はてなキーワード: メソとは
http://b.hatena.ne.jp/entry/qiita.com/tadsan/items/fb496e450fc27c8c4494
歴史的仮名遣へのヘイトスピーチが人気コメントの2位・3位。これはひどい。そして悲しい。
多分、著者のtadsanは一々コメントを返したりしないので、この場で勝手にツッコミを入れてみる。
bottomzlife なぜ意味不明な歴史的仮名遣いがまじってるんだ。気持ち悪いからやめてほしい。プログラマなら日本語のコーディングガイドラインも守れ
「まじって」なんかない。全文が単なる歴史的仮名遣でしかない。(これは逆に、「現代仮名遣い」との差が少ない証拠になってる)
あと「日本語のコーディングガイドライン」が「現代仮名遣い」を指すなら、そのガイドラインの方が意味不明でクソ。まだ歴史的仮名遣の方が論理的で、プログラマ的にも腑に落ちる。その辺は http://web.archive.org/web/20020612101011/http://hb9.seikyou.ne.jp/home/kyuri/nihongo/kana-hikaku.html でも見れば、小学生でも解る。
「歴史的仮名遣い風」ではなく、正真正銘の歴史的仮名遣。(字音仮名遣? 知らない子ですね…)
それでも信用しないのなら、個人の勝手だが、そんな差別をする奴は信用ならない。
snobbishinsomniac 「ヘッダ」「メソッド」ではなくて「ヘツダ」「メソツド」だろうし、「レガシー」「モジュール」じゃなくて「レガシイ」「モジユウル」ではないのかな。
外来語の長音記号とか大書き・小書きとかはどっちでもええんやで。
ちなみに「モジュール」は「module」でダ行だから「モヂュール」と書く人も居る。
慣れの問題。いや本当に。
時間を掛けてまで歴史的仮名遣の読み書きを習得する価値は、個人的にはある。似た感覚としては、全然論理的でないHTML3.2を捨てて4.01とか5.0に移行するのと同じ程度に有用。
物心つく前から私は超が付くほどの泣き虫で、毎日大きな声で泣き出しては母親を悩ませていたと聞く。
幼稚園に入ってもそれは変わらず、朝起きて変な形の寝癖が付いていて/雨が降っていて外が暗くて/朝食の牛乳が熱くて…とまぁ本当にどうしようもない理由でしょっちゅう泣いていた。
子どもの頃から泣き虫の自覚はあってコンプレックスに感じていた。小学校で作った七夕飾りの、短冊にはこう書いてあった。
26歳になった今でも私はすぐに泣く性分を引きずっている。こないだも、狙っていた特売品が売り切れたのを知って一人スーパーで涙を流してしまった。アホちゃうか。
他にも泣きたくないのに涙が出て恥をかいた経験は枚挙に暇がなく、あんまり振り返ってると虚空に向かって「あー!」と言いたくなってくるのでここらで止めておく。
さて、すぐ泣く女というのは世間的にはまぁ重たくて面倒くさくて、関わると厄介な存在と思われがちである。ぶっちゃけ私自身もそう思っている。
しかし涙腺と言うのは思い通りに作動してくれないもので、泣いてる場合でないと頭では分かっていても勝手に涙は出てきてしまうし、止めようとすればするほど止まらない。
泣きたくないのに泣いて、周りに引かれて、自分が心底嫌になって、また泣いてしまう。泣き虫人間ならば一度はそんな経験がある筈だ。というわけで、私が26年この性分と付き合っていく中で培った、なるべくその場の空気をぶち壊さず、かつ自分も気持ちが楽になる工夫を挙げてみようと思う。
自称泣き虫の人は多分皆オリジナルの処世術を持っていると思うので、もしそんな人がいたら是非自分のやり方と比べてみて欲しい。
まずはここから始めた。成人するまでほぼ毎日泣いていた(特に問題を抱えていたわけではなく「なんとなく」泣いていた)ので、このままではマズイと思った私は毎日泣いてるときの精神状態を観察することにした。「あ、涙出始めたなー」「今頭がカッとしてるなー」「なんか周り見れなくなってんなー」「なんとなく止まりそうな感じがしてきたなー」…これを毎日繰り返すうちに、私は自分が泣いている姿を観覧者の目で眺めることができるようになった。後頭部あたりにもう1人の自分がいて、眺めている様な感覚だ。
もちろん今でも、喧嘩したり、映画を見たりするとどうも観覧者の目になれない日もあるが、それも半年に1回あるかないか程度になった。これによって、まず「涙は出ているけど気持ちはコントロールできる」状態を作ることに成功した。
いずれバレてしまうのだ。隠していたって仕方無い。
