エンジニアとしては、プレイングマネージャー(意識高い系は除く)にしかついていきたくない。
開発の苦しみも知らない、上からただ指示するだけの人間の言うことを聞きたくない。
NHKの知恵泉だったと思うが、信頼された武将は先頭を切って敵陣に向かっていったという。
ああこんな日々がいつまで続くのだろう。憂鬱だ。
意識の高くないプレイングマネージャーできる人もいないし、
どうしたらいいものか。。
「一言(長文)」定期(当然読んでない定期)
マヌケなブコメをしたはてなーを見かけるたびにキャプチャしている。更新してそのブコメが消えているのはたまらなくおもしろい。まだ恥ずかしいと思う心は残っていたのねと、親の気持ちであたたかく迎えている。
スベり倒しているブコメをそのままさらけ出しているのはいっそ趣がある。ダメな子ほどかわいいってこういうことかしらと親の気持ちになれる。
互助会のブコメを見るたび、ちゃんと食べてる?お米送ろうか?とつい言ってしまう親の気持ちになれる。
ほぼ無言のブクマカがたまに付けるブコメなんかたまらない。大体つまらない。しかしつまらなければつまらないほどいい。そうなのよ、あなたは黙っていたほうがいいのよと、これまた親の気持ちになれる。
11月20日は一日国道153がほとんど動かなかった。仕事で移動する者には迷惑だ!
http://pikarinnews.net/korankei
私がネトウヨを気持ち悪いなあと思うのはいい年してアニメやゲームに夢中になっているその幼児性もあるんだけど、
のうりんのポスターやキモい海女さん、男の妄想で女性に恥ずかしいことさせている鉄道のイメージキャラクターとか
そういうのを女性差別だと気づかない無神経さが一番腹立つ
バカが大勢寄り集まったクラスタで小銭徴収すれば結構いい商売になる、っていうごくごく常識的な話では?
そのことを理解できないおっさんたちがいたとしても、銭を懐に入れてたのもまた別のおっさんたちなんで、なんで「女子高生が正しい」ことになるのかわからん。
があればいいなと思った。
はてブを使い始めて10年近くになる。なにげなく過去のブックマークを眺めていたら,転職時には転職や業界に関するブックマークが多く,出産後には子育てに関する内容が増え,常にぽつぽつと技術やアニメに関するネタがある。
はてな界のトレンドと共に,自分の興味が移り変わっている様子がじんわりと見えて面白いが,雰囲気しかわからなかい。はてブに登場するキーワードや内容,ブックマーク数から,定量的に自分のライフスタイルの移り変わりを分析してくれるサービスがあるといいなと思った。自分でも気づいていない興味の強弱ってあると思うんだよね。
もう、安定
以前に下記のエントリを書いた。
■平均年収に達する日が来るとは思えない
http://anond.hatelabo.jp/20161007044817
その間、自分しかできない、いくつか実績と成果はあげたはずなのに。
目安年齢に見合った階級に昇進し、役職につけば、平均を大幅に超える。
少なくとも、もう2ランク上に達すれば、ほぼ平均並になる。
気持ち悪いだけならいい。といいつつ大した根拠もなく害悪と断言するって
これだよね
掛け算も足し算も順序はある派。
x+dxをdx+xとか書かれたらキレる。
掛け算も、小学校のルールと逆順に書くときは、「掛ける数は演算子」だと認識するようにしている。
「3.9+5.1=9.0」は減点対象 小学校算数の“奇習”が議論に
これも「9.0は減点」に賛成派。「有効数字ガー」とか言ってるバカがいるが、有効数字を考えるなら、例えば「3.9+5.01」なら8.9を正解にして8.91は不正解にしないと整合性が取れない。算数じゃなくなる。
畢竟これらの議論は、「数学的に同値だが形式的に異なる記述について、それらに異なる文脈的意味を持たせたり、一方のみを「適切」とすることにどれほどの理があるか?」という問題に帰着する。この観点を持つと、「理あり」とされているものは実は多くあることに気づく。
たとえば分数の約分。ふつう最終的な解に「2/6」と書けば減点対象だ。(でも、この書き方だって有用性はある。ピザを6等分した後なら「ああ二切れ分だな」とすぐわかるが、「1/3」だとわからない。)
小学校なら「帯分数」とかいう謎の書き方もあった。あんな奇妙な書き方、中学校以降で書いた覚えがないのだが、小学校少なくともある時期は「5/3」というような答えは減点対象だったと記憶している。
