精神科の通院歴が身上書に記入されてなかったと、他の先生から聞いて驚愕する。
俺も、履歴書に通院歴なんか書かないんだけど。それで採用されちゃったんだけど。
今時、ちょっと抗うつ剤もらうくらい、珍しくもないだろうに、なんなの?
うるせえ左翼はクソして寝ろ。
シン・ゴジラみたくてIMAX(2D)で今日見に行った。めちゃくちゃ面白かった。感動してた隣の若い人と熱く語りたい感じだったんだけど、「シン・ゴジラ鑑賞メモ」(http://anond.hatelabo.jp/20160731062112)読んで、その若い人とよく似たようなこと書かれてたので、その人にしゃべれなかった分をここで書く。自分用メモみたいな感じで。
シン・ゴジラ見てまず感じたのは、「すごい映画見ちゃったなあ」という感想。
これだけのスケールでこれだけ「真面目に」「分かりやすく面白く」なおかつ「監督のやりたいこと全部やる」映画見たのってどのくらい久しぶりだろう。
要するに「プロジェクトとして成功した」映画って感じ。脚本から演出の細部に至るまで、まったく妥協・手抜きなし。
ゴジラほんと大きいし怖いし手も足も出ない絶望感すごい。そんで映画としてのカタルシスもすごいある。
ここでこういう流れ欲しいとか、それきたかー!みたいな喜びの連続で、とにかく2時間目がおなか一杯。ワクワクしながら最後まで見た。
最後の最後で、個人的に小さくてすごくいいシーンが一つあった。登場人物の一人の表情にすごい救われて「(演出)うまいなー」と心からうならされた。
これは、個人的に重要なことなんだけど、「いい映画」に絶対いらないのが「分かりやすい悪役」と「可憐なヒロイン役」。
ソレ出せばストーリー作りやすいのは分かるけど、「いい映画」を作る上では大体邪魔になる。なぜならストーリーの自由度がぐっと減るから。
そもそもフィクションで一番大事なのは「感動」で、そのため必要なのは「リアリティ」。
ここまでは誰でも分かる。
問題は「100%リアル」に作ると、それは「面白くない」ということ。
「悪者のいない世界」なんてその典型だ。立ち向かうべき「悪」がないリアルな世界で、どう「感動」を描くか?
世界で一番古いギリシャ悲劇は、悲劇を「(神の定めた)運命に逆らおうとする人間を描くもの」と定義した。
「悪者のいない世界」を舞台にリアルな感動を描くとき、これは大きなヒントになる。だからシン・ゴジラは面白い。本当に面白い。
それから、巷では、自衛隊の全面的な協力・描かれ方みて「プロパガンダだーっ」て意見があるんだけど、そういう心配は無用だと思う。
いい作品って、人にいろいろなことを考えさせるし、人は見たいように物を見る。そういう風に見たらそりゃ見えるだろう。
逆に「反安保映画だ」という批評もあって面白かった。けど、それも本質じゃない。それらは、シン・ゴジラが何よりいい映画だってことの証明だ。
それより監督が自分の欲しい画を撮るために、できるあらゆる努力をした…その結果本当に妥協ない画ができたってことの方が重要だ。
協力を求めるためには、当然先方とWin‐Winの関係を築かなきゃいけない。そのうえで、脚本も映像も、そして映画全体を通した主張も全く破綻していない。
そこに庵野さんのものすごい力量と熱量が感じられた。実は個人的に一番感動したのはそこかもしれない。
日本スゲーとか自衛隊カッケーという感想もそりゃ持つだろうけど、あの映画に出てきた人はみんな魅力的かつ欠陥もあって
(それは主人公も含めて)けど「みんな自分の仕事した」ってとこを見てほしいってことなんだよね。
立場を違えてもそれぞれが自分の仕事をして、わざとらしい失敗なんかは描かれていないということ。
そこに庵野の深い演出意図をオレは感じたなあってことなんだ。みんなが自分の「仕事」をしてる…特定の「誰か」だけではなくだ。
たとえそれぞれの立場が違っても、皆でそれを信じることが本当に本当に大事なことなんじゃないかな。少なくとも庵野はそう考えてたんじゃないかな。
そしてそれが最後にゴジラと日本について主人公が述べた言葉の意味なんじゃないかなと。
そして最後に、
オリジナル「ゴジラ」をはじめ日本の「特撮映画」への過剰なまでのリスペクトを込め、
日本のアニメ界がこれまで築き上げてきたカメラワークや演出技術の力も借りながら、
間違いなく映画史に残る一作だと思う…そのことにホントに同意だということ。
普段、邦画なんて、アニメ監督なんて、怪獣映画なんて、と思っている人にこそ、見てほしい。
それから、スーサイドスクワッド、面白そうだよね。それも同意ww 増田気が合うね。
ちなみに、ブクマに上がってたこの批評はめまいがするほどひどいので読まない方がいい。ネタバレだし。
↓
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49324
(追記)
