炭酸飲料の缶に囲まれたラジエーターを暖める。そこから暖かな光がパイプを通じて部屋へ送られ、室温を摂氏三十度以上にすることができ、さら沸点近くの九十五度くらいまでの湯をわかすことも可能だというのだ。

お前らこれでどんな装置想像できるか。水温測ったら九十五度でした、以上の情報はおれには読み取れない。

ラジエーターは何のためについてるんだ?装置内で水は循環してるのか?そういう説明は一切ない。

また第六章では、水中のポリフルオロオクタン酸(PFOA)の濃度を正確に計測する方法として

PFOAを含む水を煮詰めて振り、表面にどれほどの泡を生じるか観察するだけでいいのではないか

と書いている。いいわけないだろ。あのな、お前本当に知らないかもしれないから言っておくけど、界面張力ってすごく微妙で他の有機物はもちろんちょいと無機塩が溶けるだけで変わってきちゃうんだぞ。

そして、この測定法について「この方法でも九十二パーセントの精度で水に含まれるPFOAの量を測定できることがわかった」と書いているが、九十二パーセントの精度ってどういう意味なのかおれにはわからない。測定誤差が八パーセントってことか、ばらつきが九十二パーセントあるってことか、どっちだよ。

測定誤差が八パーセントなら測定誤差が八パーセントと書くべきで、訳文から感じ取れる「こんなに正確に測れるなんてすごい!」的ニュアンスからすると多分こっちかなあという気がするが、でも一○八パーセントの方はどうなっちゃうの、と思わざるを得ない。あるいは、この方法は簡易測定法なんだから、ばらつきが九十二パーセントあったって充分有用なのかもしれない。でも、それならそれでもうちょっと他の書き方があるだろ。測定誤差が大きい測定法なのに、そのことについて触れないとしたら、それは不誠実な態度ってもんだ。

第十一章はカーボンナノチューブネタだが、ナノ粒子についてこう書いている。

ナノ粒子は髪の毛のおよそ十万分の一、分子よりもわずかに大きいだけだ。

お前なあ、と書いて終わらせたいところだが、一応二点だけ突っ込んでおく。

髪の毛のおよそ十万分の一、というのは「髪の毛の太さの十万分の一」というつもりだろうが、太さという重要なタームを省略する感性は理解しがたい。それに、髪の毛の太さが何ミリかお前ら知ってるのか。おれは知らない。ナノ粒子ってすごく小さいんですよ、と言いたいのならもっと具体的にイメージできるもの比較しろよ。「分子よりもわずかに大きいだけだ」って、大きさをどう評価するべきか、という議論も可能だし、そもそも粒子と分子を無造作に並記する鈍感さにうんざりさせられる。

他にもいくらでもあるが、以上を要するに、著者は彼らの研究内容を理解していない。

そして(著者略歴によれば)他の雑誌はともかくWiredに寄稿していることからして、自分が理解していないということは認識していただろう。つまり、理解しようという気がなかったと断定していい。この本の帯には「科学はこんなに楽しく、熱い」と書いてあるが、著者が書いているのは科学の楽しさや熱さではなく、参加した高校生が楽しんだり熱中したりしているその姿である。著者にとっては、そしておそらくこの本のメインターゲットであろう多くの文系の読者にとっては、研究内容などどうでもいいことなのだ

消費される娯楽。この本に対するおれの評価はそれに尽きる。こういう本が出版されること自体が遠まわしな科学へのdisではないのか。

だいたいからして電子材料ハンドブックだって充分すぎるほど楽しく、熱いよ。

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