こういった「既約分数で答えよ」「帯分数で答えよ」という暗黙ルールは、「足し算・掛け算はこの順序で書け」「小数点以下の0は省略せよ」というのと本質的に同じだ。数学的に同値な書き方のうち、一方をなんらかの意図で強制させているのだ。
どのルールにも、それを強制する意図がある。「約分できることに気づかせる」「5/3は1+2/3であることを理解させる」「かける数とかけられる数、という役割の異なる数字があることを認識させる」「なるべくシンプルな形で書くことを心がけさせる」など。それに意味があるかないかは、教わった小学生たちが決めることだ。小学生たちから「自分で判断する」ことを奪っちゃいけない。
ネットに渦巻く算数教育への批判には、なんというか愛がない。小学校教員の知性への信頼も、小学生たちの知性への信頼も、全然ない。「こんなことを教える先生は頭がおかしい」「小学生にはこんな教育は混乱を招くだけだ」。そんなはずはない。先生だって交換法則くらい知っている。
小学生にも、もっと自分で考える力があるはずだ。「掛け算は交換法則が成り立つが、割り算では成り立たない。なぜか?」「かける数とかけられる数には違いがあるのか?」こういった問いかけに、自ら考えさせることこそ教育だ。子供が持ってきた答案用紙に×がついているのを見て、「先生が間違っている」という「答え」を教えてはいけない。「君はどう思う?」と問いかけることから教育が始まる。
数年前、クラブの規制とリンクしながら、東京や大阪の大学生が連続してマリファナで逮捕されるシリーズがあり、その後、大麻の代替物であった「合法ドラッグ」の規制が厳しくなった。
イタチごっこの末、合法ドラッグの中身がどんどんヤバいものになっていき、最終的にはほぼ駆逐された。
恐らくその反動で、マリファナに回帰する流れができて、今ここ。
それらは必ずマスコミのキャンペーンを伴っている。まず間違いなく政府の意向。
欧(南北)米では解禁の流れだし、この間のトランプショックの陰でいくつかの州でも追加で解禁された。
日本でも、ネット上ではコアな人以外にも経済的側面から解禁もアリっていう論者も増えてきて、麻取の皆さんやJTやそこに天下っている人たち、仕事が減るかもしれないので焦ってるんじゃないのかな。
厚労省と財務省のせめぎあいっていう側面から見るがいいのかも。
だって日本はずっとアメリカ追随で来たし、「日本を取り戻す」とかいう人が権力を握ってる今でさえそうなのに、議論すらされないのはおかしいじゃん。
GF(仮)いうアニメがある。アニメオタクの中ではクソアニメと言われていて、自分でも確かに出来はよくないとは思うんだけど、それでも自分は結構好き。
ストーリーは何の変哲もない日常系なんだけど、登場人物の言動に前向きで温かい感じ、なんというかすべてを許すような所作が感じ取れる。
大げさだが自分はここにいてもいいんだ、というような安心感がある。具体的にどのセリフがどうこうという話ではなく雰囲気としてそういう傾向がある。
誰も同意してくれないだろうし同意してほしいとは思わないが自分の中ではそうだ。
こっちはGF(仮)より優しさと暖かさが具体的に説明しやすい。生まれつき不幸な体質の人間を集めてその人達に幸福を掴み取るための教育を施す「幸福クラス」で、主人公がクラスメートたちと学校生活を送る様子を描くアニメ。全体的にコミカルでバカバカしくて笑える作風になっている。今は不幸でも、皆で協力して自分のペースでゆっくりと幸せになっていけばいいじゃないか。客観的には不幸に見えても、本人が幸せだと思っているなら幸せなんだ。そういったメッセージがあって、見ていて前向きな気分になれるアニメだ。
別に、精神が荒んでいたわけでも疲れていたわけでもないけど、自分はどうも優しさと暖かさが染み出すようなアニメに弱いようだ。
ただARIAや夏目友人帳なんかは違う。あれも確かに優しさと暖かさはあるし、超好きだけど、今言ったようなアニメとはちょっと方向性が違うとは思う。中学校の頃、社会科の先生が「始めて弥勒菩薩を間近で見たとき、そのすべてを許すような微笑みを前にしばらく泣いてしまった」と言っていた。残念ながら自分は弥勒菩薩を見たことはないが、弥勒菩薩を見て泣く感覚はなんとなく理解はできる。多分これらのアニメを見て涙がでるときの感情と同じだと思う。ARIAや夏目友人帳なんかは、理屈として言葉にするのが難しいが、優しくて暖かいだけで許しがないんじゃないかと思う。感覚的な話で申し訳ないがなにかそういうアニメはないだろうか。