泣く姿を見られてしまう前に、「私が泣くのは日常的なことである」「泣いていても頭の中は割と冷静だったりする」「私が涙を流し始めても放っておいて」「もし不快であれば正直に言って」と、できるだけライトな明るい雰囲気で周知徹底させておくと、後々人間関係もそんなにこじれずに済むと分かった。
また、普段から神経質な態度でいると、いざ涙が出た時にどうしても「積もり積もったストレスで爆発してしまった」風に見られるので、日頃からなるべく「おおざっぱなおちゃらけキャラ」で人と接するようにした。少々イジっても誰も罪悪感を持たないくらいの感じで居ておくことで、色々やりやすくなった。
例えば仕事中、電話口で客に怒られて涙が出たとする。そういうときに一番やってはいけないのはメソメソすることだ。ありえないくらいその場の空気が壊れるし客は困惑してしまう。
自意識過剰とメソメソは隣り合わせの存在だ。自分のことばかり考えて涙を流す時、人は多かれ少なかれ可哀想な雰囲気を醸し出す。
周りの人はどう感じるだろう。なんだか自分が悪い事をした様な気になって、モヤモヤした気分になる筈だ。しかし、メソメソ泣いてる人の涙をしっかり咎められる程胆力のある人はそういない。
可哀想な人は最弱故に最強なのだ。だからこそこういうときは絶対にメソメソしてはいけない。
一番意識しないといけない対象は客であり、対応であり、要は目の前の仕事である。泣いてることなど本当-----ーにどうでもいい。
涙の存在を頭から消し去る。一番手っ取り早く涙を止められる。もし涙が出続けても、全神経を仕事に集中させる。「涙よ止まれ」と思うことも禁止。ほっといたら勝手に止まるものの心配なんてしなくても良い。
涙は液体なので、顔面を伝ったり視界を曇らせたりして気を散らしてくる。その時は「目ヤニ邪魔だな〜」と思いながら涙を拭う。不思議と涙に意識が向くことはない。
普通に仕事してる+なんかよく分からないけど目ヤニがめっちゃ出る、といった自己認識で動いていると、声色やテンション普段ともあまり変わらない自分がいることに気付く。
周りも普段と一切変わらない態度で接してくれる。
残念ながら、どんなに心頭滅却しても私が泣き虫であることには変わりない。私が重い印象にならないよう努力しても、周りの受け流し方次第では、重たくて面倒くさくて関わると厄介な存在にも十分なり得る。
今周りにいる人達は私がすぐ泣くことをスルーしてくれて、たまに泣き虫をイジってくれる。誰も腫れ物に触るような応対をしてこないことが心地良い。
ちょっとしたことですぐ涙を流すのを見て、イラつくことがあるかもしれない。謂れのない罪悪感でモヤモヤするかもしれない。でも、皆それを受け入れてくれている。申し訳なさを感じる。ありがたい。
のんびりした空気の時を選んで、私は「いつもすみません、ありがとうございます」と伝える様にしている。その時は泣かない。泣きそうだなぁと思ったらまた別の機会にする。そのくらい徹底している。
仕事で悩みを相談したり、素直な気持ちを話す時、私は絶対泣かないと決めている。冷静に話ができる人だと思われたいから。
工夫さえしていれば泣き虫でいてもいいのだ、と思うようになってから、私は少しずつ泣く回数が減ってきた様に感じる。
もしかしたら、オバサンになる頃には私は泣かなくなっているかもしれない。
ただ現状、周りの人達の良心に大きく依存していることは確かなので、理解に感謝しつつ自分でももっと工夫できることがないか考え、色々試していくのは続けていきたいと思っている。
天メソはともかくコメルシもハルチカも毎週見るのが苦痛だったよ。
コメルシなんかいつドモンがカレーと共に復活するのかそればかり気になって見てたら
ミツバチさんがパン持ってロボットと格闘する場面でギャグアニメだってようやく気付く事が出来たよ。
ハルチカもきっとfhanaが歌ってるんだ、絶対面白いはずだ!って思いながら見てたのにさ
美代子とか直子とか千夏ちゃんの太腿や乳ばっかに目が入ってすっかり何のアニメか忘れてしまってたよ。
作画は良かったんだよな。
だけど、内容が頭に入って来なかったよ。
だって謎解きが始まって解決した終わった、次の週、は?いつ練習と勧誘したのって驚くよりも人数増えてるわ上達してるわで
俺、このアニメすっ飛ばして見てたっけ?って正にキングクリムゾン状態だった。
fhanaが都度持ち上げられる度に俺は絶対見なきゃって強迫観念に駆られてたのかもしれない。
正直天メソもEDよりOPの方が好きだったことを思い出すのは、結構後で、ハルチカを全話見終わった後だったんだ。
あの時、どうしてお前らはfhanaはいいぞ~って勧めたんだよ。
ああ、なるほど。俺は知らなかったよ。
今頃気付いたよ。
まさか良アニメ請負人と信じてたfhanaがクソアニメ請負人だったなんて
分かるはずないじゃないか!