こういう意見が出てきそうだったから、早々に「左翼だけど」という前置きで賛成意見書いたんだよ!(後出し感)
↓
http://togetter.com/li/1008104
これも当然ネタバレなので、観に行く前には読まない方がいい。…って、もうさすがにみんな見たのかね。
小池百合子がどんなに華麗な経歴を持っていても、子供がいないという時点で『弱者』なんだよなあ…。
だからいまいち小池百合子叩きの流れに乗れない。隠し子でもいれば別ですが。
安倍政権といい英国のEU離脱投票といい、民衆のアホさ加減は散々見てきたわけだし愚民に期待するのなんてやめてるから屁でもないだろ。
バカにしたり、あとで吠え面書くなよみたいなこと言うだけ。
お笑い向上委員会という番組を録画で見ている。この前の27時間の時も抜き出してみていたのだが、あまりにも酷い内容に愕然としたが、現場は1ロール延長したらしい。よくアレが面白いと判断できたものだ。
「この人なしの人生が考えられない」「この人と出会えたことが最高に素晴らしい」という重たい人間関係がどうにも恐ろしく感じる。創作物であっても。
別の人でも構わなかったけど、なんとなく一緒に行動してきた思い出があるのはこの人で、とはいえ最悪離れ離れになっても問題はない、くらいの距離感が丁度いい。
http://anond.hatelabo.jp/20160728000910
例えば休日に友達とBBQして楽しい、会社で成績上げた嬉しい、ご飯がおいしいやったね。人生ってこういう楽しいことも多いけど、おっちょっとこれは辛いなって心が折れそうになるときもあるし、辛いとまではいえないけどただ漠然とこなすように仕事をして過ごす日々も多かった。
「たぶん人生はプラマイゼロだ、幸せなときもあれば辛いときもある。人に迷惑をかけることもあれば、人に感謝されることもある。トータルでプラマイゼロなら、ゼロな自分がもし明日不慮の事故で死んでもそれは別にもったいなくはない。突き詰めると、別に生まれてこなくてもそれはそれでよかったけどね」ってぐらいでなんとなく生きてた。
こんなさあ。人生プラスばっかりに思えるような人が、「トータルプラマイゼロ」って言ってるの見ると
本当に憂鬱な気分になるからやめて欲しいんだよ。お前がプラマイゼロだったら俺ら完全にマイナスじゃんか。
お前が生まれてこなくてもそれはそれでよかったね、だったら俺らすぐ死んだほうが絶対いいってことじゃん。
ご指摘の通り間違いなく幸せは自分自身が決めるもので、ご飯が美味しかったり、夕焼けがきれいだったり、ピカチュウ捕まえたり、アイスのくじが当たりだったり、出世したり、海外出張がうまくいったり、転職成功したり、素敵なタワマンに引っ越せたり、大から小まで幸せってそりゃ世の中にたくさんあるでしょ。
ほとんどないんだよそんなもん。たくさんあるでしょ、じゃねえよ。美味しいと思えるほどゆっくりごはんを食べれたり、夕焼けがきれいな時間に会社から帰れたことなんてこの2年間一度もねえんだよ。出世とか海外出張なんか楽しいこと何もなかったし転職する元気もないよ。
なぜ自分で自分の存在を否定してしまうのか少し考えた部分があって
私は親に厳しく育てられたという意識がある。箸の使い方が悪かったらベランダに閉め出されて一晩過ごしたり
テストで満点をとれなかったら冷水シャワーしか使わせてもらえなかったりして
親にどうやったら評価されたら良いかずっとずっと考えていたんだけど
両親が中学高校と続いて亡くなって、祖母宅で暮らすようになってそれでも祖母に見限られないように祖母の評価を気にしていた。
だからそんなに悪くない大学にもなんとか入ったし、総合職として一般企業に就職できた。
祖母は泣いて喜んでくれたけどそれでも私にとっては安心ではなくて、これからもこの評価を死守しなければと不安と焦りばかり抱えていた。
こういう話を結婚を前提で付き合っていた彼氏にしたこともあったけど、悲劇のヒロインぶってるのかよと言われて悲しくてやはり自分は評価を得られるように努めなければと思ってしまったんだ。その彼に自分の人生を生きろって言われて別れたんだけどさ。
確かに自分なんて生きてる意味がないと考えるときに、もう良い歳なのに何時迄も子供の頃の脅迫観念を背負っていたらみっともないし、悲観的で悲劇のヒロインぶってるって思われるのも一理あると思ったんだ。
だって私は両親死んでホッとしたんだもの。悲しむよりもさきに安心したんだよ。そんな人間が自分のために生きるなんてどうやればできるのか誰も教えてくれないんだよ。評価を気にして動いたら勉強も仕事もある程度のことは達成できた。ある程度の評価はいつでも得られた。そうやって生きていたら世界ってこんな狭いんだと、私くらいの人間でも努力すればなんとかなるんだと思ったら、自分のために生きるのが怖いしそうまでして生きたくないって思っちゃったんだ。