なぜ自分で自分の存在を否定してしまうのか少し考えた部分があって
私は親に厳しく育てられたという意識がある。箸の使い方が悪かったらベランダに閉め出されて一晩過ごしたり
テストで満点をとれなかったら冷水シャワーしか使わせてもらえなかったりして
親にどうやったら評価されたら良いかずっとずっと考えていたんだけど
両親が中学高校と続いて亡くなって、祖母宅で暮らすようになってそれでも祖母に見限られないように祖母の評価を気にしていた。
だからそんなに悪くない大学にもなんとか入ったし、総合職として一般企業に就職できた。
祖母は泣いて喜んでくれたけどそれでも私にとっては安心ではなくて、これからもこの評価を死守しなければと不安と焦りばかり抱えていた。
こういう話を結婚を前提で付き合っていた彼氏にしたこともあったけど、悲劇のヒロインぶってるのかよと言われて悲しくてやはり自分は評価を得られるように努めなければと思ってしまったんだ。その彼に自分の人生を生きろって言われて別れたんだけどさ。
確かに自分なんて生きてる意味がないと考えるときに、もう良い歳なのに何時迄も子供の頃の脅迫観念を背負っていたらみっともないし、悲観的で悲劇のヒロインぶってるって思われるのも一理あると思ったんだ。
だって私は両親死んでホッとしたんだもの。悲しむよりもさきに安心したんだよ。そんな人間が自分のために生きるなんてどうやればできるのか誰も教えてくれないんだよ。評価を気にして動いたら勉強も仕事もある程度のことは達成できた。ある程度の評価はいつでも得られた。そうやって生きていたら世界ってこんな狭いんだと、私くらいの人間でも努力すればなんとかなるんだと思ったら、自分のために生きるのが怖いしそうまでして生きたくないって思っちゃったんだ。