じゅぽじゅぽ
相当程度の低いでは仮定ではあるけれど
そうやって各議員が集まった状態で国会議事堂を爆破するなり毒物を散布するなりして
首相・各省庁大臣・自民や公明など現状与党に与する人物は一人残らずお陀仏だし
こういった状況で、日頃からアベを倒せと発言し「#アベを殺せ」といったハッシュタグを流布する人々はどういった発言をするだろうか?
アベから解放された、国民の民意によって正しく天誅が為されたと歓喜するだろうか?
少なくとも腐敗政治は脱却し、自民の党意も根絶されたのだから彼らの理想は叶っている
死に逃げした、責任追及が出来なくなったと憤る人はいこそすれ、喜ばしいことだとは思うのだけれど。
その上で「我々がやりました」と犯行声明を挙げ、そして速やかに逮捕される人物が出てきたならば。
彼らはその人物を英雄視し祭り上げるだろうか?減刑を求める、デモを起こすなどのアクションを行うだろうか?
SNSという安全地帯から抜け出さず、届かない石をひたすらに放り続けている左翼には到底できない真似事であるし、
かといって愉快犯や内部犯にしてもそんな気概のあるものはいない。
海外からわざわざ日本を狙って破壊工作を行う人物・団体なんて論外である。
・自家用車のエンジン性能が向上し、変速機は2段(1段:発進用/2段:高速用オーバードライブ)になる。
・高速道路網が日本の津々浦々まで整備される。日本のどの地方であっても自宅から10分以内に高速道路に乗れるようになる。
・故に変速機は発進用と高速用オーバードライブの2段で問題ない。
よい見識といえよう。
https://comic-days.com/episode/13933686331667252531
頭の上にミカンをのぜる
https://www.tyoshiki.com/entry/2020/07/31/204512
冬野梅子『普通の人でいいのに!』私はこう読んだ
https://deztec.hateblo.jp/entry/2020/08/01/162746
これらたいへんよい感想文なんだけど
個人的にはマッチングアプリという要素に対する話が足りていなくてモヤモヤした
これもバズったよね
「マッチングアプリで会った人だろ!」
http://www.moae.jp/comic/seinoprize_matchingappdeattahito
「普通の人でいいのに」の方ではアプリの話はサラッと流される程度だったけど
主人公が「普通の人」「普通の出会い」を求めたきっかけが「アプリじゃない普通の出会い」を求めたからというのは言及されてる
ここらへん共感できたんだけどどうなんだろ
マッチングアプリでは、他人を比較し、自分が比較される状況が作られる
他人を比較する目はかなり厳しいが、そういう人が自分に靡かないことを知って自分のレベルを否応なく自覚してしまうわけだ
良いなと思う人は自分と釣り合わないし、釣り合う人は興味がない
美男美女を除けば、大抵の人なんてキツイ状況なんじゃないだろうか?
こういうのって実は学校・進学・新卒採用あたりにすごく似てるんだよね
似たような条件の人が一斉に同じことをすることで発生する市場形成
勝者以外はああいうの嫌いだと思うんだけど
すると「もっといい人がいるかも知れない」とはアプリに比べてなりにくいし、自己評価されてる気にもならない
あと、こういうのは選択肢が多いほどにドツボにハマるのではないだろうか?
ある商品を買うときに、2,3種類から選ぶのであれば素直に買えるのに、ネットショッピングなどで100種類の中から選ぼうとすると迷ってしまって結局買えないみたいなこと無いだろうか?
私は結構あるんだが
もっと良いものがあるかもしれない、この選択は間違いかもしれないと不安になったり
本当はもっと良いものがあるが高いから買えない、という事実が心のなかに残って踏ん切りがつかなかったりする
特に買い替えが難しいものほどそうだ、家具とか車とか、迷うし苦しんでしまい、完璧主義者みたいになっちゃう
マッチングアプリというのはこういった
・自ずと自己の魅力の現実を見せつけられる問題(学校や新卒採用に似てる)
などがあって幸福度より不幸度の方が大きいんじゃないかと予想してる
学校・就職なんかはそれでも競争を促すことで社会が良くなるという前提があったけど、マッチングアプリっていたずらに市場形成してるだけだよね
しかもその中でのエリートたちはこのシステム使わないからね、絶望感すごい
せっかく社会という大海に出ることで自分の評価が曖昧になってたのに、突然アレがまた始まったら苦しいに決まってる
「普通の人でいいのに」の主人公はそこから逃げようとして転げ落ちた感を読み取ったんだけど
まあそれは90年代みたいな感じになると言う意味で、別の悲哀になってくるんだろうけど
マッチングアプリって成立せずズルズル使ってもらったほうが得だから、無限にこれは続くっぽいよね
かくいう私も何度かそれ関係の仕事をしているが、まだまだ市場は伸びているし今後も伸びていくだろうという話だった(って経営者が言ってた。投資家向けの資料だからやや眉唾だけど)
義足つくってやれや。
たまには刺さること言うんだな。
たまたまある一人の女相手が文句言わずに(言えずに)言いなりになった
という事実を持ってして世間の女一般全部をなめてかかるという態度だ
具体的な一対一の関係ではなく、ばくぜーんとした多数の人を思い描いてる
だから逆に多数に叩かれると垢消し逃亡する奴も多い
こう書くと何やら抵抗しない女の方が悪いみたいに読まれかねないが
と恐れる女性は多い
数学や理科を教えても、何の効果も無い。こんなことに税金を費やすのは無駄であるから、やめるべきである。
一般的に言って、学校教育に数学や理科などの専門学問の基礎科目を課す理由は、以下の2つである。
現状、国民に学校教育を施しても、このどちらも成果を上げていない。
将来、研究者や高度な専門技術者になる人はごく一部であり、その一部を輩出するために、全体に教育を施すのは無駄である。
また、このような専門家(具体的に言えば大学教員や有名大企業の研究職・技術職など)になる人たちは、全国レベルの有名進学校出身がほとんどである。そういう人たちは最初から学問への関心が高く、学校の勉強など課せられなくても、勝手に才能を伸ばしてくれる。
それ以外で学校の勉強が役に立つケース、つまり「学校の勉強がきっかけで学問に関心を持ち、優秀な研究者や技術者になる」などというケースは無視できるほど少ない。
第一、二次方程式や三角関数などを教えても社会に出てから使う人は皆無である。つまり無駄である。
また、日本(に限らず先進国)の国民の約3割は小学校3〜4年生レベルの数理的能力しかなく、PCを使った基本的な業務ができる人は1割しかいない。電磁波有害説やがん放置療法などの社会的に問題のある疑似科学を信じる人も後を絶たない。国家規模のコストをかけた教育の成果がこれでは、やる意味は無い。
そもそも、数学や理科に限らず、義務教育の公民で選挙について教えたって、投票率は半分もない。国民の3割は簡単な短文すら読めない。あらゆる領域で学校教育のコストは無駄になっている。
学校教育から数学や理科を無くしたところで、何か問題が生じることは無い。
上に述べたように、研究者や高度な専門技術者になるような人は最初から優秀なのであり、学校で教えなくても、勝手に才能を伸ばす。したがって、学校教育から数学や理科を無くしたところで、そういう人材が減ることはない。
また、国民のほとんどは、数学や理科を習ったところでその素養を日常生活の中で活かせていない。そして現状、日本にはそういう人たちにもちゃんと仕事があり、ほとんどの人は不自由なく生活が営めている。つまり、学校教育から数学や理科を無くしたところで、職を得たり生活することが困難になる人が生じることもない。