物心つく前から私は超が付くほどの泣き虫で、毎日大きな声で泣き出しては母親を悩ませていたと聞く。
幼稚園に入ってもそれは変わらず、朝起きて変な形の寝癖が付いていて/雨が降っていて外が暗くて/朝食の牛乳が熱くて…とまぁ本当にどうしようもない理由でしょっちゅう泣いていた。
子どもの頃から泣き虫の自覚はあってコンプレックスに感じていた。小学校で作った七夕飾りの、短冊にはこう書いてあった。
26歳になった今でも私はすぐに泣く性分を引きずっている。こないだも、狙っていた特売品が売り切れたのを知って一人スーパーで涙を流してしまった。アホちゃうか。
他にも泣きたくないのに涙が出て恥をかいた経験は枚挙に暇がなく、あんまり振り返ってると虚空に向かって「あー!」と言いたくなってくるのでここらで止めておく。
さて、すぐ泣く女というのは世間的にはまぁ重たくて面倒くさくて、関わると厄介な存在と思われがちである。ぶっちゃけ私自身もそう思っている。
しかし涙腺と言うのは思い通りに作動してくれないもので、泣いてる場合でないと頭では分かっていても勝手に涙は出てきてしまうし、止めようとすればするほど止まらない。
泣きたくないのに泣いて、周りに引かれて、自分が心底嫌になって、また泣いてしまう。泣き虫人間ならば一度はそんな経験がある筈だ。というわけで、私が26年この性分と付き合っていく中で培った、なるべくその場の空気をぶち壊さず、かつ自分も気持ちが楽になる工夫を挙げてみようと思う。
自称泣き虫の人は多分皆オリジナルの処世術を持っていると思うので、もしそんな人がいたら是非自分のやり方と比べてみて欲しい。
まずはここから始めた。成人するまでほぼ毎日泣いていた(特に問題を抱えていたわけではなく「なんとなく」泣いていた)ので、このままではマズイと思った私は毎日泣いてるときの精神状態を観察することにした。「あ、涙出始めたなー」「今頭がカッとしてるなー」「なんか周り見れなくなってんなー」「なんとなく止まりそうな感じがしてきたなー」…これを毎日繰り返すうちに、私は自分が泣いている姿を観覧者の目で眺めることができるようになった。後頭部あたりにもう1人の自分がいて、眺めている様な感覚だ。
もちろん今でも、喧嘩したり、映画を見たりするとどうも観覧者の目になれない日もあるが、それも半年に1回あるかないか程度になった。これによって、まず「涙は出ているけど気持ちはコントロールできる」状態を作ることに成功した。
いずれバレてしまうのだ。隠していたって仕方無い。
泣く姿を見られてしまう前に、「私が泣くのは日常的なことである」「泣いていても頭の中は割と冷静だったりする」「私が涙を流し始めても放っておいて」「もし不快であれば正直に言って」と、できるだけライトな明るい雰囲気で周知徹底させておくと、後々人間関係もそんなにこじれずに済むと分かった。
また、普段から神経質な態度でいると、いざ涙が出た時にどうしても「積もり積もったストレスで爆発してしまった」風に見られるので、日頃からなるべく「おおざっぱなおちゃらけキャラ」で人と接するようにした。少々イジっても誰も罪悪感を持たないくらいの感じで居ておくことで、色々やりやすくなった。
例えば仕事中、電話口で客に怒られて涙が出たとする。そういうときに一番やってはいけないのはメソメソすることだ。ありえないくらいその場の空気が壊れるし客は困惑してしまう。
自意識過剰とメソメソは隣り合わせの存在だ。自分のことばかり考えて涙を流す時、人は多かれ少なかれ可哀想な雰囲気を醸し出す。
周りの人はどう感じるだろう。なんだか自分が悪い事をした様な気になって、モヤモヤした気分になる筈だ。しかし、メソメソ泣いてる人の涙をしっかり咎められる程胆力のある人はそういない。
可哀想な人は最弱故に最強なのだ。だからこそこういうときは絶対にメソメソしてはいけない。
一番意識しないといけない対象は客であり、対応であり、要は目の前の仕事である。泣いてることなど本当-----ーにどうでもいい。
涙の存在を頭から消し去る。一番手っ取り早く涙を止められる。もし涙が出続けても、全神経を仕事に集中させる。「涙よ止まれ」と思うことも禁止。ほっといたら勝手に止まるものの心配なんてしなくても良い。
涙は液体なので、顔面を伝ったり視界を曇らせたりして気を散らしてくる。その時は「目ヤニ邪魔だな〜」と思いながら涙を拭う。不思議と涙に意識が向くことはない。
普通に仕事してる+なんかよく分からないけど目ヤニがめっちゃ出る、といった自己認識で動いていると、声色やテンション普段ともあまり変わらない自分がいることに気付く。
周りも普段と一切変わらない態度で接してくれる。
残念ながら、どんなに心頭滅却しても私が泣き虫であることには変わりない。私が重い印象にならないよう努力しても、周りの受け流し方次第では、重たくて面倒くさくて関わると厄介な存在にも十分なり得る。
今周りにいる人達は私がすぐ泣くことをスルーしてくれて、たまに泣き虫をイジってくれる。誰も腫れ物に触るような応対をしてこないことが心地良い。
ちょっとしたことですぐ涙を流すのを見て、イラつくことがあるかもしれない。謂れのない罪悪感でモヤモヤするかもしれない。でも、皆それを受け入れてくれている。申し訳なさを感じる。ありがたい。
のんびりした空気の時を選んで、私は「いつもすみません、ありがとうございます」と伝える様にしている。その時は泣かない。泣きそうだなぁと思ったらまた別の機会にする。そのくらい徹底している。
仕事で悩みを相談したり、素直な気持ちを話す時、私は絶対泣かないと決めている。冷静に話ができる人だと思われたいから。
工夫さえしていれば泣き虫でいてもいいのだ、と思うようになってから、私は少しずつ泣く回数が減ってきた様に感じる。
もしかしたら、オバサンになる頃には私は泣かなくなっているかもしれない。
ただ現状、周りの人達の良心に大きく依存していることは確かなので、理解に感謝しつつ自分でももっと工夫できることがないか考え、色々試していくのは続けていきたいと思っている。