ほんとお前らってクソアニメ好きだな!
今度からは注意しておくよ。
言われてみれば売れてるアニメってどこか異質というか
これはっていうアニメのキャラデザは見た瞬間これは絶対売れる!イケそう!覇権だ!っていう
予想が付いちゃうと思う。
今期アニメはまだ全部見てないので詳しく言えないけど、キャラデザの時点で惹かれたアニメが3作ほどある。
前期は光るキャラデザが4本位あったけど、その4本共が大して売れてなかったのでもしかしたら勘違いかもしれない。
巷では審美眼って言うらしいけど、残念ながら俺にはないものだろう。
だから誰かしらがこれって言う絵柄を見た時点でこれは!ってなるのがあればやっぱりキャラデザで決まるのかなと思う。
まあ、キャラデザが良くても話がつまらないとされた天メソって例もあるので
一概にキャラデザで決まるでもないですけど、だからってそれで決まらないアニメもそんなにないと思ってる。
というか、何でも見た目重視ですよ。
多分これが基本なので、その後話も面白ければ・・・ってなるんじゃないですか?
分かりませんけど!
去年、精神病院に入院した時に同じ病棟だった薬物中毒の女の子が忘れられない。
救急病棟に担ぎ込まれた時に隣のベッドに寝ててそれが縁で話すようになった。
俺、精神病院と縁があって何度も入退院してる。女の子も薬物に手を出してからはずっと病院のお世話になっていた。
俺は病院で女の子好きになったことなんてなかったのだが、その女の子が泣いてる姿みて好きになってしまった。
泣き方は大声でわんわん泣くタイプではなくて椅子に両足乗せてメソメソ泣く感じで、下衆な言い方だけど、保護欲をそそる。
家族と離れて暮らしてて一人が寂しいって言ってるのを聞いた時は既に好きになってた
薬物中毒の後遺症に悩まされててよくナースステーションで看護師と会話したり頓服もらったりしてた。
俺自身、発達障害で入院してて近寄りがたい雰囲気がある(顔も普通以下)のだが、その女の子とはけっこう話した。
そのカスは仕事ができない。具体的に言うと、物覚えが悪いのと、決められた通りに(書くとか喋るとか一切の)作業できないので、いつまでたっても0.3~マイナス0.5人分くらいのマンパワーしか発揮しない。おまけに、どうでもいい事項や書式などにこだわって、全部やり直したりするからクッソのろま。
で、改善しようともしない。他人を見習おうするとか、迷惑をかけているという意識がそもそも存在していない。でも、明らかなミスをやらかしたりするとメソメソ泣いてたりもして、うっとうしい事この上ない。
なんでこんなカスなんだろうか、と俺は考えた。
そして、原因らしきものに思い当たった。(日ごろの人間観察の賜物である。)
おそらく彼女は、自分に全能感を持ちすぎているのだ。それゆえ、強い自己肯定感を持っている。
思えば、カスは自慢げに話したものであった。やれ離婚の調停で勝った、痴漢撃退したなど、妹のヒモを包丁持ち出して追い出したとか、自慢げに。気持ちよさそうに。そして一方的に。
間違ったイメージトレーニングをやっているようなものなんだろう。彼女は理想と現実とのギャップが認められないのだ。それで泣く。だが本質的に、自分が変わる必要があるなどと考えようとはしない。努力はしない。
ある意味ではおめでたい性格であるが、それが通用するほど社会は(増税でケツ毛も毟り取られた中小企業は)甘くはなかった。カスは今月で退職することになった。遠隔地に異動を申しつけられてからの自主退職という形式であった。
カスは一年前にはJDだった。あと数年すればニートになるだろう。ここで、村上春樹先生なら聞くかもしれない。この話の教訓はなんだろうか、と。
私は答える。多分、自分に全能感を持ってしまうとろくなことにはならないってことだと思います。先生は、そうかもしれない、と言った。